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2020年4月21日火曜日

映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ('17)   石井裕也


<落としどころがなく、溶融しにくい会話を交わしながら、不器用な二人の男女が心理的距離を縮めていく>



1  「まあ、俺は変だから」「へえ、じゃ、あたしと一緒だ」





渋谷の夜の街の片隅。

「でもさ、なんでこんなに、何回も会うんだろうね。東京には1000万人も人がいるのに。どうでもいい奇跡だね」と美香。


「それは分かんないけど、人身事故で電車が止まっちゃって、それで仕方なく歩いて帰ってたんだけど」と慎二。
「また死んだんだ、誰か…で、その眼は、何?」


「また死んだんだ、誰か」

「あいつ、智之、いい奴だから、なんか、君、電話番号渡してたけど、電話番号って、何ていうの、ほんと、何ていうの、あれ。電話の会社って、金持ちからも、貧乏人からも、月に1万円ぐらいずつ取るでしょ?昔はそんなことなかったわけだし、それはつまり要するに、何ていうの…」

身体を動かし、大げさなジェスチャーを交えて、取り留めもなく話し続ける慎二。

「話が大好きなの?」
「ああ、いや、嫌い。嫌いっているか、何ていうの?」
「何かこう、喋ってないと不安なんだろうね」

その言葉に、落ち着きを取り戻した慎二は、階段に腰を下ろし、静かに話す。

「まあ、俺は変だから」
「へえ、じゃ、あたしと一緒だ」

「あたしと一緒だ」

美香は自転車を転がし、慎二と二人で道を歩く。

「あ!」
「何?」
「月って、あんなに青かったっけ?東京だけか…それより何より、誰も気にしてないみたいだ。嫌な予感がするよ」
「分かる…じゃ、さよなら」

月を見る二人

そう言って、美香は自転車に乗り帰っていく。


「でも、綺麗だ…」

喋り過ぎる慎二 ―― 建設現場で日雇い労働者として働く若者である。

慎二
隣室の老人から借りた本を読む慎二

「どうでもいい奇跡だね」と言い放つ美香 ―― 昼間は看護師、夜はガールズバーでアルバイトをして、身過ぎ世過ぎ(みすぎよすぎ)を繋いでいる。

美香
ガールズバーでの美香(右)と、建設現場の仲間(左から岩下、智之、慎二)
建設現場の4人組(左から岩下、智之、慎二、アンドレス)
慢性腰痛で苦しむ岩下と、労(ねぎら)う智之
美香と付き合い始めて機嫌のいい智之(左は慎二)

建設現場での休憩中に、あってはならない事故が発生した。

慎二の仕事仲間の先輩の、智之の脳梗塞による死。

脳梗塞による智之の死

智之の死は、オリンピックの需要による、建設現場での労働の苛酷さと無縁ではなかった。

スマホで、美香とデートの約束のやり取りをした直後の死だった。

「仕事中に死ぬなって、皆に伝えておけ」

葬儀の場での、社長の冷徹な言葉である。

喪主の役割を担う慎二と社長

早々と葬儀の場から離れていく社長と入れ替わるように、智之と付き合い始めた美香も、葬儀に出席した。

「笑っちゃうね。お通夜はあんたが仕切るしかないんだ。そっか、あんたも死んだら、こんな感じでしょ?家族誰も来ない系…今日は喋らないんだ」

「笑っちゃうね」
沈黙を保って、渋谷の街を歩く二人。

笑顔を作り、慎二が口を開く。

「俺ができることがあれば、何でも言ってくれ」
「死ねばいいのに」

『死ね、と言えば、簡単に孤独を手に入れられていた』(美香のモノローグ)

会話が成立しないのだ。

そんな二人が、又候(またぞろ)、出会う。

建設現場で怪我をした慎二が、訪れた病院でのこと。

美香が看護師であることを知る慎二。

病院の建物の裏で、煙草を吸う二人。

美香の左側に移動する慎二。

「左目が殆ど見えない。だから、こっちの向きじゃないとダメなんだ」

慎二が自らのプライバシーを告白するが、美香の反応は呆気ない。

「へえ、そういうことなんだ。じゃ」
「また、会えないか?」
「何で?俺にできる事は何でも言ってくれって、それが、それなわけ?ま、メールアドレスだけなら教えるけど」

