1 献身的介護に命を懸ける男
一軒家から出発した車を追跡するデヴィッドは、一人暮らしの暗い部屋で、ナディア・ウィルソンという名の若い女性のSNSの画像を見ている。
ナディア |
看護士のデヴィットは、サラというエイズの末期患者を担当し、自宅を訪問して痩せ細った身体を風呂に入れ、移動や着替えを介助し、食事や薬の管理など、身の回りの一切を丁寧に看護していた。
デヴィットとサラ |
そのサラが亡くなり、デヴィッドは身体を奇麗に拭いて清め、服を着せていく。
葬儀に出席したデヴィッドに、サラの姪のカレンが断るデヴィッドを車に乗せ、「叔母は気の合うあなたが大好きだった」と、サラについて話を聞きたいと朝食に誘うが、デヴィッドは「行かないと…すまない」と断り、車を降りる。
そして、墓地に停めてあった自分の車に乗って黙考していたデヴィッドは、再び車を降りてサラの墓碑に向かう。
バーで1人で酒を飲むデヴィッドに、隣席するカップルが話しかけてきた。
「結婚してるのか?」
「してたが、最近、妻に先立たれた…重い病気でね。僕が面倒をみてた」
「名前は?」
「サラ」
デヴィッドは、サラと21年連れ添い、彼女がエイズだったとも話す。
サラへの思いが鮮烈に残る男の虚偽の反応だった。
店を出て、車からナディア(冒頭の女性)に無言電話をかけ、家ではまたナディアの画像を見て、医学生であることを知る。
次にデヴィッドが看護を担当することになったのは、5日前に脳卒中で倒れた高齢の建築家のジョン。
家族が見守る中でマヒの状態を調べ、「それほど悪くない」と言って、家族を安心させる。
早速、ジョンを入浴させ、リハビリをするデヴィッド。
ジョン |
ジョンは見守る家族を外に出し、デヴィッドとの会話で本音を吐露する。
「女って奴らには我慢がならん」
ジョンに結婚しているかを聞かれたデヴィッドはしていないと答え、ジョンも25年前に離婚したままだと話す。
「どんな建築を?」とデヴィッドが訊くと、ジョンはダウンタウンの小さなビルや、サンマリノ区の住宅など、「ただの機能的建築だ」と答える。
デヴィッドは書店でジョンに頼まれた建築の本を探す。
「建築家ですか?」
「ええ」
「息子も建築学科に…どんな建築を?」
「機能的建築だ…」
ジョンはデヴィッドが買ってきた本のページをめくられながら読み、検索のためにタブレットをテーブルに置いてもらうと、自分でやると言ってポルノ動画を観始めた。
「冗談だろ。本気か?」
「アートだ」
デヴィッドは、今度はジョンの弟だと名乗り、ジョンが設計した邸宅を訪ね、見せて欲しいと上がり込み、プールのある庭に出て、住居を見渡す。
ジョンの誕生日プレゼントに送る、写真を撮るための訪問だった。
相変わらずポルノばかり見ているジョンを諫め、夜勤の交替で訪問した看護師に、今夜は自分が付き添うと伝える。
「彼は繊細だし、夜中に容体が悪化する。事務所には言うな。給料は君が」
看護師は礼を言って帰って行った。
ジョンは帰った男の顔が見たかったと言い、「男と一度も付き合ったことないのか?」と訊くが、デヴィッドは受け流す。
朝から苦しそうにしているジョンをデヴィットが抱き締め、その様子を家族が怪訝な目で見ている。
そんなデヴィッドが、事務所の所長に呼ばれ、ジョンの子供たちがセクハラでデヴィッドを訴えると言っていることを知らされる。
「なぜ勝手にシフトを変えた」
「ジョンが僕を必要としてた」
「“父は操られてる”と息子が」
「何のために?」
「ジョンに近づかないと言えば、訴えの取り下げも」
デヴィッドはそれを受け入れたが、帰りにジョンの家を訪ね、出て来た家族に「事実無根だ」と訴え、この件を知らされていないジョンに会えないかを訊ねたが、あえなく断られた。
デヴィッドは、いつもSNSの画像で見ている医学生のナディアを大学まで追い、構内で歩いているところをつけ、追いついて声をかけた。
「元気か?」
「元気よ。いつ戻ったの?」
「2日前だ」
「しばらくいる?」
「いるよ」
ナディアはデヴィッドの娘だった。
「嬉しい」
「僕もだ」
二人は固く抱擁し合う。
デヴィッドは別れた妻と車の中で話し、彼女が再婚したが4年で別れたと聞く。
「あの話、ナディアは?」
「ダンのこと?…全部知ってる」
