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2022年10月6日木曜日

コーダ あいのうた('21)  「青春の光と影」 ―― 身を削る思いで束ねた時間の向こうに結実していく シアン・ヘダー

 


手話を交えて「青春の光と影」を歌い切るルビー



1  「家族抜きで、行動した事がないんです」

 

 

 

漁で生計を立てる4人家族のロッシ一家。

 

父フランク、母ジャッキー、そして兄レオの3人は、共に聴覚障害者。 

右からルビー、父フランク、兄レオ/ルビーは常に歌を歌っている



高校生の娘ルビーが健聴者なので、「コーダ」である。

 

【コーダ(CODA)とは聴覚障害の家族を持つ健聴者のことで、ルビーはヤングケアラーになる】

 

従って、仲介人との交渉もあり、漁の仕事にはルビーの存在は不可欠である。 

仲介人と交渉するルビー




この日も、思ったような高値で魚が売れず、家族の不満が募る。

 

〈今日は病院に行日だぞ。忘れるな〉 


フランクが手話でルビーに声をかけると、〈了解〉と返し、その足で学校へ自転車を飛ばして向かう。

 

しかし、授業中に疲れで居眠りして教師に注意され、友達も冷ややかだった。 


ルビーは学校で浮いているのである。

 

新学期の選択授業を決める際、気になる男子生徒のマイルズが選んだ合唱クラブを、ルビーも選ぶ。 

マイルズ


合唱クラブを選ぶルビー(左)、右は親友のガーティー



学校帰りに、両親がトラックで迎えに来るが、大音量の音楽をかけたままで、他の生徒たちの衆目に晒され、ルビーは慌てて、運転するジャッキーに、〈うるさい〉と言うや音量を下げるが、フランクは〈ラップは最高だ。ケツがズンズン振動する〉と返して、音量を上げてしまう調子だった。 

中央は母のジャッキー


3人で病院に向かい、父親のペニスが燃えるように痒いということをルビーが控えめに通訳すると、医師に“インキンタムシ”と診断され、「患部を乾燥させて、セックスは2週間控えて」と念を押されてしまう。 



合唱クラブの初めての授業で、発音が難しいので「V先生と呼んでくれ」と言う担当教師のベルナルドは、音域を確かめるため、一人一人に“ハッピーバースデイ”を歌わせるが、順番が回って来たルビーは、緊張してどうしても歌えず、そのまま教室を飛び出して行った。 

V先生


人前で歌えないルビー



森の中に入り、誰もいない池の畔で、“ハッピーバースデイ”を伸びやかな美しい声で歌うルビー。 



帰宅すると、ジャッキーがカードの支払いができなかったとフランクを責め、金のやり繰りのことで喧嘩をしていた。

 

〈船を売ったら?〉


〈俺には漁しかないんだ〉

 

漁を終えて港に着くと、漁業長が、政府の要求で、漁に違法行為がないかチェックするため、海上監視員を漁船に乗せることが義務づけられる旨を漁師らに伝える。

 

1日800ドルのコストを負担することで、漁業者は一様に反発し、ルビーに同時通訳されたフランクは、〈1日の稼ぎより多いぞ〉と怒るが、〈みんなに言ってよ〉とルビーに返されると、そのまま帰ってしまう始末。 



その足で、ルビーはV先生を訪ねた。

 

「合唱を選んだのに、歌うのが怖いか?」

「人前だと緊張して。からかわれるわ。入学したころ、しゃべり方が変だと」

「“ろう家族の子(コーダ)”かね?君以外は、全員?だが歌う。なるほど」

「はい」

「なぜ逃げだした?」

「怖くなって…ヘタだと思われるわ」

「…大事なのは、声で何を伝えられるかだ。君は伝えられるか?」

「そう思います」

「では授業で会おう」

 

親友のガ―ティーが、ルビーの家を訪ねて来た。

 

レオを狙っているガ―ティーは、ルビーに「マジな話。手話ってどうやるの?」と頼み込む。 

ガーティー



授業に参加したルビーは、V先生に指名されて歌うが、呼吸がなっていないと、大型犬のように腹から声を出す練習をさせられた後、伸び伸びした声で歌い上げ、皆を驚かせた。 



授業の終わりに、ルビーとマイルズが呼ばれ、二人で秋のコンサートで、「ユアー・オール・アイ・ニード」のデュエットをするように言い渡された。


 