それだけだったが、慎二は満足そうだった。





2  「私のこと好きなのは、私のこと、可哀想だからと思っているからでしょ?」





一転して、風景は変わる。

雑踏の都会から離れ、帰郷する美香。

説明を追加
実家での美香/失業中の父(中央)と、東京の大学に行く妹(左)のために、看護師の美香はガールズバーで働いて、仕送りしている


母親の死について、父親を問い質すが、「病死」としか答えない。

母が自殺したと信じ切っている美香にとって、母の死がトラウマになっていることが判然とする。

そんなとき、慎二から「会いたい」というメールがくる。

ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」で描かれたように、「意識の流れ」という概念で考えれば、慎二の「意識の流れ」が辿り着いたのは、「会いたい」という思いだった

今度は、新宿でのデート。

しかし、ここでも口数が少ない慎二。

沈黙し続ける慎二
一人で喋り続ける美香二
「恋愛すると人間が凡庸になるって、本当かな」

「ねえ、恋愛すると人間が凡庸になるって、本当かな」
「知らない」
「知らないことばっかりだね。そうやって、色々知らないまま、死んでいくんじゃない」
「知らない。すぐ死ぬって言葉、使うな」
「どうして?」
「嫌いだ」
「私は嫌いだから使いたいんだよ。皆、死ぬんだよ。お母さんも死んだしね。何でお母さん、死んだのか聞いても、皆、違うこと言う。病気だとか、何だとか。でも、そうじゃない。そうやって、死のうと思っちゃう気分、分かるけどね。分かる自分にムカつくけどね」

「皆、死ぬんだよ」

どうしても、流暢(りゅうちょう)な会話に発展しないのだ。

以下、元恋人から、「まだ愛してる」というメールを受信した美香が、会いに行った時の会話。

「お前、何でそんなムスっとしてんの?前はそんなじゃなかったじゃない」
「まだ愛してるって、何?」
「文字通り、そのままの意味だよ」
「愛って言葉を使うと、口から血の臭いがしない?」
「何で」

元の恋人/美香は自分の感情を理解できない男を、とうてい受容できない

『愛は、今まで、さんざん人を殺してきたから、血の臭いがする』(美香のモノローグ)

美香と同時期に、慎二もまた、高校の同級生から「愛してた」というメールを受信して、驚く慎二。

デートに誘われ、会いにいく。

愛を告白する高校の同級生
ホテルに入っても、その気がない慎二は何もしない。

ニューヨークへ行くという彼女に、「がんばれ」と気のない反応をするだけ。

慎二の心を占有するのは、今や美香のみ。

その美香に、慎二は翌朝、たまらずに電話する。

「何?」
「…なんか、ごめん…今日の夜、空いてるか?」

慎二が爽やかな表情で、家を出かけた時、アパートの隣人の異変に遭遇する。

日頃から、本を借りたり、ゴミ出しを手伝ってあげている老人の部屋だった。

アパートの住人に「異臭がする」と言われ、老人の部屋の扉を叩く

ドアを壊し、中に入ると、既に老人は腐乱した遺体となって絶命していた。

玄関のドアを壊す慎二
衝撃を受け、言葉が出ない
熱中症で、死後2日も経っていた。

老人の死の衝撃を引き摺った状態で、仕事に出る慎二

腰痛で悩む中年の同僚・岩下は、落ち込んでいる慎二を居酒屋へ誘う。

〈死〉という生物学的現象に過敏に反応する慎二にとって、自らが抱える負荷を衝く恐怖に異様なリアリティを与えてしまうのだろう。

智之の脳梗塞による死に次いで、知性が漂い、貧しくも、身寄りがいない穏やかな老人の死は、いよいよ、息が詰まる大都会が隠し込む憂鬱を焙(あぶ)り出すようだった。

外部世界で、「饒舌」と「沈黙」を往還する若者の防衛戦略が、今、岐路に立たされているのだ。

そんな慎二を慰撫(いぶ)するのは、「この仕事やめたら死ぬしかない」という表現を常套句にする岩下だった。

腰痛で苦しむ岩下と慎二

「幸か不幸か、俺は生きてるんだよ。お前も生きてる。こんな生活だけど、生きてる。恋もしてる。恋してるんだよ。ざまあみやがれ…ざまみやがれって、言ってやるんだよ」
「ごめんね、気を使わしちゃって」
「いいんだよ。でも、悪いんだけど、ここの会計はもってくれるか。デートなんだよ、コンビニちゃんと」

