1 出口の見えない時間の只中で、激しく葛藤する男と女
時系列を前後させながら構成された物語は、主人公・宮本浩(以下、宮本)が、中野靖子(以下、靖子)を連れて実家に戻り、唐突に父親に宣言するところから「現在パート」が開かれる。
「僕、この人と結婚するから」
父親の同意を得たものの、母親からは快(こころよ)い反応を得られない。
「母さん。あんたのやり方には納得がいかない」 |
当然のことだった。
警察沙汰になるほどの喧嘩で相手にケガを負わせ、前歯が欠け、自らもギブスをした状態で、何の相談もなく、出し抜けに結婚すると言い放ったばかりか、靖子が妊娠していると知らされた母親は、安易に受容できようがなかった。
実家の2階に布団を敷いた夜の帳(とばり)の中で、嗚咽する宮本。
あの日、靖子に自宅アパートに誘われ、食事をしているところに、靖子の元恋人の風間裕二(以下、風間)が勝手に入り込んで来た。
風間 |
「あたし、あの子と寝たよ」
そう言われ、風間は靖子を殴り飛ばす。
「この女は特別だ。この女は俺が守る!」
身震いしつつも、突として、宮本は本音を吐き出すのだ。
それを耳にした風間は、宮本の耳元で、「女殺し」と言い捨てて去って行く。
「裕二と切れるために、あんたを利用しただけだから。あんたって、便利な男だわ…女だったら、一生に一度くらい、あのセリフ信じたいじゃない。信じちゃ、ダメ?それとも、嘘だったの?」
帰ろうとした宮本は靖子を思い切り抱き締め、二人は結ばれる。
翌朝、昨日の修羅場で死んだ金魚を土に埋めながら、宮本はしみじみ呟く。
「幸せだ。俺、頑張るから」
―― 「現在パート」。
今度は、宮本と靖子は、結婚の報告に靖子の実家を訪ねる。
母親と妹は宮本を気に入るが、父親は結婚を了承したものの、収まりが悪い様子だった。
「東京へ出す時、こういう真似だけはしないって、約束しなかったか?」
娘・靖子への、寡黙に徹した父からの、穏やかな物言いだが、痛烈な一撃だった。
―― 過去パート。
宮本の取引相手の真淵部長との待ち合わせに遅れて来た靖子は、いきなり、初対面の真淵(まぶち)に怒鳴られる。
真淵(左)と大野(右から二人目) |
誠実に謝罪した靖子は宮本と共に、ラグビー仲間の飲み会に参加する。
ラッパ飲みを強いられた宮本は、調子に乗り、酔い潰れてしまうのだ。
二人を送るために、真淵の息子・拓馬(たくま)が呼び出された。
拓馬を呼び出す大野 |
「年上の女、調達してやるよ」
面倒臭(めんどくさ)がる拓馬を、大学の先輩である大野が、そう言い放ち、説得したのだ。
この拓馬は、現役ラグビー部員の巨漢である。
拓馬 |
自宅に送った拓馬は、前後不覚になって就眠する宮本の傍(かたわ)らで、靖子を手籠め(てごめ)にする。
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拓馬(中央) |
レイプされた靖子が、就眠中の宮本の傍らで号泣する |
翌朝、公園にいた靖子を探し、宮本は声をかける。
「あんたはもう、救いようがないよ」
「靖子、何か、怒ってる?」
「別に。呆れてるだけ」
「俺、何かした?」
「何にも。あんたは寝てただけ」
「寝てちゃ、悪いのかよ!」
「悪くないよ。あんたは、何も悪くない…でもね、あんたが死ぬほど憎い!」
「何?」
「犯された…」
靖子の呟きを耳にして、宮本の顔が見る見るうちに変わっていく。
「今更、遅いんだって、そんな顔!あんたは寝ていて、アホずらして寝てたんだから…消えろ!宮本」
宮本の頬から涙が溢れている。
女のアパートの部屋。
男と女の激しい葛藤が、出口の見えない時間の只中で身体化され、「頑張れ!」と叫ぶ男の思いが無残に生き残されていた。
―― 「現在パート」。
靖子の実家近くにある海岸で、稲妻が走っている。
そこで靖子は、歯抜け状態で言葉が抜ける宮本の差し歯治療代として、風間から40万円の借金をしたことを告げるのだ。
「何で、あんな奴に!」
怒号する宮本に対して、靖子は言い切った。
「宮本!こんなことで腹を立てるわけ。もっと強くなんなよ。私は命二つ持って生きてんだ。あんたに負けないよ」
驚愕(きょうがく)する宮本 |
「女」をシンボライズする髪を短くした靖子には、もう、怖いものがないようだった。
2 「子供は俺の子。俺こそが父親だ。俺の人生バラ色だからな!」
