検索

2021年1月23日土曜日

獣は月夜に夢を見る('14)   ヨナス・アレクサンダー・アーンビー

 


<「村社会」の破壊的暴力に抗し、自らの「獣性」によって弾き返す少女の成長譚>

 

 

 

1  獣人化した少女が拉致した者たちを噛み殺していく

 

 

 


北欧のとある漁村に住み、魚の加工工場に就職したその日、少女マリーは、そこに勤める仲間たちから魚の廃棄物の水槽に落とされるという、手荒い歓迎を受けた。

マリーの家の中・母の車椅子もある

魚の加工工場で働く少女マリー

魚の廃棄物の水槽に落とされるマリー


家に帰ると、自身も定期受診しているラーセン医師が、父と深刻な面持ちで話をしていた。 

右からマリーの父、マリーの母、ラーセン医師

母の病気の診察に訪れたというが、マリーは不安げな表情で、ラーセンが持ってきた書類を部屋に持ち帰り、中身を確かめる。

 

そこには、発疹の出ている画像やX線写真があった。


 
ラーセンが帰った後、いつものように、父は母の腕に注射を打ち、浴室で体を洗い、背中の毛を剃っていた。

 

その場を覗き見しているマリーに父は気づくが、そこに会話がなかった。

 

マリーは工場生活に慣れ、そこでダニエルと親しくなる。 


食堂で、入社日に水槽にマリーを突き落としたエスベンが話しかけてくるが、マリーは無視する。

 

「母親に似たのか?」 

エスベン

その言葉を聞くや、マリーはコップを投げつけた。

 

その場にいたフェリックスは、マリーを庇い、二人は外で煙草を吸って寛ぐ。

マリーとフェリックス

 
「母親の具合は?」 

フェリックス

「いいわ」

 

更衣室で着替えていると、二人の男(一人はエスベン)に抑えつけられ、魚を顔に押し付けられるという悪質な嫌がらせを受ける。 


シャワーを浴びると、マリーの胸の発疹が更に赤く広がっていた。 


衝撃を受け、呼吸を荒げるマリー。

 

車椅子の母を連れ、散歩しているマリーに、バイクに乗ったダニエルが話しかけてきた。 


ダニエルは母親の手を握り、挨拶する。 


ダニエルからの遊びの誘いを断って、帰宅したマリーは、母親に食事の世話をする。
 


「母さんは何の病気?」 


マリーは、一番気になっていることを父に尋ねた。

 

そのまま部屋に戻ったマリーを父が呼び出すと、マリーは父に胸の発疹を見せた。


再び、ラーセンが自宅にやって来た。

 

「もう、隠しておけない…先生から、お前の病気について話がある」


「病気のせいで君の体に異変が起きているはずだ。お母さんの症状から判断して、君の体はどんどん変わっていき、体じゅうが毛深くなるだろう。それだけじゃない。感情面でも、気が短くなり、攻撃的になる。だから薬を飲んだほうがいい」


「薬は飲まない」

「いうことを聞け」と父。

「父さんこそ聞いて。先生が間違ってる。私は絶対に飲まないから」 


そう言うや、マリーは家を出て、港の外れにある廃船の中に入っていく。 


先日、盗み見したラーセンの資料の画像の中に気になる画像があったからだ。

 

船内で発見したのは、其処彼処(そこかしこ)にある爪痕だった。

 

その直後、マリーはフェリックスの家を訪ねた。

 

「港にあるサビついた古い船の持ち主は?」


「ロシア人の2人組」

「今、どこに?」

「ロシアで酒をあおってるよ」

「母さんが乗船したことは?」

「お前の母親は…美しいが、怖がられていた。お前と同じだ。首を突っ込むな」 


フェニックスの誘いで、二人はナイトクラブに踊りに行く。

 

そこにダニエルもいた。

 

マリーはダニエルの耳元で囁いた。

 

「私が怪物になってしまう前に抱かれたいの。手伝ってくれる?」 


店を出て、二人は廃船の中で結ばれる。

 

マリーの裸の背中には、背筋に沿って体毛が伸び始めていた。

 

帰宅するや、父とラーセンがマリーを抑えつけ、注射を打とうとするが、母がラーセンに襲いかかり、殺害してしまう。

 

ラーセンの死体処理をする父。 


フェリックスの話したロシア人の二人も、母に手を出して殺されたことを父は認めた。

 

ラーセンの失踪は、村人たちの噂になっていて、マリーの家に村の者たち(工場の関係者)が訪れ、母の爪や歯茎を確認していった。

 

マリーは工場に出勤するが、既に、工場の従業員はラーセンの失踪を知っていて、マリーに冷たい視線が投げかけられる。

 

