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2023年11月18日土曜日

銀河鉄道の父('23)   魂の呻きを捩じ伏せて、なお捩じ伏せて、這い出して、熱量を噴き上げていく  成島出

 


1  「宮沢賢治はその程度の文士なのか?その程度で諦めんのか?トシがいねえのなら、私が全部、聞いてやる!私が宮沢賢治の一番の読者になるじゃ!」

 

 

 

明治29年9月

 

岩手県花巻で質屋を営む宮沢政次郎(まさじろう)は、妻・イチが長男を出産したという電報を受け、汽車に乗り急いで自宅へ戻って来た。

 

店に着くや、一目散に赤ん坊の元へ走る政次郎。 

政次郎

政次郎の父・喜助(きすけ)が命名した赤ん坊の名は「賢治」。

 

6歳になった賢治は赤痢に罹り、入院することになった。

 

荷造りするイチから行李(こうり)を取り上げ、喜助の制止を振り切り、自分が看病すると言って、病院へ走って向かう。

 

「賢治が死んだら、私も死ぬ」 


泊って看護する政次郎は、自分が腸カタルになって入院することになってしまった。

 

ベッドに横になる政次郎を見舞う喜助に、自分の教育方針を話す。

 

「賢治を盛岡の中学さ、行かせてやろうと思います」

「質屋に学問など必要ねえ…」

「私は、お父さんとは違う。新しい文明開化の時代の明治の父親なのす」


「おめえはなあ…父でありすぎる」
 

喜助


大正3年3月

 

中学を卒業した賢治が実家に戻り、卒業証書と成績表を政次郎に渡した。

 

「88人中60番?…まんつ、世の中の広さというものが分かったべ?」

「はい。おかげさまで、広ぐ世の中のことを学ばせていただきました」 

賢治


政次郎はひとまず、賢治の中学卒業を労い、祝福する。

 

「んだば、明日から家業の修行さ励め」

「嫌です…質屋は嫌です。お父さん。俺は、エマーソンやベルクソン、ツルゲーネフやトルストイの本を読んで勉強しました。質屋は農民から搾取することで成り立ってる。つまり、お父さんは弱い者いじめをしているんじゃねえのすか?」


「それは違う。金のねえ農民に銀行は金を貸さねえ。もし、うぢのような質屋がながったら、娘っこ売ったり、首をくくるもんがいっぺえ出てくる。断じて、弱い者いじめなんかではねえ。質屋は農民を助けてるんだじゃ…とにかく、明日から店さ出ろ」

 

翌日、賢治が店番をしていると、ずぶ濡れの男が鎌の質入れに訪れた。

 

妻がカリエスに罹(かか)り、乳飲み子がいると聞いた賢治は、本来1円のところ5円渡してしまうのだった。 


それを後ろで聞いていた政次郎は呆れて、それを窘(たしな)める。

 

「あいづには、子供なんぞ、おらん。お前が渡したあの金は、酒と博打に消えるだけだ…おめえは、世間というものが何にも分かってねえ」 


にべもなく叱られて、父に対する承認欲求の心理が垣間見える視線


程なくして、北上川沿いの土手で寝そべっている賢治の元に、妹のトシが自転車でやって来た。

 

トシは持ってきたアンデルセンの本を読み、賢治は「すげえなあ」と感嘆する。 

トシ

「お兄ちゃんも、書げるんでねえの?…“日本のアンデルセンになる”って言ってたべ」

「バカっこ。子供の頃の話だ」

「…約束したでねえか。大きくなったら、もっともっと、いっぺえ、お話作ってくれるって…私、ずーっと楽しみにしてたんだよ。なして書かないのよ?」

「申し訳ねえ。だども、物書きは俺の才ではねえ」 


賢治は質屋も才ではないと言い、その晩、政次郎に進学したいと、頭を下げて懇願する。

 

「俺はもっといろいろなこどを勉強して、人の役に立つ人間になりてえのす」 


しかし、政次郎は「頭、冷やせ」と聞く耳を持たない。

 

「賢治、おめえは質屋になるごとがら逃げてるだけだ」

 

その話を聞いたトシは、兄の進学について政次郎を説得する。

 

「お父さんは、これがらの時代を見据えた新しい父親です」と切り出したトシは、人差し指を立て続けた。

 

「この先、必要なものは何か、ちゃんと分がっていらっしゃる…お兄ちゃんの進学は、いずれ必ずや、宮沢家のためになるのす」 


プライドを刺激され、自分が「新しい父親」だと自負する政次郎は、あっさり賢治の進学を認め、「いったん自由に勉学に励んだ後、卒業したら店を継ぐ」という条件で許可することになった。

 

賢治が望んでいた進学先は、父の意に反し、農民のための盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)だった。

 

「俺は農民を助け、農民と共に生ぎていぎだいのす…お父さん、言ったでねえすか。“質屋は農民を助けてる”と。俺も同じことを、自分のやり方で、やってみてえのす」 


政次郎を黙らせてしまった。

 

夏休みに戻って来た賢治は、農民と共に生きるのは簡単ではないと分かり、今度は人造宝石を作る商売をやりたいと言い出すのだ。 

母イチ(右)

資本金が2,300円必要だと、頭を下げる賢治。

 

寝室でイチが、政次郎に訊ねる。

 

