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2023年4月19日水曜日

セッション('14)   光芒一閃する青春の炸裂  デイミアン・チャゼル

 


1  「音楽をする理由がある」

 


 

シェイファー音楽院 秋学期

 

ジャズ・ドラマーとして有名なバディ・リッチに憧れる19歳のアンドリュー・ニーマン(以下、アンドリュー)は、最高峰のシェイファー学院の教室でドラムの練習をしていると、突然、高名な指導者フレッチャーが入って来た。 

アンドリュー

フレッチャー


フレッチャーはアンドリューの演奏を聴き、名前を訊ねるが、甚振(いたぶ)るような態度で接してくるものの、アンドリューはフレッチャーのクラスに引き抜かれ、その練習初日に、フレッチャーの異常とも言える厳しい指導の一端を見せつけられた。

 

“ウィップラッシュ”の練習中、「音程のズレている奴がいる。忌々しい」と演奏をストップし、自己申告しろと迫るが、誰も答えず緊張が走る。

 

一人一人演奏させ、トロンボーン奏者のメッツがズレているのを認めさせ、自己申告しなかったと言うや、徹底的に罵詈雑言を浴びせるのだ。 

メッツ

「足手まといも限界だ。デブ野郎。音程よりメシが大事か…メッツ、なぜ座ってる?出てけ!」 



メッツが出て行くと、フレッチャーは何食わぬ顔で言い放つ。

 

「メッツはズレてない。お前だ。エリクソン。だが自覚のなさが命取りだ」

 

フレッチャーは、間違った指摘に反駁できず、泣き出すメッツの自我の弱さを嫌悪したのだった。

 

休憩中、フレッチャーはアンドリューに話しかけ、身内に音楽家はいないかと訊ね、いないと答えると、偉人たちの演奏を聴けとアドバイスする。

 

「バディ・リッチ、J・ジョーンズ、チャーリー・パーカーが“バード”(パーカーの愛称)になった理由は、シンバルを投げられたから。分かるか?緊張しなくていい。採点など気にするな。他の連中の言うことも。音楽をする理由があるだろ?」

「音楽をする理由がある」  



認められたことで笑みを浮かべ、休憩後の練習でアンドリューがドラムを叩くと、リズムが合わないと何度もやり直しさせられ、遂に椅子が投げられた。

 

テンポが速いか遅いかを答えろと問われ、「分からない」と答えるアンドリューに、4ビートを繰り返し言わせ、その度に頬を叩くフレッチャーが怒鳴り散らす。 


「わざと私のバンドの邪魔をするとブチのめすぞ!…何てことだ。低能を入学させたとは!」 



フレッチャーの容赦のない罵倒に、アンドリューの目から涙が零れると、更に「悔しい!」と何度も大声で言わせられる。

 

この一件以降、スティックを持つ手の皮が剥け、血が滲んで何度も絆創膏を貼り直して、鬼のように激しい練習に励むアンドリュー。 



コンテストで、シャイファー音楽院のスタジオバンドとして一曲目の演奏を終え、ドラムの主奏者であるタナ―から預かった譜面をアンドリューが紛失してしまう。

 

タナ―が出演できないとフレッチャーに告げると、アンドリューは暗譜していると申し出て、交代することになった。 

タナ―(右)


アンドリューが演奏して、見事にシェイファー音楽院が優勝する。 



まもなく、アンドリューが主奏ドラマーに抜擢され、タナ―はアンドリューの譜面めくりに降格させられた。

 

ほくそ笑むアンドリュー。

 

父方の親戚の集まりで、従兄弟たちの自慢話になるが、アンドリューも負けじと自己アピールする。

 

「学院内でも最高のバンド、つまり全米一のバンドに所属。主奏者だから、いろんなコンテストで叩く。メンバーの中で最年少なのに」 


しかし、堅実な父や親戚とは話が噛み合わず、アンドリューはあくまでも自分の理想を語る。

 

「文無しで早世して名を残したい。元気な金持ちの90歳で忘れ去られるよりね」

 

その後、音楽院では、新譜で倍速の演奏を求められるが、仮の主奏者でしかないアンドリューは、前のバンドで一緒だったコノリーと競争させられることになった。

 

