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2020年5月18日月曜日

半世界('19)   阪本順治


談笑する3人(左から光彦、瑛介、紘)

<「自分が見たものが全て」のトラップに嵌らない相対思考の大切さ>





1  息子に関しては気強い母と、息子に関与することから逃げる父





主要登場人物は5人。

主人公の紘(こう)は、炭焼き窯で備長炭(びんちょうたん)を作る炭焼き職人の二代目。

「口焚(た)き」(に火を入れる)する紘
高村製炭所
中古車店の店長・光彦。

イチャモンをつけに来た連中を視認する光彦

そして、自衛隊員の瑛介(えいすけ)。

8年ぶりに帰郷した元自衛隊員の瑛介
赴任中に逝去した母を思い、嗚咽が止まらない瑛介

この3人は、「代わりばんこで同級生をやってきた」(紘の言葉)小・中学校時代の同級生で、現在39歳の男たち。

あとの2人は、紘の妻の初乃と、その息子・中学生の明。

紘の妻の初乃
反抗期の明/学校で虐めにあっている

この5人が織り成す物語は、自衛隊を辞めた瑛介の帰郷から開かれる。

「俺が分かっていないって、どういうこと?」と紘。
「あいつが物を言いてえのは、初乃ちゃんじゃなくて、お前なんだよ」と光彦。


「初乃ちゃんじゃなくて、お前なんだよ」と光彦
「何が」
「お前、明に関心も興味も持ってねえだろ。それがあいつにもバレてんだよ」
「俺の仕事やってみれば、分かるよ」
「でも、お前の親父さんは、お前にもっと関心があったよ。興味もな」
「もう、いいよ!黙れよ。子供もいないくせに、よく言うわ」
「あ、そう。呼び出したの、お前だからな」

「呼び出したの、お前だからな」

某地方都市のスナックでの、紘と光彦の会話。

「瑛介、あいつ、スーパーで惣菜買って、それ以外はずっと閉じこもってるからな。それだけ、言っとく」

これは、帰り際に言い放った光彦の言葉。

会話冒頭の「あいつ」とは、同級生から墨汁を顔に塗られるほどの虐めを受けている明のこと。

墨汁を塗られた明と心配する初乃
初乃から明の虐めを聞かされる紘

それを初乃が紘に話しても、一向に虐めと認めない無関心さを光彦は指摘したのである。

「普通の高校に行かせる」

虐めを案じつつ、明に言い放つ初乃。

息子に関しては気強い初乃と違って、明の置かれている状況に関与することから逃げている紘が、初乃の父親の助けを借り、修築した実家に閉じこもっている瑛介を訪ねた時のこと。

「俺の仕事、手伝えよ。掃除手伝ったろ」と紘。
「お節介はいい」と瑛介。素っ気ない。
「違うよ。きついんだよ、一人じゃ」
「俺のこと気にしてるんなら、いいんだよ」
「じゃ、何のために戻って来たんだよ。俺たちがいなくても、お前、戻って来たか?いるから、帰って来たんだろ、のこのこ…何があったか、言えよ。俺も光彦も暇じゃないんだよ。気になんだろ」
「聞くけど、俺のこと、雇う金なんかないだろ?お前んとこ、大変で」
「甘ったれんじゃないよ。ボランティアで頼んでんだよ」

がそう言うなり、いきなり玄関の戸を閉められるが、結局、紘の仕事を手伝うことになる瑛介。

チェーンソー で原木のウバメガシを伐採し、窯の高さに切り揃えるという「木ごしらえ」を行う。

チエーンソでウバメガシの木を伐採する
瑛介の協力を得て、ウバメガシの木をトラックの荷台に運ぶ



紘の作業を手伝った瑛介は、驚かざるを得なかった。


「こんなこと、一人でやって来たのか」
「ああ。親父の時代は窯が二つあって、弟子も数人いて」
「バブルもあったからな。明君に跡継がせるのか」
「いや」

休憩する二人
二人が海を遠望する

光彦、紘、瑛介の3人は、その夜、行きつけのスナックで飲んでいた。

これまでの暗鬱な態度と打って変わって、弾けるように喋りまくる瑛介。

談笑する3人(左から光彦、瑛介、紘)
談笑する3人(瑛介と紘)/ここで全く解せないのは、瑛介が自死した元自衛隊員を笑いの種にしていること。伏線描写なら、他にも幾らでもあるはずだ