次の授業の後、残ったルビーとマイルズがV先生の前で歌うと、二人で練習してこなかったことを注意され、その場で二人を向き合わせ、ハモる練習をする。 



マイルズが帰り、V先生はルビーを励ます。

 

「できるさ。まだ不安定だが、魅力的な歌声だ」

 

そして、ルビーの卒業後の進路について訊ね、マイルズも受験するバークレー音大を勧めるが、「経済的にムリ」と答えるルビーに、奨学金もあると言い添えるV先生。 



「歌う時の気分を説明してみろ」と言われたルビーは、言葉にはできず、思いを巡らせ、手話で応えてみせるのだった。 



それを受け止めたV先生は、夜間と週末に特訓するという提案に対して、小さな笑みを返すルビー。

 

「時間をムダにするな。君に声をかけたのは可能性があるからだ」 



一方、レオは協同組合を作り、事業を始めようと提案するが、フランクに〈俺達はろう者だぞ〉と反対される。 



漁業仲間たちに誘われ、バーに飲みに行くが、話が分からず、孤立するレオ。 



体を当てられたばかりか酒をかけられたレオが男に手話で怒りをぶつけると、「失せろ。消えな、化け物」と相手にされず、殴り合いとなるエピソードがインサートされ、聴覚障害者に対する差別が可視化されていく。 



ガ―ティーがバイトするバーに行き、飲み直すレオ。 


二人は意気投合して、チャットでやり取りし、店のプライベートルームで結ばれる。

 

一方、ルビーの部屋でマイルズがギターを弾き、歌の練習を始めた。

 

互いに意識する二人は、背中合わせになって歌い始める。 



そこに、フランクとジャッキーのセックス中のよがり声が聞こえてきて、二人のレッスンは壊されてしまうのだ。

 

ルビーがいると知らなかった言う両親は、マイルズを交えて居間で話し合う。

 

〈セックスは禁止のはずよ〉

〈ママは熱く燃える女だ。我慢できるわけないだろ…君はルビーをどうするつもりだ〉


「誤解よ」

〈コンドームを使ってね〉とジャッキー。

〈戦士にヘルメットをかぶせろ〉とフランク。 



それをジェスチャーで伝え、マイルズも理解するが、恥ずかしさのあまり、ルビーはマイルズを帰らせる。

 

しかし、事態は悪循環に陥ってしまう。

 

学校のテーブルに集まっている女生徒たちの一人が、わざとルビーに聞こえるように、よがり声を出し、食堂の皆が笑い飛ばしていた。 



居たたまれなくなったルビーが食堂を出て行くと、マイルズが追い駆けて来た。

 

「近寄らないで!」

「僕じゃない」

「ウソつき」

「ジェイにしか話してない。ぶっ飛んだ経験だったから」 



その直後、傷ついたルビーは、V先生のレッスンに行くが、力が籠(こも)らず、「吐き出せ。抑えるな」と怒鳴られるばかりだった。

 

このシーンは重要なので後述する。

 

その後、レッスンのため、漁業組合の説明会に遅れてやって来たルビーが、フランクとレオに通訳する。

 

漁業者に負担ばかりを強いる説明に、フランクが挙手して、抗議する。

 

チンポをしゃぶれ〉 


ルビーがそう訳すと、集まった漁業者たちから笑いが起きる。

 

「もうウンザリだ。俺達が規制されても、お前は平気だ。儲かるからな。俺達は漁に見合う金をもらってない。父も、その父も漁師だった。漁を続けるために闘う」(ルビーの訳/以下同様) 



「いいぞ!」と拍手が起こると、フランクは調子づく。 

「クタバレ。セリには加わらない」

「そうか、ではどうする?」

「自らで魚を売る。手を組む者は?」

「何のつもりだ」

 

次に、立ち上がったレオが続ける。

 

「利益の6割もかすめ取られて平気か。俺に魚をよこせ。手取りは倍だ」 



そうは言ったものの、金を払える目途は立っていない。

 

家に戻ると、ジャッキーがフランクらの計画を反対する。

 

〈つい口から出ちまった〉とフランク。

〈どうやって売る気?〉とジャッキー。

〈客と契約して、魚をじかに売る〉とレオ。


〈どれだけ大変か、分かってる?お金もない〉

〈君は奥さん連中と、経理をやればいい〉

 

