大牧ボクシングジムに所属する二人のボクサー。
一人は成果が出ずとも、ボクシングを愛する気持ちは変わらず、誰にでも優しく、面倒見が良い瓜田(うりた)。
瓜田 |
もう一人は、才能があり、本気でチャンピオンを目指す、瓜田の後輩で親友の小川。
瓜田 |
その小川の恋人で、瓜田の幼馴染でもあり、美容室に勤める千佳(ちか)は、小川のパンチドランカーの兆候を疑い、検査に行くことを勧めるよう瓜田に頼む。
小川が検査に行くことを瓜田に頼む千佳 |
MRIの結果、普通の人より脳の白い部分が多く、慢性的な場合、認知症のような症状になると医者に言われてしまう。
「その場合、ボクシング続けるのは、ちょっと難しいかな」と担当医。
病院から出た小川は、千佳に「俺、辞めないよ」と一言。
再計量で、何とかパスした小川の試合の前座試合でリングに上がった瓜田は、呆気なく負けてしまう。
期待通り小川は勝つが、その映像は提示されない。
提示されたのは、又候(またぞろ)、惨めにリングに沈んでも明るく振舞う瓜田への、千佳の優しい励まし。
「私、格好悪くても好きだよ。瓜ちゃんが戦ってる姿」
負けても気落ちせず、練習に励む瓜田。
そんな瓜田は、勤務先の女の子の気を引くためだけに、「ボクシングやっている風」を目指す気弱な男・楢崎(ならざき)の相手となって指導している。
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ジムを訪ねる楢崎 |
しかし、楢崎の〈現在性〉は極めてハード。
両親を喪い、認知症の初発点にある祖母を世話し、ゲーセンで働く彼の青春の景色は苛酷さを印象づける。
認知症が悪化すれば、ジムに通うのも難しくなるだろう |
その楢崎に対して、ごく普通に、瓜田は穏健な態度で接する。
「だいぶ、上手くなりましたね。楢崎君、体力もあるし、練習量も多いから、伸びるの早いですよ」
「本当っすか」
満面の笑みを浮かべる楢崎。
本人が望まない初めてのスパーリングでボコボコにされ、ソファに横たわって泣きじゃくる楢崎に励ます瓜田。
「もう、二度とやりたくないです」
「良かったですよ。モーション少ないし、手応えあったんじゃないですか?」
その言葉を耳にして、満更でもない表情に変化した楢崎は、その後は練習に励み、スパーリングもこなしていく。
小川は少しずつ物忘れの症状が出たり、突然、頭痛に襲われたりするようになってきた。
頭を抱える小川と、心配する千佳 |
小川を案じる千佳が、今度は引退を勧めることを瓜田に頼む千佳 |
プロテストに受かった楢崎は、職場で好きな女子店員にそれを誇示する。
一方、いつもバカにする楢崎と共にテストを受けて落ちた洞口(どうぐち)は、瓜田のスパーリング指導を途中で放棄する。
「基本身に付けたら、強くなるんですか?そういう瓜田さん、全然勝てないじゃないですか」
「まあ、俺は勝てないけど…」
「俺、勝てないボクシングとか、教わりたくないんすよね」
言葉を返せない瓜田。
洞口がスパーリングで、瓜田を圧倒したあとの会話が興味深い。
「瓜田さんて、一応プロじゃないですか。そのプロにこれだけパンチ当たるんだから、自分のスタイルって間違ってないと思わないですか」
「洞口はセンスあると思うし、実際、強いよ。でも、基本がないからプロテストに落ちたわけでしょ?」
「それ、おかしいっすよね。基本があれば弱くてもプロって。瓜田さん、基本しっかりしてるけど、めっちゃ弱いじゃないですか。それがプロっていうことですか?」
更に洞口は、二人の会話を聞いている楢崎へ指を差して、言い放つのだ。
「あいつだって、テストの時、ビビりながら、ちょこちょこ手出してただけじゃないですか。あんなんでプロになれるなら、誰でもなれますよ」
その嫌味を耳にした楢崎は、洞口にスパーリングを求めたことで、早速、実現する。
楢崎は、的確なパンチを繰り出し、洞口をKO寸前まで追い詰めた。
ガードを下げて、振り回すだけの洞口に対し、楢崎は瓜田に教わった通り、あくまで基本に忠実なボクシングに徹した成果だった。