「賢さんの資金、出すのすか?」

「出せるわけねがべ…あいづは、夢みてえなことばっか言って」

「…あの子は、本当は、旦那様に褒められたいだけなのではねえのすか」

 

トシが雪の積もる実家に、東京の女学校から帰って来た。 

右から次女シゲ、三女クニ、母イチ、長女トシ、次男清六


認知症を悪化させている喜助が「はだぐぞ!」と暴れ、イチらが手をこまねいていると、トシが突然祖父の頬を叩き、「きれいに、死ね!」と言い放って抱き締めた。 


「大丈夫ですよ、おじいさん。怖くないのす。死なないでいられる人などおりません。若(わげ)い人も、年老いだ人も、子供でも。だから、おじいさん、どうか心穏やかに…」 



「家に帰るんじゃ…長男が…生まれたんじゃ」と立ち上がる喜助を背後から政次郎が「お父さん!」と呼びかけ、振り向いた喜助は目を細め、政次郎を抱き締めた。

 

咽び泣く政次郎。

 

彼岸花の咲く頃、喜助は亡くなった。

 

白装束の長い葬列が続く。 



夏休みに実家にいる賢治は、食事もせず部屋に引き籠り、「“南無妙法蓮華経”」を唱え続け、悶々としてる。 



心配する政次郎に、学校を辞めたいと言い出し、政次郎を呆れさせるのだ。

 

「自分は何者なのが、問い続けました。人のために何ができるが。でも、見つからなかったのす。このままであれば、俺は修羅になってしまう。俺は人でなくなっでしまうのす。お父さん、俺は信仰に生ぎます」


「信仰?」

「はい、日蓮宗です。もはや、俺が生ぎる道は、それしかねえのす」

「なに言うが。うぢは代々浄土真宗だじゃ」

「浄土真宗は、ウソ偽りの宗教です。“南無阿弥陀仏”と繰り返せば、極楽往生だなんて、そっだらもん、人間を堕落させるだけでねえすか」

「バカたれ!人造宝石の後は、日蓮か!貴様!明日は何になんだ?」


「もう二度と変えません」

「…さっさと家を継いで子どもを作れ!」

「できねえ!」


「お前は宮沢家を潰すきか!」

「俺は、もう何もできねえ!」

 

賢治は泣きながら「何もできねえ!」と繰り返し、情に厚いトシが兄を抱き締め、宥(なだ)めるのである。


「南無阿弥陀仏」という念仏を唱える主な宗派は、「阿弥陀経」・「無量寿経」・「観無量寿経」を経典にする浄土宗・浄土真宗・天台宗など。また「南無妙法蓮華経」という題目を唱える主な宗派には、「法華経」を経典とする日蓮宗・法華宗などがある】

 

神社の境内で人が集まり、獅子踊り(岩手県の無形民俗文化財)の太鼓が響く中に、団扇太鼓(うちわだいこ)を叩きながら、大声で「“南無妙法蓮華経”!」と唱える賢治の声が聞こえてくる。


【団扇太鼓とは円形の枠に膜を張った太鼓で、日蓮宗の御会式(おえしき)などで使用される】

 

人々が呆気に取られ、戸惑うのを構わず、狂ったように太鼓を叩き、“南無妙法蓮華経”を唱え続ける賢治。 


それを見ていた一人が、「賢治君が、気が触れた!」と店にやって来て、政次郎は慌てて賢治の元へ行き、皆に謝りながら、強引に家に連れて帰る。

 

「お父さん、俺は命を懸けているんです。自分の信じる信仰に生ぎるか、さもねぐば、死んでも構わねえのす」 


政次郎の鉄拳が飛んだ。

 

「このバカたれが!まともに生ぎようともしてねえくせに、死ぬなどと軽々しく口にするな!そっだなこと許さん!」

 

家族が止めるが、政次郎は「バカたれが!」と怒鳴り、賢治を叩き続ける。

 

賢治は汽車に乗り、東京の国柱会館に身を寄せようとするが、ここは駆け込み寺ではないと断られてしまう。 

「どうか、この国柱会館に置いてください。私はもう日蓮上人に身も心も捧げたもす」


【国柱会(こくちゅうかい)は、元日蓮宗僧侶・田中智学(ちがく)によって創設された日蓮主義の宗教団体】 

帝網道場(国柱会本部/ウィキ)


下宿先で実家からトシの病気を知らせる電報を受け取った賢治は、文具店で目に留まった有りっ丈の原稿用紙を買い、昼夜を問わずペンを走らせ、一気に物語を書き上げた。 


その原稿をトランクに入れ、実家に戻った賢治は、トシが結核であることを知らされる。

 

早速、静養先の「桜の家」と呼ばれる祖父の別荘を弟・清六(せいろく)と父と共に訪ねると、蒼白(そうはく)な顔で寝ているトシをイチが看病していた。

 

賢治が来たことが分かると、トシは体を起こし、「やっど帰ってぎた」と喜ぶ。 


トランクを開け、原稿を見せると、それが風に舞った。

 

清六と政次郎が原稿を拾い、手にした原稿を真剣に読む政次郎は、賢治に声を掛けられ、我に帰る。 



賢治は早速、原稿をトシに読んで聞かせていく。 


『風の又三郎』だった。

 

