検索

2022年9月27日火曜日

アルプススタンドのはしの方('20)   迸る熱中に溶融する「しょうがない」の心理学 城定秀夫 

  



1  「頑張ってたんだけど、結果としてさ、上演できなければ意味ないもの。だから、そこまでのもんだったんだって。しょうがない」

 

 

 

埼玉県立東入間高校の夏の高校全国野球大会の一回戦。

 

強豪校との対戦で、夢の甲子園球場に、バスで応援に駆り出された生徒たちが、必死に声援を送っている。

 

演劇部に所属する安田あすはと田宮ひかるも、アルプススタンドの端で観戦しているが、犠牲フライの意味も分からず、頓珍漢な会話をしている。 

安田(左)と田宮。藤野が左の奥に座っている


そこに、元野球部の藤野が遅れてやって来て、一番端の方に座る。

 

5回裏のグランド整備の時間となり、藤野も交えて3人の会話が始まるが、そこに、今年赴任して来た英語教師の厚木が、「もっと前の方で応援しろ」と、離れ離れに座っている生徒たちに熱く呼びかけるのだ。

 

一人ポツンとアルプススタンドの後方に立っている、帰宅部の宮下恵にも声をかける厚木。 

厚木(右)と宮下

「皆と気持ちを一つにして、一生懸命、声を出す。そうやって友情が深まるんだよ。それがベースボールの醍醐味だよ」

 

厚木は端に座る3人のところにもやって来て、いきなり藤野を応援団長に指名する。 

「お前をこのチームの応援団長に任命する」(厚木)


安田は、まだ一回戦にも拘らず、夏休みに応援に駆り出され、野球部だけ特別扱いされていることへの不満を、田宮にぶつける。

 

「野球部の人って、何か偉そうじゃない?『俺、野球部です』けどみたいな。嫌いだわぁ。野球部ってだけで自動的に嫌い」

「藤野君、野球部だよね?」と田宮。

「え?」と安田。

「今、それ言う?」と藤野。

「いやあれよ、嫌い嫌い言っといて、内心、実は好きなんだよ」

「てか、俺もう野球部じゃないし。辞めてるし。だいぶ前に」

「そうなの?」

「偉そうにするよな、野球部の奴って」


「うん、園田君とか」

「園田君って、ピッチャーの?そうかな」

「ちょっとプロのスカウトに目つけられたくらいでな」

 

今度は演劇部の話題となり、安田が脚本を書き、関東大会まで行ったことを話すが、田宮はその話には乗らず、落ち着かない様子。




5回裏のグランド整備の時間で、田宮が飲み物を買いに行き、藤野と安田は受験の話となる。

 

「でもさあ、高校3年の夏って、こんななのかな」と安田。

「どんななの?」と藤野。

「もっと、何か、青春みたいなさ」

「青春って何なの?」

「何だろ。まあでも、甲子園は青春なんじゃない」


「演劇はさ、青春じゃないの?関東大会出たんでしょ?」

「厳密に言うと、出てはない。本番、部員がインフルエンザ罹(かか)っちゃってさ。出れなかったんだよね」

「それは悔しいね」

「まぁ、しょうがないよ」


「でも、脚本書いてさ、頑張ってたんでしょ?ちゃんと評価してもらいたかったんじゃないの?」

「頑張ってたんだけど、結果としてさ、上演できなければ意味ないもの。だから、そこまでのもんだったんだって。しょうがない」

 

そこに、また厚木がやって来て、応援しない二人を怒鳴りつけ、説教に及ぶのだ。

 

「まったく分かってない!いいか、人生ってのは送りバンドなんだよ。バッターは塁に出られないよね。バッターが気持ち込めてプレーすることで初めて、ランナーが走ることができるんだよ」


「でも、さっきは空振り三振って言って…」

「バカ!応援だっていっしょだぞ。お前らが腹から声を出す。それが、選手たちの力になるんだよ。なあ、宮下」

 

スタンドの後ろの宮下に向かって、言葉を放つ厚木。

 

そんな熱血教師の厚木は、「お前、演劇部だから、腹から声を出せ」と安田を促すが、逆に安田に指摘されてしまう。

 

