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2023年9月20日水曜日

わが青春に悔いなし('46)  顧みて悔いのない生活  黒澤明

 


1  「あなた、秘密があるのね。それを私にください。それが欲しいんです。私、それがとても良いものに違いないと思うから」
 

 

 

「満州事変をキッカケとして、軍閥・財閥・官僚は帝国主義的侵略の野望を強行するために、国内の思想統一を目論見、彼等の侵略主義に反する一切の思想を『赤』なりとして弾圧した。『京大事件』もその一つであった。この映画は、同事件に取材したものであるが、登場人物は凡て、作者の創造である」 



京大教授令嬢の八木原幸枝(以下、幸枝)は、父親の教え子らと共に、京大を見下ろす吉田山へのピクニックを楽しみ、青春を謳歌していた。 

幸枝(左)と野毛

八木原教授(左)

糸川(右)

丘の上で学生たちが休んでいると、突然、軍事教練の銃声が聞こえてきた。

 

「自由の学園、学問の自由なんて、のんびり語ってられるのも今のうちさ。ファッショの嵐が吹き始めてるんだ。満州事変をきっかけに」と野毛(のげ)。

「また野毛さんの十八番が始まった…」と幸枝(ゆきえ)。

 

野毛に嫌味を言った幸枝は、糸川に「演習かしら」と声をかけ、兵隊が見える方へとスキップして行く。

 

「あんな音、大好き!歯切れが良くて、リズミカルで、胸がスッとするわ!」

 

突然、足を止めた幸枝は足元に血を流す兵隊を見つけ、凍り付く。 



昭和8年

 

そんな折、八木原教授が教壇を追われる事件が起こった。

 

八木原の家では、いつものように満州事変と軍閥・財閥を批判する野毛に対し、幸枝が「左翼の人、私、嫌い」と言い放って毒づく。

 

糸川は黙って二人の会話を聞いている。 


「父は自由主義者です。アカじゃありません!」

「侵略主義に反対な思想は、彼等には凡てアカですよ…軍閥の侵略主義の裏付けとして巻き起こされた事件なのだから、その侵略主義、軍国主義に打倒の旗の元に闘われるべきだと言うんです。なのに、いくら僕たちが口を酸っぱくして言っても、先生は聞いて下さらない…」


「止めましょう、こんな退屈な話。私、野毛さんが考えてるように、この世の中がそんな理屈ばかりで出来ていると思わないわ。もっと美しいものだって、楽しいものだってあるはずだわ」
 


沈黙している糸川を誘って、音楽を聴こうとするが、野毛の強烈な一言に血相を変える。

 

「その鼻っ張りが、一度ペシャンコにへし折られない限り、あなたには発展はないな」

 

野毛の指摘を無視して、幸枝は激しい調子でピアノを弾き始めた。

 

そんな幸枝を見つめる野毛は、黙って家を出る際に、ちょうど帰って来た八木原に、「僕はやるところまで断じてやる」と伝えて去って行く。 


そのあと、幸枝は糸川に楽譜のページを捲(めく)らせ、激情的にピアノを弾いたかと思えば、突然止め、今度は煙草をくわえ、糸川が火をつけようとするとそれも止め、更に、何でもいいから頭をテーブルにつけて謝ってくれと糸川に懇願し、実際にやろうとすると泣き顔になって止めさせる、という支離滅裂な行動で糸川を翻弄する。 


野毛のことなど気に掛けるなと幸枝を慰める糸川。

 

「あいつは無遠慮だからな。誰に向かってもズケズケ言うんですよ」

「いいじゃない。野毛さんは本当のことを言っただけよ。あなたには、あれだけのことは言えないわ」 



一方、野毛は学生たちを集め、ファシズム反対闘争の中心メンバーとして運動を展開していくが、教授たちは弾圧に屈し、学生たちは一斉に検挙、逮捕され、「京大事件」は終息していく。 



この騒動は世にいう「滝川事件」のこと。

 