最後まで読み上げると、トシは泣き出し、「すっげえ、面白いもの」と言って、今度は笑顔になり、そして、「ありがとう、兄ちゃん」とまた泣くのだった。 


その二人の様子を縁側で聞いている政次郎。 



夜になると、賢治は原稿を書き、昼間はトシに読んで聞かせるのである。

 

【『風の又三郎』/谷川の岸の小さな小学校に、ある風の強い日、不思議な少年が転校してくる。少年は地元の子供たちに風の神の子ではないかという疑念とともに受け入れられ、さまざまな刺激的行動の末に去っていく。その間の村の子供たちの心象風景を現実と幻想の交錯として描いた物語/ウィキ】

 

明るく元気になったかに見えたトシだったが、食事をして咳き込み、喀血(かっけつ)してしまう。

 

夜になり、看病する政次郎に、トシは本音を吐露する。

 

「次、生まれてくる時は、もっと、強い体で…他の人の…幸せのために生ぎられるように、生まれてきてえな…お母さんには言わないでけれ。申し訳ねえから」


「おめえは立派だ、トシ。お父さんにとっても、お母さんにとっても、自慢の娘だじゃ」
 



雪が舞う中、トシを大八車に乗せ、政次郎らは実家に運んだ。

 

家族に見守られる中、荒い息のトシは賢治に哀願する。

 

「雨雪…取ってきて…けんろじゃ」 


賢治は庭に走り、松の葉にかかる霙(みぞれ)を茶碗に入れると天を見上げて、「トシ…行ぐな」と呟く。 


賢治はトシの口に霙を含ませ、取って来た松の葉を握らせる。

 

トシは賢治とイチに手を握られ、家族に見守られ静かに息を引き取った。 


まさに「永訣の朝」だった。 


浄土真宗の火葬の場で、一人賢治は“南無妙法蓮華経”を団扇太鼓を叩きながら大声で唱えて回るが、途中で泣き崩れて蹲(うずくま)ってしまう。


【トシの火葬は、火葬場が焼失していたので、焼却炉を使用せずに野外で燃やす野辺焼きだった】

 

イチが、お経が違うと言うのを押さえ、政次郎は賢治に歩み寄り、背中をさするのである。

 

「なした?賢治。しっかりしろ!お前の信じる心で、トシを見送ってやれ。ちゃんと極楽浄土さ、送ってやれ」

「ダメです、お父さん。もう俺には、何の力もねえのす。トシを送ることなんて、俺にはできねえのす…」

「賢治、お前の作った物語がトシには光だったべ。道だったべ?だから、お前の言葉で導いてやらねば。トシは極楽浄土、行げねえべ」


「トシがいなければ、俺はもう何も書けねえのす。やっぱり俺は、何の力もねえのす。ごめんなさい。ごめんなさい…」

 

地面に頭をつける賢治を起こし、賢治を励ます。

 

「バカが!宮沢賢治はその程度の文士なのか?その程度で諦めんのか?トシがいねえのなら、私が全部、聞いてやる!私が宮沢賢治の一番の読者になるじゃ!だから、書げ。物語を書げ!」 


息子の心を父が受け止めた瞬間だった。

 

 

 

2  「いっぺえ褒めたでねえか。初めて立った時、歩いた時、寝小便しなくなった時、物語を書いた時、本を出した時…褒めたでねえか!」

 

 

 

賢治は『春と修羅 心象スケッチ』というタイトルの製本を政次郎に手渡した。 


「俺の本」

「うん」

 

座敷でランプを灯し、政次郎がページを捲ると『永訣の朝』から始まり、それを声にして読み上げる。

 

「“きょうのうちに とおくへいってしまう わたくしのいもうとよ”」 



次に送られてきた「謹呈 宮沢政次郎様 賢治」と内表紙(うちびょうし)に書かれた『注文の多い料理店』を嬉しそうに開き、読み始める。

 

【『注文の多い料理店』/狩猟のために山奥を訪れた2人の青年紳士が、客に様々な注文を求める不思議な西洋料理店を見つけ、最終的に山の化け物に襲われるというストーリー/ウィキ】

 

東京へ行った政次郎は、神田の書店街へ行き、賢治の本が平積みされている店を見つけた。

 

“峻烈たる完成の処女詩集童話集 現今文壇の驚異 溌溂たる新人現る!”などと宣伝され、政次郎はよほど読まれているのかと思い、店主に訊ねてみたが、出版社からタダ同然で送られてきて困っていると話す。 


「東京の薄情もんに、宮沢賢治の何が分がるってよ!」と啖呵(たんか)を切って、半額で売られている賢治の本を、政次郎は凡て買い取った。 



結局、賢治も倉庫に残っている本を焼かれてしまうからと全て買い取り、自宅は本の山となった。

 

「仕方ねえのす。もどもど、自費出版の本ですから」

「だども、書評は上々だったんだべ?」

「ええ、評判は良かったのす。出版社の偉い先生方にも認められましたし、東京朝日新聞にも、“溌溂たる新人”と紹介されました」


「分(わ)がる人には分がったということでねえが」

「でも、それだけでした」

「また書けばいいべ」

 

賢治は家を出て、桜の家で書き続けると言う。

 

「俺は、トシがいたあの家で、物語を書いてくらしたいのす」

 

3年後 昭和3年。

 

畑を耕す賢治。 


賢治は地元の農民を集め、黒板を使って農業の講義を行っている。

 

