1 風呂場まで這っていき、服のまま浴槽に身を投げ入れる
「今日は、ワンピース着たい」
「1人で行くんでしょ?だったら、ダメ。最近変な人、多いんだから…やっぱり、ママも一緒に行く」
「1人で行かせてくれるって、約束したじゃん」
「ママも一緒に行っていいなら、ワンピース着てもいいよ」
母と娘の会話である。
母の名は、貴田恭子(以下、恭子)。
娘の名はユマ。
23歳のユマは、脳性麻痺の障害を負っている。
ワンピースを着て、電車の中でスケッチするユマ |
結局、ユマは恭子の付き添いで、電動車椅子に乗り、売れっ子漫画家で、人気ユーチューバーのサヤカのイベント会場に向かった。
サヤカのイベント会場に向かう |
実は、ユマはサヤカのゴーストライターなのだが、アシスタントとして雇われ、稿料を受け取り、身過ぎ世過ぎ(みすぎよすぎ)の日常を繋いでいる。
サヤカ(右) |
そのサヤカがインタビューで、「一人で全部やっている」と答える言葉を耳にしたユマの表情から、会場に入った時の笑みが消えていく。
サヤカに手を振る |
サヤカ |
サヤカは、編集者の池谷(いけたに)から、障害者のユマがアシスタントであると公表することを提案されても、頑として受け入れず、ユマの存在を知られないようにしているのである。
駅のホームで、沈み込んでいるユマ。
疲れ切って家に帰り、ベッドで眠っていると、突然、サヤカがイベントのお土産を持ってやって来た。
手に持っているのは、父から送られて来る絵葉書 |
サヤカは会場でユマを無視したことを謝り、締め切り間際の原稿を催促するのだ。
どこまでも、自己基準で動く女性である。
池谷からの電話で、先日、渡した漫画の作品が素晴らしいと賞賛され、喜びを隠し切れないユマ。
池谷に漫画の作品を読んでもらうように頼むユマ |
ただ、サヤカの作品に似ていて、オリジナルなものでなければと言われ、結局、採用されなかった。
採用されず、失望する |
ユマは自宅に戻り、他の出版社に電話をかけ、自ら売り込みをする。
アダルト漫画の会社で面接が許され、件(くだん)の出版社を訪問するユマ。
早速、原稿を見た編集長の藤本から称賛され、ユマの頬が緩む。
ユマの原稿を読む藤本(左) |
「あなた何で、車椅子なの?」
「脳性麻痺で。でも、絵を描くのには、全然問題ないです」
いきなり、藤本から思いがけない言葉が飛び出した。
「やったことある?セックス」
「いや、ないです」
「作家に経験がないのに、いい作品は作れないのよ。妄想だけで描いたエロ漫画なんて、読んでも面白くないでしょ…いつか、あなたがセックスしたら、また連絡しておいでよ。経験したら、きっといいもの描けると思う。頑張って」
ユマに無理難題な要求を突き付け、諦めさせる藤本。
失望しながらも、ユマの取った行動は、この無理難題に対する挑戦だった。
アダルト動画を観ながら、それを絵にしていくユマ。
自慰行為に耽(ふけ)るだけでなく、ネットの出会い系サイトにアクセスし、実際に会って男性とデートする。
出会い系サイトで会った二人目の男性から、好意を持たれるユマ |
以下、三人目の男性との会話。
「私みたいな人と、付き合うのって、抵抗ありますか?」
「ないよ」
満面の笑みを浮かべるユマ |
「よかった!もしよかったら、今度、映画行きませんか?」
「うん、いいよ」
そう約束するが、その男は映画館にはやって来なかった。
オメカシしたユマは、夜の繁華街を車椅子で彷徨(さまよ)い、客引きの男に声をかけ、ホストを紹介してもらう。
ホテルで待っていたユマの部屋に、若い男がやって来た。
「因みに、途中で発作とか、ないよね?」
「多分。でも、やってみないと、分かんないかもです」
「もしそうなったら?」