【「滝川事件」とは、満州事変以降の思想統制の下、1932年から1933年にかけて、裁判所の判事・書記などが治安維持法違反によって逮捕された「司法官赤化事件」に端を発し、時の鳩山一郎文相が京都帝国大学法学部教授・瀧川幸辰(たきかわゆきとき)の著書(「刑法講義」と「刑法読本」)が赤化思想であるとして、罷免した事件のこと。京大法学部は全教官が辞表を提出して抗議の意思を示したが、大学当局・他学部は法学部教授会の立場を支持せずに運動は崩壊した】 

瀧川幸辰

1933年5月の毎日新聞記事


当の八木原教授は全学生を前に講演する。

 

「諸君。どうか冷静に事態を考えて頂きたい。無論、我々は敗北した。しかし、諸君、正義は必ず勝つ。今年の花は散ったが、時期が来たら、また爛漫と咲くのである。人間、如何なる事態に遭遇しても、その中から何事かを学び取るという心掛けが大事です。我々が反動の嵐に抗し、生き抜いていくことの中にも、必ずや希少なる人生体験になることを知らなければなりません」



いつもの八木原教授の元に集う学生たちの中に、野毛と糸川の姿がなかった。

 

糸川は母に家計が切迫している実情と、息子の卒業を心待ちにしている心情を明かされ、八木原宅の集いへの参加を留まったのだった。 


学生たちの帰り際、欠席した野毛が既に大学を辞め、左翼運動に挺身していることを聞かされた幸枝は衝撃を受ける。

 

その話を聞いた八木原夫妻も、思い詰めている幸枝の身を深く案じる。

 

その幸枝の元に、父と学生たちとの話し合いの結果を聞きに糸川が訪ねて来た。

 

幸枝に、退学してまで学生運動を継続することに反対する教授の考えに、学生たちが納得したと聞かされた糸川は、「助かった」と吐露し、安堵の笑みを浮かべる。 

「助かった」

「良かったわね。裏切り者にならずに済んで」

 

辛辣な幸枝の痛烈な皮肉に固まる糸川は黙って一旦帰るが、すぐに戻り、「お嬢さんには分からない」と言い残して、去って行く。

 

昭和13年

 

花嫁修業をしたり、タイプライターを習ったりする幸枝は、満たされない日々にフラストレーションを溜めている。 

タイプライターを習うが気が乗らない



教授を辞職した八木原は自宅で法律事務所を開業し、一般大衆の法律の無料相談に応じていた。 

法律事務所を開業する教授


そんな八木原宅に、検事となった糸川が八木原一家と会食するのために訪れ、無料相談を問題視すると、八木原は声を荒げて反発する。 

「それが糸川検事の見解かね」/八木原夫人(中央)


そこで糸川は、今度、野毛を連れて来ると話すと、幸枝は動揺する。 


幸枝は糸川を送りながら、野毛を連れて来ない方がいいと、その胸の内を告白する。

 

「あたし、怖いのよ…たとえばね。あなたの後に付いていけば、平穏無事な、でも、ごめんなさい…少し退屈な生活があると思うのよ」

「野毛なら?」

「野毛さんに付いていけば、何か、こう、ギラギラした目の眩(くら)むような生活がありそうだわ…怖いけれど、これは魅力よ」 


糸川は声を上げて笑う。

 

「昔の野毛と、今の野毛は別人ですよ。5年の月日のうちに、人間がどれくらい変わるか…あなただって、そんなに大人しくなったじゃないですか」

 

しかも、野毛には刑務所という特別な年月(としつき)が挟まっていると言うのだ。

 

後日、糸川が野毛を連れて八木原家を訪れ、野毛は快活に話に興じる。

 

「獄中ではいい勉強をして来ました。哲学史と日本の古典を落ち着いて読むことができまして…」 

野毛(右)


野毛は、糸川が検事であったことに助けられ、(偽装)転向して釈放され、軍の仕事をするようになったと言う。 


「結局、人間は弱いんですな。これは責める気持ちはないが、昔の野毛は何て言ったらいいか、一段と高い所から威圧するような…」

 

野毛と談笑する糸川の率直な物言いである。

 