笑いが漏れる二人。

「コンビニちゃん」とデートの約束をした中年男の啖呵(たんか)が、限りなく〈生〉に振れる情動を推進力にして、慎二の憂鬱を包括するのだ。

腰を抑えながら走る岩下。

「走るなよ!」
「早く会いたいんだよ!!」

中年男の馬力が慎二を駆動させる。

若者もまた、美香に電話し、〈生〉のスポットに向かって走り出すのだ。

「がんばれ!」という歌詞を響かせる、ストリートミュージシャンの歌が、慎二の中枢を突き動かす。


「がんばれ!俺に言ってるんだ」

走り続ける慎二。

走り尽くした先に見える、美香の住む寮の前で、彼女からのメールが届く。

「女子寮だから、男の人は入れません」

〈生〉のスポットへの侵入が拒絶され、たよたよと歩いて帰る慎二。

しかし、慎二は帰っていなかった。

翌朝、美香が部屋のカーテンを開けると、慎二が街路の傍らに座っているのだ。

驚いた美香は、慎二を部屋に入れ、黙って水を差し出す。

慎二の姿を視認する美香

亀の水槽に見入っている慎二。

「半分しか、見えないんでしょ…世界が半分しか見えないんだ」と美香。
「うん、変だろ」と慎二。
「でも、半分も見えれは上出来じゃない。普通、半分も見えないから」

ここで慎二は、美香の観念系の言辞を無視し、唐突に畳み掛けていく。

「あのさ、ガールズバーっていうのは、不安だからやっているのか?その不安の根っこはなんだ?要するにあれか、金か?」
「ちょっと、待って」
「ちょっと待って」
「私のこと好きなのは、私のこと、可哀想だからと思っているからでしょ?」
「好きなんて一言も言ってない。じゃなくて、いったん待って…」
「お金は必要。看護師だけじゃ、きついから。でも、もう辞めたけど」

「でも、もう辞めたけど」

二人の会話が、初めて〈活きた言葉〉に昇華しているのだ。

バス停に並ぶ二人。

遊覧クルーズと思しき飛行船がビルの合間を縫って、通過する珍しい光景を目撃する二人。

飛行船/左目が不自由な慎二には、対象の視界に左側は捕捉できない
「見た?」と美香。(美香は2度目である)
「見た」と慎二。
「ラッキーだったね」
「何か、とてつもなく良いことが起こるかも知れない」

工事現場に雨が降り、それでも明るい表情を崩さない慎二。

美香とのデートで、慎二は髪飾りを買ってプレゼントする。

「やっぱり似合ってないけど…ありがとう…ありがとう」
「そんなに何回も言わなくていい…1200円なんだから」

髪飾りをつけ、慎二のリュックに手をかけて歩く美香

美香の部屋での会話。

「どう?まだ続いてる?嫌な予感。私は続いてる。何が起きても、おかしくないって感じじゃない」
「何が起きてもおかしくないんなら、やっぱりとてつもなく、いいことが起こるかも知れない」
「ほんと?」

会話に流れが生まれている。

明らかに、二人の関係濃度が高くなり、変容しているのだ。





3  「嫌なことは、全部俺が半分にしてやる。こんな目で生まれてきて良かったって、今初めて思ってるよ」





岩下は腰のダメージで、工事現場の仕事を辞めることになった。

左から慎二、アンドレス、岩下
去っていく岩下から「ざまあみやがれ」という決め台詞が洩れる

「腰もだめだし、コンビニちゃんにも振られたし…そんな顔するなよ。自分が不幸だと思っててもしょうがない」
「仕事はどうするの?」とアンドレス。
「死ぬまで生きるさ」と岩下。