「あの、それ、腹から出てませんよ。完全に喉から出ちゃってるんで、それずっとやってたら、喉痛めますよ」 



案の定、「頑張れ!」と大声を出して咳き込み、喉を痛めてその場から去って行く厚木。 



そこに戻って来た田宮が、厚木が血を吐いていたと聞き、「野球部の先生って大変だね」と言うと、安田が厚木は茶道部の顧問であることを明かす。

 

気がつくと、宮下がいなくなっていた。

 

今度は、宮下についての話題となる。

 

宮下は常に学年トップの成績だったが、最近、吹奏楽部の部長の久住智香(くすみちか)に一位の座を奪われたらしい。 

久住(手前)

「でも、宮下さん、どう思ってるんだろ。高校入って、初めて負けたんでしょ?」と田宮。

「気になるよね。でも宮下さん、話しかけづらいオーラ出てるから」 



自販機でお茶を買い、独りぼっちでいる宮下に気を使って声を掛ける厚木。

 

「あの、すみません。無理させてしまって。気使ってますよね。あたしがいつも一人でいるから。友達、いないといけませんか?」 



そこに吹奏楽部の久住たちがやって来て、立ち所に離れていく宮下。 



再び、アルプススタンドでの安田たちの会話。

 

「外野の人って、いる必要あるの?」

「エラーしたときとか」

「最悪じゃん」

 

そこで、藤野は矢野の話を始める。    

 

「今も、ベンチに座ってると思うんだけど、試合に出ることなんて、まずないんだよ」

「なんで?」

「下手だから」

「はっきり言うね」

 

藤野は、矢野のバッティングのスイングと、本当のスイングを必死にやって見せるが、二人には違いが分からない。 



宮下がトイレから出て来ると、久住ら吹奏楽部の3人が目の前を歩いて来た。

 

その一人が、宮下に、この前の模試の結果を残念だったと声をかける。

 

「知らなかった。順位とか、確認したことなかったから」と宮下。 


それだけだった。

 

試合が動き、園田が連続ヒットを打たれ、スコアは3対0となった。

 

安田と田宮がゴミを捨てに行くと、宮下が野球部だった藤野に話を聞いてくる。

 

「園田君って、野球以外に何が好きなの?」


「直接聞いたらいいじゃん。よくそれ、聞かれるんだけど、ないと思うよ。野球のこと以外、考えてないヤツだから」

 

田宮が戻って来て、試合の様子を聞く。

 

ツーアウトランナーなしで、園田に打順が回ると、吹奏楽部の演奏する曲が変わり、田宮が「(園田は)この曲が好き」と吐露する。

 

藤野が園田も好きだと言うと、立ち上がって去ろうとしてた宮下が、また椅子に座った。

 

そこで、田宮が園田と久住が付き合っているという話になる。

 

「久住さん、張り切ってるな…あの二人、付き合ってんだよ」 



驚く藤野に対し、田宮は必死で、この話を否定する。

 

それを聞いた宮下は、落胆のあまり、腰が抜けて歩けなくなり、田宮と藤野に担がれ、運ばれていく。 


宮下の感情が透けて見える。

 

その宮下に、藤野が好意を持っていることが、序盤のシーンで明らかにされている。 

宮下が来るのを待っている藤野


ここで、園田と久住の関係が、映像提示される。

 

園田はヒットを打つが、久住は暗い表情でLINEのやり取りを見ている。 



久住は試合前にコメントを入れ、電話をしてもいいかと聞くが、断られ、その後のメッセージへの反応もなかった。 



一人戻っていた安田の元に、田宮が宮下の飲み物を取りに来た。

 

宮下が体調を崩したことを聞き、安田も行こうと言うが、田宮は大丈夫だと引き止める。

 

「あのさ、そういうの、もう止めない?そういうにされたらさ、逆に申し訳ないし」

「別にそんな…」

「別にいいじゃん、もう。半年以上経ってるんだし」


「いや…」

「別にひかるのせいじゃないじゃん。インフルエンザなんかさ、罹るときは誰でも罹るもんだし」


「でも…」

「もし私が罹ってたら、ひかるは私のこと責める?」

 

横に首を振る田宮。

 