かつての野毛ではないことに落胆した幸枝は席を外し、自室へ戻ってしまう。

 

母親に促され、葛藤した末、支那へ行くという野毛に見送りの挨拶をする。

 

糸川と帰る道で、「来るんじゃなかった」と呟く野毛。 


その夜、幸枝が家を出て行くと言い出し、野毛への気持ちを理解する母親が憂虞する。

 

「東京へ出て、自活するって言うんです…あの子は心に思っていることと、あべこべのことをよくやる性質(たち)なんです」 

夫人の話を聞いて驚く八木原教授

糸川との縁談に気乗りしないと言う八木原は、家を出る準備をしている幸枝の部屋へ行って声をかけると、突然、幸枝が泣き出すのだ。

 

「私、何もかも嫌なんです…何もかも、新しく生きていきたいんです」


「世の中は、お前が考えてるような、生易しいものじゃないよ」

「分かってます。ただ、今の私なんか、生きてないのも同じことだと思うんです。せめて、世の中に入って、生きるということはどんなことか、自分で確かめてみたいんです」

「そこまで考えたなら、いいだろう。自分で自分の生きる道を切り開いていくことは、そりゃ、尊いことだ。しかしな、幸枝。自分の行いに対しては、あくまで責任を持たなきゃいけないぞ。自由は闘い育てていくものであり、その裏には、苦しい犠牲と責任があることを忘れちゃいかん」 

「自由は闘い育てていくものであり、その裏には、苦しい犠牲と責任があることを忘れちゃいかん」


昭和16年

 

東京で貿易会社に勤めていた幸枝は糸川と遭遇し、夕食を共にする。 


糸川は結婚し、もうすぐ父親になると言い、野毛も東京にいて、築地に「東亜政治経済問題研究所」の事務所を構え、支那問題の権威として政財界にも信任されていると話す。
 

「東亜政治経済問題研究所」で


幸枝は早速、野毛の事務所を訪ねるが、会えずに帰るものの、その後も、何度もそのビルまで足を運ぶのだった。


ある日、野毛と再会した幸枝は、東京に来て3年の間に職場を3つ替えたが、食べていくためだけだったと吐露する。 

                 ようやく野毛に声をかけてもらい、再会を果たす

「3年になりますわ。その間に私、3つも職場を変えてきたんです」


「私、何か、この体も心も何もかも投げ出せる、そういう仕事がしたいんです。家を出る時、父が言いましたわ。華やかに見える自由の裏には、苦しい犠牲と責任のあることを知れって。私、そういう仕事が欲しいんです」

「難しいですね」


「あなた、秘密があるのね。それを私にください。それが欲しいんです。私、それがとても良いものに違いないと思うから」


「あなたは、どうかしてますよ。僕のことを、そんなに空想的に考えるなんて」

「もう、そんなに虐めないで!私、昔はそりゃぁ、何でもふざけて考えていたわ。でも今…」

 

それでも、押し黙る野毛。

 

「あたし、バカね。急に秘密が欲しいなんて。厚かましいのね、本当に…もういいのよ。ただ、心配なんですけれど…」

「あなたの言う意味は、よく分からんけど…ここに、当局から睨まれるような、そういう仕事をしている男があったとしてですね…その日は明日にも、一時間先にも来るかも知れない。ただ、その間にやれるだけのことを慌てずにやるだけでしょう」

 

それを聞いて、走って去る幸枝を追い駆け、野毛は言い切った。

 

「僕はこうなるのが怖かったんです。行き先はそれほど険しいんです」


「いいの。私は平気よ」

 

国家権力と毅然と闘うと思しき野毛の生き方に共感する幸枝には、今や、かつての我儘な令嬢の片鱗が垣間見えなかった。

 

 

 

2  「村では色んな仕事が待ってるの。村の人たち、特に女の人の生活は、あんまり酷すぎ。それを少しでもよくするのが、私のこれからの生きがい」

 

 

 