「どうしたらいいですかね。119番?」
「オッケー!」
しかし、60分の本番が始まったが、ユマは緊張のあまり便を漏らしてしまい、交接にまで至らなかった。
一人残されたたユマはシャワーを浴び、ホテルから帰ろうとすると、エレベーターが壊れていた。
そこに、風俗嬢の舞(まい)と車椅子の常連客のクマがやって来て、事情が分かると、舞が介護師の俊哉(としや)を呼んで、階下に降ろしてもらうことになる。
舞とクマ |
そして、俊哉の運転するワゴン車にユマも乗り、無事、帰宅できた次第だった。
介護士の俊哉(左)と舞(右) |
後日、ユマは舞に電話をかけ、大人の玩具を買いに付き合ってもらい、街のショッピングやメイクを愉悦する。
大人の玩具店で |
ブティックで |
ユマは舞に、直截(ちょくさい)に問いかける。
「障害者とエッチするのって、普通の人とするのと、どう違いますか?」
「あんま、変わんないよ。強いて言えば、当たりがキツイって言うか。たまにね、なんか怒っているみたいにする人いるね。ストレスなのかなぁ」
「いつか、あたしも好きな人と結ばれたいなとかって、思うんですけど。そんなの、本当に叶うのかなって」
「うん、障害があろうがなかろうが、あなた次第よ」
そんな折、恭子の携帯にサヤカからユマが来ていないと連絡が入る。
家で待ち構えていた恭子は、帰って来たユマを厳しく追及するが、はぐらかされる。
「あんた、自分のこと分かってる?襲われたりしたらどうすんのよ!変な人いっぱいいるんだよ!」
「そんなこと、あるわけないじゃん。誰も私のことなんて、気にしてないよ」
その後も、ユマはサヤカの事務所で気分が悪いと嘘をつき、早退し、舞とクマと俊哉で夜の街を遊び歩く。
ドラッグクイーンやゲイたちが屯(たむろ)するパブで、ショーを見ながら飲酒するユマの表情は、笑顔で弾けていた。
恭子はサヤカに電話して、ユマが早退したと知り、不信に思ったユマの部屋で、ポルノ雑誌や大人の玩具を発見し、驚愕する。
酩酊状態のユマは、俊哉に家に送ってもらう。
家に戻ると、恭子が部屋で待ち構えていた。
「あんたに今、何が起きてるの!こんな、チャラチャラした服着て!あんた、酔っ払ってんの?お酒飲んだの?誰と飲んだの?」
「誰でもいいでしょ」
そう言うや、頬を思い切り叩かれるユマ。
「お母さんに関係ないじゃん!」
「ママがいなかったら、何もできないでしょ!」
そう言われたユマは、自分で風呂場まで這っていき、服のまま浴槽に身を投げ入れるのだ。
「もう分かった」と言って、手を差し伸べる恭子を振り払い、反抗するユマ。
「子供扱いするのやめてよ!私に命かけてるような振りしてるけど、ママが一人になるのが、嫌なだけでしょ。ママがそんなんだから、お父さん、出て行ったんでしょ!」
何も言い返せない恭子は、黙って浴室から出て行く。
一人で立ち上がろうとしてもできないユマは、そのまま、翌朝まで浴槽で寝てしまった。
恭子がユマを抱き上げ、浴槽から出させるが、あとは、一人で部屋に這っていくしかなかった。
2 東京の街を、笑みを浮かべ、凛として、電動車椅子を走らせていく
まもなく、携帯を取り上げられ、家に監禁状態にされたユマ。
監禁状態にされても、這ってでも動いていく |
母に連れられ、リハビリ施設でマッサージを受けるユマは、看護師にトイレに連れて行ってもらうと、恭子の目を盗み、施設を飛び出していった。
確信的に家出したユマには笑みが零れつつも、舞に電話で助けを求め、かくて、俊哉の家に泊めさせてもらうことになった。
その直後、恭子は捜索願を出すが、警察は深刻に扱ってくれず、不満を洩らすばかり。
ユマは、俊哉の家で寝泊まりし、一緒に食事をする。
俊哉 |
