<どうしても、そこだけは変わらない、「私の時間」が累加した「情感濃度」を、観る者に深く鏤刻する>
1 「幼馴染」を失い、痛惜の念に震えていた
1999年、中華圏で最も重要な祝祭日で、旧暦の旧正月に行われる中国春節。
「雲崗石窟」(うんこうせっくつ)で有名な山西省(大同市)に位置する汾陽(フェンヤン)の街。
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山西省(さんせいしょう/ウィキ) |
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雲崗石窟(ウィキ) |
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太符観(道教の寺)/汾陽市の名所(ウィキ) |
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汾陽文峰塔・ 高さ84.9メートルのレンガ塔/汾陽市の名所 |
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太原食品街/汾陽は太原市(たいげんし/山西省の省都)に隣接し、自動車道路が発達し、付近は農産物が豊富(ウィキ) |
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汾陽の雑踏 |
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中央がタオ、その右がジンシェン |
色彩豊かで、煌(きら)びやかなスポットで踊る、若者たちの青春が弾(はじ)けていた。
小学校教師のタオは、そんなお祭りムードの時間に溶け込み、二人の幼馴染(おさななじみ)と団欒(だんらん)していた。
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タオとリャンズー |
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左からタオ、ジンシェン、リャンズー |
炭鉱労働者リャンズーと、実業家ジンシェンである。
「俺には怖いものがない」
ジンシェンの自信過剰の言葉は、タオにのみ放たれる。
そのタオに、真っ赤な新車を見せびらかせ、「香港に行きたい」というリャンズーに対し、「俺はアメリカに連れて行く」と豪語した。
春節の花火が天に向かって打ち上がっていく風景の中、新車を走らせて、3人のドライブが時を駆けていく。
自ら慣れない運転をして、燥(はしゃ)ぐタオだが、この関係の居心地の悪さだけが、観る者に印象づけられる。
三角関係の居心地の悪さに、ジンシェンは、もう、耐えられなかった。
実業家という「ステータス」を全面に押し出し、リャンズーに冷たく言い放つジンシェン。
「俺はタオが好きだ。諦めてくれ。もう、俺たちの友情は終わった。俺の炭鉱から出ていけ」
「心配するな。お前に頼るなら、死んだ方がマシだ」
誇りを傷つけられ、そう言い切って、炭鉱を去るリャンズー。
そのリャンズーは、今、電気店を営む実家にタオが立ち寄って、寛(くつろ)いでいた。
傲慢なジンシェンが感情を害し、怒りを噴き上げたのは、あってはならない、この風景を見せつけられたからである。
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タオに告白するジンシェン |
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タオとリャンズー |
リャンズーにも、タオへの想いが諦念(ていねん)できない。
既に、ジンシェンとの結婚を決めていたタオに、リャンズーが問う。
「心を決めたのか」とリャンズー。
「私たちは友だちよ。分って」とタオ。
自らの感情を抑制できずに、嫌味を放つジンシェンを殴ってしまうリャンズー。
ジンシェンに対する積もる怒りが、憤怒として噴き上がってしまったのだ。
窮屈(きゅうくつ)な三角関係に縛られ、心労が絶えないタオには、将来性のないリャンズーとの結婚は考えられなかった。
深く傷ついたリャンズーは、そのまま街を去っていく。
あろうことか、タオは自分の結婚式に招待するために、そのリャンズーを訪ねていくのだ。
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リャンズーの居所を聞くタオ |
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リャンズーに結婚式の招待状を手渡すタオ |
どこまでも、タオにとって、リャンズーは「幼馴染」であって、配偶者となり得る対象人格ではなかった。
それでも、リャンズーの想いを理解できているが故に、タオは懊悩(おうのう)を深めてしまうのである。
リャンズーに結婚の招待状を渡すという行為の目的は、無論、リャンズーを苦しめることではない。
自分を諦めて欲しいというメッセージでもない。
ただ、夫になるジンシェンを殴って、街を去ったリャンズーとの関係をフリーズさせたくなかったのだ。
結婚に至らなくとも、「友情」を壊したくない。
その思いが、タオを動かした。
要するに、タオは子供だったのである。
