カナダから、スペイン・マドリードに住む親友の舞台俳優・フリアンに会いに来たトマス。
トマス |
フリアンのアパートを訪ね、再会を喜び合う。
フリアン |
末期癌を患うフリアンはトマスと共に、愛犬トルーマンの里親探しの相談に、動物病院へ行った。
「犬も喪失感を感じる?」
「誰かが亡くなった時に?」
「飼い主を亡くした犬を、癒す方法が?」
「捨てられた時と同様、犬の心は傷つく」
「具体的にどうなる?」
「飼い主が死ぬと、人を寄せ付けなくなり、心的反応を起こす可能性もあるだろうね」
「実は、愛犬に新しい家族を探している。俺と同じように独り暮らしの方がいい?それとも、子どものいる家族がいい?」
「僕には分からないな」
「あいつ、他の犬と暮らせるかな」
「慣れない環境はよそう…トルーマンが愛を感じることが大事だ」
「万全を尽くしたい」と言うフリアンは、事細かに担当医に質問する。
そんな遣り取りを、傍で聞くトマス。
「深刻な要件の時は、前もって言えよ」
「人生で大事なのは、愛する相手との関係だけだ。家族、お前と俺、トルーマンと俺…こんなに長く、友達でいられるとは驚きだ」
「意外なことだ」
「お前から、大事なことを学んだ…」
「僕が教えた大事なことって?」
「見返りを望まないこと。何も要求しない。お前は寛大だ。俺は違う」
「ありがとう」
「俺は?何を教えた?」
「何も教わってない。悪いこと以外はね…勇気だ。決して逃げ出さない。今もね」
「だから北の果てから、会いに来たのか?」
フリアンとトマスはその足で病院に行き、主治医から治療方針の説明を受ける。
「化学療法を再開したい。腫瘍への効果が出やすい薬に変えよう。CTスキャンで肝臓の腫瘍を確認したい…」
「いいや、もう通院はしない」
「検査結果が出た時、君に勘違いさせたかもしれない」
「俺たちは、全力を尽くしたよな?何か月も闘ってきただろ?わずかな財産を治療に使いたくない…もう終わりだ。俺は、この1年、肺がんと闘い続けてきた。治療をひと休みしてる間に、がん細胞は全身を暴れ回った。治療の再開に意味が?つまり、治療を再開すれば治るのか?」
「いいや、難しいだろう」
「どっちみち死ぬんだろ?」
「そうだ」
「ではムダだ」
「時間が稼げる」
ここで、トマスが口を挟む。
「そうだ。当然だろ。どのくらい?」
「干渉しない約束だ」とフリアン。
「はるばる来たのに?」
「何とも言えないが、治療を止めたら、先は短い」と主治医。
「ほら、治療はムダじゃない」
「俺はもう、心を決めたんだ」
「衝動的な判断だ。落ち着いて考えれば、他の結論に至るかも」
「俺は1年間、考えてきたが、お前は今、考え始めた」
結局、フリアンは主治医への別れの挨拶に来たのだった。
その夜、トマスはフリアンの従妹のパウラと演劇を観た後、バーでフリアンの様子をパウラに聞かれた。
このパウラこそ、フリアンの説得に気乗りのしないトマスに対して、マドリード行きを後押しした女性である。
「医者に別れを告げた」
フリアンの言葉をパウラに伝えるトマスに、考え直すつもりがないフリアンを説得して欲しいと考えているのだ。
「あなたの意見なら耳を傾けるわ」
「…友人の死は初めてでね。どうしていいか…」
翌日、トマスとフリアンはトルーマンを連れて、里親に会いに行く。
息子との相性を見るため、一日預かりたいという申し出に、フリアンはその必要はないと断るが、トマスに促されトルーマンを置いて帰ることになった。
トルーマンとの一時(いっとき)の別れ |
車の中で嗚咽を漏らすフリアン。
「長い付き合いだ。寝る時もシャワーも一緒だ。今夜はうちに泊まってくれ」
