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2023年2月7日火曜日

ハケンアニメ!('22)   「義務自己」「理想自己」を粉砕する原点回帰への時間の旅  吉野耕平

 


1  
「今回のクール、視聴率から何まで全部勝って、覇権を取ります!」





「どうしてアニメ業界なんですか?」

「誰かの力になる、そんなアニメを作るためです」

「国立大学を出て県庁で働いているでしょ?なんでわざわざ?」


「王子千晴(おうじちはる)。王子千晴監督を超える作品を作るためです」
 


斉藤瞳の転職先である、アニメ制作大手「トウケイ動画」の面接での会話である。

 

7年後。

 

編集スタジオ ピー・ダック。 


チーフプロデューサーの行城理(ゆきしろおさむ)に抜擢された瞳は、初めて新人監督の作品として、『サウンドバック 奏(かなえ)の石』(以下、『サバク』)のテレビ放送に向け奮闘しているが、スタッフとの意思疎通がうまく取れず、ストレスを溜めている。

瞳に指示する行城(右)

 

彼女の覇権争いの対象作品は、憧れの王子千晴監督の『運命戦線 リデルライト』(以下、『リデル』)であり、その王子を支えるプロデューサーは有科香屋子(ありしなかやこ)。

 

物語は、同じ土曜5時に放送される両者のテレビアニメの視聴率を巡る覇権争いとして展開する。


【「覇権」とは、アニメ業界で、1クールもしくは1年間の間で、映像ソフトを最も売り上げたとされるアニメ。 それぞれ、クール覇権と年間覇権と呼び分けられ、クール覇権は「冬」「春」「夏」「秋」の4作品のこと】

 

肝心な王子は時々行方をくらます悪癖があり、今回もまた、連絡が全く取れないで有科を悩ませている。 

有科


行城はアニメ雑誌の『サバク』の表紙の作画を、スタジオ「ファインガーデン」の「神作画」で有名なアニメーター並澤和奈(なみさわかずな)に強引に依頼し、引き受けてもらう。 

並澤

「日本を代表するエンターテインメント、アニメ。その市場規模は2兆円とも言われ、毎クール50本近い新作が、今、この瞬間も生み出されている。制作現場で働く人々は、最も成功するアニメ、つまり、『覇権』を取るアニメを生み出すために日夜戦っている。彼らが目指す最高の頂。それがハケンアニメなのだ!」(ナレーション)

 

コンテ撮(「絵コンテ」の撮影)→作画打ち合わせ→線撮(フィルムに台詞の長さだけ線を引く)→美術・CG打ち合わせ→美術→仕上げ→撮影。


これがアニメ制作の行程である。

 

そのアニメ制作の監督の立場にある瞳は、スタッフに細かな指示を出すが、上手く伝わらない。



相手に聞く耳を持たせる力量不足もあるが、「無意識の偏見」(女性・新人監督)によって、端から相手にされていないようだった。

 

脚本会議が終わり、残って絵コンテを描きたいと言う瞳を、行城が強引にフィギアの打ち合わせとファッション誌の取材に連れ出す。 


四季テレビの製作局長・星に、一週間音沙汰のない王子について詰問される有科。

 

「王子監督。何年か前に急に降りてるよね。戻って来なかった場合、あなたに責任取れるの?億単位の金がかかってるんだよ!」 


何も答えられない有科は、『リデル』の監督交代候補リストを渡される。 



一方、録音スタジオで、主役担当の声優・群野葵(むれのあおい)のセリフの音入れで、何度もダメ出しする瞳。 

群野葵

群野はついに泣き出し、スタジオを出て行ってしまった。

 

「私は反対したんです。ルックスだけで実力のないあの子入れるの」


「彼女は人気があります。客を呼べる。そうでもしないと、無名監督のあなたは、王子千晴に勝てません」と行城。
 



自宅に帰ると、アパートの隣室に住む小学生のタイヨウが、瞳の飼い猫と遊びにベランダに上がり込んでいた。

 

「好きなアニメとかある?」

「ない」

「あまり好きじゃない」

「て言うか、好きじゃない。アニメってみんなウソじゃん。現実にはヒーローとかいないし、あんなの信じて、みんなガキだよ」 

タイヨウ

瞳は自分が子供の頃のことを思い起こす。

 