―― 過去パート。
炊飯器に食らいつき、ご飯を掻(か)き込む宮本の一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)には、狂気が棲(す)み込んでいる。
「俺が殺す。コケにされたのは俺だ。てめえは引っ込んでろ」
「あたしより自分のプライド傷つけられて、悔しいだけじゃないの」
「そうだったかも知れねえ」
「だったら、何であの男のところにすっ飛んでいかないの。怖いんでしょ。ビビってんのよ、あんたは!」
「違う!酔ってたから、家、分かんないし。思い出せねぇんだよ!」
「家、分かんないっていう理由だけで、怒り抑えられるんだ」
「それだけじゃねぇんだ、バカ野郎!俺、拓馬の顔も覚えてねぇんだよ!お前の顔しか思い浮かんでこねぇんだよ!」
「お前の顔しか思い浮かんでこねぇんだよ!」
目に涙を浮かべ、口からご飯を吐き出しながら、叫び切る宮本。
ここで哄笑(こうしょう)する靖子。
「殺してよ、宮本」
それだけだった。
拓馬への復讐のために動く宮本。
真淵から拓馬がラグビーの試合に来ることを聞き出した宮本は、車に乗っている拓馬をネット越しに追い駆け、動物に憑依(ひょうい)したかのように唸(うな)り、降車した巨漢に突入するが、瞬殺される。
ラグビーのフィールドから、二人の様子を見る真淵 |
唸り声を上げて、拓馬に向かっていく宮本 |
瞬殺される宮本 |
前歯を三本折られて路傍に倒れている宮本を視認した真淵は、息子の拓馬に、喧嘩の理由を尋ねる。
「喧嘩の理由は昔から同じですよ。お互い、譲れない部分があったんでね」
これで一件落着するが、路傍に置き去りにされる宮本。
憐れにも、屈辱だけが生き残されたのである。
折られた前歯を見る宮本 |
その頃、出血が止まらない靖子は産科医に診てもらうが、妊娠の事実を知らされる。
「あなた、おめでたですよ」
驚く靖子 |
「あんたの言う出血は切迫流産です」 |
宮本のアパート |
「本当に申し訳ありませんでした。しばらく会えません」
部屋に置かれた紙に、宮本からの伝言メモである。
煩悶する靖子 |
靖子のアパートを訪ねる風間 |
孤独の寂しさから、風間に抱きついていく靖子 |
一方、拓馬との決闘に備えて鍛錬に励む宮本。
川辺を走る宮本 |
その宮本は、真淵と大野から喫茶店に呼び出され、喧嘩の理由を問い質(ただ)すが、「あなた方に話すことなんて、何にもありませんから」としか答えない。
左から真淵、大野、宮本 |
「宮本君が拓馬に勝てると計算してたなら、バカだよね」と大野。
「おっしゃる通り、バカで結構ですから…」と宮本。
失われた三本の前歯のために、滑舌(かつぜつ)が上手くいかない宮本が帰ろうとするや、「まだ、話済んじゃねぇだろ!」と怒る真淵に向かって、捨て台詞を残さんとする宮本。
「まだ、話済んじゃねぇだろ!」 |
「話なんか、ねぇですよ!大体、あんたらが待ち合わせに…!」
ここまで言いかけて、言葉を濁す宮本に、「中野靖子絡み」という大野の言辞に、宮本は怒鳴り捲(まく)るのだ。
「どういうことだ」(真淵) |
「殺すぞ、てめぇら!てめぇが安心したいだけだろうが。倅(せがれ)、信じてぇなら、心中覚悟で信じてやれよ!今更、首突っ込む隙間(すきま)なんかねぇぞ。貴様ら親に何ができんだよ!」
これが、憤怒を込めて絶望の淵に立たされた男の、それ以外にない宣戦布告である。
会社に出勤する宮本の前に出現した風間から、靖子の妊娠の情報を聞き、堕胎を勧める風間に対して、「俺は産ませて、結婚だ!」と叫び上げる男。
「俺は産ませて、結婚だ!」 |
社内で吠える宮本 |
社内の空気が、宮本の熱量に呑み込まれている。
この熱量が、そのまま、靖子の社内の空気をも呑み込んでしまうのだ。
「結婚しよう。何も言うな!話は全部、聞いた。全部、俺に任せろ!」
「黙れ、黙れ、黙れ!」
「結婚しなきゃ、意味ねぇじゃねぇか!」
「一緒にいても意味ないから…」
それでも、結婚を迫る宮本に、靖子は問いかける。
「じゃ聞くけどさ、私はあんたの何なの?俺が、俺がって、あんた、自分のことばっかりじゃない。私の子供だ。私が産んで、私が一人で育てるよ!私が母親だ!」
言葉を失う宮本 |
一転して、風景は変わるが、絶叫言辞は、ここでも貫流されていた。
