
1 「よくあなたに作ったケーキ。会えたらうれしい。私は今でも母親だし、私たちは家族よ。愛してるわ」
突然、奇声を発したかと思ったら、今度は別の奇声が聞こえてきた。
主人公のアンナの表情がアップで紹介される。
今度は参加者一同が腕を繋ぎながら、声を出し、体を揺らし、最後は大きく息を吸って、両手を広げるグループの面々。
演劇のワークショップである。
帰宅後、ベルギーの小さな地方都市のアパートに夫と住むアンナは、小さなダイニングでの煮込みだけの夕食を摂る。
夫との会話は拾えないが、長年の夫婦生活で培った信頼関係は変わらないようだった。
翌日、夫はある疑惑により警察に出頭し、そのまま収監されてしまう。
一人で帰宅し、考えごとに耽るアンナ。
家の掃除をした後、演劇のワークショップに参加する。
帰宅して、アンナはセリフの練習をする。
シモンの母が「母親として話がしたい」と訪ねて来るが、ドアを開けようとしなかった。
「恥ずかしくないの?幼い息子にあんなことを」
その夜をやり過ごしたアンナは、上の階から黄色い水が出てくると言って、上階の家を訪ねると、小さな子供が一人いただけだった。
「驚いた。何をしてるの?」
それだけだった。
刑務所を訪ねるアンナ。
「なぜ、笑ってる?」と夫。
「笑ってないわ…目をどうしたの?」と妻。
「何でもない。昨日よりいい」
「診察は受けた?」
「長引いたら、頼んでみる」
「大丈夫?」
「ここで生き抜く自信がない。恐らく移送される。やったと思われてる」
夫はシモンの一件を言っているのだろう。
帰宅後のアンナに無言電話がかかってきた。
愛犬を洗い、自らもシャワーを浴び、愛犬にドライヤーをかける。
その後、アンナは相手役の男性を呼んで舞台劇のレッスンをする。
「“私への義務から解放します。いかなる束縛を感じないで。私と同じように。互いが完全に自由になるのです。さあ、指輪をお返しします。私のも返して”」
「“返すのか”」
「“そうです”」
「“分かった”」
「“いいわ。これで終わりです。1人になって、見極めなくてわ。自分と周りのことを。ですから…”」
ここでまた、電話がかかってきた。
「失礼」と言って、その場を離れた。
「ええ。そんなこと言わないで」
「ちゃんと食べてる?小包は届いた?」
「いいえ、じき届くわ。規定は全部、守ったから。何も没収されない」
続きを始めるアンナ。
「“鍵も返します。家のことはメイドたちが…メイドたちが心得ています”」
「“だが、何があろうと、君は僕の妻だ”」
「“今の私のように、妻が家を出て行く場合、法律上、夫には何の義務もないそうです。私への義務から解放します”」
「“いかなる束縛も感じないで。私と同じように。互いが完全に自由になるのです。さあ、指輪をお返しします。私のも返して”」
「“返すのか”」
「“そうです”」
「“分かった”」
「“いいわ。これで終わりです”」
レッスンが終わったアンナは、家政婦としての仕事先での盲目の少年ニコラを呼んで、シーツを引っ張るのを手伝ってもらう。
「こことここを持ってね。私はこっちを」
ニコラは階段に寝転んで、音楽を聴いている。
| ニコラ |
その後、我が子のミシェルに電話するアンナ。
「毎週かけてるけど、メッセージ残ってる?電話の故障じゃないかと。会いに行きたいの。みんなの顔が見たい。ずいぶん会ってないわ。きっとパーティを開くでしょう?シャルリーにケーキを焼いて行くわ。よくあなたに作ったケーキ。会えたらうれしい。私は今でも母親だし、私たちは家族よ。愛してるわ」
ここまで話したら、電話が一方的に切られてしまった。
アンナは孫のシャルリーに手紙を書く。
「シャルリー。お誕生日おめでとう。今日はあなたのこと、たくさん想ってる」
ケーキを作って、ミシェルの家に向かったアンナはシャルリーから歓迎を受けるものの、ミシェルに拒絶される。
「言ったろう?来ないでくれと。誰も歓迎しない。そっとしておいてくれ」
| ミシェル、左淵にシャルリー |
そこまで言って、家に入ってしまった。
置き去りにされるアンナ。
ケーキを持って、帰って行く他になかった。