コノリーが演奏し始めるとすぐ、「完璧だ。これぞ私のバンドの美だ」と褒めちぎるフレッチャー。

 

「本気ですか?今のクソ演奏で?」 

コノリー(中央)

アンドリューが喰ってかかると、「戦って勝ち取れ!」とどなり返されるのみ。

 

意を決したアンドリューは、ガールフレンドのニコルに一方的に別れを告げる。

 

「会わない方がいい。僕の将来のためだ。何度も考えたけど、それがベストだ。ドラムを追求するには、もっと時間が必要なんだ。君と会う余裕なんてない。会っても…僕は偉大になりたい」

ニコル

「何様のつもり?別れるのが正解ね」

 

跳ねっ返りの青春の一端が、そこに垣間見える。

 

いつものように練習室にフレッチャーがやって来ると、自分の教え子のトランペット奏者ショーン・ケーシーのCDをかけ、彼について語る。

 

その彼が自動車事故で亡くなったと、今朝連絡を受けたと、涙を流すフレッチャー。 


「教えたかった。彼がいかに優れた奏者だったか。本当に悔しい…すまない」

 

フレッチャーは「よし」と切り替えて、ジャズの名曲“キャラバン”の練習が始まると、コノリーは即時にアンドリューに交代させ、更にタナ―に交代させる。 


他の演奏者には休憩と取らせ、この3人の交代が延々と続く。 


罵声を浴びながら、3人は汗だくでドラムを叩き、最後にスピードアップを求められたアンドリューの血が滴(したた)り落ちるほどの激しい演奏が、漸との事(やっとのこと)でフレッチャーに認められた。 


「ニーマン、主奏者だ」 



ダネレン大会の当日

 

会場へ向かうバスが故障し、アンドリューはレンタカーを借りて現地向かうが、遅刻したことで、フレッチャーに降板が言い渡される。

 

アンドリューはそれでも「僕のパートだ」と食い下がり、レンタカー会社に置き忘れたスティックを取りに、ステージに上がる10以内に車で戻ろうとして、交通事故を起こしてしまうのだ。 


大怪我を負ったアンドリューは、横転した車の下から這い出て、衝突した車の運転者の呼びかけも振り切って、スティックを抱えて会場へと走っていく。 


もはや狂気だった。

 

血だらけの姿のまま、何食わぬ顔でステージのドラム席に着いて演奏が始まるが、思うように腕が動かず、スティックを落としてしまう。 


「ニーマン、終わりだ」 


フレッチャーに宣告されたアンドリューは、会場の客席に向かって謝罪するフレッチャーに飛びかかった。

 

「フレッチャー 死ね!」 


そう叫び、暴れるが、もう手遅れだった。

 

アンドリューの音楽人生の呆気ない幕切れが映像提示されたのである。

 

 

 

2  「でも、一線がある。あなたはやりすぎ、次のチャーリーを挫折させたのでは?」

 

 

 

アンドリューは父親が連れて来た弁護士の話を聞く。

 

その弁護士から、ショーン・ケーシーが実は交通事故死ではなく、自殺だったと知らされる。

 

「僕と何の関係が?」

「彼はうつ病を患っていた。フレッチャーの生徒になってからよ。遺族は経済的に裁判にはしないと」


「何を望んでる?」

「二度と同じような生徒を出さないこと」

 

父親は、退学処分になったアンドリューのためにフレッチャーを訴えるつもりだった。

 

「息子に地獄を見せた奴だ。このまま引っ込んでいられるか?父親として許せるか?」


「何を話せばいい?」
 



 

コロンビア大学を受験することになったアンドリューは、夜、街を歩いていると、ジャズ・ライブで特別出演のフレッチャーの名を見つけ、店に入っていく。

 

ピアノの演奏をしていたフレッチャーは、アンドリューを見つけると声をかけ、二人はテーブルで言葉を交わす。

 

フレッチャーはショーン・ケイシーの同期の親に密告され、学院を辞めることになったと話すのだ。 


「私を悪く言うなんて謎だよ。ホメ言葉なら分かるが」

 

