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2024年12月24日火曜日

東京兄妹('95)  小さな街の小さな物語の大きな決断  市川準

 


1  「心配するじゃないか」「心配することなんて、なんにもないわよ」

 

 

絶対推薦の知られざる名作。 


都電が走る東京の小さな町で、両親を亡くして二人暮らしをする、兄・日暮健一(以下、健一)と妹・洋子。 


オープニングシーン

健一は古書店に勤め、高校生の洋子が夕飯の買い物で、いつもの商店街で鍋を持って兄の好物の豆腐を買う。 

健一

洋子

健一は仕事の帰りに干し柿を買い、古い木造家屋に帰宅すると、夕飯の支度をして待つ洋子が迎え、ご飯を盛る。
 




洋子の高校の卒業式の帰路、健一と洋子は神社にお参りをし、洋子は拝殿に手を合わせる。 


その後ろを隣に住むおばさんが通り、「お父さんと母さんに報告だ。よかったね」と声をかけ、洋子の高校卒業を祝う。 


「何、お祈りしたんだよ」と健一。

「お父さん、お母さん、洋子はお兄ちゃんのお陰で、高校を無事卒業することができました…心から感謝しますって」

 

季節が巡り、翌春になって洋子はラボ(写真現像所)店に勤め始めていた。 




仕事から帰って、いつものように鍋を持って豆腐屋へと商店街を歩いていると、和菓子屋の女将に呼び止められ店に入り、健一のお見合い写真を渡される。 


一方、健一は付き合っている同僚の桂子から、小銭を貸して欲しいと声をかけられた。

 

「どうしてまた、待てないなんて言うんだよ」

桂子

「待てないなんて言ってません。待たないって言ったの…待たないっていうのは、私の意思じゃん」


「とにかく、妹が二十歳になったら…」

「永遠に暮らしてればいいじゃない。妹さんと。夫婦みたいに」

 

桂子はそう言い捨て、帰って行った。

 

風呂に入り、炬燵で夕食を摂り終えた健一が、買ってきた座椅子を「いいだろう」と洋子と訊くと、洋子は「あたし、座椅子いいや」と言って、外してしまう。 


「なんだよ、せっかく買ってきたのに…勝手にしろ」

「それより、お見合いはどうするの?」

「余計なお世話なんだよ」

「そんなこと言ってると、先にお嫁に行っちゃうよ」

 

桂子から電話が入り、健一は廊下にある電話で先ほどの件の話を続け、その後ろを食器の片付けで通る洋子が、深刻な様子でタバコを吸う健一に灰皿を渡す。 


退職する桂子の送別会が行われ、その帰りに泥酔した健一が桂子の住むマンションに転がり込んで帰らず、洋子は一人で朝食を摂る。 


その洋子は、何度かラボ店にフィルム現像を頼みに来る写真家の三村真(以下、真)を意識し始めていた。 


母方の親戚の家を訪ねた健一と洋子は、亡くなった両親の写真を見せてもらう。 


「お母さんがね、タケオさんと初めて見せてくれた時のなの…まだ二人が若かったからね。最初は反対されてね。大恋愛だったのよ…お母さん、いつもどっかで、あんたたちのこと見守ってくれてるよ」 

日暮一家の写真



時を経ずして、健一が友人を連れて帰って来たが、偶然にも真だった。 


同じ高校の同窓で、酒を飲みながら既知の教師の話をし、真は両親にまだ挨拶していなかったと、仏壇に手を合わせる。

 

そこに隣のおばさんが醤油を切らして借りに来て、お礼に作った料理を洋子に手渡す。 


その夜、健一宅に泊まった真は目を覚まし、洋子がアイロン掛けをして布の擦(す)れる音を布団の中で聞いていた。

 

洋子が掃除する健一の部屋の机の上の封書を見ると、それは兄の恋人・桂子の結婚を祝う会への案内状だった。 



ラボ店に真が訪れ、照れくさそうに仕事が終わる時間を訊き、洋子は「ふふ」と笑う。

 

喫茶店で取り留めのない話をする二人。 


桂子の結婚式に出席した帰り、駅のホームに立つ真と洋子を目撃した健一は、洋子が帰宅すると、「何やってたんだ」と詰問する。 


洋子は友達と映画を観て食事をしてきたと答える。

 

「心配するじゃないか」


「心配することなんて、なんにもないわよ」

 

洋子は真のアパートにまで行くようになり、大雨の日、健一がずぶ濡れで帰って来ても、炬燵で寝入ったまま、いつものように出迎えることをしなかった。

 