「でしょ?だからさ、しょうがないんだって」

「でも、せっかく頑張ったのに」

「人生はさ、送りバントなんだって」

「どういう意味?」

「だから、自分が活躍できなくても、諦めて、他の人の活躍を見てろってことじゃない。ひかるもさ、早く、気持ち入れ替えてやって行こうよ。受験勉強とかさ。大事なこと、もっといっぱいあるんだし。もう止めよう。そういうの引き摺んの」

 

ここで、田宮がインフルエンザに罹患したことで、関東大会に出場できなかったことが明かされ、そのことが田宮の心の傷になっているようだった。

 

そこに藤野が飲み物を取りに戻って来て、無言だった田宮は、自分が行くと言って去って行く。

 

「こんな田舎の公立高校がさ、甲子園常連校と戦うっていうのが、まず無茶だよね」


「だいぶ」

「しょうがないって思って、受け入れなきゃいけないことってあるよね」

「うん、あると思う」

「藤野君はさ、何で野球止めたの?」


「矢野って、すっげぇ下手なんだよ、野球。下手だから、試合なんか出られるわけないんだよ。でもまあ、出られるわけないのに、すっげぇ練習すんの。俺、それ見て、何でそんなに練習するんだと思って。俺はさ、ピッチャーじゃない。だから、園田がいると、試合で投げられることなんて、まずないんだよ。どんな頑張っても。でも、最初の頃はさ、頑張って、こいつに負けないように頑張ろうって思ってたんだけど、もう、全然違くて。同じ練習してても、あいつばっか上手くなるんだよ」


「ムカつくね」

「だから、俺は野球止めた。矢野は続けてるけど。俺の方が正しいよな」

「うん。正しいと思う」


「だよな。3年間練習しててもさ。試合にも出られない。誰からも褒められない。それだったらさ、別のことやって、その時間使った方が有意義じゃん」

 

二人の会話には違和感がないようである。

 

 

 

2  「一生懸命頑張ってたのに、出れなかったのは、すごく悔しかったと思うんだ。もう一回、大会出よう」

 

 

 

自販機の前に座り、体調を心配する田宮と宮下の会話。

 

「宮下さんはさ、しょうがないって思うことある?頑張ったのに、上手くいかなかった時、簡単にしょうがないって受け入れられる?あ、ごめん、何でもない」


「安田さんだよね、しょうがないって言ったの」

 

宮下は安田と英語のペアとなり、声をかけてもらって嬉しかったと話す。

 

「あたし、運動もできないし、性格暗いし、勉強しか取り柄がないと思ったから、勉強だけ必死に頑張ってきたんだ」

「凄いことじゃん」

「来るんじゃなかったな。いい事ないし。田宮さんにも迷惑かけるし、結局、園田君の応援も全然できてないし」 



そこに、久住がやって来て、塩分も摂った方がいいからと、スポーツドリンクを宮下に渡す。 



アルプススタンドの藤野と安田。

 

「久住さんって凄いよな」

「え?」

「吹奏楽部の部長やって、勉強でも宮下さんに勝って」


「で、園田君とも付き合って」

 

「でも凄いよね。部活に勉強に恋愛だよ」(安田)



一方、久住が差し出した飲料を受け取らず、立ち上がって去って行く宮下に、久住が声をかける。

 

「無視しないでよ。頑張ってる私がバカみたいじゃん」


「別に、私一人が無視しても、久住さんは、私が欲しいもの、全部持ってる。だから…」

「何それ。何も知らないくせに…私は普通だよ。でも、だから努力してる。無理して頑張ってる。そしたら、全部、ちゃんと報われたいって思うの、そんなに変かな」

 

涙声で叫ぶように、宮下に真情を曝(さら)け出す久住。

 

「真ん中は、真ん中でしんどいんだよ」 



そう言い放って、久住は飲み物を椅子に置いて去って行く。

 

ゲームは、8回でまたヒットを打たれ、4対0となる。

 

「終わったね。もうだめだ…まあ、しょうがない」 


いつもの安田の口癖になっていた。

 

そこに、田宮と宮下がスタンドに戻って来た。

 

