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2023年2月20日月曜日

こちらあみ子('22)   小さなスポットに置き去りにされた感情を共有できな無力感  森井勇佑

 




1  「うぉー!これで赤ちゃんとスパイごっこができる!」

 


  

「のり君、知らん?」

 

放課後、友達に訪ね歩く小学生5年生の田中あみ子(以下、あみ子)。

 

見つからず家に帰ると、母が開いている書道教室を覗くと、そこにのり君がいた。 

あみ子

のり君


生徒の一人の坊主頭が、「あみ子だ!」と指を差す。

 

「あみ子さん、あっちで宿題してなさい」

「入ってらんもんね。見とっただけじゃ」

「いけません」

「あみ子も習字する」

「宿題終わってないのに、お習字してはいけません」

「じゃ、見とく」

「いけません。ちゃんと宿題して、毎日学校にも行って、先生の言うことも、ちゃんと聞けるんだったらいいですよ。できますか?授業中に歌を歌ったり、机に落書きしたりしませんか?ボクシングも裸足のゲンもインド人も、もうしないと約束できますか?できるんですか?できますか?」 

あみ子と母



あみ子は母の話はうわの空で、母の口元もの大きなホクロを見つめている。 



書道教室が終わり、のり君を捕まえ、金魚たちの墓参りに誘う。

 

のり君は儀礼的に誘いに応じ、さっさと帰っていく。

 

その日はあみ子の誕生日で、父がプレゼントを渡すや、包装紙を乱暴に剥(は)がすと、あみ子が欲しがっていたトランシーバーが入っていた。 

父母、兄・孝太とあみ子の4人家族



「うぉー!これで赤ちゃんとスパイごっこができる!」

 

更に父は、生まれてくる赤ちゃんの写真を撮ってあげるようにと言って、あみ子にインスタントカメラをプレゼントする。

 

早速、そのカメラの練習で、父母と兄・孝太の写真を撮るが、母が手鏡を持っ髪を直すのを待ってと言ったにも拘らず、そのまま撮ってしまうので、母は気分を害す。 



母があみ子の好物の五目御飯を用意したが、「こっちがええ」と、父が買って来たクッキーを食べ始める。

 

クッキーのチョコレートだけをペロペロ舐めながら、ずっと母のホクロを見つめるあみ子。 


そのことで、孝太に「じろじろ見過ぎるな」と注意され、「うん」と答えるあみ子だが、今度は兄の十円ハゲを見たいと、無理やり兄の頭を掴む。

 

翌日、のり君に一方的に話をして絡み、チョコと言いながらチョコのついていないクッキーを食べさすのだ。

 

大雨の日、母の陣痛が始まるが破水し、孝太と共に母を抱え、父が病院へ連れて行った。

 

留守番するあみ子は、兄を相手にトランシーバーの練習をするが、兄からの応答がない。

 

一旦帰って来た父が孝太に話をした後、その足で病院へ戻ってしまった。

 

「赤ちゃんは?どこにおるん?」

「どこにもおらん」

 

退院して布団で横になっている母に、おやつを運んだり、手品を見せたりするあみ子。

 

母と一緒に近所の公園へ行き、お弁当を食べる。

 

「孝太さんに貰ったお箸を使って、あみ子さんと一緒に作ったお弁当を食べて、お母さんほんと嬉しいわ」 


書道教室を再開する話をし、あみ子も一緒に参加することを許可する母。

 

「今日から習字教室が始まるよ!」

 

「帰りの会」の最中の教室に大声で呼びかけ、教師に注意されるあみ子。

 

そこに坊主頭が、のり君に投げキッスするあみ子とのり君を囃し立てると、のり君は「わー!」と叫び、下を向く。 

のり君

それでものり君は、あみ子と一緒に帰り、あみ子は嬉しくてたまらない。

 

「僕、お母さんから頼まれとるだけじゃけぇね。“孝太君の妹は変な子じゃけど、虐めたりしちゃいけんよって。“何か変な事しようとしたら、注意してあげるんよ”って。じゃけぇ一緒に帰ってあげとんじゃ」

 

嫌がるのり君に、弟の墓の字を書いてもらうあみ子。

 

あみ子は母の手を引き、自分が作った弟の墓を見せるや、母はその場に蹲(うずくま)り号泣してしまう。 


その声を聞きつけてやって来た孝太が、「何これ?」と墓のプレートを引き抜き、ちょうど帰って来た父が母を連れて行く。

 

その翌日、のり君が泣きながら父親に連れられ、謝罪しに来た。

 

学校であみ子は「お前のせいで怒られた」とのり君に蹴飛ばされる始末。

 

