
1 「うぉー!これで赤ちゃんとスパイごっこができる!」
「のり君、知らん?」
放課後、友達に訪ね歩く小学生5年生の田中あみ子(以下、あみ子)。
見つからず家に帰ると、母が開いている書道教室を覗くと、そこにのり君がいた。
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あみ子 |
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のり君 |
生徒の一人の坊主頭が、「あみ子だ!」と指を差す。
「あみ子さん、あっちで宿題してなさい」
「入ってらんもんね。見とっただけじゃ」
「いけません」
「あみ子も習字する」
「宿題終わってないのに、お習字してはいけません」
「じゃ、見とく」
「いけません。ちゃんと宿題して、毎日学校にも行って、先生の言うことも、ちゃんと聞けるんだったらいいですよ。できますか?授業中に歌を歌ったり、机に落書きしたりしませんか?ボクシングも裸足のゲンもインド人も、もうしないと約束できますか?できるんですか?できますか?」
あみ子と母 |
あみ子は母の話はうわの空で、母の口元もの大きなホクロを見つめている。
書道教室が終わり、のり君を捕まえ、金魚たちの墓参りに誘う。
のり君は儀礼的に誘いに応じ、さっさと帰っていく。
その日はあみ子の誕生日で、父がプレゼントを渡すや、包装紙を乱暴に剥(は)がすと、あみ子が欲しがっていたトランシーバーが入っていた。
父母、兄・孝太とあみ子の4人家族 |
「うぉー!これで赤ちゃんとスパイごっこができる!」
更に父は、生まれてくる赤ちゃんの写真を撮ってあげるようにと言って、あみ子にインスタントカメラをプレゼントする。
早速、そのカメラの練習で、父母と兄・孝太の写真を撮るが、母が手鏡を持っ髪を直すのを待ってと言ったにも拘らず、そのまま撮ってしまうので、母は気分を害す。
母があみ子の好物の五目御飯を用意したが、「こっちがええ」と、父が買って来たクッキーを食べ始める。
クッキーのチョコレートだけをペロペロ舐めながら、ずっと母のホクロを見つめるあみ子。
そのことで、孝太に「じろじろ見過ぎるな」と注意され、「うん」と答えるあみ子だが、今度は兄の十円ハゲを見たいと、無理やり兄の頭を掴む。
翌日、のり君に一方的に話をして絡み、チョコと言いながらチョコのついていないクッキーを食べさすのだ。
大雨の日、母の陣痛が始まるが破水し、孝太と共に母を抱え、父が病院へ連れて行った。
留守番するあみ子は、兄を相手にトランシーバーの練習をするが、兄からの応答がない。
一旦帰って来た父が孝太に話をした後、その足で病院へ戻ってしまった。
「赤ちゃんは?どこにおるん?」
「どこにもおらん」
退院して布団で横になっている母に、おやつを運んだり、手品を見せたりするあみ子。
母と一緒に近所の公園へ行き、お弁当を食べる。
「孝太さんに貰ったお箸を使って、あみ子さんと一緒に作ったお弁当を食べて、お母さんほんと嬉しいわ」
書道教室を再開する話をし、あみ子も一緒に参加することを許可する母。
「今日から習字教室が始まるよ!」
「帰りの会」の最中の教室に大声で呼びかけ、教師に注意されるあみ子。
そこに坊主頭が、のり君に投げキッスするあみ子とのり君を囃し立てると、のり君は「わー!」と叫び、下を向く。
のり君 |
それでものり君は、あみ子と一緒に帰り、あみ子は嬉しくてたまらない。
「僕、お母さんから頼まれとるだけじゃけぇね。“孝太君の妹は変な子じゃけど、虐めたりしちゃいけんよ”って。“何か変な事しようとしたら、注意してあげるんよ”って。じゃけぇ一緒に帰ってあげとんじゃ」
嫌がるのり君に、弟の墓の字を書いてもらうあみ子。
あみ子は母の手を引き、自分が作った弟の墓を見せるや、母はその場に蹲(うずくま)り号泣してしまう。
その声を聞きつけてやって来た孝太が、「何これ?」と墓のプレートを引き抜き、ちょうど帰って来た父が母を連れて行く。
その翌日、のり君が泣きながら父親に連れられ、謝罪しに来た。
学校であみ子は「お前のせいで怒られた」とのり君に蹴飛ばされる始末。
家に帰ると、変な臭いがすると騒ぐあみ子に、父は孝太がタバコを吸っているんだろと答える。
