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2021年3月11日木曜日

町田くんの世界('19)   石井裕也

 


<余りある利他心が、「健全な個人主義」に収斂されていく>

 

 

 

1  必死に走り続ける「町田くん」の青春譚

 

 

 

「善」の記号性を被(かぶ)せたような高校生が、スクールカーストが常態化しているスポットで、心弾む気持を捨てることなく呼吸を繋いでいる。

 

件(くだん)の高校生・「町田くん」は、「善」の絶対記号のようだった。 


「キリスト」などと揶揄され、その存在の異様性が際立っているのだ。

 

バスで席を譲ったり、子供の風船を追いかけて疎水に落ちたり、束ねて運ぶ本を書架に戻してあげたり、元気のない女子を励ましたり、部活でレギュラーになった男子に声をかけ、喜びを分かち合ったり、等々。




そこに「善行」という意識が微塵も拾えず、これらのアクトを、いつでも率先して起こすから驚くのである。

 

「人間好き」を体現する、そんな「町田くん」が、「人間嫌い」を公言する同級生の猪原に興味を持ち、いつもと同じように、普通の利他的行為に振れていく。 

保健室でサボっている猪原

怪我の手当てをするために、いつまでも保健の先生を待つ「町田くん」

              「町田くん」の行為に呆れながらも、自ら応急処置をする猪原


ハンカチを借り、そのお礼を言うために走って追いかけたり、凛として、「これは何か違う。彼女、大切な人なんです」と言い切って、同じ学校の生徒にナンパされている彼女を連れ戻したり、等々。

ハンカチで応急処置をしてもらった猪原に感謝の気持ちを言うために、どこまでも追いかけていく「町田くん」

「大切な人」と言って、猪原を氷室たちから連れ戻す「町田くん」


さながら、ムイシュキン(「白痴」の主人公)を彷彿させるような、ただの世間知らずで、洞察力欠如の印象を与える「町田くん」にとって、特定・非特定を問わない他者の「困った状態」に無関心ではいられないのである。 

同級生のサカエに猪原のことを聞く


「雨だと、家に閉じこもっていても許されるから。ここにいていいよって言ってくれてる気がするんだ」

 

孤独の本質を射抜くような猪原の言辞である。

 

そんな猪原が「町田くん」に好意を抱くようになる。

 

「町田くん」は、その好意の意味が理解できない。

    「大切な人」と言われた意味を理解できない「町田くん」への不満で、感情を露わにする猪原


同学年の西野との会話が面白い。
 

 

「恋って、どういう気持ち?他の好きと、どう違うの?」 


恋を知らない「町田くん」の言葉に驚きながら、真剣に説明する西野。

 

「他の好きと、根っこは一緒だと思うよ。それがちょっとしたきっかけで、爆発するみたいに、魔法みたいに恋になる」 

猪原に告白し、3人でデートしてもらうことになる西野


今度は、それを猪原に聞くのだ。

 

「どんなことがきっかけになるんだろう。好きな気持ちが爆発するみたいに恋になるきっかけって何?」 


問われた猪原の方が狼狽(ろうばい)する。

 

「分かんないよ、そんなこと」

 

そう、反応するだけだった。 

猪原の幻想

しかし、異性に対する恋愛感情を持ち得ない「町田くん」に翻弄される猪原は、もう、ギブアップ。 

頭を撫でられ、優しくされたさくらが、「町田くん」に好意を持ち、弁当を作って来て、食べてもらう(後方に猪原がいる)

「町田くん」に対するさくらの告白を耳にして、「女たらし」と非難するが、「町田くん」の優しさに触れ、猪原の心が動き、また、異性感情を復元させていく


猪原に対する氷室からの伝言を伝える「町田くん」

瞬時に青ざめ、完全にギブアップする猪原

猪原がバスを降り、意気消沈する

その「町田くん」を、バスに同乗していた雑誌ライター・吉高が見つめる


一緒にバスを降り、「君はどうして、そんなにやさしいの?」と聞く吉高

必死に走って、猪原に会いに行く

「俺、どうしよう!分かんない!」


                  「ちょっと待って。やだー!」


父の言葉が推進力になって、猪原に対する感情が異性愛であることを実感する「町田くん」は、ギブアップした猪原を、「生まれるんだ!新しい町田!」と叫びながら追い駆けるのだ。
 