友達の差し出す魔法のステッキを拒絶し、「この世界には魔法なんてないんだよ」と言い返す少女・瞳。 



そして、瞳と王子の対談の当日。

 

然るに、この期に及んで姿を見せない王子に、有科は諦めの境地になっていた。

 

そこに突然現れた王子を、思い切り殴り飛ばす有科。 



ハワイに行っていたという王子は、11話までを描き上げており、最終話はこれからだと言うや、有科に絵コンテを渡す。

 

大勢のファンたちが集合する会場の舞台に登壇するのは、圧倒的人気を誇る王子と、おまけのような無名の新人・瞳

 

それぞれのアニメ映像が流れ、作品について自ら解説する。 



アニメは「オタクや一部のファンのものではなく、普通の人の一般的なものへ変化しつつあります。更に、一億総オタク化という言葉すら生まれています」という司会者の物言いに異を唱える王子。

 

「ずいぶん、上からの言葉ですね。あのさ、世の中に、普通の人なんていないすよ…暗くも不幸せでもなく、まして現実逃避するでもなく、この現実を生き抜くための力の一部として俺の作品を必要としてくれるんだったら、俺はその人のことが自分の兄弟みたいに愛おしい。なぜなら俺もそうだったからね。だから、総オタク化した一部の人々なんていう抽象的な表現じゃなくて、そういう人のために仕事ができるんなら、俺は幸せです」 


約束されたように沸き起こる万雷の拍手。

 

今度は、王子監督の『光のヨスガ』に憧れてアニメ業界に入ったという瞳に話が振られる。

 

「私、子供の頃、アニメに全然興味なくて、魔法少女に選ばれるのはいつも最初からキレイな家で、可愛い顔している一部の女の子だけだって思ってました。でも、『ヨスガ』は違った。団地に住んでる何でもない子が主人公で、私の子供の時と変わらなくて。『ヨスガ』に会って、初めて今までの自分の人生が肯定されました。魔法にかけられた。私がこの業界に入ったのは、見てくれた人に魔法をかけられるような作品を作るためです。だから、憧れの王子監督が裏の枠にいるのは光栄です」


「どうもありがとう。でも、そっちが裏ね。こっちは表」


「それは視聴者が決めることだと思います」

「確かに。じゃ、視聴者に決めてもらおう。どっちが表か」

 

ここで瞳は立ち上がり、王子に宣戦布告する。

 

「私、負けません!!」

「どうした急に」

「…今回のクール、視聴率から何まで全部勝って、覇権を取ります!」 


会場を包み込むような哄笑(こうしょう)の渦。

 

その様子を真顔で見つめる行城。 


対談が終わり、王子は有科に訴える。

 

「最終話でさ、主人公殺しちゃダメ?今度こそ、ちゃんと殺したいなって」

「夕方5時は、子供が観る枠です」

「有科さんって、枠とかで内容変える人なんだ」

 

一方、瞳は「言い過ぎた」と悔いて、悄然(しょうぜん)として俯(うつむ)くことになる。 



放送局の幹部会議で、有科は王子の最終話の意向を、主人公の死を例えとして伺いを立てるが、呆気なく却下されるのは自明だった。 


その直後、王子の家を訪ねた有科は、土産を買ったレシートからハワイには行かず、ホテルにいたことを知るに至り、本音を吐露する王子

 

「描くことの壁は、描くことでしか超えられないんだ。気分転換なんて、死んでもできない。ひたすら、噛り付くようにやるしかないんだ」 



初回放送の日の、それぞれのイベント。

 

『サウンドバック』公開招待上映会は、アイドルの群野を目当てに多くのファンが集まり、登壇した瞳は、群野の音頭で万雷の拍手を浴びる。 


初回の視聴率は同率1位。 


しかし、2回目は早くも『リゲル』が1位となり、SNSの話題は「リゲル」を絶賛するものばかりとなり、その差はどんどん開いて『リゲル』の独走状態となる。

 

声優の群野とは相変わらずしっくり行かず、王子にも彼女のインスタやツイッターをチェックしたかと心配される始末。 



スタッフも匙を投げ始め、「新人で、しかも女の監督」で、元々反対だったと話しているのを耳にしてしまう瞳。

 

「所詮、代打か」と宣伝担当の越谷。

根岸(左)と越谷


「次はないっすね。こんな大舞台でコケたら」と制作デスクの根岸。


精神的に追い詰められていく新人監督が、意地でも捨てられないスポットで辛うじて呼吸を繋いでいた。




2  「最終話はそんな風に誰かの胸に刺さってくれればいい。今なら、そんなラストが作れると思うんです」 


 

