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2023年1月10日火曜日

愛がなんだ('18)  後引き仕草が負の記号になってしまう女子の、終わりが見えない純愛譚   今泉力哉

 



1  「私は、マモちゃんになりたいって思う…それが無理なら、マモちゃんのお母さんでも、お姉ちゃんでもいい。何なら従兄妹でもいいよ」

 

 

 

「山田さん、もし、もしだよ。まだ会社にいて、今から帰るところだったりしたら、何か買って届けてくれないかな。俺今日、なんも食ってなくて」

「今、まさに会社ですけど…しょうがないな。頼まれてやっか」

テルコ

 

会社ではなく帰宅したばかりの山田テルコは、熱を出してダウンしている田中マモルからの電話を受け、買い物をするや、嬉々としてマモルのアパートへ向かう。

 

テルコが作った味噌煮込みうどんに顔を顰(しか)めるマモルは、ゴミの片づけから風呂場の掃除までするテルコを「そろそろ帰ってくれるかな」と言って、強制的に追い出してしまう。 

マモル

頼まれもしないのに、ゴミの片づけまでするテルコ


【その人格を疑うような、強制帰宅の原因が味噌煮込みうどんであることは終盤に回収される】

 

「そう言えば、マモちゃんはいつの間にか、私のことをテルちゃんて呼ばなくなっている」(テルコのモノローグ)

 

所持金も少なく、夜中の2時に街を彷徨うテルコは、友達の葉子にタクシー代を払って貰い、家に転がり込むことにした。 


家の前には葉子の部屋に泊まっていたナカハラがテルコの到着を待ち、葉子の財布を渡して自分は帰って行く。

 

「そんな風に言いなりになっていると、関係性が決まっちゃよ。向こう、どんどんつけ上がるよ。悪いこと言わないから、やめときな。そんなオレさま男」 

葉子

葉子に忠告を受けても、聞く耳を持たないテルコ。

 

「どうしてだろう。私は未だに、田中守の恋人ではない…」(モノローグ)

 

友人の友人として参加する結婚式で、「パーティーで馴染めない同士のちょっとした親近感」で声をかけられ、互いに“テルちゃん”、“マモちゃん”と呼び合うことになった。 

二人の出会い

「金曜日はほぼ90%の確率で、マモちゃんから連絡が来る。この5か月で、マモちゃんの行動パターンはほぼ完璧に把握した」(モノローグ)

 

携帯ばかりを気にしているテルコは、上司に呼ばれて仕事のミスを注意される始末。 


「連絡が来たらいつでも対応できるよう、会社で時間を潰すのにも慣れた」(モノローグ)


 

その日は当てが外れ、残業しても連絡が入らないので、家に帰ってカップラーメンを食べ、シャワーで髪を洗っていると、携帯電話が鳴った。 


「実はまだ食事してないんだよね」

 

マモルの誘いで居酒屋に駆けつけるテルコ。

 

出版社に勤めるマモルは、「33歳になったらプロ野球選手になる」などといった荒唐無稽な話をする。 



朝まで飲んで、タクシーを拾い、マモルの自宅へ行って一緒に寝るという愉悦感に浸っている。

 

ブランチを食べ、午後もデートするテルコは笑みに包まれていた。 


「20台後半の恋愛なんて、“好きです”、“付き合って下さい”なんて言葉からじゃなく、こうやって何となく、だらだらと始まる方が多いのではないだろうか。それからほぼ毎日、マモちゃんから連絡がくるようになった。連絡がきたら、100%会いに行くようになったし、終電がなければ、当たり前に泊まった」(モノローグ) 



寝坊をして会社に行こうとするテルコを、マモルは動物園に誘う。

 

「俺やっぱ、33歳になって会社辞めたらゾウの飼育員になるわ。プロ野球選手より現実的じゃない?」

 