脚がふらつく洞口(左) |
「いいじゃん。これだったら、いつでも試合できるよ。自信持っていいよ。俺なんかより、ずっとセンスあるし」
ここでも、嫌味にならない、楢崎を励ます瓜田の褒め言葉。
その直後、ソファに横たわっていた洞口の身体に異変が起き、救急搬送され、応急処置が取られた。
頭部にダメージを受けた洞口は、入院することになる。
瓜田に伴われ見舞いに行った楢崎は、ボクシングが出来なくなった洞口を前に何も言えず、逆に励まされるばかり。
病院から帰る楢崎は、自らが犯した行為に煩悶し、嗚咽を漏らすのだ。
片や、症状が悪化し、運輸会社の仕事で配送ミスをして謝罪することになっても、チャンピオンを目指す小川の意志は変わらない。
かくて、小川のタイトルマッチの日程が決まり、楢崎のデビュー戦も決まった。
タイトルマッチが決まり、喜ぶ小川 |
しかし、またも小川の身体に異変が起きてしまう。
自転車で転倒し、意識が朦朧として、焦点が合わないのだ。
そんな渦中で迎えた、小川のタイトルマッチの当日。
前座戦で瓜田が戦った相手は、この試合がデビュー戦ではあるが、キックボクサーとしてのキャリアがあった。
「あれ、元キックボクサーだ。しかも、かなりキャリアあると思う」 |
その相手に苦戦する瓜田は、試合を弄(もてあそ)ばれた挙句、KOされてしまう。
担架を用意された瓜田だが、自分の足でリングから降り、次の試合の順番を待つ楢崎の肩に手を置き、左手を挙げながら消えて行った。
デビュー戦の楢崎は、呆気なくKOされて試合にならなかった。
そして、始まった小川のタイトルマッチ。
リング下から、瓜田が「アッパーを出せ!」と何度も声を掛ける。
その後ろ姿を見る千佳の目から涙が零れる。
小川は瓜田との練習の際に強調していた、左フックを決め、相手のダウンを誘った。
その左フックは、基本に拘泥する瓜田が異議を唱えていた戦略だった。
「お前、やっぱ凄いわ」
客席から瓜田は、そう呟いた。
腹を括っていた男の中で、何かが壊れていく。
小川のTKO勝ちだった。
大牧ボクシングジムで30年ぶりとなる、新チャンピオン(日本スーパーウェルター級)が誕生した瞬間である。
2 長靴を履いた格好で、軽く始めたシャドーボクシングが、いつしか熱を帯びていく
試合後の祝賀会で、皆にビールを振舞う瓜田。
楢崎はそんな瓜田に、試合後に酒を飲むなと注意された。
「試合の後って、脳の血管が傷ついているから、酒飲んだら血管広がって…」
「だから、分かりましたよ」
不貞腐(ふてくさ)れる瓜田は、小川に突っかかる。
「何で、そんな、ヘラヘラしてられるんですか?瓜田さん、悔しいとか、思わないんですか?」
「いや、悔しいよ。悔しいけどさ、その悔しさをバネにして次に頑張れば…」
「バネにしてって、瓜田さん、バネになってないじゃないですか。毎回、負けてるじゃないですか」
「そう。うん、そうだね」
「毎回負けてる人に、平気でアドバイスされても、困るんですけど」
そこで、立ち上がり、ビールを飲もうとする楢崎の頬を、千佳が思い切り叩いた。
「あんたが試合後じゃなかったら、もっと殴ってるから」
「すいません」
その後、瓜田と小川、千佳が帰路に就く。
別れ際、瓜田が小川に吐露する。
「俺さ、本当は今日、お前が負ければいいと思ってた。いや、今日だけじゃなくて、今までずっと、お前が負けること、祈ってたよ」
「どうした瓜田ちゃん、殴られ過ぎたか?」と千佳。
「大丈夫です。分かってたんで」と小川。
「そうか」
「はい」
その言葉を受け、瓜田は二人と別れていく。
楢崎がいつものようにジムに来ると、瓜田の姿がなかった。
会長に聞くと、先の前座戦が最後の試合と決めていたと言うのだ。
そんな中、小川と千佳の結婚式が執り行われた。
瓜田を倒したボクサーの試合に、楢崎が志願したのは、その直後だった。
「瓜坊の仇討ちか」
会長は楢崎の頭を撫(な)で、承認する。
まもなく、小川の防衛戦と、前座を務める楢崎の試合が迫り、練習にも力が入る。
試合前日の計量が無事に終わり、二人は食事を摂りながら、瓜田の話になった。
