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2020年1月26日日曜日

スポットライト 世紀のスクープ('15)   トム・マッカーシー


左からロビー(チームのリーダー)、マーティ・バロン編集局長、マイク、サーシャ、ベン部長、マット

<ジャーナリズムの役割とは何か ―― 「記事にしない場合の責任」を衝く大傑作>



1  「カトリック教会の性的虐待事件」の真実を剔抉した、緊張感漲る真摯な映像





ニューヨーク・タイムズ社の傘下に入った「ボストン・グローブ」社。

150年の歴史を持ち、ボストンで最大の部数を発行する日刊紙である。

ボストン・グローブの本社ビルの入り口
ボストン・グローブ社
米紙ボストン・グローブは先週(2018・8)、メディアの一致団結を訴える声明を発表した
ボストン・レッドソックスの本拠地である「フェンウェイ・パーク」(ウィキ)
ボストンのダウンタウン(ウィキ)

2013年に、この「ボストン・グローブ」が、親会社のニューヨーク・タイムズの経営方針によって、MLBの名門であるボストン・レッドソックスのオーナーに売却することが発表されたが、センセーショナルな報道内容で、2003年にピューリッツァー賞の公益報道部門を受賞した功績は、今でも変わらぬジャーナリズム精神で、ボストン市民に読まれ続けている事実によって検証されるだろう。

ピューリッツァー賞の公益報道部門を受賞した「ボストン・グローブ」のスタッフ。(右から)「スポットライト」のアカデミー賞受賞を祝うボストン・グローブのマイケル・レゼンデス氏、ウォルター・ロビンソン氏、サーシャ・プファイファー氏

ピューリッツァー賞を受賞した報道の内実は、ただ一点。

常に現在的テーマになっている、「カトリック教会の性的虐待事件」の真実を剔抉(てっけつ)したこと。

思うに、このテーマは、ボストンでは禁忌だった。

マサチューセッツ州ボストンには、1840年代後半に惹起した「アイルランド・ジャガイモ飢饉」で、アメリカに移民して来たアイルランド系と、その後のイタリア系移民が多く、当然、その宗教的風土はローマ・カトリックが主流を占める。

「ジャガイモ飢饉」を引き起こしたジャガイモ疫病(ウィキ)
移民として旅立つ者を見送る人々(ウィキ)

カトリックの人口比が、全米平均で約20%に過ぎないにも拘らず、ボストンの場合、その人口比が約50%と言われている。

更にボストンは、13植民地(アメリカ大陸のイギリス植民地で自治を実行)の中で、植民に成功したバージニア植民地(1607年設立)と共に、「プリマス植民地」(1620年設立)をルーツに持ち、アメリカ合衆国で最も古いエリアであるニューイングランドにあって、「ニューイングランドの首都」と称されるほど、アメリカ合衆国北東部の6州(北から南へメイン州、ニューハンプシャー州、バーモント州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州)の中枢都市である。

ニューイングランド(ウィキ)

治安も良く、米国内でも最も安全な都市の一つとされる歴史的な地域で、あってはならない犯罪が惹起した。

「神の代理人」である神父による児童虐待事件の発覚である。

それを報道する「ボストン・グローブ」。

その衝撃は、多くのボストン市民の心を痛めた。

しかし、その報道は見紛(みまが)うことのない事実だった。

それでも、ボストン市民は「ボストン・グローブ」を読むことを止めない。

信頼されているのだ。

新任の編集局長がゲーガン事件を手掛けると聞き、驚くマイクとロビー(右)

以下、「ボストン・グローブ」の「スポットライト」のチームによって暴き出された実話を、緊張感漲(みなぎ)る真摯な映像をフォローしながら再現していきたい。
カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきたスキャンダル。1000人以上が被害を受けたとされるその罪は、なぜ長年にわたって黙殺されてきたのか

精鋭スタッフの職場(奥はリーダーのロビーの部屋)




2  「標的は同じタイプの子供。貧困、父親不在、家庭崩壊。ゲーガンは、好みの子というより、羞恥心が強く、寡黙な子を選んだ。奴らは捕食者なんだ」





他のメディアも逡巡(しゅんじゅん)する途轍(とてつ)もなく厄介なテーマを、座視(ざし)してはならない社会的問題として報道した誠実さは、覚悟・勇気と、巨大権力に押し潰されない胆力が心理的推進力となり、ジャーナリズムの金字塔にまで昇華し得るほどの達成を具現化する。