ゾウの檻の前でその言葉を耳にして、涙を流すテルコ。 


「33歳でゾウの飼育員になる、と言ったマモちゃんの33歳以降の未来には私も含まれているのだと、なぜかその時強く思って、そしたら、その未来は何もかもが完璧すぎて、自然と泣いてしまった、なんて言ったら、きっとマモちゃんはもっと笑っただろう。“意味分かんねぇ”とか言って」(モノローグ) 



会社をクビになったテルコは、荷物を片付けて帰るところ、同僚に声をかけられた。

 

「私は、どっちかになっちゃうんだよね。好きとどうでもいいのどっちか。だから、好きな人以外は、自然と全部どうでもよくなっちゃう」


「私、来月結婚するんです。でも、仕事も続けようと思ってて。別に結婚って、安定じゃないですからね。今の時代」

 

会話の要諦(ようてい)である。

 

分かりやすい関係観を繋ぐテルコの青春模様が、今やフルスロットル状態。

 

テルコは商店街で目に留まった2人用の土鍋を買い、マモルのアパートで食事の支度をし、汚れた衣類を洗濯し、引き出しに整頓して入れる。 

マモルの洗濯物を干す


マモルが風呂から出て冷蔵庫を開けて、「やっぱ多めにビール買っておきゃよかった」と呟く。

 

その言葉に反応して、すぐさま買いに行こうとするテルコ。

 

「別に買って来て欲しくて言ったわけじゃない」

 

そう言って引き留めた直後、マモルは引き出しを開けるや、整理された衣類を見て苛立ちが沸点に達する。 


それでも買いに行こうとするテルコは、マモルの冷めた眼差しに気づく。

 

「いつでも言ってくれいいんだよ。あれこれ頼んでくれると、やることあって逆に助かるの。遠慮とか気遣いとかしなくていいから。私に関しては」 


そう言って出て行ったテルコを見て溜息をつくマモルは、キッチンの土鍋が目に入り、力が抜けてしまう。

 

翌朝、テルコはマモルに朝早く起こされ、会議があって出勤するので一緒に出ないなら、先に帰るように言い渡される。

 

事実上、テルコはまたしても、マモルの家から追い出されたという顛末だった。 


買って来た土鍋と荷物を抱え、先に歩いて遠ざかっていくマモルの後姿を見つめるテルコ。 


彼女の「後引き仕草」は呆気なく弾かれてしまうのだ。


「この日を境に、マモちゃんから一切連絡が来なくなった。33歳以降のマモちゃんの未来どころか、あれからたった1か月ちょっとのマモちゃんの未来にも私はいなかった」(モノローグ)

 

年越しを一緒に過ごす予定で葉子の家を訪れると、葉子は急に仕事関係で呼ばれて出かけて行ってしまう。 


家には葉子の母とナカハラがいて、3人で年越しの酒を飲む。 

ナカハラ(左)と葉子の母(右)


母が部屋に戻り、ナカハラとテルコが言葉を交わす。

 

「夜中に酒なんか飲んでたりしてて、あ、俺なんか寂しいんだなって気づく瞬間っていうか、そういう時って何か無性に誰かにどうでもいい話、聞いて欲しくなりません?俺は、葉子さんがそういう時に、いつでも呼び出してもらえるような所にいたいんですよね…今日は、何だか他に誰もいねぇよって時に、ナカハラいんじゃんって思い出してもらえれば、それでいい」


「ナカハラ君、気持ち悪いね…私は、マモちゃんになりたいって思う…それが無理なら、マモちゃんのお母さんでも、お姉ちゃんでもいい。何なら、従兄妹でもいいよ」

「てか、俺よりキモいっす」

「何か、私たちストーカー同盟の反省会って感じ」

 

邪気なく、二人は笑い合う。 


除夜の鐘が鳴る。

 

「幸せになりたいっすね」

「そうっすね」

 

異性意識の希薄な二人の寂しさが募っていくようだった。

 

「マモちゃんから連絡が来ないまま、春になった」(モノローグ)

 

以前に利用していたボルタリングジムに、担当者と採用後の話を進めている最中にマモルから電話が入るや否や、矢庭に「やっぱ止めます」と言って走り去り、嬉しそうに電話に出るテルコ。 