「俺、分かりたいんだ、猪原さんのこと!」

「皆を平等にするって、すごくいいことなんだけど!…私のことだけを…ごめん。やっぱり私って最低だね。もう、関わらないで」


しかし、もう手遅れだった。

 

ロンドンに留学する意志を固めた猪原に対する「町田くん」は、意気消沈するばかりだった。 

               二人が初めて話をした思い出の保健室で、意気消沈する

七夕祭りが雨天中止になり、二人で行こうと約束したスポットで佇む猪原


珍しく落ち込んでいる「町田くん」を励ます高校生たち。

 

その高校生の中に氷室もいた。

 

「町田くん」をバカにしていた彼は今や、「一生懸命」に生きる「町田くん」に感化された一人だった。

 

以下、それを印象づけるような二人の会話。

 

氷室は、付き合っていたサクラから贈られた時計を投げ捨てた。

 

その時計を拾う「町田くん」。

 

「ダメだよ、氷室君。君はもっと、人の気持ちを大事にしなきゃ、ダメだ。これはゴミなんかじゃない」


「何?偉そうに説教?人の気持ちを大事にしろ?あはは、そんなの聞き飽きたし、何百回も言われたわ」

「それだけじゃない。君は自分の気持ちを考えないから、人の気持ちも分からないんだ。もっと自分を大事にしたほうがいい」

「はぁ?何だよ、じゃ、お前分かんのかよ。え?その気持ちとやらを」


「分からないから、言ってんだ!どうするんだ、俺」

「知らねえよ。てか、やっぱ、お前、変だ」

「そんなの聞き飽きた。今まで、何百万回も言われたよ!」

 

「町田くん」に近づいて、胸倉を掴む氷室。


 「おい、何でお前は、いつもそんな一生懸命なんだよ。あぁ、ムカつくな。言っとくけどな。そんな、必死こいて生きても、意味ねぇぞ!」


「でも、氷室君、今、一生懸命な顔をしてる。難しいけど、頑張って想像してみないと…これには、さくらさんの一生懸命な気持ちがこもってる。想像しないと」


「想像…」 


そんな会話だったが、氷室の表情から怒気が消えていた。

 

物語をフォローしていく。

 

仲間に尻を押され、再び動き出す「町田くん」。 



サカエの自転車を借り、必死に走り続ける「町田くん」の前に、風船を飛ばされた子供が現れたので、自転車を降り、風船を取ろうとするが、猪原のことが忘れられない「町田くん」は子供に自分の思いを率直に伝え、そのまま、風船に導かれ、大空を飛翔していく。 


       猪原との思い出を回想しながら、「あの時は、もう好きだったんだ」と口にして走っていく



そんな折、猪原が空港へ行くための電車に乗り合わせた雑誌ライターの吉高は、没になった原稿を猪原に渡し、読んでもらうことになる。


そこには、「町田くん」のことが記述されていた。

 

「この世界は悪意に満ちている。弱い者をいじめ、自分のことしか考えない。命を簡単に踏みにじり、他人の不幸を喜ぶ。思いやりなんて存在しない。この世界は悪意に満ちていて、まるで救いようがない。長い間、そう思いながら暮らしてきた。でもある日、私の前に一人の青年が現れた…世界は悪意に満ちている。本当に、そうだろうか…彼が、町田君という名の青年が見る世界は、きっと美しいに違いない」

 

その文章を読み、感銘を受け、目を潤ませる猪原。

 

「町田君に会いたくなりました」 


そう言うや、車窓から空を飛ぶ「町田くん」を目視した猪原と吉高は降車し、「町田くん」が気づくまで、彼の名を呼び続けるのだ。 

満員電車の中で興奮する吉高



猪原に気づいた「町田くん」は、ジャンプする彼女の手を掴み、抱き上げ、二人で大空を飛翔していく。 


その光景を見て驚く氷室とさくら、西野とサカエ、そして「町田くん」の母。 


「これから、どうすればいいんだろう」

「分からない。けど、ゆっくり行こう」 


ところが、カモが近づき、風船を割ってしまうのだ。 


地上に落下する二人が落ちたのは、自校のプールだった。

 

