



1 天を衝く少女の叫びが、闇のスポットを劈いていた
スーパーで、20円が足りずに万引きした父・原田智(さとし)を迎えに走って店に来た中学生の娘・楓(かえで)。
原田智(中央)と楓(その左) |
場所は、大阪市西成区あいりん地区。
「うちの父、ちょっと抜けてるとこあるんです」
楓が店長に20円払い、何とか父を引き取ることができた。
父は外で万引きしたお握りとみそ汁を食べ、自宅に帰る際の会話。
「お父ちゃんな、今日、あいつ見たんや」
「誰?」
「名無しや…ニュースでやっとったやん。指名手配犯・山内照己。朝な、電車ん中で見かけたん」
「別人やで」
「マスク外してな。爪噛んどった。一瞬、顔が見えたんや。あれは、絶対ほんまもんや。東京からな、逃げて来とんねん。捕まえて警察付き出したら、300万やで」
「アホなこと考えんと、普通に働きぃよ」
朝起きると、父の姿がなかった。
学校でそばパンを食べていると、クラスメートの花山豊から告白されるが、タイミングが悪いと言うや、教室から出て行く楓。
豊を振って、教室から出て行く楓 |
その豊を伴い、楓は日雇い労働の斡旋所のあいりん労働福祉センターへ行き、スマホの画像を見せながら、父に仕事が入っているかを訊ねるが、教えてもらえない。
楓は工事現場の住所を写真で撮り、一緒について来た豊と共に、現場へ向かう。
そこで原田智を呼び出してもらうと、全く別人の若い男が立っていた。
「すみません。人違いでした」
その男は爪を噛んでいて、無反応だった。
楓は担任の蔵島みどりに父が帰って来ないことを相談し、警察に届けに行くが協力してもらえず、自分たちでチラシを作ることになった。
街頭で蔵島と豊と3人で父の顔写真のチラシを配っていると、突然、楓はしゃがみ込み、携帯を二人に見せると、「ゲームオーバー」だと言うや、チラシを投げ捨て踏み続け、二人に八つ当たりするのだ。
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楓と蔵島(右) |
携帯に届いたメッセージには「探さないで下さい。父は元気に暮らしています」と書かれていたからである。
チラシを剥(は)がしていると、指名手配中の山内照己(てるみ)に酷似する写真と特徴が書かれたチラシが目に付いた。
楓は爪を噛んでいたことも想起して、それが父の名を名乗っていた工事現場の男だと気づく。
楓は警察に懸賞金目当てに父が近づいたことを伝え、捜査を求めるが相手にされない。
かつて父が経営していたが家賃が払えず手放した卓球クラブに入り込み、パソコンでネット情報を調べると、「多摩8人殺害事件(名無し事件)」がヒットする。
犯人は、複数のアカウントを持ち、「SNSで被害者を誘い出し、廃墟に連れ込む」手口で、残忍な殺害を繰り返していたのだ。
楓は蔵島の家で食事をし、泊まることになるが、途中で起きて家に帰る。
翌日、再び工事現場で聞き込みし、原田と名乗る男が降りたという駅に行くが、見つからない。
楓は卓球クラブに向かい、父を思って嗚咽を漏らす。
そこで、鼾(いびき)が聞こえ、ドアを開けると、山内が寝ていた。
マジックハンドで山内のマスクを外し、気づかれる |
「お父ちゃん、どこや…原田智」
「あー」
「どこにおるんや!」
「それは、有料コンテンツやね」
そう言い放ち、山内は一目散に逃げて行く。
楓は走って追い駆け、途中で自転車を借りて追い詰めるが、逆に首を絞められたところに、近所のおばさんから声をかけられると、山内はフェンス越しに逃げる。
楓は山内の足を掴み、その拍子にズボンが脱げてしまうが、山内はそのまま走り去っていくのだ。
ズボンのポケットの中から、父の携帯が見つかり、果林島行きの切符も出てきた。
豊に見せると、警察に行こうと言われるが、楓は絶対に嫌だと拒絶する。
もう、警察を信用していないのである。
「ほんま、止めようや。殺されてまうで」
