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2019年11月5日火曜日

幼子われらに生まれ('17)   三島有紀子


ここから「ステップファミリー」が開かれる(プロポーズの階段)

<一切を吹っ切った男が、「血縁」という「絶対基準」の境域破壊を具現化する>





1  「ステップファミリー」の難しさを描く物語が開かれる





三島有紀子監督
主要な出演者一同
浅野忠信・圧巻の演技力

完璧な映画の、完璧な主題提起力・構成力・構築力。

近年、私が観た邦画の中で、ベスト1の映画。

交叉することがない、思春期の初発点にいる2人の少女が抱える、艱難(かんなん)なテーマに関わるプロットのリアリティがダイレクトに伝わってきて、強烈に胸に響き、嗚咽を抑えられなかった。

それにしても、演技を超えた表現力を発露した浅野忠信の凄み。

圧倒された。

比肩すべき何者もいない、正真正銘の映画俳優である。

―― 以下、物語のアウトライン。

「沙織。沙織に妹か弟かできたら、どうする?」
「ないって、お母さん、子供あたし一人で充分って、いつも言ってるし」
「もしもだよ。もしもお父さんとお母さんが、もう一人欲しいって言い出したら…」
「お母さん、40だよ」
「まだ産めるよ。産めって言ったら反対する?」
「反対なんかしないよ。いいんじゃない」
「でもだよ、お母さんには、その…沙織も赤ちゃんも自分の子供だけど、お父さんからすれば、何ていうか、その、沙織がさ、あの…」
「私が、余りになっちゃうんだ…」
「そうかも知れないよ」
「でも、お父さんは私を余りなんかに絶対しない!」

遊園地の観覧車の中での父と娘との深刻な会話から、「ステップファミリー」(子連れ再婚家族)の難しさを描く物語が開かれる。

遊園地の観覧車・イメージ画像
田中信

父の名は、田中信(まこと・以下、信)。

大手企業に勤めるサラリーマンである。

小学6年生の沙織(さおり)は、今、父の前妻・友佳と共に暮らしていた。

だから、父と子は、このような形でしか会えないのだ。

ここで、父が言う「もう一人」とは、再婚した奈苗(ななえ)との間に産まれる子供を意味するが、沙織は、「妹か弟」が40歳になる友佳との間の子供であり、その子を大事にすると考えていたので、「余り」という言葉に結ばれたのである。

一方、奈苗には、前夫・沢田との間に儲けた二人の娘、12歳の薫、幼稚園児の恵理子がいる。

奈苗と次女・恵理子
信と恵理子

義父の信を実父であると信じ、疑いを持つことなく懐(なつ)いている恵理子と異なり、児童期後期で、思春期の初発点にいる長女・薫は、実母と継父(母の夫で血の繋がりのない父=義父)との間に産まれる新生児に対し、「妹か弟」という観念を持ち得ず、露骨に反発し、実母と義父の両親に対し、反抗的な態度に振れるばかりだった。

「情緒的共同体」の不全な家族(左から恵理子、奈苗、信、薫)

との子を産むと決めている奈苗と、その新生児の誕生に複雑な思いを捨てられない信。

信にとって、冒頭の会話の相手である、沙織との定期的面会に快く思っていない奈苗への配慮もあり、3か月毎の面会後の帰宅の際には、必ずケーキを買っていく。

それが、「情緒の共同体」としての「家族」に対する信の、精一杯の愛情の、それ以外にない物理的変換の行為だった。

しかし、悪循環が止まらない。

「家族第一」の生活を送ってきたことで、かつては「出世候補」の筆頭でありながら、会社との付き合いを断り続けてきた係長の信が、新木場への「片道切符」の出向を迫られることになる。