そこは、真淵が入院している病院。
ラガーマンの息子に、靖子との一件を、再び詰問(きつもん)したことで喧嘩になった挙句(あげく)、殴られ、病院送りになった真淵が宮本を呼び出したのである。
「何だ、そのざまは!」
この絶叫言辞に対して、真淵は拓馬との経緯(いきさつ)を説明した後、吐露する。
「親の欲目でも何でも構わねぇ。それでも拓馬は、俺の子だ」
この真淵に対して、宮本の絶叫言辞は止まらない。
「俺から見れば、あんたと拓馬は赤の他人だよ!命懸け上等だよ。けどな、俺だって負けるわけにはいかねぇんだよ!親になるんだからよ。もうすぐ、命懸けで父親になんなきゃなんねんだ!俺は気合入っているからよ。今日明日にでも、息子の看病、命懸けでさせてやるから、気合入れて待ってろ!」
ここまで言われた真淵は、宮本の意を汲(く)み取り、拓馬の居場所を教える。
そして、拓馬への意趣返(いしゅがえ)しに臨む宮本。
マンションの女の部屋から出て来るのを朝まで待っていた宮本に、拓馬は自信げに言い放つ。
玄関から叫ぶが、無視され、朝まで待つことになる |
朝まで待つ宮本 |
「宮本さん。本当にいいんすか。今度は歯だけじゃ済まないっすよ」
ここから、怯(ひる)むことのない宮本との非常階段での決闘が開かれる。
「終わりにしましょうか」
散々、甚振(いたぶ)られ、血塗(ちまみ)れになった宮本が首を横に振ったことで、指を二本折られてしまう。
痛みを訴えながらも、拓馬の背中に噛み付き、ズボンを脱がす宮本。
動揺する拓馬の急所を繰り返し蹴り上げ、右手で掴み上げるのだ。
戦力を失い、倒れた拓馬を殴りつけ、勝利し、雪辱を果たしたことで雄叫(おたけ)びを上げ、宮本の復讐譚は終焉する。
血生臭(ちなまぐさ)い相貌を露わにした宮本は、悶絶する拓馬を自転車に乗せ、靖子の部屋の前の路傍にやって来て、求婚するのだ。
【相当程度、アクチュアリティー(現実性)を蹴飛ばす本篇であっても、拓馬を自転車に乗せ、運んで来る描写は、些(いささ)か喋々(ちょうちょう)しい。但し、この描写なしに、宮本の荒ぶる魂は軟化点を確保できず、浄化し得ないと考えるのが正解かも知れない】
「俺と結婚しろよ」
無言を通す靖子に、ここでも、宮本は絶叫言辞に振れていく。
「ちまちま考えてねぇで、とっとと返事しろ、このくそったれ!」
靖子も、きっぱりと反応する。
「あんたと結婚なんかしてたまるか!それが返事だ。顔もみたくない。とっとと失せろ、このバカったれ!」
喧嘩に勝って有頂天になっている宮本に、靖子は言い放つ。
「連れて来いとも、喧嘩しろとも言ってない。私のためだと言うなら、大迷惑だ」
この靖子の物言いには嘘がある。
彼女は、哄笑(こうしょう)しながら、「殺してよ、宮本」とまで言い切ったのだ。
「殺してよ、宮本」 |
だから宮本も言い返し、二人の絶叫言辞に結ばれる。
「それはお前、全部、俺のためだからよ。俺は世の中、全員敵に回すつもりだったからよ」
「何しに来たの?」
「靖子に褒めてもらいたい。この俺を」
「呆れ果てたわ。あんたなんか、大嫌い」
「嫌いでも構いやしねぇ」
「だから靖子。この凄い俺が幸せにしてやる。お前も子供も。呆れようが嫌おうが、そんなもん、屁でもなんでもない。でも、この先、俺がずっと死ぬまで傍(そば)にいてやるよ。力合わせようなんて、ケチケチしたことは言わねぇ。俺がいれば十分だ。子供は俺の子。俺こそが父親だ。お前ら、まとめて幸せにしてやるよ。俺の人生バラ色だからな!」
「俺の人生バラ色だからな!」 |
渾身(こんしん)の思いを込めた宮本の言葉を聞き、靖子の頬に涙が伝わっていた。
―― 「現在パート」。
結婚した二人は、生活を共にしていた。
風間からの借金を完済した宮本は、臨月に入った靖子の身を案じていた。
風間からの借金を完済する宮本 |
靖子の身を案じる宮本 |
そんな靖子のことが不安になって、出勤する宮本が家に戻るや、靖子が陣痛に苦しんでいた。
「怖い」と悶える靖子を抱き、宮本は、「怖くないぞ。生きてる奴は皆、強ぇんだ!」とシャウトして励ますのだ。
「怖くないぞ。生きてる奴は皆、強ぇんだ!」 |
救急車を呼び、搬送されていく靖子。
落ち着かない宮本は、靖子の笑みを見て、安堵するのである。
3 体育会系の懐深くに飛び込み、爆裂する男の純愛譚
