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2020年7月23日木曜日

たかが世界の終わり('16)   グザヴィエ・ドラン


左からアントワーヌ、ルイ、カトリーヌ(後ろ向き)、シュザンヌ、母マルティーヌ

<家族という〈抉られた傷痕〉への帰還 ―― 恐怖突入するゲイ作家の覚悟と沈默>



Ⅰ  「私たちは、あなたがくれる時間を恐れてる」



「あれから10年が過ぎた。正確には12年だ。12年の空白のあと、怖れを抱きながらも、僕はあの人たちに、再び会おうと決めた。人は様々な動機に突き動かされて、自らの意思で、そこから去る決断をする。振り返ることもなく、同じように、戻ろうと決意する理由も数多くある。こうして長い不在のあと、僕は決めた。自分が来た道をたどろうと。旅に出るんだ。僕の死を告げるために。彼らと向かい合って。他者に、そして自分に、最後に遺していく。僕という存在の幻想。その日が迫っても、自分であり続けたと。さあ、どうなるだろう」

これは、12年ぶりに実家に帰る劇作家・ルイの航空機内でのモノローグ。

すべては、ここから開かれていく。

知らされていたとは言え、突然のルイの帰還に家族は当惑する。
ルイの帰還

その中で、兄の記憶が殆どない妹・シュザンヌが、ルイを抱擁して迎える。

「ルイ、素敵な髪型ね。よく見えないけど。タクシーなんて高いのに」

母のマルティーヌが、マニュキアをドライヤーで乾かしながら、甲高い声で第一声を上げる。

「ゲイは美しいものが好きなの」

ルイを迎えるその日の、母マルティーヌの言葉である。

そんな母の物言いにイラつくシュザンヌ。

次に、兄アントワーヌの妻・カトリーヌが紹介される。
カトリーヌ

彼女とは初対面である。

「中に入れてやれ。まるで子犬だ」

アントワーヌの皮肉交じりの出迎えの言葉。
アントワーヌ

「会えて嬉しいよ」

ルイがカトリーヌに挨拶する。

初対面であることに驚き、奇声を発する母。

「叫ばないでよ」
シュザンヌ

シュザンヌは、事あるごとに母に突っかかるが、母への愛情も強いように見える。

それが笑いに代わり、母も嬉しそうに話すのだ。

「私たちって、変わった人生を送ってる」
母マルティーヌ

どこの家族もそうであるように、ルイを迎える家族もまた、必ずしも和やかで、順風満帆な風景を描いているわけではない。

そんな中で、心のこもった話を、退屈そうなルイに語りかけるのはカトリーヌ。

「退屈じゃない。子供の話を聞かせて」
「よかった」
「男の子とは僕と同じ名前ですね」
「ええ。ごめんなさい」
「すごく、うれしい。それを聞いた時は感動しました」
「今は6歳です。娘とは2歳違いなんです。でも分からないわ。話を続けていいのか…」
カトリーヌ
ルイ

そこで、後ろ向きに立って二人の話を聞いていたアントワーヌは、突然振り返り、言い放った。

「俺を悪者にするなよ。話したけりゃ話せ。俺が邪魔しているような言い方はよせ」
「あなた、どうかしてる」
「話してやれ。聞きたがってる…」

嫌というほど捲(まく)し立てる、アントワーヌに口を挟んだのはシュザンヌ。
シュザンヌ

「いい加減にして」
「そうだな。すまなかった。悪気はなかった」

以下、ルイがシュザンヌの部屋に招かれた際の会話。

「あの頃の記憶は、ほとんどない。でも、皆からよく話を聞いた。ルイ兄さんのこと。いつも考えてる。出て行くなんて…間違ってた。私にとっても、ママたちにとっても。自分ではどう?後悔したことは?会いたかった?ごめんなさい」
「ここへ来たのは、それもある」