まもなく二人は結婚し、常に野毛との突然の別離の不安に怯え、涙する幸枝ではあったが、そんな中でも、「顧みて悔いのない生活」をモットーに、刹那の幸福感を繋いでいた。 


幸枝の両親のことを案じる野毛

「私、どんなに苦しくても、今の生活、一番生きがいを感じるんです」 



大きな仕事の成果を得て喜ぶ野毛は、涙ぐむ幸枝に諭すように語る。

 

「君は何も知らない。知ろうともしない。そして、黙々として、僕の身辺の世話をしてくれる。ありがとう。我々の仕事は、10年後に真相が分かって、日本の国民から感謝されるような、そういう仕事だ。分かるね?」 


野毛の背広の内ポケットの堅いものに気づいた幸枝に、「これは僕の弱点」と言って、両親の写真を取り出す。 


「もう、10年も会わない。いや、会えないんだ。子供の時と同じで、今でも、この親父に叱られるのが怖いんだ。このお袋に泣かれるのが怖いんだ…顧みて悔いのない生活…」 

「顧みて悔いのない生活」

野毛は、ご褒美を買って、晩御飯までには帰るというので、幸枝はご馳走を用意して待っていた。 

夫を送り出す幸枝


その野毛は、カフェの席に着いた途端、特高に捕らえられ、野毛を待つ幸枝も連行されてしまう。 


留置所に入れられた幸枝は黙秘を続ける。 

マグショット(取調べにおける「写真撮影」)


「野毛も強情だが…会いたいか。しかし、何しろ戦争妨害の大陰謀だ。諦めるんだね。昔からスパイは…」 

“毒いちご”


“毒いちご”と称される特高が、絞首刑の仕草をして見せた。

 

そして、良いものを聴かせてやると言って、12月8日の真珠湾攻撃を伝える大本営発表のラジオ放送を流す“毒いちご”。 


【“毒いちご”という俗称はウィキのキャストに書いてあるだけで、映画では出てこない】

 

幸枝は疲労困憊で倒れ、階段から転げ落ちてしまった。


 

収監されている幸枝を、八木原が上京して救い出し、実家へ連れて帰る。

 

「戦争妨害大陰謀事件・国際諜報団検挙さる」と首魁(しゅかい)の野毛の逮捕を大きく伝える新聞を読んだ八木原は、東京地検の糸川の元を訪れた。 


記事の内容が、糸川から聞いた話とは異なると指摘し、八木原は野毛の弁護に立つと伝えるのである。

 

「先生、野毛は昨夜、警察の留置所で急死しました」


 

八木原は、野毛の獄中死を聞かされ衝撃を受け、泣き崩れる幸枝を叱咤し、懸命に励ます。 


「バカ!お前は野毛の妻じゃないか。野毛の今までやってきた仕事を、よく考えてみろ。日本を戦争から救うために、身を挺して戦ってきたんだぞ…お前は家を出る時に、覚悟ができていたはずじゃないか。自由の裏には苦しい犠牲と責任がある」 



因みに、野毛が関与した事件は、所謂「ゾルゲ事件」のことで、野毛は尾崎秀実(おざきほつみ)に準(なぞら)せている。

 

【ゾルゲ事件とは、1941年1942年にかけて、日本を舞台に発生した国際スパイ事件で、その中心にいたのが、コミンテルンの命を受け、「ラムゼイ機関」と呼ばれる国際諜報組織を形成した駐日ドイツ大使の情報顧問のリヒャルト・ゾルゲ。この「ラムゼイ機関」の中枢に、近衛文麿政権のブレーンで、元満鉄嘱託、且つ、元朝日新聞記者のコミュニスト・尾崎秀実(享年43)が首謀者の1人として大きく関与し、国防保安法・治安維持法違反などによって、1944年にゾルゲと共に死刑に処せられた。「ゾルゲ゠尾崎事件」とも呼称される】

リヒャルト・ゾルゲ(ウィキ)
尾崎秀実
 
ラムゼイ機関(ゾルゲ諜報団)


幸枝は父の言葉に奮い立ち、「私は野毛の妻です」と言うや、荷物をまとめ、野毛の遺骨を持ち、彼の両親の住む実家へ向かった。

 