思春期頃、貪(むさぼ)るようにして観た東映の「任侠映画」。
「日本侠客伝」・「昭和残侠伝」。
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「日本侠客伝」 |
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「昭和残侠伝」 |
「任侠映画の王道」を描き切った様式美のコアにある世界観は、耐えて、耐えて、耐え忍んだ「絶対正義」が、遂に「絶対悪」を屠(ほふ)るという「男の美学」 ―― これに尽きる。
基本的に、女性の存在を不要にするから、そこには「性」が介在する余地がなかった。
藤純子の「緋牡丹博徒」に象徴される「任侠映画」があっても、それは刺青を見せつけ、啖呵(たんか)を切り、仇を討つという「女性版・任侠映画」に過ぎなかった。
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「緋牡丹博徒」 |
「暴力性」と「性」のリアリティが脱色されていたから、血の匂いや情交の臭気を発することがない。
深作欣二監督の「仁義なき戦い」(1973年/拙稿の批評も参照されたし)が登場するまで、血の匂いや情交の臭気が殆ど希釈されていて、それ以降も、この類いの映画が溢れるほど公開されてきたのは周知の事実。
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映画「仁義なき戦い」より/土居組組長を射殺する広能 |
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同上/女の肌を攻撃的に貪る広能 |
「弱者に拠って立ち、強きを挫く映画」という風に括れば、「基本・任侠映画」の臭気すら発する本篇の場合も、剥(む)き出しのバイオレンスとセックスをトレースするが、桁違いに強度が異なっていた。
殴られて、血を吐く宮本 |
過剰なまでの「暴力性」と、その歪みも含めた「性」が映像提示されるのだ。
圧倒的に隔絶(かくぜつ)する身体能力があり、「体育会系」の悪しき陋習(ろうしゅう)を引き摺(ず)るかのような男(拓馬)と戦って、勝利するまでに提示されたのは、まるで、焼け火箸(ひばし)を当てられたような暴力描写の烈々(れつれつ)たる展開だった。
折られた前歯を見る宮本 |
ただ、宮本と靖子が狂乱し、叫喚(きょうかん)・咆哮(ほうこう)を連射しても、それを制止する者が一人も出て来ないという描写の多用には、甚(はなは)だ違和感を覚えたが、これは、「現在パート」の静謐(せいひつ)さとのコントラスト効果(対比効果)を際立たせたかったのだろう。
「道徳・正義」に拠って立つ「第三者熱量」が、「復讐・正義」を観念的拠点にする大容量の「当事者熱量」を上回るには、相当の覚悟を自給せねばならないからとも言えるが、病院での宮本の絶叫を黙視するのは、却って異様ですらある。
「この女は俺が守る!」
ともあれ、これが、男の大容量の「当事者熱量」の推進力になっていた。
男の「復讐・正義」に集合する熱量は半端ではなかった。
しかし、それは必ずしも、「男が女を支配する」というレベルの「体育会系」の発想に起因していない。
大好きな女のために、命を懸ける。
「救急車!」と叫ぶ拓馬 |
愚かだが、その圧倒的熱量の推進力は、「俺の命、使って下さい。血でも内臓でも、何でも使って下さい」とまで言い切り、救急搬送される妻を案じ、気が動転する男を描いたラストシーンによって判然とする。
「血でも内臓でも、何でも使って下さい」 |
大好きな女のために命を懸け、「体育会系」の悪しき申し子と戦うのだ。
宮本を嘲弄(ちょうろう)する拓馬 |
その戦法は、相手の急所攻撃。
それだけだったが、これが功を奏した。
強(あながち)ち、男が愚かではなかったという、決定的な証左である。
核戦略用語を借用すれば、意を決して決闘に臨んだ、荒ぶる男の「第二撃能力」(相手の報復力を破壊する能力)が、首尾よく嵌ったのだ。
これには、ヒントがあった。
会社に出勤する宮本の前に出現した風間に対して取った行動が、それである。
「靖子が妊娠した。父親は俺かお前。産まなきゃ分かんねぇ。いいか。これは勢いや気持ちで判断する問題じゃねぇ。産ませて結婚して、ハッピーエンドの物語じゃ、人間、生きられねぇよ。子供は堕(お)ろすことだ!」