劇作家として活躍する兄をずっと慕い、待ち続け、裏切られ続けた思いを吐露するシュザンヌ。

「私たちはルイ兄さんを賞賛してる。私たちなりにね…本当に素晴らしい才能よ…でも、私たちのためには活かしてない。他人のためよ。あなたを知らない」

兄を赦す感情と責める感情が混交し、辛辣な言葉となり、巧みに表現できないシュザンヌにとって、兄の存在はどこまでも、家族内の未知なる成員としてのラインを越えられないのだ。
シュザンヌとルイ

ルイもまた、立ち竦んだまま、一方的に話をする妹の言葉を何とか受け止めようとするが、その心理的距離は埋まらない。

まもなく、ダイニングキッチンに集まった家族。

母マルティーヌは、カトリーヌの知らないアントワーヌの学生時代の話を皮切りに、かつて愉悦した「日曜日」の思い出の日々について、滔々(とうとう)と話し続けていく。

「息子たちも、すっかり大きくなって、娘も生まれた。息子たちは自転車で出かけるようになり、家族の日曜日は終わった」

とどのつまり、マルティーヌは「家族の物語」の再生を希求しているのだ。

部屋に戻り、ルイが嘔吐したのは、この直後だった。

ゲイパートナーから携帯電話を受け、ルイは本音を吐露する。

「いや、まだだ。いきなり切り出せない…たぶん昼食のあとで、デザートを食べながら。その時が来たら、話したら帰るつもりだ。なんて言われるかな。誰も泣かないかも。すごく怖い。彼らが怖くて」

ディスコミュニケーションの不全感の中で、ルイは「妹との話すのは辛かった」とも表白する。

今度は、母マルティーヌの話を聞くルイ。

「一番の問題は、私たちは、あなたがくれる時間を恐れてる。私も怖いけど、長くいると思ってない。それでもいい。今はここにいる」

母の話は止まらない。

「もう戻らない気ね。2人の背中を押せるのは、あなたしかいない。私が励ましても、何の足しにもならない。勇気づけてあげて。望むようにやっていいと」

これが言いたかったのだ。

ほんの少し時が進み、昼食の場で、アントワーヌの饒舌が止まらない。

帰りの時間を気にしつつ、その場に溶け込めないルイを気遣うシュザンヌ。

彼女にとって、誹議(ひぎ)しつつも、ルイの存在はどこまでも憧憬に満ちた自慢の兄だった。

一方、ルイが昔住んでいた家に行きたいと言うや、間髪を入れず、アントワーヌは嫌味の言辞を投げつけた。

「気取り野郎の趣味に付き合えと?」

暴言を吐き下す兄と、それに反発する妹の口喧嘩が続き、二人とも席を立ち去っていく。

シュザンヌには、家を出ることしか考えていないようである。

物置小屋に入り、昔の私物に見入り、ルイは家を出る前の回想に耽っていた。

若き日のゲイ体験である。
家出の重要な要因の一つになったであろう、若き日のルイとピエールと思われる

そこに、デザートの時間を告げにカトリーヌがやって来た。

「あと、どれくらい?」

沈黙の小さな「間」の中から、問いかけるカトリーヌ。

驚いた表情のルイ。

「何がですか?」
「あと、どれくらいで…あなたは…アントワーヌは一人で上にいるので、話してきたら?」
「そうします」

それだけだった。

その直後、アントワーヌの元へ行き、二人でドライブに行くことが決まった。

車内で、ルイが空港から家までの足取りについて話をするや、アントワーヌは害意を剥(む)き出しにしていく。

「なぜ、そんな話を?何か言って欲しいのか」
「そうじゃない。ただ、知って欲しかった。大事な話じゃない。本当のことだし、話したいと思って」
「頼むから、やめてくれ…お前が早く来ようが、あとで来ようが関係ない」