赴任地での、部隊の様子を面白おかしく語るのだ。

その流れで、毛布を被(かぶ)っての、浜辺での思い出話・世間話に花咲かす3人。
談笑の夜の浜辺での宴

一方、炭を作る紘の生業(なりわい)は、他企業との競争の中での高級旅館の営業もあり、新たに販路を見出そうとしても上首尾(じょうしゅび)に終わることなく、厳しい経営環境に追いやられていく。

備長炭のセールスに頓挫する紘。右は瑛介 
意地で炭焼き職人になった紘
同上

公務員になることを求めた父に反発し、殴られながらも意地で炭焼き職人になった紘にとって、炭焼き業を維持することに精魂を費やすのも、そこだけは譲れない彼の意地だった。

そんな男が家庭のことを顧みる余裕もない中、明が万引きで捕まり、警察に出向くことになる。

「虐めなんかないって、言ったの誰だよ」

父の矛盾を突く明。

「父さんがダメなら、担任に相談する」
「そんなことしたら、ぶっ殺すぞ!」
「何だ、その言い方!」

「そんなことしたら、ぶっ殺すぞ!」
胸倉を掴む父。

そこまでだった。

しかし、息子に対する初乃の態度は半端ではない。

「俺、あいつらと対等だから」
「じゃあ、本当のバカになったんだ。良かったじゃない」
「高校なんか、いいから」
「あんたが決めることじゃない」
「逆だろ、普通」
「母さんの意地よ。逆らえないから…根性なし!」

「じゃあ、本当のバカになったんだ」

我が子の将来を案じる初乃の想いは、ストレートに明に向かうから、それを受ける明の気持ちを幾分、溶かすのだ。





2  「正三角形」が自壊しても、タイムカプセルは再び埋められた





山に入り、炭焼きを手伝う瑛介。

フェイスシールドを着用した紘が、「口焚(た)き」(着火)を行う工程を視認し、瑛介は精錬過程の難しさを知る。

フェースシールドつけて窯から取り出した炭を消化する

炭を少量づつ、窯から取り出す難作業なのだ。

瑛介が柔和になっていく。

紘に頼まれ、瑛介が明の苛めに関与する。

苛めの渦中にいた明を救い、その明に喧嘩の極意を、体を張って叩き込む瑛介の男っ気が弾ける。

「お前らの中で、実際、拳銃を持ったことがあるのか!」

「お前らの中で、実際、拳銃を持ったことがあるのか!」
明に喧嘩の極意を叩き込む瑛介

瑛介のこの威圧で、風景が一変する。

そんな瑛介が厄介な事件を起こしてしまう。

光彦の中古車販売店に、イチャモンをつけた連中から暴力を振るわれていた光彦親子を視認した瑛介は、その連中を徹底的に痛めつける。

光彦のリベンジをする瑛介
同上
瑛介の暴力が止まらない

以下、その直後の紘と瑛介の会話。

「明日、出頭するから。それまで一人にしてくれないか」
「光彦が今、警察でお前を庇って。防犯カメラもあったし」
「よく分からないんだ。自分が」
「お前のことは、お前より知ってるよ、俺は」
「昔の事だろ。お前らは、世間しか知らない。世界を知らない」
「そんな、難しいこと言うなよ。何があったか、聞いていいか」
「帰るところなんか、なかったんだ。それだけだよ」

「そんな、難しいこと言うなよ」
会話はそれで切れた。

街を離れ、漁師になる瑛介

その後、街を離れ、漁船で働く瑛介を探し出した紘が、瑛介に語りかける。

「誉が死んでからも、ずっと気にかけてくれてて。泣きながらさ」

「お前ずっと、早乙女の母ちゃんに色々送ってたんだってな。いつも感謝してるって言ってた。誉(ほまれ)が死んでからも、ずっと気にかけてくれてて。泣きながらさ」
「何で連絡したんだ!」
「お前がどこにいるのか、知ってるかなって。自分の責任だと思ってるんなら、違うと思うよ」