一切は、一人の男を新編集局長として迎えたことから開かれる。

男の名はマーティ・バロン。

親会社であるニューヨーク・タイムズからの出向である。

穏やかだが、気骨ある人物マーティ・バロン新編集局長
拘束中のゲーガン神父
ロウ枢機卿(ボストンのカトリック教会を仕切る聖職者)に、マーティ・バロンが赴任の挨拶に行った時の画像

ローマ・カトリックとは無縁なユダヤ人のマーティ・バロンは、ボストン・グローブの人気のコラム・「スポットライト」を手掛けて、政治・社会問題に切り込み、鋭い批評を行ってきた記者たちに、ゲーガン事件の取材を要請し、それを連載記事にすることを決定した。

かくて、少数精鋭の「スポットライト」は進行中の調査を中断し、チームビルディング(仲間が主体的に連携しながら、ゴールを目指すこと)と化し、巨大権力に対峙し、苛酷な取材を繋いでいくのだ。

2001年のことである。

「スポットライト」のチームは4人。

ベン部長の下、リーダーのロビー、マット(データ分析担当)、マイク(取材担当)、サーシャ(取材担当)の4人である。
「虐待神父」についての「ボストン・グローブ」の過去の記事を確かめるロビー、サーシャ、マット
「信仰は特別なのです」
それを聞くサーシャ(敬虔な祖母の影響で、信仰心が厚い)

この「スポットライト」のチームは、突として衝撃を受ける。

聖職者による虐待被害者ネットワーク(SNAP)。

その代表であるフィル・サヴィアノが、「ボストングローブ」に資料を抱えて訪問した。

そこで、サヴィアノは、虐待被害の現実について赤裸々に語っていく。


性的虐待を受けた子供時代の写真を見せるサヴィアノ

「神父は誰でも餌食にする。同性愛でなくても、立場を利用してレイプする。子供なら男でも女でも。11歳の僕(写真を掲げながら)。ウースター(ボストン大都市圏の西端に位置)で、ホーリー神父の餌食に。“祈り(プレイ)”ではなく“餌食(プレイ)”。貧しい家の子には教会は重要で、神父に注目されたら有頂天。自分を特別な存在に感じる。神様に親切にされたと思う。神父の卑猥な冗談を変だと思う。でも秘密を守るために受け入れる。次はポルノ写真を見せられる。どんどん深入りして、フェラチオしろと命令され、黙って従ってしまう。神父に可愛がられて罠にはまるんだ。神様に嫌と言えます?いいですか。これは肉体だけでなく、精神への虐待なんです。神父に虐待されて、信仰さえ奪われてしまう。酒やクスリに手を出したり、飛び降り自殺したり、だから“生存者”なんです…ボストンだけじゃない。国中で世界中で起こってる。黒幕はバチカンだ…ボストンは13人」

サヴィアノ(左)の話を真剣に聞き入るスタッフ
ウースターのダウンタウン(ウィキ)

これまで無視され続けてきたサヴィアノの憤怒の主張が炸裂し、ボストンにいる13人の神父への取材が開かれていく。

まず、マイクは枢機卿に対する被害者の訴訟を手掛けるガラベディアン弁護士に会い、被害者へのコンタクトを取り付ける。

「変人弁護士」ガラベディアンとのコンタクトに苦労するマイク
「話もダメだ。さよなら」と言って、マイクを返すガラベディアン。訴訟を起こし、被害者を守る正義の弁護士ゆえに教会の監視の対象になっている
「大きな記事にできる。被害者に会わせてくれ」と言って、アプローチの連射で、ガラベディアンの説得に成功するマイク