「何でだろ。分かんないけど、まだ生きてる!」


「何でだろう。生きてるね!きれい!ねえ、町田君。町田君には、何が見えてるの?優しい人ばっかり?醜くて、どうしようもないような人間は、町田くんには、見えてないの?」


 

猪原は「町田くん」に問いかける。

 

「町田くん」は、明瞭に言い切った。

 

「今は、猪原さんが見える。猪原さんしか見えない。他のものは、見えなくなってしまいそうなんだ。それって、いいことなんだよね?猪原さん、君が好きだ」


「私も!」
 


ラストシーンである。


 

 

 

2  余りある利他心が、「健全な個人主義」に収斂されていく

 

 

 

 「我々ヒトが、他の動物と大きく異なる能力は高度な協調性である。町田くんは誰にでも優しく、自己犠牲さえ厭わない。そして、今のところ、ヒトだけが唯一恋愛をする動物であるとされる。町田くんは、まさにヒトの中のヒトだ。さらに、『町田くん』は、他のヒトにも伝染するのだ。なぜなら、『幸せ』は伝染するのだから」

 

公式ホームページに紹介されているコメント欄で、興味深かったのは、澤口俊之(脳科学者で霊長類学の研究者)が寄せたこの一文である。 

澤口俊之教授

ヒトだけが「想像力」という能力を進化させてきた。

 

音声器官と前頭前野を発達させ、メンタル統合能力を獲得してきた。 

前頭前野

その結果、ヒトだけが協調性をコアにする高次の社会性を発現させ、他者に対する「共感感情」(情動的共感と認知的共感)を進化させてきたのである。 

「共感感情」(イメージ画像)


チームワークを発揮できるのは、動物全体の中でヒトのみである。

 

これが、道徳感情(人間の社会集団におけるルール順守の総体)の基盤を作り上げてきたと言っていい。

 

遺伝性とは無関係に、個体間で大規模な協力を示す現象を「超社会性」と言う。

 

同時に、この「超社会性」が、ルール順守に背馳(はいち)する者に対するペナルティとリンクし得る「互恵的利他主義」が前提となっているという説には説得力がある。

 

少なくとも、この「超社会性」が人間の道徳のルーツとなるという仮説は信じたい。

 

スケールの大きな話になるが、これが進化心理学の一つの解釈である。

 

「人類はその進化の過程を通じて、霊長類の中でも極めて多くの個体との共存を可能にする形質(形態と性質)を獲得してきました。この形質により、人類は、ペアや家族や共住集団といった対面的な共存をするばかりでなく、親族集団や民族集団や国民、果ては全人類の共存までを『延長された同所』という形で『想像』することができます。こうした全地球的規模の多様な共存を根底で支えているのは、人間の社会的なあり方、すなわち高次の社会性にほかなりません。それは、現代の現実問題としての、異質な他者との共存、多様な価値観を持つ人々の共存をも可能にする力を有するものでもあるはずだと考えたいと思っています。人類が進化の過程で獲得してきた特異な社会性は、高い知性とともにわれわれを他の生物種から区別する特質でもあります」(「社会性の起原と進化 人類学と霊長類学の協働に基づく人類進化理論の新開拓」より)

 

ここで言う「同所」とは、人々全員が依拠する特定の場所のこと。

 

全人類の共存を可能にする、「延長された同所」をもイメージさせる「想像力」を拡張させる高次の社会性。

 

進化し続ける人間の「互恵的利他主義」 ―― ヒトの進化は止まらないようである。

 

人間の利他心は、オーストリアの動物行動学者コンラート・ローレンツが提唱した、「生得的解発機構」としての「本能」(注)とのレリバンス(関連性)が指摘されている。 

コンラート・ローレンツ(ウイキ)

(注)現在、「本能」という概念は専門分野での使用は避けられているが、認知心理学・進化心理学を包括する認知科学の学際領域において、生得的・遺伝的・生物学的基盤という表現で「本能」概念が代用されている。

 

いずれにせよ、ルール順守を基盤に、「互恵的利他主義」と罰をセットにして、テリトリーを守ることによって生まれた人間の歴史は、「国家」を形成し、見る見るうちに「近代社会」を作り出した。