その仕事とは、倉庫のピッキング(検品、仕分け、梱包)という単純な仕事。

馴れない仕事で、ピッキングの成績も上がらなかった。

倉庫のピッキングの仕事をする信
「一人カラオケ」で憂さを晴らす

そんな憂(う)さを、「一人カラオケ」で発散する信。

「この先どうなるか分らないよ。それでも(子供が)欲しい?」
「欲しい、あなたの子供」

楽天的な妻と、工場出向での苦労を語る信との、夜の夫婦の会話だった。

言ってみれば、信の出向は、我が国に根強い一種の「パタハラ」(パタニティ・ハラスメント=男性の育児参加への企業サイドからのペナルティ)と言えるかも知れない。

―― 以上が、7人(注)の主要登場人物によって成る梗概(こうがい)だが、ここから、批評含みで言及していく。

(注)以下、Wikipediaより。

田中信:浅野忠信

田中奈苗:田中麗奈

田中薫(奈苗の連れ子):南沙良

沙織(信と友佳の実娘):鎌田らい樹

田中恵理子(奈苗の連れ子):新井美羽

沢田(奈苗の元夫、薫・恵理子の実父):宮藤官九郎

友佳(信の元妻、沙織の実母):寺島しのぶ

他に、末期癌患者の教授・江崎(友佳の再婚相手)






2  デイリーハッスルが束になって集合した時、もう、制御不能の状態と化し、底が壊れてしまった





この映画の中で、主人公の信の内面に巣食っている、ネガティブな感情が露呈される重要なシーンがある。

信と、准教授(旧・助教授)として教壇に立つ前妻・友佳との会話である。

「ごめんね。秋には絶対、2回会わせるようにするから」
「いやぁ、大変な時だろうから、お前も体に気を付けろよ。いやいや、君も体に気を付けてくださいね」
「2年半で別れた最初の亭主と、6年で死んじゃう2度目の亭主って、どっちがひどい奴なんだろうね」
「俺だよ」
「訊かないのねぇ…今の私の気持ち。旦那が癌で入院してるときに、前の旦那と会ってるあたしの気持ち。全然興味ない?昔っからよ。理由は訊くくせに、気持ちは訊かないの、あなたって。ずっと、そう。何で堕ろした、何で俺に相談しなかった、何で家庭に入らないんだ。理由ばっかり訊いて。産婦人科に行った時の私の気持ち。一人で決めた時の私の気持ち。そういうこと、何にも訊いてくれなかった…赤ちゃん堕ろした時、どんな気持ちだったか教えてあげる。これからたくさん後悔することができるかも知れないと思った。ほんと、たくさんあったわ。赤ちゃん、堕ろさなければよかった。沙織を産まなければよかった。離婚しなければよかった。最初から結婚なんかしなければよかった、大学院なんか行かなけれよかった。アメリカなんて行かない方がよかった。再婚しない方がよかった」
「そういうこと言い出したら、キリがないよ」
「そう、だから今は一つだけ。江崎が背中が痛いって言い出した時、もっと早く病院に行かせればよかったって。何も後悔していない?」