翌日、弁護士の立ち合いのもと、ゲーガン神父から被害を受けた男性の話を聞く。

「車の中で、俺の足を触りだした。奴の手が滑ってきて、俺のペニスを握った。俺はびっくり仰天して、固まってしまった。まだ子供だったから」

実名でいいと言う彼は、「礼はいい。奴らを捕まえろ」と吐き捨てて、退出する。

「彼は幸運な方だ。まだ生きてる」

ガラベディアンの言葉である。

ガラベディアンのこの言葉は、先のサヴィアノが、生き残った虐待被害者を“サバイバー(生存者)”と呼んでいた事実と符号する。

現に、ゲーガン神父から被害を受けた男性の腕にドラッグの注射痕があったことから、殆どが貧しく、家庭崩壊に被弾した児童をターゲットにしている恐るべき事実が判然としていく。

一方、サーシャは、サヴィアノに紹介された被害者ジョーとカフェで会い、直接、彼の話を聞く。

「体が気持ちよくなるぞって、神父が服を脱ぎ捨て、“私のペニスをなめて、元気にしてくれ”と」

サーシャと被害者ジョー

ゲイである彼は、自分を認めてくれた神父に逆らえず、性交に及んだ忌まわしい過去を想起し、混乱を極める。

「今はようやく立ち直った。でも、やっぱり無理だ」

そう言って、泣き出してしまうのだ。


そしてマイクが、慈善女子修道会のシートン精神療養所で、1965年から5年間、勤務していたという心理療法士サイプから得た情報は、ショッキングな内容に満ちていた。

サイプは言う。

サイプからの電話を受けるマイク

「その後30年、性的虐待の神父と被害者の研究をしている。教会は悪い神父は数人だと思わせたがってるが、もっと大きな問題だ。研究の結果、明らかに精神医学的現象と言える」

そのサイプの言葉をメモに取ったマイクは、リーダーのロビーに、その内容を話していく。

「標的は同じタイプの子供。貧困、父親不在、家庭崩壊。ゲーガンは、好みの子というより、羞恥心が強く、寡黙な子を選んだ。奴らは捕食者なんだ。60年代に、療養所で十数人も診た。“現象”だと。サイプは公表したが、教会に潰された。有名司祭達が、彼を中傷する運動を。サヴィアノやガラベディアンにも」

いよいよ、教会の闇の深さが白日の下に晒されていく。

地下書庫で、大教区年鑑を調べるマット。

大教区年鑑を調べるマット
「ゲーガンは羞恥心が強く、寡黙な子を選んだ」とマイク、ロビー(右)
マットの説明を受け、大教区年鑑を調べるマイクとロビー

この成果は、日を経ずして実を結ぶ。

「病気休暇」・「休職中」・「出向不能」・「緊急対応」など。

これらの用語は、「虐待神父」の記号なのだ。

「虐待神父」の転属が早い理由が、ここにある。

「普通の神父は同じ教区に7、8年。奴らは長くて3年。13人もの神父にも、このパターンが当てはまる」

データ分析を担当するマットの分析結果である。

一方、サーシャは著名な弁護士マクリーシュに再度、面会する。

マクリーシュ弁護士に取材するロビーとサーシャ
マクリーシュ

「虐待神父」について質問するサーシャに対して、マクリーシュは、示談に持ち込んだ案件の守秘義務を根拠に回答を拒む。

「被害者の多くは虐待を認めてもらいたいだけ。司教に会って示談金をもらえれば満足した」

マクリーシュの身も蓋(ふた)もない返答である。

裁判所に記録が残っていないのは、裁判所を通さず、催告書(催促書面)を作成し、それを大司教区に送り、教会と直接交渉した結果であるということ。

マクリーシュ弁護士による示談交渉について話し合うスタッフ

【左からサーシャ(被害者に寄り添う度胸満点の女性記者)、マイク(街を懸け走る熱血記者)、マット(聖職者の名簿から法則性を発見する有能記者)、ロビー(自らの誤りを認められる、リーダーシップ満点の記者)、ベン】
「示談で秘密保持契約を。彼に弁護料の3分の1が」と言って、マクリーシュを批判するサーシャ
「彼なら示談金をつり上げたろう。クソ!」とベン部長

サイプから電話が入ったのは、この直後だった。

サイプからの電話を受けるサーシャ、ロビー、マイク

「この危機の原因は、聖職者の独身制にある。それが私の最初の発見だ。禁欲を守る聖職者はたった50%。今は、ほとんどが性交渉を。だが、教会の秘密主義が小児性愛者を守る結果になる。ルイジアナ事件のあと、法王庁の法官トム・ドイルの報告書に、ペドフィリア(小児性愛)の被害者への賠償金は10億ドルになると。それが85年だ。…私の予想では6%が小児性愛者だ」

