1 「娑婆は我慢の連続ですよ。我慢の割に、大して面白ろうもなか。だけど、空が広いち言いますよ」
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三上 |
「平成16年収監されて、13年ぶりの社会だね。今後は、こういうところに二度と来ないように、頑張ってもらいたい。ところで、起こした事件については、今、どう考えてる?被害者に対して、申し訳ないと思ってるだろうね」
「はい。後悔しています。あんなチンピラのために服役させられて」
「要するに、反省しているわけだ」
「自分は今でも、判決を不当と思ってます。向こうが夜中に日本刀を持って押しかけて来たんですよ!…自分は一匹狼で、当時はどこの組にも入ってませんでした!」
声高の反応を置き土産にして、雪深い旭川刑務所から出所した三上が向かう先は、首都・東京。
「俺はもう、極道じゃなか。今度ばっかりは、堅気ぞ」
オープニングシーンである。
東京。
「何ですか?身分帳って」
「刑務所に入った人が、必ず作られる個人台帳でね。生い立ち、犯罪歴、服役中の態度、受刑者のあらゆることが書き込まれているらしいのよ…人探しの番組で、母親を見つけて欲しいんだって…こういう人が心を入れ替えて、涙ながらに、お母さんと再会したら 感動的じゃない?」
元テレビディレクター・津乃田(つのだ)が、現役のテレビプロデューサー・吉澤から、殺人犯の三上の取材を依頼され、躊躇する。
津乃田 |
作家志望だが、不安定な生活を送る津乃田は、断り切れずに仕事を引き受けることになった。
三上の身分帳を読み込んでいる津野田。
旭川刑務所で保管されている「身分帳簿」 |
「…母親は、福岡市内において、芸者をしていた。交際関係にあった男性との間に本人を出産するが、父親による認知がなされず、戸籍が存在しないまま生育した。物心を覚えた4歳ころ、母親と離別した。養護施設に預けられたまま、音信が途絶えたのである。小学校5年生頃から、放浪癖が生じ、各地の盛り場を転々としている。この頃から、関西の暴力団事務所に出入りし始め、賭博、債券取り立ての手伝いをするようになる。昭和49年6月、京都宇治少年院に入所。この時14歳…」
身元引受人の弁護士・庄司夫妻に温かく迎えられ、アパートが決まるまで、厄介になることになった。
庄司夫妻 |
「母は、迎えに来たはずなんです。それを待たずに、自分が施設を飛び出したもんで」と三上。
「お母様も、あなたのことを考えない日はなかったと思いますよ」と妻・敦子。
庄司は三上を伴い役所に赴き、生活保護の申請をするが、三上本人は保護の申請を嫌い、立ち去ろうとした際に、書架にもたれかかり転倒する。
ケースワーカーの井口(中央) |
転倒する三上 |
高血圧で倒れ、MRIを撮るに至る。
「先生、自分の体は、もう社会では通用しませんか?」
医師に安静にするよう求められ、不安を抱える男が、そこにいる。
入院した三上の元に、津乃田が恐々と訪ねて来る。
笑みを絶やさない三上の表情を見て、津乃田は安堵し、庄司夫妻と共に、アパートや生活の世話をするなど、少しずつ関係を深めていく。
「身分帳」を確認する二人 |
「毎日毎日、判で押したような生活の中で、今、世間で人が何をやってて、自分が何をできるのかも分からんで。頭ん中、真っ白になっていきました」
津乃田に対する三上の吐露である。
三上は、少年院で身に着けた縫製技能を生かし、ミシンで内職をしようと考えている。
三上の縫製技能に驚く支援者たち |
そんな三上は、アパートの階下の住人が騒いで眠れず、部屋を訪ねてトラブルを起こし、暴力団との繋がりを匂わせ、暴力性を剥(む)き出しにしてしまうのだ。
仁義を切る三上(左) |
就職先も見つからず、改めて、社会復帰の難しさを認知させられる。
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就業に難儀する三上を撮影する津乃田 |
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三上の洗髪を撮影する |
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「もう、最高じゃん」(吉澤) |
ケースワーカーの井口の協力を得て、仕事探しをすることになる三上。
「大事なのは、誰かと繋がりを持って、社会から孤立しないことです」
三上の支援者の一人になる井口 |
この井口の言葉に、三上は晴れやかな表情で頷いた。
