遺体現場に立つ医師・ジェニー |
<「自罰的贖罪」としての「向社会的行動」に振れる医師の「道徳的な真実」>
1 恐怖で呼吸が荒くなる診療所の女性医師
「一つだけ直す点を言うわ…診断の下し方よ。患者の痛みに反応しすぎるの」
「直りません」
「自分の感情を抑えなさい」
診療所の女性医師・ジェニーが、研修医のジュリアンにアドバイスした際の短い会話である。
診療所のインターホンが鳴ったのは、その直後だった。
ジュリアンが出ようとすると、ジェニーはそれを制止する。
「いいの。1時間も過ぎてるわ…今頃、来るほうが勝手なのよ」
「急患かも」
「それならもっと鳴らすわ…患者に振り回されちゃ、だめ」
ジェニーはその直後、診療所から移る医療センターのスタッフたちによる歓迎パーティーに出席した。
翌朝、診療所に出勤すると、昨夜、起きた事件の捜査で、「防犯カメラを預かりたい」という目的で、二人の刑事が訪ねて来た。
診察室にジュリアンが出勤していないので、留守電に昨日の言い過ぎを謝罪するジェニー。
診療を終えたジェニーは警察署に行き、先の防犯カメラの映像を見ることになる。
そこには、殺害された若いアフリカ系の女性の姿が映し出されていた。
件(くだん)の女性が診療所のインターホンを鳴らしたのは、8時5分。
紛れもなく、ジェニーが診療所のドアを開けなかった時刻である。
死因は頭蓋骨骨接。
衝撃を受けるジェニー。
診療所に来たことのある患者か否かについて刑事に聞かれたが、「アブラン先生の代診なので分からない」と答える女医。
ジェニーは、警察署からの帰りに遺体が発見された海岸の工事現場に立ち寄った。
更にジュリアンの家を訪れ、殺された女性の写真を見せるが、「知らない」と返されるのみで、意思疎通が図れない。
ジュリアンは医師になることを諦め、田舎へ帰る引っ越しの準備中だったのだ。
ジェニーは、本当は、自分もあの時ドアを開けたかったが、「力関係を見せるため」にジュリアンを制止したと告白する。
診療所のアブラン医師にも女性の写真を見せるが、同様に、診た記憶がないと言う。
「私が開けてたら助かった」
「そうだが、殺したのは君じゃない」
「診療所を継ぎます」
「いいのか?私は嬉しいが、保険診療の患者が多いぞ」
「いいんです」
往診に行った家の少年・ブライアンにも画像を見せると、「見たことない」と言うのみ。
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ブライアン(左) |
ブライアン(左) |
ジェニーはブライアンのこめかみを触診すると、2倍の速さの脈が打っていた。
再度、ブライアンの家を訪問し、問い詰めるが、「知らない」という一点張りだった。
しかし、ブライアンの拒絶も、限界に達していた。
翌日、胃が痛むというブライアンが、高校の教師に連れられ、診療所にやって来たのだ。
そこで、ブライアンは両親(別居中)にも誰にも話さないと約束したうえで、ジェニーに見たことを告白する。
「車で老人にフェラを」
「木曜の夜だった?」
「どうやって見たの?」
「トレーラーハウスだから、窓からのぞいた」
ジェニーは、そのトレーラーハウスの所有者に案内してもらったが、そこで起きたことを話し、殺された女性の写真を見せると、ここでも、「知らない」と返されるのみで、腹を立てられた挙句、「出て行け」と言われ、早々に追い出される始末。
トレーラーハウスの所有者(左) |
諦め切れないジェニーは、介護施設に入所するトレーラーハウスの所有者の父親に会いに行き、死んだ女性の名前を聞きに行く。
最初は話そうとしなかったが、息子が度々トレーラーハウスに娼婦を呼んでおり、息子は警察に「場所の無断使用がバレる」事態を怖れているとのこと。
女の子の名前は知らないが、「リエージュの聖マグリット通り」の郊外の店に電話をして呼ぶとのことだった。
息子が老人の部屋にやって来て、話は中断する。
ここでも追い返されるジェニー |
ジェニーは早速、リェージュ(後述する)のネットカフェを訪れ、受付の店員や客に写真を見せて尋ねるが、誰も知らないと言う。
そのカフェから、田舎に帰ったジュリアンに電話を入れ、会いに行くことを留守録に入れた。
翌朝、ブライアンの父親がジェニーの診療所に訪ねて来た。
ジェニーの通報を怖れ、息子が目撃した際に友達が一緒だと嘘をついたが、そのことで警察を煩(わずら)わすことがないよう釘を刺しに来たのである。
ジェニーは、ジュリアンの田舎を訪ね、医者になることを絶念した理由を聞き出そうとする。