 

一方、王子も最終話への拘りから、突然、次の回の全取っ替えを主張し、有科と衝突する。

 

「有科さんがその程度の覚悟だなんて、思わなかったよ」


「その程度って、あたしがどれだけ…」

「どれだけやっても、納得できないものを世に出したら、お終いなんだよ」

 

瞳もまた、作品の売り込みでカップラーメンのCMに使われたことを会議で抗議するが、行城にいなされる。 

「いいですか、斉藤監督。アニメを視聴者に届けるのは簡単なことではありません」


話が噛み合わず、会議室を出ようする瞳に向かって、「あなたも失踪ですか?」と行城が揶揄する。

 

「そんなこと、するわけないでしょ!私が代打だからって、そんなこと関係ありません。王子監督に勝つんです!そのためにここまでやって来たんです!何でそんなことも、そんなことすら分かってくれないんですか!」 



ここで、ファーストシーンの「トウケイ動画」の面接の会話が再びインサートされる。

 

「なぜ、王子監督を超えたいんですか?」

「王子監督を超える作品を作れたら、私みたいな子供に届けられると思うんです」

「私みたいな子供?」

「ステッキを捨ててしまったんです。子供の頃、友達からもらった魔法のステッキを。現実には魔法なんてないと思ってたから。でも、王子監督に教えてもらいました。魔法はないかも知れないけど、アニメは魔法を超える力を与えることができるって。そのために私はここへ来ました」 



行城から揶揄された不快感で語気を荒げた瞳は、その足で、降り頻(しき)る大雨の中を走って転び、道路に絵コンテを描く仕事道具をすべてぶちまけてしまうのだ。 


その中にボクササイズの無料チケットが目に留まり、早速行って汗を流す。

 

その隣には有科がいた。

 

二人は風呂屋へ行って、湯上りに語り合う。

 

「…でも、監督って本当に凄い。世界丸ごと作る神様みたいじゃないですか」


「新人もベテランも舞台に立ったら同じです。王子監督が魂を削るなら、私は魂も体も睡眠時間も削るしかありませんから。ここで負けたら、もうアニメ作り最後かもしれない。もう後がない。そう思って今、ここにいます」
 


この瞳の言葉を真顔で受け止め、突然、有科は立ち上がる。 


「負けませんから。プロデューサーもスタッフも声優も皆、作品を届けたい気持ちは、監督に負けませんから」

 

その足で、有科は秩父の「ファインガーデン」にまで車を走らせ、これ以上無理だという作品の変更作業を断る社長に、頭を下げてお願いする。

 

「王子が机にしがみついて生み出した『リデル』を、これ以上ない納得のいく形で」

「申し訳ないんだけどさ…」

 

そこで並澤が「私がやります」と手を挙げた。 


「プロデューサーが本気なら、私たちは、もっと本気になんないと」

 

瞳は群野のインスタを開け、アニメの舞台となっている秩父を訪れ、主人公「トワコに会いたくて」とコメントしているのを見つけて驚く。 


一人で練習している群野の元にやって来て、深々と頭を下げ謝罪する瞳。 


「監督は、昔の自分に見せたかったんですよね。子供たちの記憶に残るような、いつか心の支えになるような、そんなアニメを作りたい、ですよね。行城さんから聞きました」

「行城さんが…」

「分かります。そういう気持ち。私にもそういうアニメがありましたから…自分が客寄せだってことくらい分かってます。それなら、日本一の客寄せになってやる」 


そう言って笑う群野に、瞳も笑い返す。 

行城の思いを知る瞳


最終話で悩み、葛藤している王子の元に有科がやって来た。

 

「殺してもいいですよ。ファンのたくさん付いた人気のヒロインを。皆殺しにしてください。監督の思う通りになさってください」


「そんなトラウマエンディングでいいわけ?テレビ局だって絶対NGって言ってんでしょ。円盤とかフィギアの売り上げだって、最終話のできに左右されるご時世だよ。そういう二次利用がなけきゃ、絶対に採算は取れない」

「いいですよ。殺すなら殺すなりの理由を、王子千晴なら必ず用意するはずです。絶対このエンディングしかないって。グーの根も出ない素晴らしいラストを描いてください。私に局と戦えるだけの武器をください」

