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2021年8月4日水曜日

最悪の事態に対してアップデートできない我が国の脆さ 映画「Fukushima 50」 ('20) が突きつけたもの  若松節朗





1  極限状態に陥り、追い詰められた男たち
 

 

 

2011.3.11 PM2:46 

雪が風に舞う福島第一原子力発電所



雪が風に舞う中、緊急事態速報と同時に、激しい揺れが東電(東都電力)福島第一原子力発電所を襲う。 


1・2号機 サービス建屋2階。 


 

【サービス建屋とは、放射線管理区域への出入りの管理施設。建屋とは、核燃料を配置した装置=原子炉などを収納する建物】

 

中央制御室(中操。原発の運転制御の重要施設)では、当直長の伊崎利夫(以下、伊崎)が体を大きく揺さぶられながら、数値の異常の確認作業を指揮していた。 

伊崎と第1班当直副長・加納(右)

左から管理グループ当直長・大森、伊崎、第3班当直長・矢野

第2班当直長・平山(右)


震度6.9の揺れを観測し、福島第一発電所・所長の吉田昌郎(以下、吉田)は、免震棟(免震重要棟。緊急時対応の拠点)に設置された緊急時対策室にて、所員全員に声をかけた。


吉田と発電班長・野尻(右)

緊急時対策室

「いいか、こういう状況だ。焦(あせ)んな。しっかり一つ一つ、確認するんだ。慌てるな」



吉田は中操の伊崎に電話して現況を確認し、大津波警報が出ていることを告げる。


「分かった、吉やん」


3.11 PM3:40

 

巨大津波が福島第一原子力発電所を襲い、非常用電源も失われ、全電源を喪失したステーション・ブラック・アウト(SBO)と化していく。 

「大津波警報が出ています。大至急、避難して下さい」(緊急対策室総務班職員・浅野)

津波を見て驚く第2班当直副長・井川(右)と管理部当直長・工藤

逃げていく二人

伊崎からSBOを知らされる野尻

吉田に対して、「原子力災害対策特別措置法・第10条に該当します」と説明するユニット所長・福原(右)


原子力災害対策特別措置法・第10条を宣言し、直ちに本店に報告をする。

 

東電本店では、早速、緊急時対策本部が設置された。 



電源喪失の原因が、津波の浸水であると分かった伊崎は、中で起こっている事態の確認に行くことを所員に指示した。

 

現場に行く際は二人ペアで行動し、1時間経っても戻らないときは、救出に行くことをルールとした。 

中操の作業員にルールを説明する伊崎


このまま電源喪失され続けばメルトダウン(炉心溶融)し、放射能を撒き散らしてしまうのだ。 

メルトダウン

かくて、原子炉に水を入れ冷却するための方策を検討するに至る。

 

吉田は、直ちに消防車の手配を指示する。

 

しかし、2台は津波に破壊され、残る1台は瓦礫(がれき)で移動させるのが難しいことを知らされる。

 

「難しくても、やれ!…本店を通じで、自衛隊に消防車を頼んでもらえ」 


吉田の檄(げき)が飛んだ。

 

3.11 PM4:36 


首相官邸 危機管理センター。 


原子炉が冷却できない状態になっている報告を受け、首相は具体的な対策を要求して怒り捲(まく)っている。 



米国大使館。

 

巨大地震が発生し、福島第一原発が危険な状態であることをホワイトハウスに報告する。 


「日本政府はこの状況に対応できていません」 



3.11 PM5:19 


大森(当直長)と加納(当直副長)は、1号機の原子炉建屋に入り、手動で冷却水のバルブを開けることに成功する。 



3.11 PM7:45

 

首相官邸 記者会見場。 


内閣官房長官


福島第一原発災害の防止を図る応急の対策を実施するため、原子力緊急事態宣言が発令された。

 

3.11 PM8:50

 

半径2キロ圏内の住民に避難指示が出される。 



吉田は、東電本店の小野寺(緊急時対策室総務班)にヨウ素剤(放射線被爆を低減させる安定ヨウ素剤のこと)を飲む件で問い合わせる。

 

「線量がどんどん上がってんだよ!これ以上、線量が上がったら、建屋に近づけなくなる。現場の人間、体張ってんだよ。はっきりしてくれよ!」

「少し、時間を下さい。安全委員会に問い合わせてみます」

緊急時対策室総務班・小野寺

「そんなことも決められねぇのか、本店は!」
 



一部電源が繋がり、計測計で確認すると、圧力が1・5倍に上がっているので、圧力を降下させるために、ベント(水蒸気や放射性物質を外部に放出すること)が必要だと伊崎は判断する。

 

発電班長の野尻が1号核納機の圧力が600キロパスカルに上昇していることを報告すると、免震棟の作業員たちに衝撃が走った。 


600キロパスカルに上昇していることを野尻に報告する

その事実を免震棟の作業員たちに報告する野尻


吉田はベントを指示した後、伊崎に電話する。

 

「炉心はいつまで持つ?」


「明け方まで持ってくれりゃぁ」
 



3.12 AM0:52 

原子力安全委員会委員長・小市

官邸はベントの報告を受け、原子力安全委員会委員長・小市が首相らに説明する。

 