「日本は雨が多ぐ、土の中の栄養が流されてしまいます。それにより、土が酸性さなってしまうのす。んだから、酸性さなってしまった土地さは、石灰を撒ぐどいいのす。今までは、草木の灰を使っていだと思いますが、石灰の方がカルシウムが多くて、水さ溶けにぐいのす」 



政次郎が清六と共に「桜の家」を訪れると、玄関の入り口には、「羅須地人(らすちじん)協会」の表札が取り付けられていた。 


【羅須地人協会/1926年(大正15年)に宮沢賢治が現在の岩手県花巻市に設立した私塾。あるいはその目的で使用された宮沢家の住宅建物である/ウィキ】

 

清六は「ほら」と政次郎に声をかけ、賢治が部屋で講義する姿を窓から覗く。

 

眼下の黄金色に輝く稲田を見ながら、庭で政次郎は賢治と語り合う。

 

「今日は、大事な話をしに来た」と言う政次郎は、質屋を清六に譲り、自分は別の事業を始めると話す。 


「本当は、お父さんのようになりたかった。でも、なれねがった。なんじょしても(どうしても)、俺は。お父さんのようには、なれねがったのす。だから、俺は子供の代わりに物語を生んだのす」


「だから、お父さんは、お前の物語が好きなんだべな…おめえの子供なら、お父さんの孫だ。大好きで、当だりめえだ」

 

その夜、賢治はチェロを弾き、村人たちを歌を歌い、政次郎らも楽しむ。


曲名は、宮沢賢治が作詞・作曲し、天空の幻想的なイメージに満ちた「星めぐりの歌」。


あかいめだまの さそり

ひろげた鷲の  つばさ

あをいめだまの 小いぬ、

ひかりのへびの とぐろ。

 

オリオンは高く うたひ

つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは

さかなのくちの かたち。

 

大ぐまのあしを きたに

五つのばした  ところ。

小熊のひたいの うへは

そらのめぐりの めあて。


 【「あかいめだまのさそり」とはさそり座の心臓アンタレス、「あをいめだまの小いぬ」とはおおいぬ座のシリウス、「へびのとぐろ」とは逆S字が特徴のりゅう座、「小熊のひたいのうへは そらのめぐりのめあて」とは北極星のことを指していると言われる/ウィキ】



清六は鉄を扱う新しい事業をスタートさせた。 

清六(右)

【清六は、金物・建材・電導材・自動車部品を扱う「宮澤商会」を開業し、「質・古着商からの家業の転換」がようやく実現した/ウィキ】


「賢治さんも、自分のやりだいごど、ようやく見つけて…」とイチが政次郎に話しかける。

 

「これで私も、ようやぐ自由だな。私の一生は、どうだったべが?」

 

時々兄を訪ねる清六に、イチが賢治の様子を聞くと、元気で、この間はタバコを吸っていたと聞いた政次郎は不吉な予感がして、そのまま「桜の家」に駆け付ける。

 

かつてニコチンが結核菌を殺してくれると、トシが賢治に頼んでタバコを買ってきてもらい吸ったことがあったからだ。

 

賢治の部屋へ上がり、政次郎は原稿に血が付いているのを目撃し、賢治は慌ててそれを隠す。 


「ごまかすな。血を吐いたのか?」 



政次郎は、子供の頃からの担当医の佐藤医師のとことへ賢治を連れて行き、結核と診断された。

 

その診断を受け止められない政太郎は、次の診察に向かう佐藤医師を呼び止め、見立て違いで結核ではないという答えを引き出そうと、必死に疑問を投げかける。

 

「気持ちは分がるども…」

「ようやぐ賢治は歩き始めたのす。だから、どうか!」


「ゆっくり、静養さしてあげてくなんせ」

 

泣きながら頭を下げる政次郎の肩に手を置いて、佐藤医師は立ち去った。

 

その夜、ランプを光で『永訣の朝』を朗読しながら、咽び泣く政次郎。 


「“おまえが たべる あめゆきを とろうとして わたくしは まがった てっぽうだまのように くらい みぞれのなかに 飛びだした”」

 

夜が明け、まんじりともせず座っている政次郎は、顔を上げ虚空を凝視する。

 

桜が咲き、桜の家の縁側で、賢治と政太郎が語り合う。 

「桜の家」


「あっちさ行って、トシに顔向けでぎねえな。日本のアンデルセンになるって約束したのに」

「なったでねえか。“文士 宮沢賢治”に」

「やめてけで。お父さんも知ってるべ。俺の書いたものなんか、ほとんど誰も相手にしねえ」

「今はな。だども、今にきっと、みんながおめえの書いた物語を読むようになる」


「まさか…そんなことあるわけねえべ」

「トシの願いだ。きっとそうなる。宮沢賢治の物語は本物だからよ」

「親バカだなハ。お父さんは」

「あっちさ行って、トシに読んでやるのは、まだまだ先の話だ。その前に、もっともっと、お父さんに聞かせてけろ。おめえの物語を」

 

賢治は実家に帰り、栄養をつけ静養することになった。

 

布団に横になる賢治の額の濡れた手拭いを取り換え、看病する政次郎。

 

その夜、政次郎は賢治の手帳のメモを見つけた。 


「雨ニモマケズ…」

 

昭和8年9月 



病床の賢治に、以前、肥料について教えてもらった農民が訪ねて来た。

 