二人が次に向かったのは葬儀会社。
自身の埋葬方法や遺灰の壺のデザイン、追悼用のカード、供花、セレモニーでの写真やDVDなどの手配の相談をしつつも、フリアンは徐々に気持ちが希薄になり、顔を背け、遠くを見つめるばかり。
埋葬方法を事務的に進める葬儀会社の商業主義に、嫌気が差したのである。
その様子を見たトマスは、見積もりを自分に送るように依頼する。
その後、レストランで話をしていると、突然、フリアンは入って来た客を避け、顔を隠す。
件(くだん)の客は、元親友のルイスで、かつて、彼の妻と不倫して離婚の原因を作った人物。
ルイスがフリアンのテーブルに近づくや、口にしたのは、意外にも、彼の病気を案じる言葉だった。
「病気のこと、気の毒だな。少し前に聞いた。闘病は大変だろうね。それを言いたくて。心配してた」
「ありがとう、ルイス」
「頑張れよ。邪魔したね」
フリアンは自分を恥じ、ルイスのテーブルへ行き、深々と謝罪する。
「帰る前に別れを言いたくて。さっきはうれしかった…感激した。君は友達だったのに、俺は卑劣なことをした。何より申し訳ないのが、当時、謝らなかったことだ…」
ルイスへの謝罪も、別れの挨拶となっていく。
店から出ると、トマスが言った。
「君は絶滅種の生物みたいだな」
言い得て妙の表現である。
その後、トマスはフリアンの舞台を見る。
楽屋で化粧を落としていると、劇場のオーナーが来て、「慰めの言葉もない」と言って病気の心配をするが、配慮しながらも、月末には代役を立てると話し、出て行った。
「今のは解雇宣告だ」とトマス。
「崖っぷちだな」とフリアン。
拠って立つ基盤が一つまた一つ失われ、避けられない死へと誘(いざな)われ、シビアな現実を突きつけられていくのだ。
2 「死の間際に、誰かに面倒をかけたくない。ケツを拭かせたくない。お前にも息子にも」
トルーマンを迎えに行く予定が、翌日になり、フリアンはトマスの提案で、明日が誕生日だという一人息子のニコを昼食に招くことにした。
そのニコは今、オランダのアムステルダムに留学しているので、二人は飛行機で向かうが、フリアンは、ニコに病気の詳細を話していなかった。
癌は治癒されたと思っていると、フリアンは言うのだ。
トマスは「ニコには知る権利がある」と指摘する。
ニコのアムステルダムの住所を訪ねると、ボートでの船上暮らしだった。
ニコの友人から、朝早く大学に出かけたと聞き、早速、ニコが通う大学へと向かう二人。
「お前が正しいよ。ニコにすべてを話そうと思う。俺の義務だ」
トマスの助言を受け入れたフリアンの言葉である。
大学に着いて、ニコに会うことができた。
ニコは試験中で、夜はコンサートの予定が入っているので、昼食ならと、恋人のソフィも呼ぶと言う。
ニコの誕生日の電撃訪問だと話し、幸せそうな二人を見て、結局、フリアンは息子に本当のことを話す機会を作れなかった。
ソフィ |
別れ際、ニコが思い切りハグして涙ぐみ、思わずフリアンも涙を抑えられなくなる。
交し合う言葉もない。
試験後にマドリードに帰ると言って、ニコは、ソフィアと共に去って行った。
「無理だった。話そうと思ったが…」
「いいんだ。次の機会があるさ」
帰国後、トルーマンが里親候補から断られ、別の里親を探しているところで、フリアンの元妻・グロリアが通りかかり、トルーマンに声をかけてきた。
そのグロリアに対して、ニコに会いに行った話をするフリアン。
グロリア |
そこでグロリアは、先週、電話でニコが質問攻めにするので、隠しきれずに話したと言うのだ。
「あなたの決断を伝え、覚悟するよう言ったわ…ニコはあなたに会いたがって…あの子、検査結果も知ってる」