家に帰ると、変な臭いがすると騒ぐあみ子に、父は孝太がタバコを吸っているんだろと答える。

 

あみ子は孝太にやめさせようと圧(の)し掛かるが、反対に投げ飛ばされる。

 

「うっさいんじゃ!お前、死ね!」

 

タバコを吸っている孝太を咎めない無気力な父親。

 

書道教室の生徒は激減し、勝手にゲームをしているが、母はうな垂れ注意もしない。

 

土足で上がって来た孝太が母に金をせびり、月謝を奪い取ろうすると、教室を覗いていたあみ子が阻止しようとして叩き飛ばされる。


のり君の授業料を持って行くなと言って兄に抵抗するあみ子


孝太は既に不良仲間に入り、バイクを乗り回しているのだ。

 

例の一件以来、この家庭は内部から壊れ切っているようだった。

 

 

 

2  「応答せよ、応答せよ、こちら、あみ子」

 

 

 

中学生になったあみ子は、トイレで3人の女子に蹴飛ばされ虐めを受けるが、不良で名を馳せた田中先輩の妹と分かると、3人はすぐ止め謝罪する。

 

相変わらず、のり君に執着するあみ子は、クラスメートののり君に声をかけるが、無視される。

 

同じクラスの坊主頭とだけは、あみ子との会話が成立しているようだ。

 

父母が帰って来ると、母はあみ子を避け、食事の支度もしない。

 

父とレトルトパックのご飯を食べるあみ子。 



夜になってベランダから音がするが誰もおらず、それを父母に話すが、鬱状態の母は伏せたままで身動きせず、父は話を受け流すだけで取り合わない。 


「変な音が聞こえるんじゃけど」

 

学校の体育の授業でも、変な音がすると生徒に話しかけ、「キモ」と言われ、あみ子は列から離れ走って行くのを教師が必死で追い駆ける。

 

父母の寝室に来て、ここで寝ると言うあみ子。

 

「ベランダに霊がおるんよ」

「霊はあみ子の気のせいじゃ。テレビの見過ぎなんよ」

「気のせいじゃない。弟の霊かも知れん。昔、弟死んどったやん。今も、成仏できんかったんかな?…お父さん?」

 

父は横になっている母を見やり、無言であみ子を部屋から追い出した。

 

「なあ、お前って何なん。全然学校来(こ)んし。来たと思ったら、臭いし。おい、分かっとん?お前の兄貴、もう退学になったんぞ。その意味、分かっとんか?」

「兄貴?」

「バカ!今までお前の兄貴にビビッて、皆遠慮しちょったけど、兄貴おらんようになったら、お前なんか指でブチッてやられて終わりなんよ。分かるじゃろ?殺されるかもしれんって言っとんじゃ」 



風呂にも入らず、裸足で教室にいるあみ子に絡む坊主頭。

 

「でも、ええのう。なんか。自由の象徴じゃのう。でも、虐めの象徴でもあるけどのう」

「ベランダに幽霊おるんじゃけど」

 

聞く耳もなく、一人の教室でも変な音が聞こえてくるあみ子。

 

教室を裸足で、「オバケなんてないさ♪オバケなんてウソさ♪」と大声で歌いながら歩くのだ。

 

バロックの音楽家と校長室の歴代の校長の霊を引き連れ、学校を出てピクニックをし、ボートに乗って遊ぶ中学生あみ子。 



そんな想像を巡らしながら、自室で大声で歌い、父に注意される。

 

あみ子は母と初めて喫茶店で会ったときの事を思い出していた。 


ここで、「あみ子さん」と呼ぶ母が継母である事実が明かされる。

 

あみ子を案じる担任が家庭訪問し、母が精神的な病気であることを説明する父。

 

あみ子は母が入院していたことを知り、今は家にいると聞くと、「あ~びっくりした」と安堵する。

 

フライドチキンの骨をカリカリ食べるあみ子。

 

「お母さんに、“ご飯作って”って言ってみようや」

「あみ子、引っ越しするか」

「え?…分かった。離婚するんじゃろ?」 


あみ子の部屋で父が引っ越しの荷物の仕分けをする。

 

父が勿体ないと、一枚だけ撮ったインスタントカメラを残そうとすると、あみ子がそれを捨ててしまう。

 

トランシーバーが見つかり、それは残すと言うのだ。

 

弟とスパイごっこしようとするつもりの、もう一つのトランシーバーが見つからず、父が隠したと騒ぎ立てるあみ子。

 

父が無言で拳を畳みに打ち付ける。

 

「弟じゃない…」 


あみ子は弟の霊だと言い張り、その音をベランダで聞こうと、父のセーターを引っ張り続ける。

 