そう言いつつ、発問するアントワーヌ。

「ここまで来たからって、世界が終わるわけじゃない。聞きたくなければ黙ってる」
「何を言ってる?ちゃんと聞いてるよ」
「よく分からないけど、兄さんが、今朝の話を聞いたら喜ぶと思った。空港のカフェにいた。覚えてるかい?待ってたんだ。夜明けに押しかけたら驚くだろ。シュザンヌが猟銃を構える姿が目に浮かぶ。いつもハイだから」
「話は終わりか?」
「待ちわびながら思った」
「“待ちわびる”?さすがだ。最高だ!」
「待ちながら、兄さんに話そうと思ったんだ」

ルイが如何に兄との距離を意識し、会話の糸口を探して思い悩んでいる様相が判然とする。

「相変わらずだな。もったいぶった話と空しい言葉。こっちは訳が分からなくなる。人を混乱させやがって」
「どうかしてる」
「何だと?イカれてるのはお前だ。その続きは聞かなくても分かる…」

延々と続く、厭味(いやみ)の氾濫。

「なぜ戻って来たのか。想像もつかない。誰にも分からない。だから厄介なんだ」

その後もドライブ中、ルイを嘲罵(ちょうば)する言辞が連射されるのだ。

「先週の話だが、ピエールがガンで死んだ…お前のピエール」

息が詰まる不快な状況の只中で、車を降りたアントワーヌが、助手席にいるルイに、思い出したように言い添えた。

復元困難な、澱み切った風景のくすみ。
これは、ここから開かれる「デザート破壊」の初発点に過ぎなかった。



2  「まるで化け物みたいに扱いやがって。なぜ俺ばかり責めるんだ?いいかげんにしろ!」



デザートの時間になった。

時は、3時45分を回ったところ。

午後1時に実家に戻ってから、まだ3時間と経っていない。

「実は、皆に話がある。いくつか話が。もっと何度も家に帰って来るよ。手紙も書く。もっと何度も前より長い手紙を。すごく…後悔してるから。僕たちの失った時間を後悔してる。シュザンヌ、うちに遊びにおいで。週末でも、もっと長い休暇でもいい。兄さん、一緒に食事をしながら、さっきの続きを話そう。穏やかにね。ここか、僕の住む街で」