自宅で号泣するのだ。
2 「見つけたの。あの封筒を。写真が入ってた」
ニコラはアンナに、「頭を掻いて」と頼まれ、童話を語りながらニコラの頭を掻いてゆく。
「むかし昔、ある男の子が旅の途中、うっそうとした森を歩いていました。やっとのことで森を抜けると、今度は果てしない乾いた砂漠を横切っていました。ある日、男の子は山の頂上から、大きな美しい湖を2つ見つけました。寄り添って並んでいます。見たこともない美しい湖で、湛えた水はこの上もなく清らかでした。あまりに清らかなので、飲んで願い事をすれば、願いが叶うのです」
ニコラといるだけで心が落ち着くようだった。
プールで泳いでも心が晴れない。
しかも会員証は無効だと言われてしまう始末。
そんなアンナの刑務所への2度目の接見。
「ドナがいつものおいしい煮込みを作ったの。シャルリーが会いたがってた。具合が悪いと話したら、“体温を測ってあげてね。約束だよ”って。あなたの分のハグもしてくれたわ。ミシェルもきっと会いに来るわよ」
「あいつは許さん。お前も許すんじゃないぞ。自分の父親に、よくもこんなふうに」
ここで接見室から離れようとした夫の背後から、アンナは言い放つ。
「見つけたの。あの封筒を。写真が入ってた」
夫は反応せず、退出するが、この謎めいた言葉の意味は何だろうか。
重要な物言いなので、批評で明らかにしたい。
ただ言えるのは、笑み含みの嘘話の中身が夫を励ましてやろうという意図を持ったものでなく、少なくとも、ミシェルについての言及を引き出し、封筒を見つけたことを伝えるための接見であったことは間違いないと考えられる。
ストーリーを進めていく。
その頃、ニコラの母は、ニコラにストランディング(鯨類の漂着)の記事を読み聞かせていた。
「アンナ、大丈夫?息子さんはお元気?」とニコラの母エレーヌ。
「ええ、元気よ。おかげさまで」とアンナ。
アンナはエレーヌに「気分が悪いので早退させて欲しい」と打診し、許可を得た。
アンナの目的は、シャルリーの学校へ行って、その元気な姿を確かめたかったこと。
学校にまで赴くアンナの視線が捉えたのは、サッカーで元気に動くシャルリーのプレーだった。
| シャルリー(中央/ボールを蹴る子) |
その後、バスに乗り、着いた先にあるのは、エレーヌがニコラにストランディング(鯨類の漂着)の記事を読み聞かせていた場所だった。
そこには、一頭の巨大なクジラが打ち上げられていた。
孤独な死をイメージするカットであるが、彼女の観念の〈現在性〉を象徴すると思われる。
帰宅したアンナは、夫に懐いているペット犬を他人に譲るエピソード。
演劇のワークショップで上手に表現できず、ここでも「外の空気」を吸うために退出する。
ラストシーン。
ここでは、孤独な死という彼女の観念の〈現在性〉を、一気に反転させるのだ。
「外の空気」を吸う行為は、時には、ダッチロールする主体の自我を新たな地平にシフトさせる力学を持ち得るのだ。
動いているから、それが叶うからである。
エスカレーターを全く使うことなく、ヒールの音を立て、表情を変えずに歩いていくアンナの姿こそ、生き直しを求める彼女の意志の発現だった。
地下鉄に乗って、帰宅の途に就くアンナ。
今度こそ、夫に頼らず、自分の足で時間を切り拓いていくのだ。
そう思わせるラストだった。
最初から最後まで、シャーロット・ランプリングの動きを追い続ける映画の切れ味は悪くなかった。
3 時間を駆動させる意志
殆ど説明描写を削り取った分かりにくい映像の狙いが、キャラクター、特にアンナの心情に観る者が入り込んで読み取ることにあったと思われる。
これは「自身をキャラクターやストーリーに重ねて欲しい」という作り手の言葉(「『ともしび』監督アンドレア・パラオロ インタビュー」)でよく分かる。
![]() |
| アンドレア・パラオロ監督(右) |
例えば、アンナの夫が収監(ここも分かりにくい)の背景にあるのは、帰宅後のアンナの行為によって容易に想像できる。
「恥ずかしくないの?幼い息子にあんなことを」
シモンの母が「母親として話がしたい」と訪ねて来た時の言葉だが、表情が引き攣ったアンナは、頑としてドアを開けようとしなかった。
