「真理子、真理子!」と呼びかけながら、足を引き摺り歩き回る男の叫びから物語は開かれる。
良夫 |
下肢機能障害である男・道原良夫(以下、良夫)。
港町の造船所で働く良夫は、警官の友人・肇を呼んで助けを求めるが、やはり見つからない。
肇(左) |
夜になり、公衆電話から携帯に連絡が入り、迎えに行くと、見知らぬ男の車から真理子が降りて来た。
「真理子、何で勝手に出てったんだよ。3回目だぞ」
「出てないよ」
妹の真理子は自閉症で、常に兄が目を離せない状況だったが、この日は鍵を壊して家を出て行ったのだった。
真理子が風呂に入っている間、良夫が真理子の脱いだ服を片付けていると、ズボンのポケットから1万円札が見つかり、下着が汚れていることに気づく。
「この金、どうしたの?」
「金?もらった」
「誰から?」
きちんと返答せずに、濡れた体のまま裸で風呂から上がった真理子に、良夫は尚も詰問する。
「冒険。冒険」
そう答える真理子が握り締めていた札を取ろうとすると、思い切り手を噛みつくので、良夫は真理子を叩きつけてしまう。
真理子(左) |
翌朝、いつものように鎖で繋ぎ、鍵を締め、出勤する良夫。
その日、造船所から解雇を告げられた良夫は、上司から気持ちばかりの慰労金を渡される。
「これ、皆から。少ないけど…」(上司) |
職を失った良夫は、ティッシュの広告入れの内職(一個一円)をするが、家賃が足りず、肇の家へ無心しに訪ねると、ちょうど身重の妻と法事に出かけるところだった。
内職をする良夫 |
傍らでチョコパイを食べる真理子 |
「悪いんだけど、金、貸してくんない?」「いくら?」「3万」「高い」 |
「なんか今、従業員リストラしてて、俺、足悪いじゃん。で、もう、そういう奴いらないって。だから辞めてやった。畜生!あいつら、ぶっ殺してやる!」
泣き縋(すが)る良夫が1万円しか受け取れないと、なおも「俺と真理子が餓死してもいいのか!」と迫り、肇が香典を開けようとすると、妻がそれを阻止する。
妊娠中の妻のお腹に興味を持った真理子が、お腹に耳を当てる。
家に帰ると、真理子の貯金箱を割り、真理子が受け取った1万円に手をつける。
![]() |
傍らで真理子の泣き声が劈(つんざ)いている |
電気を止められ、ゴミ袋を漁って食べ物を探す二人。
ティッシュを食べる真理子を止めさせるが、「甘い」と言うので、良夫も食べてみると、「甘い」と笑顔になる。
ティッシュを食べる真理子 |
「ご飯、7時?お母さん!」
「お母さん、遠くへ行っちゃった」
そこで真理子は、「冒険する」と言って、外へ出て行こうとする。
「冒険するか」と呟く良夫。
真理子を連れ、夜の港に駐車するトラック運転手に、「いい子がいるんですけど、いかがでしょう?」と声をかけるが、相手にされない。
「1時間で1万円」 |
次に声を掛けた男とは売春の話が成立し、トラックで行為が始まるが、真理子が常に首にかけているマスコットを外そうとすると嫌がり、男の手を噛んで激しく抵抗する。
結局、金を返す羽目になった。
「もう、帰ろうか?」
「帰らない」
トイレで拾った口紅を真理子につけ、再び街に繰り出していくのだ。
常にフラッピング(手を上下に振る)が見られる真理子 |
客と商談が成立するが、そこにヤクザが入って来て、シマで勝手に商売をする良夫はボコボコに殴られてしまう。
女が妹だと知ると、面白いと言って、ヤクザの商売に利用されることになる。
目の前で真理子が男とセックスする姿を見せつけられ、幼い頃の真理子がブランコの鎖で「気持ちいい」と股をこすり、母親に叱られていたことを思い出す良夫。
真理子はその時と同じように、「気持ちいい」と言ってセックスを楽しんでいる。
港でヤクザから受け取った万札を見つめ、良夫は真理子に訊ねる。
「また、行きたいか?今日みたいなこと、またしたいか?」
「するよ」
売春という危ない世界に踏み込んでいく兄妹の行為には、生きるためなら何でもするという生存戦略が渦巻いているようだった。
【真理子が首にかけているマスコットへの固執は、自閉症スペクトラムに見られる、特定の物に対する拘泥を示す「同一性の保持」という行動様式である/自閉症スペクトラムについては、拙稿「僕が跳びはねる理由」を参照されたし】
真理子のマスコット |