夜中に墓を掘る義母に、野毛の遺骨を渡す幸枝。

 

「おらたちの暮らしは、まるきし夜泣きフクロウと同じだよ」 

野毛の母(右)


「スパイの家」と落書きされた実家に上がった幸枝は、憮然として押し黙る義父に懇願する。

 

「お宅に置いてさえいただければ、私、何でもいたします。どんなことでも…」

「そらぁ、おらたちの暮らしと、あんたたちの暮らしは、まるっきり違う…」と義母。

「できないとおっしゃるのでしょうか。いえ、何でも教えさえしていただければ、私、きっとやります。やらしてみて下さい。辛いことは覚悟しています」

 

義母は、それ以上に世間の目が厳しいことを心配しているのだった。

 

その話をした傍(そば)から、外で子供たちが「スパイ!スパイ!」と囃し立て、石を投げつけてくる。 


この現実を知り、苦渋の表情を浮かべる義父に、幸枝は固い決意をもって訴える。

 

「お願いです。是非、置いていただきます…私は野毛の妻です。お願いします…」 

野毛の父(左)




夜中に義母と共に稲田へ向かい、慣れない鍬をもって土を耕す幸枝。


 

幸枝は、義母の反対を押し切り、朝から構わず一人で稲田に向かうが、連日、村人たちの容赦ない冷眼視に晒される。 


それでも幸枝は怯(ひる)むことなく、水田作りに励むのだ。

 

大量の稲藁を背負って、道端で立ち上がれなくなった幸枝を義母が支え、共に稲田を耕し始めていくのである。 

「お母さん!」(幸枝)




「顧みて悔いのない生活」を口癖にする野毛の言葉を心の中で反芻し、幸枝は疲労困憊して、ふらふらになっても、気力を振り絞って田植えに着手する。

 

「私は平気よ、私は平気よ」

 

そう言って、自分を鼓舞する幸枝。

 

疲労の極に達し、座り込んだ幸枝は、「あんたと二人で、こんなに田植えしたど!」と高らかに笑う義母の声で、顔を上げる。 

「あんたと二人で、こんなに田植えしたど!」

視界に広がる水田を見渡し、笑みを浮かべた瞬間、幸枝は倒れ込んでしまった。 



一貫して黙りこくっている夫に、義母が挨拶くらいするように促す。

 

「こったら良い嫁様は、金の草鞋(かねのわらじ)で探したってねぇ。立派な姉様(あねさま)だ」 


幸枝が布団に横になっていると、義母は稲田から帰って来て、田が荒らされたとさめざめと泣きながら義父に訴えるのだった。

 

それを聞いた幸枝は、病を押して起き上がり、ふらつく足で稲田に向かって走り、それを追って義母も走っていく。 



稲は倒され、「売国奴入る可(べか)らず」・「スパイ入る可らず」などと書かれた多数の貼紙や筵(むしろ)旗が田に刺さっていた。 



呆然と見回す幸枝だったが、挫けることなく、その筵旗を抜き、貼紙を破り捨て、黙々と片付け、稲田を再生させていく。

 

義母もそれを見て、稲を植え直していると、一貫して沈黙していた義父が走ってやって来て、怒りを込めて、筵旗を取り払い、踏み躙(にじ)られた稲を植え付けて行くのだった。 

「おとっつぁん!」




その様子を見て、義母は満面の笑顔を浮かべる。

 

そんな折、糸川が野毛の家を訪ねて来て、川で手を洗っていた幸枝に声をかけ、すっかり農婦となっている姿を見て驚く。 


幸枝の母に頼まれて来たという糸川は、こんな田舎に埋もれてしまうのは反対だと言い、「野毛は不幸にして道を踏み誤った。しかし、何もあなたまで…」と言いかける。

 

しかし、不敵な笑みを浮かべ、毅然とした眼差しで見返す幸枝の表情を見て、「負けたな。あなたには…あなたのような人を心配するのは、バカだって」と笑い飛ばそうとするが、幸枝には通じない。 



糸川は野毛の墓参りを申し出るが、無言で濡れた服を絞り続ける幸枝。

 