ユマは俊哉に礼を言い、幼い頃に別れた父からの絵葉書の住所に行くと言うのだ。
かくて、俊哉の運転で海辺の家を訪ねると、父の弟が住んでいた。
そこで、父が5年前に亡くなり、ユマに会いたがっていたという話を聞く。
「兄さんね、毎年、これ(絵葉書)君に送ってたよ」 |
「兄さん?…あの、お父さんは?」(ユマ)と聞いたあと、父の死を知らされる |
更に、ユマにはユカという双子の姉がいて、タイで学校の教師をしていると初めて知らされた。
母に「もう少し待って欲しい」と電話し、ユマは俊哉の付き添いでタイに向かった。
一転し、風景が変容していく。
姉のユカと再会し、二人は父と母のことを、それぞれに聞き、語り合うのだ。
ユカ |
「お父さんって、どんな人でしたか?」
「平和主義で自由人。私には好きなことだけして生きろって、言い続けてた…」
「仲、良かったんですか?」
「二人だけだったからね」
「いいなあ」
「お母さんはどんな人?」
「料理が上手です。でも、超過保護で困ってます。でも、私がこの身体じゃなかったら、お母さん、もっと違う感じの人になってたかも知れない。二人は、どうして別れたんでしょうね」
「お母さんにとって、一番大切なのがユマちゃんだったからじゃないかな」
そして、別れの日。
「日本に帰ったときは、絶対、遊びに来て下さい」
「ありがとう」
「お母さんも、きっと会いたいはずだから」
挨拶をして帰ろうとした時、ユカが呼び止めた。
「私、ユマちゃんのこと、知ってた。でも、障害あるって聞いてたから、怖くて、連絡できなかった。ごめんなさい」
そう言って、ユカは深々と頭を下げた。
ユマはユカの元に行き、手を握った。
「怖くないですか?」
その言葉を聞いたユカは、ユマを抱き締め、涙を零(こぼ)すのである。
「またね」
そう言い合って、帰っていく妹を見守る姉。
その夜、ユマはベッドで俊哉に語りかける。
「37秒だったんです」
「何が?」
「私が産まれたときに、呼吸をしてなかった時間。もし、私が先に産まれてたら、ユカさんが、私みたいになっていたのかも知れない。もし、私が一秒でも早く呼吸が出来ていたら、私も彼女と同じように、自由に生きれたのかも知れない…でも…私で良かった」
【妊娠中から分娩の前後に、何某(なにがし)かの原因で、脳に障害が起こり、運動機能が⿇痺し、不⾃由な体になる後遺症 ―― これが脳性⿇痺である。赤ちゃんは、お母さんのお腹の中で臍帯(さいたい=へその緒)の血液を通じて胎盤から酸素を得ているが、分娩時には血流が止まり、一時的に酸素不足の状態に陥った状態が続き、呼吸がスムーズに開始されなくなると、中枢神経の障害を来たしてしまうのである】
環境要因の脳性⿇痺 |
帰国して家に戻ったユマは、待っている恭子に、ユカが会いたいと言っていると伝える。
ユマがスケッチしたユカの絵を見ながら、大粒の涙を零す恭子。
固く抱き合う母と娘。
まもなく、ユマは出版社の藤本にお礼を言いに、出版社を訪ねた。
「藤本さんにお会いしてから、色んな経験ができました」
藤本から促され、原稿を見せると、メールで送るように言われる。
ユマが帰った後、藤本は別の出版社に電話をかけ、新しい作家としてユマを紹介するのだった。
ユマを紹介する電話をかける |
性描写のないユマの漫画が評価されたのだ。
そのことは、彼女がゴーストライターである〈現在性〉を脱却することを意味する。
東京の街を、笑みを浮かべ、凛として電動車椅子を走らせる23歳の女性が、そこにいる。
今、ここから、彼女の人生が新たに開かれていくのである。
3 違いは強みであって、弱さではない
この映画を観ていて、繰り返し思い起こしたのが「東京2020パラリンピック」のこと。