「事件は13年前に起きた。妻の久美子と経営していたスナックに、ホステスの引き抜きでもめていた暴力団員が殴り込んだのである。三上が自ら救急車を呼んだ時、相手にはまだ息があった。殺してしまったという認識すらなく、さほどの重い罪にはならないと思っていた…」(津乃田のナレーション)
三上は、裁判の場で、夫を庇う証言する久美子を回想する。
「この人が体を張って止めたので、私は生きているんです」(三上の妻・久美子/法廷での証言) |
妻の証言を聞く三上 |
傷害致死のはずが、検察の追及にカマをかけられ、殺人罪にされてしまったということ。
そんな三上は今、スーパーで盗みを疑われ、店長の松本に食ってかかるが、それが間違いと分かり、怒りを押し込める。
「あなたのことは聞いていますよ。町内会長をやってる関係でね」(店長の松本) |
昔、半グレだったと言う松本は三上に詫び、社会復帰の支援を申し出て、以降、相談相手になっていく。
謝罪し、店の品を贈り、アパートの部屋まで行って、免許があれば知り合いに口利きするとまで言う松本 |
失効した運転免許の取得に、必死に取り組む三上。
運転免許センターでの一発試験を受けるが、乱暴な運転によって呆気なく頓挫してしまうのだ。
何をやってもうまくいかない三上を、津乃田と吉澤が訪ねて、ホルモン焼き屋に誘う。
三上の頑張っている姿を全国放送で流したいと、吉澤は改めて説得し、三上を励ましていく。
帰り道だった。
サラリーマンに絡む2人組のチンピラを目にした三上は、助けに入って激しい暴行を加えてしまった。
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撮影を促す吉澤 |
その様子をカメラに収めていた津乃田は、恐怖に駆られ中断するが、吉澤はそのカメラを取り上げ撮影を続行する。
津乃田は、カメラを取り戻し、走って逃げていく。
それを追い駆けて、追い付いた吉澤が津乃田を罵倒する。
「お前、終わってんな。カメラ持って逃げてどうすんのよ。撮らないんなら、割って入って、あいつ止めなさいよ!止めないんなら、撮って人に伝えなさいよ!上品ぶって、あんたみたいなのが、一番何も救わないのよ!」
意気消沈する津乃田が、そこに置き去りにされていた。
激しい暴行を加えた後もケロッとしている三上は、スーパーに行って、松本にテレビ出演する話をする。
ピンときた松本は、テレビに食い物にされるだけだと、三上に説諭する。
「国から保護も降りてるんだから、焦ることないじゃないの…夢みたいなこと考えないで、地道に生きるんだよ!」
その言葉を受容できない三上は、いつでも暴力団の仕事に戻ると凄んで見せるのだ。
「いまにデカいことして、世間を騒がしてやるか」 |
頭を冷やした三上は、松本に言われた通り、正業に就くための「生業扶助」を受けようと庄司と井口に相談するが、ハードルの高さと多忙さで相手にされなかった。
津乃田に電話して、テレビ出演の前借りを頼むが、もう企画が通らないと断られるばかりか、心胆(しんたん)を寒からしめる言辞を浴びてしまう。
「結局、三上さん、懲りてないんじゃないですか?人を痛めつけたり、腕力でねじ伏せることにですよ…何で、闘ってぶちのめすしか策がないと思うんですか?逃げるのだって、立派な解決手段ですよ…そこが変わらない限り、あなたは社会じゃ生きてけない…聞きたいのはね、どうして自分がそんな風になったと思います?それって、やっぱり、生い立ちに関係があるんでしょうか。怒りや暴力を抑えられない人の多くは、子供の頃にひどい虐待を受けて、脳が傷ついているそうですね。でも、子供は、どんな目にあっても、たった一人の母親を慕うことは止めない。あなたは、お母さんが自分を迎えに来たとか、捨てたんじゃないとか、ずっと庇ってるけど、本当にそう思ってますか?あなたの母親はどう考えても、あなたを…」
「あなたの母親はどう考えても、あなたを…」 |
そこまで言われ、逆上した三上は電話を一方的に切ってしまう。
身震いするように凍り付いた男は、食べかけのカップラーメンを投げ捨て、へたり込んでしまうのだ。
凍り付いてしまう男 |
もう、限界だった。
完全に行き場を失った男が、最後に縋(すが)ったのは、暴力団組長で、兄弟分だった下稲葉(しもいなば)だった。
下稲葉(右)と、その妻 |
再会した下稲葉は糖尿で足を切り、車椅子生活だった。
呆然と見つめる |
「今は、ヤクザで食うてはいけませんもん。銀行口座は作れん。子供を幼稚園にも入れられん。すっかり人間もおらんようになりました」
下稲葉の妻の言葉である。
そんな時、津乃田からの電話を受けた。
施設に連絡が取れて、古い名簿を探してもらえると言うのである。
三上の顔色が一変する。
組長が事件に巻き込まれて、パトカー騒ぎの現場に駆けつけようとする三上を、下稲葉の妻が必死に止める。
