<「村社会」の破壊的暴力に抗し、自らの「獣性」によって弾き返す少女の成長譚>
1 獣人化した少女が拉致した者たちを噛み殺していく
マリーの家の中・母の車椅子もある |
魚の加工工場で働く少女マリー |
魚の廃棄物の水槽に落とされるマリー |
家に帰ると、自身も定期受診しているラーセン医師が、父と深刻な面持ちで話をしていた。
右からマリーの父、マリーの母、ラーセン医師 |
母の病気の診察に訪れたというが、マリーは不安げな表情で、ラーセンが持ってきた書類を部屋に持ち帰り、中身を確かめる。
そこには、発疹の出ている画像やX線写真があった。
ラーセンが帰った後、いつものように、父は母の腕に注射を打ち、浴室で体を洗い、背中の毛を剃っていた。
その場を覗き見しているマリーに父は気づくが、そこに会話がなかった。
マリーは工場生活に慣れ、そこでダニエルと親しくなる。
食堂で、入社日に水槽にマリーを突き落としたエスベンが話しかけてくるが、マリーは無視する。
「母親に似たのか?」
エスベン |
その言葉を聞くや、マリーはコップを投げつけた。
その場にいたフェリックスは、マリーを庇い、二人は外で煙草を吸って寛ぐ。
マリーとフェリックス |
「母親の具合は?」
フェリックス |
「いいわ」
更衣室で着替えていると、二人の男(一人はエスベン)に抑えつけられ、魚を顔に押し付けられるという悪質な嫌がらせを受ける。
シャワーを浴びると、マリーの胸の発疹が更に赤く広がっていた。
衝撃を受け、呼吸を荒げるマリー。
車椅子の母を連れ、散歩しているマリーに、バイクに乗ったダニエルが話しかけてきた。
ダニエルは母親の手を握り、挨拶する。
ダニエルからの遊びの誘いを断って、帰宅したマリーは、母親に食事の世話をする。
「母さんは何の病気?」
マリーは、一番気になっていることを父に尋ねた。
そのまま部屋に戻ったマリーを父が呼び出すと、マリーは父に胸の発疹を見せた。
再び、ラーセンが自宅にやって来た。
「もう、隠しておけない…先生から、お前の病気について話がある」
「病気のせいで君の体に異変が起きているはずだ。お母さんの症状から判断して、君の体はどんどん変わっていき、体じゅうが毛深くなるだろう。それだけじゃない。感情面でも、気が短くなり、攻撃的になる。だから薬を飲んだほうがいい」
「薬は飲まない」
「いうことを聞け」と父。
「父さんこそ聞いて。先生が間違ってる。私は絶対に飲まないから」
そう言うや、マリーは家を出て、港の外れにある廃船の中に入っていく。
先日、盗み見したラーセンの資料の画像の中に気になる画像があったからだ。
船内で発見したのは、其処彼処(そこかしこ)にある爪痕だった。
その直後、マリーはフェリックスの家を訪ねた。
「港にあるサビついた古い船の持ち主は?」
「ロシア人の2人組」
「今、どこに?」
「ロシアで酒をあおってるよ」
「母さんが乗船したことは?」
「お前の母親は…美しいが、怖がられていた。お前と同じだ。首を突っ込むな」
フェニックスの誘いで、二人はナイトクラブに踊りに行く。
そこにダニエルもいた。
マリーはダニエルの耳元で囁いた。
「私が怪物になってしまう前に抱かれたいの。手伝ってくれる?」
店を出て、二人は廃船の中で結ばれる。
マリーの裸の背中には、背筋に沿って体毛が伸び始めていた。
帰宅するや、父とラーセンがマリーを抑えつけ、注射を打とうとするが、母がラーセンに襲いかかり、殺害してしまう。
ラーセンの死体処理をする父。
フェリックスの話したロシア人の二人も、母に手を出して殺されたことを父は認めた。
ラーセンの失踪は、村人たちの噂になっていて、マリーの家に村の者たち(工場の関係者)が訪れ、母の爪や歯茎を確認していった。
マリーは工場に出勤するが、既に、工場の従業員はラーセンの失踪を知っていて、マリーに冷たい視線が投げかけられる。
帰宅すると、母が浴槽で溺死しているのを発見する。
自死である。
絶叫する父。
孤立を深めるマリーと父。
母の棺を送り出す二人に、村人たちは、遠くでひそひそと噂しながら、父娘に冷たい視線を向ける。
教会で葬儀が始まった。
マリーの両手の爪が赤く滴り、血が落ちた。
その指のまま、構わずマリーは弔問客にコーヒーを振舞う。
父の制止を聞かず、敢えて自らの姿を晒していくのだ。