アンナの夫の収監という一大事が、夫がペドフィリア(小児性愛)という、シモンの母による告発があったからと推量できる。
アンナも、その事実を知っているからドアを開けなかったのだろう。
夫に対するこの疑惑は、仮に告発がなくても、アンナにはどこかで了解済みだったとも思われる。
それは、夫に身を委ねる外にない妻との消極的な共犯性が窺えるが、だからと言って、夫婦間での黙契が成立していた訳ではない。
それは、どこまでも無関心を装うアンナの自己防衛の手立てでしかなかったろう。
その辺りの微妙さが本作を貫流しているから、厄介な映像になった。
かくて、演劇のワークショップへの参加が、自身を見直し、関係を見直し、変えていくことを望んでいたとも考えられるのだ。
まさに、セリフの暗唱をしている只中に、シモンの母親の強引な訪問があったことは皮肉だった。
またニコラの頭を掻くシーンで判然とするように、ニコラはアンナに懐いていても、彼女にとって、孫の代償行為であったに違いない。
問題なのは、息子のミシェルとの関係である。
なぜ、ミシェルはアンナをあれほど憎むのか。
間違いなく、父のペドフィリアへの嫌悪であり、然も、そこに〈夫婦の共犯性〉を感じ取っているからである。
後述するように、父のペドフィリアの性癖は根が深く、アンナの知ることのない過去を引き摺っていたとも考えられる。
或いは、夫がミシェルに手を出していたかも知れないのだ。
アンナは「無関心」という防衛機構に身を委ねてしまっているから、彼女の時間は動かないのだろう。
しかし、夫婦の時間が動いていく。
「見つけたの。あの封筒を。写真が入ってた」
夫は反応せず、退出するが、この謎めいた言葉の意味は何だろうか。
ミシェルを恨む夫が、ペドフェリアとの関係で断絶しているという現実の重さが、そこにある。
「見つけたの。あの封筒を。写真が入ってた」という発言の意図が、夫の事件に関与するものであり、夫の有罪性の証拠物件であると言っていい。
即ち、箪笥の裏から見つかった封筒に写真が入っていたという事実にたじろいだアンナは、その封筒を集合住宅のごみ置き場に捨てたのである。
では、封筒に入っていた写真とは何か。
間違いなく、夫の餌食となった少年たち(多分、複数)の写真である。
そんな写真をアンナは発見した。
驚いたに違いない。
夫の性癖を薄々、知っていながら庇い続けてきたアンナは、封筒を公にすることなどできようがない。
だから捨てた。
白日のもとに晒す訳にはいかないのだ。
夫と秘密を共有する妻になった瞬間である。
然るに、一心同体という訳ではない。
どこかで見て見ぬふりをしてきた夫の救い難き性癖が、妻の視線の只中で捕捉されてしまったのである。
夫との心理的距離が、そこに晒されたのである。
夫の行状への無関心というスタンスが、この一件によって崩された先に待つ未知なる時間に不協和音が生じ、確執が表面化する事態を招来しないとも限らないのだ。
無関心の延長が続くという事態に、無理が生じることにもなりかねないのである。
この辺りの葛藤が、後半に徹底的に描かれる。
不安・憂鬱・葛藤・煩悶・迷妄・心痛…
心に大きな波が押し寄せてきた時、人は何ができるのか。
何で、わざわざストランディングのスポットに立ち寄ったのか。
多分、アンナ自身、よく分からなかったに違いない。
そうせざるを得ない何かが、そこにあった。
そんな心の漂動が、彼女を動かしている。
彷徨させている。
これがラストまで続くのだ。
しかし、エスカレーターを使わず、ヒールの足音を響かせて階段を下りていくアンナの姿には、意志があった。
表情を変えずに歩いていくアンナの姿には、意志があった。
この意志は、彼女の時間を駆動させる何かである。
時間を駆動させる意志。
この何かの向こうに、如何なる景色があったにしても、自らの時間が拓いていった果ての景観なのだ。
ズシンと重く、いつまでも心に残る映画だった。
(2026年11月)


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