何が問題かを問うレオに対し、ジャッキーは答える。

 

〈会話ができないからよ〉 



かくて、ルビーは翌朝3時に起き、家族を起こして漁に出た後、“漁師共同組合”立ち上げのビラを配って宣伝することになる。

 

「申し込めば、漁師から直接魚を買えますよ!」 



そのルビーは歌のレッスンも怠らないが、相変わらずマイルズを無視し続ける。

 

堪(たま)らずに、マイルズが声をかけてきた。

 

「僕の家は悲惨だけど、君の人生は完ぺきだ。両親は熱烈に愛し合い、君の家は…」


「最悪よ。うちは最悪なの」

「違うよ。家族が笑顔で仲良く働いてる。家とは大違いだ。それに君の歌声は…僕は親に期待されて歌うだけだ」

「家族が笑われる気持ちが分かる?」

「無神経だった」

「私は家族を守るわ」

「分かるよ。本当に悪かった、ルビー。僕は最低だ。埋め合わせをしたい。頼むよ」 



仕事の都合でレッスンに遅れがちなルビーは、V先生に遅刻厳禁を命じられ、2度としないと約束していたが、その日はテレビの取材が入り、通訳が必要となった。

 

ジャッキーに行くなと言われ、それでも行こうとしたルビーだったが、やはり残らざるを得なかった。

 

取材中にV先生から電話が入り、メールを送るが、ルビーが駆けつけてドアを叩いても、反応はない。

 

学校の音楽室でピアノを弾くV先生を訪ねて謝るが、やる気がないと見做(みな)され、「出て行け」と言われたことで、ルビーは本音を吐露する。

 

「家族抜きで、行動した事がないんです」 



V先生の表情が変わった。

 

追い詰められたルビーにとって、自分が自分であることを感受し得る唯一のアイデンティティとなっている音楽だけは手放せなかったのだ。 

「合唱を始めたの」と打ち明けるルビー


マイルズとのデュエットの訓練




ここから、家族の風景が大きく揺さぶられ、変容していくのである。




2  胸を張って立ち、家族に向かって、手話を交えて力強く歌う少女

 

 

 

家に帰り、バークリー大学に進学したいと、ルビーは両親に訴えた。 


〈事業を始めたのよ。あなたがいなくちゃ〉

〈心配はそれね。私はただの通訳〉

〈お前も大事な一員だ〉


〈時期が悪い〉

〈いい時期なんてないわ。一生家族とはいられないわ…生まれてずっと通訳の役目を。もう疲れたわ。私は歌うのが好き。生きがいなの〉 



ベッドルームに戻ったジャッキーは、ルビーが失敗することへの心配をフランクに訴える。

 

〈もし合格したら?私達のベイビーが行っちゃうのよ〉

〈ベイビーじゃない。昔から大人だ〉 



翌朝、漁に監視員の女性が乗船してきた。 


そこにはルビーの姿はなかった。

 

ルビーは昨晩マイルズから来たメールに反応し、森の中の池で、一緒に崖からダイブして遊び、仲直りをして、互いの思いを確かめ合っていたのである。 



一方、漁に出た二人が聴覚障害者と分かると、監視員は沿岸警備隊に通報し、違法操業と認定され、免許停止になってしまった。

 

帰って来たルビーはそのことを知らされ、黙って来なかったことを責められる。 


〈来ないと言ってくれたら、通訳を手配したのに〉

〈私を責めるの?人に押し付けないで。私のせいじゃない〉 



その後、沿岸警備隊によって罰金を科せられるが、海に出ないと払えないというフランクの訴えを受け、ルビーが質問する。 


「どうすれば漁の再開を?」

「無線や他の船の汽笛に応答できるように、聴者を必ず乗船させること、規則に従っているか定期的に監視する。そんな人、いるかね?」 



夕食の際に、フランクは遂に船を売ると言い出す。

 

〈それで金を作れば、何とかなるさ〉 


ジャッキーも頷く。

 

〈私が残るからいいわ。一緒に船で働く〉とルビー。


〈ダメだ〉とレオ。

〈いいの。人を雇う余裕はないわ。手話ができる人は少ないし〉

〈本気か?〉とフランク。

〈学校は後回し。もう決めたの。楽しみよ〉 



レオが立ち上がり、〈聖ルビー様。船に教会でも作るか〉と嫌味を言う。

 