 

その挙句、「国家」と「国家」の衝突を生み、「より強い国家」が「覇権国家」として膨張し、無辜(むこ)の人々を置き去りにする。 

覇権国家

「工業化」⇒「大量生産」⇒「自動化」⇒「インダストリー4.0」と続く「第4次産業革命」の行き着く先は、獲得経済(生産経済社会)の時代から僅か1万年のスパンで作り出した「近代社会」の、その爆発的、且つ、加速度的進化によって、「生きづらさ」を抱える多くの人々を生み出した。 

第4次産業革命

―― そんな社会の渦中で、余りある利他心を可視化させ、一人の高校生が呼吸を繋いでいる。 


彼の名は「町田くん」。

 

愛情豊かな環境の中で育った「町田くん」にとって、その利他的行為は「変人」扱いされながらも、利他的行為に返報しなかった他者にペナルティを与える愚に振れなかったことによって、彼に関わる多くの仲間たちを変えていく。

 

彼の利他的行為が偽善性・欺瞞性と切れているからである。

 

そのイノセンス性が認知され、彼の利他的行為には終わりが見えないようだった。

 

「幸せ」は伝染するのか。

 

ここで、勘考してみたい。

 

「町田くん」の利他的行為のルーツについてである。

 

それが単に、愛情豊かな環境の中で育まれた所産ではないということである。 

「町田くん」のお母さん

それを明示するシーンがあった。

 

「町田くん」の過剰なまでの利他的行為に苛立つ猪原に対して、「町田くん」自身が説明するシーンである。

 

「俺、小さい頃、井戸に落ちて、頭を打って、それで死んだんだ。死んだと思ったら生きてた。多分、それが原因で、俺は何をやってもダメな人間になっちゃった。でも、あの時、確かに人の温かさを感じられた」


「あの時、確かに人の温かさを感じられた」

これが、物語が提示する「町田くん」の利他的行為のルーツである。

 

勉強も運動も苦手で、その過剰なまでの利他的行為に張り付く洞察力欠如の背景にあるのは、事故を起因にする脳が受けたダメージの大きさだった。 

元気がない他者を見ると、誰にでも頭を撫でる「町田くん」に、この直後、猪原は怒り出す

頭を撫でる行為を妹に聞き、バカにされ、母も不安になる


脳のダメージが運動・知能・情性の発育に影響を与えたと考えられる。

 

だから、本人が「ダメな人間」になったと言うのだろう。

 

そんな「町田くん」が、「変人」扱いされのは不可避だった。

 

しかし、事故で「人の温かさ」を感じたことが、「町田くん」の利他的行為ルーツであると印象づける本人の弁だが、今や、その利他的行為は変容を余儀なくされる。

 

「町田くん」の場合、一人の女子に対する異性愛が生まれることで、「分からなさ」の中で煩悶し、「善」という絶対記号が削(そ)ぎ落とされていくのだ。


 

彼の余りある利他心が、「健全な個人主義」に収斂されていくのである。


ここで言う「健全な個人主義」とは、周囲の環境に有効に適応し、「観念的テリトリー」(自己の内面的世界の振れ幅)の発現様態の中で、青春期の自我が熟(う)れていく心的現象を意味する。

 

異性を好きになる。

 

だから、このドラスティックな感情の発現によって、彼の余りある利他心が相対化されるのは必至だった。

 

それは、自我の成熟の証(あかし)なのだ。

 

ドラスティックな感情と利他心が融合することで、「健全な個人主義」を立ち上げていったということ ―― そういうことだろう。

 

ラブコメファンタジーという衣装を纏(まと)い、「展開のリアリズム」と「描写のリアリズム」を蹴飛ばして作った寓話的映像は、二人の主人公の「心理的リアリズム」を描き切った。 


それが成就したと思われる。

 

そして本作では、今まで以上に社会派メッセージが提示されていた。

 

「この世界は、悪意に満ちている。平成というこの30年は一体何だったのか。時代は明らかに悪くなり続けた。弱い者をいじめ、自分のことしか考えない。命を簡単に踏みにじり、他人の不幸を喜ぶ。思いやりなんて、存在しない。この世界は、悪意に満ちている…」 