「およしなさい。“ありがとう”と言うのが普通かも知れませんけど、私は嫌。野毛だって、喜びはしないと思います。糸川検事の見た野毛は、“不幸にして道を踏み誤った人間”かも分かりませんけれども、どっちの道が果たして正しかったか、時が裁いてくれるだろうと思いますわ」 




裁きの日 —— 敗戦、そして、自由甦る日


 

京大の演説台に立つ八木原。

 

「今日のこの日を、一番見せてやりたかった男、学の自由のために闘い、且つまた、日本の平和と幸福のために身を挺して闘った我が学園の誇り。その野毛隆吉は既にこの世にいない。しかし、野毛は、かつてそこに、諸君の座っているその椅子に掛けていた。私は、諸君の中から、将来第二、第三の無数の野毛を期待して、老骨をも顧みず、教壇に復帰する決意をしたのであります」 



八木原の自宅では、母が幸枝に語りかける。

 

「静かだねえ。何年ぶりかね、こんな日は。まるでこの十何年間の出来事が、みんな夢だった気がするよ。目が覚めてみたら、何もかも元のままなのさ。今日はお父様も学校に出かけたし、お前さえ落ち着いて居てくれたら、家は元のままになるんだけどねえ。どうしても出かけるのかい?ご両親も野毛さんっていうものをよく理解してくださったと言うなら、あなたの目的は、もう立派に達しられてるんじゃないの?」


「ダメよ。私はもう、あそこの生活に根を張ってしまったのだから…この手はもう、ピアノの上に乗せても似合わないわ。それに、村では色んな仕事が待ってるの。村の人たち、特に女の人の生活は、あんまり酷すぎ。それを少しでもよくするのが、私のこれからの生きがい。つまり、私は今じゃ、農村文化運動の輝ける指導者ってわけね」


「お前って子は、本当に苦労性に生まれついているんだね」

「どうして?私は自分をそんな風に考えたことないわ」

「だって…」

「いいえ、負け惜しみでなく、本当に。いつも、野毛が言ってた、『顧みて悔いのない生活』。私にはそれが嬉しいの」 


幸枝の輝く笑顔がそこにあった。

 

ラスト。

 

吉田山の川辺りの道を、京大の前身の一つの旧制第三高等学校の寮歌として知られる「逍遥の歌」(しょうようのうた)を歌いながら通り過ぎる学生たちを見つめ、涙を流す幸枝だったが、野毛の実家へ向かう道で、村人たちが乗るトラックの荷台に引き上げられた幸枝の表情は、明るく、満ち足りていた。 


 

 

3  顧みて悔いのない生活

 

 

 

紅もゆる丘の花 早緑匂ふ岸の色 

都の花に嘯(うそぶ)けば 月こそかかれ吉田山 


「逍遥 の歌」(しょうようのうた)が脳裏に焼きついて離れない。

 

青春の眩(まばゆ)さが機銃の音で掻き消されるファーストシーンから開かれ、この耳心地がいい寮歌のメロディで閉じていく映画の中枢に、 「令嬢」から「農婦」として土着していく原節子が凛として存在し、様々な表情を湛えて映像を支配する。 

令嬢


東京へ


農婦


圧巻だった。

 

後半に炸裂する物語の力強さ ―― これが全てである。

 

最近、黒澤監督の作品を貪るように観直しているのは、否定的に評価してきた向きがある黒澤映画の力強さを見せつけられて、若き日に多分にイデオロギッシュだった自らの鑑賞眼に恥じ入っている次第である。

 

GHQによって、最後の20分間のシナリオを書き直された本作について、「題名とは逆に、大いに悔あり」と述べた黒澤監督の無念は理解できるが、時代が求めた思いを真摯に受け止め、力強い筆致で、一貫して女性の自立を描くというテーマには悔いがないだろうと思われる。

 

―― 以下、この力強い映画を的確に批評する論文があるので、それを適宜に引用して批評を繋いでいきたい。

 