自宅に帰っても挑発的な行動を止めないマリー。
コップのガラスを食べ、口の中を血だらけにするのだ。
「いい加減にしろ。止めろ!」
マリーは服を着替え、出勤しようとする。
「外では助けてやれない。家にいろ」
マリーは父の制止を振り切って、工場に出かけ、仕事を続けるのだ。
マリーの更衣室のロッカーには、大量の魚の廃棄物が投げ入れられていた。
それだけではなく、自転車で帰ろうとすると、複数のバイクで追いかけられ、フェリックスの家に助けを求めて走っていくが、反応はなかった。
更に逃げていくと、一人の男に襲われるが、反対に噛み殺してしまう。
廃船で寝ていると、ダニエルがやって来た。
「起きて、マリー。寝てる場合じゃない。早く逃げないと、やつらが捜してる」
「何があったの?」
「覚えてない?」
「エスベンを殺した」
「まさか」
「船を用意して迎えに来るから、ここで待ってろ。一緒に逃げよう。どう?」
マリーはいったん家に戻り、リュックに荷物を詰め、脱出の準備をする。
父が部屋にやって来た。
「キレイだ」
そう言って、娘を思い、涙する。
「マリー。バカなマネはするな」
優しく語りかけ、娘を見送る父。
廃船に戻ると、そこにはダニエルではなく、フェリックスを含む工場の従業員らがマリーを待ち受けていた。
殴られたマリーは、漁船の地下室に拉致されてしてしまう。
ダニエルはマリーを救おうと、密かに船に乗り込んだ。
出港した船内では、既に獣人化した狂暴なマリーが次々に拉致した者たちを噛み殺していく。
最後に殺害されたのはフェリックスだった。
その惨状を目の当たりにしたダニエルだが、そんな獣人の顔になったマリーを優しく抱きしめる。
翌朝、意識を失っていたマリーが目を覚ます。
「ダニエル?」
「ここにいる。君のそばに」
そう言って、ダニエルはマリーの手を握り締める。
ラストカットである。
2 「村社会」の破壊的暴力に抗し、自らの「獣性」によって弾き返す少女の成長譚
グローバルな世界の歴史的展開の渦中にあっても、相互互助的な性質を有する「村社会」の閉鎖的社会が「異端排除」の風習を常態化するのは、漁業権維持をコアにして形成された「村社会」のルールになるのは必至であるだろう。
マリーが住む北欧のとある漁村 |
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マリーの家と、その周辺の風景 |
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ラーセンの診療所で受診するマリー |
ラーセンの診療所から自転車で帰宅するマリー |
まして、その「異端排除」の限定的スポットで、ルールに適応できないばかりか、その存在自体の「有害性」が問題化され、身体化されれば、「異端排除」の方略がより暴力的に振れていかざるを得ない。
なぜなら、その存在が「獣性化したフリーク」であるからだ。
村人たちにとって、その存在を視界から消し去るためには、「獣性化したフリーク」の全人格を完全隔離することが絶対命題になる。
「獣性化したフリーク」・マリーの母は完全隔離され、日々、注射を打たれる |
かくて、二人のロシア人を噛み殺した女は、その「獣性」を希釈化するために、村医から注射を打たれ続け、言語能力を奪われ、廃人化される。
完全隔離された母を見て、自分だけは廃人化される事態を拒む意志を強くするマリー |
それでもなお残存する「獣性」によって、女の娘に注射を打つ村医の命は断たれてしまう。
この行動を身体化した女が自死したのは、女の内側に認知能力が残存することを検証するものだった。
認知能力の残存は、一つの人格の中に「獣性」と「人間性」が共存している現実を示唆している。
残存する女の「人間性」が、女の娘を救済した。
村医から注射を打たれ続け、廃人化された女にとって、せめて、娘の廃人化だけは止めたかった。
だから、村医の命を奪った。
マリーに注射を打とうとして殺害されるラーセン医師 |
村医の命を奪ったことで、女の存在価値が崩れ去っていく。
これが、女の自死の心理的背景にあると考えられる。
マリーの母の死 |