「何しろ、ベントはまだ世界でどこもやったことがありませんから。しかし、電源が失われているので、人の手でやるしかありません。放射能汚染の只中にある原子炉建屋内に突入するしか…」 

説明を受ける首相と内閣官房長官


東電フェローの竹丸が吉田に電話を入れる。

 

「そんなに簡単に言わんで下さい。電源がない中で、ベントやることがどれだけ危険なことか、分かってるでしょ」

「分かってるよ。だけど、やるしきゃないだろ。総理にやるって言っちゃったんだよ」


「もちろん、ベントはこっちが責任もってやりますよ。そのつもりで動いてます。ただ、現場の人間を無視して勝手なことは言わんで下さい!方法とタイミングはこっちが決めます!」
 


怒りを露わにする吉田。

 

そして、伊崎にベントの実施を依頼する。

 

「ベントに行くメンバー、決めてくれ」

それを受ける伊崎


ベントの実施を開始する伊崎は、作業員たちに向かって、原子炉建屋に向かうメンバーを募る。

 

反応がないのを見て、伊崎は自ら手を上げ、呼び掛ける。

 

「誰か、一緒に行ってくれる奴はいないか」 


「現場は俺が行く。伊崎はここに残れ」

 

管理グループ当直長の大森がこう言うや、次々に手が上がる。



「ありがとう。だけど、若い者はダメだ。ベテランの中から選ばしてくれ。3組6名だ」 



3.12 AM3:06 


官邸の記者会見で、ベントが始まることが発表され、竹丸が記者の質問に答える。 



3.12 AM5:44

 

富岡町では、半径10キロ圏内の住民の避難が始まった。


 


3.12 AM5:50

 

いよいよベントが開始されるということになって、吉田に小野寺から総理が福島第一原発に行くという連絡が入る。

 

「勘弁してくれないかな。現場にそんな余裕ありませんよ」


「すみません。決定事項ですから。何とかお願いします」
 


吉田はマスクをそちらで用意するように依頼するが、本店はそれを受け入れないことに激怒する。

 

「現場でやって下さいよ」

「ふざけんな!俺たちに死ねっていうのか!こっちはそれどころじゃないんだ!」 


これで、総理の視察が終わるまで、ベントは先延ばしされることになった。

 


3.12 AM6:00

 

総理が来ることになり、陸上自衛隊の消防車が来ても、作業が足止めされ、一刻を争うベントの開始を遅らせることになった。 



3.12 AM7:11

 


レクチャーを受けながらヘリコプターでやって来た総理は、到着するなり、「何で俺がここに来たと思ってるんだ!」と、総務班職員の浅野を怒鳴り飛ばす。 



吉田が状況を説明する。

 

「とにかく、早くベントをしてくれ」と総理。


「もちろんです。決死隊を作ってやっておりますから」と吉田。
 


「決死隊」と聞いて驚く首相


アメリカ大使館にホワイトハウスから連絡が入る。

 

「日本政府から、日本の危機は、まず日本人で立ち向かうと返答があり、米軍による冷却材輸送は実施しない」

「しかし日本政府だけで、この危機を乗り越えることが出来るでしょうか?」 



3.12 AM9:04

 

圏内の住民全員の避難が確認され、ベント作業が始まった。 



まず、第一陣の大森と井川の2人が防護服を着用し、20分しか持たない酸素ボンベを背負って現場に向かう。 

「お願いします」

大森(右)と井川



20分を要して、MO弁(電動駆動弁)を手動で開けるのに成功し、注水を可能にさせた。 


彼らの無事を祈る伊崎

作業を成功させる二人

二人を迎える仲間たち

注水が始まる


戻って来た2人は、僅かの間に、25ミリシーベルト(大森)と20ミリシーベルト(井川)を被曝していた。

 

【一般公衆の線量限度が年間1ミリシーベルト以下になるように定められている】

 

第二陣の工藤と矢野は、より線量の高いAO弁(空気駆動弁)を開けるために、原子炉建屋・地下1階トーラス室(圧力抑制室を収納する部屋)に向かった。

第二陣の工藤と矢野

「頼むぞ」
 

艱難(かんなん)な作業に挑む第二陣の「決死隊」

彼らの死が伊崎の脳裏を過(よぎ)る


「大丈夫だよ」(大森)


結局、高温と線量の高さで作業は不可能となり、撤退するしかなかった。 


戻って来た二人の線量は、89と95ミリシーベルト。 


高い線量に驚く第1班当直主任・本田

管理部当直長・工藤(左)と第3班当直長・矢野


労(ねぎら)いの言葉に、謝るばかりの二人。 


その報告を受けた吉田は、別の方法を検討する。

 

中操に、福島第一原発5・6号機当直長・前田が応援に駆け付けた。 

5・6号機当直長・前田拓実(たくみ/左)と5・6号機当直副長・内藤


「1号機で10年やってましたから、AO弁がどこにあり、どのバルブを開けばいいか、全部頭に入ってます」



「ダメだ。いくら線量があんのか分かってんのか。俺より若いもんに行かせるわけにいかねぇ」
 

平山(右)


第2班当直長の平山は、その申し出を受け入れようとしなかったが、本人の強い意志と、高校の先輩である伊崎の後押しで前田が行くことに決まった。

 