葉子と通っていたボルタリングジム

「すみません。やっぱ止めます」



会いに行くと、マモルは予備校の事務をしているというすみれと一緒に座って待っていた。
 

すみれ


もうすぐ35歳というすみれは、飾り気なく自由に振舞う女性で、店を出た後、もう一軒別の友達と飲みに行くと言い、一人で去って行った。

 

「あの人、恋人?恋人を紹介する会だったのかな、ひょっとして。恋人できたから、もう電話してくんなって感じ?」

「そんな事、一言も言ってないじゃん。俺さ、山田さんのそういうところ、ちょっと苦手。そういう5周くらい先回りして、変に気を遣うとこって言うか。逆自意識過剰ってか」


「ごめん、ごめんってば」

「すみれさん見習いなよ。あのガサツ女、あいつ、全然気とか遣わないじゃん。俺もそっちの方が楽だよ」

 

そう言って、マモルはタクシーを止め、さっさと自宅に帰って行った。

 

一人、夜道をすみれの悪態をつきながら歩くテルコ。 



葉子がアパートに訪ねて来た。

 

「マモルの話聞いてると、うちの父親のこと思い出してイラつくんだよね。うちのお母さんて、昔で言う所謂(いわゆる)、お妾さんってやつだったのね。父親っていうか、子供の私からしたら、たまに家に来るオジサンなんだけどさ。そいつ、お母さんに自分の子供の運動会の写真とか平気で見せたりしててさ。死ねばいいのにって思ってた。だって、お母さんのこと、完全に舐めてんじゃん。見下してるから、そういうことができるでしょ?」 


話が続く。

 

「あんたの良いところはさ、どんなにどん底って時も、ちゃんとお腹減って、死にたいとか冗談でも言わないとこだよね」

「だって死んだら、マモちゃんに会えないじゃん」


「あんたってホント、不思議ちゃんっていうより不気味ちゃんだわ」
 


まもなく、テルコはスパで風呂場の掃除の仕事を始めた。 



しかし、今はマモルに会える時間を優先する仕事にしか就くつもりはない。

 

すみれから電話で誘われ、中目黒のクラブに向かったのは、そんな時だった。

 

マモルは誘われておらず、テルコは電話ですみれと一緒にいると伝え、呼び出す。

 

アバウトなすみれにゾッコンなマモルは、気を引こうとするが相手にされない。 



その場の空気で、マモルの友達の別荘に皆で行くことになり、テルコも誘われた。

 

その帰り、マモルはテルコの家に行き、セックスしようとするが不発に終わった。 


「煮詰まった関係が嫌なんだって」

「すみれさん?」

「分かる?そういうの」

「全然分かんない。マモちゃんがそういう人なんだと思ってたよ」

「俺ってさ。俺ってあんまり格好良くないじゃん。ずば抜けてオシャレとかでもないし、体型とかもなんか貧相だし。優しいかっつったらそうでもないしさ。金持ってるわけでもないし、仕事できるかって言われれば大したことないし。そりゃ自分でずばりダサいとは思いたくないけどさ。世の中の男を格好いいと格好悪いで2つに分けたらさ、俺、絶対格好悪いほうだと思うの…そういう男にさ、なんで山田さんは親切にするわけ?」

「親切?」

「今日とかだってそうじゃん。すみれさんとこに呼んでくれたりするし」

「それはさ、好きだからとか、そういう単純な理由なんじゃないの」

「ていうかさ、好きになるようなとこなんか、ないじゃんっていう話なんですけど」

「そうだよね。私もそう思う。好きになるようなとこなんてないはずなのにね。変だよね」

「はっきり言われると腹立つな」

 

二人は足をぶつけ合いじゃれる。

 

「好かれるような所なんてない人なんだからさ。きっと無理だよ、すみれさんなんて…だから、あたしでいいじゃん。すみれさんじゃなくて、あたしで」

「だな」

 