「…妹じゃ。女の子じゃった」

「何?女の子の霊?」

「霊じゃない。あみ子、今、お父さんは霊の話はしとらんよ。人間じゃ。女の子の赤ちゃんじゃ」


「赤ちゃん?」

「…あみ子には分からんよ」

 

試験中に「オバケなんてないさ」を鼻歌で歌い、教師に廊下で歌うように言われ、そのまま保健室へ行く。 

試験も受けずに教室を出て行く


保健室の養護教諭にマイクをもらい、大声で歌い捲る。

 

そこにのり君が真っ青な顔をして保健室で休みに入って来た。

 

ずっと下を向いたのり君にジュースを出し、教諭にクッキーをもらう。

 

以前、あみ子の誕生日に父から貰ったチョコレートクッキーを、その時と同じようにチョコだけ舐めるあみ子。

 

そのクッキーを食べさせようと、のり君の背中を叩き続けるが、全く反応がない。

 

ひたすらチョコを舐め続けていると、突然、のり君が顔を上げ、「クッキーじゃろ。あれは…」と言い、そこで初めてあの時食べたクッキーの意味が分かり、怒りがピークに達した。 

この後、ボコボコに殴られ骨折する


ソファの上に立ったあみ子は、「好きじゃ!」と繰り返し叫ぶ。

 

のり君はそれに対抗して、「殺す!」と言って罵倒するが、止めようとしないあみ子の顔面にパンチを食らわし、ソファから落ちたあみ子を更に殴り続ける。

 

顔面から血を流すあみ子を、父が慌てて病院へ連れて行くと鼻が骨折していた。

 

その後も、あみ子の部屋では変な音がして、トランシーバーで交信する。

 

「応答せよ、応答せよ、こちら、あみ子…お父さんとお母さんが離婚することになりました。お父さんと引っ越すことになりました。だからもう、家にはおらんかもしれません。ご近所さんともさようなら。のり君ともさようなら。のり君、泣いてた…」 


何の反応もないトランシーバーに語りかけていると、ベランダでまた音がする。

 

「応答せよ、応答せよ…怖い怖い怖い怖い!お兄ちゃん、助けて!」

 

そこに孝太が土足で部屋に入って来て、ベランダの植木鉢を割ると、ハトが飛んで行った。

 

あみ子が這ってベランダに出ると、鳥の巣に卵が産み落とされていた。 


手を伸ばすと、孝太が巣ごと「どりゃ~!」と叫んで投げ捨て、無言で去って行く。

 

このエピソードで、あみ子を悩ます音の原因が判然とするに至った。

 

あみ子が誰もいない教室で、後ろに張り出された習字を眺めていると、坊主頭が来たので、のり君のはどれかと訊ねる。

 

のり君が「鷲尾佳範」(わしおよしのり)という名であることを初めて知ったあみ子。 



まもなく、あみ子は父に連れられ、祖母の家に引っ越して来た。

 

あみ子は祖母と2人で暮らすことになり、その夜、父は帰って行く。 

父を見送るあみ子と祖母


明け方、庭で可笑しげなスキップを始め、そのまま海の方へスキップで向かって行った。

 

「オバケなんてないさ」の鼻歌を歌いながら、波打ち際に立ち、さざ波を足に受ける。

 

ボートに乗った幽霊たちが、沖の方からあみ子を手招きする。 


あみ子は手を振って返し、しばらくするとボートは去って行く。 


「まだ冷たいじゃろ」

 

後ろから声がかかる。

 

振り向いたあみ子は、元気よく答える。

 

「大丈夫じゃ!」 


 

 

3  小さなスポットに置き去りにされた感情を共有できない無力感

 

 

 

物事を二次元的にしか見れないあみ子の視点で描く物語。  

のり君(右)

好きなもの、好きなことしか見れず、客観世界が存在しないかのように、適応的な行動がとれない幼児性。

 

ベランダの音が幽霊のものと信じる心の未発達が、中一まで続く。

 

坊主頭に気持ち悪いと言われて、どこが気持ち悪いかを訊ねるエピソードは、あみ子が自己を客観的に捉えられるようになった事実を意味し、物語の収斂点になっていた。 


「お前は、鷲尾しか見てないもんの。あいつにどんだけ気持ち悪がられても懲りんかった…」

「どこが気持ち悪かったかね?…一から教えて欲しい。気持ち悪いんじゃろ?どこが?」


「どこがって、そりゃあ…そりゃあ…そりゃあ、わしだけの秘密じゃ」

 