「何か園田君もさ、さすがに疲れてきてるって感じするよね。特に、ホームラン打たれてから。まあ、しょうがないよね。そもそも相手の方が格上なんだしさ」


「あのさ、しょうがないって言うの、やめて」と宮下。


「何で?」

「園田君だって一生懸命頑張ってるよ。なのに、何でそんなこと言うの」

「え、何?怒ってる?」

「頑張ってるのに、周りの人に、しょうがないとか言われたら嫌だと思う。それに、安田さんに、そういうこと言って欲しくないって思ってる人もいるから」

「宮下さん…」

「あたしは言われたよ、しょうがないって。滅茶苦茶頑張っていた。でも、言われたよ、しょうがないって。そんな経験ないだろうけどさ。宮下さんには」 



そこに、完全に喉をやられた厚木がやって来て、いつもの調子で、「今こそ声を出せ」と4人に求めていく。

 

「無駄ですよ、観客席にいたんじゃ。意味ないですよ、グランドに出れない人間が、どんなに頑張ったって!」 



出ない声を振り絞る厚木に、立ち上がって声を荒げるのは、本音を隠さない安田しかいなかった。

 

「もう、無理して声出したって、しょうがないですって!」

「しょうがないことなんてあるか!」

 

そこで、突然、田宮が立ち上がり、「頑張れ~!!」と大声を出すのだ。 



その瞬間、県立東入間高校の攻撃で、イレギュラー・ヒットが出る。

 

「お前の声が届いたんだよ」

「はい!」

「もっと叫べ!」 



そこで、次のバッターに矢野がコールされる。 


「どんなに頑張ってもさ、バントしかさせてもらえない」と安田。

「でもさぁ、なんか嬉しそうじゃない」と田宮。


「え、顔なんか見えないじゃない」

「でも嬉しそう。あ、走って、走って!」 



アウトになり、一瞬落胆の表情になるが、ランナーが進み、これが送りバントだと気づく安田。

 

「嬉しいのかな、打席に立つの」

「そりゃ、嬉しいよ」

「あんなバントでも?」

「だってさ、一生懸命頑張ってたのに、出れなかったのは、すごく悔しかったと思うんだ。それが出れたんだよ。絶対、嬉しいよ…あすは。もう一回、大会出よう」


「え?」

 

自ら封印していた演劇大会の話題に、田宮は自ら触れたのである。

 

その時、タイムリーヒットで1点を返し、アルプススタンドは一気に盛り上がる。 



「今年出てもさ、来年行けないんだよ。そんなの、意味あるのかな。野球だってさ、甲子園目指して頑張ってるでしょ。最初から、それが無理って分かってるのに」

「そんなの関係ないよ。私はさ、あすはと一緒に、もう一回舞台に立ちたいだけ」 



田宮の言葉は、アルプススタンドの熱気が生んだものである。

 

野球の話に転じる田宮。

 

これなら9回に追いつけるかも知れないという田宮に対し、ここでも、安田が水を差す。

 

「でも、次、点取られたらお終いでしょ」

「絶対0点に抑えるって」

「何で、そんなこと言えんの」

「頑張ってるもん。あたしたちが勝手に諦めたらお終いでしょ。ね、宮下さん、園田君だったら、絶対0点で抑えるよね」 

田宮の変化を目の当たりにして、安田の心が大きく揺れ動いていく



9回表の園田の投球を、ハラハラ見守りながら応援する田宮と宮下。

 

ボールが先行する園田に対し、藤野が遂に立ち上がって、大声で叫ぶ。

 

「お前、何のために野球やってんだよ!」 



続いて、藤野は園田の心境を代弁する。

 

「どんな気持ちで立ってるかって、負けたくないって思ってるに決まってんだろ。そういう奴だよ、園田は」

 

その園田は、9回を零点で抑えたのである。

 

「今年はさ、ちゃんと予防接種打っておいてよ」と安田。 



完全に喉を潰した厚木が、最後の応援を呼びかけた。

 

久住はLINEに「ラスト、頑張ってね」とコメントを書いたが、送らなかった。 



立ち上がって、親友の部員に葉っぱをかける久住。

 