衝撃を受けるフリアン。
その後の二人の会話。
「動揺してる…気づかなかった。ハグした時、息子の気持ちに」
「電話しろ」
「そうする」
トイレに行ったフリアンが、すぐに戻って来た。
「漏らしてた」
嗚咽しながら吐き出すフリアンを見て、励ますトマス。
4日目の夜、トマスが料理を作り、パウラを呼んで、3人で夕食を摂る。
「最後まで待たない」
「どういう意味?」
「ささいな話だ…末期の症状が出始めたら、ベッドに寝て、ある薬を飲むつもりだ。そこで終わり」
「終わり?そんな話を聞かせて、どうするの?そのために呼んだの?」
「いいや、違う。ずっとお前には話そうと思ってた。ただ、終わりが早まるだけだ。死の間際に、誰かに面倒をかけたくない。ケツを拭かせたくない。お前にも息子にも。でも病院で死ぬのはまっぴらだ」
「今日の出来事のせいか?」
「何があったの?」
「小便を漏らした」
「だから何よ」
「分かったよ。俺が悪かった。手紙で伝えるべきだったな」
「私だって、つらいわ」
「怒るなよ」
怒って立ち上がるパウラは、トマスに意見を求めた。
「最期を看取るよ」
「いいや、戻ってこなくていい。独りで平気だ。先に知らせておけば、誰も驚かない」
「感謝するよ。話してくれて。来てよかった」
「地獄に落ちなさい。2人とも」
そう言うや、パウラは帰って行ってしまった。
明日の便で発つトマスもホテルに帰る。
「また明日」
「あっという間だった。話し足りない気もする。もっと僕は…」
外に出ると、フリアンのところに戻って来るパウラに会った。
「僕はフリアンを誇りに思ってる」
「素敵ね。本人に伝えた?」
「言えなかった。言おうとしたけど、泣いてしまう」
「泣かないわよ」
「こんな別れは嫌だ。らしくない」
その思いを受け止めたパウラがホテルに行き、二人は結ばれる。
感情を共有し合う二人は、嗚咽するのだ。
翌朝、フリアンはトルーマンを連れてやって来た。
パウラが空港まで運転し、フリアンは別れの場で、トルーマンの書類と航空券をトマスに渡す。
「予防接種の証明書と健康診断書…狂犬病ではないという獣医の証明書だ。カナダの検疫所で渡してくれ」
トルーマンを親友に託し、別れを告げ、フリアンは思い残すことなく空港を後にした。
ラストカット |
3 尊厳死に向かって、「終活」という「生き方」を自己完結させていく
観る者への感動を意識させることなく、構築された映画の圧倒的な強さ。
それが、この映画にはあった。
リカルド・ダリン。
際立って素晴らしい。
―― 以下、批評。
「アドバンス・ケア・プランニング」(注1)ではなく、一途に、尊厳死に向かって「レット・ミー・ディサイド」(注2)という強い意志を表現し、それを遂行するプロセスの中で描かれたのは、愛する者、世話になった者たちとの別離の儀式だった。
(注1)患者が家族、医療従事者と話し合う「最期までの予定表」で、「人生会議」とも言われる。
(注2)自らの終末医療を自分で決めること。
所謂、「人生の終わりのための活動」=「終活」である。
余力がない身体を駆動させて、アムステルダムにまで渡航し、父の援助でギリギリに生計を繋いでいる(船上生活)息子のニコに会いに行くエピソードは、胸に響く。
この驚かしの訪問は、共に肝心な言語を封印してしまうのだ。
父の状態を知りながら言語化できない息子と、「終活」のための訪問の意図を言語化できない父。
「息子の人生は順調だ。恋人がいて、海外暮らし。苦労が報われたのに動揺させたくない。むやみに、人を傷つけなくてもいい」
機内で、トマスに放ったフリアンの言葉である。
この思いが、フリアンの心情の中枢にある。