サイプからの情報内容を聞き、危機感を持つベン
「これからは逆にいく。“病気休暇”や“休職中”の神父を探す」と話すロビー

この統計から、ボストンの神父1500人のうち、90人が虐待の神父ということになる。

この驚愕(きょうがく)すべきサイプの情報から、マットが辿り着いた法則に該当する神父を、チーム全員で大教区年鑑から洗い出していく。

その数、87人。

サイプの統計数字と一致したのだ。

マットの調査で、ボストンでの「虐待神父」が87人という数字が出て、いよいよ、戦略の転換に踏み込んでいく

ジム(教会側の弁護士)と連絡を取るロビーだが、「手を引け」と言われ、拒絶される

この結果を受け、「スポットライト」チームは神父個人ではなく、このような「虐待神父」を守るシステムに対峙し、調査していくことを確認する。

「ポーター事件と同じで、大騒ぎになるが、何も変えることはできない。組織に焦点を絞ろう。個々の神父じゃなく、熱意と用心深さで、教会の隠蔽システムを暴け。教会が同じ新譜を何度も転属させ、それが上の指示で行わせていることを」

マーティー編集局長の毅然とした言明である。

それは、巨大権力との闘争を意味する。

「スポットライト」チームは、今、ここまでハードルを上げていったのだ。

【因みに、「ポーター事件」とは、1950から60年代に、少なくとも125人の児童への性的虐待を繰り返した「虐待神父」のポーターが、教区内で問題になり、「病気休暇」・「休職中」などの「虐待神父」の記号をトレースするが、被害者が名乗り出たことで、性的虐待の罪で実刑判決を受けた事件である】
教皇ベネディクト16世/児童性的虐待事件への対応で批判を浴びた(ウィキ)
「虐待神父」にインタビューし、「快楽はない」と言われ、妻から追い返されるサーシャ
ガラベディアンから驚くべき情報を聞き、走っていくマイク

ガラベディアンは、かつてゲーガンの虐待を告発して転属させられた神父の再供述を申請する訴訟に、教会側の弁護士が反対訴訟を起こした事に伴い、結果的にボストン・グローブが開示請求している封印された証拠文書が公になっている事をレゼンデス(マイクのラストネーム=苗字)に明かす。レゼンデスは公判の判決を待つ必要が無いとしながらも、教会が文書を隠匿しており、裁判所の記録保管所には無いはずだと説く。レゼンデスは直ちに保管所を訪ね、当該資料を確認するが、全て抜き取られている事を知る





3  「我々の狙いは教会だ。全体像を暴け。でないと、再発は防げない」





「アメリカ同時多発テロ事件」での神父のテレビ放送

「犠牲者に祈りを。負傷者に祈りを。生存者のためにも祈りを。アメリカのためにも祈りを。我々の祈りこそ、我が国の理想を映し出す行為です。神の教えを映し出す行為です。キリスト教徒も、ユダヤ教徒も、イスラム教徒も同じです」

「アメリカ同時多発テロ事件」が発生したのだ。

アメリカ同時多発テロ事件
神父のテレビ放送に見入るマット、ロビー、サーシャ

こんな時、「神の代理人」の言葉が希求されると印象づけるカットが、テレビ画面を通してインサートされる。

編集部はテロ事件の取材に集中し、虐待事件の取材が中断されるのは止むを得ないことだった。

その後、幾許(いくばく)もなくして、「スポットライト」チームは一丸となって動いていく。

ロビーは出身高校を訪ね、一人の神父の虐待の事実を明らかにする。

タルボット神父。

ロビーの出身高校で、ホッケーの監督だった神父である。

この神父に虐待を受けた被害者(同窓生)に取材したロビーは、彼が泣きながら虐待の事実を訴えた事実を、ロビーの同窓生コンリーや、現理事長とボストン大の広報に言明する。