「最後、目一杯やるよ!」


「十分、やってんじゃん」

「まだ、音出るでしょ」

「もう、無理だって」

「無理じゃない。もっと、音出して!もっと、もっと!」

「もう、分かったよ」

「じゃあ、行くよ!」

 

そして、9回裏の最後の攻撃で、吹奏楽部を中心に、アルプススタンドを埋める高校生が一丸となって渾身の声援を送るのだ。 



アルプススタンドの端の4人も、声を振り絞って応援する。

 

風景が変容していくようだった。

 

2アウトとなり、ここで、園田の好きな曲がかかり、4番の園田に打順が回った。

 

「行け~~!!」と大声で叫ぶ安田。 



初めて、アルプススタンドの熱気に呑み込まれるのである。

 

2ストライクをとられ、へなへなと座り込んで、小さな声で「園田君」と呟く宮下。 



それを聞いた藤野は、宮下にハッパをかける。

 

「もっと大きな声出せ!いいのか、トランペットに負けてて」 



宮下は立ち上がり、大声で応援する。

 

「頑張れ~園田君!頑張って!」 



園田はヒットを打ち、ツーアウト1、2塁となった。

 

スタンドは沸き立ち、宮下は久住に大声で呼びかける。

 

「久住智花!ナイス演奏!!」 



それを聞いた久住は、宮下の方を振り返り、叫ぶ。

 

「逆転するぞ!!」 



遂に、フルベースとなり、回って来たバッターは矢野。

 

「かっとばせー矢野!」

 

矢野が打った打球を全員が固唾を飲んで追うが、凡飛に終わり、スタンドは一気に落胆へと萎(しぼ)んでいく。 



「え、終わった?」

「うん」

「負けたの?」

 

アルプススタンドは、今度は全員の惜しみない拍手に包まれる。 



「あたし、来て良かった!」 



手を叩きながら安田が叫ぶ。

 

「ありがとう!!!あ~~悔しい!!」 



ラストシークエンス。

 

数年後、成人となった安田と宮下と田宮が、再び甲子園球場に足を運んだ。

 

「でも、凄いよね、本当にプロになっちゃうなんて」

「大学入ってからも、滅茶苦茶頑張ったんだって。野球部の先生言ってたよ。昔から練習量は誰にも負けなかったって」

 

安田は今、東入間で教師をして、部活で演劇を教えている。 

教師・安田あすは



「部活と言えば、知ってる?茶道部、全国大会行くらしいよ」

 

話ながら3人は、アルプススタンドの端に座る。 



そこに、藤野がやって来て、宮下の隣に座った。 


二人は、最近仕事の関係で再会して、LINEのやり取りをしていると言う。

 

藤野は野球用品を作る小さな会社に入り、先日、超大企業の社会人野球で、先発ピッチャーをしている園田を見たと話す。

 

ここで漸(ようや)く、目当ての選手の名がアナウンスされた。

 

「バッター、矢野」

 

努力家の矢野は、本当にプロになったのである。

 

4人はデビュー戦を飾る矢野を、大声で応援する。 


矢野を応援するために、彼らはアルプススタンドに足を運んだのだ。

 

そこにファールが飛んできて、藤野が持って来たグローブでキャッチする。 



次に、打球音と同時に、飛球を見上げる4人の驚きの表情を映し出して、短尺だが、台詞の洪水で埋まった会話劇は閉じていく。 


 

 

3  迸る熱中に溶融する「しょうがない」の心理学

 

 

 

こんな面白い映画があったのか。

 

その面白さがシリアス過ぎて、涙を抑えられず、素直に感動できた。

 

圧巻なのは、甲子園のグランドを映すことなく、「アルプススタンド」の端の方のみを切り取り、その限定スポットで漂動する青春の〈現在性〉を生き生きと、且つ、交叉する心の機微がゲームの進行の只中に呑み込まれ、押し寄せる大波の如く、エモーショナルに収斂されていく様態を描き切った映画空間の際立つ秀抜さ。 