3.12 PM2:30


 

スタック(排気塔)から煙が出ていると、伊崎に電話が入った。


「あいつら、止めろ!」 


伊崎は前田と内藤を止めに行かせる。 

前田と内藤


それがベントの煙であると、吉田から知らされる。

 

「コンプレッサー(圧力をかけて気体を圧縮する装置)使って、外からAO弁を開けたんだ。ベント成功だ」と吉田。


「だったら、先に言えよ!」と伊崎。

 

そんな現場の混乱の中、何もできない状況で中操内に待機していても仕方がないという、メンテンナンス担当の若手作業員の声が上がる。 

第1班補機操作員・西川


「お前、それでもプラントエンジニアか!」

「線量が上がって、危険な状態なんです」

「俺たちが逃げたら、誰がこの原子炉守るんだよ」

「こんなとこにいたら、無駄死なんですよ!」

 

作業員たちの間で、揉(も)み合いが起きるのだ。

 

この混乱の中で、伊崎が強い口調で説得する。

 

「俺たちがここを退避すれば、この発電所一帯を放棄することになるんだぞ!今、避難をしている人たちは、ここにいる俺たちに何とかして欲しいという思いを込めて、自分たちの家に背中を向けたんじゃないのか。俺は、ここで生まれてここで育った。何が何でもここを守りたいんだ。皆の家族だっているだろ…最後に何とかしなきゃいけないのは、現場にいる俺たちだ。故郷を守るのは、俺たちの手にかかってるんだよ。だから、俺はここを出るわけにはいかない」 


「故郷を守るのは、俺たちの手にかかってるんだよ。だから、俺はここを出るわけにはいかない」


思いの籠った男の言葉で、その場は収束する。 



3.12 PM3:36 


一号機が爆発した。 


水素爆発である。

 

【この水素爆発は、核燃料と水蒸気の化学反応によって発生した水素が、建屋内の気体の酸素と反応したことで爆発】 

「一号機が爆発しました」(復旧班電源チーム・五十嵐)


繋がったばかりの電源ケーブルが破損し、一からやり直しとなった。

 

爆発の映像と共に、世界中に衝撃が駆け巡る。 



その様子をテレビで見ていた避難民の間に、衝撃と憤りの声が巻き起こった。 


その避難所には、伊崎(妻・智子、娘・遥香)と前田の家族(妻・かな)もいた。 

伊崎の妻・智子(右)

前田の妻・かな

かな

中央左から遥香、祖父、妻・智子


連絡が取れない父を案じる娘の遥香(はるか)。

父を案じて、恋人の滝沢と話す遥香
 
滝沢


中操では、若者の作業員を退避させ、腹を括った前田は、残った防護服姿の仲間の写真を撮る。 

カメラを手にする前田

ポーズを取る作業員


3・12 PM6:25 


半径20キロ圏内の住民に避難指示が出された。 



横田基地では、福島第一原発の放射能漏洩による、在日米軍と家族の避難について議論されていた。 



3・12 PM7:25 


吉田に竹丸から電話が入る。

 

既に行っている海水注入を止めろと言うのだ。 

東都電力フェロー・竹丸

政府からの指摘で、不純物が入り込んで再臨界するというのである。


【核分裂が止まる未臨界状態にな った後に、再び核分裂連鎖反応が始まり、臨界状態(核分裂連鎖反応が安定的に続いている状態)になること。メルトダウンが発生した時点で核分裂が停止していても、融け落ちた燃料の形状、配置、水の存在によっては、再臨界に達する可能性がある】 

 

吉田は海水注入の中止を現場に命じるが、密かに注入を続けていく。 

防災安全部部長・佐々木に対して、海水注入を促す吉田

海水注入の中止を命じる


3.13 PM4:02 


3号機の放射線の線量が上昇してきたので、吉田は伊崎ら現場作業員を免震棟まで退避させるに至る。 

伊崎に免震棟への退避を求める

以降、中操に残るのは5人交代制となった。 

「大森さんも平山さんも寝てらっしゃらないんでしょ」(浅野)

「5名残して12名、戻って来ました」(伊崎)


3.14 AM7:00 



対策本部長の東電常務・小野寺から、2号機・3号機へのベント作業を急げとの指示を受けた吉田は、声高に反駁(はんばく)する。 

「ベントができずに格納容器が吹っ飛んでしまったら、どうしようもないですよ」(小野寺)

「そっちにもデータ送ってるでしょ!」


放射線量が高すぎるが故に、爆発の危惧を払拭できないのだ。

 

「余計なこと言わずにやれよ!こっちが全部、責任とるから」

 

小野寺もまた、怒号する。

 

「もう一回、行ってくれるか」 


吉田は、疲弊し切っている作業員たちに、再度の出立(しゅったつ)を求める外になかった。


 

作業員たちは快諾し、再び現場に出ることになった。

 

激しい爆発が起こったのは、その矢先だった。 



3・14 AM11:01 


3号機が爆発(水素爆発)し、大きな黒煙が上がった。

 

行方不明が40名と総務班の浅野が、吉田に報告する。 



安定していると聞いていた作業員らが戻り、吉田に詰め寄る。

 

「どういうことなんですか!」

「安定だって言ったじゃないですか!」


「すまん、申し訳ない」

 