束の間のハネムーンだった。 


 

 

2  「何だそれ。何が愛だよ。愛が何だってんだよ。それってさ、自分で自分が怖くなったってことでしょ?」

 

 

 

河口湖の別荘でのバーベキュー当日。

 

「8人乗りのデリカをレンタルしたマモちゃん。しかし、実際に来たのは、中目仲間(なかめなかま)に“あれ、今日だったっけ?ごめん、無理”とぶっちされたすみれさん。イケメンの友達から別荘の鍵だけを譲り受け、自分は誰も呼ばなかったマモちゃん。本当はすみれさんと二人きりがいいんだろう。そして、どうせなら旅行を楽しもうと、夏・避暑地な恰好をして来た私。私が葉子ちゃんを誘いに行った時、たまたま居合わせて、強引に巻き込まれたナカハラ君、この4人だけだった」(モノローグ) 



4人はバーベキューを楽しみ、夜はすみれがナカハラと葉子との関係性を追求する。

 

「呼び出されたらその女のところへ行って、しかも急に帰れとか言われたりするんでしょ?むしろ彼女でもないのに、どんだけナカハラッチのこと振り回してんの、その女…おかしいよ」


「でも、葉子さん、ほんと優しいんですよ。俺みたいな奴にも声かけてくれて。俺はもうそれだけでいいって言うか…説明しても分かんないっすよ。あんたには…葉子さん、最低じゃないんで」

 

本音で迫っていたので険悪なムードとなり、突然すみれは、ナカハラのためにパスタを作ると言い出す。

 

そのパスタを食べるテルコ。

 

「田中のどこが好きなの?あたし、ああいうのダメなんだよね。色々気遣ってやってくれてるんだけど、結局は自分系って言うか。付き合うまではあんな感じなの。でも付き合ったら、結局、自分大好き」 


これも、すみれの本音言辞。

 

「旅行から帰った後も、度々すみれさんから連絡があった。その度に私はマモちゃんを呼んだ。マモちゃんからも頻繁にではないけど、連絡があった。私が呼び出された先には、必ずすみれさんがいた。でも、なぜか私はすみれさんのことが嫌いになれなかった」(モノローグ)

 

ナカハラから呼び出され、テルコがラーメン屋で話を聞く。

 

「俺、葉子さんを好きでいること止めようと思って。多分、もう2度と会うことはないっす。そしたら、テルコさんにも会うことなくなるのかなぁと思って。だから、最後にラーメンでもって」


「全然意味わかんない。どういうこと?好きでいるの止めるって」

「…葉子さんのこと、好きでいてごめんなさいって」

「全然意味わかんない」

 

外に出ても、会話を繋ぐ二人。

 

「あのとき、マモルさんが言ったんです。お互いがいいなら、それでいいんじゃないって。俺はいいと思ってるけど、葉子さんはいいと思ってるのかなって考えちゃったんです。しかも、すみれさんにあんな悪者みたいに言われて」


「すみれさんは関係ないじゃん」

「俺が葉子さんをダメにしてるんすよ。なんか、ふと思い出したんです。昔どっかで聞いた中国の王様の話。王様の無茶なお願いを逆らえない家臣たちが全部受け入れていくんです。そしたら、王様がどんどんエスカレートして行って、最後にはそれが残酷かどうかの区別がつかなくなっちゃんです。それって、今まで王様が残酷だと思ってたんですけど、でも実は王様を止めないで全部受け入れ続けた家臣たちの方がよっぽど残酷なんじゃないかと思って。つまり、何だかよく分かんないっすけど、愛ってなんだろうって思ったんです」


「何だそれ。何が愛だよ。愛が何だってんだよ。それってさ、自分がどこまでも葉子を受け入れちゃうんじゃないかって、自分で自分が怖くなったってことでしょ?」


「俺、分かったんです。無性に寂しくなるのは、俺とかテルコさんみたいな人間で、葉子さんはそうはならない人なんだって。だから葉子さんみたいな人に、俺ら寄ってちゃうんですよ」