まるで、全く映されることのない園田と矢野のプレーや、そこに集合する感情が一喜一憂し、観る者の想像力を掻き立て、彼らの緊張・不安・歓喜が伝播するようだった。 



それは、75分の短尺の映像に、少年少女たちのリアルな感情交叉が詰まっていて、「アイディアの勝利」を越えた青春ドラマのマスターピースだった。 



【ところで、「プロ野球」が好きな私は、「『高校野球の悪』 ―― 『タブー』に挑む筒香嘉智の正義の炸裂」という拙稿で書いているように、主戦投手の酷使と、主催者サイドとスポーツメディアが束と化して感動譚の押し売りをするという二点によって、「高校野球」という「物語」に馴染めず、青年期以降、極めてネガティブな視線を向け続け、今でも変わり得ないことだけは記しておく】 

現役選手としては異例といえる記者会見を開き、高校野球に対する提言を行った筒香嘉智



―― ここで批評したいのは、物語のコアになっている「しょうがない」の心理学。

 

トップの画から開かれる少女(安田)の不貞腐れた表情が、先(ま)ず、観る者の脳裏に刻まれる。 

「しょうがないよ」と慰められる安田



分かりやすく、物語のテーマが提示されるのだ。

 

「頑張ってたんだけど、結果としてさ、上演できなければ意味ないもの。だから、そこまでものもだったんだって。しょうがない」

「しょうがないって思って、受け入れなきゃいけないことってあるよね」

「でしょ?だからさ、しょうがないんだって」

「終わったね。もうだめだ…まあ、しょうがない」


「何か園田君もさ、さすがに疲れてきてるって感じするよね。特に、ホームラン撃たれてから。まあ、しょうがないよね。そもそも相手の方が格上なんだしさ」

「もう、無理して声出したって、しょうがないですって!」 


全て、安田の言葉である。

 

これに反駁(はんばく)したのは、熱心な勉強家の宮下。

 

「頑張ってるのに、周りの人に、しょうがないとか言われたら嫌だと思う。それに、安田さんに、そういうこと言って欲しくないって思ってる人もいるから」

 

そにに異を唱える安田。

 

「あたしは言われたよ、しょうがないって。滅茶苦茶頑張っていた。でも、言われたよ、しょうがないって。そんな経験ないだろうけどさ。宮下さんには」

 

本音で勝負する安田だけが際立っていた。

 

「しょうがない」の心理学が、全篇を通して貫流している物語だった。

 

これを勘考してみる。

 

出口が塞がれた未練が、諦念に押し込まれていく不快感を、自我が都合よく処理する。

 

外部環境によって惹起されたハンディに精神的負荷を押し付けることで、自己を慰撫(いぶ)し、これが漂動する自我を相対的安寧に導くのだ。

 

言葉を変えれば、頓挫の責任を外部環境に押し付けることで、自尊心の保持を辛うじて確保する自我の適応戦略。

 

これを、「自己奉仕バイアス」や「セルフ・ハンディキャッピング」という心理学の概念で説明できるのではないか。 

セルフ・ハンディキャッピング



これが、私が定義する「しょうがない」の心理学の要諦である。


ここで思うに、この仮説で言えば、安田と田宮との関係の捻(ね)じれに注視せねばならないだろう。


なぜなら、大会参加の頓挫の原因を負うのは、田宮でなければならないからだ。


田宮こそ、「ごめんね」と謝った後、「赦し」を得て「しょうがない」の心理のうちに逃げ込むことで、自我を防衛する立場にある。


当然、謝ったであろうが、それを自然に演じにくいのは、演劇の脚本を書いた親友の安田の「悔しさ」を過剰に感じ取ってるからである。

演劇の話題が出る度に委縮する田宮



だから、余計に辛い。


安田の口癖を被弾する度に負荷が加わるのだ。


安田もまた、親友の田宮を責めない。


決して誤読ではないが、全てインフルエンザという感染症に責任転嫁する。

「インフルエンザなんかさ、罹るときは誰でも罹るもんだし」



然るに、ほぼ本音で生きる安田にとって、内なる「悔しさ」の心緒(しんしょ)の表現が「しょうがないよ」という風な言辞しかなかった。


しかも、何か事あるごとに表出する。

「何か園田君もさ、さすがに疲れてきてるって感じするよね。特に、ホームラン打たれてから。まあ、しょうがないよね」(安田)