楓は彼女になることを条件に、豊を一緒に果林島行きに誘う。
島に着いても手掛かりはなったが、突然パトカーのサイレンの音がして、走って向かうと、民家で人が死んで運ばれるところだった。
果林島(かりんとう)/架空の島で、香川県高松市の男木島(おぎじま)がロケ地となった |
中にいる死体を父だと叫んで入ろうとする楓。
天を衝く少女の叫びが、闇のスポットを劈(つんざ)いていた。
2 「これは、殺人じゃありません。人助けです。慈悲の死なんですよ」
3か月前。
「僕が4歳の頃、父が家を建てました。車の中から、工事中のこれから建つ家を、ホームランバーを食べながら見てたんです。あの味」
「何ですか?それ」
「僕の最初の記憶です。さっき、ムクドリ(ハンドルネーム)さんが海を見たのが最初の記憶だって、話してくれたので」
ムクドリ |
「どうせ死ぬなら、もっとキレイな海が良かったな」
「わざわざ寄ったんだから、文句言わないでくださいよ」
「文句じゃなくて、意見でしょ。あなた、メールのやり取りと、実際会うのと違いますね」
「ま、そんなもんすよ。もう、いいですか」
山内は手を差し伸べ、ムクドリから携帯を受け取り、海に放り投げる。
アパートの一室で、ムクドリの首をベルトで絞めようとすると、警察が外にやって来て、声をかけられる。
声を潜めていたが、ムクドリがクーラーボックスを開けると遺体の一部があり、思わず悲鳴を上げてしまう。
警官が玄関のドアを開けるなり、山内は刃物で目を刺して逃亡する。
辿り着いた果林島で、空腹に苦しんでいると、老人から声をかけられ自宅に招かれる。
彼女がいないという山内に、老人がアダルトビデオを見せると、興味がないと言いつつ、縛られて甚振(いたぶ)られる女性が白い靴下を履いているのを見て性的興奮を覚え、快楽殺人の欲求が高まっていく。
老人を日本刀で殺害し、用意していた白い靴下を履かせてオナニーする山内。
遺体を切り刻んで処理し、老人の家に住みつき、ネットで自殺願望の情報を漁っていく。
その後、山内は神戸にやって来て、あいりん地区に入り込む。
自動車が猫を轢(ひ)き、それを運んで見詰める山内。
そこに原田智がやって来て、その姿を見詰める。
「付き合って3年、結婚して14年。妻は全てだった」(智のモノローグ/以下、モノローグ)
妻・公子(きみこ) |
13か月前のこと。
「筋萎縮性側索硬化症、ALS、ルー・ゲーリック病、随分と呼び名が多いその病気に罹ってから、妻は一切笑うことはありませんでした」(モノローグ)
智は妻・公子(きみこ)の体を支え、清拭(せいしき)をするなど介護する。
「死んだ方がましいや…寝てる間に、殺して…」
公子が言葉を、一語一語、絞り出していく。
「お前、そんな言うなよ」
「あんたらの、ために歩いて」
リハビリでPT(理学療法士)に支えられ歩行練習をする公子が、智の目の前で倒れて泣き崩れる。
その姿を見た智は堪らなくなり、廊下に出て踞(うずくま)って涙していると、声をかけてきたスタッフがいた。
「公子さん、辛そうですね…良かったら、お話聞きましょうか?」
その言葉を無視した智が家に帰ると、ちょうど公子が首に紐をかけ、ベッドから落ちたところだった。
暫くその様子を見た後、駆けつけたが、公子は死ねなかった。
死なせてやりたいという思いの深さで動かなかった智 |
“今すぐ死なせてもらえない苦しさを誰も分かってくれへん。常に身体的な不快感を抱えながら暮らしている身にもなってみい”
“まだ家族と話せる状態で死にたい。今、楽になりたい。人のまんま死にたい”
公子のSNSの投稿を読んだ智は嗚咽し、咄嗟(とっさ)に公子の首を思い切り締めていく。
しかし、最後まではできなかった。
その手を離し、公子を抱き締めるのだ。
日ならず、廊下で声をかけてきたスタッフの男・山内に相談する智。