「うちら、もう、なるようにしかなりません。やけど、あんた、これが最後のチャンスでしょうが。娑婆は我慢の連続ですよ。我慢の割に、大して面白ろうもなか。だけど、空が広いち言いますよ。三上さん、ふいにしたらいかんよ」
そう言って、三上に金を渡し、送り出すのだ。
2 「皆さんの顔に、泥を塗るようなことは致しません。辛抱、肝に銘じます」
三上と、今やカメラを捨てた津乃田は、かつて、三上が入所していた養護施設に向かった。
【三上のアイデンティティの中枢に関わる「母子愛幻想」を指弾した津乃田は、その罪責感を負って、三上が入所していた養護施設を、彼の身分帳をもとに、手ずから捜したのだろう】
「もし、お母さんが見つかったら、何話します?」
「そやね…お産の時の話ば、聞いてみたいね」
結局、名簿はなく、母親の手掛かりは掴めなかった。
当時、施設で働いて、オルガンを弾いていたという女性と、三上は施設の歌を一緒に歌うのだった。
庭に出て、子供たちとサッカーをする三上と津乃田。
三上は、ゴールを決めた少年を抱き上げると、涙が止まらず、その場に蹲(うずくま)ってしまう。
養護施設での思い出と、「お袋が帰る時、いつもここ(橋)まで見送った」という幼児期の母の記憶が蘇ったのだろう。
「母子愛」という物語の象徴的場所となっている「橋」 |
【母に捨てられたことを認知せず、「母子愛」という物語を仮構して生きていくしかなかった男の悲哀が、観る者の胸を打つ】
お風呂場で、三上の背中を洗いながら、津乃田は語る。
「俺、三上さんのこと、書いてみます。三上さんが生まれて、生きてきたこと。俺が書いて、何か残すから、だから、もう元に戻んないで下さいよ。戻んないで下さい」
背中で、何度も頷く三上。
アパートに帰った三上の元に井口がやって来て、免許費用の件で上司を説得し切れなかったことを謝罪する。
そして、三上に新たな仕事を提案するのだった。
三上の過去を分かった上で雇い入れてくれる職場 ―― 介護施設の見習いだった。
喜び勇んで、街を走り抜ける三上。
松本に職が決まったことを喜色満面の表情で報告すると、松本はパートの合間に行く教習所のローンの頭金を、三上に手渡すのだ。
「すごいじゃない。良かったねぇ」 |
「上げるんじゃないんだよ。働いて、ちゃんと返してよ」 |
更に、庄司は、教習所に一括して払う金を貸すのである。
自らを取り巻く心優しき支援者たちのサポートの延長上に、三上の誕生日会が開かれるに至る。
松本がギターを弾き、敦子が「見上げてごらん夜の星を」を熱唱し、庄司は、三上に社会で生き抜いていく処世術を伝授するのだ。
「本当に必要とする以外、切り捨てていかないと、自分の身を守れないから。すべてに関われるほど、人間は強くないんだ。逃げるのは敗北じゃないぞ。勇気ある撤退なんて言葉があるだろ。逃げてこそ、また次に挑めるんだ」
「分かりました。よう、分かるようになりました」
「カッとなったら、あたしたちを思い出して」と敦子。
「皆さんの顔に、泥を塗るようなことは致しません。辛抱、肝に銘じます」
その様子を見つめ、感動する津乃田。
三上は自転車をプレゼントされ、その自転車に乗って職場へ向かう。
「老人介護施設で、清掃、スタッフ補助、時給990円」
老人介護施設で働く三上 |
津乃田は、三上が無事就職したことを吉澤に報告した。
清掃の仕事中に、知的障害の職員・阿部を同僚が虐待している現場を目撃した三上は、モップを手にし、襲いかかろうとするが、必死に我慢する。
怒りを必死に抑える介護施設職員・三上 |
直後に狭心症の発作を起こし、慌ててニトロを服用する。
職員同士で縫製作業をしている際、虐待していた職員二人が戻って来て、阿部が入浴中の入所者を放ったらかしてゲームをしていたので、溺死寸前だったと話す。
「スマホ奪って、ぶん殴っちゃった…何かが起きてからじゃ、おせぇって。ムショ上がりだし、あ、うち、前科もんとか、IQ低いとか多いって、聞きました?そういうの採る(注)と、国から金もらえるらしいけど、モラルは低いし、覚えは悪いし、割り食うのって現場ですよ」
話しかけられた三上は、反応することもできず、居たたまれない気持ちで黙って座っていた。
職員同士で、阿部を揶揄する話が盛り上がり、知的障害者の真似をして笑い合っている。
三上の視界に、ハサミが目に留まった。
「似てますよね?」と聞かれた三上は、必死の形相から作り笑いをして、「似てますね」と答えて、その場を取り繕うのだ。
帰り際、三上は阿部に呼び止められ、嵐が来る前に切ったというコスモスの花を贈られた。
「三上さん、コスモスちょっと持って帰る?」 |
「嵐が来る前に、切ったんだよ」 |