その後も、洋子は真とデートと重ね、真のアパートで同棲するようになる。 


同棲中の部屋に戻る洋子

 


家に残された健一は映画を観に行き、一人の時間を過ごし、洋子の帰りを待っていた。 


その洋子から電話を受けた健一は、ここでも命令口調で説諭するのみ。

 

「いいから帰って来い…お前、いつからそんな…情けないぞ。よくそんなことが言えるな…父さんが生きてたら…もしもし…おい、もしもし、聞いてんのか!」 


洋子に一方的に電話を切られてしまった。

 

鍋を持って豆腐屋へ豆腐を買いに行くが、臨時休業で、居酒屋のカウンターで一人深酒する健一。

 

冷奴(ひややっこ)を頼んだ隣の客に、酔っぱらった健一が蘊蓄(うんちく)を垂れるのだ。

 

「冷奴はね、生きものなんですよ…豆腐はね、まだみんなが寝静まってる夜中の2時3時に起きて、何時間もかけて作るんですよ。こうやって、赤ん坊みたいに支えられながら、水に浮かぶんですよ。見たことありますか…豆腐は豆腐屋の大事な子供みたいなもんです。冷たい冷たい水で引き締まった奴が、表面張力のバランスでやっと形を整えてる。そこへ、そっと箸をいれる時の今にも崩れ落ちてしまいそうなほど…生きものなんだよ、豆腐は…白い白い、その日限りの…生娘みたいに白い豆腐」 




一方、洋子は真を待ち続けていたが、真は姿を見せなかった。 


その真は馴染みの飲み屋から泥酔状態で出て来て、店の女から上着をかけられるが、「ほっといてよ」と振り払い、泣き叫びながら闇の中を走り去り、そのまま帰らぬ人となった。

 

健一が出席する葬儀の後方の席で、真の身内の話を聞く。

 

「あの子はいつか、なんか変な死に方するんじゃないかって、いつも思ってたんですよ。いい年して定職にもつかないで。本当は何がやりたかったのかしらね…せっかく生まれてきたのに、心配ばっかりかけてさ」 


そこに遠くの席から、「いい奴でしたよ。優しい奴でしたよ」と声が上がった。

 

商店街を歩く健一に、すれ違いざまの隣のおばさんが声をかけてきた。

 

「洋子ちゃん、近頃見ないけど、どっか行ってんの?」


「いや」

「おばさんに何かできることあったら、言ってね」

 

そう言って足早に去って行く。

 

健一が居間でテレビを観ていると、大きな荷物を持って洋子が帰宅した。

 

無言で部屋に戻ろうとする洋子に、健一が声をかけた。

 

「風呂入れ」 


洋子は立ち止まったが、黙って二階へ上がっていった。

 

風呂に入った洋子は、浴槽に頭ごと沈める。

 

朝、いつものように朝食の支度をする洋子。 


健一と洋子は鍵を閉め出かけ、バルサンの焚いた煙が、仏壇や母親の写真など家じゅうに広がっていく。 



冬になって雪が降り積もり、早春の晴れた日に、健一と洋子は親戚夫婦と共に両親の墓参りへ行った。 


帰りに中華料理店で食事をしている二人に笑顔が零れる。 


そして、都電に乗り二人で脚を上げ、商店街を通って自宅に帰る。 


健一と洋子が暮らす街や日常の風景がめくるめく展開していく。 



夜、いつものように会社から帰宅して、木戸を開けて灯りの点いた玄関を見る健一。


その玄関の奥では、洋子が夕飯の支度をして待っている。 


立ち止まって間を置く健一は、中に入らず木戸を閉めた。 


その木戸が閉まる鈴の音を聴いて、居間から玄関の方を見やる洋子。 


健一は踵を返して、夜道へと歩いていった。 


 

 

2  小さな街の小さな物語の大きな決断

 

 

 

市川準監督作品の中で、「トキワ荘の青春」・「東京夜曲」と共に“東京三部作”と呼ばれる本作は、私が最も愛着を感じている映画。 

「トキワ荘の青春」より

「東京夜曲」より


市川準監督


 

幼い頃、両親を喪って「父」を演じ切った緒形直人の繊細な演技に心を打たれる。 


都電(荒川線/現在「東京さくらトラム」)が走る小さな街の一角で、質素に暮らす兄と妹の2年間の日常生活の日々の変遷を淡々とした筆致で切り取り、季節の移ろいを丁寧に描いた物語。 