だから、この一件で、リャンズーは自宅の鍵を捨てて、完全にタオと決別する。
タオの表情に、一人の大切な「幼馴染」を失ったという悲しみの涙が滲(にじ)んでいた。
痛惜(つうせき)の念に震えているのだ。
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自宅の鍵を捨てて、リャンズーはタオと決別する |
まもなく、ジンシェンと結ばれたタオに子供が生まれた。
名前はチャン・ダオラー。
「米ドル」に因んで、名付けた赤子の名である。
「パパが米ドルを稼いでやるぞ」
相も変らぬジンシェンの「Go West」の野心が、画面一杯に踊っていた。
2 母と子の、想いを込めた出会いが、時間の向こうに運ばれていく
2014年。
リャンズーは家庭を持ち、出稼ぎ労働者として、地下の鉱山で、炭鉱の仕事に従事していた。
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炭鉱労働で、肺を病んでしまうリャンズー |
その炭鉱労働で身体を壊し、妻子を連れ、汾陽(フェンヤン)の家に戻って来た。
心配する妻から入院を求められ、知人からの借金を促されるが、リャンズーは拒絶する。
タオとの別離の苦い経緯(いきさつ)があるから、踏み切れないのだ。
しかし、居ても立っても居られない妻は、思い切って、タオを訪ねた。
夫の命に関わる重大事に気分が滅入り、沈痛な思いを抱え込むことに消耗し切っていたのである。
既に、ジンシェンと離婚していて、タオは今、独り身で汾陽に暮らしていた。
そのタオが今、肺を患(わずら)って、病で臥(ふ)せっているリャンズーを訪ね、15年ぶりの再会を果たす。
「君の子供は?」とリャンズー。
「ジンシェンと住んでる。上海の国際小学校よ」とタオ。
「君とじゃないのか」
「彼が親権を…上海の方が生活環境もいいし…」
そう言った後、リャンズーの妻から事情を聞いていたタオは、治療費を手渡す。
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リャンズーを救済しようとするタオ |
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使用されずに残っていた招待状を手に持ち、帰路に就くタオの心境は複雑だった |
リャンズーとの短い再会に心を残していたタオは、今、40歳を迎え、独り身を案じる父から再婚話を持ちかけられていた。
父と娘の強い絆が、一時(いっとき)、我が子を失ったタオの気持ちを和らげていたが、その父が急逝してしまう。
一気に押し寄せてくる喪失感。
魂が抜けるようだった。
抜け殻になった魂を浄化すべき何ものもなく、タオは号泣し、求めても得られない、寄る辺なき関係状況の時間の海に沈潜する。
「父さんが昨日亡くなりました。ダオラーを汾陽に帰してください」
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父の葬儀にやって来たダオラーを迎えるために、飛行機を見つめるタオ |
今や、タオの喪失感を埋めるのは、難産の中、産んだ一人息子ダオラーとの再会以外になかった。
まもなく、ダオラーとの出会いを果たすタオ。
7歳だった。
しかし、物理的距離の乖離(かいり)は埋め難かい。
我が子・ダオラーとの間に流れる空気に、タオは違和感を覚える。
「なぜ、口を利かないの?“母さん”と言って」
「マミー」
「マミー?誰が教えたの?“母さん”と言いなさい」
「母さん」
「女の子じゃないんだから」
ダオラーの首に巻かれたスカーフを剥(は)ぎ取り、苛立つ母タオ。
そのダオラーを、父の葬儀に随行させた。
中国式の伝統的な葬儀の風景と馴染まないダオラーを、強引に跪(ひざまず)かせる母タオ。
「ピーター」と名乗る父親の影響で、すっかり、欧米文化に馴致(じゅんち)した我が子との心理的距離の大きさを埋めるべき術(すべ)がなかった。
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父の葬儀後の帰路のシーン |
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手作りの麦穂餃子を食べさせるタオ |
「やっぱり、父さんと暮らした方がいい。国際学校に行って、外国にも行ける。母さんは役立たず」
ジンシェンと共に、オーストラリアのメルボルンで、新しい生活を始めると言うダオラーとの共存の難しさを、タオは感受せざるを得なかったのである。
「一生、一緒にはいられない。いずれ別れるのよ」(タオのモノローグ)
そして、別れの日。
「いつ帰って来てもいいのよ」
ダオラーに、汾陽の実家の合鍵を渡す。
それだけだった。
もの言わぬ映像は、母と子の、想いを込めた出会いが「永遠の別れ」になるイメージを乗せて、時間の向こうに運ばれていった。
3 青春期のシンボルのメロディを心中で再生しながら、軽やかに舞っていた
2025年。
移住先のメルボルン。
束の間の母との出会いを、深く記憶に留めないほどに、ダオラーは「異国」の地で呼吸を繋いでいた。
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ダオラー |