「…ナカハラ君の言ってること、全部キレイごとだよ。手に入りそうもないから諦めたって、正直に言えばいいじゃんか!」


「そうっすね。俺じゃなくてもいい、誰でもいいっていうのが、正直もうツライんですよね。俺、ホントに好きなんっすよ。葉子さんのこと。もう、いいんす。結構、色々限界だったんで。諦めることくらい、自由に決めさせてくださいよ」
 


ナカハラはテルコに別れを告げ帰って行こうとする。

 

「バカだよ。ナカハラ君のバカ」

「幸せになりたいっすね」

「うるせぇ、バカ」

 

テルコは葉子の家を訪ね、ナカハラの件で難詰(なんきつ)する。

 

「最低だよ。葉子ちゃんがナカハラにしていること、葉子ちゃんのお父さんがお母さんにしてたことと同じじゃん」

「はあ?どこが?どこが父親と一緒なのよ。あいつなんかと一緒にしないでよ。だいたいテルちゃんに何が分かるわけ?」


「分かんないよ。分かんないけど、優しくないよ」

「あのさ。自分がマモちゃんと上手く行ってないからって、人に当たるの止めてくれる?そうやって自分のこと、ナカハラに投影してるだけじゃん」

「何それ?そんなことしてないよ」

「大切にして欲しいんでしょ。優しくして欲しいんでしょ。田中守にさ」

 

葉子はこれ以上話をするつもりもなく、去ろうとする。

 

「葉子ちゃんも寂しくなる時って、ある?」


「あるに決まってんじゃん。あたしのこと、何だと思ってんの!」
 



その後、テルコは体調を崩し寝ていると、マモルから電話が入り、すぐ家の前に来ていると言うのだ。

 

マモルはテルコにうどんを作り、訪問して伝えようとしたことを話す。 

【ここで、「味噌煮込みうどん」の話が回収される。「あんとき、臭いとかで余計、具合が悪くなっちゃんだよね」(マモル)】


「俺たち、もう会うの止めよう。別に俺たち、付き合っているわけじゃないから、こう言い方はアレだけど、なんか、変だって分かるよね。今の俺たちの関係って、変だよね?すみれさんと3人で遊んだりするのってさ…俺、マジですみれさんが好きなわけ。ガサツなとこも、口悪いとこも、何なら飲み過ぎちゃって、肌荒れしちゃってるとことかも。全部ひっくるめて好きなのよ」 


そこで、葉子から、すみれさんと会うためにマモルを好きな自分を誘うのは、イカレていると電話があったと話すテルコ。

 

「俺、山田さんみたいな人が傍にいると、無意識に甘えちゃうんだよね…だから、ちょっとしゃんとしよう、お互い。会うの止めよう」

「マモちゃんってさ、ひょっとしてすんごい自惚れ屋?そんなさ、私がいつまでもあなたのこと、好きでいるとか思ってんの?何か、凄いよね。それって…そんなの、とっくに冷めてるよ」

「超恥ずかしいんですけど。自惚れて言ったわけじゃないからね。葉子さんがそう言うから、そうなのかなって思って…え、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃん…でも、安心した…良かった。山田さんが俺のこと好きじゃなくて」

「え、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃん」


「良かった。山田さんが俺のこと好きじゃなくて」



「でしょ…もう恋人同士じゃあるまいし、もう会わないなんてバカなこと言わないで、もっと発展的なこと考えてよ」

 

マモルは笑い、テルコのうどんを一口もらう。

 

「マモちゃんは、手だけはキレイだ」

 

ナカハラは『一瞬の夢』という写真展を開いている。

 

ギャラリーに葉子が訪れ、枚丁寧に作品を鑑賞する。

 

自分が被写体となっている写真を鑑賞し、ナカハラと小さく笑みを交わしあう。 



テルコは相変わらず、マモルとすみれと3人で飲んでいると、マモルの友達のカンバヤシが来て合流する。 

カンバヤシ(左)