三上は涙ぐみ、自転車のカゴに入れて帰る途中に、別れた妻から電話が入る。
「職場の人らと、揉めたりしちょらん?」
「もう、そげんことはせんよ。心配せんで、よか」
「あんたみたいな人には、世間は生きずらかでしょうが」
「うん、ばってん、死ぬわけにはいかんやろうが」
そして、娘を連れて会う約束をする。
「三上正雄の刑期は、平成29年2月19日で満了した。13年間の獄中生活を終え、翌20日の出所だった。刑期満了で出る者は、どこへ行って、何をしようと勝手だが、その多くは帰るべき場所がなく、約半数は5年以内に再び罪を犯して、刑務所に舞い戻るという統計もある。14歳で少年院に入れられて以来、三上の通算の受刑歴は、10犯6入、これまでの人生の28年間を鉄格子の内側で過ごし、旭川刑務所に保管される三上の身分帳は、すべて積み上げると、1メートルの高さになったという。もう二度と、刑務所には入りたくない。今度ばかりは、堅気だと胸に誓い…」(津乃田の小説)
津乃田が小説を書いている最中、三上は自宅でコスモスの花を握り締めながら、息を引き取った。
小説を書いている最中、三上の様子が気になる青年・津乃田 |
混乱し、三上のアパートに向かって走っていく津乃田。
連絡を受け、茫然自失の状態で、三上のアパートに向かう |
三上の死亡が確認され、検視が始まるところだった。
津乃田は警察に制止されながら、泣きながら三上の名を呼び続けるのだ。
コスモスを手に持ち、急逝した三上 |
井口に支えられ、アパートの階段を降りる津乃田。
衝撃の大きさで、悄然(しょうぜん)として立ち竦んでいる。
階下には、庄司の妻がいる。
カメラはアパート上方の大空を映し、「すばらしき世界」のタイトルが浮かび上がっていく。
(注)障害者を雇用する法定雇用率は、現在2.2%となっている。
3 「生きづらさ」という欺瞞性
感情が込み上げてきて、嗚咽を抑えられなかった。
それは、素晴らしい映画と出会った時の、心に響く感銘である。
―― 以下、批評。
「堅気に馴染むとは難しか。肩身の狭もうして、ついつい元の極道に戻ってしまうですかね」
極道に戻れない心境下にあって、絶えることのない煩慮(はんりょ)から解放し切れない三上の嘆息である。
そんな男に対して、現代社会の「生きづらさ」とか「閉塞感」という用語で解釈し、共有している感が多くのレビューから読み取れて、違和感を覚える。
どうしても馴染めないのだ。
現代社会で好尚(こうしょう)の如く濫用される用語に、私がどうしても馴染めないのは、「同調圧力」が強いと言われる
日本人の自己弁護の代替概念と考えられるからである。
治安の良さが抜きん出て、特定他者に対して、自らの意見を頑として主張する行為を「理に落ちる」と決めつけ、距離を取ってしまうことで、ピアプレッシャーから解放される傾向が拭えない日本人が、自我防衛の手立てとして、「生きづらさ」とか「閉塞感」という定義困難な用語に丸投げしているように思われるのだ。
だから、厄介なのである。
「社会のレールから外れた人が、今ほど生きづらい世の中ってないと思うんです。一度間違ったら、死ねと言わんばかりの不寛容が蔓延(はびこ)って。だけど、レールの上を歩いている人たちも、ちっとも幸福なんて感じてないから、はみ出た人を許せない。本当は、思うことは、三上さんと同じなんです。だけど、排除されるのが怖いから、大きな声は出さないんです…それに、頑張っておられる姿が全国放送ができれば、どこかでお母さまが見てくださるかも知れません」
映画の主人公・三上に放ったテレビプロデューサー・吉澤の欺瞞的言辞である。
ここで使われた「生きづらさ」という言葉は、相手を顧みず、視聴率稼ぎにのみ汲々(きゅうきゅう)となるテレビプロデューサーの思惑で放たれているが故に、浮薄な言語の軽量感だけが浮き立たせてしまっている。
その直後、三上は、「こん人、なかなか骨のある人やね」という感懐を残すが、「口がうまいんだから、局の人は」という津乃田の反論によって、相対化される。
「こん人、なかなか骨のある人やね」 |
「社会のレールから外れた人が、今ほど生きづらい世の中」と言うが、当然過ぎることではないか。
「社会のレールから外れた人」=組織暴力団が、飲食店などからの上前をはねる用心棒代(「みかじめ料」)を「シノギ」(資金源)にする行為は、不当な地上げ行為、不当な株式買取り行為、不当な貸付行為、不当な債権取り立て行為、寄付金要求行為などと共に、暴対法(暴力団対策法)で禁止されているので、その生計が行き詰まるのは至極当たり前のこと。
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「みかじめ料」に対して、店側にも即時罰則規定が盛り込まれている |