意を決して、ルイがここまで話し終えたところで、アントワーヌが遮った。

「仕事が忙しい」
「週末なら?」
「いや…」
「たまには休めるはずだ…街が好きだろ」
「俺が街を?」
「昔から好きだ」

長い沈黙。

外光が殆ど差さない薄暗いスポットで、緊張感が張り詰めている。
ルイが早々と立ち去っていくことを促すアントワーヌ

「僕は帰らないと」とルイ。

ここで突然、アントワーヌはデザートの席から外れる。

「すべてが順調でも、アントワーヌが壊す」

マルティーヌの言葉。

唐突に、アントワーヌがルイの背後から肩を叩く。

「帰るんだ。俺が送ってやる」

アントワーヌは、ドライブでのルイへの警告を、強引に進めていくのだ。

驚く家族。

ここでまた、アントワーヌとシュザンヌとの言い争いが始まった。

「なぜなの?急に帰るなんて。今夜は家に泊ってよ。朝食のあとで私が送るわ。約束って?」

ルイに話しかけるシュザンヌ。

「そんなに大切な約束があるの?」

今度はマルティーヌ。

ルイの沈黙。

答えられないのだ。

母も、ルイに感情的に問い詰める。

「なぜって。約束がある」とルイ。
「よし、行くぞ」

そう言って、ルイの手を引っ張るアントワーヌ。

母の思いが完全に砕かれ、アントワーヌを責め立てていく。

「何もかもブチ壊した。一生許さない。やっとルイが私たちに…」

シュザンヌの怒りも収まらない。

「自分が恥ずかしくないの?弟を追い出すなんて!」

嗚咽で叫び続けるシュザンヌ。

「あんたは、私達の人生を、大切な日を台無しに。乱暴なマネをして!」

ここで沈黙を保っていたカトリーヌは、弟を罵倒する夫を諫(いさ)める。

「落ち着いて、大丈夫よ。とにかく落ち着きましょう。乱暴しないで」
「俺は手伝おうとしてるだけだ」
「分かってる。兄さん」

烈しい誹議を浴び、アントワーヌは涙ながらに反駁(はんばく)する。

「まるで化け物みたいに扱いやがって。あんまりだ。なぜ俺ばかり責めるんだ?いいかげんにしろ!」

瞬時にルイが、「泣くなよ」と兄の肩に触れると、アントワーヌは反射的にルイを突き飛ばし、更に、拳で殴ろうとする。

アントワーヌの自尊心が炸裂したのだ。

「アントワーヌ、こっちに来るのよ。さあ、ルイから離れて。もう終わりよ」

マルティーヌが静かに呼びかける。

全てが終焉した瞬間だった。

マルティーヌは、ルイの頬を両手で挟み、穏やかに語りかける。

「次は大丈夫よ」

不意に家の中に迷い込んだ小鳥が、バタバタと出口を探しながら壁に衝突し、呆気なく息絶える。
息絶えた小鳥

まさに、ルイの覚悟の帰還が凝縮されたイメージショットだった。(個人的に言えば、このような見え透いたショットは好まない)



3  家族という〈抉られた傷痕〉への帰還 ―― 恐怖突入するゲイ作家の覚悟と沈默



以下、少なくない刺激(「正負」を問わず)を観る者に与えたであろう「たかが世界の終わり」について、私の独断的且つ、主観が横溢した批評を表現しておきたい。

「ゲイは美しいものが好きなの」

ルイを迎えるその日の、母マルティーヌの言葉である。

この言葉で、成功を収めた劇作家ルイに対する基本情報が、彼を迎える家族内で共有している事実が観る者に呈示されている。

だから、それを覚悟しての帰郷であることは、冒頭のモノローグで瞭然とする。

「怖れを抱きながらも、僕はあの人たちに、再び会おうと決めた。(略)長い不在のあと、僕は決めた。自分が来た道をたどろうと。旅に出るんだ。僕の死を告げるために。彼らと向かい合って」

12年ぶりの帰還だから、現在34歳のルイが家を出たのが22歳。

ルイの回想シーンで想像可能なのは、ゲイパートナーのピエールと何某かの事情で別れて、故郷を棄てたという、詳細が一切不分明な家出マターのみ。

故郷を棄てた22歳の若者が著名な劇作家となり、成功を収めたにも拘らず、家族という「抉られた傷痕」(主題歌から)への帰還を果たした目的は、既に自明である。
家族という「抉られた傷痕」

しかし、自分を案じる母に現住所を教えないほど防衛的なルイは、最後まで武装解除することがなかった。

「あなたって子は、全く気づいていない。愛されてないと?理解されてないと?その通りよ。理解できない。でも、愛してる。あなたを。誰もこの愛は奪えない」

二人の「秘密の会話」の中での、母マルティーヌが放った、極めて重要な言葉である。
「理解できない」が「誰もこの愛は奪えない」という母の言辞から、ルイの帰還目的を察知していたと想像するに難くないが、仮にそうであったとしても、どこまでも、マルティーヌの自我の中枢には、「家族という物語」の修復・再現だけが深く根を張っているから、彼女の行為が、この観念の域を超えることがない。

そこに、ズレが生じる。

怖れを抱きながら、覚悟を決めて帰還したルイにとって、その帰還目的は、自分の〈生〉のルーツを再確認すると同時に、そのルーツに深く関与した、「家族という〈抉られた傷痕〉」に恐怖突入することで、自らの〈生〉を形式的に自己完結し得る「旅」を遂行すること。

それ以外ではなかった。

だからルイは、血縁で繋がる個々の家族成員の〈生〉の有りように、関心を持つことは全くない。

有能な劇作家が、自分の兄であることにのみ深い関心を寄せる妹シュザンヌは、その兄との心理的距離感を埋められない現実に失望し、批判めいた言辞を投げ入れる。
シュザンヌ
シュザンヌ