自分が批判したことに自責の念を覚え、彼の翻意を促すのである。
「私のせいでないなら、医者を諦める理由は?」
「いいんだ」
「でも、5年も勉強したわ。なれるわよ。試験まで時間もある。研修だって、残りは1週間だけ。研修の初日、覚えてる?医者が夢だと言ってた」
「発作で震える、あの少年は、父に殴られた僕だった。殴られてばかり…そういう人のために医者を目指した。近所の医者は、父の暴力を見抜けなかった。叱られて分かった。能力も、なる気もない。父を思い出すし…もう父を考えたくない。それが理由だ」
ジュリアンが言う、発作で震える少年 |
呆然と見るだけのジュリアン |
ジェニーはいつものように往診から帰る車を運転していると、黒人の男に車を寄せられ、強引にストップさせられた。
二人組の男(ネットカフェにいた男)が下りて来て、「話があるから窓を開けろ」と命じ、工具でフロントカバーを叩いて脅すのだ。
「写真を持って、うろつくな。目ざわりなんだよ。分かったか?」
恐怖で呼吸が荒くなるジェニー。
車を走らせると、前方にブライアンを乗せたスクーターが見え、ジェニーはそれを追い駆けた。
スクーターが停(と)められた廃屋に入り、ブライアンの名を呼ぶ。
その時、友達と一緒にいるブライアンが走って来た。
「あの友達ね。写真を見せたいの」
「僕、ひとりだった」
「街で見かけて…」
「彼はいなかった!」
そう叫ぶや、ブライアンはジェニーを穴に突き落としてしまう。
友達をバイクで逃がしたブライアンは、その場にあった階段代わりになる金網を穴倉に放り込んだ。
ジェニーを突き落としたのは、彼の本意でなかったのである。
帰宅したジェニーは、着信のあったジュリアンに留守録を入れる。
そして、ジュリアンから、再度、医者を目指して試験を受けるという知らせを受けた。
「考え直してくれたのね。うれしいわ」
そこに、ブライアンの両親が訪ねて来た。
出し抜けだった。
「あの女の話で、また息子を悩ませたとか。二度と近づくな…主治医を代えさせてもらう」
父親がそう捲(まく)し立てるや、診療所に通う母親も畳み掛けてくる。
「あの娘のことで、悩むのは分かるけど、息子を苦しめないで」
要点のみを言い放ち、両親は帰って行った。
その後、思いがけないことが起こる。
ブライアンの父親から痛みを訴える電話が入り、往診に行くことになる。
家に入ると、父親が床に倒れていた。
「モルヒネは急場しのぎ。病院へ」
その父親は、アブラン医師の頃から、椎間板(ついかんばん/椎間板ヘルニアのこと)の痛みで注射を打ってもらっていたのである。
ジェニーは、父親が娘のことを知っていると推し測り、事情を聞き出そうとするが、彼は往診代を払っただけで、そこだけは頑なに応えようとしなかった。
【映画で紹介されるリエージュの街は、オランダ語圏の、裕福な北部・フランデレン(フランドル)地域ではなく、ベルギーの貧しい東部・ワロン地域=フランス語圏に位置する工業都市。ダルデンヌ兄弟の映画製作の初発点でもある。「西欧の十字路」・ベルギーは、多文化共存の象徴とされるが、その内実は、南北の経済格差の顕著な、この国における「言語対立戦争」=「フランデレン問題」を抱え、北部の分離独立運動が根強くあり、その高まりは加速しつつあるのが現状である】
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ベルギーの南北問題 |
2 絶望の際(きわ)で煩悶する男との相克の時間が閉じていく
翌日、ジェニーは、刑事から彼女の一連の行為について注意を受けた。
「君は刑事じゃない」
「携帯の写真を見せただけ」
「でも、まずい。ヤクの捜査に必要な連中だ。君のせいで怖気づいた。なぜ、あのネットカフェへ?」
「偶然よ。黒人だから聞いてみたの」
そこにブライアンから電話がかかり、6時に行くと答える。
刑事から、「彼女の名前が判明した」と告げられる。
ジェニーは正確な死因を聞くが、刑事はそれには応えなかった。
「セレナ・エヌドング、1995年7月3日、ガボンのリーブルヴィル生まれ」
メモを取るジェニー。
ガボン政府に身元の確認中だと言う。
診療所に戻ると、ブライアンの父親が待っていた。
ここから、男の告白が開かれる。
「うちへ帰る途中、高速道路の脇に彼女が。すぐ、娼婦と分かった。俺はUターンして、それを息子たちが見た。だが、友達の証言を恐れ、一人だったことに」
「あなたが…」