2 「俺ら、こうなったのも、全部お前のせいだからな!お前らのせいで、俺ら、こうなってんだよ!」
金を得た二人はハンバーガーを貪(むさぼ)り、暗い部屋で電灯を点ける生活から、居留守のために張り巡らした段ボールを剥(は)がして、外の光を取り込む。
外の光を取り込む |
良夫は「KYスタイル」という手書きの小さなピンク色のチラシを配り、デリヘル業を始めた。
「1時間1万円」という当初からの金額を提示して、客の需要に応えるのである。
真理子も次第に手馴れて客の相手をし、チラシのポスティングも精力的に行う。
しかし、長くは続かず、真理子は高台からチラシを巻いてしまう。
明らかに障害者と分かり、断る客に、値引きをしてまで勧める良夫。
様々な客を相手にする中で、真理子は小人の客を好きになってしまう。
「俺さ、お母さんのお腹の中にいる時ね、こうやってさ、出たくない、出たくないってさ、暴れたらさ、足から出てきちゃったんだよね。だったらさ、そのまま暴れ続けてさ、お腹ん中に、居続けてやればよかったって思ってるよ」
良夫が迎えに行くと、真理子が小人に抱きついて離さない。
そんな折、肇が「KYスタイル」のチラシを手にし、電話をかけると良夫が出た。
肇は良夫の家を訪ね、部屋の中を探して同じチラシを見つける。
「何だこれ?何だって聞いてんだよ!」
「しょうがないだろ!こんな内職じゃ、二人、食ってけないんだから!」
「真理ちゃんに、相手させてんじゃないんだろな?」
「そうだよ」
「お前、何やってんだよ!」
「だって、しょうがないじゃん、俺、足悪いんだから」
「お前な、足が悪いんじゃないんだよ!頭が悪いんだよ!今すぐ、止めろ!」
「止めないよ。真理子だって、嬉しがってるんだもん」
「嬉しがってるわけねぇよな!分かってんのか?お前がやってんのはな、違法なの。犯罪!」
「だったら、どうした」
瞬時に、居直る良夫の頬を叩く肇。
「分かってんのに、何でやってんだよ!」
そこで、良夫は真理子に指示する。
「このおじさんとお仕事して!」
真理子は「お仕事する?」と言いながら、肇のズボンに手をかける。
「何させてんだよ、お前は!妹だろ!」
「お前みたいな奴をな、偽善者って言うんだよ。黙って、金貸せ!」
肇が良夫に鉄拳を下す。
「お前、それでも人間か!二度と顔見せんな!」
友人に見捨てられた良夫が、またしても難題に直面する。
真理子が妊娠したのだ。
産婦人科で診てもらい、12周と言われた良夫は中絶を勧められるが、真理子を連れ出し、肇の家で1時間だけ預かってもらった。
自分を見捨てた肇しか頼れる者がいない男の捨て身の思いが、時間を動かしていくのである。
良夫は、父親が何度も会っている小人だと確信し、彼の家を訪ね、結婚の意思を確かめに行くのだ。
「真理子じゃ、ダメですかね。真理子、ここに何度も呼んで貰って、あいつ、それ、すげぇ喜んでて、俺もそれ初めて見て、それで、真理子のこと、好きでしょ?」
「好きじゃないです」
「え?ほんとに?」
「ほんとに。ごめん」
小人は窓を閉めてしまった。
窓越しに小人が話をする。
「僕だったら、真理ちゃんと結婚すると思ったの?」
「思ったよ」
「子供、産むの?」
「いやぁ」
「産むわけないよね」
その時、携帯が鳴り、肇から真理子がいなくなったと言う。
電話を切ると、目の前に真理子が立っていた。
「お仕事する」と言い、小人の家の前まで来たのだった。
「もういい」と真理子を連れて帰ろうとすると、パニックを起こして道路に寝転び、泣き叫ぶのだ。
そんな時だった。
浜辺を歩いていると、造船所の上司がやって来て、一人辞めたので、良夫に復職を求める。
「今さら言うのも何だけど、戻って来れないか」
真理子が社長を誘うので、良夫は真理子を押し倒す。
「誰でもいいのかよ!」
今度は上司を掴み、叫ぶのだ。
「俺ら、こうなったのも、全部お前のせいだからな!お前らのせいで、俺ら、こうなってんだよ!」
「悪かった。とにかく、考えておいてくれよ」
上司はそそくさと帰って行った。
【自分の思いが伝わらないなどというストレスを強く感じた時、パニックを起こすのも自閉症スペクトラムの特徴である】
パニックを起こす自閉症スペクトラム/「僕が跳びはねる理由」より |
夢の中で、良夫は下肢機能障害もなく思い切り走り、遊技場で何不自由なく遊び回る。
