検索

2020年4月7日火曜日

かくも長き不在('61)   アンリ・コルピ


<「基本・メロドラマ」の、反戦名画の曲折的到達点>



1  白旗を掲げ、降参・帰順のスタイルを捨てられない悲哀が宙を舞う





トラック運転手ピエールという恋人がいながら、セーヌの河岸近くに、常連客で賑わう「アルベール・ラングロワの店」という名のカフェを、女手一人で経営するテレーズが、ピエールの誘いの積極的になれないのは、16年前にゲシュタポ(秘密国家警察)に捕らえられて以降、消息を絶った夫アルベールの帰還に一縷(いちる)の望みを抱いているからだった。

テレーズ(左)とピエール
「アルベール・ラングロワの店」の賑わい(左端がピエール、中央がマルティーヌ
アルベール・ラングロワ。

夫の名である。

その夫の名を店の名にしていることで、夫を想うテレーズの想いの強さが窺える。

警官を恐れる男

テレーズの想いの強さが伝わったのか、彼女の前にアルベールと思しき男が出現する。

毎日、「セビリアの理髪師」を歌うホームレスである。


男を視認するテレーズとマルティーヌ
衝撃を受けるテレーズ(左はピエール)

警官を恐れる態度が尋常ではないホームレスを視認したテレーズが、そのホームレスに深い関心を持つのは当然だった。

男を視認するテレーズ

だから、件(くだん)のホームレスを正確に確認するために、カフェで働くマルティーヌに頼み、男を店に呼び、ビールを勧め、会話を繋ぐが、「ロベール・ランデ」という証明書を見せ、「記憶がない」と言って、帰っていく。

マルティーヌと男

男の声を店の奥で聞いていたテレーズは、驚きのあまり卒倒する。

「恐ろしい。でも、覚悟はできていたの」

そう洩らし、男の後をつけようとするが、男の姿を見失い、セーヌ河岸を歩き通し、その畔で朝を迎えることになる。

男を見失い、セーヌ河岸を歩き通す
畔で朝を迎えるテレーズ

男の住む粗末な小屋を発見し、その行動の一部始終を視界に収めていくテレーズ。

男の住む粗末な小屋を発見する
男も朝を迎える
男の1日が始まる


木箱を取り出し、紐を解き、そこに入っている雑誌の人物画像などを鋏(はさみ)で切り抜き、淡々と終える男。

特段に悦に入るように見えない。

その男にテレーズは声をかけ、「私にも手伝わせて」と頼むが、拒まれる。

「私にも手伝わせて」
切り抜きの趣味に興じる男
古紙を集める男
男の散歩

「午前中は古紙を集める仕事だ。午後は私の趣味だ」

男の言葉である。

どうやら、これが男のルーティンのようだった。

そのルーティンを、ずっとフォローし続けるテレーズは、一計を案じる。

メーヌ県のショーリュに住む、テレーズの夫の叔母アリスと、夫の甥を店に呼び、男がアルベールである事実を確認してもらうこと。

左からアルベールの甥と叔母アリス、テレーズ

男がアルベールであることを疑わないテレーズの強い想いが、この行為に結ばれたのである。

「セビリアの理髪師」のレコードを大音量でかけ、男を店内に誘(いざな)い、ビールを勧め、テレーズが事前に集めた雑誌の束を渡し、男が趣味の切り抜きに没頭する間に、夫の叔母と甥が、男=アルベールである事実を確認する。

それが、テレーズの狙いだった。

この間、テレーズを含む3人が、今から16年前の失踪事件と、故郷ショーリュに関する話などを大きな声で語り合っていくのだ。

の行動変容を視認すること。

これが目的だった。

「あなたより、25年も前からアルベールを知ってるわ。あなたのように恋心で見ることもない。だから、私の目は濁らない。私は違うと思う。長い時間をかけて、隅々まで観察したわ」