この岩下に次いで、慎二は仕事仲間を全て失う羽目になる。

アンドレスである。

フィリピンへ帰ると言うのだ。

「やっぱり、ここで働くのはバカバカしい」

アンドレス

そう言って、アンドレスは慎二の元から去っていく。

正規雇用の外国人労働者にも拘らず、彼らが日本で働く状況の苛酷さが浮き彫りになる。

工事現場の仲間を失った慎二には、今や、絶対に失いたくない特定他者の存在の大きさ際立たせる。

美香である。

その美香は、実家に慎二を連れて帰る。

結婚の報告に来たのだ。

その夜、光の差さない田舎道を、自転車で二人乗りして走っていく。

「それにしても、暗いな」と慎二。
「東京には黒がないからね」と美香。
「黒?」
「色の、黒」
「ああ」
「あたしのお母さん、自殺したんだ」
「そっか」
「あたしは捨てられたんだよ」
「そっか。まあ、俺に任せろ」
「何を任すのよ」
「嫌なことは全部俺が半分にしてやる。こんな目で生まれてきて良かったって、今初めて思ってるよ」
「でも、あたしって、信じられないくらい、ダメな人間だよ」
「そっか。じゃあ、俺と一緒だ」

翌日、新宿に戻った二人。

「あ、やっぱり人を好きになるって、その人のことを、やんわり殺すってことだよ」
「なんだよ、それ」
「…どこもかしこも、恋愛ばかりで、バカみたいじゃない?なんか、楽しいわけ?意味あるわけ?」
「意味があるかどうか、分からないけど、胸がドキドキするのは、止められない」
「人間が凡庸になってる」
「それを承知で好きなんだ。美香のことが…言っちゃった」
「本当に幸せになれるのかな。幸せの意味も分かってないのに…」
「そんなのは、分からない」
「どうせまたいつか、捨てられる。終わっちゃうんだよ、そのうち」
「そんなのは、分からない」

慎二は力強く言い切った。
結婚が決まっても、美香は慎二の「愛」の継続力を試してしまう

例のストリートミュージシャンの「RYOKO」のプロモーションカーが通り過ぎていったのは、その時だった。


「RYOKO」のプロモーションカー

「RYOKO」のプロモーションカー
成功しないと話していた、ストリートミュージシャンの奇蹟の輝きに、時が止まったように身じろぎもせず、驚きと感動の表情で、顔を見合わせる二人。

言葉が出ず、顔を見合わせる二人

部屋に戻った二人。

「朝までに、何かまた、ニュース速報が入るんじゃないかな。地震とか爆発で、また誰か死ぬ。そうなったら、どうする?」
「とりあえず…募金する」

「とりあえず…募金する」

ゆっくり、噛んで含めるように、慎二は情感を込めて吐露する。

「うん、そうだね。募金しよう。朝起きたら、おはようって言おう。ご飯食べる前は、いただきますって言おう。そういうことだよね」

慎二は、美香の頭の上にそっと手を置く。

「ありがとう」

涙ぐみ、嗚咽する美香。

何事もなく朝を迎え、ふと見ると、観葉のペペロミアに花が咲いていた。

美香の満面の笑み。

ラストカットである。
美香の笑み





3  落としどころがなく、溶融しにくい会話を交わしながら、不器用な二人の男女が心理的距離を縮めていく





「欲望自然主義」の象徴である大都会・東京の片隅で、二人の男女が呼吸を繋いでいる。

大都会・東京
冒頭の光景
新宿西口
新宿西口

劣等感と「見捨てられ不安」を隠し込んでいる二人が出会い、落としどころがなく、溶融しにくい会話を交わしながら、少しづつ心理的距離を縮めていく。

「まあ、俺は変だから」
「へえ、じゃ、あたしと一緒だ」

このような表現を符号化することで、大都会が暗黙裡に強いる社会的心理圧のハードルを下げていく。

そのことで、自我の表層に浮き出ていて、隠し切れない否定的自己像を希釈する。

ほぼ家出と思しき行動の果てに、学力がありながら、建設現場での日雇い労働者として働く慎二は、年収200万程度のぎりぎりの生活に甘んじている。

左目が殆ど機能せず、右目だけで世界を視野に入れる障害を、大袈裟なジェスチャーを交えて、取り留めもないお喋りで周囲を煙に巻き、明るく装う慎二にとって、「喋ってないと不安なんだろうね」と吐露する異性のパートナーの出現は大いなる救いになった。