楢崎は瓜田から届いた、試合のアドバイスを細かに記したノートを小川に見せる。
ページを捲(めく)り、目を通す小川が呟く。
「あの人、本当に強ぇよ…試合で返せよ。最後の教え子なんだから」
小川は涙を滲ませながら、楢崎に漏らすのだ。
試合当日、楢崎は相変わらず押される一方だったが、瓜田との練習を想起し、その教え通りにパンチを繰り出し、形勢を挽回するに至る。
後楽園ホールの2階で、静かに試合の様子を見ていた瓜田も、楢崎の動きを、一つ一つ確認する。
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後楽園ホール |
互角の戦いだったが、楢崎は判定負けしてしまう。
そして、小川の防衛戦のゴングが鳴った。
目の上を切って劣勢に立たされた小川だったが、反転攻勢に転じ、相手をロープに追い詰めていく。
しかし、その瞬間、瞼から出血し、ドクターストップがかかり、無念の敗北を喫してしまうのだ。
―― その後、ボクサーを辞めた小川は、パンチドランカーの後遺症が発現してしまう。
運送会社の仕事で、運転ミスを犯して自販機を倒したことで、実況見分調書にサインすることになる。
そんな渦中で、シャドーボクシングをしている夫の姿を見た千佳は、食事中、体重を気にする小川に問い質す。
「カムバックなんか、考えてないよね」
「考えてないって」
それでも、小川は朝のランニングに励む。
そこで、同じくランニングしている楢崎に声をかけられ、一緒に並走していくのである。
ラストシーン。
瓜田は現在、魚市場で働いている。
長靴を履いた格好で、軽く始めたシャドーボクシングが、いつしか熱を帯び、全身に力が漲り、没入していくのだった。
3 3人の男のボクシング人生の振れ具合を描き切った傑作
松山ケンイチ、文句なく素晴らしい。
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大阪にまで足を延ばした試合でも敗北し、帰郷したその夜、「違う…違う…」と呟く瓜田の表情のカットは、観る者の心を打つ |
その佇まいが心に染みる。
【最後の教え子・楢崎の試合を見て、「相手が大振りになったら、よく見て、力まず、モーション小さく」などと呟き、応援する瓜田】 |
東出昌大、正直、驚かされた。
私が観た彼の作品の中でベスト。
楢崎を演じた柄本時生、千佳を演じた木村文乃、ジムの会長、皆、自然体で圧巻だった。
劇的なラストに収斂させる映画の感動譚と切れ、3人の男のボクシング人生の振れ具合が淡々と描かれる物語の、限りなく説明描写を蹴飛ばしながら、分かりやすさを崩さないという離れ業(わざ)をやってのけるシャープな展開は、観る者を釘付けにするのに充分過ぎた。
紛れもない傑作である。
―― 以下、批評。
この国のボクシング史に、その名を残す一握りの勝者と、その勝者によって倒され、引退を余儀なくされる数多(あまた)の敗者のラインが引きも切らず出現する格闘技の世界。
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そこに才能、努力、運不運の要素が絡みつつも、才能なしにチャンピオンになれるほど、この世界は甘くないだろう。
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世界のトップボクサーとして活躍する村田(左)、井上(中央)、井岡(右) |
しかし、殴り合って相手を倒すということが唯一許容される、一種異様なボクシングの世界には、個人差があれども、パンチドランカー(正式には「慢性外傷性脳症」/アメフト、ラグビーでも散見される)の後遺症の不安と恐怖が宿命づけられている。
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「引退後に認知機能障害も 重視される『脳振盪』への対応」より |
ボクシングは頭部へのダメージが集中するので、ボクサーの約20%が罹患すると言われるが、頭部への打撃が集中するプロボクシングでは、それ以上の確率で外傷性脳症の発現が多いと言われる。