〈助けてくれるのよ〉とジャッキー。

〈孝行娘だな〉

 

そう言うと、レオは部屋から出て行ってしまう。

 

ルビーが部屋のベッドで横になっていると、ジャッキーが紙袋を持って入って来た。

 

〈あなたがコンサートに着る赤いドレスを買ったの…残ってくれて嬉しいわ〉

〈兄さんは違うわ〉

〈のけ者にされて、疎外感を感じてるのよ〉

〈そんな事ないわ。いつも3人一緒で、私だけ別だった〉


〈確かにね〉

〈私が、ろう者なら、よかったと思う?〉


〈病院であなたが生まれた時、聴覚の検査を受けた。小さくて愛らしいあなたの体に、電極がたくさん付けられた。その時、祈ったわ。ろうの子でありますようにって。耳が聴こえると分かり、私は、心が沈んだ〉


〈なぜ?〉

〈分かり合えない気がして。私と母は希薄な関係だった。きっと子育てに失敗する。耳の聴こえない母親なんて〉


〈安心して。ダメな母親なのは、耳のせいじゃない〉

〈確かにウザい母親ね。服や化粧を押し付けて…ルビーがしっかり者で、とても嬉しいわ。私と違って勇気があるもの〉 



家を出て行ったレオを見つけたルビーが声をかける。 



〈まだ怒ってるの?〉

〈家族の犠牲になるな〉

〈悪い?〉

〈お前の歌は、すごいと聞いた。特別だって。ここにいちゃダメだ。永遠に頼られちまう〉


〈じゃあ、どうしろと?〉

〈俺に任せろ。これでも兄貴だぞ…卑屈になるな。俺たちは無力じゃない。お前が生まれるまで、家族は平和だった。失せろ〉 



秋のコンサートの当日。

 

フランクとジャッキー、レオとガ―ティーが会場にやって来た。 



生徒たちの歌声に沸く観客たちに合わせ、手を叩き、立ち上がるフランクとジャッキー。 



いよいよ、ルビーとマイルズのデュエットが始まった。 



ここで、素晴らしい歌声を聴こえない無音の状態で、フランクとジャッキーの棲む世界を映し出す。

 

作り手が、観る者に対して、無音の時間の共有を求めたのである。

 

周囲を見回し、歌に聴き入り、涙する人の姿を目に留めるフランク。 



スタンディングオベーションのうちにコンサートは終了し、家族はV先生と挨拶を交わす。 



V先生は、ルビーの大学受験を両親に勧めるが、ルビーはそれを通訳しなかった。 



家に戻ると、フランクは外の空気を吸いたいと家に入らない。

 

ルビーがフランクに声をかけると、今夜歌った歌が、どんなだったかを聞き、自分のために歌って欲しいと頼む。

 

ルビーはフランクに向かって歌い、フランクはルビーの首に手を当て、娘の歌声を全身で体感しているのだ。 



翌朝、ルビーを起こし、車に乗って、家族全員で大学受験の試験会場に向かった。 


ロッシ一家は、ルビーの音大受験を受け入れ、サポートするのである。

 

遅刻して会場に行くと、譜面を忘れ、アカペラで歌うことになる。 

試験会場に遅れてやって来たロッシ一家



曲名は、ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」。



そこにV先生がやって来て、試験官の許可を得るや、ピアノの伴奏をすることになった。

 

声が詰まるルビーを見て、V先生はわざと演奏を間違えて、最初からやり直しを求め、認められる。 



フランクたちが2階席に入って来て、それを視認したルビーは、深呼吸して、改めて歌い直すのだ。 



2階席を見上げ、家族に向かって、手話を交えて力強く歌うルビー。 



圧巻の歌声を披露するルビーが、そこに胸を張って立っている。 



かくて、試験にパスしたルビーは、家族に別れを告げて、音楽大学の寮生活へと旅立って行くのである。 



ラストカットは、家族を離れて、車に乗ったルビーが、中指を人差し指にかける手話。 


その意味は、アメリカ手話(ASL)で、「I really love you」。

 

「驚かしの技巧」(ラストでのV先生の力添え)がインサートされつつも、ハリウッド映画の変容を窺(うかが)わせる完璧な映画だった。

 

【国連では、2006年時点で採択された「障害者権利条約」には、「手話を言語に含む」と明記され、日本国内でも全日本ろうあ連盟が「手話言語法」の要望を各政党に提出している状況である】  

