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2020年12月18日金曜日

ひつじ村の兄弟(‘15)    グリームル・ハゥコーナルソン

 

命を懸けて、猛吹雪の高山に羊の群れを運ぶ兄弟


<人間と羊の血統の絶滅が、併存する空間の渦中で同時に具現する>

 

 

1  持てる力の全てを出し切った男の震え声が、残響音となって、虚空に消えていく

 

 

 

「“氷河と火山の環境で生き抜いてきた羊ほど、この国で大きな役割を果たす存在はいない。何が起ころうとも、辛抱強く体の丈夫な羊は、1000年もの間、人類の救い手として友であった。一年を通して、喜びや厄介事をもたらしつつ、羊は放火の仕事と生活に深く結びついている。我らの羊が健(すこ)やかなる時、前途は明るく、羊の数が減っていく時、眠れぬ夜が続いた”」 


これは、羊の品評会の審査の結果発表前に、アイスランドが世界有数の羊大国であることを誇る主催者(地区の長老)の挨拶である。 

羊の品評会の審査

この品評会で優勝を競ったのは、互いに独身で、隣居する兄キディーと弟グミー。 

キディー

グミー

そして、僅差で優勝したのは、スプロティという名の、キディーが育てた愛羊だった。 

優勝したキディー(左はグミー)

2位はギミーの愛羊ガルプル。 


「勝敗を分けたのは背中の筋肉の厚さでした。この羊は同じ血統です」と主催者。 


勝ち誇る兄と、落胆する弟。 


両者間に一言の会話もない。

 

兄弟でありながら、40年間も口を利いていないのだ。

 

異変が起こったのは、その直後だった。

 

「キディーの羊が病気にかかってると思う」

 

牧羊仲間に相談するグミーの言葉である。


 

キディーの羊とはスプロティのこと。

 

「何の病気だ?」

スクレイピー

「昨夜調べたてみたら、それらしい症状があった」

「病気にかかっていたら、獣医のカトリンが気づいただろう」

 

【獣医のカトリンでさえも気づかなかったスクレイピーを、グミーだけが気づいたということ。これは看過できない事態だろう】

 

グミーは自分で話せないので、仲間に検査の手配を頼んだのだった。

 

「もしスクレイピーだと判明したら、我々の羊も殺処分になるかも知れない」

 

逸(いち)早く、伝染病の検査にスプロティが連れて行かれたが、その夜、言いがかりをつけられたキディーは、いきなりグミーの寝室に銃丸をぶちこんだ。 

スプロティを連れて行かれたキディーの怒りが炸裂している

それを見るグミー

「お前のデッチ上げだ!この負け犬め!」 


銃を撃ち込まれるグミー

そう叫びながら、更に銃を撃ち込んでくる。

 

キディーは自分の羊が優勝したことに対する、グミーの妬みだと決め込んでいるのだ。 

銃を撃ち込まれた窓ガラスを見るグミー

グミーは割られた窓ガラス2枚の請求書を牧羊犬に咥(くわ)えさせ、キディーに届けるが、完全に無視される。 

牧羊犬に手紙を咥えさせるグミー

それを読むキディー

数日後、獣医のカトリンがグミーの家を訪れ、スプロティはクレイピーに罹患していると説明する。


獣医のカトリン

かくて、グミーの羊も検査されることになった。

 

「バルダルダールル(バルダルダルル)で、春のスクレイピー症例を確認。感染したのは大人の雄羊で、現在、近隣の飼育場でも検査が行われています。殺処分についてはまだ未定です。19世紀末、英国種の羊と共に、アイスランドに上陸したと言われるこの病気は、羊の脳と脊髄を侵し、治癒することはありません」

 

スクレイピーの症状と殺処分の是非について、ラジオのニュースを聴くグミー。 


懊悩するグミー

牧羊家の集会で、他の2か所の飼育場でもスクレイピーが見つかり、村の全ての羊の殺処分の決定が告げられた。 


そこに参加するキディーとグミー。

 

グミーは暗鬱な表情を浮かべるばかり。 


「わしらも殺せばいい…この村で羊のいない生活を考えられるか?」

 

キディーはそう言い放ち、殺処分を断固拒絶する姿勢を示した。 



「2年間の我慢だ」


「獣医たちの好き勝手にさせてたまるか」

 

殺処分を巡って参加者の間で意見が飛び交い、それぞれの立場の違いが顕在化する。

 

「今こそ、我々が一致団結して行動するときだ。これは全員にとって痛手だし、つらい気持ちもよく分かる。だが、もう決定事項だ。変更されることはない」 


この地区の長老の発言で、最早、参加者全員が殺処分は不可避であるという現実を認識させられるに至る。

 