アンドリューはそれを耳にして、思わず笑ってしまう。

 

「実際、私のことなど誰も理解してない。学院で何を目指してたか。誰でもできる腕を振って拍子を取るだけなら、私は皆を期待以上の所まで押し上げたかった。それこそが絶対に必要なんだ」 


そのあと、シンバルを投げられたチャーリー・パーカーの話を、再びアンドリューに吐露していく。

 

「…その夜は泣きながら寝たが、翌朝は?練習に没頭した…二度と笑われまいと。1年後またリノ・クラブへ。因縁のステージに立つと、史上最高のソロを聴かせた…だが世の中、甘くなった。ジャズが死ぬわけだ…英語で最も危険な言葉はこの2語だ。“上出来だ”」


「でも、一線がある。あなたはやりすぎて、次のチャーリーを挫折させたのでは?」


「いや、次のチャーリーは何があろうと挫折しない…正直に言えば、育てられなかったんだ。努力はした。それこそ必死に、なみの教師にはできないほど。それを謝罪する気はない」
 


帰り際、フレッチャーは新しいバンドのドラムスにアンドリューを誘った。

 

曲は“キャラバン”、“ウィップラッシュ”で、慣れた奴が欲しいと言って誘導するフレッチャー。

 

アンドリューは、自宅に帰って仕舞いこんでいたドラムを出し、叩く。

 

ジャズ・フェスティバルの出演会場に父親も呼び、ステージに上がったアンドリューだったが、演奏直前にフレッチャーが近づき、思いも寄らない物言いをする。 



「私をナメるなよ。密告はお前だな?」 


呆然とするアンドリューを置き去りにして、観客に向かって、フレッチャーは何と新曲の演奏を紹介するのだった。 



アンドリューには楽譜を渡されておらず、演奏が始まっても全くついて行けず、大恥をかくことになった。 


「お前は無能だ」 



フレッチャーに罠を仕組まれ、復讐されたアンドリューは、黙ってステージを立ち去り、駆けつけた父親に抱き留められた。 


それも一瞬の出来事だった。

 

アンドリューは、再びステージに戻り、勝手に“キャラバン”のドラムを叩き始めたのだ。 



フレッチャーも否応なく指揮を取らざるを得なくなる。

 

フレッチャーが近づき、「目玉をくりぬいてやる」と言い寄るが、アンドリューはお構いなしに、自分の演奏に全力投入していく。 



いつしかフレッチャーもアンドリューのドラム演奏に合わせて指揮を取り、曲目は終わったが、アンドリューのドラムは終わらない。 



ここからアンドリューのソロ演奏が始まり、フレッチャーが近づく。

 

「何のマネだ?」

「合図する」 



もはやアンドリューを止められないと悟ったフレッチャーは、頷くしかなかった。

 

アンドリューの顔が歪み、汗が飛び散り、渾身のソロ演奏が続く。 


父親はステージの袖から息子の演奏を見入っている。 



フレッチャーはシンバルの緩みを直し、何度も頷く。

 

アンドリューは事故で果たせなかった血の滲む努力によって掴んだ主奏者としてのパフォーマンスを、この舞台で体現することによって、フレッチャーと、挫折した自分自身に対してリベンジしているのである。 


フレッチャーはアンドリューの演奏を指揮し、二人は一体化したようだった。

 

演奏の区切りがついて、アンドリューがフレッチャーの顔を見ると、笑みを返される。

 

ようやくフレッチャーに認めさせたと自覚したアンドリューもまた、満面の笑みを返していく。 



それは、「復讐劇」を「復活劇」に変換させた青春の煌(きら)めく輝きだった。

 

 

 

3  光芒一閃する青春の炸裂

 

 

 

屈辱的な言葉を浴びせられ、殆ど虐めのような想像を絶する指導を受け続けるアンドリューが、それでも耐えてこられたのは、尊敬するバディ・リッチのような偉大なジャズドラマーになる野望が消えることがなかったからである。