眠りながら声を上げて笑う良夫。
夢から覚めると、元の足のままで、眠っている真理子の膨れた腹が目に入る。
ブロックを持ち上げて、真理子の腹に落とそうとするが、どうしてもできなかった。
泣き崩れ、畳を拳で叩き下ろす良夫。
起きた真理子が貯金箱を手渡す。
結局、真理子は中絶手術をした。
復職した良夫は、また姿を消した真理子を探し、肇に電話を入れ援助を求める。
大雨の中、真理子は岬の岩場の先端に立って、海を見つめている。
「真理子、お前、何でこんなとこにいるんだよ!ダメだろ、お前、家で待ってなきゃ!危ないだろ、こんなとこで」
良夫の携帯のベルが鳴ると、真理子は「仕事」の呼び出しであると期待したのか、振り返るのだ。
一瞬笑みを浮かべた真理子の表情を見ながら、電話に出る良夫。
ラストカットである。
3 炸裂する、障害者という「弱さ」の中の「強さ」
売春を「冒険」と言う真理子の行為は、兄によって支えられている厳しい家計をサポートする手立てでもあった。
「冒険」に行く時の真理子の表情はいつも明るい |
彼女なりに、「食」を満たすために、貯金を何とか増やそうとする思いがあるのだ。
その「冒険」の結果、ハンバーガーを食べられるようになったことで、「冒険」の恩恵を物理的に実感する。
「冒険」という名のセックスも楽しむことができた。
これは大きかった。
かくて、セックスで得た快感を手放したくはない。
真理子にとって、この「お仕事」は人生で初めて手に入れた享楽だったのだろう。
同時に、鎖で繋がれ、鍵をかけられた部屋からの解放感に浸ることもできる。
自由を謳歌するのだ。
これは決定的に大きかった。
だから、積極的に「お仕事」に打って出ていくのである。
そればかりではない。
常連客の小人に対して、愛情を抱いていく。
小人とのセックスに執着する自閉症者・真理子。
小人ばかりではない。
復職を求める造船所の上司にまで誘い掛ける始末だった。
それを見る良夫が、「誰でもいいのかよ!」と怒り、叩き付けてしまうが、妹に売春をさせた張本人だから、それ以上、何も言えない。
この葛藤が良夫にはある。
それでも止められない。
生きていくためには何でもする。
「弱き者」が生きていくには、この強さが必要なのだ。
如何なる状況下に捕捉されても、生き抜いていく力こそが、兄妹を支え切っているのである。
これは、ラストでも強調されていた。
もう後がない岬の断崖に立っていても、決して自殺に振れず、「お仕事」の依頼の電話に期待し、反応する真理子の強さは、「弱き者」に唯一残された生き抜く力の発現だった。
障害者という「弱さ」の中の「強さ」。
これが推進力となって、ネガティブな状況をブレークスルーしていく。
現実的には殆ど不可能であると思えるが、この映画は、兄妹の生き抜く力の強さの体現を、一つの寓話劇として観る者に提示してくるのだ。
興味深いエピソードがあった。
プールで虐めっ子のグループの一人が、チラシを見つけて電話をかけ、真理子を呼び出した。
虐められる生徒から良夫は1万円を受け取り、真理子は生徒と更衣室に入っていく。
「お仕事」のためである。
その様子を遠くで見ていた高校生らは、外で待っていた良夫を襲い、金を奪おうと羽交い絞めにするが、この時の良夫の行動もまた、「お仕事」と共に逸脱した振る舞いだった。
そこで良夫は、息んで出た糞を彼らの顔にぶつけて、追い返してしまうのである。
このような挙動こそ、下肢機能障害で生きてきた男の生き抜く力の発現なのだ。
一方、虐められている高校生を相手にセックスの快感を味わさせた真理子。
彼女の生き抜く力の発現が、一人の高校生を蘇生させることになる。
「海の匂いがしました。生きていると、いいことがあるんですね」
更衣室から出て来て、至福の表情で、良夫にお礼を言った時の少年の言葉である。
因みに、ここで高校生が言う「海の匂い」とは、その直前に、海で泳いでいた真理子の肌の匂いである。
糞を被弾した少年たちと、蘇生させられた少年。
この一件は、彼らの近未来に何某かの影響を与えるかも知れない。
そうでなくとも、蘇生させられた少年にとって、「今」は大丈夫なのだ。
この「今」が、「弱き者」にとって、至りて掛け替えのない何かなのである。
―― そして、もう一つのエピソード。