「最後まで聞け。悩んだ末の決断だ。息子は俺の車に気づいて、友達を残し、信号で止まった俺に近づいた。俺は車を降り、彼女を誘ったが、彼女は走って逃げた。俺は車で追いかけた。息子が俺を呼んでたら、追わなかったのに…一度、この辺りで見失ったが、バス停に向かう彼女の姿が見えた。俺は車を止め、近づいた。彼女を誘うと、車の中ではイヤだと。川沿いの道へ。興奮した俺は…俺を見るな!あっちを向け!頼む」
ここで、男は激昂する。
言われた通りに、後ろ向きになって男の話を聞くジェニー。
「川のほうへと逃げる彼女を、俺は追った。すると、工事現場で、何かにつまずいたようで、海岸へ落ちた」
そこまで聞いたジェニーは、静かに反論する。
「解剖所見で、手首をつかんだ痕が」
「つかんだのは、逃げる前だ。俺の要求を断ったので…」
「無理に?」
「違う!金の話はついてたんだ」
「彼女は海岸で動かなかった。下りてみたの?」
「いや…こう、思ったんだ。“気絶しただけだ。気がつくさ”と」
「所見では、ショック死ではなく、意識喪失中の失血死と」
「俺が殺したと言うのか?見損なうな!」
興奮した男はジェニーの腕を掴み、身体を押した。
「悪かった」
そう言うと、顔を両手で覆い、男は椅子に座り込んだ。
「偉そうなんだよ!顔が浮かんで眠れない。頭から離れない。先生が扉を開けてれば…」
「私も、あの顔が離れない…鎮静剤、飲む?」
「まだ、医者ヅラを?要らねえ!」
そう吐き捨て、男は出て行こうとするが、ジェニーに向き直して言い切った。
「告白したと息子に言う。聞かれたら事実だと」
「私は秘密を守る。あなたが自首するの」
「イヤだ。できない。無理だ。知られたらクビになる。ムショ行きだ。すべて失う。女房に、家に戻ると誓ったんだ。自首なんて…破滅させる気か」
「彼女の声よ」
「誰の?」
「あの娘」
「死人じゃないか」
「私たちの中で生きてる」
ここで、驚くべき事態が出来(しゅったい)する。
トイレを借りた男が首吊り自殺を図るのだ。
異変に気づいたジェニーが入っていくと、未遂に終わった男が床に倒れていた。
男は警察に電話してくれと言うが、ジェニーは自分でかけるように促す。
ジェニーから携帯を借り、男は警察に電話する。
感情が大きく揺れ、絶望の際(きわ)で煩悶する男との相克の時間が閉じていく。
父を庇って、ブライアンが嘘をついたことが、この相克の時間の中で判然とする。
彼の家族が、あってはならない事件を通して、苦衷(くちゅう)の日々を過ごしていたことも明らかになったのである。
診療所で診察するジェニーの元に、ネットカフェの受付の女性が訪ねて来た。
ここでも、ジェニーは決定的な告白を聞くことになる。
「警察へ行く前に、お店で写真を見せてくれた先生に、お礼を言いたくて…妹なんです。来てくれたので、決心できました。体を売れと、男に言われるのが怖くて、その男がフェリシを偽装書類で働かせてたんです。まだ未成年でした」
「名前はフェリシ?」
「ええ、フェリシ・クンバです。…妹はどこに?遺体は?」
「市営墓地に埋葬されてるわ。ご遺族が名乗り出るまで…」
「そうします。私がすべてやります。ありがとう」
帰りがけに、姉はジェニーに本心を明かす。
「妹に売春させないでと、男に頼むこともできた。妹への嫉妬からでした。3人で暮らすうちに、男の気持ちは妹へ。妹が失踪して、ホッとしたんです」
別れ際、ジェニーはフェリシの姉を固く抱き締め、嗚咽する女性を慰撫(いぶ)する。
ラストシーン。
待合室で順番待ちをしていた老婦人の体を支え、歩調を合わせながら診察室に入っていくジェニーが、そこにいた。
3 「自罰的贖罪」としての「向社会的行動」に振れる医師の「道徳的な真実」
いつものように、完璧な映画の、完璧な構成の、完璧な構築力。
「この映画で求めているのは、道徳的な真実なのです」(リュック・ダルデンヌ)
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弟のリュック・ダルデンヌ(右) |
殆ど心理学の世界で説明可能な、サスペンス含みのこの映画の主題は、この言葉に集約されるだろう。
「あの時、なぜ、ドアを開けなかったのか」
この思いが、ジェニーの行動様態を決定づけてしまった。
寡黙な研修医・ジュリアンが診療所のドアを開けようとしたにも拘らず、ジェニーは制止した。
「1時間も過ぎてるわ…今頃、来るほうが勝手なのよ」
この一言で処理したジェニーには、その直後に待つ時間のみが全てだった。