「僕としては、あなたの方が心配ですね。そんなに思い悩まないでください…大事にしてくださいよ…ここに来る人たちって、二種類いるんですよ。一つは、心から生きたいと思ってる患者。もう一つは、周りが無理に生かそうとしているだけの患者です。後者は誰も幸せになれない。皆が沼に嵌ってるんですよ。長い長い時間と、大金をかけて。息を引き取って、初めて自由になれる。何の意味があるんですか。僕が解放してあげますよ」
そして、それが実行に移された。
車椅子に座った公子の首に紐をかけ、手にはピンポン玉を握らせ、公子を抱き締めて最期の別れを告げる。
「な、卓球一緒にやろうな」と繰り返し声をかけ、別れを告げる |
智は部屋を出て、山内は公子に笑いかけ、定番の靴下を取り出すのだ。
ピンポン玉が転がるのを見て、公子が死んだことが判然とする。
「あ…り…が…」(公子)/最期に残した言葉だが、「ありがとう」とも聞こえる |
戻って来た山内は智に終了したことを告げた。
「20万円いただきます。まさか、ただでここまでやると思ってたんですか?いや、明らかに有料コンテンツですよ、これ」
「あんた…今度…」
言葉を繋げず、金を払えない智は、免許書を要求され、手渡すに至る。
死んだ公子の足には白い靴下が履かされていた。
葬式を済ませた智は、今日が仕事の最後で、東京へ行くという山内に金を払う。
葬儀を終え、帰宅する父娘 |
「またやりませんか?世の中には、死にたがってる人がたくさんいます。そう思っていても、口に出せないような人たちがいるんです。そういう人は救済してあげないと」
「あんた、何言うてんの?人、殺せっちゅうか。アホらし」
「違います。救うんです。原田さんの奥さんみたいに」
「公子は関係ないやろ」
「…奥さん、最期、笑ってましたよ…だから、罪の意識を感じて欲しくないです」
山内は、「一緒にやりましょうよ」と智の手を取るのだ。
「これは、殺人じゃありません。人助けです。慈悲の死なんですよ」
智は、「知るか、そんなもん」と手を振り切り、離れていく。
「原田さんは、ネットで探すだけでいいんです」
「あんた、独りでやったらいいやんか」
なおも執拗に智の手を掴み、受け取った金を返し、公子が望んでいた卓球の再開を促し、結局、金が必要な智は、山内の口車に乗ってしまうのだ。
【筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、全身の筋肉が徐々に衰えていき、最終的に動かせなくなる指定難病で、根本的な治療法がない。日本の患者数は約1万人とされ、大半が中年以降に発症する。筋力低下が主な症状だが、筋肉の病気ではなく、筋肉を動かす脳や脊髄の神経がダメージを受けることで発症し、発症から2~5年で死に至る疾病である】
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筋萎縮性側索硬化症(ALS) |
3 人間が抱える闇を溶かしていく、父と娘の物語
「山内の言っていたことは、間違っていなかった。世の中には、様々な事情で死にたいと思っている人間がいる」(モノローグ)
智に複数のアカウントを作らせ、コメントが入ったら返事の書き方を山内が教えていく。
「ターゲットを探して、待ち合わせ場所まで誘い込む。山内は待ち合わせ場所に行って実行。その後の始末も山内に任せた」(モノローグ)
山内から報酬を隠した菓子箱が送られてきたが、金額が少ないので、山内に連絡をした。
逃げる女性を追いながら、ターゲットが若くて相応の金を持っていなかったと釈明する山内。
「たった今、にゃあこさんだって、安らかに逝かれましたよ…金だけが目的じゃないでしょ」
そう言い放つのみ。
一方、智は工事現場の事務所で山内が全国指名手配されたというニュースを見て、手に持っていたカップを落としてしまう。
「昨夜、東京都多摩市にある廃アパートで、クーラーボックスに入った8人の遺体が発見されました。警視庁は連続死体遺棄殺人事件として、山内照己容疑者を殺人、死体遺棄…」