帰宅すると、母が浴槽で溺死しているのを発見する。 


自死である。

 

絶叫する父。

 

孤立を深めるマリーと父。



 

母の棺を送り出す二人に、村人たちは、遠くでひそひそと噂しながら、父娘に冷たい視線を向ける。

 

教会で葬儀が始まった。 


マリーの両手の爪が赤く滴り、血が落ちた。 


その指のまま、構わずマリーは弔問客にコーヒーを振舞う。

 

父の制止を聞かず、敢えて自らの姿を晒していくのだ。

 

自宅に帰っても挑発的な行動を止めないマリー。

 

コップのガラスを食べ、口の中を血だらけにするのだ。 


「いい加減にしろ。止めろ!」 


マリーは服を着替え、出勤しようとする。

 

「外では助けてやれない。家にいろ」 


マリーは父の制止を振り切って、工場に出かけ、仕事を続けるのだ。

 

マリーの更衣室のロッカーには、大量の魚の廃棄物が投げ入れられていた。 


それだけではなく、自転車で帰ろうとすると、複数のバイクで追いかけられ、フェリックスの家に助けを求めて走っていくが、反応はなかった。

 

更に逃げていくと、一人の男に襲われるが、反対に噛み殺してしまう。

 

廃船で寝ていると、ダニエルがやって来た。

 

「起きて、マリー。寝てる場合じゃない。早く逃げないと、やつらが捜してる」

「何があったの?」

「覚えてない?」

「エスベンを殺した」

「まさか」

「船を用意して迎えに来るから、ここで待ってろ。一緒に逃げよう。どう?」 


マリーはいったん家に戻り、リュックに荷物を詰め、脱出の準備をする。

 

父が部屋にやって来た。

 

「キレイだ」

 

そう言って、娘を思い、涙する。

 

「マリー。バカなマネはするな」


 

優しく語りかけ、娘を見送る父。

 

廃船に戻ると、そこにはダニエルではなく、フェリックスを含む工場の従業員らがマリーを待ち受けていた。

 

殴られたマリーは、漁船の地下室に拉致されてしてしまう。


 

ダニエルはマリーを救おうと、密かに船に乗り込んだ。 


出港した船内では、既に獣人化した狂暴なマリーが次々に拉致した者たちを噛み殺していく。 


最後に殺害されたのはフェリックスだった。 


その惨状を目の当たりにしたダニエルだが、そんな獣人の顔になったマリーを優しく抱きしめる。 


翌朝、意識を失っていたマリーが目を覚ます。 


「ダニエル?」


「ここにいる。君のそばに」
 


そう言って、ダニエルはマリーの手を握り締める。

 

ラストカットである。 


 

 

2  「村社会」の破壊的暴力に抗し、自らの「獣性」によって弾き返す少女の成長譚

 

 

 

グローバルな世界の歴史的展開の渦中にあっても、相互互助的な性質を有する「村社会」の閉鎖的社会が「異端排除」の風習を常態化するのは、漁業権維持をコアにして形成された「村社会」のルールになるのは必至であるだろう。

マリーが住む北欧のとある漁村

マリーの家と、その周辺の風景


ラーセンの診療所で受診するマリー

ラーセンの診療所から自転車で帰宅するマリー


まして、その「異端排除」の限定スポットで、ルールに適応できないばかりか、その存在自体の「有害性」が問題化され、身体化されれば、「異端排除」の方略がより暴力的に振れていかざるを得ない。

 

なぜなら、その存在が「獣性化したフリーク」であるからだ。

 

村人たちにとって、その存在を視界から消し去るためには、「獣性化したフリーク」の全人格を完全隔離することが絶対命題になる。 

「獣性化したフリーク」・マリーの母は完全隔離され、日々、注射を打たれる


かくて、二人のロシア人を噛み殺した女は、その「獣性」を希釈化するために、村医から注射を打たれ続け、言語能力を奪われ、廃人化される。 

完全隔離された母を見て、自分だけは廃人化される事態を拒む意志を強くするマリー


それでもなお残存する「獣性」によって、女の娘に注射を打つ村医の命は断たれてしまう。

 

この行動を身体化した女が自死したのは、女の内側に認知能力が残存することを検証するものだった。

 

認知能力の残存は、一つの人格の中に「獣性」と「人間性」が共存している現実を示唆している。

 

残存する女の「人間性」が、女の娘を救済した。

 

村医から注射を打たれ続け、廃人化された女にとって、せめて、娘の廃人化だけは止めたかった。

 