「自分の責任だと思ってるんなら、違うと思うよ」
「何が分かるんだ!」

「何が分かるんだ!」
「誉君、赴任から戻ってからだろ。お前とは関係ない」
「あいつはな、いつまでもずっと、俺の部下だ!」
「誉君が海に入ったのが、コンバットストレス、そう言うんだろ。お前らの業界では。責任はお前じゃない」
「俺の責任だ!それから、お前たちの責任だ」

「俺の責任だ!それから、お前たちの責任だ」

指を差して、声高に叫ぶ瑛介。

「ああ、世界を知らないからな」
「帰ってくれ。もう、終わったんだ」

涙を拭って、瑛介は吐き出した。

「分かったよ。言っておくけどな、こっちも世界なんだよ。色々、あるんだよ」

「こっちも世界なんだよ。色々、あるんだよ」

踵(きびす)を返して帰ろうとする紘に、瑛介が呼びかける。

「紘!海の上にいるとな、落ち着くんだよ。慰めじゃない。ほっとするんだ。嘘じゃない」

この会話で、瑛介の自我を閉塞させている背景にある事情が判然とする。

海上自衛隊での自分の部下が、自殺した責任が彼を苦しめていたこと。

そのため彼は、部下の母親に、事あるごとにミカンを送っていたのだった。

その直後の、紘と初乃の会話。

「実は、最後には笑ってたんだ、瑛介。心配するなって」
「瑛介君なりに、折り返す場所、見つけたんだね」
「あいつな、俺も頑張るからって言ったんだよ。俺が気落ちしてる時だな。それ聞いて、俺、笑ってしまったんだよ。笑っちゃいけなかったよなって、今更ながらね。気持ち、汲めなかったんだ。きっと、俺のそういうところ、明にもバレてるんだな」

虐め問題を抱える明が、備長炭を武器に、悪ガキと戦って打ちのめす姿を見て、ボスが明を認めたことで、この負の関係が断ち切れた。

明のリベンジ

明らかに、瑛介からの影響が見て取れる。

何かが変わっていく。

初乃が動く。

営業用のプレゼントを買いにいく初乃

その日、初乃が夫に代わって、以前に断られた老舗旅館での備長炭の売り込みに成功する。
初乃の営業が成功する

夫の紘が、仕事場で胸の痛みで倒れたのは、ほぼ同時期だった。

胸痛発作で倒れる紘
「山の懐」をイメージするの幻視

病室に駆けつける初乃。

そこには、初乃の父と息子、光彦が待っていた。

紘の病床に駆け付けて来た初乃

「明日には起きてね。いい報告あるからね。同窓会に行かなかったんだよ。もっと、お弁当作らせてよ!」

号泣する初乃と、言葉をかけられず、嗚咽する近隣縁者・仲間たち。

翌日、光彦は瑛介のところにやって来て、紘が死んだことを伝える。

厳かな出棺の儀。

出棺の儀(瑛介と光彦)
自衛隊式の敬礼で最後の別れをする瑛介

紘の死は、3人の「正三角形」が自壊したことを意味する。

ここで、冒頭のシーンに戻る。

山に入り、タイムカプセルを開ける瑛介と光彦。

生徒手帳と、卒業の日に、海で撮った写真が入っていた。

「これ、戻そうか。まだ続くんだから」

山に行き、タイムカプセルを取りに行く瑛介と光彦

光彦がそう言って、再び、木の根元に埋めるカプセル。

瑛介は光彦と別れ、バスに乗る。

瑛介と光彦の最後の別れ

僅か3カ月の滞在で、街を去っていくのだ。

「こっちも世界」

そう、呟いた。

「こっちも世界」と呟く瑛介

ラストシーン。

炭焼き場にやって来た明は、グローブを嵌め、サンドバッグを打ち、ボクサーを目指してトレーニングに励むのだ。

それが、明が自分で選んだ道だった。
ラストシーン(クレジットタイトルが表示される)