本性を剥き出しにする男が智の中枢を突き抜いた瞬間だった。
「追い詰められた私は、ある計画を思いつきました」(モノローグ)
工事現場で再会した智は、山内にムクドリが一か月前に投身自殺したという雑誌記事を見せる。
ムクドリは自殺に失敗し、両足骨折で車椅子生活になり、連続殺人の生存者として雑誌の取材を受けていたのである。
まもなく、智は半身不随のムクドリが死にたがっていて、その報酬は300万円と言い、警察の罠だと信じない山内を、自分が東京へ行って確かめると言って必死の形相で説得するのだ。
智は工事現場で着用する服と、原田智と書かれた労働支援センターの利用者カードを山内に渡す。
「もし僕が、連れて帰って来れへんかっても、稼いだ金で逃げれるところまで逃げてください。それと、携帯も。何かあったら、公衆電話から連絡しますので」
「あんた、こんなよくしゃべるキャラだったっけ?何か、練習してたこと、一気にしゃべったって感じするけど」
「いやいやいや、何を言うてるんですか!必死なんですって。山内さん捕まったら、僕も終わりやへんか」
そう言い放った直後、目を背(そむ)けるほどの画(え)が映像提示される。
「信じてもらうためのせめてもの誠意です」と言うや、突然、智は小指を噛み千切ろうとするパフォーマンスを見せるのだ。
覚悟を括った勝負に打って出たのである。
山内は「分かった」と反応し、笑いながらそれを止める。
智はムクドリに会い、独りであることを山内に報告する。
「原田さん、あんたに頼んで良かった。本当はね、ヤバくなったら、全部あんたのせいにしようと思ってたんすよ。だから誘った。けどもう、今捕まったら確実に死刑だね。ログアウト」
「何とか、絶対に逃がしますんで。だから…」
「大丈夫。あんたのことは警察に言わないから。感謝してますよ」
冗談とも本気ともつかない言辞で返す山内。
まもなく、ムクドリを神戸に連れて来てホテルに滞在させていた。
一方、楓に追い詰められた山内は、果林島で実行することを智に指示する。
この辺りから、物語の時系列が重なり合っていく。
山内とムクドリと智は、果林島の殺した老人が住んでいた家に到着した。
山内は約束の300万円を受け取り、実行に移す。
見張りを言い渡され、智は外に出た。
ムクドリは山内に「ありがとう」と一言。
「初めて会った。本当に死にたい奴なんて、今まで一人もいなかったよ」
「私は本当です。あなたは、間違っていないと思いますよ。私はいらない人間だから」
「違う。人間がいらないんです」
ここに及んで。シリアルキラーの本性が露呈されるのだ。
【「本当に死にたい奴なんて、今まで一人もいなかったよ」という山内の物言いから、「逃げる力があれば、まだ生きていける」というメッセージが読み取れる。この場合、智の代行で遂行された公子の殺害が含まれているか否かは判然としない】
そう言い切った山内は、ベルトで力の限りムクドリの首を絞め、死に至らしめる。
いつものように、白い靴下を履かせるが、骨折したギブスが太かったため、性的興奮を覚えず、「ダメだ」と愚痴る男。
「ダメだ」 |
智が部屋に戻って来て、誰かが来たと山内にナイフを渡す。
山内が窓の外を見て、誰もいないと振り返った瞬間だった。
智は隠し込んだハンマーで山内を撲殺(ぼくさつ)する。
執拗にハンマーを振り回す智。
その後、自らの腹部をナイフで刺し、警察に通報するのだ。
「刺されてもうて。包丁で…住所、分からへん。すぐ来てください!」
電話を切った直後、死に切れなかったムクドリが、智の元に這って来た。
ムクドリを見て、恐怖に慄く |
「締めて」
その顔が公子に重なり、智は言われた通り、ベルトで首を絞め殺す。
そこに、警察がやって来て、楓が中に入ろうとして止められるのだ。
「お父ちゃん!」
娘の叫びが劈(つんざ)いた。
ここで、時系列が一致する。
制止を振り切り、横たわる智に抱き着く楓。