ここまでストレートに誹議(ひぎ)されて、反応できない信。

前妻・友佳
前妻・友佳との回想シーン

思わぬ誹議に困惑し、非自覚的だが、反駁(はんばく)を封殺に足る罪責感が炙(あぶ)り出されて、動けなくなるのだ。

「理由」・「所為」(しょい)でしか反応しない前夫の、深刻な事態に対する表層的言辞の連射への苛立ち。

推考可能のレベルでしかないが、前妻のこの強い思いが、離婚に繋がった関係性の「不整合」・「撞着」(どうちゃく)を衝(つ)いてくるのである。

このシーンが開く映画の展開は、「不全なる家族」を描く物語の中枢点に踏み込んでいく。

人間の不全性。

大人の不全性。

親の不全性。

父親としての不全性。

家族の不全性。

「情緒の共同体」としての「家族」の破綻の危機。

それを認識しているからこそ、煩悶し、苛立ち、そして沈黙する。

それでも動かねばならない。

これ以上、家族の混乱を広げてはならない。

笑みを刷(は)き、突き上げていく情動を潰していく。

色褪せた空気の漂動(ひょうどう)に鮮度を塗り込めねばならない。

塗り込め、塗り込めても弾かれる現実に震え慄(おのの)く。

動けば動くほど、思うようにならない人生の現実に震え慄くのだ。

デイリーハッスル(日常の苛立ち)が束になって集合し、頂点に達した時、もう、制御不能の状態と化し、底が壊れてしまった。

自我が消耗してしまうのである。

田中信が担った負荷は、あまりに重過ぎた。

不全なる家族の、不全なる父親としての、その不全性の只中で、「普通の家族」のサイズに見合ったベストプレイスを構築せんとする試行が為す術もなく頓挫(とんざ)し、峻烈(しゅんれつ)を極めるほどに被弾するのだ。

―― 以下、継父である信と、思春期の初発点で搖動(ようどう)する薫の会話。

「恵理が今、パパだと思ってる人は、本当のパパじゃないの。捨てられちゃうんだよ」と悪態をつく薫

「恵理に変なこと言うなよ」
「何が?」
「何がって、パパとママからね、恵理が小学校あがったら、説明しようと思ってるんだよ…恵理はまだ子供だから…」
「口止め料、もらっちゃおうかな」
「何を言ってるんだよ。何しろさ、恵理に余計なこと言わないんで欲しいんだ」
「それって、命令?」
「そうだよ」
「命令する権利とかあるの?何か、お父さんみたいじゃん」

意想外の物言いに、またしても、言葉を失う信。

「あたしも命令していい?お父さんに会わせてよ。本当のお父さんに」

この会話に含まれる毒素は、日増しに膨れ上がっていくから厄介だった。

「このウチやだ。関係ない人といたくない」

ここまで言い放つ薫に対し、実父の沢田と会って欲しくないと、説諭(せつゆ)含みの言辞を投入する信。

「じゃぁさ、何で会ってんの、そっちは。そっちの子にもお父さんいるんでしょ。すっごい勝手なこと、言ってない。他人なんだも、嘘なんだも、このウチ。あたしなんかより、その子といた方がいいんでしょ」

首を振る信。

「その子」とは、信の実娘・沙織のこと。

「だったら、あたしにも会わせてよ。だって、あたしのパパだも。会いたいに決まってんじゃん」
「でもね、薫。薫が小さい時に、その前のパパに殴られてさ、歯折られてるんだよ。ママが離婚しなかったらお前、本物のパパに殺されていたかも知れないんだぞ」

激昂(げきこう)した薫が、信に枕を投げつけるのだ。

「ひどい!何でそんなこと言うの!卑怯だよ、汚いよ!そんなこと、絶対ないから!」

情動が止め処(とめど)なく張り裂け、思春期炸裂のエクスプロージョン(爆発)が止まらない。

何もできない継父の無力感が野晒(のざら)しにされる。

置き去りにされるのだ。

「癒し空間」としての「家庭」の構築の試行が、「普通の家族」のサイズにも届かない「虚構の防塞機構」でしかない現実を露わにして、田中信という男の不全性が突沸(とっぷつ)してしまうのである。



この男の雑駁(ざっぱく)な内的風景には、重大な伏線があった。

先妻・友佳の直截(ちょくさい)な言辞が、手際(てぎわ)の悪い信の行動変容に意味を持たせているのだ。

先妻に「気持ち」のことを言われた信は、薫の気持ちを意識的に探ろうと努めている。

しかし、どれほど努めても、間髪を容れず(かんはつをいれず)、惨めなまでに弾かれてしまう。

「お父さんに会いたい」

この一点張り(いってんばり)だった。

かくて、DV男だった沢田に会い、その自堕落(じだらく)さを目の当たりにした信が、薫に対する先の「暴言」に振れてしまうのである。

ここで重要なのは、信の「暴言」と、その直後の荒れ具合が、沢田の言辞に内面的にフレーミング(構成)された残響であるということだ。

以下、初見時における沢田の言葉。

「会いたいなんて、嘘ですよ。薫が会いたくなるような父親じゃないんですよ、俺は…奥さんって、鬱陶(うっとう)しくありませんか。縋(すが)ってくるでしょ、こっちに。あれが煩(わずら)わしくてね。子供もそうですよ。何なんでしょうね、ああいうのって。こっちを雁字搦め(がんじがらめ)にしちゃうんだよな」