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「高次脳機能障害|脳震盪などの頭部外傷を繰り返すことによる後遺症」より |
プロボクシングは、それほど危険な格闘技なのだ。
だから、自らの健康に責任を持ち、管理するセルフメディケーションが求められる。
本作の主人公・瓜田は、このセルフメディケーションを確保しているから、新米の楢崎に対して注意を促していた。
「試合の後って、脳の血管が傷ついているから、酒飲んだら血管広がって…」 |
ところが、そのセンスの良さでチャンピオンにまで上り詰めていく小川は、セルフメディケーションが極めて脆弱だった。
左フックで相手をKOするインファイトでチャンピオンになることしか頭にないから、パンチドランカーの症状が出ても、一過的なものとしか考えず、前に進んでいくばかり。
このことは、念願のチャンピオンになっても、肝心の勝利インタビューの際、勝因を聞かれても呂律が回らなくなるというシーンで無残なまでに表現されていた。
だから、その勢いで防衛戦に臨むことになるものの、ラウンド数も分からない状態で、インファイトで攻めた結果、出血し、チャンピオンベルトを失うことになる。
ラウンド数も分からなり、会長に「あと、3ラウンドだよ」と言われる始末 |
このパンチドランカーの負荷の重さを提示する映画の切れ味は鋭く、プロボクシングの世界の怖さを観る者に訴えながら、それでも、ボクシングに惹かれていく若者たちの心情を説得力のあるエピソードで描き出し、「敗者の美学」などという綺麗事を蹴散らせた映像の清新さは比類がなかった。
症状が悪化し、運輸会社の仕事で配送ミスを犯す |
また、映画は、ヘッドギアを着用したスパーリングで脳震盪を起こし、その脳のダメージでプロボクサーという絶対称号を手に入れられまま、ボクシングの世界から離れていく若者のエピソードも提示する。
頭部の打撃で脳震盪を起こす洞口(左) |
近年、ヘッドギアの着用が脳震盪を起こす危険性が言われているが、これは、ヘッドギアの重量が被る打撃を強化してしまうということに因る。
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「ボクサーたちが『ヘッドギア』を着けなくなった理由」より |
現に、2016年リオ五輪では、男子ボクシングの試合でヘッドギアが廃止されている。
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リオオリンピック/男子フライ52Kg級。コロンビアのセイベール・アヴィア(左)とメキシコのエリアス・エミグディオ(右) |
その辺りをも、この映画は問題提起するのだ。
ボクシングをこよなく愛し、ボクシング歴30年の吉田恵輔監督ならではの問題意識の反映なのだろうか。
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吉田恵輔監督 |
パンチドランカーの症状を呈してもなお、進軍を止めない青春を突っ走る小川の場合、目標に向かって一途に邁進(まいしん)する姿勢を支え切っているのが、自らのセンスの良さを信じ切る強さだった。
それが、タイトル戦で駆使した左フックの威力。
左フックで相手を倒した小川 |
対戦相手の特徴を調べて、ガードが甘いので、「左ボディ打つ時にアッパー」を強調する瓜田に対して、「いや、俺ならいけそうだからな」と言って、「左ボディの時にバックステップして、左フックのカウンターで一発で倒す」ことを主張する小川は、本番のタイトル戦で、「アッパー」を連呼して応援する瓜田の声に耳を傾けることなく、持論通りに左フックでKOするに至った。
アッパーを強調する瓜田 |
「いや、俺ならいけそうだからな」 |
「お前、やっぱ凄いわ」
小川のセンスの良さに脱帽する瓜田の呟きである。
だから、小川は進軍を止めなかった。