これが、男に対する叔母の感懐。

「証明書の名前が違う」と言ったのは甥。

詳細は後述するが、男が無言で店を出ていった後、アルベールの縁者から、ほぼ迷いなく否定され、テレーズの思惑は頓挫する。

思惑通りにいかなかったが、それでも、テレーズの確信に揺るぎはない。

この確信を推進力にして、テレーズは男の小屋を訪ねていく。

以下、その時の会話。

「本当は話したくて来たの。あなたが、ある人とそっくりだから」
「ある人って?」
「昔知ってた人よ。それきり会えなかった。あなたには分らないわね」
「どうしたいんだ」
「分らない…時々、家に来て欲しいの。たまには、一緒に食事をして、嫌でなければ話をしたり、音楽を聴きましょう」
「私も忙しい」
「ええ、でも、私の家で食事しても、ここでも、何も変わらないでしょ」

奇妙な提案だとお互いに言い合い、微かに笑みを浮かべる二人。

「心から来て欲しい…来るわね?たまにでも」
「分った。行くよ、そのうちに」

数日後、店を訪れたアルベールは、テレーズに自分が作った切り抜きを渡す。

満面の笑みを湛(たた)えるテレーズ。

男も、声を出して笑う。

テレーズに初めて見せた明るい表情である。

テレーズは、予め用意してあった奥の部屋に、男を誘(いざな)う。

しかし、その空間を視界に収めるや、男は後ずさりして、店を出ようとした。

「狭いから」

恐怖感を覚えたのである。

「狭いから」
テレーズを心配する街の人々

男は別のテーブル席に案内され、食事を摂るに至る。(この時の会話は映画の本線だから、後述する)

思うように話を聞き出せないテレーズは、音楽をかけ、男と並んで二人で聴き入る。

ジュークボックスのレコードから流れる、オペラの歌詞に反応する男。



今 空がほほ笑み

美しい光がさしてくる

あなたは 今もまだ

夢の中にいるのですか

目覚めて 優しい人

姿を見せて いとしい人

ああ 私を悩ませないで

私を苦しめないでください

苦しめないで

願いを聞いてください

私の願いを

聞き入れてください



胸に染み入る音楽である。

音楽が終わると、二人でその歌を歌い、笑い合う。

笑みを湛える二人

和やかにシャンパンを飲みながら、テレーズは、男の記憶喪失について聞き質(ただ)していく。

「あなたにも、昔は家があった。豪邸かも知れない。親友や家族がいた。奥さんがいたでしょ。もしかして、浮気をしてたかも。遠くまで旅行したでしょ。なぜ、拒むの。あなたの過去を受け入れてよ!」

「親友や家族がいた」

思わず力がこもり、後ずさりする男を追い詰めていく。

「拒んでない」


「拒んでない」

「許して…思い出す努力をしてほしいだけ。あの野原の前にあったことをね。太陽と、茂み…きっと思い出すわ」
「どうやって」

役場でも演技だと言われ、信じてもらえないのだ。

「こう考えて。あなたは幸せだった。幸せな過去を思い出せば、きっと楽しいはずよ」
「本当にそうかな、幸せな過去か」
「お医者さんは、一体、何と言ったの」
「医者は、治らないと」
「時間をかけても、戻る希望はゼロなのね」
「多分ね」

「医者は、治らないと」

今度は音楽をかけ、二人のみの空間でダンスを踊り出す。

二人のみの至福の時間と空間

「三つの小さな音符」(主題歌)というシャンソンが穏やかに流れる中、ダンスに興じる二人。

「お礼を言うわ」

踊りながら、そう言って、男の後頭部に触れると、裂傷の跡に気づいたテレーズは、思わず表情を曇らせる。

男の裂傷の跡に振れるテレーズ
後頭部の外傷こそ、男の記憶喪失の原因ではないのか。

そう、思ったに違いない。

それでも踊り続ける二人。

「本当にダンスが上手だわ」

踊り終わった後のテレーズの言葉。

「優しい人だ」

心の籠った男の反応である。

「それは違う。言ったでしょ。昔の知人に、そっくりなだけ」とテレーズ。
「会ってないのか?」と男。
「私の愛した人よ」とテレーズ。
「悲しい話だ」と男。
「そうね。記憶が戻らないといっても、もしかしたら、突然、戻るかも知れない」