青春期に踏み込んだダオラーには、中国移民の友人たちと交流するが、中国語が話せないダオラーの自我が拠って立つアイデンティティを手に入れられず、孤独を深めていく。
「中国語を勉強しろ」
父・ジンシェンの言葉。
「ピーター」と名乗っていても、「中国人」というルーツを有するジンシェンと、「中国人」というルーツを自覚できないダオラーとの確執は、人間の根源的関係性の齟齬(そご)を生み、その不協和音は高まるばかりだった。
英語をまともに話せない父・ジンシェンと、中国語を話せない息子・ダオラーの関係の異様さは、日常会話を常態化できない現実にある。
だから、大学を辞めて「自由に生きたい」という思いを、父に伝えるだけでも困難を極めるのだ。
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「中国人」というルーツを有するジンシェン |
その仲立ちを引き受けたのは、中国語教師ミアだった。
香港からオーストラリアに移住してきた彼女は、既に夫と離婚していて、その後の財産分与などのトラブルで揉(も)めている只中にある。
そんなミアを通して、母のいないダオラーの心の空洞が埋められていく。
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中国語教師ミアとダオラー |
そのミアの「通訳」を介して、大学を辞める意思を伝えて来た息子に激怒するジンシェン
もう、この父子には心を通わす何ものもない。
拳銃蒐集を趣味にする父に対し、「自由に生きたい」と言い切ったダオラーの内面に変化が生まれていく。
父との確執によって、母の「非在」を意識するようになる。
その変化を生んだのはミアだった。
どこまでも、中国をルーツにする彼女との関係の中で、実の母・タオとの記憶が朧(おぼろ)げに浮かんでくるのだ。
母との別れの日に、母から受取った合鍵を、いつも首に巻いているダオラー。
「僕の母さん。母さんがくれた。僕の家の鍵だ」
「どんな人なの?」
「ずっと会ってない。7歳の頃から」
「まだ、元気なの?」
「たぶんね…名前はタオ」
嗚咽の中から洩れる口跡(こうせき)に、言いようのない哀しみが胚胎(はいたい)している。
そこに、自らのルーツを巡ってマインドワンダリング(思考彷徨)する青春の疼(うず)きが漂動し、行方を弄(まさぐ)っている。
ダオラーの内面で、「情感濃度」が亢進(こうしん)しているのだ。
母親の記憶を辿り始めるダオラーのノスタルジー。
それは、自我のルーツを探る根源的な彷徨である。
だから、一過的なノスタルジーで自己完結できないのだ。
「会いに行きなさい。簡単でしょ」
このミアの言葉に、「あなたもそうでしょ」と反応するダオラー。
ミアもまた、同様の悩みを抱えていた。
実母と別れた時の寂寞感(せきりょうかん)が立ち上って来て、年の離れた青年の懊悩に同化する。
「愛を知るためには、痛みを感じるべきだと」
そう吐露した後、ミアは、ダオラーの実家のある山西省と、自らの実家のあるトロントへの二人分の航空券を求めた。
母と会うことに不安を覚えるダオラーは、今、この正念場で決心がつきかねている。
ダオラーの、「母への旅」は未完に終わるのか。
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ダオラーの「母への旅」は、恐らく、未完に終わるだろう。どこまでもノスタルジアであって、「郷愁の念」を突き抜けることが叶わなかったのだ |
ラストシーン。
映像は、汾陽にいるタオの日常性を提示する。
愛犬を連れて散歩するタオ。
雪が舞っている。
その雪の舞いの中で、タオは踊っている。
「タオ」という言葉を耳にし、かつて別れたダオラーへの想いが自然に沸き起こり、笑みを浮かべながら、一人、郷里の自然の一角で舞っている。
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遠くに見えるのは、冒頭の画像で紹介した「汾陽文峰塔」 |
タオの脳裏に刻まれている、あの青春期のシンボルだった「Go West」のメロディを、心中で再生しながら、軽やかに舞っているのだ。
一度観たら忘れられないラストシーンに身震いした。
痛烈に伝播(でんぱ)してくる哀感は、郷里を深く思い続ける映画作家・ジャ・ジャンクー監督が構築した素晴らしい映像の所産だった。
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ジャ・ジャンクー監督 |
4 どうしても、そこだけは変わらない、「私の時間」が累加した「情感濃度」を、観る者に深く鏤刻する
時は、市場経済原理による資本主義体制を大幅に摂取した「社会主義市場経済体制」(市場経済+社会主義)の下、怒涛(どとう)の如く、エクスプロージョンの風景を発現する「改革開放」の波に乗って、「世界の工場」と呼ばれるほど、経済大国に膨張した中国社会の顕著な発展は、そこに住む人々の生活を大きく変えていく。
歴史を少し遡及(そきゅう)してみるに、「市場経済への移行期」として、1978年を起点に開かれた「改革開放」の政策は、農村部と都市部、沿岸部と内陸部における経済格差を拡大させる矛盾を顕在化し、桁外れな官僚腐敗にメスを入れない、一党独裁の中共政府に対する不満が噴出する。