あみ子は孝太にやめさせようと圧(の)し掛かるが、反対に投げ飛ばされる。
「うっさいんじゃ!お前、死ね!」
タバコを吸っている孝太を咎めない無気力な父親。
書道教室の生徒は激減し、勝手にゲームをしているが、母はうな垂れ注意もしない。
土足で上がって来た孝太が母に金をせびり、月謝を奪い取ろうすると、教室を覗いていたあみ子が阻止しようとして叩き飛ばされる。

のり君の授業料を持って行くなと言って兄に抵抗するあみ子 |
孝太は既に不良仲間に入り、バイクを乗り回しているのだ。
例の一件以来、この家庭は内部から壊れ切っているようだった。
2 「応答せよ、応答せよ、こちら、あみ子」
中学生になったあみ子は、トイレで3人の女子に蹴飛ばされ虐めを受けるが、不良で名を馳せた田中先輩の妹と分かると、3人はすぐ止め謝罪する。
相変わらず、のり君に執着するあみ子は、クラスメートののり君に声をかけるが、無視される。
同じクラスの坊主頭とだけは、あみ子との会話が成立しているようだ。
父母が帰って来ると、母はあみ子を避け、食事の支度もしない。
父とレトルトパックのご飯を食べるあみ子。
夜になってベランダから音がするが誰もおらず、それを父母に話すが、鬱状態の母は伏せたままで身動きせず、父は話を受け流すだけで取り合わない。
「変な音が聞こえるんじゃけど」
学校の体育の授業でも、変な音がすると生徒に話しかけ、「キモ」と言われ、あみ子は列から離れ走って行くのを教師が必死で追い駆ける。
父母の寝室に来て、ここで寝ると言うあみ子。
「ベランダに霊がおるんよ」
「霊はあみ子の気のせいじゃ。テレビの見過ぎなんよ」
「気のせいじゃない。弟の霊かも知れん。昔、弟死んどったやん。今も、成仏できんかったんかな?…お父さん?」
父は横になっている母を見やり、無言であみ子を部屋から追い出した。
「なあ、お前って何なん。全然学校来(こ)んし。来たと思ったら、臭いし。おい、分かっとん?お前の兄貴、もう退学になったんぞ。その意味、分かっとんか?」
「兄貴?」
「バカ!今までお前の兄貴にビビッて、皆遠慮しちょったけど、兄貴おらんようになったら、お前なんか指でブチッてやられて終わりなんよ。分かるじゃろ?殺されるかもしれんって言っとんじゃ」
風呂にも入らず、裸足で教室にいるあみ子に絡む坊主頭。
「でも、ええのう。なんか。自由の象徴じゃのう。でも、虐めの象徴でもあるけどのう」
「ベランダに幽霊おるんじゃけど」
聞く耳もなく、一人の教室でも変な音が聞こえてくるあみ子。
教室を裸足で、「オバケなんてないさ♪オバケなんてウソさ♪」と大声で歌いながら歩くのだ。
バロックの音楽家と校長室の歴代の校長の霊を引き連れ、学校を出てピクニックをし、ボートに乗って遊ぶ中学生あみ子。

そんな想像を巡らしながら、自室で大声で歌い、父に注意される。
あみ子は母と初めて喫茶店で会ったときの事を思い出していた。
ここで、「あみ子さん」と呼ぶ母が継母である事実が明かされる。
あみ子を案じる担任が家庭訪問し、母が精神的な病気であることを説明する父。
あみ子は母が入院していたことを知り、今は家にいると聞くと、「あ~びっくりした」と安堵する。
フライドチキンの骨をカリカリ食べるあみ子。
「お母さんに、“ご飯作って”って言ってみようや」
「あみ子、引っ越しするか」
「え?…分かった。離婚するんじゃろ?」
あみ子の部屋で父が引っ越しの荷物の仕分けをする。
父が勿体ないと、一枚だけ撮ったインスタントカメラを残そうとすると、あみ子がそれを捨ててしまう。
トランシーバーが見つかり、それは残すと言うのだ。
弟とスパイごっこしようとするつもりの、もう一つのトランシーバーが見つからず、父が隠したと騒ぎ立てるあみ子。
父が無言で拳を畳みに打ち付ける。
「弟じゃない…」
あみ子は弟の霊だと言い張り、その音をベランダで聞こうと、父のセーターを引っ張り続ける。
「…妹じゃ。女の子じゃった」
「何?女の子の霊?」
「霊じゃない。あみ子、今、お父さんは霊の話はしとらんよ。人間じゃ。女の子の赤ちゃんじゃ」
「赤ちゃん?」
「…あみ子には分からんよ」
試験中に「オバケなんてないさ」を鼻歌で歌い、教師に廊下で歌うように言われ、そのまま保健室へ行く。