米軍基地の調理人として働く沢田

この沢田の言葉が、制御不能の状態と化し、底が壊れてしまった信の荒れ具合の只中でフレーミングされ、「侵入的想起」(日常の活動不全化)を惹起してしまうのである。

病院で妊娠高血圧症と診断され、奈苗は信に相談するが、このような妻の行為に鬱陶(うっとう)しさを感受した信の自我は、今や、クリティカルポイント(限界点)に達し、束になって集合したデイリーハッスルが爆轟(ばくごう)するに至った。

【映画 予告編】 「幼な子われらに生まれ」より

「俺には、もう、分んないよ。さっきから何言ってんの。俺、医者じゃないんだから」
「でもねぇ、あなたの子供なんだし、2人で…」
「いやねぇ、そうやって、自分の身体に色々なことが起きるんだったら、それはもう堕ろすしかないでしょ」

驚嘆する奈苗。

「嫌よ」
「嫌って言われても、俺、もう嫌だよ。ずっと考えてる。で、思うんだけど、今だったら俺たち綺麗に別れられると思う。だから、子ども堕ろして別れよう。だって、2人はうまくいってないんだから」
「そんなことない。そんなことない」
「あなたがそんなことなくても、俺がもうダメでしょ。もう、あなたのことも薫のことも全然分んないよ。お金も全部払う、毎月のお金とか慰謝料とか、全部払うから」

ここまで吐き出してしまう男の不全性が、「家族破壊」のエナジーと化し、もう、復元不能の風景を炙(あぶ)り出していく。

「侵入的想起」を惹起した男の行動を引き摺(ず)り出した直接的な因子 ―― それは、薫が自分の部屋に鍵をつけて欲しいと言ったこと、そして、南京錠が用意されていた由々しき事態にあった。

薫の反抗に憤怒し、自ら子供部屋に鍵を取りつける信

要するに、ここまで継父を排除する薫のネガティブな情動炸裂を受け、相手の心に寄り添うという努力が無に帰したこと。

これで、完全にダメになった。

沢田によって、内面的にフレーミングされた残響が人の心を食(は)み、自らをも食い尽くしていく。

その沢田に、信は三度(みたび)会った。

係累(けいるい/ここでは、面倒を見なければならない妻子のこと)の継続を拒絶したことに安堵する男の、否定的な言辞に変化が拾えなかった。

「仕事が終わって、家帰るでしょ。角曲がった所で、家見えるんですよ。いっつも灯がついててね。待ってるわけですよ。私を。ずっと、毎日毎日。今夜はちゃんと帰ろうと思って、通りの角から窓が見えて、それでやっぱり駅に引き返しちゃったこと、何度もありましてね」