東京2020パラリンピック/左からパワーリフティングの森崎可林選手、車椅子テニスの上地結衣選手、ボッチャの内田峻介選手 |
五輪より面白かったパラリンピックの競技をつぶさに観て、殆ど全ての競技におけるパラアスリートたちの躍動に深く感銘し、今でも心の奥に刻まれている。
何より、「東京2020パラリンピック」の開会式での、アンドリュー・パーソンズIPC(国際パラリンピック委員会)会長のスピーチを耳にして、震えが走った。
アンドリュー・パーソンズIPC会長 |
人のスピーチで震えが走ったのは、多分、人生で初めての経験である。
当たり前のことを表現していながらも、スピーチの強度が並外れていたからだ。
以下、拙稿・スポーツの風景「パラスポーツが世界を変える」からの部分的引用である。
「私たちを一つにするものを見過ごし、違うところばかりに目を向けることは、差別を引き起こします。そして私たち人類がともに達成できるものを弱めていきます。違いは強みであって弱さではありません。
(略)もしも、世界が一方的にあなたたちのことを傷つけたことがあるなら、今こそ、それを覆すときです。皆様は人類最高の姿です。そして、皆様だけが、自分たちは何者かを決めることができるのです。皆様は本物です。皆様は素晴らしいのです」
「他人の長所に目を向け、学ぶ」などという風に、一つの適応戦略として、「違うところに目を向ける」習性を持つのが人間だが、「違うところばかりに目を向ける」傾向を強めれば、その本来的な生存・適応戦略が差別化を膨脹させ、「他人の悪いところばかりに目を向け、バカにする」という態度を露わにして、あってはならない差別を生み出してしまうだろう。
違いは強みであって、弱さではないのだ。
その「違い」を受け入れ、その「違い」の中から新たな能力を引き出し、強化させていったのがパラスポーツである。
無観客の国立競技場でおこなわれた東京2020パラリンピック開会式 |
日本選手団は今大会最多の254選手が参加する |
6人が参加した「東京パラリンピック難民選手団」 |
このパラスポーツが多くのパラアスリートを生み、その「強さ」を競い、身体化する。
パラリンピアン・国枝慎吾選手 |
パラリンピアン |
それを具現化する舞台がパラリンピックである。
彼らは一様に、自らが負う「違い」に向き合い、逆に、その「違い」を「強さ」に変容させていった。
例えば、バドミントン女子シングルス(車椅子WH1)の里見紗李奈(さりな、23)選手が、交通事故で下半身不随となったのが、高校3年の時だった。
里見紗李奈選手 |
両下肢に障害が残るが、知り合いに会うのを恐れ、彼女は1ヶ月間、家にこもっていた。
「車椅子になったのを隠していた」のである。
「起きてしまったことは仕方がない」
そう言って、我が子を思う両親の支えが大きかった。
まもなく、「パラバドミントンと出会い、のめり込んでいった」と彼女は述懐するのである。
自らが負う「違い」に向き合い、逆に、その「違い」を「強さ」に変容させていったのは言うまでもない。
決勝進出を決めたゲーム・里見紗李奈選手 |
また、福知山線脱線事故(2005年4月25日)で、大破した先頭車両に乗っていたため頸髄(けいずい)を損傷し、肺挫傷による肺炎で呼吸困難に陥り、死を覚悟する日々の中で、377日間に及ぶ入院生活を経て、脱線事故の最後の退院者となった選手がいる。
アーチェリーの岡崎愛子選手である。
「死んだ方がまし」
奇跡的に一命を取り留めたものの、首から下に麻痺が残り、体の自由を奪われた彼女の思いは、頸髄損傷に罹患した私にはよく分かる。
「どんな状態でも生きていてほしい」