3  「自分が見たものが全て」のトラップに嵌らない相対思考の大切さ





面白い映画だった。

娯楽映画としての光彩を放っていた。

俳優として際立ったのは池脇千鶴。

いつも思うのだが、樹木希林亡き後、日本映画の女優陣の中で、池脇千鶴の存在は抜きん出ている。

彼女の、驚くほど自然な演技が、この映画に十分な体温を補給し、相当のリアリティを担保した。

凄い女優だ。
そして、もう一つ。

これも池脇絡みの場面だが、印象深かったのが、一人息子の明との短い会話を繋ぐラストシーン。

「この窯、どうするの?」と明。
「自分で考えなさい」と初乃。
「マジっすか?」
「ガチ、マジっすよ」
「ボクサーもいいかなって、思ったんだけど」
「ボクサー?」
「マジっすか?」「ガチ、マジっすよ」

声を上げて、驚く初乃に対して、明は反応する。

「母さんが根性なしって言うからさ」
「あんたには、絶対無理」
「あ、そう」

それだけだった。

そして、ラストシーン。

粗筋で書いたように、炭焼き場にやって来た明が取った行動は、サンドバッグを打ち続けるトレーニング。

明が父を継ぐ意思を持たないのは、父の炭焼き場に一貫して身を置くことがなく、途轍もない老力を要する備長炭の製造工程(後述する)に無知で、そのまま中学校になり、激しい苛めを被弾したこと、そして、加害少年たちに相応のリベンジを果たしたこと ―― これらが主因と思われる。

成功するか否か、一切が、明の「根性」と「多様に入り込む運」に委ねられるのみ。

不分明だが、少なくとも、このラストシーンは正解だった。

万が一、明が父を継ぎ、炭焼き職人になると宣するなら、その綺麗事の括りに興醒めしてしまうだろう。
―― ここから批評していきたい。

私は、本作の批評を、自分なりに切り取って、2点に絞った。

一つは、「世界」・「半世界」について。

もう一つは、主要登場人物の「友情」について。

この2点である。

まず、前者から。

―― ここで、「世界」という概念を、映画をモデルに考察してみる。

そこでは、二つの非日常の状況下にあって、特定的な業務を意味する言葉と、「世間」に収斂される、「私が住む場所」という世俗的な日常性を意味する言葉に分けられる。

前者について言えば、古い話だが、朝鮮戦争の際に、国連軍という名の米軍の命令一下、日本の海上保安庁(海上警察)が機雷の除去のために派遣した、「日本特別掃海隊」が日章旗を掲げることすらできずに、犠牲者(戦死者)を出した由々しき事態を例証してもいい。

元山港を掃海作業中に触雷して爆発する韓国軍の掃海艇
朝鮮海域に出撃した日本特別掃海隊
破壊されたソウル市内の建物


まさに、特別職国家公務員としての自衛隊なき我が国で、「日本特別掃海隊」は冷戦の象徴である、「朝鮮戦争」という名の「世界」を目の当たりにしたのである。

今なお、過半の日本国民の中で共有されることがない、知られざる「日本特別掃海隊」が見た「世界」は、決して、占領下という「不遇な時代の負の事件」として簡単に処理できる問題ではない。

映画での瑛介は、幼馴染の紘に言い切った。

「お前らは、世間しか知らない。世界を知らない」

部下の自死について、「お前たちの責任だ」とも明言した。

「俺の責任だ!それから、お前たちの責任だ」

瑛介の物言いには、「日本人は、現代でもなお、『世界』を知らない」という含意が垣間見える。

「大量破壊兵器やその運搬手段であるミサイルとこれらの関連機材・物資がテロリストや懸念国などに拡散する危険性が強く認識されて」(「海上自衛隊ホームページ」)いる自衛隊員であった瑛介にとって、「世界」とは、文字通り、文化・文明を異にする地球規模のグローバルな活動が、その危うさと同居し、諸刃の剣 (もろはのつるぎ)の如く、リスキーに展開される社会・空間の様態を指している。

護衛艦「たかなみ」型(海上自衛隊ホームページ)
護衛艦等において、砲、ミサイルを操作し、各種目標に対する攻撃を実施します。また弾火薬等の取り扱いを実施します(海上自衛隊ホームページ)
同上

「俺はそれを知った。『世界』を知ったのだ。しかし、お前らは『世間』しか知らない。この差を埋めるのは不可能だ。『世間』しか知らない者が、『世界』を知ることなど無理なのだ」