当時、タルボット神父がホッケーの監督だったが故に、当該被害者が犠牲になっただけであり、誰が被害者になっても不思議ではなかったと、ロビーは言い切った。

タルボット神父に性的虐待を受けたケヴィンに当時のことを取材するロビーだが、「妻にも話してない」と言われ、同情のあまり、それ以上何も聞けなかった

当該被害者は運が悪かっただけなのだ。

その「虐待神父」も、いつものように転属するに至る。

その事実を、現理事長とボストン大の広報の間で共有されていること。

この手口は、今や、ローマ・カトリックの世界で構造化されているのだ。

バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山サン・ピエトロ大聖堂(ウィキ)

既に、「ボストン・グローブ」の「スポットライト」チームは、巨大権力が張り巡らす情報網にインボルブされ、囲繞されている。

この危機感の中で、マイクは一つの大きなバリアを突破した。

ヴォルテラ判事に、記録保管所にある文書の入手を依頼したのである。

「君が探している文書は、かなり機密性が高いね」

感情の機微のない判事の返答だった。

「機密は問題ではありません。公になってます」とマイク。
「確かにそうだが、この文書を記事にした場合、責任は誰がとる?」

この判事の返答に、マイクは間髪を容れずに反応した。

「では、記事にしない場合の責任は?」

「記事にしない場合の責任は?」
コピーを入手するマイク

かくて、マイクは持ち出し禁止の資料のコピーを入手する。

走ってタクシーに乗り込み、興奮気味にロビーに電話する。

「枢機卿は昔から知ってた。枢機卿に宛てた手紙がある。ゲーガン神父の教区にいた女性だ。“我が家は敬虔な信者なので、教会を守りたい7人の息子達が強姦された苦しみを味わおうとも。沈黙を守ってきました。2年前は教会を信じましたが、ゲーガン神父はまだ教区にいます”訴えたのに、枢機卿は無視したんだ」

そればかりではない。

また、同じ年の別の手紙では、ジョン・ダーシー司教補が、ゲーガンの虐待行為を無視したロウ枢機卿を糾弾していた事実が判明する。

司教補が教会に反逆したのである。

しかし、マイクの特ダネに対し、ロビーは声高に反駁(はんばく)する。

「我々の狙いは教会だ。全体像を暴け。でないと、再発は防げない」

マイクも声高に反駁するが、情動を炸裂させるだけに終始する。

特ダネに焦るマイクを批判するロビーとの激論を聞き、心を痛めるサーシャ
地団駄を踏みマット

「スポットライト」チーム全体の緊張感が、観る者にひしと伝わってくるシーンである。

「バロンは手柄を立てたいため」と言って、ロビーに忠告する出身高校の理事長

ローマ・カトリックの世界で構造化されている、あってはならない犯罪の再発を防ぐことを信条にするロビーが、決定的に動いていく。

クリスマスの夜だった。

教会側の弁護士である、同級の友人ジムの家を訪ねたのだ。

記事を掲載するには、教会側の確認が必要だからである。

教会側の弁護士ジム・サリヴァン

「虐待神父」70人の名簿をジムに突き付け、言い放つ。

「ここは俺達の町だ。何かあると知りながら、誰も何もしなかった。俺達で終わりに」

傲然(ごうぜん)と言い放つロビーに憤怒するジムは、「出て行ってくれ」と冷たく追い返す。

そのジムが、帰路に就くロビーを追い、「虐待神父」70人の名簿を認めたのは、懊悩するロビーの心情を理解できたからである。

「虐待神父」70人の名簿に丸印をつけ、ジムは虐待の現実を認めた

「何かあると思ってた。だが、お前は?お前は何をしてた?」

ロビーに対するジムの誹議(ひぎ)である。

ロビーの心情を理解できても、これだけは言いたかった。

「俺にも分らない」

ロビーの力のない声が、そこに捨てられた。

初稿の締め切りが刻々と迫っていた。

ロウ枢機卿は、ボストン・グローブの問いかけに対し、きっぱりと拒絶する。

「グローブの質問さえ聞きたくない」

報道官の言辞である。

サーシャは、ロビーが「虐待神父」70人の名簿を確認したことを説明する

その直後、思いがけないことが出来する。

ロビーの痛烈な自己批判である。

ポーター事件の後、93年12月に、マクリーシュが送ってきた20人の「虐待神父」の記事を受け取っていながら、「首都圏の『埋め草』(新聞の余白を埋める短い記事)」に記事を片付けてしまったことを告白したのだ。