この家族の願いを受け入れるには時間を要したが、「できないことを嘆くより、できることを見つけていこう」という心境に達した彼女の人生を変えたのが、母の勧めで25年から始めたアーチェリーだった。
事故の後遺症で握力は、ほぼゼロ。
肺活量は一般女性の半分しかない。
それでも、滑車などの補助用具が付き、弱い力でも引ける弓「コンパウンド」(弓を引き切ると力が軽減される)を使い、試行錯誤を繰り返して腕を磨いていく。
「コンパウンド」を使い、弓を引く |
「もう15年。この先も被害者と言われ続けるのは嫌。変えられない過去にとらわれたくない」
彼女は、自らが抱えるトラウマを、アーチェリーに身を預けることで昇華していく。
だから、こういう言葉に結ばれるのである。
彼女もまた、「車椅子になったのを隠していた」里見紗李奈選手と同様に、その「違い」を「強さ」に変容させていったパラアスリートなのだ。
そして、日本選手団最年少で、初出場の山田美幸(みゆき)選手。
山田美幸選手 |
14歳の少女(中学3年生/2022年2月現在)である。
「東京2020パラリンピック」で、「生まれつき両腕がなく両足の長さも異なる。水を蹴り、両肩を揺らして進む唯一無二の泳法」によって、「最年少メダリスト」となった水泳女子選手である。
何度、動画を見ても感動する。
少女がプールに登場するや、場内から大きな拍手が巻き起こる。
生まれつき両腕を失っている少女は、左右長さの違う足を上げて、声援に応えていく。
彼女から、笑みしか拾えないのだ。
「この船に乗ってみたらどうだ」
そう言って、世界へと背中を押してくれたのは、2019年に逝去した亡き父だった。
少女の場合、父の決断なしに何も進まなかった。
家族内で議論が必至だったのは、全て障害の重さに起因する。
だから、病を患う父が背中を押してくれなければ、パラスイマーとして名を残すことは叶わなかった。
ここから開かれていく少女の旅は、決して順風満帆とは言えなかった。
癌を患う父の永逝(えいせい)。
衝撃を受け、少女の心理的ダメージは酷薄な風景に呑み込まれいくようだった。
「水泳を続けたい」
そんな少女が、強い意思に結ばれた。
父を喪って、1カ月余り経った頃だった。
爾来(じらい)、内面に負った辛い心情を、人前で見せたことは一度もないと言う。
心的外傷を内深く押し込めることなど、容易にできようがない。
それでも、電動車椅子を駆使して生きる少女は、パラ競泳のプールを泳ぐ。
残された足の機能をフル稼働させ、唯一の泳法でカッパになるのだ。
140センチ、33キロの小さな体を巧みに駆使して掴んだ、二つの銀メダル。
笑みを捨てない少女は「天使」になったのか。
その表情から推し量れない思いの向こうに、いつも、昇天した父が生き続けているようである。
この少女から、私は勇気をもらう。
例えは可笑しいが、ユーチューブで、ヴァンゲリスの「1492Conquest of Paradise」を聴き、自らを駆動させていく。
「1492Conquest of Paradise」より |
【ついでに書いておきたい。パラアスリートに対して「パラエリート」と揶揄する表現があるが、この表現が差別であることを知るべきである。パラアスリートの全てが富裕層でなく、それを支える家庭環境に恵まれていたとしても、何より、本人の壮絶な努力なしにパラアスリートになることが不可能であるからだ】
4 残された機能を生かし、打って出た自立への旅
ここで、映画の批評に入りたい。
主人公ユマの強さこそ、以上に述べたパラアスリートの強さと、同じ文脈で語られるだろう。
その「違い」を、「強さ」に変容させていったからである。