「悲しい話だ」

涙を溜めながら吐露するテレーズ。

「泣いてるね」と男。
「そうでしょ…」

「そうでしょ…」

テレーズが、そう言った後、反応する術がない男は、遠慮げに握手の手を差し伸べ、もの柔らかに触れ合って、帰途に就くのだ。

忌まわしき事故は、この直後に出来する。

店を出ると、一部始終、中の様子をっていた、昔のアルベールを知る街の者たちが路上に屯(たむろ)ていた。

足早に去って行こうとする男に向かって、皆、口々に、大きな声で彼の名を呼ぶ。

「アルベール・ラングロワ!」

大声の連呼に驚く男は足を止め、両手を上げる仕草をする。

足を止め、両手を上げる男

白旗を掲げ、降参・帰順のスタイルである。

向かいのアパートの部屋の窓の灯りが点くと、恐怖に慄(おのの)き、走り去っていく男。

追いかける近隣の者たち。

その様子は、恰も、男がゲシュタポに追い詰められるかのようだった。

悲劇は、その直後に惹起する。

向かって暴走する車に、男は真正面に衝突してしまった。

驚愕(きょうがく)するテレーズは失神してしまう。

意識を取り戻したテレーズに、恋人のピエールは優しく語りかける。

「彼は無事だ」

「テレーズ、彼は無事だ。何でもない」
「何でもない?彼はどこにいるの」
「出て行った」
「またなの」
「あきらめろ。分ってるだろ」

長い「間」の中から、テレーズは、自らを納得させるように、語りかけていく。

「やり方を間違えた。性急すぎたのよ。優しすぎた。そうでしょ…でも、冬が来れば、帰って来る。夏は時期が悪いの。厳しい冬なら、日が短くて、行く当てがなくなるもの。夏は開放的になるでしょ。冬を待つの。冬を待ちましょう」

「性急すぎたのよ」
「冬を待つの。冬を待ちましょう

この言葉で、フェードアウトする映画の鮮烈な印象は深く、その残像は心の芯を揺さぶり、今でも粘りついて離れない。





2  「基本・メロドラマ」の、反戦名画の曲折的到達点





「記銘」(記憶)⇒「保持」⇒「想起」⇒「忘却」というプロセスを遷移する記憶が障害を受ける時、通常、私たちは記憶喪失と呼ぶが、その原因の大半が脳損傷にあることは広く知られている。

心の風景「『自分が見たものが全て』という、視界限定の狭隘さ」より

頭部外傷に起因する記憶喪失の破壊力。

これが、本篇のコアにある。


【「ロベール・ランデ」=アルベールであると特定できないが、少なくとも、テレーズは、「ロベール・ランデ」という名の記憶喪失者の人格に、16年間の別離を経て「再会」した、最愛の夫アルベールを「見てしまっている」。この心理がなお延長される私的状況のうちに、反戦名画が描き出した、解決不能のテレーズの、心苦しいまでの「切なさ」が凝縮されている】
以下、男=アルベールであることを前提に、批評を繋いでいく。

頭部外傷に起因せず、ドラッグの過剰摂取がトリガー(契機)と化し、大脳側頭葉にあり、記銘力の中枢となる「海馬」の一時的ショートによる「一過性全健忘」と異なり、頭部外傷に起因する記憶喪失の険阻なゲシュタルト崩壊(統合性の崩壊)の様態は、本篇のアルベールが負うPTSDの破壊力によって可視化されている。