小人症の青年に対する真理子の想いの強さのこと。
「お仕事」の常連客である件(くだん)の青年に対して、真理子は明らかに特別な感情を抱いていた。
良夫が迎えに行っても、小人に抱きついて離さない真理子の気持ちを斟酌して、小人に会いに行った良夫は、真理子の妊娠を告げ、窓越しに結婚を申し込むのだ。
「僕だったら、真理ちゃんと結婚すると思ったの?」
この一言が、欺瞞的で不穏な空気を射抜いてきた。
「思ったよ」と開き直った良夫に対して、「子供、産むの?産むわけないよね」と反応する小人。
小人症という、顕著な低身長の病態を呈する者に対する偏見を見透かした反応に、加える言辞は何もない。
良夫もまた、下肢機能の障害を負うが故に、反応すべき何ものもない。
ここで重要なのは、小人にとって真理子の存在は、性欲処理のパートナーであると同時に、単に親しい話し相手でしかなかったということ。
話し相手と言っても、その十全な対象ではなかったということ ―― このリアルが横臥(おうが)しているのである。
だから、辛いシーンがインサートされた。
その只中に、肇の保護から自らを解き放ち、「お仕事」と言って真理子が走って来たのだ。
強引に返そうとする兄に、激しく抵抗する真理子。
そこで、何が起こったか。
思い通りにならず、蓄積されたストレスがピークに達し、パニックを起こしてしまうのだ。
自閉症スペクトラムの特徴的症状が発現したのである。
想いを寄せる小人と会えずに、路傍の中枢で喚き、叫び、号泣する真理子。
そんな妹を見て、良夫は複雑な思いを累加させていく。
「お仕事」の度に真理子の意思を確認してきた良夫の〈状況性〉は、愈々(いよいよ)厳しさを増すばかりだった。
初めて得た1万円札を凝視し、葛藤する良夫 |
思うに、「お仕事」を求め続ける真理子に対して、彼は幾度か中断させ、最終的には、自らが働くことで「普通の生活」に戻ろうとしていた。
しかし、下肢機能の障害で自分だけが解雇された一件を許せなかった。
だから、復職を求めて来た造船所の上司の身勝手な言動に切れてしまった。
下肢機能の障害があっても、真面目に働いてきたと信じる自分の存在が、単に欠員の穴埋め要員でしかないという現実を突きつけられ、怒気を強めてしまうのだ。
この引きのカットは、真理子のパニックのシーンと共に、本篇の白眉である。
にも拘らず、復職を果たす男。
それが、兄妹の生き抜く手立てであるからだ。
社長に対して言いたいことは物申した。
もう、簡単に欠員の穴埋め要員として使われることはないだろう。
そう、思ったに違いない。
自分には、真理子を保護する責任があるのだ。
売春という安直な行動に振れたが、時折見せる良夫の煩悶の表情には、それでも生き抜く手立てを模索する辛さがあった。
この辛さを見せずに、真理子を守らんとする強さが彼を支え切っていたが、中絶するという選択肢しかない状況に捕捉され、費用を捻出できず、遂にブロックを手にしてしまう。
しかし、それだけはできなかった。
だから、意を決して復職する。
中絶費用を捻出するためである。
前借りしたのだろう。
生き抜かねばならない。
真理子を守り続けねばならないのだ。
復職することで得た生活費の方が、下肢機能の障害でリストラされた悔しさに拘泥することより、遥かに重要な課題なのである。
使命であると言ってもいい。
炸裂するが、障害者という「弱さ」に逃げ込まず、生き抜く「強さ」。
どんなことがあっても、生き抜くこと。
これだけが、「弱き者」の武器なのだ。
炸裂する、障害者という「弱さ」の中の「強さ」 ―― これが、この映画にはある。
―― 邦画界のタブーを難なく突き抜く傑作。
兄妹を演じた俳優が素晴らしかった。
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ストーリーの中に行政の問題を組み込まなかったことは大正解。
この物語に行政の問題を組み込んでしまったら、如何にも見え透いたアンニュイな社会派映画になったであろう。
「さがす」でも驚かされたが、凄い映画作家が現れたものである。
![]() |
片山慎三監督 |
(2022年12月)
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