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暴力団対策法で禁止されている27の行為 | 全国暴力追放運動推進センター |
「今は、ヤクザで食うてはいけませんもん」と嘆息した下稲葉の妻の言葉がインサートされていたが、これが、法整備した立法府の下で、「反社」と闘った人権団体、勇気ある住民、飲食業者らの行動の成果ではないのか。
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現役組員「ヤクザ続けたくない」が圧倒的 令和の暴力団組員の本音 |
組織暴力団の「生きづらさ」を誇張して、一体、何の意味があるのだろうか。
吉澤の欺瞞的言辞に比べれば、ラストで、その「生きづらさ」を理解し、再会を求めた三上の妻・久美子の言葉(「あんたみたいな人には、世間は生きずらかでしょうが」)の方が、遥かに腑に落ちるのである。
また、「社会のレールから外れた人」=障害者というなら、身体障害者に対する法定雇用率の算定基準に加わったのが1976年、そして、映画の阿部のような知的障害者が加わったのが1998年である歴史的事実を忘れてはならない。
園芸を通して、阿部(右)と親しくなる三上 |
それまでは、障害者の雇用義務など、この国には存在しなかったのだ。
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障害者に対する法定雇用率 |
映画の阿部は、同じ職場の介護職員から暴行されるシーンがあったが、このことは、「社会のレールから外れた人」=障害者が虐められ、暴行を受ける行為の日常化を再現させたものではない。
暴行される知的障害者 |
如何なる理由があるにせよ、障害者が虐められ、暴行を受ける行為は犯罪であって、法的処罰の対象になるものである。
私たちが勘違いしてはならないのは、意識としての「差別」と、行為としての「差別」は峻別(しゅんべつ)されるものであって、法的処罰の対象にならない前者を、この世から排斥(はいせき)することは不可能であること。
【場にそぐわない例を挙げれば、「同志」の12名を殺害した「連合赤軍事件」の集団リンチの原因が、「総括」という名で、人間の意識を恣意的に変えようとした愚昧さの極致を晒したからであった】
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「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」より/「総括」という名の集団リンチ事件 |
いずれにせよ、障害者の「生きづらさ」という決めつけも、「上から目線」のラベリングでしかないのである。
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「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に生かそう」 ―― この言葉を立証するパラスポーツの世界(「パラスポーツが世界を変える」より) |
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「熊本地震 障害者が拠点設立…仲間の安否確認、生活支援へ」より
そして、もう一つ。
所得格差の問題である。
以下の画像で分明なように、「生きづらさ」を格差のテーマで比較すると、日本の格差は先進国で最低であり、ジニ係数も低いという数値が出ている。
従って、「分配システム」を成就させるには、生産性を向上させるための規制緩和(不必要となった規制の廃止・緩和)や企業の新陳代謝(参入障壁の撤廃など)を促進することで、経済のパイを拡大させていくことに尽きる。
でなければ、我が国の経済の加速的な縮小化を抑えられないだろう。
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OECD(経済協力開発機構)による最新数値
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総務省「全国家計構造調査」 |
―― 例を挙げればキリがないが、「レールの上を歩いている人たちも、ちっとも幸福なんて感じてない」という信じがたい決めつけは、一切の例外性を擯斥(ひんせき)し、多角的角度からのエビデンスを無視した感覚的な暴論でしかないことが判然とするだろう。
もう一つ、テレビプロデューサー・吉澤の行為の決定的な無知を晒す行為について触れておく。