しかし、父の状態を知らされていて、言語コミュニケーションを封じたニコが反転する。
永遠の別離の辛さを感受し、振り向き、自ら父の胸に身を預ける息子の、それ以外にない非言語コミュニケーション(身体表現)に結ばれていく。
ここでニコは振り向き、自ら父の胸に身を預けていく |
二人を見送るフリアン |
全てを受容し、存分にハグするのだ。
もう、二度と会えないのだ。
「待ってろ。少し泣いてくる」
ニコとの別離の直後、そう言うや、背を向けて欄干で嗚咽する構図は秀逸だった。
そんな息子の行為の意味を帰国後、元妻から知らされて心穏やかになれず、複雑な心理状態を晒す男の思いの根柢には、恋人との幸福な時間が約束された青春を目の当たりにして、自分だけが先に逝くことの、不可避なまでの絶対孤独の心境が張り付いている。
これが観る者に伝わってくるから情動感染してしまうのである。
そして、誰よりも煩悶し、その辛さが伝わってくるのは、4日間という、短くて重い時間をフリアンと共有するトマス。
覚悟を括って「終活」を遂行する親友の人格総体を間近で見せつけられ、「延命治療」という旅の目的が崩され、絶え絶えになった挙句、親友の「終活」の立会人になっていくトマスの心情は、「予期悲嘆」(愛する者の死への悲哀を受け入れる心的行程)に暮れる辛さを抱え込むのに充分過ぎた。
「友人の死は初めてでね。どうしていいか…」
パウラに吐露した時の思いだが、これがトマスの「予期悲嘆」の重要な伏線と化していくのである。
ホテルで手を握り合うフリアンとトマス |
その辛さを必死に押し込め、親友に寄り添い続けていくのだ。
「僕はフリアンを誇りに思ってる」
「素敵ね。本人に伝えた?」
「言えなかった。言おうとしたけど、泣いてしまう」
壮絶な覚悟を体現する親友に対して、もう、語るべき言辞の何ものもなかった。
この思いが限界に達した時、立会人のトマスは、女との性交に自己投入する。
限界に達した悲哀が、それ以外にない嗚咽に結ばれていくのである。
(性)によって(生)を実感するトマスにとって、限界に達した悲哀を埋めるには、悲哀を共有する女との性交以外になかったのだろう。
親友の死を受け止め切った男の孤独。
それは、「生き残されし者」の孤独でもあった。
別離の抱擁 |
先述したように、この孤独は、何より「先逝く者」の絶対孤独なのだ。
絶対孤独を自覚し、1年間、煩悶し、考え続けた結果が「終活」を遂行すること。
尊厳死に向かって、親しき他者との別離の儀式を完結させていくこと。
それ以外になかった。
「人生で大事なのは、愛する相手との関係だけだ。家族、お前と俺、トルーマンと俺…こんなに長く、友達でいられるとは驚きだ」
トマスに対して、フリアンが放った確信的言辞である。
とりわけ、重要だったのは、自分の分身であったトルーマンとの別離。
「長い付き合いだ。寝る時もシャワーも一緒だ」
トマスに対するこのフリアンの吐露が、トルーマンへの彼の心情の全てを代弁している。
動物心理学の本を購入するほどの最愛の老犬の看取りを、一体、誰に頼むか。
悩んだ末に選択したのは、最も信頼を寄せるトマスだった。
別離のスポットでの唐突の要請に驚きながらも、それを受容するトマス。
そこに、言葉など不要だった。
僅か4日間でトルーマンに馴染んだトマスの人間性こそ、「先逝く者」の尊厳死を安寧に導く看取りと化していく。
「終活」という「生き方」の凄みを、これほど見せつけられた映画を、私は知らない。
スペイン映画の底力に感服する。
(2022年4月)
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