その障害の重さ故に、家族の反対があってもパラスイマーを目指した山田美幸選手と同様に、映画の物語の世界で、「超過保護」な母のもとを一時(いっとき)離れ、旅に出て、自立していくユマの強さは圧巻だった。
母に嘘を突き、途中で服を着替え、化粧をして、出会い系サイトに出かけていく(ユマの旅の初発点) |
夜の街を歩くユマ |
怖々と風俗の世界に入っていく |
俊哉に頼り、まだ見ぬ父に会いにいく旅が開かれる |
ユカが勤めているタイの学校にやって来る |
旅を終え、帰国するユマ |
その「違い」を利用され、ゴーストライターの身に押し込まれていたユマが、この理不尽な風景を自力で変えていくのだ。
ゴーストライターであり続ける〈現在性〉を母も認めるが、ユマは、その「違い」に烙印を押される理不尽さを拒絶し、一人の漫画作家としての大きな冒険に打って出ていったのである。
ゴーストライターに利用され、サヤカの動画をもユマが撮影している |
アダルト漫画を捨てたユマの原稿を見た藤本から評価され、他の出版社に紹介することになる |
「あんた、自分のこと分かってる?襲われたりしたらどうすんのよ!変な人いっぱいいるんだよ!」
「そんなこと、あるわけないじゃん。誰も私のことなんて、気にしてないよ」
これが、母娘(おやこ)の言い争いの初発点だった。
「ママがいなかったら、何もできないでしょ!」
「子供扱いするのやめてよ!私に命かけてるような振りしてるけど、ママが一人になるのが、嫌なだけでしょ。ママがそんなんだから、お父さん、出て行ったんでしょ!」
母娘の言い争いは、ここまで膨脹してしまった。
もう、後戻りできなくなる分岐点と化し、遂に、健常者との「違い」に烙印を押される理不尽さを拒絶する時間を開いてしまうのである。
それなしにブレークスルーし得ない時間であるからだ。
既に、「保護され続けた人生」を自己否定し、アダルト漫画の編集長・藤本から「経験したら、きっといいもの描けると思う」と言われ、実質的に擯斥(ひんせき)された漫画作家の世界に踏み込むために、ユマは無理難題の風俗の世界に身を投じていった。
キスもセックスも手に入れられなかったが、しかし彼女は、それよりも大きい宝物を得ている。
風俗嬢の舞と、介護師の俊哉との出会いを果たすからである。
舞との出会い/介護士の俊哉を呼び、ユマを駅まで送っていく |
俊哉との出会い/ユマの大きな旅の伴走者になっていく |
こんなエピソードがあった。
確信的に家出したユマが、舞に電話で助けを求め、俊哉の家に泊めさせてもらうことになった時のこと。
「気が済んだら、ちゃんと、お母さんに連絡すること。約束ね」
ユマにお金を渡した際の舞の忠告である。
彼女はどこまでも心優しく、理非曲直(りひきょくちょく)を弁(わきま)えたデリヘル嬢なのだ。
デリヘル嬢に象徴される「風俗」に対する差別を一蹴(いっしゅう)する。
作り手の特段の思いが、そこに読み取れる。
そして、誰よりも重要な存在は、介護師の俊哉である。
彼こそ、自らのルーツを巡る、失った記憶を埋める旅に打って出たユマをサポートする、まさに正真正銘の介護師であった。
斯(か)くして、ユマの旅は、生来的に失ったものを嘆かず、残された機能を最大限に生かし、自立に向かう彼女の非日常のアクトを最も可視化した冒険行だったのだ。
その旅をサポートする俊哉の存在は、視覚障害のアスリートのガイドランナーであるが故に、絶対不可避の伴走者であると同時に、束の間で、よんどころなかったが、それでもなお、中身の濃い人生の不可欠な共有者だった。
ユマの旅を最後まで見守った俊哉の表情 |
だから、その旅は、人生最大のアドベンチャーとなる。