三上の暴力現場の撮影に拘泥し、それを放棄した津乃田を罵倒するシーンがあったが、もし、本気でこの映像をお茶の間に流したら、BPO(放送倫理・番組向上機構)の審理入りを免れないだろうし、視聴者からの抗議も絶えないだろう。
三上の暴力現場 |
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【BPO放送人権委員会、TBSテレビの「芸能ニュースに対する申立て」事案で「放送倫理上問題あり」との「見解」を公表】
そんなことも分からず、放送せんとしたテレビメディアの愚鈍さに絶句する。
―― 大体、「生きづらさ」のない時代が、本当に存在すると思うのか。
いつの時代でも、その時代なりの「生きづらさ」がある。
これを、分かり切っていると考えられないのだろうか。
「今ほど生きづらい世の中」と言うのは、人間は常に、「今の時代」の中でしか生きられないからである。
その「今の時代」の渦中で、女性の人権の高まりが声高に主唱されるようになった。
自殺未遂の情況を脱し、レイプ犯罪に命を懸けて立ち向かっている伊藤詩織さんや、各地でフラワーデモが生まれているのだ。
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伊藤詩織さん(「PTSDの破壊力に圧し潰されつつ、人間の尊厳を死守せんと闘う伊藤詩織さん ―― その逃避拒絶の鼓動の高鳴り」より) |
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フラワーデモ(性暴力に抗議する社会運動)(「『性暴力の実態知って』 花を持ちデモ 相次ぐ無罪判決に疑問の声 福岡でも抗議行動」)より |
女性の人権が無視されてきた「その時代」の陋習(ろうしゅう)が問われているのである。
ゲイやレズビアンを堂々と公表する人々が現れ、オリンピック憲章では、性的指向を含む「いかなる種類の差別」も明示的に禁じていて、遅れているのは、我が国の恥じであるとまで言われる時代になったのだ。
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オリンピック憲章 |
そんな女性、或いは男性にとって、「今の時代」を「生きづらい時代」と言えるのだろうか。
確かに、「今の時代」なりの「生きづらさ」があるだろうが、しかし、それは、その時代なりの「生きづらさ」でしかないだろう。
私たちホモサピエンスは、30万年前から、その時代なりの「生きづらさ」を繋いできて、今日(こんにち)に至っているのである。
それだけのことなのだ。
4 何ものにも代えがたい男の旅の収束点
「平凡というのはね、全力で築き上げるもんだと思うんですよ」
或る映画の中での、一人の真面目な男の吐露である。
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「平凡というのはね、全力で築き上げるもんだと思うんですよ」(青木)
笑みを捨てた堺雅人の演技が決定力を発揮した、俳優を兼務する赤堀雅秋監督の傑作である。
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「その夜の侍」より |
「平凡であること」が、何より、至上の価値を有することを訴えた映画の訴求力に深い感銘を覚えて、鑑賞後の余韻に浸った稀有な作品だった。
「すばらしき世界」を観て、真っ先に浮かんだのは、「その夜の侍」の基幹メッセージとも言えるこの言葉だった。
「平凡であること」は、ごく普通の「日常性」を継続的に維持していくことと、ほぼ同義である。
反復→継続→馴致(じゅんち)→安寧。
私の定義によれば、これが「日常性」の普通のサイクルであるからだ。
ところが、ごく普通の「日常性」を継続的に維持していくことが叶わない、「すばらしき世界」の元暴力団員・三上。
短気過ぎる三上は、社会適応するのに難儀していた。
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就業を求めても上手くいかない「ヤメ暴」 |
当然過ぎることである。
「元殺人犯」という、一般社会では受容しずらい「身分帳」の当該者なのだ。
それでも、三上は、彼をサポートする人々の有り余るほどの支援によって、安アパートで、ごく普通の「日常性」を繋いでいた。
アパートの隣人と丁寧な挨拶を交わし、カーテンを作るために縫製に打ち込み、スーパーで買い物をして、自らご飯を炊き、簡素な食事をし、洗濯やゴミ出しも欠かさない。
三上の「日常性」/ゴミの分別を教えてもらう |