「日本特別掃海隊」の悲劇を永遠に知らずして生きているお前らは、「世間」という狭隘な空間の中で呼吸を繋ぐ。

だから、分かったような顔をして、俺の世話などしてくれるな。

殺るか殺られるか ―― 「世界」を知った男の暴力は容易に殺意に変換される

多少、悪意含みで言えば、大見得を切った瑛介は、そう言いたいのだ。

そこまで嘲罵(ちょうば)された紘も、黙っていられない。

漁師になった瑛介を訪ねた紘は、ここだけは明瞭に言い切った。

「分かったよ。言っておくけどな、こっちも世界なんだよ。色々、あるんだよ」
「こっちも世界なんだよ。色々、あるんだよ」

「こっちも世界」という物言いには、「こっちが世界」と主張する瑛介へのアンチテーゼである。

思うに、瑛介が言い放った「俺は世界を知っている」という物言いは、私たちの多くが、「自分が見たものが全て」という、視界限定の狭隘な「世界」で呼吸を繋いでいる現実の率直な反応であって、当然の如く、それを拒絶する異論へのエビデンスになり得ない。

この種の言明は、極論を言えば、「自分が見ていないものは存在しない」のだ。

「自分が見たものが全て」の幻想の低層で、どれほど細微であっても、等価交換不能の得がたい知的快楽となる。

だから、「自分が見たものが全て」の自己基準の知的快楽を手放せない。

「自分が見たものが全て」の自己基準で生きる瑛介
私たちには、「分からなさ」と共存する不快感を解消したい思いが、心のどこかに潜んでいる。自分の感覚的・知的レベルにフィットした解釈を安直に手に入れることで、己(おの)が自我を安定させる「物語」の稜線を伸ばして生きているのである。

これはある意味で、グローバル社会の宿命である。

グローバル社会の加速度的拡大によって、確かに「世界」は狭くなった。

グローバル化とインターネット
イメージ画像https://www.freezilx2g.com/2019/02/blog-post.html

しかしそれは、決して、「世界」を解釈したと信じる能力が飛躍的に向上したことを意味しない。

これが、瑛介が嵌ったトラップの本質である。
街を離れ、漁師になる瑛介

この瑛介の言明に対して、「こっちも世界なんだよ」と言い切って、瑛介の「世界」を相対化し、感情を込めて息巻いた紘のアンチテーゼが拠って立つのは、「自分が見たものが全て」という自己基準の押し付けではなく、むしろ、「人は皆、『世界』を持っている」という相対思考である。

だから、瑛介の決めつけを誹議(ひぎ)するが、決して全否定しない。

「俺の『世界』もあり、色々、あるんだよ」

この一語に尽きるのだ。

従って、「自分が見たものが全て」のトラップに嵌ることはない。

「自分が見たものが全て」のトラップに嵌ることはない紘

それでも、理路整然と話せず、信条の統合性が脆弱だから、両者の議論は発展せず、迷妄の森に踏み込み、何となく理解した状態で宙に浮いてしまうことになる。

父親との深い確執を経て炭焼き職人になった紘には、視界限定の「世間」という空間で、譬(たと)え、伝統文化であったとしても、いつ果てるとも知れない炭焼き職を繋いでいくことの難しさを認知し、営業で疲弊する日常性の射程の中に、瑛介の言う「世界」の観念が入り込む余地などなく、その意味で、「自分が見たもの」の「世界」の中でのみ呼吸を繋ぎ、身過ぎ世過ぎの生命線を延長させていく外になかった。

窯の前で作業を待つ紘と初乃
作業に打ち込む紘
備長炭のセールスに頓挫する紘。右は瑛介
紘が住む「世界」

そんな男の人生の中枢に、高度なグローバル社会のカテゴリーとしての「世界」という観念系が侵入し得ないのは至極当然のことである。

紘の「世界」=「半世界」であることを認めた上で、しかし、その「半世界」の意味は、「ハーフ・ワールド」ではなく、「アナザー・ワールド」であると言い切ったのは、映画の作り手の阪本順治監督その人である。