アルベール
の後頭部の裂傷が痛々しく顕(あら)わすのは、ゲシュタポの酷烈(こくれつ)な暴力による致命的な海馬萎縮の発現であった。


海馬

元より、私たちの記憶には、「エピソード記憶」(経験記憶)、「意味記憶」(情報記憶)、「手続き記憶」(技能記憶)の3種類に大別される。


「エピソード記憶」(経験記憶)、「意味記憶」(情報記憶)、「手続き記憶」(技能記憶)

アルベールの場合、哀惜の念に堪(た)えないダンスシーンに象徴されるように、小脳が中心的役割を果たす運動性技能としてのルールの記憶、即ち、体で憶えた「手続き記憶」が生き残されていたが、個々の体験の集積である長期記憶としての「エピソード記憶」が崩壊したことで、事実と概念に関する「意味記憶」をも剥落(はくらく)してしまっていた。

要するに、時間的な符号化としての「思い出」が剥奪されてしまったのである。

それを検証するシーンがあった。

テレーズがアルベールの記憶を復元させるために、アルベールの叔母と甥を店に呼び、雑誌の切り抜きをするアルベールの至近距離で、敢えて大きな声で会話するシーンである。

「セビリアの理髪師」のレコードに聞き入っている男を迎える準備をするテレーズ

以下、再現する。

「ねえ、アリス。ジャン・ラングロワは元気?」とテレーズ。
「ええ、あなたの帰省を奥さんと待ってる」と伯母のアリス。
「イザベルが待ってるの?」
「イザベル・ラングロワよ」
「故郷のショーリュは、昔のままかしら。川岸や教会、学校裏の沼はどう?」

その話に、一瞬、耳を傾けるアルベール。

「イザベルの子供は何人なの?アルベールは、ショーリュで逮捕された。1944年の6月だったわ。義理の妹のイザベルが子供を産んだ朝だった。イザベルの3番目の子供よ」
「ええ、ジョルゼットの次のマルセルよ」
「もう遠い昔のことね。何年前?」
「16年よ」

テレーズは新聞の切り抜きを止めないアルベールの方に振り向き、今度は、彼に向って話しかけるようにして、会話を続ける。

「イザベルの4番目の子供はアルベールよ」

「イザベルの4番目の子供はアルベールよ。あの朝、逮捕されたアルベール・ラングロワの名前をもらったの」と伯母。
「僕の伯父のアルベールが、ショーリュで不当に逮捕されたんだ」と甥。
「僕の伯父のアルベールが…」
「ショーリュで拷問されたわ」

「そうよ、甥のアルベールは、ショーリュで拷問されたわ」と伯母
「ゲシュタポに連行されて、メーヌ県のアンジェへ。覚えているでしょ。1944年6月24日、ブレネで投獄されたわ。パリ祭の日に収容所送りよ」

これはテレーズ。

「あなたのいとこのアルド・カンビーニと2人のイギリス兵が一緒だったわ」と伯母。
「彼らをブルターニュまで運んだからだ」と甥。
「その後、アルベールは勲章をもらった。アルベール・ラングロワは、英雄になったの」と伯母。
「彼の妻は、テレーズ・ラングロワね。テレーズが代理で勲章を受け取ったわ。1946年11月24日にもらったのね」とテレーズ。
「テレーズの旧姓は、カンビーニで、1936年にショーリュへ両親とやって来た」と伯母。
「アルベールの妻テレーズは、再婚した?夫が逮捕されて以後、結婚は?」とテレーズ。
「いいえ、テレーズは、決して再婚なんかしない」と伯母。
「一度も?では、パリに残ったのね?パリに残った。ピュトーでカフェを続けたわ。バカンスだけは帰郷するけど、それ以外は、ずっとパリよ。テレーズはずっとパリにいる」

このテレーズの声が店内に響き、アルベールはテレーズたちの顔を見るが、目を伏せてしまう。

意識的に語気を強めるテレーズの語調には、存分な想いが注ぎ込まれているのだ。

ここで変化が起こる。

切り抜きの仕事を止め、アルベールはカバンを持って店から出ていってしまうのだ。

このアルベールの行動で解釈可能なのは、近接する者たちの大声に対してセンシティブな反応を起こすとうことだ。(これはラストで回収される)