 

一方瞳はプロモーションの撮影にも前向きに参加するようになっていた。 


同行した根岸と越谷は、そういう行城の宣伝の手法に、瞳への同情を装って難癖を並べる。

 

「監督も色々引っ張り回されて、よく耐えられるね」と根岸。


「ああいうのも必要なんじゃないですか」

「女性だと思って、甘く見られてるんじゃない?」と越谷。

「あいつ、瞳ちゃんや『サバク』、食いもんにするしか考えてないよ」と根岸。

 

ここで逆上した瞳は、根岸の手を振り払う。

 

「食いもんにするってなら、ちゃんと食えるもん作れよ、あんたたちも。行城さんは、あの人は、きちんと、私のこと食いもんにしてるでしょ。あの人の悪口言っていいの、私だけです。一番振り回されてるのも私だし、その逆に一番迷惑をかけているのも私です。だけど、その私が信頼しちゃってるんだから、どうしようもないじゃないですか!…“斉藤監督”って言われて仕事してるんですよ!私もうそれだけで、十分幸せです!全然、可哀そうじゃない!!」


 

そこに行城がやって来て、瞳に同行した二人にお礼を言うように促され、頭を下げる。

 

突然、瞳が倒れてしまった。

 

入院先に見舞いに訪れた行城は、配信の新作アニメを「スタジオグリーン」から出すという話がある瞳に対し、「トウケイ動画」をいつ辞めるのかを問う。

 

「知ってたんですか…でも、断ります。まだ『トウケイ動画』で行城さんの元で勉強したいことありますから」

「いや、辞めてください。あそこの作品には私も注目しています。昔の自分みたいな子たちに届くアニメを作りたい、でしたっけ?だったら、躊躇(ためら)うことはない」


「どうしてそれ?」

「自分で言ったじゃないですか」

 

三度(みたび)、「トウケイ動画」での面接シーンがインサートされ、行城がその面接の場に出席していた画(え)が提示される。 


「ただ辞めるにしても条件があります。それだけは守って下さい。どうか、円満にトウケイ動画を辞めてください…王子監督もそうなんですが、皆さん、会社と大喧嘩してフリーになられるので、これからも一緒に仕事をするために、どうか円満に辞めて頂きたい」

「これからも私と仕事をする気があるんですか?」

「いけませんか?あなたには才能がある。覇権を取りたいと堂々と口に出す姿勢が私は大好きです。なるべく多くを吸収してください。退社するまでの間、スポンサーとの渡り合い方も、面倒な数字のことも、なるべく多くのことを教えます」

「色々連れ回してたのって…」

「きちんと、勝ちましょう」

「勿論です!」

「それからもう一つ。誤解があったかもしれませんが、あなたは代打なんかじゃありません。最初から4番です」 


行城からコージーコーナーのエクレアを差し出され、涙する瞳。 


それからの瞳は、社内を駆けずり回り、スタッフを捕まえては要望を伝え、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せるのだ。

 

その結果、視聴率は徐々に『リデル』に迫り、第10話には遂にその差0.3%に迫ってきた。

 

最終話を描き上げた王子の作品を読み終えた有科。 


「本当にこれでいいんですね?」

 

精魂尽き果てた王子は、親指を立てサインを送る。 



瞳はスタッフたちを前に、最終回の変更を申し出た。

 

「やっぱり、トワコたちは音を取り戻せません」 


それに対し、根岸が猛烈に反対する。

 

「予定通り、奏の石の奇跡で、トワコが全ての音と記憶を取り戻す。みんな大好き。涙と感動のハッピーエンドにしなきゃ…元のコンテ通りで行きましょう」

 

スタッフの一人が、監督はそれでいいのかを訊ねるが、円盤の売れ行きにも関わる「王道展開」に拘る根岸は、頑として認めようとしない。 


【円盤とはDVD、Blu-rayディスクのこと】



「俺たちは、監督の頭の中を形にするためにここに来てる」と作画監督の河村。 

河村

根岸が行城に援護射撃を求める。

 

「うちは大手です」

「そう!大手だから覇権を取らないと!」

「いいえ違います。大手だからこそ、目先の覇権ではない10年後に語られるようなアニメを作ることができる。そういう作品を残すことも、伝統あるうちのような会社の務めです…斉藤監督、あなたは何を残したいですか?」