その後の展開は早い。
入院中に警察の尋問を受ける智。
智は妻の死後に鬱病に罹患し、正規雇用されなくなり、懸賞金狙いで家を出て、山内に接近して逆に捕まり、財布や携帯や仕事着を取られ、女の子を連れて来るように命令されたと供述する。
刑事の一人は、金目当ての自作自演の疑いを主張するが、もう一人は状況から嘘はないと返す。
一方、智はムクドリから得た300万円を隠した場所へ行き、金を確かめると、札束の殆どが白紙の紙だった。
ただし、その金額が6万3000円だったことから、金目当てではないと納得する二人の刑事。
かくて懸賞金が支払われ、連続殺人の協力者として感謝状をもらい、智は卓球クラブを再開させた。
【智はベルトでムクドリの首を絞めたのに、なぜ智の指紋が採取できなかったのか疑問が残っていたが、よくよく考えてみたら、そのベルトには山内の指紋がべったり張り付いていて、しかもベルトが編み目の粗い布だったので、指紋採取が不可能だったということだろう】
楓と豊と3人が、客のいない卓球場にいる。
その後、智はレジを掃除して手を入れると、山内から指示されたアカウントのメモが見つかった。
智はそのアカウントにメールをすると、エラーが出てきたが、次のアカウントにはメッセージが入っていた。
“楽で確実な方法教えて頂けませんか”
楓は引き出しからスマホを出し、“自殺をお考えですか?”とのメッセージに、“はい”と返信する。
“一緒に死にますか?”
あろうことか、父・智のメッセージが届いたのだ。
翌日、智は編み目のないベルトを買い、「ターゲット」との待ち合わせ場所に行くが相手は現れず、その様子を楓が見届けていた。
そして、切れ味抜群の長回しのラストシーン。
智と楓の長い卓球のラリーが始まる。
「なんも、買ってこなかったん?」
「欲しいもん、なかったんや」
「何が欲しかったん?」
「なんやろな。忘れてもた」
「忘れたらあかんで…私のことも、お母ちゃんのことも全部」
父娘の運命を分ける決定的な言辞が娘から放たれるが、父にはその意味を読み切れない。
ここで、パトカーのサイレンの音が遠くから聞こえてくる。
「迎えに来たで。さよならや…」
「何でやねん…楓、さっきの待ち合わせ、お前か」
「そや」
ここで卓球は終了し、カットが途切れてしまう。
「お父ちゃんが何者か知ってる。何したんかも、分かってる…やっと見つけた」
嗚咽を漏らしながら辛そうに話す楓を、無言で見つめる智の表情は硬直し、涙が滲む。
楓が涙に濡れた顔で、父娘の挨拶の記号である口チュパチュパの仕草をして笑わせるのだ。
智は笑みを浮かべつつも、堪(こら)え切れずに表情を崩してしまう。
「うちの、勝ちやな」
「何の勝負やねん」
再び、エアピンポンを無言で続ける父娘。
全ての伏線が回収され、覚悟を括って塀の中に入っていく男と、クレバーで勇敢なるスーパー少女の新たな時間が拓かれていくのである。
この映画は、人間が抱える闇を溶かしていく、父と娘の物語だったのだ。
4 生まれ変わった父を信じる力が、少女の底力の推進力と化していく
私たちの〈生〉が、死と最近接する冥闇(めいあん)なる世界と地続きになっているにも拘らず、その現実に対して無頓着になったり、思考停止を決め込み、やり過ごしたりすることで、通常、私たちは日常性を繋いでいる。
これは、適応戦略として間違っていない。
なぜなら、そのことで「反復」⇒「継続」⇒「馴致」⇒「安定」という日常性のサイクルが保持できるからである。
だから、ウクライナで起こっている目を覆わんばかりの光景が現在進行形の事態であっても、リアルから離れて逃亡したいなら、その類の情報にアクセスしなければいいだけのことと言う外にない。
「好奇心は猫を殺す」という諺(ことわざ)もある。
ところが、私たちの〈生〉が、自己解決能力が及ばないほどの〈状況〉に捕捉されてしまえば、有無を言わさず、冥闇なる世界の懐に搦(から)め捕られて、いつしかクローズドサークル(出口なし)からの脱出が困難になっていくだろう。