ダンとは、ナディアの弟で、ダンが6歳の時、デヴィッドは小児ガンで苦しむ息子を安楽死させ、その後、離婚して家を出たという痛恨の極みと化す経緯がある。
献身的介護に命を懸ける男の背景が暗示されるのである。
2 「考えてくれた?」「ああ…断るよ」「なら帰って。もうあなたには頼まない」
事務所を解雇されたデヴィッドは、知人のアイザックの紹介で、癌で化学療法を受けている女性マーサの送迎の仕事を得た。
左からデヴィット、マーサ、アイザック |
医学生のナディアに、マーサが化学療法の第2クールでだいぶ弱っていると話す。
「よくなるの?」
「厳しいだろう」
ナディア |
ナディアは、医学生になることに抵抗があったこと、専門は形成外科を選択するつもりであることや、卒業後の進路についてなど、デヴィッドと語り合う。
「ママは引き留めるけど、ボストンの病院に進みたい」
「だったら行け」
「行くわ…ダンのことは?」
突然、ダンのことを訊ねられたデヴィッドは、反応できずにに項垂(うなだ)れる。
「思い出すよ。お前は?」
「ええ…早く発見できたら違ってたかな」
「いや、発見は無理だった…僕は間違ってた?」
「いいえ…だってダンは、家にいる時、泣いてばかりだった」
「つらいよ。骨に転移したら、つらい…ママの再婚相手とは?」
「まあ、なんとか。でも、本人同士がダメだった」
「難しいな」
マーサを迎えに行くと応答がないのでアイザックに電話して家の中に入ると、ベッドで横たわったまま、動けなくなっていた。
泊まり込みで付きそうことになったデヴィッドが、ソファに座って一緒にテレビを観ていたが、突然マーサが嘔吐し、辛さに泣き出すのだった。
「ただの副作用だ」
「分かってる。吐くのは初めてじゃないから」
デヴィッドはタオルを持って来て、汚物を拭き取る。
「シャワーを浴びる?」
「死にたい…セクハラで訴えられてるそうね。ごめんなさい。素性が知りたくて」
「いいんだ。話すべきだった」
「いいのよ。アイザックが説明してくれた。息子さんのことも」
「病状がとても重かったんだ」
「私の姪は中絶したわ。胎児に問題があって。それでよかったのよ」
マーサはナディアを呼んで、3人で歓談する。
その後、デヴィッドはマーサの医師の診察に付き添い、医師から直腸に転移していることを聞かされた。
「それで、続ける意味はありますか?」
「たとえ困難なケースでも継続を勧めています…治療を止めれば、全身に転移して…」
「でも効果はないんですよね?転移したわけだし」
「効果の保証はできませんが、次のクールを続けることをお勧めます」
娘からの電話に、マーサは「治ってた。何も写ってないって」と嘘をつく。
「今後は年に一度、再発防止の化学療法を」
電話を切ったマーサは、娘が切る直前に言ったのは、「“じゃあ、今月末帰らなくてもいい?”」だったと話す。
病院への送迎の車の中で、マーサが車を止めて欲しいと訴えるが、トイレが間に合わず便を漏らしてしまう。
自宅でデヴィッドがマーサの汚れた体を洗ってあげ、ベッドに寝かせる。
「治療はやめるわ。代わりに手を貸して」
「やめるかを決めるのは自分だよ」
「そんな話じゃないわ。心配してくれる?だったら、手を貸して。息子さんの時のように」
少し間を置き、デヴィッドは「休むといい」と灯を消して部屋を出て行った。
「一人でしたくないの」
デヴィッドが隣の部屋で休んでいると、マーサが号泣する声が聞こえ、すぐ起きて行き、「大丈夫だ」と慰めた。
「化学療法は、もうたくさん」
翌朝、マラソンをしてからお茶を淹れているデヴィッドに、病院の予約をキャンセルしたマーサが訊いてくる。
「考えてくれた?」
「ああ…断るよ」
「なら帰って。もうあなたには頼まない。アイザックには伝えるわ」
デヴィッドは自宅に戻り、2階の息子の部屋を覗く。
再びマーサの家を訪れたデヴィッドは、お茶をご馳走になった後、ベッドに横たわるマーサに注射を打ち安楽死させ、アイザックにマーサが心停止して死んだことを報告する。
項垂れて椅子に座るデヴィッド。
次にデヴィッドが短期で担当した患者は、体が不自由な車椅子生活をしている16歳の青年だった。
公園に連れ出したデヴィッドが「何か要るかい?」と話しかけると、「うるせえ」と答えが返ってくる。