左目が見えず、ガールズバーで本を読む慎二/美香との最初の出会い

同時に、その関係性が放つ現象は、慎二の援助行動の対象になったことで、「あたしって、信じられないくらい、ダメな人間だよ」と吐露するパートナーに対して、「まあ、俺に任せろ」という歯切れの良いメッセージが、偽りなき情動の芯と化し、その心身を駆動させていく。

「へえ、じゃ、あたしと一緒だ」と吐露する美香の存在が、自分に「愛」を告白する高校時代の同級生からの、年収の低さを案じる問いに、「そのぐらいが丁度いいから」と答えた慎二の中枢を支え切っているから、熱中症で孤独死した老人や、日雇い労働の仲間たちとの別離を受容し、大都会の只中を走る男にまで変容するのだ。

「最も大切な人」に会うために、都会の中枢を疾走する若者
ストリートミュージシャンの歌を聴き、意を決し、再び走り出そうとする慎二

とりわけ、老人の異変を感じた慎二が、中に入るために、老人の部屋のドアを壊すシーンは、慎二の変容を物理的に見せる描写として圧巻だった。

本を貸してくれる隣の老人/その死に際し、慎二はドアを壊して部屋に入る行動に振れる

この推進力は、美香と会うために溜め込んだ熱量が成せる業である。

常に慎二からの誘いで反応し、「ダメな人間」と偽悪ぶる美香もまた、その中枢を自覚的に変容させていく。

走って来た慎二を女子寮から追い出し、拒絶した美香が決定的に変容したのは、美香と会うためだけに、夜通し、街路で待っていた慎二の姿を視認したこと。

これが全てだった。

慎二の姿を視認し、驚く美香

思うに、美香が特定他者との心理的近接を回避する行為に振れるのは、彼女の底層で「見捨てられ不安」が渦巻いているからだ。

「自死遺族」(後述)のトラウマ。

これが大きかった。

大切な人を自死によって喪った悲哀は尋常ではない。

「自死遺族」が周囲の偏見に晒される事例は、「全国自死遺族総合支援センター」などのNPO法人からも報告されている。

まして、美香の場合、最愛の母の自死(自殺)がもたらすダメージは、彼女の自我形成に無視できないほどの影響を与えたであろう。

最愛の母との思い出
最愛の母の思い出
最愛の母の思い出  2

「自分は価値のない存在」

そう、思ったに違いない。

だから、このトラウマを限りなく希釈させねばならなかった。

「死ね、と言えば、簡単に孤独を手に入れられていた」

このモノローグで判然とするように、「孤独」=「関係性の途絶」を求める彼女の行為は、「下半身の処理」ではなく、「自分を真に求め、精神的に強く希求する特定他者」との関係構築の渇望への反転的感情であることが容易に想像し得る。