「人生には大事なものを失っても、何かを成し遂げないといけない時があると思うんです。最後の最後に、奇跡が起きて失った音が戻って来る。そんな都合のいいことありません。失ったから手に入るものだってあります。この物語のトワコたちにはもう、誰かの都合で描かれたハッピーエンドはいらない。失った先にもきっとハッピーエンドはあると思うから。今すぐは伝わらないかも知れません。けど、いつか思い出してもらえばいい。最終話はそんな風に誰かの胸に刺さってくれればいい。今なら、そんなラストが作れると思うんです」


「分かってるの?失敗したら二度とアニメ作れなくなるよ」と越谷。

「構いません…結末、変えさせて下さい…いや、変えます!」 



早速、スタッフたちが猛烈なスピードでフル稼働するのだ。




3  「刺され。誰かの胸に…」   

 



ここで、二つの劇中アニメを公式ページから引用。

 

運命戦線リデルライト

行方不明の妹を探す魔法少女の十和田充莉(とわだじゅうり)は、自らの魂の力で乗るバイクを変形させ、ライバルたちとレースで競い合う。「リデルライト」とは少女たちが駆るバイクの総称。第1話に6歳で登場する充莉は、年に1度のバイクレースでのバトルを通して、仲間や敵対する魔法少女の清良たちとともに1話1歳ずつ年を重ね、いわゆる「成長するヒロイン」の姿が描かれる。


 

サウンドバック 奏の石

ある日、突然、巨大ロボットに襲われたのどかな田舎町。地球を守るため、少年少女たちはロボットに乗って戦う。サウンドバックとは、「奏(かなで)」と呼ばれる石が、現実の音を吸い込むことによって変形するロボットのこと。その形状は音によって変わり、1話ごとにノックや風鈴など異なる音が捧げられ、毎回、違う形のロボットが登場する。「奏」は戦いを終えると力を失い、ただの石に戻るが、捧げた音とそれにまつわる記憶は、主人公のトワコから奪われていくという秘密があった。果たして、トワコは失った音の記憶を取り戻せるのか?

「だから、守って。大事なものが、まだ大事だって」


最終回 放送日。

 

『リデル』と『サバク』はそれぞれに力を出し切って、フィナーレを迎える。

 

『リデル』のラスト。

 

「お前ら、私たちが死ねばいいと思っただろうけど、お生憎様!古いんだよ!死ななきゃ、花道にならない感動なんて。どんな姿でも、誰にも望まれなくても、絶対に生きてやる!!そんな私たちを、お前ら、どんなに醜くても、責任もって愛してよ!!」


「生きろ!お前を絶望させられるのは…」


「世界で一人。お前だけ!」

 

こうして、主人公が死ぬことなく、ハッピーエンドとなった。 

ハッピーエンドの最終話を観終えた王子


それに対し、『サバク』は瞳の意に添うような展開で終わっていく

 

「何でもあげる。何もかも、全部あげる。だから、守って。大事なものが、まだ大事だって、ちゃんと、覚えているうちに…だから、お願い!」

「ちゃんと、覚えているうちに」

「だから、お願い!」



「今度こそ、戻って来られなくなっちゃうよ」

「トワコ、トワコ…聴こえるか?トワコ」

「俺たちの勝ちだ」

「帰る場所だよ」

「お姉ちゃん!」

「あ、きれい」 


トワコの記憶は失われる。

 

放送を観ることなく、ビルの屋上から夜の街を見渡す瞳は呟く。 


「刺され。誰かの胸に…」 



そして、タクシーに同乗する王子と有科。 


「ありがとう…ダメだったんだよね。天才だ何だって言われても、二作目作った途端に、凡庸だってバレるんじゃないかって。ずっと怖かった。監督はできないと思ってた。有科さんは大きい人だよ。俺と組めるなんて相当だよ」 


話が変わり、王子は有科に彼氏がいるかを訊ね、唐突にプロポーズする。

 

「何なら俺、結婚してあげてもいいけど」

「え!!」 


互いに顔を見合わせる。

 

結局、視聴率争いは『リデル』の1位、『サバク』の2位で終わった。

 

「惜しかったな」と根岸。


「終わりじゃないですよ」と行城。

 

その後、瞳は自宅のアパートで引っ越しの片づけをしている。

 