前述したように、母マルティーヌとの関係においても然り。

これは、現在のゲイパートナーに吐露した、血縁関係にある家族に対する冷めた言辞で明らかである。

「境界」 ―― これが、ルイと血縁家族の間に横たわっているのだ。

「立ち入り禁止」の絶対ゾーンである。

この現実は、狷介(けんかい)な兄アントワーヌとの、不毛な会話の応酬の中で露呈されることになる。

「相変わらずだな。もったいぶった話と空しい言葉。こっちは訳が分からなくなる。人を混乱させやがって。(どうかしてる、とルイに言われて)イカれてるのはお前だ。その続きは聞かなくても分かる」

むしろ、ここまで言い放ったアントワーヌこそが「境界」を最も意識し、それを埋める作業を拒絶する人物だった。

弟ルイとの関係様態は一貫して最悪で、その心理の根柢には、ルイに対する埋め難い嫌悪感が渦巻いている。

この現実を嫌というほど知悉(ちしつ)するからこそ、ルイにとって、故郷への帰還は覚悟と沈黙の旅になった。

この辺りの負の関係様態は、恐らく、ルイの22歳の家出と濃密に関与していると思われる。

兄弟の関係に横たわる、「境界」という暗黙のルールが、恐らく12年前の時点で形成されていた。

「お前のピエール」というアントワーヌの厭味な言辞に典型的に現れているように、当時のゲイパートナーのピエールとの関係を濃密に繋ぐルイに対する嫌悪感が、事あるごとに炸裂することで、二人の負の関係様態は、母マルティーヌの心痛を胚胎(はいたい)させるほどに、制御困難な状況性を常態化していたと想像できるのだ。

アントワーヌの感情の根柢に、無知に起因する同性愛差別が横臥(おうが)しているのは容易に読み解ける。

「ソドミー法」というコモン・ロー(判例法)で有名な「ファイブアイズ」(英米加豪新のアングロサクソン5カ国)に存在していたゲイ差別は、今でも根強く残っているが、この「ファイブアイズ」と切れ、ソドミー法とは殆ど無縁なフランスであっても、ホモフォビア(同性愛嫌悪)≒「社会的良識」という観念が一般大衆の間に張り付いている現実は変わりようがない。
これは、いずれの国家でも変わらないと言っていい。

特にレズに対するホモフォビアよりも、ゲイに対するホモフォビアの方が、同性愛差別が強いのは経験則であるだろう。

女性同士が手を繋ぎ合っても許容し得るが、男性同士が手を繋ぎ合っていたら、少なくない人々は違和感を覚えるに違いない。
イラン、ブルネイ、サウジアラビア、イエメン、インドネシア等々のイスラム圏では、シャリーア(イスラム法)を根拠とし、多くの場合、ゲイ即死刑という信じ難い現実が存在する。
従って、アントワーヌのホモフォビアは、「異常」と見做(みな)し、断罪するには及ばないということである。

私の考えるところ、ピエールとのゲイ・パフォーマンスを常々視認していたアントワーヌは、彼らの行動総体を跳ね上がりと決めつけ、その嫌悪感が自然裡に膨れ上がっていた。

彼のホモフォビアが形成的でもあったと考えられる所以である。

「まるで化け物みたいに扱いやがって。あんまりだ。なぜ俺ばかり責めるんだ?いいかげんにしろ!」
アントワーヌの炸裂

このアントワーヌの反駁(はんばく)に込められた情動ラインには、ルイの家出後も、いずれの家庭でもそうであるように、妹や母との行き違い・軋轢(あつれき)があったにせよ、結婚し、子供を儲け、ルイが棄てた「家」を自分が家族を守ってきたという強い自負がある。

更に加えるならば、思春期期までに、その有能ぶりが際立っていて、言語表現能力の高さに象徴されるルイとの能力差を、これ見よがしに見せつけられ、嫉妬に起因する「インフェリオリティ・コンプレックス」(アドラーが言うところの「劣等コンプレックス」)が伏在していた。