リピートされる沢田の言辞。

結局、ギャンブル依存症によって、借金を背負った沢田が信に要求したのは、金を用意すれば薫に会うという条件の提示だった。

沢田
10万円で薫に会うことを引き受け、その金を受け取る沢田。

こんな男に変化を期待するのは、どだい無理な話だった。

内面的にフレーミングされた残響を引き摺る信にも、変化の兆(きざ)しが見えないのだ。

「ミッドライフクライシス」(中年の危機)が極点に達しつつあった。





3  一切を吹っ切った男が、「血縁」という「絶対基準」の境域破壊を具現化する





思いがけない事態が生起する。

「血縁」という「絶対基準」の境域で、風景の変容が出来(しゅったい)したのだ。

「教えてくれないなんて水臭いな。親子なのに」

心優しい実娘・沙織の言葉である。

沙織の言葉の背景をフォローする。

「何か悲しくないんだよね。変な感じなの。学校の担任の先生とか、仲良しだった近所のおじさんとかが死ぬような感じなの。悲しいことは悲しいんだけど、昔、お母さんが死んじゃうことを想像したことがあるの。その時は胸がきゅーて痛くなって、布団の中で震えちゃったの。でも、そういうのが、何か、お父さんの時にはないんだよね。ずーとね、お見舞いに行くたびに、心の中で謝ってるの。ごめんなさい、ごめんなさいって、だってお父さん、泣くんだもん。私の顔見ると、声出なくても、呼吸器から、シュー、シューって音がするの。シュー、シューっと。ごめんなさい、ごめんなさいばっかりで帰って来ちゃう」

面会日でないのに信を訪ね、「何か悲しくないんだよね」と吐露する沙織。この直後、継父・江崎の危篤の連絡が入り、病院に向かうが、車中で早苗の妊娠を恵理子から知らされ、動揺を隠せない。映画の冒頭での実父との会話の意味を知るに至る

継父・江崎の死の床に立ち会っても、「何か悲しくないんだよね」と吐露する沙織が、実父・信から子供が生まれることを知って、動揺を隠せなかった。

それが、先の沙織の言葉に繋がったのである。

「血縁」という「絶対基準」の境域で、薫と同様に、思春期の初発点に踏み込んでいた少女の内面に、切っ先鋭い棘(とげ)が突き刺さってきたのだ。

それでも、少女は、情動を炸裂させることはない。

実父を責め苛(さいな)む行為に振れることなど、決してない。

繊細で、偽りない思いを主張できる自我を、母親から作ってもらったからだろう。

弾丸の雨の中、江崎の危篤の知らせが入り、病室に向かう沙織が、嗚咽しながら、実父に現在の心情を漏らすのだ。

「私、泣ける、お父さんのこと。今、お父さんが死んじゃうのが、すごく嫌だ。お父さんと、今度ずっと一緒に…」

情動を炸裂させない沙織にとって、この心境の変化こそ、何より重大事だった。

感情を大切にしつつ、その感情に秩序を与え、彼女基準のフレーミングを保持し、安定的な思春期自我を確保する。

そのフレーミングによって動きにくくなった時、それを突き抜けるために、少女は一気に動く。

突き抜けた向こうにある内的形象の情景に身を預けるのだ。

そこに「前線」ができる。

この「前線」こそ、少女の情動炸裂のフィールドだった。

「私のお父さんに会って。お願い。会って欲しいの」

そう言って、沙織は信の手を掴み、危篤の状態にある継父の病室に、足早に連れていく。

既に、継父の命は途絶えていた。

「お父さん、お父さん」

沙織の涙は止まらない。

沙織と友佳
それを、病室の後方で見入る信。

沙織は、継父の死を前に、「私、泣ける」と言った思いを、実父の信に伝えたかったのである。

実娘の思いを存分に感受した信は、死せし江崎の枕元に近づき、心を添えて、胸の内を開陳(かいちん)していく。

「江崎さん。沙織を育ててくれてありがとうございます。可愛がってくれて、大好きでいてくれて、ありがとうございます」

これが信を変えていく。

決定的に変えていく。

本作で、最も重要なエピソードである。

一切を吹っ切った男が、「血縁」という「絶対基準」の境域破壊を具現化する。

信は奈苗の連れ子の恵理子に、噛んで含めるように説明していく。

「パパは、ずっと昔に、ママじゃない人と結婚してたの。それでね、その時に生まれたのが、さっきの沙織ちゃん。ママもパパと出会う前、ずっと昔に違う人と結婚してたの。その時生まれたのが、お姉ちゃんと恵理なの。分る?でもね、今は、パパの奥さんはママだけだし、ママの旦那さんはパパだけ。で、恵理とお姉ちゃんのパパっていうのは、このパパ一人だけなの。何しろさ、パパとママが一番大好きなのが、恵理とお姉ちゃんで、一番大切なの。そのこと分って欲しいなって思って…」