「あたしは言われたよ、しょうがないって。滅茶苦茶頑張っていた。でも、言われたよ、しょうがないって」(安田)


「意味ないですよ、グランドに出れない人間が、どんなに頑張ったって!」(安田)



安田もまた、いつしか無頓着になってしまっているのである。


しかし、これが却って、田宮に対する「無意識の一撃」を生んでしまうのだ。


この〈関係状況〉が二人の〈間〉に居座っている。


かくて、大会参加の頓挫の責任を一身に負ってしまう者と、「しょうがないよ」と言って、親友の心を掬(すく)い取ったつもりでいる者との〈間〉に、些か捻じれた負の関係構造を生み出してしまったのである。



この関係構造が、田宮の「自己開示」(自分の思いを曝け出すこと)によって大きく反転していくが、つくづく、「しょうがない」の心理学の日本人的なナイーブさを思い知らされる。 

「しょうがないことなんてあるか!」」と叫び、安田を諫めた厚木の言葉が推進力となり、安田への自己開示の重要な伏線となる田宮の絶叫応援



また、こんなエピソードもあった。

 

「藤野君はさ、何で野球止めたの?」と安田。

「俺はさ、ピッチャーじゃない。だから、園田がいると、試合で投げられることなんて、まずないんだよ。どんな頑張っても。でも、最初の頃はさ、頑張って、こいつに負けないように頑張ろうって思ってたんだけど、もう、全然違くて。同じ練習してても、あいつばっか上手くなるんだよ」 

「同じ練習してても、あいつばっか上手くなるんだよ」



藤野の言辞に、安田は同調する。 

「うん。正しいと思う」



結局、「しょうがない」の心理学に収斂されるのだ。

 

同様のエピソードが続く。

 

「矢野って、すっげぇ下手なんだよ、野球。下手だから、試合なんか出られるわけないんだよ。でもまあ、出られるわけないのに、すっげぇ練習するんの。俺、それ見て、何でそんなに練習するんだと思って」 


これも、藤野の言辞。

 

では、下手でも、野球を捨てない矢野のケースを、どう解釈すべきなのか。

 

ここまでして野球に拘泥する矢野と藤野の差は、どこにあるのか。

 

一言でいうと、矢野は野球が好きなのだ。

 

少なくとも、藤野より好きなのだ。

 

好きで好きでたまらないのである。

 

そして、それ以上に大きいのは、二人の「目標指向的熱量」の差である。

 

これがあるから、矢野は野球を手放せなかったのだ。

 

「目標」を「指向」し、そこに向かう「熱量」の差が二人を分けたのである。

 

だから、矢野には「しょうがない」の心理が入り込む余地が極端に少なかったか、御伽話めいたことを言えば、或いは、その余地が絶無だったのだろう。

 

「目標指向的熱量」という内的テーマの重要性を知ることを、改めて実感する。 

プロになった矢野を応援する4人の同窓生



閑話休題。

 

「高校野球の華」と言われるブラバン応援は、選考された部員のみが参加する「全日本吹奏楽コンクール」(朝日新聞社主催)と異なって、コンクールに出場できない部員をも含め、吹奏楽部の全部員が参加するので、5万人に及ぶ観客の前で演奏できるのだ。 



ごく普通のサイズの競争のリアリズムを、アルプススタンドが一時(いっとき)、退けてくれるのである。

 

まさにアルプススタンドは、彼らにとって最高のパフォーマンスの舞台と化すのだ。


 

かくて、久住智香の声高な音量が全部員を鼓舞し、アルプススタンドの一角を占有する。

 

チャンスの広がりが熱量を上げていく。

 

これが、音量で相手校を圧倒することで、「勝てば選手のお蔭」と言われるブラバン応援の最大限の音が、物理的空間を共有する青春に息吹をもたらすのだ。 




それがアルプススタンドの端の方に届いた時、些細な諍(いさか)いを溶かしていく。

 

宮下と久住が笑みを交換し、園田への屈折を藤野が克服する。 



そして、田宮のトラウマを安田が呑み込むのだ。 

「今年はさ、ちゃんと予防接種打っておいてよ」



風景が変容する。

 

迸(ほとばし)る熱中に、「しょうがない」の心理学が溶融したのである。

 