少ない台詞を音楽と風景描写で補完したヒューマンドラマの逸品である。 



妹の恋人の煙草に火をつける画に象徴されるように、全篇に昭和の香りを色濃く残しながら平成への遷移を印象づけ、決定力のあるラストで観る者に映像総体のメッセージを置き土産にする構成力が素晴らしい。 


こういう映画が大好きだ。

 

「何、お祈りしたんだよ」

「お父さん、お母さん、洋子はお兄ちゃんのお陰で、高校を無事卒業することができました…心から感謝しますって」

 

神社の拝殿に手を合わせる兄妹の会話が、物語の本線を貫流している。 


「とにかく、妹が二十歳になったら…」

 

恋人の桂子に吐露する兄・健一の言葉で分かるように、妹・洋子が成人するまで結婚しないと言い切る男の思いを理解できない女の反応は毒気染(どくけじ)みていた。 


「永遠に暮らしてればいいじゃない。妹さんと。夫婦みたいに」

 

結婚相手の置かれた立場と、その心情を察することができない女との結婚が破談になったのは必定だったとも言える。

 

自らの婚機を逃しても、妹が成人するまで何としてでも面倒を見る。 


その心情は全き「父」の視線である。

 

だから、帰宅時間が遅れただけで文句を言う。

 

高校を卒業し、社会人となっても不満を垂れるのだ。 


成人になってないからである。

 

「心配するじゃないか」


「心配することなんて、なんにもないわよ」

 

恋人ができた洋子が映画を観て食事をしてきたと答えるが、相手の名(真)を言うことがない。

 

妹は兄に嘘をついたのである。

 

この兄妹にとって、相手の名を言わないことだけでも嘘になるのだ。

 

兄・健一は真と洋子を目撃していたからこそ、妹の嘘が許せないのだ。 


しかし、束の間の青春の輝きの只中を疾走する洋子の情動は止まらない。 

カメラマンである真の傍にいる洋子

「お前、いつからそんな…情けないぞ。よくそんなことが言えるな…父さんが生きてたら…」 


「父さん」とは、今や健一なのだ。

 

だから、兄に対する妹の造反が「父」への造反になってしまうという、些か歪(いびつ)だが、それ以外にない関係構造を成していた。

 

しかし、妹の造反は同棲中の恋人の死によって呆気なく瓦解してしまう。

 

動けなくなった妹の青春の輝きは一気に色褪せていき、行く当てもなく、兄一人で生活する自宅に戻って来る。

 

恋人の葬儀があった夜の無言の帰宅だった。

 

「風呂入れ」 


その一言だけを発する兄。

 

反応はない。

 

突っ込みもない。

 

聢(しか)と、このシーンの本質を衝いていた。

 

翌朝、かつてそうだったように、表情を失った妹が朝食の支度をする。 


会話が拾えない。

 

沈黙だけが救いだった。

 

季節が遷移し、健一と洋子が暮らす街と、その街の一角で呼吸を繋いできた日常が復元していくようだった。

 

いつしか笑みを取り戻し、ルールによって成立する時間が可視化されていく。 


この流れで、小さな街の小さな物語がエンドロールに収斂されていくようだったが、思いも寄らない否認のラストが待っていた。

 

予定不調和の兄・健一の帰宅。 


これは何を意味するのか。

 

そこに垣間見える健一の大きな決断。

 

それは、妹・洋子が家出した以前の日常と同じように、常に健一の食事の支度をして待つ洋子を束縛する日々を反転させる行為だった。

 

洋子の卒業以来、季節が変わり、洋子はもう成人になったのだ。

 

最も根幹的ルールを想起した健一は、もう、動けない。

 

玄関を開けても、部屋に入れない。

 

入ってはいけないのだ。

 

自らが決めた根幹的ルールの上に立つ自己像が瓦解した瞬間だった。

 

洋子の自立を認め、距離を置くことを決断したのである。

 

思えば、洋子の家出によって自己欠損感を深めた健一が飲み屋でくだを巻く疎外感こそ、自己像瓦解の初発点であった。 


この心理を簡潔に言えば、自分(兄)が相手(妹)に依存しているにも拘らず、相手(妹)が自分(兄)に依存しているという構造性を成している。 


この認知に届いた時、健一は、もう動けなくなった。

 

疑うことなく永く延長させてきた幻想が破綻したからである。

 

小さな街の小さな物語が変移せねばならなかったのだ。

 

だから決断した。

 

小さな街の小さな物語の大きな決断。

 

深い余韻が残る映画だった。

 

(2024年12月)

 

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