これは、社会復帰するのに絶対条件だった。
大体、ごく普通の「日常性」を継続的に維持していくことこそ、私たちの至宝の価値ではないのか。
この「日常性」は、継続することによってのみ価値を持つ。
この「継続性」こそ緊要なのである。
しかし、三上は繋げないのだ。
一切は、一般社会で普通に共有されている、ルールを守るために求められる必要最低限の「我慢強さ」を形成し得ない、三上本人の責任である。
それでも、三上をサポートする人々の存在が、男の社会復帰を支援していること。
ここにのみ、三上の救いがあった。
このアウトリーチによって救済され、自立していく男の自己運動は、観る者の心を感極まらせるのに充分過ぎていた。
印象に残るのは、下稲葉の妻の言葉。
「娑婆は我慢の連続ですよ。我慢の割に、大して面白ろうもなか。だけど、空が広いち言いますよ。三上さん、ふいにしたらいかんよ!」
要するに、自らを「極道」という狭隘な枠に押し込めず、世の中を広い視野で見て、自分に合った新たな道を見つけ、自由に生きなさいということである。
小さな星の、小さな光が、ささやかな幸せをうたってる夜の星々を、見上げてみよう。
この世界は限りなく広いのだ。
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イメージ画像 |
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イメージ画像 |
この価値観に辿り着いた男の至福こそ、何ものにも代えがたい男の旅の重さの収束点だったのである。
―― 以下、“ヤメ暴”と称される元暴力団員の〈現在性〉について言及したい。
一般社会と暴力団との間に巨大な障壁を生んだ「暴力団対策法」(1991年)→「暴力団排除条例」(2011年/全国的に施行)の制定以降、暴力団規制の厳しさが増している。
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「『早くやめておけば』あえぐ組員、強まる排除 『暴排』条例の10年」 |
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暴力団排除条例 |
“ヤメ暴”に対する中小企業への就職の斡旋は存在しつつも、更生の援助などは制度的に不備であるという現実を、まず直視したい。
多くの元受刑者の就労支援率が1~2%という極端な低さが、このことを物語っている。
これには、「反社排除」による囲い込みが社会全体で強化している現況があり、“ヤメ暴” に対する拒絶的な風潮の背景にある。
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反社チェック・コンプライアンスチェック |
決して間違ってはいないが、この拒絶的な風潮を、一般社会が自業自得と考える傾向が支えているので、“ヤメ暴”の社会復帰をより困難にしている事実を認知せざるを得ない。
かくて、5割にも及ぶ、元受刑者の再犯率の高さを生み出しているのだ。
元受刑者の5割が再犯者になるという現実は、「ダボス会議」(世界経済フォーラム)の「世界競争力報告」で報告されたように、安全な国トップ10に入った我が国の深刻な事態であると言える。
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世界経済フォーラム創設者兼会長 クラウス・シュワブ(ウィキ) |
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「世界競争力報告」安全な国トップ10 |
先述したように、シノギ(資金獲得活動)が制約された結果、暴力団では「食えない」時代になっていることで、「暴追センター」(暴力追放運動推進センターが作る「社会復帰対策協議会」)や「民事介入暴力対策特別委員会」(日弁連)らの離脱支援によって、年平均600人が暴力団を離脱している現状(特に、妻子持ちの暴力団員/注)は悪くないが、行き場のない“ヤメ暴”が、犯罪者に戻ってしまうという現実は看過できない。
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「民事介入暴力対策特別委員会」の活動 |
(注)警察庁によると、暴力団組員・準構成員は10年の7万8600人から20年は2万5900人に減少したと公表している。
「反社」というラベリングによって、カタギで頑張ろうとしても、そのことを認知しない我が国の不寛容性を炙り出してしまっている。
気持ちは分かるが、企業の大半が“ヤメ暴”を雇用しないのだ。