試験も受けずに教室を出て行く |
保健室の養護教諭にマイクをもらい、大声で歌い捲る。
そこにのり君が真っ青な顔をして保健室で休みに入って来た。
ずっと下を向いたのり君にジュースを出し、教諭にクッキーをもらう。
以前、あみ子の誕生日に父から貰ったチョコレートクッキーを、その時と同じようにチョコだけ舐めるあみ子。
そのクッキーを食べさせようと、のり君の背中を叩き続けるが、全く反応がない。
ひたすらチョコを舐め続けていると、突然、のり君が顔を上げ、「クッキーじゃろ。あれは…」と言い、そこで初めてあの時食べたクッキーの意味が分かり、怒りがピークに達した。
この後、ボコボコに殴られ骨折する |
ソファの上に立ったあみ子は、「好きじゃ!」と繰り返し叫ぶ。
のり君はそれに対抗して、「殺す!」と言って罵倒するが、止めようとしないあみ子の顔面にパンチを食らわし、ソファから落ちたあみ子を更に殴り続ける。
顔面から血を流すあみ子を、父が慌てて病院へ連れて行くと鼻が骨折していた。
その後も、あみ子の部屋では変な音がして、トランシーバーで交信する。
「応答せよ、応答せよ、こちら、あみ子…お父さんとお母さんが離婚することになりました。お父さんと引っ越すことになりました。だからもう、家にはおらんかもしれません。ご近所さんともさようなら。のり君ともさようなら。のり君、泣いてた…」
何の反応もないトランシーバーに語りかけていると、ベランダでまた音がする。
「応答せよ、応答せよ…怖い怖い怖い怖い!お兄ちゃん、助けて!」
そこに孝太が土足で部屋に入って来て、ベランダの植木鉢を割ると、ハトが飛んで行った。
あみ子が這ってベランダに出ると、鳥の巣に卵が産み落とされていた。
手を伸ばすと、孝太が巣ごと「どりゃ~!」と叫んで投げ捨て、無言で去って行く。
このエピソードで、あみ子を悩ます音の原因が判然とするに至った。
あみ子が誰もいない教室で、後ろに張り出された習字を眺めていると、坊主頭が来たので、のり君のはどれかと訊ねる。
のり君が「鷲尾佳範」(わしおよしのり)という名であることを初めて知ったあみ子。
まもなく、あみ子は父に連れられ、祖母の家に引っ越して来た。
あみ子は祖母と2人で暮らすことになり、その夜、父は帰って行く。
父を見送るあみ子と祖母 |
明け方、庭で可笑しげなスキップを始め、そのまま海の方へスキップで向かって行った。
「オバケなんてないさ」の鼻歌を歌いながら、波打ち際に立ち、さざ波を足に受ける。
ボートに乗った幽霊たちが、沖の方からあみ子を手招きする。
あみ子は手を振って返し、しばらくするとボートは去って行く。
「まだ冷たいじゃろ」
後ろから声がかかる。
振り向いたあみ子は、元気よく答える。
「大丈夫じゃ!」
3 小さなスポットに置き去りにされた感情を共有できない無力感
物事を二次元的にしか見れないあみ子の視点で描く物語。
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のり君(右) |
好きなもの、好きなことしか見れず、客観世界が存在しないかのように、適応的な行動がとれない幼児性。
ベランダの音が幽霊のものと信じる心の未発達が、中一まで続く。
坊主頭に気持ち悪いと言われて、どこが気持ち悪いかを訊ねるエピソードは、あみ子が自己を客観的に捉えられるようになった事実を意味し、物語の収斂点になっていた。
「お前は、鷲尾しか見てないもんの。あいつにどんだけ気持ち悪がられても懲りんかった…」
「どこが気持ち悪かったかね?…一から教えて欲しい。気持ち悪いんじゃろ?どこが?」
「どこがって、そりゃあ…そりゃあ…そりゃあ、わしだけの秘密じゃ」
幽霊の正体が、ハトであると孝太によって示され、幽霊ではなかったと知るあみ子。
一人の児童が少女に飛翔していく瞬間だった。
ほんの少しずつ、自分の視点の誤りを知り、幼児的な自己中心性から脱却していくのである。
父と離れ、預けられた祖母の家から海に出て、幽霊に誘われるが、手を振り決別し、幽霊時代の終焉を迎えるのだ。
あみ子なりの、遅いが発達の段階を踏んで成長して、力強く生きていく希望に繋がっているからである。