言語には「音声言語」と 「手話言語」がある


 

 


3  「青春の光と影」 ―― 身を削る思いで束ねた時間の向こうに結実していく

 

 

 

以下、少女ルビーの内的行程に焦点を当て、人生論的映画評論の視座で物語の構造を考察したい。

 

―― 思春期後期に踏み込んだ少女は、もうアップアップの状態だった。 

ストレスフルになり、漁に出なかった責任を非難され、手話で反応する少女ルビー



協同組合の立ち上げという経済力のないロッシ家の挑戦によって、ルビーにかかる負荷が増していく。 



それでなくても、例の一件(「両親の喘ぎ声の噂の拡散)で、始動しつつあったコンサートへのレッスンが壊れてしまい、孤独を深めてしまった。

 

それでも捨てられないV先生との特訓。

 

しかし、声が出ない。

 

V先生が求める感情を込めた音声が出ないのだ。

 

精神的な問題を引き摺っているからである。

 

「吐き出せ。抑えるな」 



歌うことを中断したルビーに対し、V先生は、ルビーが変な話し方だったことを思い出し、「変」とは何かを訊ねた。

 

「ろう者みたいな…普通じゃない…異質で醜い」

「では醜い声を出してみろ…変な発音でイジメられるのは、自分だけだと?」 


二人は手を合わせて押し合い、大きな声で腹の底から声を出し合っていく。

 

「モンスターになれ!」 




思い切り声を出したルビーは、続いて「歌ってみろ」と言われ、力強い発声で、素晴らしい歌声を響かせるのだ。 



「そうだ!それだよ。それを待っていた」とV先生。

 

本腰を据えたV先生の熱意が、この特別な時間を大きく変えていくエピソードこそ、本篇の基軸にある。

 

次第に昂(たかぶ)ってくる少女の感情が、小さなスポットで炸裂するのだ。

 

食い潰されそうな自我を駆動させていく分だけ、少女を覆うディストレスを溶かしていったのである。

 

この構図が内包する表現は、少女にとって、歌を歌う行為だけは何ものにも代え難い時間であることを決定的に示すエピソードだった。 



然るに、運命は時として残酷である。

 

ルビーを囲繞する状況が徒(ただ)ならなくなってくるからだ。

 

漁師の魚を買い上げて顧客に安く売り渡すというロッシ家の挑戦には、通訳が不可欠だった。

常に通訳を求められるルビー


 

ルビーのみにしか頼れないという、コーダの宿命のような事態を克服する如何なる手立てもない。

 

朝3時に起きて漁に出た後、学校に行き、合唱クラブのレッスンの遂行を継続させていく。

 

更に、テレビの取材を理由に母に引き止められるのだ。 



且つ、V先生との特訓が待っている。

 

特訓に繰り返し遅刻し、叱咤されるルビーの悪循環。 


もう、限界だった。

 

遂にルビーは打ち明ける。

 

「バークリー大学に進学したいの」


 

困惑する両親が、ルビーの告白に反対の意思を示すのだ。

 

これには伏線があった。

 

「合唱を始めたの」

 

このルビーに対する母ジャッキーの反応は冷ややかなものだった。

 

〈反抗期なのね〉と返されるのみ。 



子供扱いされることに苛立つルビーは、確として言い切った。

 

「なぜ自己中心なの?私には友達もいるのよ。ママも外の世界に触れてみたら?」 



思うに、ルビーの自立を求める兄レオと違って、両親の心情には「我が家が全て」という保守的な適応戦略が渦巻いている。

 

かくて、音大受験の意思を吐露するルビー。

 

〈事業を始めたのよ。あなたがいなくちゃ〉

〈心配はそれね。私はただの通訳〉

 

ルビーの「役割意識」が自壊していくようだった。 



しかし、漁に同行せず、マイルズとの飛び込み遊びに興じるルビーのサボタージュの代償は大きかった。

 

健聴者なしでの違法出漁で免許停止処分を受け、多額の罰金を課せられたロッシ家の経済破綻の惨状を知り、ルビーは言い切った。

 

〈私が残るからいいわ。一緒に船で働く〉 


明らかに、ルビーの贖罪意識が結んだ言辞だった。

 

この贖罪意識が、幅広の役割意識を、サイズを伸ばして復元させていく。

 