これを耳にした宮本が、「俺は産ませて、結婚だ!」と風間に向かって叫びつつ、急所を蹴り上げたのである。
この時、風間は泡を吹いて倒れたのだ。
かくて、身体能力で圧倒的に劣る宮本は、拓馬打倒の唯一の戦法を掴んだのである。
そして、身命(しんめい)を投げ打つほどに膨れた、女を愛する一途な男の生気の、一際( ひときわ)目立つ熱容量が、非常階段で爆裂する。
ここに一切を懸けた作り手の映像の、桁外れの強度に接して、寒気立(さむけだ)った。
観る者に、痛みが走るほどである。
何より、この張り裂けるほどの鋭い痛みが、物語の総体を貫流している。
「今回、“痛み”というのは僕の中でひとつのキーワードになっていました。肉体的な痛み、心の中の痛みというものは、生きていれば必ず伴うもの。避けては通れないものです。でも今の社会では、自分の痛み、他者の痛みに対して目を背(そむ)けたり、鈍感になってしまっているようにも感じるんです。だからこそ、宮本が世の痛みを背負いこむことが必要だとも思った」(「池松壮亮 単独インタビュー」より)
男を演じた池松壮亮の言辞は、とても良く分かる。
観る者に、痛みの感覚を覚えさせるほどの、突き抜けた嗜虐(しぎゃく)性。
映像総体から迸(ほとばし)る狂気の放熱の凄み ―― これが「常識」を準拠枠(じゅんきょわく)にした曖昧な閾値(いきち)を突き抜け、易々(やすやす)と一線を越えていく。
男をして、そこまで爆裂させた底層には、一体、何があったのか。
「アホずらして寝てた」ために、大好きな女がレイプされたこと。
これに尽きるが、この単純な発想で狂気の放熱を連射する男の行動総体は、別の男から犯された女によって根柢から異化されることになる。
「じゃ聞くけどさ、私はあんたの何なの?俺が、俺がって、あんた、自分のことばっかりじゃない。私の子供だ。私が産んで、私が一人で育てるよ!私が母親だ!」
「私の子供だ。私が産んで、私が一人で育てるよ!私が母親だ!」 |
拓馬に象徴される一部の体育会系の差別言辞を異化する、日本女子の決定的な反駁(はんばく)である。
日本女子による、日本女子のための、最も腑(ふ)に落ちる自立言語であった。
暑苦しい「男社会」のイデオロギーの一端に、辛うじて、絶叫言辞でぶら下がる男の放熱を希薄化してしまうからである。
「俺が、俺が」と叫び、結婚を迫る男の絶叫言辞を剥(は)ぎ取り、男を黙らせるのだ。
この映画のメッセージが、ここに読み取れるとも言えるが、実際のところ、不分明である。
しかし、絶叫言辞を剥ぎ取られても、男は挑んだ。
巨漢のラガーマンとの決闘に挑んだ。
大好きな女に対する、理不尽なレイプ犯罪を許せなかった。
それを許したら、大好きな女を愛する資格がないと思ったのか、男は突貫していった。
少なくとも、突貫によって失っても、得るものの方が、絶対的に価値がある。
そう信じ切って生き抜いた男と、その男を受容する女の物語だった。
詰まる所、女に対する男の愛が、一貫して変わらなかった男の物語だったのだ。
―― 本稿の最後に、この点についても書いておきたい。
大野が言い放った「年上の女を調達した」と言い放ち、いい加減な「スリーサイズ」を教えるいう差別言辞に象徴されるように、「男は強くあれ」という「男尊女卑思考」をバックグラウンドにする体育会系を揶揄するために、体育会系が苦手な「知性」では無効化されてしまうが故に、敢えて「知性」で勝負せずに、体育会系の懐(ふところ)深くに飛び込んで、決闘する映画であったという解釈も可能である。
ここで言う「知性」とは、敵に対して、2017年7月13日に施行された「強制性交等罪」(刑法177条)で訴えること。
それまでの「強姦罪」が廃止され、より強力な罰則規定(5年以上の有期懲役)を有する「強制性交等罪」
しかし、この「知性」による勝負では映画にならない。
だから、「体育会系の懐深くに飛び込み、爆裂する男の純愛譚」になったという話である。
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真利子哲也監督 |
(2021年7月)
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