グミーはカトリンからの電話を受け、羊たちは生まれた場所で埋葬すると告げるのだ。 


号泣しながら羊たちを銃殺するグミー。 

殺処分するグミーの表情

屋外で発砲音がするので、グミーが窓から覗くと、キディーが保健所の職員に押さえられ、最後の抵抗をしていた。


その様子を望遠鏡で見るグミー

以下、カトリンと職員たちがグミーの飼育場を訪れた際の会話。

 

「なぜ、あなたが?」

「自分の手で死なせたかった」


「これで全部?」

「147匹」

「勝手に殺処分しないで。伝染病を根絶したいなら、規則を守らなきゃ」 


行政の担当者から、処分した羊の損失補填について説明を受けるグミー。

 

「お金は2年間の分割支給で、その後、新たに羊のご購入を」 


カトリンがやって来て、飼育場の床にある物、使用した道具、干し草など、全て焼却処分するように指示される。 


グミーが飼育場で作業をしていると、キディーが入って来て、いきなり後ろから羽交い絞めにされ、押し潰される。

 

「お前のせいで、ここの貴重な羊の血統が全滅だ!今年は最悪の冬になるぞ。羊はいない。わしら2人だけだ。お前の望み通りだな」 


ところがグミーは、重大な規則違反を犯していた。

 

全ての羊を処分せず、地下で数匹育てていたのである。

 

雄羊(おひつじ)ガルプルと、数匹の雌羊(めひつじ)である。

 

交尾のためである。

 

クリスマスの夜、グミーはガルプルと雌羊と交尾させ、成就した。 

ガルプル(右)

屋外で倒れているキディーを見つけた保健所の職員が、グミーに助けを求めて訪ねて来たのは、ちょうどその頃だった。

 

グミーは酩酊状態のキディーを屋内に入れ、手当てをする。 

キディーの手当てをするグミー(右)と保健所の職員

翌日、目を覚ましたキディーは黙って出て行くばかり。

 

相変わらず、口を利かない兄弟が、そこにいる。

 

今や、牧羊仲間の間では、廃業すると言う者も出てきた。 


そんな中、一向に飼育場の清掃に協力しない厄介なキディーの問題で、グミーの家に行政担当者が相談に訪れた。

 

この状態が長引けば、村に羊を搬入できないと言うのだ。

 

「登記を調べたら、お兄様が使用している土地は、全てあなたの名義でした…理由は?」


「父が兄の相続を望まなくて、私が兄に古い飼育場を貸すと、生前の母に約束したんです」


「ならば、お兄様の過失は、あなたの責任になりますよ」

「どうなります?」

「法廷争いになれば、訴えられるのはあなたです。ご兄弟で解決されるのが得策です」 


グミーは早速、キディーに手紙を書き、再び牧羊犬に届けさせた。

 

いつものように、酩酊状態のキディーが怒鳴りながら、グミーの家の前にやって来た。

 

「わしの保護者にでもなったつもりか!」


 

翌朝、グミーが外に出ると、キディーは雪の中で仰向けに倒れていた。 


グミーは除雪車でキディーを持ち上げ、そのまま町へ運び、病院の前で降ろして、置き去りにしたまま引き返した。 


帰宅後、行政担当者の思いを受け止めたグミーは、キディーの飼育場を無断で清掃する。 

キディーの飼育場を清掃するグミー

まもなく、キディーが車で送られ、帰宅して来た。

 

グミーの家にやって来たキディーが、地下室の羊の秘密を知ったのは、その直後だった。


 

キディーに目撃されたと知るや、グミーは家に戻り、銃を手にして待機する。

 

ガルプルを絶対に守るという、一心の行動である。

 

ところが、キディーの行動は決定的に反転する。

 

この村の羊の血統が守られることを歓迎するのだ。

 

そんな折、保健所の職員がトイレを借りに、キディーの家に入って来た。

 

予測困難な事態が惹起したのは、この時だった。

 

地下室の羊たちが暴れ、その音を聞いた職員は黙って帰って行ったが、グミーは急いで羊たちをキディーの家に移動させた。 

帰って行く職員を見るグミー


「キディー、助けてくれ。獣医たちが来る」


「中に入れよう」
 


兄弟が協力して羊たちを匿うや、グミーは家に戻り、地下室を片付ける。

 