バディ・リッチ

                    チャーリー・パーカー



心理学者アルバート・バンデューラが言う「自己効力感」(自分を信じる力)が、一人の若者を支えていたから、より強い自我を拓いていく。 

アルバート・バンデューラ


自己効力感



飽くなき向上心の強さが、ドラムスティックを持つ右手が血塗(ちまみ)れになっても、凄まじい努力を捨てない未知なる挑戦の旅に打って出る。

 

音楽のフィールドにおける妥協のないプロの世界の洗礼を浴びることを、寧ろ喜びに変えられる強さなしには不可能だった。


【常識的に考えれば、多くの学生は、あれほど罵倒されれば自己効力感が失われ、期待されないことでダメになる「ゴーレム効果」の心理学をなぞった振れ方をするだろう】

 

「英語で最も危険な言葉はこの2語だ。“上出来だ”」 



このフレッチャーの信念を体現するアンドリューの日常は、残酷にも、ガールフレンドに別れを告げるストイックな孤独の風景に満ちていた。

 

満足したら、そこで終わってしまうのだ。

 

そんな若者にも隙があった。

 

バスの故障は不運だったが、レンタカーにスティックを忘れてきたことは若さゆえの過誤だった。

 

甘さが露呈したのである。

 

残念ながら、その甘さが肝心のコンサートを壊してしまう羽目になる。

 

「ニーマン、終わりだ」とフレッチャーに宣告されるや、あろうことか、フレッチャーに殴りかかっていくのだ。

 

フレッチャーによって追い詰められる日々の緊迫感が累加し、殆ど狂気と化した青春の非日常が自壊した時、そこにまで追いやった者への敵意に変換されたのである。


 

この騒動で、音楽院を退学処分となった若者の人生を覆う、目標を失ったアパシーな日常。 


このモラトリアムを埋める有効な時間を、果たして持ち得るか。 



究極なる青春の光と影の風景を、映像は提示していく。

 

そして、その先に待つフレッチャーの復讐劇。

 

フレッチャーの性格の歪みが露呈され、復活劇を予想していた観客も引いてしまうだろう。

 

弁護士に頼まれて話したに過ぎず、フレッチャーに対する密告の意図もなかったアンドリューが、思いも寄らない復讐劇に受難する。 



にも拘らず、復讐劇を目論んだフレッチャーの思惑は頓挫した。

 

意を決して舞台に引き返し、キャラバンを演奏する若者の途方もない強さを、私たちは見ることになるからである。

 

この若者の内側に張り付く、音楽に対する堅固な意志が炸裂する。

 

心優しき父に抱き締められても、帰途に就かない青春の光芒(こうぼう)が一閃(いっせん)するのだ。

 

このまま帰ったら、負け犬になってしまう。

 

決して消えない屈辱の記憶が、その後の若者の〈生〉の彩度を退色させ、惨めな航跡を残すことになってしまうだろう。

 

「何者」にもなれない時間の累積に、果たして耐えられるか。

 

それだけはできない。

 

そういう自我を作ってきたのだ。

 

この強さが若者にはある。

 

だから、恐怖突入する。 


自分の時間を取り戻すのである。

 

あらん限りの自己表現に打って出るのだ。 


フレッチャーという妖怪に、それを見せつけるのだ。

 

認知してもらうのではない。

 

認知させるのである。 


これがラストシーンの意味だった。

 

光芒一閃する青春の炸裂に息を呑むラストを見せつけられて、表現できないほどの感動を覚えた。 


―― 最後に、フレッチャーについて書いていく。

 

序盤での、自我の脆弱なメッツへの罵倒と切り捨て。

 

アンドリューを刺激するためにタナ―やコノリーを利用するという姑息な行為。

 

就中(なかんずく)、タナ―の場合、楽譜を失ったことで非難されるエピソードがインサートされていたが、明らかに、これが同じフロアにいたフレッチャーの仕業であることが読み取れる。

 

「今度また、こいつ(楽譜)が一つでも放り出してあったら、容赦せん!」という伏線が張られていたことで自明であるからだ。 



そして、復讐のためだけにアンドリューを自分のバンドに参加させるというフレッチャーのアンモラルな行為を見る限り、その病的資質を疑わざるを得ないのだ。 



だから、彼の指導は成功裡に終わらなかった。

 