以下、阪本順治監督のインタビューでの説明。

阪本順治監督

「僕が思うに『半世界』というのはハーフ・ワールドではなく、もう一つの世界『アナザー・ワールド』です。今はグローバリズムという言い方で世界を俯瞰的に見るような風潮がありますけど、世界は名もなき小さな営みから成り立っているわけです。そういうものは、俯瞰的に見すぎたら見えないものなんです。だから小さな町から世界を見る、そこにもう一つの世界を見ようということです」(映画『半世界』阪本順治監督「映画は物語ではなく人語(ひとがたり)」インタビューより)

阪本監督は、こうも説明する。

「ふいに帰ってきた元自衛官は海外派遣で受けたトラウマがある。自分が世界で見てきたものが本当の世界だと信じ込んでいるんです。その一方で、町から出ることなく自分の生活だけに頓着している名もなき人間がいる」(同上)

以上のインタビューで判然とするのは、「世界」、または「半世界」についての把握が、様々に解釈可能であることを認知しつつも、少なくとも、作り手自身の解釈が物語のイメージラインを構成し、貫流しているということである。

この説明で、映画の本質が瞭然とするだろう。

腑に落ちるからだ。

「こっちが世界」と主張した瑛介が、紘の死後、生まれ故郷を離れる際に、バスの中で呟いた、「こっちも世界」という言葉に軟着したのは、僅か3カ月間で経験した出来事の所産であった。

くれぐれも、「自分が見たものが全て」のトラップに嵌らないことである。

―― 批評の2点目。

それは、「友情」の強度は、綺麗事さえ言わなければ、それを成立させる要件の中で、いかようにも変化するということである。

友情の成立の基本要件を、「親愛」、「信頼」、「礼節」、「援助」、「依存」、「共有」という心理的な因子であると、私は考えている。

いずれの要件も、「自我の武装解除」なしに開かれないものであり、或いは、これらの要件が意識的に展開される関係的営為を通して、「自我の武装解除」も決定づけられていくとも言える。

自我を武装解除した男たち
同上

「親愛感」なしに「依存」の感情は生まれないし、ましてや、信頼感や共有意識の広がりも展開していかないであろう。

また、依存感情は甘えの感情に繋がるし、相手の甘えの許容度が、相手に対する自分の依存性を決定づけるとも言える。

映画で言えば、「何か変わったな、あいつ」と光彦が瑛介を評したように、幼馴染への依存感情を拒む帰郷後の瑛介には、甘えの感情を否定する態度が露わになっていて、3人の特別なブロマンス(男性同士の強い精神的な繋がり)が自壊しているように見えた。

ここで想起するのは、光彦の口癖の「正三角形論」である。

酔った勢いで、紘に語った、彼の言葉から拾ってみよう。

「瑛介を入れて三角形なんだよ。誰が偉いとか、そういうのナシ。だから二等辺三角形じゃないぞ。三角形」

「瑛介を入れて三角形なんだよ」

これだけだが、唯一独身の光彦が拘泥するのが、小学校時代から変わらぬ3人の友情であり、その「変わらなさ」の確認であった。

紘もまた、この感情を有するから、瑛介の連絡なしの突然の帰郷に不満を抱(いだ)く。

8年ぶりに帰郷する瑛介と、呼びかける紘
廃屋になった瑛介の実家
赴任中に逝去した母を思い、嗚咽が止まらない瑛介

それでも、実母の死で廃屋になった瑛介の実家の再建に尽力する。

しかし、3人との昔話に形式的に加わった後、閉じこもってしまう瑛介の変容の中枢に入り込めず、時の変化が、光彦の言う「正三角形論」の破綻を印象づけていった。

そこには、依存感情=甘えの感情である心的現象が剥落(はくらく)しているのである。

更に「礼節」は、相手の尊厳感情を認知する倫理的態度であると言えるが、それは関係の固有なる様態の中でしか実感し得ないものであろう。

そして、私が最も重視する「共有」。

これは、情報や価値観の共有でもあり、更にそこには、より形而上学的な意識の触れ合いも包含される。

映画の3人の場合、瑛介と、「世間しか知らない」と揶揄された他の二人(紘、光彦)との情報・価値観の共有には大きな乖離があった。

「そんな、難しいこと言うなよ」と言って、瑛介の「世界」論に反発する紘 

「住んでいる『世界』の違い」が、この乖離を生んだと考えられるが、瑛介が抱える「コンバットストレス」(戦闘ストレス反応を表出するPTSD)という厄介な問題が、瑛介のブロマンスへの拘泥感の希薄化を顕在化させていた。