そういう映画だった。 

城定秀夫監督




―― 以下、映画の本線と切れた私の青春論。

 

 

 

4  「青春時代」とは何か

 

 

 

「青春時代」とは何か。   

 

 私は、思春期初期から青春期後期に及ぶこの特殊な時期を、「自我の確立運動」の最前線であると考えている。    

 

自我とは、簡単に言えば、「快・不快の原理」・「損得の原理」・「善悪の原理」という人間の基本的な行動原理を、如何にコントロールしていくかという〈生〉の根源的テーマを、意識的・且つ、無意識的に引き受け、自らを囲繞する環境に対する、最も有効な「適応・防衛戦略」を強化し、駆動させていく「基本・大脳(前頭葉)」の総合的な司令塔である。 

自我の総合的な司令塔「前頭前野」


ところが、この「基本・大脳(前頭葉)」の総合的な司令塔は、人間の生来的な所産でないから厄介な代物なのだ。    

 

最も有効な「適応・防衛戦略」を完成形に拵(こしら)えていく「仕事」の艱難(かんなん)さが、この時期に重くのしかかるからである。   

 

 新しい情報の獲得・処理・操作していく知能=「流動性知能」が長けても、人生経験で培った判断力・洞察力・知恵=「結晶性知能」が不足しているが故に、「適応・防衛戦略」の完成形を得て、「自我の確立運動」が成功裏に導くことが叶わない。 

流動性知能と結晶性知


これがあるから、「自我の確立運動」の最前線の渦中にあって、「青春時代」の景色が、「思うようにならない現実」を視界に収め、大抵の青春期が「澱み・歪み・濁り」の心理に捕捉され、立ち行かなくなってしまうのだ。    

 

青春期は美しくもないし、清廉でもない。    

 

定点が確保し得ず、浮游する自我を、とりあえず納得させるために、そう思いたいだけである。     

きみの鳥はうたえる」より


「青春の美学」などない。    

 

あるのは、空疎なナルシズムか、リアルなペシミズム。 

カラヴァッジオによって描かれたナルキッソス(ウィキ)


「澱み・歪み・濁り」の心理を隠し込み、心の奥に潜む感情を表現できず、「多弁・寡黙・陽気」を仮構し、アドホックの世界に潜り込む。    

 

「この時の、この時間」の只中を漂動するのだ。    

 

だから、決定的に動かない。    

 

動いて見せるだけで、動かない。    

 

動けないのだ。    

 

それでも、動かねばならない。    

 

どこかで、いつも、そう思っている。   

 

 「我が青春の輝き」 ―― 人はそう言いたがる。   

 

 そんな大仰で、被写界深度の深さを誇示するかのような表現が苦手な私には、余りにもむず痒い。    

 

その感触が、こそばゆいのだ。   

 

 眩(まばゆ)い煌(きらめ)きを放つ、分陰(ふんいん)を惜しむ青春があってもいい。 

きみの鳥はうたえる」より


―― だからこそか、「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、 心のもち方を言う。年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる」と言い切った、アメリカの実業家サミュエル・ウルマンの青春論を私が嫌うのは、往々にして、こういう観念論的言辞が「名言・格言主義」の定番として費消され続けているからである。

サミュエル・ウルマンの名言


大脳の中の比重の大きさを考える時、動物と決定的に別れるのは、生後半年辺りから形成され、ほぼ7、8歳で完成形に近づく「前頭前野」を有する人間の特性だけは否定し難いのだ。

 

しかも、脳の可塑性(シナプスの可塑性)を有するから、好奇心・有酸素運動(ジョギング、サイクリング、水泳など)・コミュニケーション能力によって、記憶中枢の海馬は生まれ変わるから、私たちホモ・サピエンスは不断に進化しているのである。 

脳の可塑性


まさに青春は、焦りや葛藤を抱えつつ、この複雑なカオスのドツボに嵌った時間の海を駆け抜け、自分サイズの自我を構築していく、長くて短い内的行程の総称なのだ。

 

そう考えている。

 

【引用資料】 人生論的映画評論・続「きみの鳥はうたえる」より

  

(2022年9月)

0 件のコメント:

コメントを投稿