まさに、「座間9人殺害事件」、「相模原障害者施設殺傷事件」などをベースにしたであろう本篇で描かれた世界の冥闇さがそれである。
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座間9人殺害事件/白石隆浩死刑囚は9人の女性を殺害・解体した殺人犯 |
全ては、安楽死を切望する妻に対する男の暗澹(あんたん)たる混迷から開かれた。
「これは、殺人じゃありません。人助けです。慈悲の死なんですよ」
快楽殺人者・山内の言葉である。
当然ながら離れていくが、リハビリの余地のない難病を患う妻の自殺未遂を目撃してしまったことで、男を囲繞する風景が一気に変色していく。
煩悶する智 |
妻の安楽死を依頼し、笑みを浮かべて、それを遂行する山内。
そして映像提示されなかったが、いつものように、女性用の白いソックスを履かせ、オナニーに耽るのだ。
オナニーに耽る山内 |
性的倒錯である。
白いソックスを履く人間(農家の老人のように男性でもいい)の死に性的興奮を覚え、オナニーに耽る快楽殺人者の一回完結の世界の闇が、ここにある。
観る者の肝を冷やすのは、山内のクーラーボックス。
それは、この男の手に掛かった自殺願望者の遺体の損壊の収納ボックスだった。
殺害の実行を「有料コンテンツ」として処理する男の闇の深さは、計り知れなかった。
然るに、この魔境に最近接してしまった原田智の中枢が侵蝕(しんしょく)され、冥妄(めいもう)の森で漂動し、歯車が狂い始めていく。
ネットでターゲットを探して、待ち合わせ場所まで誘い込んだ後は、山内が実行するのみ。
後始末も「業務委託」できるのだ。
山内の共犯者にまで堕ちていく男が虚空に宙吊りにされている。
その報酬の鮮少(せんしょう)さにクレームをつける時、もう、一回完結の世界で動く快楽殺人者の魔境に否応なく吸収されていく。
「いやぁ、届いたんですけど、言(ゆ)うてた額ってこれだけでしたっけ」 |
時を待たずに、風景が一転する。
シリアルキラーとして全国指名手配される山内の裸形の相貌を認知して、封印していた智の闇が炙り出されていくのだ。
かくて、未遂にまで振れて懇望していた妻の安楽死が、山内の快楽殺人の人身御供(ひとみごくう)にされた現実に晒され、智の復讐劇が開かれていく。
気強い娘・楓に別れを告げ、あいりん地区に身を隠す山内に会いに行き、そこで、300万円という旨味のあるターゲットを「有料コンテンツ」として提供する。
両足骨折で車椅子生活になったムクドリである。
覚悟を括った智の勝負に乗った山内が難なく実行した後、「性的精神病質」とも呼ぶべき男を撲殺するに至る。
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クラフト・エービング(ウィキ) |
【性的精神病質/19世紀に、ドイツの精神医学者・クラフト・エービングによって提示された異常性欲者に関する幅広い概念】
かくて、ハンマーで訓練するファーストシーンが回収されたのである。
ファーストシーン |
復讐劇が完結したのだ。
しかし、膨れ上がった憎悪を束ねたこの復讐劇は歪んでいる。
金銭目的のファクターが入り込んでいるからだ。
この歪みは、予想だにしない心の闇を炙り出すことになる。
膨れ上がった憎悪が推進力と化した殺害行為の遂行。
初めて踏み込んでしまった行為を容易に遂行し得たことで、男の中枢深く、厳として保持されていた不文律のハードルが低くなってしまった。
この行為が、絶命していなかったムクドリの絞殺を手掛ける事態を生んだからである。
妻・公子を手ずから実行できなかった悔いが、ムクドリの絞殺によって代行された時、何かが剝落(はくらく)したのだ。
一線を画していたはずの山内の闇に最近接してしまうのだ。