ロビーの痛烈な自己批判

「お前は何をしてた?」と問い詰めた、先のジムの誹議がオーバーラップする。

この状況を昇華させたのは、編集局長マーティ・バロンだった。

「私達は毎日、闇の中を手探りで歩いている。そこで光が差して初めて間違った道だと分かる。以前、何があったかは知らないが、君達全員、本当によくやってくれた。この記事は間違いなく、多くの読者に大きな衝撃を与えるだろう。私たちの仕事は、こんな記事を書くことだ。ロウ枢機卿と、信者達が強く反発するだろう。君達には休みが必要だ。当然だ。だが、月曜の朝には出社し、集中して、仕事をしてくれ」

このような編集局長がいたからこそ、その翌日、虐待被害者からの告白の電話が鳴り止まず、世界中で、「虐待神父」の犯罪を白日の下に晒した「スポットライト」チームの、果敢な仕事が成就したと思わせるような見事な括りだった。

「私たちの仕事は、こんな記事を書くことだ」

「2002年、スポットライトは、600本近い虐待の記事を掲載。249人の神父が性的虐待で告発された。被害者の数は、推定1000人以上にのぼる。2002年、ロウ枢機卿はボストン大司教を辞任。ローマにあるカトリック教会最高位の境界に転属した」(ラストキャプション)

【「米カトリック教会の性的虐待事件で服役中の元神父、ジョン・ゲーガン受刑者(67)が23日、収容先の刑務所内で他の受刑者に暴行を受け、死亡した。マサチューセッツ州当局者によると、ゲーガン受刑者はこの日、収容されていた刑務所で、終身刑で収監中のジョセップ・ドゥルース(37)受刑者に首をしめられ死亡した。ゲーガン受刑者はこの日、昼食の直後、ドゥルースに襲われ病院に運ばれたものの間もなく死亡したとされる」(「中央日報」2003・8・24)】

ガラベディアンが保護する性的虐待を受けた二人の子供
二人の子供を見て、心を痛めるマイク

ついでに、「司祭の妻帯(結婚)の可否」について、「結婚(妻帯)可否の正教会・カトリック教会・聖公会対照表」というサイトの文面の一部を引用しておきたい。

【プロテスタントには万人祭司の教理をもとに司祭制度はないため、対照表には司祭制度を持つ正教会・カトリック教会・聖公会についてのみ含まれている。司祭と比較される事が多いプロテスタントにおける教役者である牧師は妻帯が可能。「神父は結婚できない」といった記述が様々な媒体で散見されるが、不十分な説明である。カトリック教会の神父(司祭)は妻帯出来ないが(一部に例外あり)、正教会の神父(司祭)は神品(しんぴん/正教会の聖職)になる前(司祭の前段階である輔祭になる前)であれば結婚でき、その上で結婚生活・家庭生活を営む事は出来る。従って正教会の司祭は、輔祭(ほさい/正教会における神品の職分の一つ)になる前に結婚するかしないかを決心しなければならない】
「歴史放談」よりhttp://rekishihodan.seesaa.net/archives/201103-2.html
系統概略図(ウィキ)

【ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、ピューリタニズム(禁欲的実践主義)の影響力の強い国民国家において、合理的効率性と生産性向上を追求する傾向を労働者自身が持っていることを指摘し、西洋近代の資本主義を発展させた原動力のルーツがカルビニズム(フランス出身のジャン・カルヴァンの思想で、厳格な信仰生活を強調)における宗教倫理的・禁欲主義的な生活合理化であると考えた】





4  ジャーナリズムの役割とは何か ―― 「記事にしない場合の責任」を衝く大傑作





素晴らしい映画だった。

「ヒーローの不在」・「感動狙いの陳腐な描写の不在」・「刺激的BGMの不在」・「個々人の内面世界への侵入的感動譚の不在」・「善悪二元論の建前論の不在」・「自己犠牲的精神主義の不在」等々。