この雑誌ライター・吉高の言葉に集約されるように、本作は明瞭に、「悪意に満ちたこの世界」と、「善」の記号を被(かぶ)されたような「町田くん」を対比させ、その際立つ個性によって、「この世界」で失った利他的行為を拾い上げている。

 

映画は、高度な協調性としての利他的行為が伝染するシーンを提示するのだ。

 

「町田くん」の危機を知った級友たちは、「町田くん」を猪原に逢わせるために動いていく。

 

親しい西野はともあれ、「能動的傍観者」のサカエも、本来の親切心を発揮する。 

自分の自転車の鍵を渡すサカエ

「町田くん」と対極に描かれていた氷室までもが「一生懸命」に動いていくのだ。 

              「町田くん」の危機を救わんとして動く氷室と西野


そんな「町田くん」の心理的推進力になったのは、久しぶりに帰国した生物学者の父との会話である。

 

「俺は、何もかも分からなくて」

「羨ましいな。分からないことがあるから、この世界は楽しい。分からないことがあるから、この世界は素晴らしい」 


頷く長男。

 

「分からないことから、目をそらしちゃダメだ。分からないからこそ、しっかり向き合わなきゃいけない。自分の胸にちゃんと聞け」

 

この父の言葉は本作のメッセージでもある。 

好きな女の子に会うために「叫びながら走っていきたい」と聞き、「我が息子ながら、面白い生き物だ」と答える父

「行ってこいよ」と励ます父

               笑みを浮かべ、行動に向かう意志を示す息子


どれほどの「分かりにくさ」があっても、事態に対峙し、自己と向き合い、そこで紡ぎ出した思いを全人格的に体現せよと発信しているのだ。

もう、何ものにも束縛されることなく、自由に羽ばたいていけ。 


「分からないことがあるから、この世界は素晴らしい」のだ。

 

かくて、動き出した「町田くん」は猪原に弾かれても、大化けした氷室を中心にして、級友たちに後押しされ、目的に向かって走り続け、風船に導かれて、羽ばたいていく。 


大空を飛翔する二人の構図が、漂動し、旋回する青春の輝きを放っていた。 


ところが、大空を飛翔する二人は鳥に弾かれ、地上に落下する。

 

この「カップル」のカモは、プール脇で話していた二人が見た、プールで泳いでいたカモであると思われる。

 

そのカモが、二人をプールに落下させ、二人を生かし、新たな「カップル」として再生させていくという含みで、物語をハッピーエンドに閉じるという設定であると考えれば、ラブコメファンタジーの構築性が読み取れる。

 

二人が落下したのは、その脇で柔和な会話を交わしていた、そのプールだった。

 

「まだ生きてる!」と叫ぶ「町田くん」に、「生きてるね!きれい!」と反応する猪原。 


この極めつけのシーンは、「新しい町田」に生まれ変わった者への、作り手からのプレゼントである。

 

「新しい町田」に生まれ変わり、「今は猪原さんしか見えない」と言い切ったラストは、ラブコメファンタジーの結晶点だった。 


「善」の記号性を被せたような高校生が、その記号性を自ら剥ぎ取り、「青春」のど真ん中に軟着したのである。

 

この辺りについては、石井裕也監督も触れている。

 

「これは、映画表現の幅、そして生きるということの意味を、自由に押し広げようとする行為でもあります。これからの新しい時代は、くだらないルールや常識に縛られず、自分の思う通りに生きていくべきだと思う。(略)現代の映画作家として、今こそ既存の価値観に揺さぶりをかけるべきだと思います。それは当然のアプローチで、それこそが映画の醍醐味であると思っています」(石井裕也監督インタビュー) 

石井裕也監督

これが、ラストシークエンスでの「町田くん」の大空の飛翔のうちに表現されていた。

 

多くの批判を蹴散(けち)らすような、このファンタジックな映像提示の強さこそ、「町田くん」の余りある利他心が、「健全な個人主義」に収斂されていく「物語の強さ」を象徴する表現だった。

 

ラブコメファンタジーという衣装を纏った寓話的映像の中で描かれた主人公の、それ以外にない「心理的リアリズム」の極点だったからである。 


(2021年3月)



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