帰ってもらえと言う政次郎だったが、賢治はイチに着替えさせてくれと頼み、会うことにする。

 

清六に支えられ、顔見知りの平太の訴えを聞く。

 

「今年はなんじょしたもんだか、イモチ(糸状菌の寄生によって発病を起こす病菌)にやられて、教えられたとおりに、なんだりかんだりやってみたのすけど、さっぱりダメで…」


「そいつは大変でしたね」

「このままでは、皆で首くくるしかねえのす…」

「育たねえのには、理由がありますから…連作障害かもしれねえな。まずは、畑に水を溜めてください」

 

平太が帰るのを見送り、うっすら笑みを浮かべた賢治は、そのまま倒れ込んだ。

 

政次郎が抱き上げると、「ありがとがんした」と礼を言う賢治。

 

「何が?」

「本当に、最後まで、話を…させでくれで」


「バカっこが…」

 

病床で清六にトランクを開けさせ、どんな小さな出版社でも、もし、出したいとこがあったら…出してけで。だども、どこも相手にしながっだら、処分…してください。お父さん」

「分かった」

 

汗をかいた賢治の体を拭くため、政次郎が桶を持って廊下に出ると、イチが声をかける。

 

「私が…させでください。最後ぐらいは。私は賢さんの母親だはんで」 


イチが体を拭いてあげ、横になると、「ありがとう」と礼を言う。

 

「お母さん、ありがとう」


「なーんも、何も」

「今まで、ほんどに…ありがとがんした」

「何も…」

 

賢治の目が虚空を彷徨(さまよ)い始め、皆が賢治の名を呼びかける。

 

その時、政次郎はメモにあった詩を大きな声で暗唱し、逝ってしまう賢治の耳に届ける。

 

「“雨にも負けず  風にも負けず  雪にも夏の暑さにも負けぬ  丈夫なからだを持ち  欲は無く  決して瞋(い)からず  何時も静かに笑っている  一日に玄米四合と  味噌と少しの野菜を食べ  あらゆる事を自分を勘定に入れずに  良く見聞きし判り  そして忘れず  野原の松の林の影の  小さな萱葺きの小屋に居て  東に病気の子供あれば 行って看病してやり  西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い  南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い  北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い  日照りのときは涙を流し  寒さの夏はオロオロ歩き  皆にデクノボーと呼ばれ  誉められもせず苦にもされず  そういう者に  私はなりたい”…間違ってないか?賢治!」 



賢治はうっすら目を開け、政次郎は賢治の手を握る。

 

「いい詩だ!いい詩だ、賢治」

「俺も、とうとう…お父さんに褒められたもな。ありがとがんした。お父さん」 


笑顔のまま静かに目を閉じる賢治。

 

「褒めたでねえか。いっぺえ褒めたでねえか。初めて立った時、歩いた時、寝小便しなくなった時、物語を書いた時、本を出した時…褒めたでねえか!賢治!賢治!」 


 

 

3  「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか?」「どこまでも行くんです」「それはいい」

 

 

 

2年後、昭和10年

 

政次郎が郵便小包を受け取り、宮沢賢治全集・全3巻を手にした。

 

「『銀河鉄道の夜』…」と声にし、その後、黙読する。 


賢治の朗読に変わった。

 

「“その前の白い渚に、まだひざまずいているのか。それとも、どこか方角もわからない、その天上へ行ったのか。ぼんやりして見分けられませんでした。ジョバンニは、ああ、と深く息しました”」

 

政次郎は空を見上げると、今度は賢治とトシの声が重なる。

 

「“カンパネルラ。また僕たち、二人きりになったねえ。どこまでも、どこまでも、一緒に行こう”」

 

夜空にアーチの橋の上を列車が走る。

 

帽子を被り、トランクを持った政次郎が車内を歩いていると、賢治とトシが並んで一冊の本を読んでいる。

 

「ここへ、かけてもようございますか?」 


2人は政次郎を振り返り、トシが「ええ。いいんです」と答える。

 

政次郎は正面の席に着くと、2人に訊ねた。

 

「あなた方は、どちらへいらっしゃるんですか?」


「どこまでも行くんです」


「それはいい」
 


3人は窓の外の天の川を見る。

 

政次郎は笑顔で「ありがとがんす」と声をかけると、2人は優しく微笑み返すのだった。

 

【『銀河鉄道の夜』/孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語で、宮沢賢治童話の代表作のひとつとされている。カンパネルラのモデルは、映画に登場しない保阪嘉内(ほさかかない)という賢治の親友のことで、盛岡高等農林学校の寄宿舎(自啓寮)で賢治と同室となり親交を深めた/ウィキ】

 

 

 

4  魂の呻きを捩じ伏せて、なお捩じ伏せて、這い出して、熱量を噴き上げていく

 

 

 


家族愛をテーマにした映画を通して、全篇にわたって死の臭気が漂っている。
 



その死に関与する3人の登場人物。

 

祖父の死を前にして、「きれいに死ね!」と言い放ち、自らそれを実践する長女。 



最愛の妹の死を前にして、「行ぐな」と吐露し、喪失感に被弾する長男。 



そして、長女ばかりか、長男の死を前にして、「雨ニモマケズ」の詩を音読し、長男が遺した物語を編纂する父。  


その中心に父・政次郎がいる。

 

その政次郎の視線から覗き見る、長男・賢治の生きざまの一端が可視化されていく。

 