復元した役割意識を、骨太の家族愛が支え切っているのだ。 



物語の中に、興味深いエピソードがあった。

 

〈私が、ろう者なら、よかったと思う?〉 



このルビーの根源的問いかけに対して、母ジャッキーは正直に吐露した。

 

〈病院であなたが生まれた時、聴覚の検査を受けた。小さくて愛らしいあなたの体に、電極がたくさん付けられた。その時、祈ったわ。ろうの子でありますようにって。耳が聴こえると分かり、私は、心が沈んだ〉


〈なぜ?〉

〈分かり合えない気がして。私と母は希薄な関係だった。きっと子育てに失敗する。耳の聴こえない母親なんて〉 



ここに加える言辞の何ものもない。

 

ろう者と健聴者との分かり合うことの難しさを語る重要なシーンについて、作り手は説明している。

 

「ルビーは、家族が外界とコミュニケーションをとるための架け橋である反面、障害にもなっているんです。街の人々も家族も彼女がいるから、直接コミュニケーションするための努力に踏み出そうとしないわけですから。同時に、ルビーの家族における役割をひっくり返したいとも思いました。彼女は『自分は重要な役割を果たしている』『自分がコントロールしている』と思っているわけですが、母親に『聾者だったらよかった』と言われてしまうんですね。(略)母親は、自分の母と自分の関係性が、自分と娘ルビーの間に繰り返されることを恐れているんです。こういう不安は、聾者に限らず、世界中のあらゆる親が感じている普遍的なものですよね」(シアン・ヘダー監督インタビュー) 

シアン・ヘダー監督




【理屈では分かっているつもりの説明だが、アメリカ手話(喜怒哀楽を表現手法は豊かな表情での伝達)も知らず、コーダ(CODA)について無知だった私にとって、これほど勉強になる監督インタビューはない】

 

思うに、ルビーの場合、「聾者だったらよかった」という母の心情を誠実に受容するからこそ、その後の展開が、少女の内的行程を攪乱する振れ方をしなかったのである。

 

ルビーへの両親の依存を誹議(ひぎ)し、〈お前が生まれるまで、家族は平和だった〉と言い放った兄の思いをも理解できる。 



でも、音大へのチャレンジを強引に封印したわけではないのだ。

 

そのことは、感銘深い父フランクとの心理交叉の中で具現化した。 



娘の未来を後押しする父の心情が、娘の歌声を感じ取ろうとする行為のうちに表現されていくのだ。 



それは、母の思いを誠実に受容したルビーが、予期せずに得た究極の贈り物だった。

 

フランクもジャッキーも、娘のコンサートを見て大きく変わっていくのである。

 

無音状態で感じ取ったスタンディングオベーションを目の当たりにして、決定的に変わっていくのだ。 



予定調和と言えばそれまでだが、何もかも、そこにしか辿り着くことのない自然の成り行きだった。

 

小さなスポットで炸裂する辺りまで噴き上げた少女の感情が、漂動する少女の中枢を貫流し、艱難(かんなん)な行程を守り抜き、身を削る思いで束ねた時間の向こうに結実しのである。

 

「青春の光と影」 ―― 身を削る思いで束ねた時間の向こうに結実していくのだ。 



「失ったものもあれば、得たものもある。毎日を生きていれば、そんな事もあるわ。私は両側から人生を眺めてみる。でも、それは私が抱いた人生の幻影。人生の本当の姿は分からない。私は両側から人生を眺めてみる。上からも下からも」(「青春の光と影」より)

 



少女なりのメタ認知能力を駆使し、相対思考にまで届いたた少女の未来は、骨太の家族愛の後押しを得て飛翔する少女自身が決めるのだ。

 

決して一路順風にいかないだろう、その青春の遥かな旅路の中で、少女の役割意識はサイズを伸ばしながら、なお少女の人生を貫流するに違いない。

 

「耳の聞こえる俳優を雇うつもりはありませんでした。正直、そういった考えに嫌気が差してたんです。映画にはスターを起用しなければならないという、古い固定概念から生まれた風潮でしょう。でも、今は時代が変わって、そういう考え自体が良くないものとされるようになりました。それに私は真実味のある物語を作りたかったので、スターを起用することは考えてなかったんです」 



インタビューでのシアン・ヘダー監督のメッセージに、私は大いに共感する。

 

(2022年10月)


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