「愛って言葉を使うと、口から血の臭いがしない?」

「君を愛してる」と繰り返す、元の恋人に言い放った美香の言葉も、同様の文脈で読み取れる。

元の恋人からのメール/美香は「愛」という言葉に欺瞞性を覚える

かつて、自分を捨てた相手の通俗的言辞など受容できるわけがないのだ。

それにも拘らず、彼女は、「自分を真に求め、精神的に強く希求する特定他者」の存在を渇望する。

しかし、その思いを決して言語化しない。

言語化することで、正真正銘の「孤独」の世界に押し込まれ、関係構築の渇望への反転的感情が自壊する現象を認知したくないのだ。

そんな面倒臭い女性の前に出現したのが、同様に不器用な慎二だった。

隠し切れない否定的自己像を包含する慎二の行動は、要領が悪いが、誠実さがあった。

落としどころがなく、溶融しにくい会話を交わしつつも、真摯さがあった。

「私のこと好きなのは、私のこと、可哀想だからと思っているからでしょ?」

常に、美香は相手の想いの強さを試さざるを得ない

それでも美香は、こんな物言いをせざるを得ない。

異性との関係において、常に、相手の感情を試さざるを得ない美香の面倒臭さ。

「自死遺族」トラウマの破壊力を、観る者は感受するだろう。

そんな二人の言語交換が溶融し、落としどころを見つけるエピソードがあった。

本作で最も重要な会話である。

粗筋でも書いたように、結婚の報告のために、実家に慎二を連れて帰った美香が、慎二と自転車で二人乗りして走っているシーンである。

唐突に、美香は慎二に告白した。

「あたしのお母さん、自殺したんだ」
「そっか」
「あたしは捨てられたんだよ」
「そっか。まあ、俺に任せろ」

慎二の反応は淡々としたものだった。

軽視したのではない。

自らが負った劣等感と相殺できるから、むしろ、ポジティブに受容できるのだ。

「何を任すのよ」

慎二の意外な反応に、美香が聞き質す。

なお、不安が残るからだ。

「嫌なことは全部俺が半分にしてやる。こんな目で生まれてきて良かったって、今初めて思ってるよ」
「でも、あたしって、信じられないくらい、ダメな人間だよ」
「そっか。じゃあ、俺と一緒だ」

このエピソードは、「実験映画」の如き本作の核心的シーンである。

後半で、一気に畳み掛けてくる核心的シーンの、慎二の核心的台詞に触れて、深い感動を覚えた。

ここから物語は、「好き」という言葉が生命線となるエピソードを添えて閉じていく。

二人の関係濃度が高くなっていく
美香の満面の笑み(ラスト)

人間は簡単に変われない。

結婚を決めたあとも、煮え切れない言辞を放つ美香の心理の搖動を的確に描いた映像構築力は、群を抜いて優れている。

原発・孤独死・格差・外国人労働者・極点社会(大都市圏への人口の一極集中化)の問題など、社会派系の要素を随所に散りばめた映画の秀逸さは、さすが石井裕也監督と唸(うな)らせるに足る、「恋愛の誕生」へのカットの連射のうちに収斂されていった。
石井裕也監督

【ここで、「自殺」と「自死」の違いと、その言い換えについて、現時点でも議論になっている重要な問題なので、日経デジタルの「『自殺』→『自死』言い換え相次ぐ 自治体、遺族感情に配慮」という古い記事(2014・3)を、若干、補筆して掲載したい。

以下、記事からの抜粋。

公文書などで自殺を「自死」と言い換える自治体が相次いでいる。「『自殺』には命を粗末にした、という印象があり、残された者が一段と傷つく」との声が一部の遺族から上がっているためだ。ただ、支援団体などからは「イメージを和らげることになり、予防の観点からは良くない」との意見もあり、議論が続いている。宮城県は1月、公文書や啓発文書などで、原則として自殺を自死に言い換えることを決めた。同県障害福祉課は「『殺す』という表現に心を痛めている遺族からの訴えに配慮した」と説明する。

遺族ら約1700人でつくる全国自死遺族連絡会(仙台市)は2010年から自治体などに言い換えを呼び掛けてきた。自らも05年に長男を亡くした田中幸子代表(64)は「追い込まれて命を絶つしかなかったケースが多いのに、自殺という呼称は『命を粗末にした』『勝手に死んだ』という誤解を招き、遺族を一段と苦しめる」と訴える。

一方、全国自死遺族総合支援センター(東京・千代田)は昨年10月、一律の言い換えでなく、状況に応じた使い分けを提案するガイドラインを発表。遺族・遺児に関する表現は自死とする一方、予防対策などでは「自殺防止」といった表現を残すべきだとしている。「『自死』という表現は過酷な現実をオブラートに包んでしまう面があり、死に対するハードルが下がりかねない」と懸念するからだ。

一般社団法人・全国自死遺族連絡会の代表理事、田中幸子さん 画像出典:『Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース~』 テーマ『差別される自死遺族』より
NPO法人「ライフリンク」ホームより
NPO法人・全国自死遺族総合支援センターhttps://twitter.com/izokucenter

自殺対策に取り組むNPO法人「ライフリンク」の清水康之代表も使い分けを支持、「こうした議論を通じて、誤解や偏見に苦しむ遺族への理解を深めるきっかけにしたい」と話している。

映画のヒロイン美香が抱えた、「自死遺族」を起因とする心的外傷の重さを理解することなしに、彼女の「面倒臭さ」=「屈折」が理解できないと、私は考えている】
「自死遺族」の心的外傷の重さ/母の仏前で(実家)
(2020・4)

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