久しぶりに骨太のアメリカ映画を観た。

トム・マッカーシー監督

あっさり終わったラストシーンでは、嗚咽を堪え切れなかった。

アメリカ映画の底力を感じざるを得ない。

批評の余地がないような、気骨のある物語。

この物語の中に、私の言いたいことが詰まっているので、今回の批評は一点に絞って言及したい。

―― メディアの多様化の状況下にあって、時事的問題に関する報道・論評を、公衆に伝達する活動の総称であり、表現・言論活動としてのジャーナリズムの役割。

これが本稿のテーマになる。

狭義に考察すれば、ここで言うジャーナリズムの役割には2点あると、私は考える。

その1  誤報に対する謝罪・修正能力を絶対的に確保し、政治・経済・文化など、あらゆるフィールドを網羅しつつ、「何を報道したか」・「何を報道しなかったか」について不断に自己点検する姿勢を失うことなく、そこに関わる出来事・事実を限りなく正確に伝達すること。

その2  表現・言論活動としての論評・解説・所見・所感、更に、批判精神を抱懐しつつ、「権力の監視」(ウォッチドッグ)という枢要な役割を果たすこと。但し、この役割は前者の機能に背馳(はいち)しないことが要請される。

―― 以上の2点の範疇を逸脱せず、「イエロー・ジャーナリズム」(スキャンダル情報の垂れ流し)に振れることなく、専門性の高い倫理性において、「公共性」と「商業性」を両立させ、表現の自由を具現していくこと。

イエロー・ジャーナリズム

【報道・ジャーナリズムは、その影響力の強さから「第四権力」と呼称されるが、本来的な「権力機構」ではないので、この呼称は筋違いである】

まず、「誤報に対する謝罪・修正能力を絶対的に確保」するという点については、ラストでのロビーの自己批判のシーンのうちに収斂されるだろう。

当然のことながら、ジャーナリストも誤りを犯すということである。

だから、ロビーのように、誤りを認め、それを正していくこと。

個人の誤りと報道総体の誤謬を分ける必要があることを承知で書けば、これが如何に難しいかということは、我が国の報道・ジャーナリズム、更に政府広報のフィールドで、「誤報・謝罪・修正能力」に振れることなく、論点ずらしで、失態を糊塗(こと)するという常套的な手法が蔓延(まんえん)する現象を見ればよく分る。

次に、メディアリテラシーの視座で言えば、今や、「何を報道したか」ではなく、「何を報道しなかったか」というテーマが組織全体の枢要(すうよう)になっていること。

これは、「言論の多様性」と「公正な報道」に大きく関与しているから、看過できない問題である。

例えば、台湾から中国大陸に進出した総合食品メーカー「台湾旺旺集団」(旺旺グループ)の、メディア進出を巡る問題を例に挙げ、以下のように言及している重要な一文がある。

「報道の自主・自立に関してメディア研究者やメディアNGOは、旺旺が中国時報グループの経営権を握った後、系列のメディアで中国を肯定的に取り上げるニュースが急増するなど、報道の客観性・公平性に疑問があることを提起した」(「『言論の多様性』と『公正な報道』には何が必要か」より)

旺旺集団会社案内ビデオ

映画の中でも、このテーマが取り上げられていた。

マイクが判事に、記録保管所にある文書の入手を依頼したシーンが、それである。

「機密は問題ではありません。公になってます」とマイク。
「確かにそうだが、この文書を記事にした場合、責任は誰がとる?」

この判事の返答に、マイクは間髪を容れずに反応した。

「では、記事にしない場合の責任は?」

マイク

ロビーの自己批判に関与するこのシーンこそ、本篇のコアと言っていい。

「何を報道しなかったか」というテーマは、現代メディアの生命線なのである。

そして、「権力の監視」(ウォッチドッグ)の問題。

これは、気骨のある物語を貫流する重大なテーマになっている。

しかも、この映画は、単に「権力の監視」の問題に留まらない。

「組織に焦点を絞ろう。個々の神父じゃなく、教会の隠蔽システムを暴け」

マーティー編集局長の、この毅然とした言明で明らかなように、「スポットライト」チームは、本質的に、「バチカン」をイマジナリー・エネミー(敵対者)とせざるを得ない〈状況〉を作り出してしまったのである。

2015年、アメリカ合衆国議会で演説する教皇フランシスコ(ウィキ)