ベランダに出ると、外でタイヨウの名を呼ぶ声が聞こえ、下を見ると、タイヨウが中心となり、友達と『サバク』ごっこをして元気よく遊んでいるのである。 

タイヨウ少年は横縞Tシャツの子

その姿を視認した瞳は、ベランダの手すりを掴み、涙する。 


次の瞬間、頭を起こした瞳は、溌溂とした笑顔で踵(きびす)を返すのだった。

 

エンドロールの終了後、メールにDVDの予約枚数の1位が『サバク』、2位『リデル』というレポートを見た行城が、軽快にジャンプして喜びを表す。 




4  「義務自己」「理想自己」を粉砕する原点回帰への時間の旅  




いつものように、約束された着地点に降り立っても素直に喜べない男がいる。

 

王子千晴である。

 

「天才監督・王子千晴」というアニメ監督を演じ続けることで累加されたストレスが限界に達し、それを埋める何ものもないリアルな心境が、それまでの手法が通じないほどの状況に捕捉され、何か、特別な捌(は)け口を求めざるを得なくなった。 


脱出願望が膨れ上がっても、もう、雲隠れするというアドホックな姑息な手立てに潜り込めなくなったからだ。

 

無論、初対談のイベントで、自らを「表」と評し、「覇権を取ります!」と豪語した新人アニメ監督が怖いのではない。 


そのスポットで、「総オタク化した一部の人々なんていう抽象的な表現じゃなくて、そういう人のために仕事ができるんなら、俺は幸せです」と言い切って、「絶対監督」を仮構し続ける「虚像の自己」に疲弊し切ってしまったからである。

 

ストレスに起因するこの非武装さが、この「虚像の自己」の正体がバレるのは時間の問題だった。

 

ハワイに行かず、ホテルにいたことを知られてしまった時、彼は何と答えたか。

 

「描くことの壁は、描くことでしか越えられないんだ。気分転換なんて、死んでもできない。ひたすら、噛り付くようにやるしかないんだ」 


居直りではない。

 

王子千晴という、裸形の一人のアニメ監督が、直截(ちょくさい)に胸襟(きょうきん)を開いたのである。

 

それでも、気分が晴れない。

 

無双の「絶対監督」と信仰する数多のファンの視線に外堀を埋められ、完璧にアウトレット(出口)を塞がれ「アニメオタク」に囲繞されているからだ。 


この殻をブレイクスルーしないと、「世界」から置きざりにされてしまう。

 

恐らく、20代でのデュー作「光のヨスガ」の成功体験以降、「天才監督・王子千晴」と「本来的に拠って立つ自己」との乖離が自己像を歪めてきたことで、自らの立脚点がダッチロールするリアルを感受し、ディストレス(行き詰まり)状態を日常化してしまった。

 

「フラッシュクラッシュ」(瞬時の急落)を怖れる脆弱性を隠し込めば込むむほど膨れ上がっていく、自己像破綻の危機感。

 

それでも、ブレイクスルーせねばならない。

 

「天才監督・王子千晴」を演じ続けることで失う事態の深刻さは、「義務自己」によって縛られる「虚像の自己」と「現実自己」との乖離が不安や恐怖を生んでしまうのだ。 

ハッピーエンドの最終話を書き終えた王子


これは、「キツツキと雨」の批評でも書いたが、コロンビア大学の教授・トリー・ヒギンスが提示した、「セルフ・ディスクレパンシー理論」という現代心理学の興味深い仮説で説明できるだろう。

 

即ち、「現実自己」と「理想自己」の乖離が苦しみや哀しみを生み、「現実自己」と「義務自己」の乖離が不安や恐怖を生むという仮説である。 

セルフ・ディスクレパンシー理論/当為自己=義務自己


セルフ・ディスクレパンシー理論



だから、この縛りを少しでも解き放つこと。

 

もう、これしかなかった。

 

彼には幸いに、自己を深く理解し、真摯にサポートしてくれる特定他者が身近にいる。

 

有科香屋子である。 


その才能を守るために本気でサポートする特定他者が彼女以外に存在しない現実を認知した時、彼女へのプロポーズに結ばれた。 


彼女こそ、何か、特別な捌け口だったということである。

 

かくて自己像破綻の危機を脱し、「本来的に拠って立つ自己」に近接するために厄介な境界突破の「よすが」(手掛かり)を掴んだのだ。

 