一方、研究心旺盛で、努力を重ねる基本重視(両手を曲げてしっかり構え、攻撃・防御可能な態勢でパンチを繰り出す)の瓜田は、負け試合を積み上げていくばかり。
センスがないのだ。
それは、本人も分かっている。
それでも止めない。
「進軍意識」が全くないわけではない。
そのステージにまで届かないだけなのだ。
センスがないから「勝者」と縁遠くなり、常に青コーナーでゲームを迎えることになる。
それでも、後輩を熱心に指導する。
そんな後輩から愚弄(ぐろう)されても、決して言い返さない。
後輩だけではない。
相変わらず、負けが続く瓜田に、ボクササイズ(ダイエット効果のための筋トレで、ジムの厳しい経営の一助を担う)に来ている中年女性からも、お節介を焼かれる始末だった。
「いい年なんだからさ。いつまでも、こんなことしてたらダメでしょ。就職とか、考えてないの?」
「就職ですか?」
「いつまでも、こんな目の出ないことしてて楽しいの?」
「楽しいって言うか、やりたいこと他にないんですよ」
ここでの最後の一言に、瓜田の思いが詰まっているのだ。
「ボクシング愛」と言っていい。
ボクシングが好きで好きで、堪らないのだ。
そんな男が、リングを降りることになる。
小川のタイトル戦の前座試合で、区切りをつけたのである。
それは、「敗者」のボクシング人生の打ち上げだった。
既に覚悟を括っていた。
その進軍が鈍走の延長でしかなかったことを自覚し、もう、プロの世界にしがみ付くのは止める。
いつものようにKOされ、今度もまた、小川のタイトル戦を見届け、リング下で叫びを上げる。
「アッパーを出せ!」
しかし、小川は、「左ボディの時にバックステップして、左フックのカウンターで一発で倒す」という戦略でタイトル戦を制した。
それを、まざまざと見せつけられた瓜田は、「お前、やっぱ凄いわ」と吐露する外になかった。
あまりに大きいセンスの差を感じ取った思いの束が、別離の際の告白に結ばれる。
「今までずっと、お前が負けること、祈ってたよ」
「分かってたんで」と反応する小川。
これには、重要な伏線がある。
タイトル戦を前にした二人の会話でのこと。
「俺、この試合勝ったら、千佳と結婚しようと思うんです…」
ここで、少し「間」が空く。
「あ、そうなんだ。じゃ、絶対勝たないと」
ここでも、「間」が空く。
「俺、勝っちゃっていいですか?」
「えー。何言ってんだよ」
笑みで返すが、二人の中で短い沈黙が流れるが、これを埋めたのが、小川のアパートの玄関のチャイムだったというエピソード。
―― 別離の際の告白のこと。
そこにはなお、千佳への想いを秘めた瓜田の心情を正確に読み取っている小川の遠慮が押し込まれている。
先輩に対する後輩の、嫌味にしない配慮が押し込まれているのだ。
「そうか」
「はい」
だから、淡泊に処理される。
二人は、もう、会うことはないだろう。
千佳もまた、薄々気づいていたに違いないが、しかし彼女にとって、瓜田の存在は信頼できる友人でしかなかった。
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千佳にバンテージを巻く瓜田 |
「私、格好悪くても好きだよ。瓜ちゃんが戦ってる姿」 |
男はそれも分かっている。
だが、この別離宣言だけはスルーできなかった。
そういう顛末だろう。
―― それでも、これだけは言える。
瓜田のボクシング人生の打ち上げは、「ボクシング愛」の収束点ではない。
だから、息づいている。
自らが教えた若者に、熱いアドバイスを送るのだ。
一冊のノートに、びっしり書き込まれた文字の束は、男の「ボクシング愛」の強さの決定的な証左である。
それに目を通す小川の目が、瞬く間に潤んでいく。
「あの人、本当に強ぇよ」
「ボクシング愛」の強さを感受した小川にとって、そこだけは絶対に追いつけない、異様なまでのハードルの高さだった。
これが、観る者の胸に迫るラストシーンに結ばれたのである。
(2022年5月)
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