但し、主人公へのラベリングを拒否するかのように、発達障害、知的障害の類型、学校の行政的対応の現実性と切り離し、ただ「風変わりな子」の非適応的な行動のエピソードと家庭崩壊にリアリティを持たせただけの、虚構性に満ちたあみ子の成長物語。

「類宦官症」(るいかんがんしょう)という生物学的アプローチなしに、「流浪の月」の本質の理解に及ばないように、本篇もまた、発達心理学のアプローチ(後述)なしに、主人公の内面世界を捕捉することなど叶わないだろう。
「いつまでも、俺だけ大人になれない。更紗はちゃんと大人になったのに。俺はハズレだから。こんな病気のせいで、誰にも繋がれない」(「流浪の月」より)
そのことは、大袈裟に見える印象付けの画になってしまった、母の号泣・苦衷に思いを架橋し得ない本篇のコアが表現しているように、感情を共有できないことの無力感だけが、田舎町の小さなスポットに置き去りにされてしまうのだ。
この切なさ・哀しさが物語を貫流していて、とうてい、「風変わりな純粋無垢の少女」がフル稼働する、「奇妙で滑稽で、でもどこか愛おしい人間たちのありよう」(公式ホーム)という、時代遅れで、至要たるアップデートを拒む綺麗事の言辞では受容し得ない辛い映画でもあった。
この映画への特段の物言いではないが、いい加減に、「イノセンス信仰」という絶対善の如き思考回廊と距離を置いた方がいい。
因みに、
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「八日目」より |
小人症の若者と性を愉悦する自閉症の女性/「岬の兄妹」より |
初めての子を流産した辛さに逆捩(ねじ)を喰らわされたかのような衝撃で、鬱のダークな世界に呑み込まれていく母と、その母を介護せねばならない父の辛さはとても理解できる。
しかし、映画は両親の辛さを描かない。描いたのは、一人称の原作のトレース。
全てが可視化される映画とは基本的に文化フィールドが異なるにも拘らず、一人称の原作を、ほぼそのままなぞってしまえば、観る者に両親の辛さが届くことが希釈される。
母を庇う優しい兄が唐突に番長になって、その母の塾の授業料を奪い取っても、無力な両親の惨めさだけが晒されてしまうのみ。
もう少し、客体化・相対化・重層化すべきだったのではないか。
ついでに言えば、映画「星の子」が秀作だったのは、一人称の原作をトレースしただけの作品に落とし込まなったからである。

「星の子」より |
それ故に、ケチをつける気はないが、コンセプトの違いを重々承知していてもなお気になるのは、自閉症の内面に入り、その両親の苦労と煩悶を誠実に描いた「僕が跳びはねる理由」と切れ、本篇は「イノセンス信仰」に拘泥し、それを是とする印象を持たせる映画だったということ。
そう言う外になかった。
「僕が跳びはねる理由」より |
【DSM-5で言う知的障害とは、概念的(知識・思考)、社会的(セルフ・コントロール、コミュニケーション)、実用的な領域(金銭などの自己管理)における知的・適応機能能力の欠陥を含む障害のこと。
また、「発達障害者支援法」による発達障害とは、自閉症、アスペルガー症候群らの「広汎性発達障害」、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)らに類する脳機能障害のこと。
これは、第三者の継続的アウトリーチを不可避にしていることを意味する。(知的障害と発達障害は併発するケースが多い)
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発達障害者支援法 |
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明らかに、IQ(知的能力)・EQ(感情察知能力)・SQ(社会的適応能力)の遅れを否定できないことを前提に言えば、物語の主人公あみ子は、知的障害とADHD、LDを併発していたと考えられる。
コミュニケーションの難しさ・学習技能を身につけることが難しさ・柔軟に考え、物事に対処することの難しさ・行動のコントロールの難しさを体現するあみ子もまた、この文脈で把握すべきだろう】
(2023年2月)
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