頭を下げる吉田の表情には、苦渋の色が滲(にじ)んでいた。 



爆発によって放射線量が急速に上がったので、中操の交代は暫(しばら)く無理だと連絡する。

 

現場に残っている5名の中には、前田も入っていた。 

「交代はいいですよ」(前田)


しかし、吉田の制止を振り切って、伊崎たちが5名を救うために中操に向かった。 

「拓実、すぐ行く。中操の責任者は俺だ」(伊崎)

「俺がお前たちを見捨てるわけねぇだろ」(伊崎/左)と前田拓実(右)


その後、浅野から行方不明者の安否が全員確認され、多数の怪我人を出したが、死者はゼロだと報告され、安堵する吉田。 



3・14 PM11:46

 

2号機の格納容器(原子炉格納容器のこと)が、設計圧力の2倍の730キロパスカルに急上昇していることが報告される。(1号機の圧力の通常は1.2キロパスカル) 


「設計圧力の2倍だな」(吉田)


もし2号機が爆発したら、1F(福島第一原発)には誰も近づけなくなる。

 

そして、吉田は最悪の事態を予測してみせるのだった。

 

「原子力の暴走を止める術はなくなる。放射能を巻き散らし、2Fにも近づけなくなり、いずれは、崩壊だ。1F2F合わせて10基。チェルノブイリの10倍だ…首都圏を含め、東日本は壊滅」 




吉田を含め、現場作業員らは心理的に追い詰められていた。

 

【ウクライナで起こったチェルノブイリ原発事故は、最悪レベルのレベル7に達する原子炉の爆発・火災事故で、設計上の欠陥と操作ミスという人為ミスが原因。現在、破壊された4号炉を石棺で封じ込め(固化)、完全閉鎖されている】 

                  4号炉の石棺(ウィキ)


 

 

2  「俺たちは、自然の力を舐めていたんだ」

 

 

 

3.15 AM0:11 



遂に東電は、禁じ手とも言える方略の実施を求めてきた。

 

放射能汚染物質を、そのまま外に放出する「ドライウェル・ベント」である。 

「このままじゃ爆発するぞ」(小野寺)


「早くやれ!」


「やってますよ」

吉田を睨む小野寺

吉田も睨み返す


苛立つ吉田は、協力企業の人たちに避難を呼びかけた。 

「今まで、本当にありがとうございました」


自衛隊にも退避を求めたが、隊長は凛として言い切った。

 

「民間の人たちが闘っているのに、我々が撤収するわけにはいきません」 



一方、地元の記者から、竹丸は「福島に希望(はないんですか)…」と追及され、応える術を失っていた。 



皆、逃げ場を失い、苦渋のみが炙(あぶ)り出されていく。

 

3.15 AM4:03 


官邸では、1Fから撤退した場合の被害について試算していた。

 

「避難対象は半径250キロ、人口およそ5000万」。 


都市崩壊のイメージが過(よぎ)る


それを聞くや、首相は東電本店に乗り込んでいく。

 

3.15 AM6:11 



「事故の被害は甚大だ!このままでは日本国は滅亡だ!撤退などあり得ない。命懸けで頑張れ!撤退したら、東電は100%潰れる。逃げてみたって、逃げ切れないぞ!」(首相) 


その様子をテレビで見ていた、免震棟の緊急対策本部では口々に不満があがった。

 

「何言ってるんだ、こいつ」と樋口(保全部部長)。


「誰が逃げるってんだ」と佐々木(防災安全部部長)。

「ふざけるな」と福原(ユニット所長)。

 

首相も腹を括り、覚悟を見せた。

 

「60になる幹部連中は、現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」 



それと同時に建物の揺れが起き、サプチャン圧力(圧力抑制室の圧力計)を確認したところゼロとなっていた。 



爆発により2号機の格納容器内のサプレッションチェンバー(圧力上昇を抑える水冷装置)の機能が不全になり、緊急時対策室内は動転する。

 

「今の爆発は2号!?」と福原。

「サプチャンに穴が開いたのかも知れません」と野尻。 


格納容器に穴が開いた可能性が考えられたからである。。

 

「各班、必要最小な人員を残して退避。残るメンバーは班長が決めてくれ。みんな、ありがとう」 


退避命令を出す吉田。 



退避させようとする伊崎に対して、若手の作業員たちは、次々に残ると主張する。

                   後方右から第1班当直主任・山岸、第1班補機操作員・小宮、第1班当直主任・本田


「あなたたちは、第二、第三の復興があるのよ」 


 浅野の言葉で皆、涙を呑んで退避していく。

 

多くの作業員が去り、残る50人のメンバーたちには、それぞれの家族を想う時間が生まれる。

 

皆、メールや電話で無事を知らせ、家族への想いを伝えた。 

妻子を想い、涙ぐむ前田


伊崎もまた、避難所にいる娘・遥香に、反対していた滝沢との結婚を許可するメールを送った。 


                         父からのメールを家族に知らせる遥香だが、父の安否が気になっている



束の間の静寂の中で、吉田と伊崎が語り合う。

 

「何で、こんなことになっちまったんだ」と吉田。

「俺たちは、何か間違ったのか」と伊崎。


 