アルベールが出て行った後、迷いながらも、伯母のアリスは、この人物が甥のアルベールではないと話す。

「アルベールは暗い目をしていた」

そう言うのだ。

「たまにね」とテレーズ。
「それに、身長も違う。姉妹は皆大きいのに…」と伯母。
「身長なら私も知ってる」とテレーズ。

以上、こんな会話だったが、ここで明晰なのは、時間的な符号化としての「思い出」である「エピソード記憶」が、アルベールの脳内で崩壊現象を起こしているという現実の重みである。

そして注目すべきは、前述した通り、アルベールの店内からの物理的離脱が、近接者の大声に対するセンシティブな反応であったと解釈できること。

ここで、もう一つ、重要な場面を起こしてみよう。

「ブルーチーズ」の一件から伸びていくシーンである。

「ブルーチーズでしょ?」とテレーズ
「そうだ。ブルーチーズだ」とアルベール

「そうだ。ブルーチーズだ。硬めの」

テレーズの誘(いざな)いで、ブルーチーズを好みにしていたアルベールが、それを何時、食べたが思い出せなかった。

「記憶喪失だ」

アルベール自身が、その原因を説明したのだ。

以下、二人の会話。

「知らなかったわ」
「ドイツで」
「強制収容所?」


「強制収容所?」

「ああ。だけど、この味(ブルーチーズ)は、よく覚えているよ」
「ねえ、一番昔の記憶って、どの瞬間なの?」
「覚えてる。野原だった。近くに茂みがあった。丸くて、動かない。静かで誰もいない。よく覚えている。昼間だった。遠い昔だ」
「その瞬間、どんな気持ちだったの」

「その瞬間、どんな気持ちだったの」

思わず、声高になるテレーズ。

「何も思わない。立ち上がり、歩き出した。それだけ…歩いたら、頭が少し痛かった」

「何も思わない。立ち上がり、歩き出した」
「それだけ…」
「歩いたら、頭が少し痛かった」

この一連の会話・振る舞いの中で重要な点は、アルベールの最も最新で鮮烈な記憶が、野原の茂みでナチスの残党に放免された時の記憶の残像と化していること、そして、その時に、現在にまで続く記憶喪失の原因となった後頭部の裂傷を被弾したということ。

テレーズの触覚を通して得たように、こういうことなのではないか。

アルベールの「エピソード記憶」の崩壊が、この野原の茂みでの放免時に出来(しゅったい)したのである。

そして、この致命的な被弾は、精神分析学的に言えば、アルベールの自我の深部を巣食うナチの拷問の日々が、そこに関わる事態の出来によって、無意識的に封印された感情が解き放たれる「アクティング・アウト」を表出してしまう危うさと共存していること。

この「アクティング・アウト」が、「アルベール・ラングロワ!」と叫ぶ、アルベールを知る街の者たちによる大声の連呼に恐怖を覚え、両手を上げるという降参のポーズを取る行為に結ばれ、凄惨な悲劇に見舞われるに至ったのである。

追いかける街の友人たちは、アルベールにとってゲシュタポ以外ではなかったということだ。

この点を強調すれば、本作は「反戦映画」というジャンルに括れるだろうが、私は、観る者の情動にダイレクトに訴え、且つ、 扇情的な音楽に依拠することなく、情感系の起伏を抑え、感傷に流さないという制約の中で構築された「基本・メロドラマ」であると評価している。

このことは、テレーズのラストの独白のシーンで瞭然とするだろう。

本作は、「基本・メロドラマ」の、反戦名画の曲折的到達点である。

これが私の結論である。

広々とした空間を臨む男(オープニングシーン)
同上(オープニングシーン)
睦み合う二人
(2020年4月)

0 件のコメント:

コメントを投稿