コンバットストレス
戦闘ストレス反応(戦闘神経症)http://sekainokibyou.blog.fc2.com/blog-entry-33.html

それは、人間の関係幻想の裸形の情態を炙り出したとも言える。

この関係幻想の情態は、行き着くところ、「共有幻想」の脆弱性を炙り出す。

「共有」し、それを繋いでいくことが如何に難しいことか。

それを認知せざるを得ないのである。

その現実は、児童期の自我が思春期の自我に直線的に遷移しないように、思春期の自我もまた、「現実原則」に大きく振れる成人期の、その成熟した自我に遷移しないリアリズムによって検証されるだろう。

それが、「現実原則」に依拠し、普通のサイズで生きる人間の、普通のサイズの「物語」の、ごく普通のサイズのランドスケープである。

以上、「親愛」、「信頼」、「礼節」、「援助」、「依存」、「共有」という友情の成立の基本要件は、そこに関わる男たちが置かれた社会・経済・家族環境によって複雑に絡み合い、相互の影響下にあって、年来の「構築的要因」が決定的に重要な現象なのである。

その意味で、侵入不可のバリアを仮構した瑛介が負うトラウマによって、他の二人との確執を内包させつつも、タイムカプセルに象徴される友情が歯止めとなって、再会と別離に振れた物語は、「構築的要因」を自壊させなかったということ。

これに尽きるだろう。

映画では、紘の死後、タイムカプセルを開けた瑛介と光彦が、「これ、戻そうか。まだ続くんだから」という風に軟着したが、この映像提示は、3人の特別なブロマンスを理念系で括る作り手、及び、青い鳥を追う観る者の希求の結晶点であると言っていい。

―― 不満も書いておく。

「コンバットストレス」(この言葉を紘に言わせるのは厳し過ぎる)の内実を情報提示することなしに、瑛介が負ったPTSDの懊悩に肉薄することには無理がある。

だから、瑛介の自我が宙摺りにされてしまった。

PTSDに対する心理学的理解力に疑問を抱(いだ)いたこと ―― その一点に尽きる。

正直、複数の不満があるが、「基本・娯楽」の映画にケチをつけても何の意味もない。

―― 本稿の最後に、紀州備長炭の製造工程について、簡単に言及したい。

ウバメガシ、姫越山、三重県度会郡大紀町にて(ウィキ)
ウバメガシ林・西光寺山(さいこうじやま/兵庫県西脇市)(ウィキ)
ウバメガシの備長炭(ウィキ)
備長炭の中でも最高品質とされる紀州備長炭

【原木(ウバメガシ=和歌山県の県木の常緑広葉樹)の伐採⇒形の修正⇒2日間にわたる「口焚(た)き」(着火)⇒原木の炭化⇒粘土による密閉保存(小さな穴を開け、原木をゆっくり炭化)⇒炭化が終わるまで、炭焼き職人は原木を調達⇒温度を更に高めるため、1日がかりで少しづつ穴を広げ、空気を送り込む(この精錬で炭素純度を高める)⇒炭を少量づつ、窯から取り出す⇒消化の作業⇒炭に「消し粉」(けしこ)をかけ、消化を完了させる。

この製造工程を、ひと月に3サイクル行うのだ。
山に入る紘
2日間にわたる「口焚(た)き」(着火)に入る紘
2日間にわたる「口焚(た)き」(着火)の間に、休憩する紘
―― 以上のように、映画の中で重要な意味を有する備長炭の製造工程について詳細に書きたかったが、本稿が長文になってしまうので、興味ある方は、「紀州備長炭のできるまで - YouTube」を参照されたし】

海の風景(映画より)
半世界(オープニング)
阪本順治監督

【参照・引用資料】

拙稿 心の風景「『自分が見たものが全て』という、視界限定の狭隘さ」より

(2020・5)

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