幽霊の正体が、ハトであると孝太によって示され、幽霊ではなかったと知るあみ子。 


一人の児童が少女に飛翔していく瞬間だった。

 

ほんの少しずつ、自分の視点の誤りを知り、幼児的な自己中心性から脱却していくのである。

 

父と離れ、預けられた祖母の家から海に出て、幽霊に誘われるが、手を振り決別し、幽霊時代の終焉を迎えるのだ。 


あみ子なりの、遅いが発達の段階を踏んで成長して、力強く生きていく希望に繋がっているからである。

 

但し、主人公へのラベリングを拒否するかのように、発達障害、知的障害の類型、学校の行政的対応の現実性と切り離し、ただ「風変わりな子」の非適応的な行動のエピソードと家庭崩壊にリアリティを持たせただけの、虚構性に満ちたあみ子の成長物語。 



「類宦官症」(るいかんがんしょう)という生物学的アプローチなしに、「流浪の月」の本質の理解に及ばないように、本篇もまた、発達心理学のアプローチ(後述)なしに、主人公の内面世界を捕捉することなど叶わないだろう。 

「いつまでも、俺だけ大人になれない。更紗はちゃんと大人になったのに。俺はハズレだから。こんな病気のせいで、誰にも繋がれない」(「流浪の月」より)



そのことは、大袈裟に見える印象付けの画になってしまった、母の号泣・苦衷に思いを架橋し得ない本篇のコアが表現しているように、感情を共有できないことの無力感だけが、田舎町の小さなスポットに置き去りにされてしまうのだ。 


この切なさ・哀しさが物語を貫流していて、とうてい、「風変わりな純粋無垢の少女」がフル稼働する、「奇妙で滑稽で、でもどこか愛おしい人間たちのありよう」(公式ホーム)という、時代遅れで、至要たるアップデートを拒む綺麗事の言辞では受容し得ない辛い映画でもあった。

 

この映画への特段の物言いではないが、いい加減に、「イノセンス信仰」という絶対善の如き思考回廊と距離を置いた方がいい。



因みに、セックスに走るダウン症者を描いた「八日目」や、同様に、セックスを止められない自閉症の女性を堂々と描いた「岬の兄妹」では、「障害者=天使」というイノセンスを破壊し切った傑作だった。 

八日目」より

小人症の若者と性を愉悦する自閉症の女性/「岬の兄妹」より



初めての子を流産した辛さに逆捩(ねじ)を喰らわされたかのような衝撃で、鬱のダークな世界に呑み込まれていく母と、その母を介護せねばならない父の辛さはとても理解できる。 


しかし、映画は両親の辛さを描かない。描いたのは、一人称の原作のトレース。


全てが可視化される映画とは基本的に文化フィールドが異なるにも拘らず、一人称の原作を、ほぼそのままなぞってしまえば、観る者に両親の辛さが届くことが希釈される。


母を庇う優しい兄が唐突に番長になって、その母の塾の授業料を奪い取っても、無力な両親の惨めさだけが晒されてしまうのみ。


もう少し、客体化・相対化・重層化すべきだったのではないか。


ついでに言えば、映画「星の子」が秀作だったのは、一人称の原作をトレースしただけの作品に落とし込まなったからである。

星の子」より



それ故に、ケチをつける気はないが、コンセプトの違いを重々承知していてもなお気になるのは、自閉症の内面に入り、その両親の苦労と煩悶を誠実に描いた「僕が跳びはねる理由」と切れ、本篇は「イノセンス信仰」に拘泥し、それを是とする印象を持たせる映画だったということ。


そう言う外になかった。 

僕が跳びはねる理由」より


【DSM-5で言う知的障害とは、概念的(知識・思考)、社会的(セルフ・コントロール、コミュニケーション)、実用的な領域(金銭などの自己管理)における知的・適応機能能力の欠陥を含む障害のこと。 



また、「発達障害者支援法」による発達障害とは、自閉症、アスペルガー症候群らの「広汎性発達障害」、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)らに類する脳機能障害のこと。


これは、第三者の継続的アウトリーチを不可避にしていることを意味する。(知的障害と発達障害は併発するケースが多い 

発達障害者支援法

知的障害と発達障害の違い



明らかに、IQ(知的能力)・EQ(感情察知能力)・SQ(社会的適応能力)の遅れを否定できないことを前提に言えば、物語の主人公あみ子は、知的障害とADHD、LDを併発していたと考えられる。


コミュニケーションの難しさ・学習技能を身につけることが難しさ・柔軟に考え、物事に対処することの難しさ・行動のコントロールの難しさを体現するあみ子もまた、この文脈で把握すべきだろう 


(2023年2月)

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