片や、「覇権を取ります!」と豪語した新人アニメ監督・斎藤瞳。 


豪語したことで負ったプレッシャーの大きさは尋常ではなかった。

 

自らに負荷をかけ、フル稼働していく彼女の立ち位置は当初から不安定だったから、彼女を囲繞する状況の苛酷さは半端ではない。 


陰口を叩かれ続けてもギリギリのところで折れかった彼女の自我は、木を見て森を見ず(群盲評象=ぐんもうひょうぞう)という狭隘な世界に封じ込められていたが、「皆、プロの意地で闘っている」という現実をを目の当たりにしたことで、この難関を突破していく。

 

中でも、ルッキズム(外見至上主義)でセールスすると決めつけ、その才能を認めなかった群野葵のプロ根性を再発見した時、自らが被っていた「無意識の偏見」を投影させたラベリングを恥じることになるエピソードは、彼女の狭隘な観念を打ち砕くに充分だった。 


「なぜ、泣いたの?」と詰問した答えが、ここで回収されたからである。

 

思えば、一切は原点回帰の思考法であった。

 

粗筋では深く触れなかったが、彼女と、アパートの隣室のタイヨウとの交叉が物語を動かしている。 


「アニメってみんなウソじゃん。現実にはヒーローとかいないし、あんなの信じて、みんなガキだよ」と言い切って、「アニメの嘘」を嫌う少年に、「この世界には魔法なんてないんだよ」と言い返す子供の頃の自己を重ねる瞳。 


だから、面接の場で瞳は正直に吐露する。

 

「ステッキを捨ててしまったんです。子供の頃、友達からもらった魔法のステッキを。現実には魔法なんてないと思ってたから。でも、王子監督に教えてもらいました。魔法はないかも知れないけど、アニメは魔法を超える力を与えることができるって。そのために私はここへ来ました」

 

そして、最も興味深いエピソード。

 

自宅に向かう道で元気のないタイヨウを見つけ、部屋に上がらせた瞳。 


『サバク』のカップラーメンを差し出し、見るように勧めた後、優しくアウトリーチする。

 

「この世の中は繊細さのないところだよ。でも、ごくたまに、君を分かってくれる人はいる。分かってくれるような気がするものを見ることもある」 

瞳の話に真剣に耳を傾けるタイヨウ


ここで原点回帰に至った新人アニメ監督は、決定的な意思表示を示すのだ。

 

「みんな大好き。涙と感動のハッピーエンド」以外の選択肢を認めない根岸に対して、彼女は言い放つ。

 

「この物語のトワコたちにはもう、誰かの都合で描かれたハッピーエンドはいらない。失った先にもきっとハッピーエンドはあると思うから。今すぐは伝わらないかも知れません。けど、いつか思い出してもらえばいい。最終話はそんな風に誰かの胸に刺さってくれればいい」 



これは、「未来のあるべき姿」から逆算して、「今、何ができるか」という「バックキャスティング」という思考法の所産である。 

バックキャスティング



要するに、「覇権を取ります!」と豪語した当の本人が、勝ち負けの問題ではないと言っているのだ。

 

「未来の誰かの胸に刺さってくれればいい」

 

それだけだった。

 

まさに原点回帰の思考法である。

 

彼女の場合、「現実自己」と「理想自己」(王子千晴を超えるアニメ監督)の乖離で煩悶し続けたことで、「本来的に拠って立つ自己」を復元させたのである。

 

これがラストシーンに結晶化したのだ。 



一人の少年と、彼女の才能を信じ切るチーフプロデューサー・行城理の大きな後押しが、「女性・新人」という「無意識の偏見」を削り取った一人のアニメ監督の推進力になっていたことは自明だった。 



「現実自己」と「義務自己」の乖離で揺れる王子がそうだったように、「無意識の偏見」を無化した斎藤瞳もまた、「現実自己」と「理想自己」との縛りに止(とどめ)を刺し、原点回帰という時間を遡及する旅に打って出たのである。 

アンコンシャス・バイアス(無意識バイアス=無意識の偏見)



「義務自己」「理想自己」を粉砕する原点回帰への時間の旅。

 

勝ち負けという狭隘なスキームをも希薄にする、その心地よさこそ切実だったのだ。

 

―― 緊張感溢れるプロの現場を些か誇張しつつも、エンタメの落としどころを心得たクオリティの高い映画だった。 

吉野耕平監督



(2023年2月)


 

 


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