音楽院で、一人の後継者をも育てていなかったからである。

 

「私のことなど誰も理解してない」

「いや、次のチャーリーは何があろうと挫折しない…正直に言えば、育てられなかったんだ」 


アンドリューに吐露した時の言辞である。

 

思えば、この男が嗚咽を交えながら、自分の教え子の死を嘆くシーンがあったが、その死の責任が自らの苛酷な指導にあったことを薄々感じていたからこそ、その死因を「交通事故」と言って誤魔化したことが読み取れる。 


死因を話す弁護士


一貫して、この男の責任感覚は皆無なのだ。

 

文化フィールドのプロの世界では、相当程度の厳しい指導が罷(まか)り通っていたにしても、厳しさの中の一欠片(ひとかけら)の気遣いぐらいは拾えるだろう。


しかし、復讐劇を遂行するこの男には、それも拾えなかった。 



それでも、笑みを交わす師弟のラストの意味とは何か。

 

これは両者に差異が見える。

 

アンドリューの場合は、フレッチャーに対して、あらん限りの自己表現に打って出て、自分の才能を認めさせた瞬間に湧き上がった達成感と呼べる何かだった。

 

然るに、フレッチャーの場合は、アンドリューの達成への一体的な共感感情というより、男の中枢を占有する「優れた指導者としての名声」を得る欲望を束の間、果たせたという悦楽と言っていい。 


「優れた指導者としての名声」

 

これを得ることが、音楽界で〈生〉を繋いでいる男の中枢のコアにある。

 

音楽院で、一人の後継者をも育てられなかった不満の鬱積が、音楽院と切れたスポットで、音楽院で鍛え上げた若者が己が欲望を満たしてくれたのである。

 

いつの日か、この若者が大成すれば、己が欲望も十分過ぎるほど満たされるのだ。 



これが、厳しさの中の一片の気遣いも拾えない男の指導者人生の、錯誤の時間を累加するだけの〈生〉の在りようなのだろう。

 

―― ここで私は想起する。

 

「口よりも手よりも先に、灰皿が飛んでくる」という伝説を持つ、「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家・蜷川幸雄のこと。

蜷川幸雄


 

「『千本ノック』と例えられた、延々と続く『ダメ出し』は、役者の心が折れそうになるほどだけれど、最高の芝居(直接の成功体験)や、情緒的な喚起を引き出すためのギリギリの熱弁(言葉による説得)だったからこそ、役者の方々は大きな自己効力感を得られたのかもしれません。(略)蜷川氏演出の舞台『身毒丸』で、5500人から主役に抜擢された藤原竜也氏は、弔辞において『俺のダメ出しで、お前に伝えたいことはほぼ言った、今はすべてわかろうとしなくても、いずれ理解できるときが来るから、そしたら少しは楽になるから、アジアの小さな島国の俳優にはなるな、もっと苦しめ、泥水に顔突っ込んで、もがいて、本当にどうしようもなくなったときに手を上げろ。その手を必ず俺が引っ張ってやるから』と、かつて故人から伝えられエピソードを紹介しました」(「蜷川幸雄の『怒り』が数々の名優を生んだ理由」より) 

蜷川幸雄シアター2『身毒丸 ファイナル』」より



多くの著名の俳優から、あれほどまでに感謝され、慕われ続けた演出家には、俳優が精魂尽きた時、「本当にどうしようもなくなったときに手を上げろ。その手を必ず俺が引っ張ってやる」という気遣いを見せ、アウトリーチを惜しまなかった演出家だった。

 

フレッチャーと蜷川幸雄の決定的な差異が、ここにある。。

 

フレッチャーに見せつけるためにのみ演奏を止めず、自らイニシアティブを取って、「復讐劇」を「復活劇」に反転させたアンドリューの〈生〉の、究極の自己表現は若者自身の強さの発現以外の何ものでもなかった。

 

そこにはもう、子供じみた狂気の炸裂をも超えるアートの世界が広がっていたのである。

 

素晴らしい映画を見せつけられ、忘れ得ぬ一作となった所以である。

 

(2023年4月)

 

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