バリアフリー化されたバンコクの空港を経由し、無査証(ビザなし)特権を有するタイにまで打って出た旅は、電動車椅子を駆使する23歳の脳性麻痺の障害者が負ってきた「保護され続けた人生」を反転させるので、最も重い時間の心緒(しんしょ)の束を累加し、それを畳み込むように駆動させていく。
タイの人々の助けを借り、旅を続ける脳性麻痺の障害者 |
「宇宙から見たら、私たち人間の人生なんて、ほんの一瞬の出来事なんですよね。たまに、思うんですよね。私の人生って、彼らの夏休みの課題みたいなものなのかなって」
酩酊状態のユマが、俊哉に家に送ってもらう際に吐露した言葉である。
その「ほんの一瞬の出来事」を、無駄に使う訳にはいかない。
喩(たと)え、「夏休みの課題」であっても、母親に任せる訳にはいかないのだ。
もう、自ら動いていくしかなかった。
何より、バリアフリー対応になっていれば、身体障害者は「厄介な人」ではない。
まず、出会い系サイトに踏み込んでいく。
しかし、出会い系サイトで会った男性は、映画の約束を守ってくれなかった。
「厄介な人」であると思われたのか。
或いは、ユマに魅力を感じなかったのか。
それでも、映画を観にいく約束をしたのは、単にノリのいい男が、場の空気を読み取ったに過ぎなかっただけなのか。
「うん、いいよ」 |
映画の約束を守らない行為の方が、相手をより傷つけてしまうことを、彼は知らない。
かくて、風俗の世界に身を投じるユマ。
結果的に頓挫したが、ユマの性を「オッケー!」と言ってくれたのが、風俗のホスト。
彼にとって、ユマは「厄介な人」ではなかったのである。
車椅子の常連客を持つデリヘル嬢に象徴されるように、差別の対象にされやすい風俗の人々を、この映画はプラス思考で描いている。
舞とクマ |
そして、もう一つ。
身体障害者は「厄介な人」ではないばかりか、「怖い人」などではない。
ところが、不分明なルーツを埋めるユマの旅の果てに、事もあろうに、血を分けた双子の姉・ユカからの告白が待っていた。
「私、ユマちゃんのこと、知ってた。でも、障害あるって聞いてたから、怖くて、連絡できなかった。ごめんなさい」
そう言って、深々と頭を下げた姉に寄り添い、抱き締める妹。
「お母さんと、待ってるね」 |
物語の、それ以外にない、交換不能の収束点である。
そして、自宅で娘を信じて待つ母がいる。
ひたすら待つ。
待つことを選択した母が、いつものキッチンで待っている。
ユマの脱出行で、待つことの初発点になった病院内で、不安を抱える母・恭子 |
その母が今、「待つ人」に昇華させ、キッチンで待っていた
娘に対して、門外不出(もんがいふしゅつ)の観念で向き合ってきた彼女のスタンスは、今や、転位している。
娘を迎えにいく母ではなかったのである。
残された機能を生かし、打って出た自立への旅を果たし、生還する娘を、門外不出の観念を余剰分だけ削り取った母が、「おかえり」と言って迎え、嗚咽を漏らしながら抱き締めるのだ。
娘が提示したスケッチを見詰め、その旅の意味を完璧に理解したからである。
映像総体の鮮やかな終焉点である。
「障害があろうがなかろうが、あなた次第よ」
舞のこの言葉が、作り手のメッセージであるだろう。
HIKARI監督 |
自ら抉(こ)じ開けた時間が今、大都会の一角を疾駆(しっく)する。
ここから、可能性を追求する新たな旅が拓(ひら)かれていくのだ。
【東京オリ・パラを契機に、日本のバリアフリー化が進んだが、残念ながら、機械的な造作の印象を拭えない。東京はもっと変わらなければならない。バリアフリー対応こそが喫緊の課題なのである】
【長文を読んで頂いて有難うございます】
(2022年2月)
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