ホワイトハウスに連絡したアメリカ大使館は、日本政府の対策に異議を申し入れ、それを受諾した日本政府の要請を受けた自衛隊ヘリが、上空からの建屋への放水を開始する。 


効果薄だが、海外へのパフォーマンスとして実行されたのである。 

「海外に日本の姿勢を見せる必要がある」(首相)。右から内閣官房長官、首相補佐官



ここで、事態は一変する。

 

2号機のドライウェル(圧力容器など主要な設備を収納)の圧力の数値が下がったのだ。 


それを確認する現場作業員


歓喜する作業員たちと、東電本社と官邸の面々。 

「ドライウェルは圧力下がったぞ!」

興奮し、言葉に結べない野尻

東電本社

官邸


2号機のパネルが剥(は)がれ落ちたことで、最悪の事態を免れたのである。

 

【現在、1号機の水素爆発の衝撃で、2号機の原子炉建屋上部側面のパネルが開いたことで、水素が外部へ排出され、原子炉建屋の爆発が回避されたと推定されている】

 

前回の爆発は2号機ではなく、4号機であることが判然としたばかりか、4号機のドライウェルも異常なしということで、作業員たちの間には安堵が広がっていった。

 

横田基地では、東北救済の「トモダチ」作戦が立ち上げられた。 

在日米軍将校・ジョニー


「トモダチ」作戦


こうして、伊崎と前田は、ようやく避難所で待つ家族たちと再会できたのだった。 

妻・智子との再会

遥香

妻子との再会を果たす前田


援助物質を受け取りにいく


そして今、伊崎は避難所にいる富岡の人たちに深く謝罪する。

 

「皆さん。富岡町を住めない町にしてしまった。本当に申し訳ありません」


「一生懸命、故郷(ふるさと)を守ってくれてるでねぇか」
 


悔いる伊崎に対し、富岡の人たちは暖かく迎えるのである。

 

2014年 春 



伊崎は帰宅困難地区の桜の満開の下、吉田から受け取った手紙を読んでいる。

 

「伊崎、お前にはもう会えないかもしれないから、手紙を書くことにした。早いもので、あの事故から2年が経った。お互い、大変な経験をしたな。もう日本は終わりかと思った。あとは、神様、仏様に任せるしかない。俺もここで死ぬんだなと、腹を括った。事故が起きたら最初に死ぬのは、誰でもない、発電所の人間だ。だけど、死んでしまったら、事故の収拾がつかない。現場の人間の命を守れずに、地元の命を守れるわけがない。俺たちは何か間違ったのか、とお前は言ったな。今になって、ようやくその答えが見えてきたような気がする。俺たちは、自然の力を舐めていたんだ。10メートル以上の津波は来ないと、ずっと思い込んでいた。確かな根拠もなく、1Fができてから40年以上、自然を支配していたつもりになっていた。慢心だ。伊崎、あのときお前がいてくれて、本当によかった。状況が更に悪くなったら、最後は全員退避させ、お前と二人で残ろうと決めていた。お前だけは、俺と一緒に死んでくれると思ってたんだ」


「もう日本は終わりかと思った」

「10メートル以上の津波は来ないと、ずっと思い込んでいた」

「確かな根拠もなく、1Fができてから40年以上、自然を支配していたつもりになっていた」

「伊崎、あのときお前がいてくれて、本当によかった」

「状況が更に悪くなったら、最後は全員退避させ、お前と二人で残ろうと決めていた」


伊崎は、2013年7月9日に、食道癌で亡くなった吉田所長の葬儀の場の、弔辞を思い出していた。

 

「吉やん、俺が、吉やんを一人残していくわけないだろ。俺は最後まで、お前さんと一緒だよ。なぜあの時、格納容器が爆発しなかったのか、未だに分かってないんだ。あんなことは二度と起こしてはならない。約束するよ、吉やん。あのとき1Fで起きたことは、必ず後世に語り継いでいく。それが、あの現場にいた俺たちの使命だ」 

「吉やん、俺が、吉やんを一人残していくわけないだろ」

「あのとき1Fで起きたことは、必ず後世に語り継いでいく。それが、あの現場にいた俺たちの使命だ」


伊崎は満開の桜を見上げて、呟いた。

 

「吉やん、今年も桜が咲いたよ」 



以下の画像は、最後のキャプション。 


エンドロールは、復興する福島の映像だった。

 

 

 

3  「普通の人達の映画」が突きつけたメッセージの重さ

 

 

 


この映画はプロパガンダではない。
 


「原発事故を風化させてはいけないということ。そのためにも、この映画を世界に向けて発信することが大切だと考えています」(若松節朗監督インタビュー) 

若松節朗監督

作り手の言葉である。

 

これは、イデオロギーの視座で一刀両断しない限り、誰でも読み取れる。

 

だから、「復興五輪」と銘打った東京オリ・パラを遂行せんとする自民党政権と東京都、組織委員会、そして、その背後で睨みを利かせるIOC(国際オリンピック委員会)のプロパガンダと断じるばかりか、「Fukushima 50vs「政府・東電」という、安直な善悪二元論に帰結させる視座の狭隘さと、明らかに一線を画している。


 