テルコはカンバヤシを2次会に誘い、マモルとすみれが二人きりになるようにセッティングする。

 

「私の抱えているマモちゃんへの執着の正体とは、一体何なのだろうか。これはもはや恋ではない。きっと愛でもない…けれど、そんなことはとっくにどうでもよくなっている」(モノローグ) 


二組のカップルは反対の方向へ歩き出し、テルコは振り返ってマモルの後姿を見つめる。 


「どうしてだろう。私は未だに田中守ではない」

 

テルコは、遂にゾウの飼育員になった。 


ラストである。

 

 

 

3  後引き仕草が負の記号になってしまう女子の、終わりが見えない純愛譚

 

 

 


この物語が見せる世界は、過度なまでにヒロインの「自我関与」(現象を自己との関係性の中で認識する)の生活圏のみ。

 

だから、殆ど全てのシーンでテルコが絡んでいる。 


これは、物語がテルコの感情ラインに特化しているから、極めて分かりやすかった。

 

結婚をゴールにすることなく、「好きとどうでもいいのどっちか」という異性観で関係を繋ぐ、「マモちゃん・絶対」で漂動する愛の航跡は分かりやす過ぎて、却って思料しにくいほど。 

「私は、どっちかになっちゃうんだよね。好きとどうでもいいのどっちか」


ほぼ断言し得るところだけは書いていく。

 

テルコの異性観がマッチングするのが困難なのは、「5周くらい先回りして、変に気を遣う逆自意識過剰」(マモル)とまで指摘される性格・行動傾向に起因する。

 

後述するが、この傾向は「援助感情」に起因するのではなく、「共存感情」と「独占感情」を相互に強化していくという感情ラインの十二分な自給力の熱量の産物である。

 

だから、その関係ワールドの生命線は異性対象の耐性能力に丸投げすることになる。

 

束縛する気が更々ないアバウトなすみれに好意を持ち、他者からの束縛を嫌うマモルとの関係継続力は脆弱で、季節を越えることがなかった。

 

着替えのために引き出しを開けて見るや、整理された衣類やキッチンの土鍋を見て、苛立ちが沸点に達したからである。 


自明の理だった。

 

その後、束の間のハネムーンがあっても、セックスしようとしても勃起しない現実を考えれば判然とするように、もう、性的感情を失っていることが明らかだった。 

「何でだろう」(勃起せず)「そんな魅力ないか、私」

異性として見ていないのだ。

 

我慢した分だけリスクを負ったマモルが、その呼称を「テルちゃん」から「山田さん」に切り替わる時間の短さは、失恋譚を繋いできたテルコの「約束されたゴール地点」だったと言う外にないのである。

 

「安心した。山田さんが俺のこと好きじゃなくて」などと児戯的な物言いをするマモルだが、本人はセルフ・カモフラージュ(自己を大きく見せる)が苦手で、洞察力も脆弱なマイペース人間であって、決してクズ男ではない。 


ともあれ、対象人格がクズ男であってもなくても、自己基準を押し付ける泣き処(どころ)を被覆(ひふく)するテルコの力量不足が、自らのサイズを切り詰めてしまっているのだ。

 

だから脇目も振らず、純愛一直線。 


「あんたってホント、不思議ちゃんっていうより不気味ちゃんだわ」(葉子)と呆れられる始末。

 

寅さんのような「引き際の美学」とは無縁であるばかりか、後引き仕草(あとひきしぐさ)が負の記号になってしまうテルコの純愛譚には、終わりが見えなかった。

 

マモルへの同化を意味するゾウの飼育員になってしまうオチには、「木を見て森を見ず」という含みを持つ「群盲評象」(ぐんもうひょうぞう)というアイロニーが張り付いているかも知れないが、これだけは言える。 

群盲評象/この寓話を元に彫られた壁絵(ウィキ)



物理的・心理的な、円転自在で傾斜の弱い距離感の保持。

 

ただ、それだけである。

 