改革派・胡耀邦(こようほう)元総書記の死を契機に、共産党員・自由主義者をも含む広範な民衆の結集による、民主化を求める無数のデモ隊を、戒厳令の布告で武力弾圧した「第二次天安門事件」(1989年)が惹起するが、その背景には、「改革・開放」という、「上からの経済変革」がもたらす格差の拡大を受容し切れない、中国民衆の不満が加速的に膨張化する現象があった。
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第二次天安門事件/天安門広場近くで燃える装甲兵員輸送車 (1989年6月4日)https://www.buzzfeed.com/jp/bfjapannews/tenammonjiken-shashin-ga-tsutae-ru-chi-no-nichiyoubi |
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第二次天安門事件/天安門事件の死者は「1万人」 英外交機密文書https://www.bbc.com/japanese/42482642 |
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胡耀邦 |
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趙紫陽(ちょうしよう)/天安門事件で失脚し、死去するまで軟禁生活を余儀なくされた |
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戒厳令の布告を決定した鄧小平(ウィキ) |
国家を揺るがすこの大事件の結果、「改革・開放」のウエーブは一気に減速し、一時(いっとき)、停滞するに至る。
国内に蔓延(はびこ)る様々な矛盾を解消するために、「先に豊かになった者が貧困層を援助せよ」という趣旨の「先富論」(せんぷろん=「共同富裕論」の一部)を掲げ、「改革・開放」の加速を呼びかけた鄧小平の「南巡講和」(1992年)を契機に、1990年代初期には、中国経済は回復する。
2000年3月に、中共政府が「西部大開発」(注1)という、格差の縮小を目指す大プロジェクトを立ち上げていくのは、この流れの延長線上にあった。
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「西部大開発」の一つ「西気東輸」 |
かくて、「社会主義市場経済体制」の構築を謳った鄧小平路線が実践に移され、経済体制の大幅な変革が推進されていく。
―― 社会の風景の遷移(せんい)は、映画の冒頭で鮮やかに提示されていた。
ペット・ショップ・ボーイズのヒット曲「Go West」。
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ペット・ショップ・ボーイズ(ウィキ) |
このBGMの軽快な旋律に乗って、ディスコの中枢でヒロインが踊るシーンから開かれる映画の律動感は、1990年代の中国経済発展のモダニズムもどきの風景と溶融していた。
「1999年は、中国にとって2回目の大きな経済改革がスタートした年。その年、若者は何をしていたかと考え、最初に頭に浮かんだのがディスコだった。(略)あの時代の若者の気持ちを反映した曲だった。“前進していこうよ、きっと何かが変えられるよ”。そんな内容の詞だったと思う」
インタビューでの、ジャ・ジャンクー監督の言葉である。
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ジャ・ジャンクー監督とチャオ・タオ |
元々、米国のアーティスト・グループのヴィレッジ・ピープルの代表的楽曲で、「Go West」=「若者よ、西に行け」というシンプルなメッセージで、当時、ユートピアだったゲイのメッカとされたサンフランシスコへの憧憬(しょうけい)の表現でもあった。
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ヴィレッジ・ピープル(ウィキ) |
このヴィレッジ・ピープルの「Go West」を、英国のペット・ショップ・ボーイズがカバーした時の意味には、米国特有の歴史的感情・「マニフェスト・ディスティニー」(「明白なる使命」)へのアイロニーに変換されていたが、映画でのインサートには、「若者よ、西に行け。我々は我々の道を行く。自由なる地で生きる」などという字義通りに受け取ったメッセージとなっている。
まさに、ジャ・ジャンクー監督の「青春彷徨」の初発点である。
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マニフェスト・ディスティニー/1872年に描かれた「アメリカの進歩」。女神の右手には書物と電信線が抱えられており、合衆国が西部を「文明化」という名の下に征服しようとする様子を象徴している。背後には1869年に開通した大陸横断鉄道も見える(ウィキ) |
―― ここで、私は想起する。
フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルの、スケールの大きい歴史学のこと。
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フェルナン・ブローデル |