いつものように、歩道をマラソンするデヴィッドが、車道に出たところで走って来た車に横から体当たりされ、撥ねられた。
車が走ってくるのをチラッと見た後の、赤信号での出来事だった。
3 常世の闇の世界に掠われて
まるでハネケ監督の映像のように、定点観測的でズームアップ殆どなし、且つBGM・説明セリフ・抑揚なしで、僅かに交わされる会話から、尺の短い物語から映画のメッセージを読み取っていく。
熟々(つらつら)、観ないと、単なる介護映画で解釈してしまうだろう。
「父の秘密」の衝撃が今に残る私には、介護に人生を懸けるティム・ロスを覆う静寂なる時間での黙考のカットが鮮烈な印象を刻み、本篇を貫流していた。
「父の秘密」より |
終末期患者を限りなく丁寧に介護するティム・ロス演じる看護師デヴィッド。
だから、一つの骨の折れる介護を完遂し、逝去したサラの葬儀にも参列する。
そればかりではない。
葬儀が終わり、参列者がいなくなってもサラの墓に一人で出向き、サラに対する鎮魂の祈りを捧げるのである。
そこまでしなければ済まされない何かが、デヴィッドにはある。
済まされない何かを埋めるための彼なりの葬送儀礼によって、デヴィッドの自我の安寧が確保されているように見える。
こうして、常に困難を伴う終末期ケアに寄り添い続けたデヴィッドの仕事が自己完結する。
体力を鍛え、自らの心身をリセットしたら、自らの使命と括ったかのように仕事に向かっていくシーンが符号化されて、デヴィッドの時間に特異な意味を被せているのだ。
無論、デヴィッドはスーパーマンではないから、自己の存在の在り処(ありか)を問い続けるような黙考のカットが繰り返し提示される。
一体、デヴィッドの献身的介護とは何だったのか。
それについての勘考が、本作の全てであると言っていい。
私は原題の「chronic」の含意を「長期にわたる病」=心的外傷と考えているので、デヴィッドを長く苦しめてきた息子ダンを自らの手で安楽死させた忘れ得ぬ過去の記憶が、彼の〈現在性〉を苦衷と、そこからの解放を念じる時間に埋められているようだった。
従って、デヴィッドの献身的介護の本質は、その「長期にわたる病」を束の間、希釈する贖罪であると私は捉えている。
終末期患者に対する金銭目的ではない献身的介護を繋ぐことによって、一抹でも、デヴィッドの自我の安寧が確保されるのだ。
しかし、この献身的介護は初めから矛盾を内包していた。
終末期患者であっても、ジョンのように、〈生〉と〈性〉にしがみ付くような介護対象者ばかりではない。
3人目のマーサへの介護のように、安楽死を切望する終末期患者との出会いの確率が高いのだ。
マーサは言い切った。
「考えてくれた?」
「ああ…断るよ」
「なら帰って。もうあなたには頼まない。アイザックには伝えるわ」
彼女はデヴィッドに安楽死のサポートのみを求めたのである。
マーサに対するデヴィッドの安楽死の遂行は、息子ダンを安楽死させた忘れ得ぬ過去の記憶を掘り起こす。
マーサの切望は、リピートされるデヴィッドの黙考のコアにある「長期にわたる病」を否が応でも掘り起こし、常世(とこよ)の闇の世界にデヴィッドを掠(さら)っていくのだ。
一度は断った行為を遂に実践してしまうデヴィッド。
苦痛緩和のための鎮静剤を使用して、マーサが望む異界に彼女を旅立たせるに至った、献身的看護師デヴィッドを待つ風景の澱みの広がり。
この行為に踏み込んだことによって自死を決意したデヴィッドは、苦痛緩和とは無縁な手立てで、自らの「長期にわたる病」の時間を閉じていくのだ。
思うに、体力を鍛え、自らの心身をリセットしてきたランニングは自死の手立てとしての下拵(したごしら)えだったのか。
と言うより、マーサのような終末期患者と出会うために、自らに重罰を与えるトリガーを待ち望んでいたのではないか。
そこにこそ、常世の闇の世界に掠われていく男の〈生〉の在り処が読み取れるようだった。
死へのランニング |
そう思わせる衝撃的なラストだった。
車を見てから走り込んでいくラスト |
(2024年10月)
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