だから、これは、政次郎が長男・賢治との確執と和解の曲折的な行程を描く映画になった。 



しかし、描き出されたのは、どこまでも賢治の生きざまの一端でしかないから、時には、政次郎の信仰の拠り所である「南無阿弥陀仏」というお経(念仏)を真髄にする浄土真宗を否定し、「南無妙法蓮華経」というお題目を唱え、万人の苦悩を根柢から解き放つ日蓮宗への改宗を迫るから、賢治の変人さが繰り返しインサートされていく。

 

巷間から見れば、赤痢に罹患した賢治の看護を惜しまない「善き父親」であり、且つ、学問にも理解があり、真宗の篤信家でもあったばかりか、地元の名士である父に対して、長男が悪態をついているという印象しか残さないだろう。

 

更に、盛岡高等農林学校への進学の一件で驚したばかりか、人造宝石製造の問題で呆れさせ、遂には、折角入った学校を退学するという始末だった。

 

何より、「質屋は農民から搾取することで成り立ってる」と言い放って、質屋という宮沢家の経済基盤を擯斥(ひんせき)する物言いに振れるのである。 


それでも、父・政次郎は確執を超え、自由奔放に生きるそんな賢治を受容していく。

 

トシの発病で東京から帰郷した賢治の創作活動の内実に触れたからである。 


爾来(じらい)、帰宅後の賢治との激しい軋轢(あつれき)が溶けていくのだ。

 

当時、死の病であった肺結核(原因は結核菌の感染で呼吸困難で死に至る)によって夭折(ようせつ)した、長女トシの思い出が詰まった「桜の家」の別邸での創作活動や、「羅須地人協会」を立ち上げて、必死に「弱者救済」を繋ぐ賢治に逞しさすら感じ取っていく政次郎。

 

然るに、この心地よき時間は限定的だった。

 

長女・トシのみならず、長男・賢治もまた肺結核に罹患してしまうのである。

 

そして迎える賢治の急逝。 


その寝床で政次郎の炎の叫び。

 

病床に臥す賢治の手帳に書き残されていた「雨ニモマケズ」の詩が、存分な思いを込めて読み上げられるのだ。

 

ここに情緒的なBGMが流れ、最も感動的なシーンだが、些か過剰過ぎた。 

 

【「雨ニモマケズ」のメモは賢治の没後に発見された詩である】

 

映画は肝心なところで嘘をつく。

 

私が常々思うところである。

 

トシの病床で、トシの死後に書かれた「風の又三郎」を読み聞かせるシーンなら「映画の嘘」として許容されるだろうが、看取りのシーンを過剰なまでに情緒的に演出する手法は、観る者の号泣を約束させるだけで何も残らない。 



こういうシーンと出会う度に、私はハーバート・ロス監督の「マグノリアの花たち」というハリウッド映画を想起する。 

マグノリアの花たち」より


看取りのシーンを淡々と描き出し、残された遺族の悲哀の「予期悲嘆の実行」(患者の死を想定した際に起こる様々な心理的反応)と、「対象喪失」の悲嘆の心理を精緻に描き切った傑作を、私は高く評価しているからである。 

看取りのシーン「マグノリアの花たち」より


ところで、この「銀河鉄道の父」。

 

「ほんとうのみんなのさいわい」(誰もが幸福でなければ、自分の幸せはない)という究極の理念を希求した未完の童話作品として知られる、「銀河鉄道の夜」を朗読した政次郎が乗り込んだ列車に賢治とトシが一緒に座って読書していて、隣に座り込むラストシーンはとてもいい。

 

「ありがとがんす」と謝意を表して、政次郎が抱え込む悲嘆を自己完結させていくからである。 



それにしても、悲嘆の含みを知ることなく、土足で踏み込む破滅的なエンディング曲。

 

何とかならなかったのか。

 

【いつものように、深い余韻を残す二人の演技が素晴らしかっただけに残念であるとしか言いようがない】


「おれもとうとう、お父さんに褒められたもな。ありがとがんした」という賢治の言葉にあるように、父に対するコンプレックスを、恰も父が嫌がるような行為に振れる賢治像を全面に押し出した映画が切り取ったのは、聖人伝説の否定だった。

 

これはいい。

 

宮沢賢治とは何者だったのか。

 

これを精緻に描き出すことのない構成に文句もつくだろうが、あくまでも「入門編」として考えさせるという意味で言えば、これでよかったのかも知れない。

 

―― では一体、宮沢賢治とは何者だったのか。 

宮沢賢治


以下、私論。

 

複数の肩書を持ち、豊富な教養を身につけていた宮沢賢治という歴史上の人物の実体を簡単に言えば、人類初とも言える「普遍的な平等思想」を説く法華経の理念で理論武装し、その思想を自ら実践しつつも、多くの詩作や童話で表現した文学者であると言えるだろう。 

田の中に立つ花巻農学校教諭時代の賢治(ウィキ)


宗教と芸術の融合である。 


では、賢治の平等思想のルーツにあるのは何か。

 

地元農民の貧困に喘ぐ境遇の中で、裕福な家庭に育った自らの環境に対して、生来のセンシティブな感性が贖罪意識を生み出し、自己犠牲の精神を培っていったのではないか。

 

この精神が法華経の理想主義に振れていく。

 