【連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、「女性解放」や「民主主義」を教化するため、積極的に映画の力を利用した。総司令部の民間情報教育局(CIE)に呼び集められた各映画会社は、軍国主義の排除、自由主義の促進、平和主義の定着という占領目的を提示され、日本再建に映画産業も協力するよう要請された。映画の企画と脚本は事前にCIE と民間検閲支隊(CCD)の二重検閲を受け、1949 年6月に映画倫理規程管理委員会が設立されるまで続いたが、その後も CIE による事後検閲は行われ、1952 年4月の占領終了まで続けられた。アメリカは政治・思想的な側面を厳しく統制することで軍国主義と封建思想を一掃し、メディア表象によって民主主義の普及=国家の再編を企図したのである。

教育・宗教・文化財関連の施策を担当した民間情報教育局(CIE)

 

(略)封建的・家父長的・女性蔑視的・軍国主義的制度や男性に対して、被害者となってきた女性が立ち上がるドラマ(女性解放映画)が占領期に盛んに作られ、自発的に考える新しい女性イメージがしばしば表象された。満たされた生き方を懐疑し、主体的に農村文化運動の担い手となっていく女性の自立を描いた『わが青春に悔なし』も「女性解放映画」に位置づけられ、「民主主義啓蒙」の要素を多分にもつ重厚な作品であった】(「スクリーンに投影される〈青春〉―― 黒澤明『わが青春に悔なし』のオーディエンス」より)

 

この映画で集中的に話題を集めたのは、幸枝の人物像。 



その「エキセントリックな女性像」を戦前派から辛辣な批評を受けた本作は、映像が提示したコアメッセージを真摯に受容しないメディアの以下の一文に凝縮されている。

 

【最も批判対象となったのが幸枝の人物像であった。新聞の映画評では「原節子を使ひこなした演出者の努力は立派だが、その姿がヒステリじみて見えるのは演出者の至らなさである」(『朝日新聞』1946年10 月 13 日 朝刊)と批判されている。

 

(略)当時の評価としては、内容と技巧の統一感の欠如やエキセントリックな自我の強い女性像が多くの批評家たちに批判され、作品的には失敗作とするものが多かった】(同上)

 

「ヒステリじみて見える」という表現には驚かされる。

 

【幸枝を「病的な、性格の女性」と形容し、「そのやうな変質的な女性が唯一の集中された人物であると云ふことは、觀客によい感銘を與える ものではない」】と酷評した北川冬彦の批判も気になった。 

北川冬彦(ウィキ)


「病的な、性格の女性」とは、呆れた物言いである。

 

これは、後述する戦中派の若者たちの受け止め方を見れば、「黒沢は芸術的には完全に失敗」だと決めつけた瓜生忠夫を含めて、独断的な戦前派の誹議(ひぎ)との乖離がよく分かるだろう。

 

また、冒頭の表現を「あまりに稚拙」で「子供臭い誇張」と批判する戦前派の批判もある。

 

【作者は、「靑春」の表現のために、大學生の言動の寫實(写実)から様式を探求する代りに、彼等を幼稚にひきさげることによつて誇張したようとしたのだ。(略)私は、彼のうちにもつている「靑春」がこの程度だとは思わないが、彼の靑春ではなく「靑春の把握力」が作家的な直感として未だ不十分であつたと解せざるを得ない】(登川直樹/同上)

 

登川にとって、黒澤の表現する〈青春〉は誇張された幼稚な表現でしかなかったのである。 

川喜多賞を受賞する登川直樹



更に、GHQのプロパガンダという批判も多いが、要は、その「プロパガンダ性」ではなく、映画の構築性それ自身ではないのか。

 

例えば、出演後に黒澤監督と結婚し、女優を引退して内助の功を発揮した矢口陽子主演の「一番美しく」(1944 年)は、軍需工場で働く女子挺身隊の懸命な努力を描いたことで戦中の「国策映画」として一刀両断に切り捨てられているが、「滅私」の日常に立ち向かって女子工員たちの強さを切り取ったことで、強い自我を持つ時代を超えた女性の自立の物語になっていて、この自立的な連帯の物語は、同様にプロパガンダ映画と称される「わが青春に悔なし」の後半での、農婦として自立せんとする幸枝と、それをサポートする野毛の母との相互扶助の物語と通底するのである。 