マモルの傍にいたいだけなのだ。


傍にいることが無理なら、いっそのこと、マモルになってしまえばいい。

 

それが、「自分十分」に届く彼女の最適適応の方略なのだろう。

 

然るに、「どうしてだろう。私は未だに田中守ではない」と吐露する自己が、内側から炙り出されてしまうのだ。

 

この含意は、マモルへの同化戦略の限界への認知を示唆する。


同時にそれは、マモルに対するテルコのエゴバウンダリー(自他境界)が壊れていないという現実を内包するだろう。 


エゴバウンダリーが壊れていない限り、視界不良の時間が凍結されることはない。

 

だから、彼女は「大丈夫」なのだ。 



思うに、テルコのモノローグを聞く限り、成人になっても思春期を延長させている印象を拭えないが、だからと言って、病理と決めつけることには無理がある。

 

境界性パーソナリティ障害のスキームとも無縁。

 

「ストーカー同盟の反省会」を開き、「いつでも呼び出してもらえるような」存在を求めるという一点で、テルコの写し鏡になっているナカハラと、そこだけは切れて、ただ単に、そういう女子なのだと言う外にないのである。 

 

また、自分の父親を「そいつ」と悪罵し、「死ねばいい」などと言ってのける葉子に対するナカハラの尽きせぬ想い。 



その純愛道を断ち切る決断を表明し、遂行する男子に待っていたのは、断ち切った行動に打って出たことで手に入れる思いも寄らぬ報酬。 

ナカハラの個展(写真展)を鑑賞しに来た葉子


「幸せになりたいっすね」

 

この究極の様態に最近接した時、ナカハラの未来が理想形にアウフヘーベンされていくか否か、不透明だが、父に対する軽蔑の念からミサンドリー(男性嫌悪)という窮屈な生き方を強いられている葉子もまた、寂しくなったら、心の空洞を埋める行為に振れていく。

 

至極当然のこと。

 

「自我関与」する関係状況を相対化する役割を担うすみれを含め、皆、同工異曲(似たり寄ったり)の文化ゾーンで呼吸を繋いでいるのである。 



作り手に、概ね無傷で返してもらえた、ほぼ予定調和の作品だったが、会話劇のリアルな醍醐味が推進力と化していて、観ていて飽きることがない映画だった。

 

 

 

4  愛のある心の中の風景

 

 

 

紫の上を柴垣ごしに見つめる源氏(土佐光起筆『源氏物語画帖』「若紫」)/(ウィキ)



「愛」という語意が内包する様態は多様であり、且つ、微妙に絡み合っているのは、誰でも体験的理解に及ぶもの。

 

正確性を期す概念で括るのは難しいが、親愛・信頼・礼節・援助・依存・共存、等々。


このような人間相互の関係性のコアイメージの濃度の高さが担保されれば、限りなく、友愛・家族愛・隣人愛・人類愛という風にカテゴライズされるだろう。

 

ところが、「恋愛」という語意が内包するコアイメージには、「破壊力」という具象性が多分に纏(まと)わり付いているから厄介なのである。 

命を絶つことになったロミオとジュリエット(ウィキ)



なぜなら、こと恋愛となると、感情の出入(ではい)りが騒がし過ぎて、至福と心痛が併存し、懸念・煩慮・疲弊を胚胎させてしまうので面倒臭いこと頻りなのだ。

 

恋愛の中枢である「性的感情」が居座り、そこに「共存感情」・「独占感情」・「嫉妬感情」が重畳(ちょうじょう)的に絡み合っていること ―― これらが恋愛の破壊力に集合する感情である。 

           映画「ゲーテの恋 〜君に捧ぐ『若きウェルテルの悩み』」より




私は愛のコアイメージを「援助感情」と考えているので、以上の感情が塒(とぐろ〉を巻きながら「援助感情」にソフトランディングできれば一番いいが、それが軟着困難だから面倒臭いのだ。

 

「嫉妬感情」は独占感情が障害を受けたときの二次的感情なので、独占感情に固く張り付いている。

 