本作の収斂点である。

感銘深い映画のラストに待つのは、「パパとママが一番大好きな恵理とお姉ちゃん」に、新たな生命が加わる出産シーン。

実母と継父の間に誕生する新たな生命は、新たな家族の誕生でもあった。

だから、複雑な思いを抱えた薫の表情から、笑みが零(こぼ)れることがない。

それは、新たな家族の誕生によって、義務教育に縛られている少女の近未来のイメージの不透明感を印象づけて、エンドロールに流れていく。


―― 本稿の最後に、その薫の思春期の初発点で蠢動(しゅんどう)する、剣呑(けんのん)な心の風景をフォローしていく。

DVを受けた薫の内側にプールされている心的外傷が、あまりに深いからだ。

「トラウマ」・「愛情」・「尊厳」。

これが、幼児虐待に被弾した自我の、殆ど、絶対的な克服課題である。

「トラウマ」を克服し、「愛情」を得て、人間としての「尊厳」を奪回する。

何より、薫の自我には、「見捨てられ不安」がべったりと膠着(こうちゃく)している。

そんな薫が、DVの恐怖を受け続けた父親との再会を渇望するはずがない。

「緊張」⇒「暴力」⇒「ハネムーン」という負のサイクルを循環する、典型的なDVサイクルをトレースしたか否か不分明だが、DVによって刷り込まれた人間不信と、「尊厳なき自己像」という心的外傷の膠着を剥(は)ぎ取る事象の艱難さは、物語の中から容易に汲み取ることができる。

DVサイクル


見捨てられ不安・イメージ画像
情緒不安定と「見捨てられ不安」

人間不信と「尊厳なき自己像」は、常に、「見捨てられ不安」と表裏一体の関係にあるから厄介なのだ。

それが、思春期の初発点で、継父への否定的感情として顕在化するが、決して本意ではない。









見捨てられたくないから平気で嘘をつき、継父という特定他者への攻撃性に転化させていく。

これが、実父との再会を求めるという、捩(ねじ)れ切った反転性を剥(む)き出しにする行為に振れていくのだ。

それを実証するシーンがある。

実父の沢田と会ったという薫に、継父の信が問いかけた。

「どうだった?」
「楽しかったよ。もう、最高」

嘘をつく薫の前に、沢田からのプレゼントを置く信。

そのプレゼントを開ける薫が、そこで見たのは、メッセージカードに添えられた、「薫ちゃんへ」と書かれた言葉と、ゴリラの縫いぐるみ。

薫の嘘に込められた手痛さ・辛さを受け止める信は、その薫に最近接し、「普通の父親」の自然さを体現させて、薫の「気持ち」の中枢点に踏み込んでいく。

「薫、前に言ったよね。嘘ついちゃいけないよって。約束は守りなさいよって。薫、それ、できなかっただろ」

頷(うなず)く薫。

「どういう気持ちになった?」

初めて、「気持ち」を訊くのだ。

反応できない薫に、「分ったでしょ?」と問う信。

頷く薫。

薫の嗚咽が止まらない。

薫を抱き寄せる信。

「継父」の胸に顔を埋(うず)める薫。

沙織との関係を通して、「継父」と「実父」の関係の只中で揺れる少女の「痛み」に触れた信は、今、薫の「痛み」を受け入れ、「継父でも、父の愛は変わらない」というメッセージを送ったのである。

幼児虐待を被弾した自我が、それを克服することの艱難さ。

それは、僅か12歳の少女の人生の総体を懸けた、全人格的な「内面戦争」であるとしか言いようがないのだ。









撮影中の三島有紀子監督

(2019年11月)

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