だから、村医の命を奪った。 

マリーに注射を打とうとして殺害されるラーセン医師

村医の命を奪ったことで、女の存在価値が崩れ去っていく。

 

これが、女の自死の心理的背景にあると考えられる。 

マリーの母の死

この映画を観て、何より感動するのは、女の娘、即ちマリーが、母を介護する日々を日常化しながら、自らもまた、言語能力を奪われ、廃人化される事態を認知しつつ、且つ、注射を拒絶することによって起こるだろう「獣性化」の溢れくる恐怖と闘い、自らの「人間性」を身体化し、その表現総体に迸(ほとばし)る意志をフル稼働する姿を可視化したことである。 

「獣性化したフリーク」の一端を敢えて見せ、「恐怖突入」するマリー

赤くなった爪を見せる


「獣性化」する現実と向き合い、それを隠すことなく、職場に通うマリーの行為が、「獣性化するフリーク」に対する村民の射程に踏み込み、「異端排除」の「村社会」の規範の逸脱によって村民の攻撃性を刺激し、彼らの暴力性を加速させていっても、なお彼女の〈生〉の軌道は変わらない。

差別の視線を受けながら、職場に入っていくマリー

内なる恐怖を抱えつつも、明日に向かう〈生〉の軌道は変わらないのだ。 


しかし、少女の〈生〉の軌道が変わらないという現実を、「村社会」は許さない。 


職場でも淡々と働くマリー

「獣性化したフリーク」であった少女の母を廃人化してもなお、「母親の具合は?」と聞かれたように、村民の視界に入らなくとも、「獣性化したフリーク」への「異端排除」の射程には変化がない。

 

それは、「村社会」で遍(あまね)く共有された、蔑(ないがし)ろにできない厄介な情報だった。

 

それ故に、「獣性化したフリーク」の娘に対して、常に身構えてしまうのだ。 

             「獣性化したフリーク」の娘を持つ父の懊悩は計り知れなかった


「獣性化したフリーク」の娘こそ、「獣性化するフリーク」という怪物を生み、その怪物が鼻っ柱が強い行動に振れていく。

 

声をかけても無言を貫き、コップを投げつけるマリーこそ、「獣性化するフリーク」という怪物の正体である。

 

彼らは、そう考え、マリーを襲った。 


次第に、「獣性化するフリーク」に対する暴力性は膨張していく。

 

これが、ラストシーンの惨状にまで繋がっていくのだ。 


彼らは、マリーを深い海に放擲(ほうてき)するつもりだったと思われる。

 

彼らの激甚な暴力性の根柢にあるのは、恐怖感情である。

 

「獣性化するフリーク」が物理的・心理的に最近接し、ひたひたと忍び寄って来るという妄想が膨らみ、統御し得ないような恐怖感情である。

 

この恐怖感情が昂じていくほど、暴力性も増幅していくのだ。

 

「獣性化するフリーク」の遺伝系統を完全破壊せよ。

 

ここまで膨張していくのである。

 

自ら暴力に振れず、ただ、襲い来る暴力のストームに対し、マリーは防衛的に反応しただけなのだ。 


マリーの防衛的な反応としの「獣性化したフリーク」の暴力が、無意識下での行動様態であり、覚醒時での自我と異にすることを考えれば、こういう見方も可能ではないか。

 

ここで思い切ったことを書いてしまえば、マリーが「解離性同一性障害」(旧・多重人格障害)であったという指摘も可能である。

 

要するに、危機的状況において、苦痛を引き受ける別の自我が形成され、交代人格が現出することで自己統制感が崩れ、人格の一貫性を喪失するという事態の発現 ―― これが「解離性同一性障害」である。 

解離性同一性障害・一人の人間が複数の解離した人格を持つ状態を表現した絵画(ウィキ)


しかし映画は、ラーセンの言動でも分かるように、このような描き方をしていないので、この病理学的な見方は皮相であるだろう。

 

だから私は、単純に考えている。

 

即ち、これはホラーというジャンル映画を武器にして、「村社会」の「異端排除」の閉鎖系のスポットで呼吸を繋ぐ者たちを特化し、人間に潜む「獣性」=「暴力性」を描き出した作品であると同時に、「異端排除」の「暴力性」に丸ごと囲繞された少女が、自身が直接、被弾する圧倒的な破壊的暴力に対して、自らの「獣性」=「暴力性」によって弾き返し、より人間的に生きていこうとする成長譚でもある。 

ラストカット

その成長譚に大きく関与する青年の存在が、自らの「獣性」=「暴力性」の発現を昇華していく推進力になったのは言うまでもない。 



(2021年1月)

0 件のコメント:

コメントを投稿