独占欲が小さければ、当然、嫉妬に煩悶することもなく、そこで生じる怒りの感情は自我のプライドラインが反応したものに過ぎないであろう。

 

また「共存感情」と「独占感情」が相互に強化していけば、その関係ワールドは、他のいかなる秩序へのアクセスを望む必要はないから、その感情ラインの一切が自給できてしまうのである。

 

感情ラインの自給によって、癒されるべき自我の問題は当面棚上げになるだろう。

 

だから、重苦しいテーマへの想像力は枯渇する。

 

孤独の問題と、様々な社会的テーマからの呪縛が解かれて、そこで消費されるはずのエネルギーの過半が、恋愛という甘美なるゲームに集中的に利用されることになる。

 

恋愛の関係速度が、二次関数的な上昇を記録するのは当然なのだ。

 

恋は常に疾風の如く駆け抜けるのである。

 

かくて、恋愛の破壊力が、恋愛という面倒臭い様態に誘(いざな)っていく。

 

恋愛は生まれやすく、且つ、壊れやすいのである。

 

大体、恋愛は愛の王道ではない。

 

邪道であるとは言わないが、少なくとも、それが「究極の愛」ではないことは確かである。

 

それは単に、愛の多様な要素が濃密に集合しただけである。

 

或いは、それがもたらす快楽の増強によって記憶の襞(ひだ)が深く抉(えぐ)られただけに過ぎないのだ。

 

それだけに過ぎないにも拘らず、私たちは恰も、そこに人類の至高なる世界の達成があるかのように妄想する。 

「キス」グスタフ・クリムト作(ウィキ)



恋人たちだけが、愛の検証にかくも性急になる根拠が、ここにある。

 

然るに、それが醸し出す甘美で芳醇な物語が、何か突き抜けるように特別な、他を寄せ付けない魅力に満ち溢れていることを、人々はいつも大袈裟に言い立てるのである。

 

独占的に援助するという恋愛の閉鎖性は、押し並べて排他的な方向でしか完結しにくいことを示すので、援助を深化させる契機を自給できなくなるのである。

 

相手の固体も人格も、更に援助をも独占しないと気が済まない、そんな過剰な恋愛が抱える排出経路の貧困は、それ自身のキャパシティを越える苛烈な事態にヒットされるとき、その構造的な脆さに足元を掬(すく)われるに違いないだろう。 

映画「嵐が丘」より





幻想の崩れは、いつでも呆気ない形でやって来る。

 

過激に立ち上げられた関係ほど、その崩れはだらしないに違いない。

 

愛を最後まで支え切る「援助感情」だけが、関係の中枢に、それを失いたくないものの根拠を自給する。

 

遂に深化を果たせなかった援助の貧困は、いずれ訪れるだろう感情の自然な鈍磨の中で、関係の生命力をじわじわと削り取っていくのである。

 

援助の貧困が、愛の貧困となるのだ。

 

ここで、私が最も表現したいことを約(つづ)めて言えば、こういうこと。

 

即ち、援助に向かう感情の強さは、それを乞う感情の弱さの中には入れないということである。

 

向かう感情は、乞う感情の、その強さの分だけしか入り込めないのだ。

 

愛の実感は、いつでも反応の微妙なクロスの中で刻まれるからである。

 

二つの感情の濃度の目立った落差はあまりに危ういのである。 

映画「浮雲」より




感情の濃度が均衡を保てなければ、溶融し切れない感情が沈殿してしまうのだ。

 

「援助感情」にはバランスが必要なのである。

 

関係に秩序を保証する。

 

愛には秩序が不可欠なのである。

 

バランスのとれた「援助感情」だけが、関係を支える愛情ラインを安定的にガードする。

 

あとは、「援助感情」 の絶対量の問題にかかっていると言っていい。

 

何を失っても、これだけは失いたくないと人々に思わせる何か。

 

それは、愛のある心の中の風景である。


【参照】

拙稿 心の風景「愛の深さ」より

 

(2023年1月) 













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