一介の工具職人と、著名な劇作家。

後者の帰還を受容しないアントワーヌのホモフォビアが、団欒を望む家族成員とのデザートのスポットで、激越に爆裂するのは必至だったのだ。
「泣くなよ」と兄の肩に触れるルイ
ルイを突き飛ばし、更に、拳で殴ろうとするアントワーヌ(彼の自尊心とホモフォビアが爆裂する)

現在のゲイパートナーとの間で発症したと考えられる、ルイの「汚らわしいエイズ」の告白を体を張って止め、その片鱗をも破壊し切ること。

このネガティブな行動総体を、誰が何と言おうと具現する。

この「使命感」で、アントワーヌは動いたのである。

これが、狭量で狷介(けんかい)なる偏見居士・アントワーヌに対する、私の独断的な視座である。
【それにしても、アントワーヌを演じたヴァンサン・カッセルの演技力は圧巻だった】

剣呑(けんのん)な風景が暴れ捲った、起こるべきして起こった「デザート破壊」のリアリティ―― 映像的には圧巻という他にない。

最後に、唯一の非血縁者・カトリーヌについて言及したい。

「あなたも、これから子供を持つかも知れない。もし、欲しければ持てると思います。あなたはまだ若いし、可能性はある」

初対面の義弟に、ここまで踏み込んだ言葉を発することに驚かされるが、夫からルイについて何も聞かされていなかったにも拘らず、ルイがゲイである事実を匂わすような、ネガティブな言辞だけは知らされていたと考えられる。
夫に対する夫の悪罵を黙って聞くだけのカトリーヌだけは、夫の家族との血縁がない女性だった

【然るに、この会話で分かるように、カトリーヌはルイの帰還目的を認知できていなかったと言っていい】

かくて彼女は、「デザート破壊」を生身で見せつけられたことで、「立ち入り禁止」の絶対ゾーンである「境界」の只中で置き去りにされた感情を有し、特段の行動を控えるに至った。

それ以外に、偏見居士・アントワーヌとの間で儲けた二人の子供を守り、「家族」を延長させる手立てがなかったと思われる。

【気になるのは、「あと、どれくらい?」とルイに尋ねた言葉の意味である。ルイは驚いた表情を見せたが、これは物置小屋にこもっているルイに、「あと、どれくらい、ここにいるの?」という意味の発問であると考えるのが自然だろう】
「あと、どれくらい?」とカトリーヌに尋ねられ、驚いた表情を見せるルイ

厄介なるもの、汝の名は「家族」なり。

兄弟の関係が完全に自壊し、養母マルティーヌが築いた「家族」 ―― それは、どこまでも「生き地獄」の周縁で漂動する生き物だったのだ。
12年間の空白を埋められず、何も語ることなく、「家族」と別れていく「ルイの帰還」(ラストシーン)


【余稿】 LGBTは人権問題である


ここでは、概念としてのLGBTの普及の高さと、それに対する差別的なサイバーカスケード現象(ネットの異端狩り)について、拙稿(心の風景「LGBTという、押し込められた負の記号を突き抜ける肯定的な自己表現」、「公権力の行使にとって、LGBTの知識がないことは許されない」)から簡単に引用しておきたい。

LGBTについて、今、ようやく一般的な理解が進みつつある。

様々な啓発本が出版され、LGBTの人権問題を解消し、社会的包摂の立法化が進む国際的潮流に呑み込まれるように、政府・自民党も2016年に勉強会を立ち上げ、超党派の議員立法への動きも生まれている。

その一方で、相変わらず、LGBTへの誤解や無理解から、ヘイトスピーチ紛(まが)いの、心ない差別的な言辞がSNS上で連射されている。

サイバーカスケードである。

我が国の立法府で、「人権三法」(障害者差別解消法・ヘイトスピーチ解消法・部落差別解消法)が制定した昨今、差別解消を担うべき政権与党の国会議員もまた、確とした理解に及んでいない由々しき事態が剔抉(てっけつ)され、LGBTの問題が想像以上に深刻である印象をもたらしているのだ。