近々シフトする、医療センターで開かれるジェニーの歓迎パーティー ―― このスポットでの笑みを湛(たた)える自己像が、有能な女医に透けて見えている。
しかし、程なくして、映像が提示したジェニーの笑みは消え入っていく。
ジュリアンに謝罪の留守電を入れるジェニーの振れ方には、刑事の訪問で事件を知り、明らかに不安に駆られる心理が読み取れる。
防犯カメラの映像を見せられ、衝撃を隠せず、嗚咽する女医。
「自分がドアを開けなかったことで、殺人事件の被害者を生んだ」
そう考えるジェニー。
遺体現場に立ち寄り、苦衷を深めていくのだ。
ジュリアンへのアプローチに、決定的な変容を見せるジェニー。
医師になることを諦念したジュリアンに対して、ジェニーは責任を感じ、その思いを言語化していく。
ジェニーを受け入れるようになったジュリアンは、父親のDVについて告白する。
その告白を受け入れ、より医師になることを求めるジェニーにとって、一切が歓迎パーティーを優先したことで出来した問題と考えるが故に、その贖罪こそが自らが負っていく倫理的テーマと看做(みな)し、世間並みの「常識」を超える「向社会的行動」を具現化していくのである。
その「向社会的行動」の内実は、譬(たと)え、それが彼女の裁量であったとしても、診療所の医師の職務の範疇を大きく超えていた。
彼女が事件の被害者に拘泥(こうでい)するのは、本来の葬送儀礼(そうそうぎれい/遺体処理と鎮魂)なしに市営墓地に埋葬された女性への哀悼の念が強かったからである。
遺体処理が為されただけで、被害者に対する「鎮魂」が遂行されていないのである。
だから本人を特定し、「鎮魂」をせねばならない。
市営墓地を訪ねて、30年間の保管を依頼したのも、その思いがコアになっている。
従って、彼女の「向社会的行動」は犯人捜しではなかった。
その本質は、自分が犯した行為に対する「自罰的贖罪」(私の造語)であると言っていい。
しかし、彼女の「向社会的行動」を通して、事件に関わる者たちと接触することになる。
彼らと接触することで、彼ら自身が変容していくのだ。
もう、その行程で、診療所の医師という立場は意味を成していない。
それは、「向社会的行動」が本来的に有するスピンオフ(副産物)でもあった。
彼女の「自罰的贖罪」が、特定他者の「自罰的贖罪」と化していくのである。
その典型が、ブライアンの父親であり、フェリシの姉であった。
警察に談話するブライアンの父 |
フェリシの姉 |
両者とも、自首行為に振れていくのだ。
この両者との接触が事件の収束を生み、「鎮魂」という本来の葬送儀礼を完結させていく。
そして、事件を通して、誰よりも変容したのはジェニー自身であった。
これは、先のジュリアンへのアプローチの中で検証できる。
「力関係を見せるため」に、ジュリアンを制止した自らの行為を恥じたこと。
それを本人に正直に伝えたことで、ジェニーを嫌うジュリアンの気持ちを変えていく。
ジュリアンは、医師になることを断念した理由を吐露し、最後には、自らの判断を翻意していくことになった。
「考え直してくれたのね。うれしいわ」
このジェニーの言葉こそ、彼女の変容の決定的な証左である。
事件に関わっていないジュリアンの人生に、事件を通して変容したジェニーの「向社会的行動」が大きな影響を与えたのだ。
そこまでして、自らを追い詰めていったジェニーらの「自罰的贖罪」を描く物語は、リュック・ダルデンヌが語った、冒頭の「道徳的な真実」という言葉を代弁するものになっていた。
それは、この作品が、本質的に「サスペンス映画」などではなく、「道徳的な真実」を主題にするヒューマンドラマであることを示している。
それも、いつものように、完璧なヒューマンドラマであったこと。
この理解なしに、この映画を評価するのは全く意味がないということである。
社会派の映画作家(この映画では移民問題)でありながら、ダルデンヌ兄弟が常に描く世界は、人々が濃密に絡み合うヒューマンドラマであることに、私は強く惹かれている。
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【ダルデンヌ兄弟の作品の中で、私が最も好きな映画「息子のまなざし」(「人生論的映画評論」を参照されたし)/オリヴィエ・グルメは常連俳優で、本作ではトレーラーハウスの所有者、また少年を演じたモルガン・マリンヌは事件の遺体の発見者の役を演じている】
(2021年6月)
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