不文律のハードルが剝落したことで、男が抱え込んでいた心の闇が可視化されたのである。
それは、念願の大金を手に入れたことと、ほぼ同義の価値を有するのだ。
妻・公子が懇望した「人助け」=「慈悲の死」と読み替える観念を手に入れたのである。
ムクドリが懇望した自殺願望者の思いに通じる「人助け」=「慈悲の死」。
男に求めたムクドリの絞殺の悲願の具現化によって生まれた観念が、男の中枢で膨張していくのである。
魔境への侵入が男を蝕(むしば)んでいく。
これが、ラストシーンで炙り出されてしまうのだ。
父を探す楓の爆走から開かれた異形の風景。
救い難いほどに変容した父の相貌。
長回しのラストシーンの凄みに凝縮される異形の風景が炙り出したのは、変わり果てた父をさがし出してしまった少女の苦衷なる裁きの可視化だった。
「さよならや…」と吐露する少女の苦衷なる表現のコアにあるのは、父に対して、真心込めた贖罪を求める裁きなのだ。
父の存在ではなく、救い難いほどに変容した父を「さがす」物語の重さ。
この重さは、我が父の救済が抱え込む重さだった。
だから、真心を込めて対峙することになる。
娘の真心が届いた時、父の中枢が根柢から変容していく。
裁きを受けることで初めて完結する父の愚行を贖罪させること。
贖罪させて、生まれ変わった父との再会を果たすのである。
生まれ変わった父を信じる力が、少女の行為の推進力と化したのだ。
人間が抱える闇を見事な構成と演出で描き切った、剛腕なる作り手による、「スーパー少女」によるフルスペックのヒューマンミステリーが、ここに閉じていく。
―― 凄い映画。凄い構築力。
完全にお手上げだった長回しのラストシーン。
凄い俳優陣。
主要登場人物3人の全てがいい。
特に父を演じた佐藤二朗。
近年では、NHKの「ひきこもり先生」、「鎌倉殿の13人」が強烈な印象を残しているが、映画では、強面の「宮本から君へ」と、コメディリリーフの「BLANK13」が素晴らしかった。
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「ひきこもり先生」より |
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比企能員(ひき よしかず)を演じた佐藤二朗/「鎌倉殿の13人」より |
「宮本から君へ」より |
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「BLANK13」より |
そして、目を見張ったのは、楓を演じた伊東蒼。
気弱な役を演じた「空白」から一転して、少女の強さが際立つ物語でのこの力技。
父に携帯を捨てられ、何も言えない少女を演じた伊東蒼(あおい)/「空白」より |
そのエピソードの一つが痛烈だった。
父を探す時間を共有した担任教師・蔵島が、聖マリアンヌ子供寮のシスターを連れて来て、しばらく楓を預かってくれると紹介するエピソードである。
シスターが楓に語りかける。
「私は今まで、あなたみたいな子をたくさん見てきてるの。なので、はっきり言わせていただくわね。お父様は帰って来ません。しっかりと現実を受け止めて、前を見て過ごして行きましょう…」
この言辞を受け、楓はシスターの顔に唾を吐きかけるのだ。
偽善を誹議(ひぎ)する少女の腕力は、大人社会の「善意」という欺瞞を撃ち抜くのである。
驚きを隠せなかった。
そして、快楽殺人犯を演じ切った清水尋也。
言うことなし。

映画作家の譲れない手法にエンタメが入り込んできて、圧巻の一作に結実した感が強い映画だった。
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インタビューに応じた佐藤二朗、片山慎三監督 |
(2022年11月)
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