「日蓮主義」の提唱者・田中智学によって創設された「国柱会」への入信は、自我の確立を希求する賢治のメンタリティの漂動の到達点だった。 

田中智学(ウィキ)


然るに、国粋主義の傾向が強い「国柱会」の理念体系に、賢治の自我が丸ごと吸収されていったとも思えない。 

国柱会/画像は毎月1回行われる合同納骨式

国柱会/画像は妙宗大霊廟(みょうしゅうだいれいびょう)。約10メートルの高さの塔があり、その下に約7メートル立方の納骨室がある


なぜなら、彼にはトルストイに心酔するに足るキリスト教的な博愛精神が読み取れるからである。

 

映画の中でも、エマーソン、ベルクソン、ツルゲーネフ、トルストイらの影響を父・政次郎に吐露したように、狭隘な国粋主義とは一線を画していたであろう。

 

【「自己信頼」という概念を提示したエマーソン、「創造的進化」という概念を提示したベルクソン、空想的社会主義の思想を有するツルゲーネフ。そして、農業経営の改善や農民の教育に努めたトルストイの思想は、賢治の架空の理想郷・イーハトーブに通じるので、トルストイの影響を多大に受けたことはよく理解できる】 

私も大きな影響を受けた米国の思想家ラルフ・エマーソン(ウィキ)

アンリ・ベルクソン/生物は生命の根源的な衝動である生命(エラン・ビタール)によって内側から進化すると説いた仏の哲学者(ウィキ)

イワン・ツルゲーネフ/リリシズム・ヒューマニズム・自由主義・ユートピアニズムなどに特徴づけられる文学・思想を有した。(私にとって)史上最強の文学者・ドストエフスキーとの確執は有名(ウィキ)

レフ・トルストイ/その晩年の煩悶は「終着駅 トルストイ最後の旅」で描かれている(ウィキ)



逝去の翌年、家族ですら知らなかった「雨ニモマケズ手帳」の発見によって日の目を見たことで、戦後、不毛な「雨ニモマケズ」論争が起こるが、この僅か30行の文字のラインに込められている思いが、「普遍的な平等思想」を説く法華経の精神を表現した自戒の詩であることに異論がない。 

手帳に記された『雨ニモマケズ』(ウィキ)


晩年まで固執し、守り抜いた男のアイデンティティが、そこに垣間見える。

 

自らを「修羅」と呼ぶ男の精神が、内なる煩悩との葛藤の産物であることは容易に想像できる。

 

春画を収集したり、遊郭への登楼(とうろう)をも告白していたり等々、真偽不明の話もあるが、詩人・童話作家・地質学・教師・農業指導者・仏教哲学に及ぶフィールドで才能を発揮し、博学多才ながら、彼が性欲の処理に悩む普通の青年だったと考えればいいこと。

 

これ以上、語るべき何ものもない。

 

そんな青年が紡ぎ出す感性豊かな表現世界。

 

これだけが私を誘引する「心象スケッチ」と銘打たれた『春と修羅』。 

春と修羅 序



これを詩集と呼んでいいのか分からないほど、途轍もなく突き抜けた魂の表白に身震いする。

 

一人の人間の魂の表白が、それに触れる者の肺腑を抉(えぐ)るのだ。

 

「どっどど どどうど どどうど どどう」などと言った、オノマトペ(擬音語・擬態語)を多用する『風の又三郎』のような、オリジナリティ溢れたメルヘン堂々のフィールドと切れ、人間が被弾する喪失感の極みの様態を炙り出している。

 

成人になってこそ、圧(お)し掛かり、食い込んでくるのだ。

 

―― 子供の感性では容易に届かない、「トシ臨終三部作」の心象スケッチの、その魂の形状を打ち抜く変換不能の世界。

 

【「トシ臨終三部作」とは、トシ死去の日付を持つ3つの作品、『永訣の朝』・『松の針』・『無声慟哭』のことで、その臨終に至る模様が描かれている】

 

言語に絶する喪失感・寂寞感(せきりょうかん)を抱え込んで呼吸を繋いでいくことの艱難(かんなん)さ。

 

だから、詩作を捨てる。

 

再び、自己を立ち上げていくのに、どれほどの時間を要したか。

 

この悲嘆の時間の震えるほどの怖じけから、それなしに生きられない魂の呻きを捩(ね)じ伏せて、なお捩(ね)じ伏せて、這い出して、熱量を噴き上げていく。

 

―― 以下、我が国の文学界にあって、究極の挽歌とも称される『永訣の朝』。 


 

『永訣の朝』の全文(原文)

 

けふのうちに

とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ

みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ

   (あめゆじゆとてちてけんじや)

うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から

みぞれはびちよびちよふつてくる

   (あめゆじゆとてちてけんじや)

青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた

これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に

おまへがたべるあめゆきをとらうとして

わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに

このくらいみぞれのなかに飛びだした

  (あめゆじゆとてちてけんじや)

蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から

みぞれはびちよびちよ沈んでくる

ああとし子

死ぬといふいまごろになつて

わたくしをいつしやうあかるくするために

こんなさつぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ

ありがたうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまつすぐにすすんでいくから

  (あめゆじゆとてちてけんじや)

はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから

おまへはわたくしにたのんだのだ

銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

……ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまつてゐる

わたくしはそのうへにあぶなくたち

雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち

すきとほるつめたい雫(しずく)にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらつていかう

わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ

みなれたちやわんのこの藍(あい)のもやうにも

もうけふおまへはわかれてしまふ

Ora Orade Shitori egumo

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ

あああのとざされた病室の

くらいびやうぶやかやのなかに

やさしくあをじろく燃えてゐる

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらばうにも

あんまりどこもまつしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

  (うまれでくるたて

    こんどはこたにわりやのごとばかりで

    くるしまなあよにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが兜率(とそつ)の天の食(じき)に変(かは)つて

やがてはおまへとみんなとに

聖(きよ)い資糧をもたらすことを

わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

 

「あめゆじゆとてちてけんじや」=「雨雪取って来てください」という表現が四度にわたって現れ、消えていく。

 

「雪のさいごのひとわん」を求めるトシに、「みぞれのなかに飛びだし」て盛った「ふたわんのゆき」を持って来る賢治。

 

二人で口に含もうよと賢治は願うのだ。

 

ではなぜ、トシは「あめゆじゆ」を求めたのか。

 

「死ぬといふいまごろになつて わたくしをいつしやうあかるくするため」

 

自らの死で悲嘆に暮れるだろう兄を案じて、トシは「あめゆじゆ」を頼んだのである。

 

そう解釈したが故に、賢治は「Ora Orade Shitori egumo」と漏らしたトシの言葉に揺らいでしまった。

 

自らを単独者と括って、「一人で逝くの」と言い残すトシ。

 

この賢治の強い揺らぎがローマ字に変換された所以である。

 

「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」

 

そのままの意味である。

 

「わりやのごと」(自分のこと)ばかりで、苦しまないように生まれてくると言い切ったのだ。

 

トシの強さに触れ、圧倒される賢治。

 

「ありがたうわたくしのけなげないもうとよ」という思いが貫流している詩は、「わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」という思いのうちに結ばれていくのである。

 

【「兜率天」とは「人々を苦しみから救う弥勒菩薩」のこと。『春と修羅』には『こんなにみんなにみまもられながら おまへはまだここでくるしまなければならないか』という書き出しで始まる『無声慟哭』という壮絶で手強い詩もあり、その苦衷(くちゅう)の深さに絶句する】 

宮沢賢治歌碑/比叡山延暦寺(ウィキ)

【賢治が1933年9月19日に詠んだ「絶筆」の短歌2首。 「方十里稗貫のみかも稲熟れて み祭三日そらはれわたる」 「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし」/ウィキ】

血染めの原稿


(2023年11月)

4 件のコメント:

  1. 評論を読ませていただきました。知らなかったこの映画の存在を知ることができました。ありがとうございます。

    私は宮沢賢治を尊敬しています。特に春と修羅はあらゆる文学の中で最も好きな作品です。
    私は最近詩を書いて賞に応募しています。その原動力は宮沢賢治の美しい文章です。それほどに人生で影響を受けています。
    その宮沢賢治について、春と修羅や他の作品について、Sasaki Yoshioさんに考察していただけて本当にうれしいです。気づかされることがたくさんありました。
    正直、私はまだ宮沢賢治の難解な表現に理解が追いついていません。ですが評論を通して彼の人物像を垣間見ることができました。読んでいて、彼と父のやりとりに思わず泣いてしまった場面もありました。

    今後もSasaki Yoshioさんのブログ活動を楽しみにしています(^^)

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    1. コメント、ありがとうございます。
      今、「評議」の投稿をした際に気づいたところです。
      遅くなってすみませんでした。

      BGMだけが気になりましたが、「"銀河鉄道の父」は観ていて涙を誘い、特にラストはとても感動しました。
      役所広司は勿論のこと、菅田将暉のピュアな演技が脳裏に焼き付いていて適役だと思いました。
      宮沢賢治の『永訣の朝』は読む者の魂を打ち抜く完璧な詩です。
      大人になって、言葉にできないほどの凄さが分かります。
      特に、Ora Orade Shitori egumoというローマ字変換された表現に込められた思いの強さに敵う何ものもありません。
      年輪を刻み、一層、この表現の凄みに震えが走るほどです。

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  2. あけましておめでとうございます
    ずっと、何か返信をしようと色々考えていたのですが、語彙力がなく、よい返信が思いつきませんでした笑
    返信が遅くなってすみませんm(__)m
    この映画本作から伝わる父(そして家族)とのやりとりにはグッとくるものがあります。またトシへの春と修羅を通した痛切な気持ちも好きですが、春と修羅全体の、宮沢賢治の独自の瑞々しい表現が大好きです。選び抜かれた単語や言い回し、リズムがまるで喜んでいるようです
    彼は他にも童話をたくさん作っていますが、詩集(心象スケッチ)はそれらメッセージから解き放たれたような、美しさを感じます

    今後のブログ活動も楽しみしてしております!

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    1. いつも遅くなってしまい申し訳ありません。
      読んで頂くだけで励みになります。
      昔は思いいたらなっかのですが、年輪を経た今、読み返すと宮沢賢治の詩には力があると感じ入ってます。
      特に、賢治の造語である「無声慟哭」には圧倒されます。
      声を出すことなく慟哭するという矛盾した表現に詰まった賢治の内面世界には、こういう表現こそ的確な内面表出だったのだと思います。
      自らを修羅と定め、究極の理想主義を目指して生き抜いた賢治の煩悶が伝わってきて心に染み入ります。

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