「“復興オリンピック”と言いながら、いまだに復興はできていませんが、聖火は福島からスタートします。だから、その前に本作が公開されるのは、すごく意味があると僕は思っていますので、ぜひこの映画を多くの方に観ていただきたいです」(若松節朗監督インタビュー)

 

これも、作り手の言葉である。

 

これは、本篇から、ひしと感受させられる。

 

また、「事実を美化し問題を隠蔽する」という批判も多々見られるが、家族との再会シーンや、伊崎の家族風景を描くことの、どこに問題があるのか、私には全く理解できない。 

子持ちの恋人・滝沢との結婚を父から反対され、悩む遥香

センチメンタル、ヒロイズムと言うほどの大仰な描写が、どこに埋め込まれていたのか。 

伊崎の父と妻子


本篇にはドキュドラマ(再現ドラマ)の要素が多分にあるが、ドキュメンタリーではないのだ。

 

そこに、映画的自在性が生まれる。

 

仮構性を含む「物語」が創られるのである。

 

実在する二人の人物をモデルにした、伊崎という主人公の設定が、それに当たるだろう。 


富岡の人たちに深く謝罪する伊崎


この映画的自在性には、特段に問題がない。

 

「せっかく美しい桜が咲いているのに、誰も見ることができないと思うと複雑だった。それは、この先もずっと続く。ラストは『何も解決していない』というメッセージを発する最高のシーンだ」(若松節朗監督インタビュー)

 

これも、作り手の言葉である。

 

この作り手のメッセージに違和感を覚える人も多いだろうが、様々な解釈があることを一元的に誹議(ひぎ)する見方こそ、危うさを孕(はら)むと言わざると得ないのだ。


 

福島支援という強い思いが集合し、制作された映画 ―― これが正解ではないか。

 

ただ、それだけのことである。

 

「俺たちは、自然の力を舐めていたんだ。10メートル以上の津波は来ないと、ずっと思い込んでいた。確かな根拠もなく、1Fができてから40年以上、自然を支配していたつもりになっていた。慢心だ」 

「俺たちは、自然の力を舐めていたんだ」



ラストで紹介される、伊崎に書いた吉田の手紙の一節である。

 

映画的自在性の中でインサートされたこの言葉こそ、本篇を貫流するメッセージであると言っていい。

 

「現場の再現度は保証付き。冒頭から余計な前フリ無しに震災の渦中に叩き込まれ、息もつかせず進行していく過酷な事象に、その場で立ち会っているかのような臨場感。決して英雄ではない、普通の人達の映画です」(「MOVIE WALKER PRESS」より)

 

この一文は、福島第一原子力発電所で、作業員として従事した経歴を持つ漫画家・竜田一人氏の映画感想。 

漫画家・竜田一人氏


「本作のリアリティに太鼓判を押す」と紹介される竜田氏の一文は、吉田の手紙の一節と符号するものである。 



「普通の人達の映画」が突きつけたメッセージの重さを私たちは共有し、その問題意識を目的意識に変換させていかねばならないだろう。 

 原発内の免震重要棟 吉田所長らはこの部屋で対応を迫られた(2011年4月撮影)「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より

  政府の事故調査・検証委員会の中間報告「原発事故10年 事故はなぜ深刻化したのか(2)情報の共有は」より




何より、私自身の行動変容が問われているのだ。


 

 

4  最悪の事態に対して、アップデートできない我が国の現実

 

 

 

北海道南西沖地震(1993年7月12日)


ここで私は、日本人の自然観について言及したい。

 

以下、些か長いが、「時代の風景」での拙稿・「『自然災害多発国・日本』 ―― 『降伏と祈念』という、日本人の自然観の本質が揺らぎ始めている」からの引用。

 

【日本が「自然災害の多い国」という認識を持っていない人は少ないだろう。

 

台風・大雨・大雪・洪水・土砂災害・地震・津波・火山噴火などに及ぶ自然災害を、繰り返し被弾し続け、時には恨み、怒りを噴き上げるが、多くの場合、「どうしようもない」、「手に負えない」と嘆息(たんそく)し、諦念(ていねん)する。 

2018年西日本豪雨/浸水後に出された災害ゴミ(ウィキ)

市街地の洪水(ウィキ)
令和3年7月伊豆山土砂災害/熱海土石流1カ月、犠牲者悼む なお5人不明(日経新聞)

令和3年7月伊豆山土砂災害


【土石流の土砂の大半が発生地点付近に人為的に作られた盛り土である可能性が高く、人災とも言われる。自然災害の脅威に対して、相変わらず無頓着ではないのか】


自然の猛威に太刀打ちできず、無力感にため息をつき、存分に悲しんだ後、諦念してしまう。

 

諦めなければ、日常生活を繋げないのだ。

 

だから、忘れる。

 

上手に忘れる。

 

「辛いのは、自分だけでない」

 

そう、言い聞かせて忘れるのだ。

 

その代わり、年中行事として残す。

 

全国の神社で執り行われる日本の年中行事の多くが、厄除けの神事(節分祭)を含め、「豊作祈願」(注)と、「宮中祭祀」の「新嘗祭」(にいなめさい)に象徴される「収穫を感謝する祭り」に収斂されるということ ―― これが、何より至要(しよう)たる事実である。 