この映画を観て、何より感動するのは、女の娘、即ちマリーが、母を介護する日々を日常化しながら、自らもまた、言語能力を奪われ、廃人化される事態を認知しつつ、且つ、注射を拒絶することによって起こるだろう「獣性化」の溢れくる恐怖と闘い、自らの「人間性」を身体化し、その表現総体に迸(ほとばし)る意志をフル稼働する姿を可視化したことである。
「獣性化したフリーク」の一端を敢えて見せ、「恐怖突入」するマリー |
赤くなった爪を見せる |
「獣性化」する現実と向き合い、それを隠すことなく、職場に通うマリーの行為が、「獣性化するフリーク」に対する村民の射程に踏み込み、「異端排除」の「村社会」の規範の逸脱によって村民の攻撃性を刺激し、彼らの暴力性を加速させていっても、なお彼女の〈生〉の軌道は変わらない。
差別の視線を受けながら、職場に入っていくマリー |
内なる恐怖を抱えつつも、明日に向かう〈生〉の軌道は変わらないのだ。
しかし、少女の〈生〉の軌道が変わらないという現実を、「村社会」は許さない。
職場でも淡々と働くマリー |
「獣性化したフリーク」であった少女の母を廃人化してもなお、「母親の具合は?」と聞かれたように、村民の視界に入らなくとも、「獣性化したフリーク」への「異端排除」の射程には変化がない。
それは、「村社会」で遍(あまね)く共有された、蔑(ないがし)ろにできない厄介な情報だった。
それ故に、「獣性化したフリーク」の娘に対して、常に身構えてしまうのだ。
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「獣性化したフリーク」の娘を持つ父の懊悩は計り知れなかった
「獣性化したフリーク」の娘こそ、「獣性化するフリーク」という怪物を生み、その怪物が鼻っ柱が強い行動に振れていく。
声をかけても無言を貫き、コップを投げつけるマリーこそ、「獣性化するフリーク」という怪物の正体である。
彼らは、そう考え、マリーを襲った。
次第に、「獣性化するフリーク」に対する暴力性は膨張していく。
これが、ラストシーンの惨状にまで繋がっていくのだ。
彼らは、マリーを深い海に放擲(ほうてき)するつもりだったと思われる。
彼らの激甚な暴力性の根柢にあるのは、恐怖感情である。
「獣性化するフリーク」が物理的・心理的に最近接し、ひたひたと忍び寄って来るという妄想が膨らみ、統御し得ないような恐怖感情である。
この恐怖感情が昂じていくほど、暴力性も増幅していくのだ。
「獣性化するフリーク」の遺伝系統を完全破壊せよ。
ここまで膨張していくのである。
自ら暴力に振れず、ただ、襲い来る暴力のストームに対し、マリーは防衛的に反応しただけなのだ。
マリーの防衛的な反応としの「獣性化したフリーク」の暴力が、無意識下での行動様態であり、覚醒時での自我と異にすることを考えれば、こういう見方も可能ではないか。
ここで思い切ったことを書いてしまえば、マリーが「解離性同一性障害」(旧・多重人格障害)であったという指摘も可能である。
要するに、危機的状況において、苦痛を引き受ける別の自我が形成され、交代人格が現出することで自己統制感が崩れ、人格の一貫性を喪失するという事態の発現 ―― これが「解離性同一性障害」である。
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解離性同一性障害・一人の人間が複数の解離した人格を持つ状態を表現した絵画(ウィキ) |
しかし映画は、ラーセンの言動でも分かるように、このような描き方をしていないので、この病理学的な見方は皮相であるだろう。
だから私は、単純に考えている。
即ち、これはホラーというジャンル映画を武器にして、「村社会」の「異端排除」の閉鎖系のスポットで呼吸を繋ぐ者たちを特化し、人間に潜む「獣性」=「暴力性」を描き出した作品であると同時に、「異端排除」の「暴力性」に丸ごと囲繞された少女が、自身が直接、被弾する圧倒的な破壊的暴力に対して、自らの「獣性」=「暴力性」によって弾き返し、より人間的に生きていこうとする成長譚でもある。
ラストカット |
その成長譚に大きく関与する青年の存在が、自らの「獣性」=「暴力性」の発現を昇華していく推進力になったのは言うまでもない。
(2021年1月)
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