一番美しく」より /画像は矢口陽子

「一番美しく」より



「私達日本人は、自我を悪徳として、自我を捨てる事を良識として教えられ、その教えに慣れて、それを疑う事すらしなかった」

 

「国策映画」への加担を反省した黒澤監督の言葉であるが、映像の質は決して粗悪ではない。

 

監督自身、「その自我を確立しない限り、自由主義も民主主義も無い」とまで言い切っているのだ。

 

黒澤監督にとって、「わが青春に悔なし」は「その自我の問題をテーマ」にした作品だ ったというわけである。 

黒澤明監督(ウィキ)



ここに、興味深い数字がある。

 

「敗戦後から1950年代にかけて最大の娯楽であった映画の観客は、1946年の調査によれば、10 代が15%、20代が70%、30代が12%、40 代以上が3% 、すなわ ち、敗戦直後の映画観客の大半は若者で構成されており、戦前派の男性批評家とは世代や階層の大きなズレがあった」(同上)

 

「戦後の自由や解放を志向するコンテクストのなか、原節子の身体性を最大限に活かし、躍動的なカメラワークによって喪われた〈青春〉は視覚化された。だからこそ、この誇張された映画が他に比類なく当時の若者観客の情動に働きかけたのである」(同上) 


かくて、戦中派を中心とする当時の大半の観客にこの反戦映画が訴求力を有したのは、戦争によって〈青春〉を奪われた若者たちにとって、自己救済の映画足り得たのである。

 

まさに、「顧みて悔いのない生活」というフレーズこそ、映画のメッセージを正確に受け止めた若者中心の鑑賞者の共通言語だったのだ。 

「いつも、野毛が言ってた、『顧みて悔いのない生活』。私にはそれが嬉しいの」


男女の垣根を超えて、青春を躍動する原節子のキャラクターのうちに、青春を奪回し、確かな自我を確立せんとする若者たちのアイデンティティを重ねたのである。

 

若者たちの思いを受け止めたであろう黒澤監督は、【主演の原節子に関して「日本人には珍しい立派なマスクや姿態に日本映画が位負けし」、「肉体的条件の立派さを持てあまして立ちすくんでいる」と記し、彼女に「日本映画全体の大きな希望が託されている」と語っている】(同上) 


負けじ魂で農婦となって疲労の極に達しても諦念しない幸枝の自我の強さが窺われる


これは驚きだった。

 

善かれ悪しかれ、のちに小津安二郎監督によって「家庭」の中に押し込められる原節子には、「顧みて悔いのない生活」を口癖に、【農村にいってからの「二十分間、二百カットに及ぶすさまじい映像表現の炸裂を見せ、怒りを込めて鍬を打ち込む】(同上)描写にシンボライズされているように、日本映画が位負けするような身体性を最大限に活かす映画との出会いがなかったということである。

 

その後、黒澤映画で激しい愛憎劇を描いたドストエフスキーの名作「白痴」(1951年)でヒロインを演じた原節子だが、「日本映画全体の大きな希望」を託した黒澤監督の思いが届かなかったようである。 

「白痴」より

【参照・引用】 「スクリーンに投影される〈青春〉―― 黒澤明『わが青春に悔なし』のオーディエンス

 

(2023年9月)

2 件のコメント:

  1. 学生の頃一度見ましたが、ひたすら畑を耕す姿に感動した記憶があります。
    今見たら、また感想も違うかと思い、今度見直そうと思います。

    メールにてご連絡差し上げましたので、後ほどご確認をお願いします。

    毎回楽しみに読ませていただいています。
    マルチェロヤンニ

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    1. コメントをありがとうございます。
      私も何十年か振りに観直して、こんなに力強い映画だったのかと、改めて感銘を受けました。
      細部まで観賞すると、完成度の高さに驚かされます。

      メールの方はすっかりご無沙汰していました。
      これから確認します。

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