新嘗祭・宮中と全国の神社で行われる「収穫祭」(イメージ画像)

新嘗祭・宮中と全国の神社で行われる「収穫祭」(イメージ画像)


従って、国家と国民の安寧・繁栄を天皇が祈願する「宮中祭祀」もまた、この文脈で理解することが可能である。

 

日本人が年中行事として残す行為それ自身が、自然に対する畏敬(いけい)の念の表現であり、罷(まか)り間違っても、「人間が自然を支配する」という発想など、起こりようがない。

 

このことは、「環境倫理学」の論争テーマになっている、自然環境を保護・管理するという人間中心の「保全主義」よりも、自然環境をそのままの状態で保持するという、自然中心の「保存主義」が、なお、我が国で影響力を有するのは、以上の言及で判然とするだろう。 



自然に対する畏敬の念を保持しつつ、年中行事を繋いでいっても、私たちは、「津波が来たら、各自てんでんばらばらに高台へと逃げろ」という「津波てんでんこ」のように、三陸地方で昔から言い伝えられていた自然災害の教訓を、得てして忘れてしまうのである。 

「津波てんでんこ」の教えに従い、小学生を誘導しながら避難する中学生(岩手県釜石市)

綾里駅前の「津波てんでんこ碑」。毎年3月11日午後2時46分に、右下の「忘れない」の文字に日時計の影が差す=岩手県大船渡市で


「天災は忘れた頃にやってくる」

 

だから、この名言が、私たちの国に存在する。

 

―― ここで、否が応でも想起せざるを得ないのは、台風19号(2019・10)による堤防決壊によって、濁流が凄まじい勢いで住宅を襲った、千曲川氾濫の際の住民の避難行動の遅れである。 

千曲川決壊・決壊地点の長野市穂保を北側から撮影(日経)


気象庁が大雨特別警報を発令し、最高レベルの5段階の「警戒レベル」を設定したにも拘らず、逃げ遅れた住民の多くが、「2階に逃げれば大丈夫」などと気楽に考えていたこと。

 

これは大きかった。

 

だから、対応が後手後手(ごてごて)に回ってしまった。

 

事態の異様さを目の当たりにして、「冷静に考えれば早く避難すべきだった」と口を揃えるが、避難しなかった人が続出し、多くの犠牲者を出してしまったのである。 

「大雨特別警報はもっと早く出さなければ意味がない」


「忘れた頃にやってくる」天災に対する日本人の観念傾向が「恨み」を超え、無常観に大きく振れて、「諦めの心理」に捕捉されてしまうのは是非もないのか。

 

この無常観が、「日本人の自然観」の根柢にあるのか。

 

「普段は慈母のように優しく、時には厳父のような自然との共生の結果、荒ぶる神を畏怖する姿勢と、和御魂(にきみたま)には甘える心がともに培(つちか)われ、マナイズム(超自然的呪力を基礎観念)とアニミズム(万物に霊が宿るという考え方)との共存を許す、矛盾にも寛大な精神的風土が生まれた」

 

人文地理学者・西川治(にしかわおさむ)の指摘である。

 

柔和な徳を備えた「和御魂」(にきみたま)⇔荒ぶる魂=「荒魂」(あらたま)との矛盾と共生することで、自然に対する「畏怖」と「甘え」の感情が形成されてきたと言うのである。

 

自然に対する「畏怖」と「甘え」。

 

これは、日本人の自然観を的確に把握した表現である。

 

私流の解釈をすれば、「畏怖」とは、「荒ぶる魂」を以(も)ってしても勝てない超自然的呪力への全面降伏であり、「甘え」とは、「和御魂」を以て(もって)年中行事で祈念する、災厄免訴への懇望(こんもう)である。

 

「降伏と祈念」 ―― これが日本人の自然観の本質であると、私は考えている】 

和御魂

荒魂


日本人は「降伏と祈念」という自然観を有しているから、雲仙・普賢岳の大火砕流から30年も経っているにも拘らず、わが国には、火山対策に対する司令塔が存在しないのか。 

雲仙・普賢岳大火砕流から30年 火山防災の進歩、限界も | 毎日新聞


「日本は100を超す活火山がある世界有数の火山大国だが、火山の監視や調査研究は公的機関や大学が個々に担う。人材やノウハウが分散する現状は、国立の機関が司令塔となって噴火予測や防災対策に当たる米欧などとは対照的だ。集約した情報に基づき適切な避難に結びつける組織の設置が急務となっている」(日経新聞「雲仙・普賢岳大火砕流30年 司令塔なき火山対策」より)

 



「海外の火山大国には、平時の調査から危機時の監視までを一元管理する国立の研究機関がある」(同上)が、火山大国で司令塔が存在しないのは日本のみであるという現実が突きつける重さに、慨歎(がいたん)する。

 

これが、最悪の事態に対して、アップデートできない我が国の現実なのである。

 

 

 

5  長期戦に突入している福島第1原発の廃炉作業の現状

 

 

 

上半分が解体・除去された1、2号機共用排気筒(東京電力福島第1原子力発電所、東京電力ホールディングス提供)


福島第1原発の廃炉作業は今、信じ難き長期戦に突入している。

「原発事故10年 福島第一原発 各号機の現状は」より

 