元々、LGBTという概念に馴染みがなく、その中枢的理解が及ばない人たちをインボルブし、初発の印象が、その後の判断に影響を及ぼす「アンカリング効果」によって固着した情報が定点を希薄化し、バイアスに塗(まみ)れた空気の拡散が不可視のゾーンを広げていく。
では今、なぜ、LGBTなのか。

国際社会の波動がじわじわと広がり、怒涛のように押し寄せてきて、初めから人権問題の衣裳を纏(まと)って漂動(ひょうどう)する本体が社会的に受容され、言語を絶する暴力的差別から、法的な枠組みで守られる必要に迫られているからである。

その本質が人権問題であるにも拘らず、これまで、日本社会は寛容で、理不尽な差別を否定してきたと信じたい人たちや、その存在を、単なる「性的嗜好」という個人的趣味の問題として退(しりぞ)けたい人たち、或いは、セクシュアル・マイノリティの問題が取り上げられることを奇貸として、政治的ポジションの表明として便乗したい人たちにとっても、程度の差こそあれ、その中枢的理解を精査する必要に迫られていることには変わりがない。
何より、無知による偏見は相変わらずで、中には知ろうともせず、自己基準と古い常識だけで判断しようとする一群の存在があるから厄介だった。(「人権」はイデオロギーと決めつけ、その広がりを排斥しようという厄介な右派が多く存在する)

ここで、同性愛=「性的指向」であって、「性的嗜好」と「性的指向」の違いを明瞭にさせる必要がある。

フェチ、マゾのように、「性欲対象になる好み」=「性的嗜好」であるのに対して、「性的指向」は、オリエンテーション(方向性)であって、どの性別の人間を性愛の対象とするかという、各個人の〈性〉の傾向のことである。

だから、「性的指向」は、性愛の対象が「異性に向かう異性愛」、「同性に向かう同性愛」、「男女両方に向かう両性愛」などを指す。

既に、「異性愛」と「同性愛」を対等なものにする「性的指向」という最も根源的な概念については、「府中青年の家事件」の控訴審での判決内容によって、20年以上も前(1997年9月)に決着がついている事実を忘れてはならない。

「府中青年の家事件」について簡単に言えば、NPO法人・「動くゲイとレズビアンの会」(アカー=OCCUR)が、東京都の宿泊施設・「府中青年の家」(2005年2月に閉鎖)の利用を拒絶された事件である。
この判決で押さえておきたいのは、「同性に向かう同性愛」が異常性欲ではなく、異性愛と同様に、人間の「性的指向」の一つであるとして、「従来、同性愛者は社会の偏見の中で孤立を強いられ、自分の性的指向について悩んだり、苦しんだりしてきた」と認定したことである。

ゲイやレズビアンは、人間の「〈性〉の多様性」という根源的テーマが理解できないが故に、暖かく寄り添うはずの身近な大人の無理解に弾かれてしまうのだ。

自らの能力の範疇を遥(はる)かに超えた、生理系の力動的体制である「パーソナリティ」の内部が穿(うが)たれ、第二次性徴を迎えた思春期頃までに自覚される「性的指向」や「性自認」という、「未知の恐怖」の負の連鎖。

戸惑い思い悩む思春期自我に与える、精神的ダメージが希死念慮(きしねんりょ・漠然と死を願う心理状態)を高め、「未知の恐怖」の負の連鎖の果ての自殺既遂。

人間の「〈性〉の多様性」という根源的テーマが、まるで理解できない者たちの出現によって、再び、蒸(む)し返される時代錯誤の現実に言葉を失ってしまうのである。
ギルバート・ベイカー(米国の美術家)が考案した、LGBTのレインボーフラッグ(ウィキ)

(2020年7月)

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