殆ど変化のない「自然」=環境的時間(「長波」)に対し、緩慢なリズムを刻みながら変容する、「社会」=中間的時間(「中波」)の動きは、そこに呑み込み、瞬(またた)く間に過ぎ去っていく「個人」=中間的時間(「短波」)の出来事の、「取るに足らない微小性」。
ブローデルの歴史学は、「個人」としての「私の時間」を呆気なく相対化してしまうのだ。
そればかりではない。
「私の時間」を呑み込む「社会」をも、悠久なる「自然」の時間の包括力が呆気なく相対化してしまうのである。
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イメージ画像/北アメリカの最高峰デナリ(マッキンリー山)(ウィキ) |
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イメージ画像/ネパール側から見たエベレスト(ウィキ) |
それでも、「社会」の劇的な変容は、そこに呼吸する「個人」を深々と呑み込んでいる分だけ、「私の時間」を縦横に支配し、個々の「人生」を相対化し、その固有の濃度を希釈化する。
また、人間の時間の尺度から見れば、⑴週間しか生きられないセミの成虫の寿命(注2)の、「取るに足らない微小性」に「憐れみ」を感じるが、それは、人間の主観的な決めつけでしかない。
ブローデルは、「自然」=環境的時間の根源的な特質を説明しただけで、そのデモニッシュ(凄味のさま)を人間的に解釈したわけでではないのだ。
映画「山河ノスタルジア」の世界は、恰(あたか)も、ブローデル風のスケールと相関性を担保しつつ、「社会」の劇的な変容に呑み込まれても、どうしても、そこだけは変わらない、「私の時間」が累加した「情感濃度」を、観る者に深く鏤刻(るこく)していく。
それは、セミの成虫に象徴されるように、生物学の「不思議」を恣意的に切り取り、勝手に共感・憐憫(れんびん)する人間の、その被写界深度(ひしゃかいしんど)の顕著な狭隘(きょうあい)さを露呈するものでしかないだろう。
個々の人間の、「私の時間」に濃縮されている「人生」の輝きは、絶対的に「永遠」であり、何ものにも変換し得ない「情感」の束の集合性なのである。
だから、それは「取るに足らない微小性」(ブローデルの言葉にあらず)などではない。
タオの悲しさ・寂しさ・郷愁感覚は、タオの「人生」の累加された「私の時間」の所産であり、私たちは、彼女の「情感濃度」を共有し、その高みに昇ることが叶わない。
誰にも叶わない。
ただ、思いを馳(は)せるのみである。
人間の「絶対的孤独性」は、それを意識し得る人間の固有の特質であって、そこにこそ、「私の時間」の「実存性」が現象化する。
内側から立ち上(のぼ)ってきて、そこで仮構された「私の杜(もり)」の中枢スポットの只中で、自分サイズの「情感感度」によって、自在にマインドワンダリングしていく。
タオの悲しさ・寂しさ・郷愁感覚は、人間が人間であるところの、「実存性」の現象化それ自身である。
チンパンジー、ボノボ、ヒヒなどの「伝染性欠伸(あくび)」のように、映画が伝えてくる叙情の尺度もまた、タオの悲しさ・寂しさ・郷愁感覚に対する、私たちの共感感情をミラーニューロン(「共感反応」を生む神経細胞)が運んできたものである。
この時、私たちの共感感情は、「私の時間」の「実存性」の只中で、彼女の想いの強さに架橋し、溶融する。
同化幻想の摩訶不思議(まかふしぎ)なイルージョンに身を預け、自己を解き放つ。
そういう感覚を惹き起こす魅力が詰まっている映像 ―― それが、私の中の「山河ノスタルジア」だった。
(注1)沿海部と内陸部との経済格差是正のための西部大開発プロジェクト。「南水北調」(南部の水を北部に送る)・「西気東輸」(新彊ウイグル自治区の天然ガスを東部に運ぶ)「西電東送」(西部地方の電力資源を東部地方に送る)・「青蔵鉄道」(チベット自治区首府・ラサと青海省西寧を結ぶ高原鉄道)であるが、今、内モンゴル自治区の貧困・環境対策(漢民族の流入で草原の砂漠化が進み、砂嵐が北京に吹き付けてくる)の一環として、「生態移民政策」が注目されている。
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青蔵鉄道の列車(ウィキ) |
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南水北調/中央ルート工事メインルート河南省沙河市水路橋 |
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生態移民政策・内モンゴル大草原の自然/2000年頃に、北京で砂嵐の被害が起きてから、放牧が砂嵐の原因と中国政府に指摘され、牧畜を草原から排除する「生態移民」政策が実施された |
(注2)これは今、俗説化している。実際には、1ヶ月以上生きるセミがかなり居ることが分っている。広島県笠岡市の笠岡高校3年生が、「セミの羽根に油性ペンでマーキングを行い、後日再捕獲するという手法で調査を行った」結果、判然としたもので、昆虫学の一大発見と言える。
(2019年10月)
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