それは、巨大権力との闘争≒戦争を意味する。

「スポットライト」チームの真摯で誠実な報道姿勢は、必然的に、ここまでハードルを上げていかざるを得なかった。

それを覚悟する少数精鋭の4人のジャーナリストは、もう、後戻りできない。

こんなシーンがあった。

9・11テロで報道が遅れていることの不満を述べるサヴィアノに対し、サーシャは「私は何も諦めていない。私たちは逃げない」ときっぱり言い切った。

サーシャとサヴィアノ
「私は何も諦めていない。私たちは逃げない」

この報道姿勢は、一貫してブレることなく、他の仲間と共有できていた。

これが実話であることの凄み。

奇を衒(てら)ったエピソードをかなぐり捨てて、徹底的にリアリズムで描き切ったのだ。

圧倒された。

【「バチカンとは、『教皇聖座(Holy See)』と『バチカン市国(Vatican City State)』の総称。『教皇聖座』とは、カトリック教徒の総本山、また『教皇の国』を意味し、宗教機関でありながら、国としての側面も持つ(国連を含めた多くの国際機関に「教皇聖座」又は『バチカン市国』として加盟又はオブザーバー参加している)。一方、『バチカン市国』とは、『教皇聖座』に居所を提供している領域としての国家を指す」】(「外務省・バチカン基礎データ」より)

サン・ピエトロ大聖堂の展望台からバチカン庭園の全景を望む(ウィキ)

また、この映画で感動したのは、「不熱心な『証拠固め』の不在」とは無縁であったこと。

例えば、サーシャが、ゲイの被害者の取材の際に繰り返したのは、当該被害者が「いたずら」という言葉を使った時、彼女は相手に正確な状況説明を求めるシーンがある。

「言葉がとても重要なの。“いたずら”では不十分よ。正確に伝えなくちゃ」

被害者取材に対する緻密さを検証するこのシーンは、ジャーナリストの本来的な有りようを物語る、言わずもがなのエピソードだった。

「商業性」については、マイクに象徴されるように、ライバルの日刊新聞ヘラルド紙に抜かれないために、「特ダネ」に強く拘泥する発言が目立ったが、「公共性」との折り合いを考えれば、当然の発想であると言える。

最後に、プロデューサーの一人であるマイケル・シュガーの言葉を引用する。

「この映画は被害者に声を与えました。そして、その声をさらに大きくしてくれるのがアカデミー賞です。バチカンにまで、その声が届くことを期待しています。フランシスコ教皇も子供たちを守って、そして信頼を取り戻すときです」(サイト「夢は洋画をかけ廻る」より)

マイケル・シュガー

これは、「バチカン日刊紙、『スポットライト 世紀のスクープ』の第88回アカデミー賞作品賞受賞を称賛」という興味深い記事を読めば理解できるだろう。

「バチカン初のオフィシャルコメントとして、同作を『説得力がある』 『カトリック教会と対立する立場を取るものではない』と、称賛した」

これが、バチカン市国の日刊紙・「オッセルバトーレ・ロマーノ」の記事(2016年2月29日社説)の一文である。

【[バチカン市 29日 ロイター] - バチカン市国の日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」は29日、今年度の米アカデミー作品賞受賞作「スポットライト 世紀のスクープ」(日本公開4月15日)について、聖職者から性的虐待を受けた被害者の児童の痛みを広く世間に公表したとして、賞賛を寄せた。同紙はローマ法王と教皇庁の活動を主に報じている。  映画は、米ボストン市で起こったカトリック教会神父らによる児童性的虐待の事実を暴くボストン・グローブ紙記者の姿を描いた作品。同紙は、カトリック教会と対峙する立場をとるものではないと評した。また、同紙コラムニストは「教会内のいかに多くの人間が、虐待の行為がもたらす影響ではなく、教会のイメージに固執していたかを明らかにした」と意見を寄せた】 (「バチカン日刊紙、アカデミー賞授賞作『スポットライト』を賞賛」より)

どこまで改革し得るか予測困難だが、「以前の教皇たちによって始められたことの後始末を熱心に進めている」と語ったフランシス教皇に期待する外にないということか。


見守っていきたい。
















(2020年2月)

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