“ヤメ暴”それ自身を認知しないからである。
かくて、離脱支援活動が空回りしているのである。
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工藤会離脱者の就労支援(工藤会は「特定危険指定暴力団」に全国で唯一指定されている) |
「反社」から一般社会を守るという「暴力団排除条例」の制定は間違っていないし、当然の対応であるが、今や「反社」でないにも拘らず、“ヤメ暴”それ自身を認知しない風潮は、却って“ヤメ暴”の再犯を累加させてしまうのだ。
思うに、“ヤメ暴”に潜む「暴力性」に対する恐怖感が、一般社会に浸透していること。
これが、“ヤメ暴”の社会復帰の困難さの最も大きい要因になっている。
「居場所」の確保という、“ヤメ暴”の社会復帰の受け皿の形成こそが、喫緊の課題なのである。
映画の中で描かれていたように、それが仮に「社会的正義感」に起因していても、“ヤメ暴”に潜む「暴力性」を発現させてしまう主人公・三上の振る舞いには、地域住民を怖れさせるに充分過ぎるものだった。
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三上の身分帳 |
だから、この映画が教えるのは、離脱後の就業=社会復帰にはならないという現実である。
長期就業の継続こそが、真の社会復帰であること。
「社会的包摂」という理念で、“ヤメ暴”の受け皿制度を社会全体で作り出し、それを継続に確保すること。
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全国初「暴力団離脱者(ヤメ暴)雇用企業に給付金」新制度 福岡県 |
これに尽きるだろう。
―― ここで想起するのは、アメリカで開発された教育プログラムとして有名な「セカンドステップ」。
児童期から攻撃性を抑制し得るような自我を育てることで、コミュニケーション能力や問題解決能力を身に付けていくという教育プログラムである。
自らが帰属する社会の最低限のルールを守り、「我慢する」ことの大切さ ―― これを児童期までに身に付けさせていく。
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セカンドステップ |
それに頓挫してもなお、「人生をやり直せる」という思いを捨てさせない社会的アウトリーチを継続し得ること。
この映画で描かれていたのは、この社会的アウトリーチの継続性が“ヤメ暴”の社会復帰の生命線になるという情態だった。
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三上の支援者たち |
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三上を支援するスーパー店長 |
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三上を支援するケースワーカー(中央) |
“ヤメ暴”もまた、強い意志・忍耐・気構えが要求されること。
介護施設職員となって、怒りを必死に抑える三上 |
安易な思考で社会復帰を果たすことなど、殆ど不可能であること。
暴力団組織在籍時の「しのぎ」は、もう存在しない。
建設業の土木作業に従事しても、肉体的労働に耐えていかねばならないのである。
仕事面において相当の格差があり、一般社会の労働条件、環境の状況を理解することなしに、真の社会復帰など覚束(おぼつか)ないのだ。
一般社会との意識の大きな相違を認知し、それを受容していく。
暴力団風言動によって、“ヤメ暴”に潜む「暴力性」を剥(む)き出しにすれば、一発アウトになる。
脱落すれば、殆どの会社は雇ってくれないのだ。
私たちの社会は、その冷厳な現実を直視せねばならないだろう。
そんな当たり前のことを、当たり前のように描いたこの映画を、私は高く評価したい。
【参照資料】
「暴力団離脱者社会復帰に際しての心構え 福島県暴力団社会復帰対策協議会」 「“ヤメ暴”の社会復帰の難しさ、立ちはだかる『元暴5年条項』とは」 「『携帯は禁止、銀行口座もダメ』行き場のない元ヤクザは、犯罪者になるしかない」 「暴力団を離脱する人たちとその理由」 「暴力団離脱者はいま、就職先でこんな『イジメ』に遭っている」 「民事介入暴力対策特別委員会」(東京弁護士会) 「『早くやめておけば』あえぐ組員、強まる排除 『暴排』条例の10年」
(2021年10月)
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