そこにカトリンを中心に獣医たちがやって来て、地下室を遍(あまね)く捜索する。 


羊の捜索が始まって、ほどなく職員に発見されるが、キディーがスコップで職員の頭を打ち、気絶させてしまう。 

保健所の職員に発見される

キディーとグミーは4輪バギーに乗り込み、羊たちを山へ誘導させていくのだ。


 

猛烈な吹雪の中、バギーが故障してしまい、真っ暗な山の上で羊たちを見失ってしまった。

 

薄っすら夜が明け、ガルプルを探し求めて力尽きたグミーは、雪の斜面に横たわっていた。 

横たわっているグミーを発見するキディー

キディーは急いで穴を掘ってグミーを運び入れ、服を脱がし、自らも裸になって、動かなくなったグミーを固く抱き締め、心血を注いで体を温めていく。 

穴を掘ってグミーを運び入れるキディー

「もう大丈夫だからな」

 

極限状態に捕捉されたキディーの声である。


 

持てる力の全てを出し切ったキディーの震え声が、残響音となって、虚空に消えていった。

 

ラストカットである。

 

 

2   人間と羊の血統の絶滅が、併存する空間の渦中で同時に具現する 

 

 

この映画の本質についてのみ言及していきたい。

 

結論から書いていく。

 

既に高齢になっていて、共に家庭を持たず、生涯独身の牧羊家、即ち、キディーとグミーの血統がこの二人によって絶えることになった。 

兄弟の住む家

兄弟の住む村・バルダルダールル

兄弟の血統が途絶える運命を負った二人にとって、貴重な血統を繋ぐ羊の存在は彼らの分身であると言っていい。 

グミー

キディー

分身であるからこそ、その血統を途絶えさせるわけにはいかない。

 

しかし、羊の脳と脊髄を侵し、治癒不可能なスクレイピーに罹患した。

 

スクレイピーの罹患は、兄弟の分身たちが殺処分になるという由々しき事態の招来を意味する。 

殺処分するグミー

「ここの貴重な羊の血統が全滅だ!」 


このキディーの言葉に凝縮される暗喩 ―― それは、兄弟の血統が途絶える運命をトレースするということである。

 

分身たちの殺処分は、兄弟の血統の途絶という避けがたい現象を、併存する空間の渦中で追体験させられる事態と同義になる。

 

無論、この現象は、兄弟の内的行程の中で無意識裡に漂動している。

 

それでも、身体が漠然と感じるレベルの「フェルトセンス」(イメージに結ばれない微妙な感覚)が、兄弟の心奥に澱んでいた。

 

だから、動く。

 

グミーが動く。

 

雄羊ガルプルと数匹の雌羊を殺処分せず、生き残したばかりか、交尾させ、分娩させたグミーの犯罪的行為は、以上の考察抜きに、単に「愛情を注いで育てた羊を殺せない」という感情のみで説明できないのだ。 

雄羊ガルプルと数匹の雌羊を残して殺処分するグミー

そして、キディーも動く。

 

「雄羊はいるか?」とキディー。

「いたら何だ」とグミー。


「ここの血統の最後の生き残りだ。やり直せる」


「ふざけるな。あれは私の羊だ。近づくな」
 


本作の中でインサートされた兄弟の初めての会話で判然とするように、キディーにとっても、バルダルダ―ルルの羊の血統が守られることが全てだった。

 

かくて、ここから、会話を捨てた兄弟の命を懸けた闘いが開かれていく。 


殺処分を拒絶した兄弟の犯罪行為は、どこまでも、バルダルダ―ルルの伝統ある固有種の羊の血統を死守する戦争だった。 

羊を逃がすグミー

羊を山に運んでいく兄弟

補償金がどれほど支払われようと、それは、殺処分で喪った羊の血統の絶滅と等価可能な何かではないのだ。 

「ガルプル・命」で動くグミー

だから、猛吹雪の只中の登山を敢行する。 


その結果、ガルプルを見失ったグミーが凍死の危険に晒された。 


グミーの命の危険を目の当たりにしたキディーが選択した思いも寄らない行動が、ラストカットとなっていく壮絶な物語が括られるのだ。

 

兄弟が同化したのである。

 

その血統が途絶える運命を負う兄弟が同化したのである。 

ラストカット

早晩、殺処分される兄弟の分身たち。

 

その運命を認知する兄弟それ自身も、凍死の運命を免れないだろう。

 

人間と羊の血統の絶滅が、併存する空間の渦中で同時に具現されるのだ。

 

この壮絶な物語が、観る者に鏤刻(るこく)した表象は多様であるに違いないが、少なくとも、これが私の批評の視座である。 

グリームル・ハゥコーナルソン監督

(2020年12月)

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