                   1号機の電源室(2012年9月撮影)「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より

                     1号機の中央制御室(2011年3月24日撮影)「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より


格納容器内の放射性ガスを放出するという、世界初の「ベント」の実施によって、排気筒の汚染は酷(ひど)くなり、それを敷地外に運び出すことはできないので、視界に入る大半が放射性廃棄物と化している。

 

その総量が、780万トン以上に達するとの試算がある。

 

この膨大な放射性廃棄物は、通常の廃炉作業で発生する量の15倍に相当すると言われている。 



しかし、30年以上の時間を要する廃炉作業が終了しても、貯蔵された放射性廃棄物の処分の基準が決まっているにも拘らず、その受け入れ先の問題など、未だ不分明なのだ。

 

何より、福島第一原発の廃炉が厄介なのは、原子炉内の核燃料が溶融し、冷えて固まってしまった「燃料デブリ」の取り出しの問題である。 

「燃料デブリ」とみられる堆積物


新型コロナウイルスの影響で、その開始が1年ほど延期になったが、その廃炉の工程表は3つの期間に分けている。

 

使用済み燃料プールから、核燃料の取り出しを始めるまでの第1期は、福島第一原発4号機における作業の開始によって終了し、10年以内を目標にした第2期に入る。 

「原発事故10年 福島第一原発 各号機の現状は」より

  写真の中央下が4号機 建物の上部が激しく壊れている(2011年3月16日撮影)「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より



その後の第3期は、「燃料デブリ」を取り出し、汚染した建屋を解体するなど、全ての廃炉作業が終了するまで。

 

この第2期に当たる現在は、「燃料デブリ」の取り出しという、廃炉の最大の難関に突入しているのだ。

 

原子炉やそれを覆っている格納容器の下部に貯留されていて、強い放射線を出す「燃料デブリ」は、放射線の含有量が異なる放射性廃棄物と分別(検知・仕分け)する必要があるので、この作業もまた難儀になる。

 

そして現在、推定880トンにも及ぶ「燃料デブリ」の取り出しの開始は、見通しが立たない状況となっているのだ。

 

この作業を「遠隔操作」で行う必要があり、且つ、事故で損傷した格納容器の修理が難しいことなどから、空気中で取り出す「気中工法」と呼ばれる方法を軸に進めるとしている。 


そのためには、放射性物質の飛散対策として、周辺住民の帰還の進捗を考慮し、安全性を担保せねばならない。

 

加えて、原子力規制委員会の事故調査(2019年)によって、2号機と3号機の建屋上部に、高濃度の放射性物質がなお付着している可能性が報告され、全量の取り出しの問題=廃炉作業のハードルの高さと化し、その工程の実施の困難さを炙り出している。 

「原発事故10年 福島第一原発 各号機の現状は」より


「原発事故10年 福島第一原発 各号機の現状は」より

 水素爆発が起きて2日後の3号機(2011年3月16日撮影)「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より



2022年中の「燃料デブリ」の取り出し開始(調査が最も進んでいる2号機から、英国で開発中のロボットを使用する着手する計画)を発表した東京電力だが、廃炉のエンドステート(最終形)の設定に関する議論が進まないのだ。

 

だから、国・東京電力が廃炉の難しさを国民と広く共有することができないでいるばかりか、映画で提示されたような世界最悪レベルとなった事故に対する理解について、日本国民もまた、無関心な様相が見受けられる。

 

3つの原子炉が同時にメルトダウン(核燃料が溶け落ちる)を起こした、福島第一原子力発電所の事故に対する収束に終わりが見えないのだ。

 

事実上、除染の不徹底さを含め、100年スパンでの取り組みとなっている「燃料デブリ」の取り出しの深刻さに象徴される、次々と発覚する、新たな難しさに直面する現場。

 

且つ、「福島差別」にも終わりが見えない。

 

福島差別

原発事故6年、住民アンケート


これが現状なのである。

                     事故前の東京電力福島第一原子力発電所「東電福島第一原発事故とは <事故の概要>」より

        福島第一原子力発電所事故/左から4号機→3号機→2号機→1号機(2011年3月16日撮影・ウィキ)



【地震と津波によるステーション・ブラック・アウト(SBO)によって原子炉冷却機能を失い、「原子炉スクラム」(原子炉の緊急停止)の状態に陥った。何より、1・2・3号機ともにメルトダウンが発生し、溶融燃料の一部が格納容器に漏れ出していたこと(メルトスルー)が惹起する。そして、14号機のオペレーションフロア(原子炉建屋の 最上階)で水素爆発が発生し、大量に放射性物質を放出し、先例のない原発事故となった】 
 


【参照資料】
 

原発事故10年残り30年で廃炉の作業を終えることができるのか」 「福島第1原発、廃炉に待ち受ける廃棄物との超長期戦」 「廃炉技術研究 基礎・基盤研究の全体マップ デブリ-201」 「2号機はなぜ過酷事故に至ったか」 「MOVIE WALKER PRESS」 「雲仙・普賢岳大火砕流30年 司令塔なき火山対策」 「時代の風景・「自然災害多発国・日本」 ―― 「降伏と祈念」という、日本人の自然観の本質が揺らぎ始めている

 

(2021年8月)







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