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2022年6月23日木曜日

米騒動とは何だったのか 映画「大コメ騒動」('21)に寄せて  本木克英




1  「越中女一揆」の風景の一端

 

 

 

「大正七年、あらゆる権利を男が握っていた頃、富山県の漁村では、働く女房、“おかか“たちに生活の全てが委ねられていました」(ナレーション) 



女子校を中退し、17歳で漁師・利夫の元に嫁いで来たイト(いとを便宜的にイトにする)は、今や3人の子供を持つ“おかか”で、米俵を浜へ担いで運ぶ仲背(なかせ/仲仕:港湾荷役労働者)として働いている。 

イト



四月。

 

「おらもお前も、結局、体が動く限り真面目に働くしかないがよ。死ぬまでそうするしかないがやて」 

イトと利夫(右)

そう言って、利夫は識字能力のあるイトに本を渡し、喜んでもらう。


 

秋になったら帰って来ると言って、子供たちを抱き締め、イトの義母はそれを見守る。 


イトの義母タキ


「子供たちのこと、頼むぞ」

 

頷くイト。

 

艀船(はしけぶね)に乗って、海に出た利夫を、浜で見送るイト。 



「魚が獲れない時期になると、男たちは船に乗って、北海道や樺太に出稼ぎに行き、何か月も命懸けの漁をしていました」(ナレーション)

 

三か月後。

 

「当時、漁村の肉体労働者たちは、一日に白米を男は一升、女は八合も食べていました。とにかく、米が命の源だったのです」(ナレーション) 

コメを盛るフジ


漁町を仕切っている「清(きよ)んさのおばば」(以下、おばば)が、源蔵の浮気で揉(も)める妻トキとの間に入り、難なく収めるというエピソードが挿入される。 

清んさのおばばと源蔵(手前)


これは、富山の女の強さを物語るエピソード。

 

「仲背の日当は約二十銭。“おかか”たちは、これで亭主の一日分の米をやっと買えていたんですが…」(ナレーション)

 

既に、米一升が三十三銭に値上っていて、“おかか”たちは不満を募らせていた。

 

かくて、その不満が炸裂する。

 

「米を旅に出すな!」 



イトが話を持ち掛け、おばばの掛け声のもと、“おかか”たちは、浜で米俵の積み出し阻止の実力行使に出たのである。 



そこに地元の警官がやって来て、呆気なく頓挫した。

 

大阪新報社では、「米は積ませぬ」という見出しの地元紙を読む編集局長・鳥井が、若い記者・一ノ瀬に対して富山への取材を命じる。 


鳥井

一ノ瀬(左)


早速、現地へ行った一ノ瀬は、寺子屋で教師をする雪から、浜の“おかか”についての話を聞かされた。

 

「この辺りだと、七月と八月は鍋割月(なべわりづき)と呼ぶがです…夏になると不漁が続いて、鍋に入れる物が少なぁなって、火つけると、鍋が割れてしまう故が意味です。そんな厳しい夏の間も、お父さんが出稼ぎに行ってる時は、お母さんが家計を支(ささ)えんといけんと、稼ぎがいい仲背の仕事をするがなかです」 

雪と一ノ瀬


一ノ瀬が、例の積み出し阻止の実力行使について「暴動」という言葉を使ったことに、大袈裟だと笑う雪。

 

「この年、全国各地で米の価格が暴騰したんですね。それはここ、米処(こめどころ)富山でも同じこと。原因は米の需要増加が引き起こした米不足。そこに目を付けた投機筋が、米の値段を釣り上げた。更に、シベリア出兵の噂が拍車をかけたのでございます…シベリア出兵が現実のものとなれば、現地の兵隊たちの食料として米が必要になる。そうなれば、政府は間違いなく米を高く買い取るに違いない」(ナレーション)

 

地元紙に「暴動」と書かれたことに不満なイトたちは、再び、おばばを先頭にして、寄生地主(大地主)の黒岩邸のもとに直談判に向かうが、待ち構えていた警察に蹴散(けち)らされてしまった。 

おばばに呼びかけるイト




トキが家に戻ると、黒岩に雇われている源蔵は、小賢(こざか)しいイトを相手にするなと指図する。 

源蔵

「男が参加すると騒動がデカなったよ…男が動けば世界が変わる。けどよ、女が動いたところで、何も変わらんがやちゃ」 

源蔵とトキ


今度は、またイトがおばばを担いで、鷲田(わしだ)商店のトミ(これも、とみを便宜的にトミにする)の家へと大勢で押しかけ、米の値段を下げることを直訴するシュプレヒコールを上げた。 



それに対し、2階の窓から見下ろすトミが、「喰えんがやったら、ごとむけ!(死ね!)」と暴言を吐くのだ。

 

「大正七年八月四日、午後八時より、女房達の集団が米の所有者たちを歴訪。暴行の被害、最も甚(はなは)だしく、米穀商・鷲田方、所轄警察署は応援巡査の派遣を求め、警戒に努めている」(ナレーション)

 

地元紙を読む鳥井は、一ノ瀬からの報告を受け、戸障子(としょうじ/雨戸と障子)が破壊されたことを聞き出し、「越中女一揆」として全国に配信するに至る。 

鳥井に報告する一ノ瀬



その新聞を読んだトミは、警察署長の熊澤(くまざわ)を呼びつけ、おばばの逮捕と、“おかか”たちの分断工作を仕掛けた。 

トミ(左)と妹のきみ

逮捕されるおばば


この分断工作は功を奏す。

 

おばばが逮捕されたことによって活動は沈静化し、トミはイトに米騒動から手を引くように迫っていく。

 

「あんたんとこだけ、米、今まで通りの値段で売ってあげるっちゅうのはどうかいね」 



最初は断ったイトだったが、他の仲間もそれぞれ融通されていると知らされ、心が動く。 

「フジさんとこは、ウチに一杯コメ隠し持っとんがよ」などと言って、“おかか”たちが鷲田商店からコメを融通されていることを話すトミ


「二度と米騒動に出るな」

 

源蔵が帰って来るなり、トキに強く言い放った。

 

漁港で働く源蔵もまた、解雇すると脅されているのだ。

 

サチの娘・みつが米を盗もうとして捕まり、警察に連れていかれる場を目の当たりにしたイトの長男が妨害し、「おみつさんの代わりに、俺が警察に行ってやっちゃ」とあっけらかんと言ってのける。 



「泥棒をしたがは、おばちゃんのせいやから。おばちゃんは、米も銭も腐るほど持っとんがに…おばちゃんは自分のことばっかり大切で、他の人の気持ち考えたことないがよ」 



トミは、「自分だけ大切にしとんのは、わしだけやないがやよ」と余裕を持って言い放つ。

 

「夕べ、ご飯いっぱい食べたやろ」とトミに言われ、長男はイトが特別に米を融通されたことに気づく。 



そんな折、みつは夜中に米を盗みに行き、米俵が落下して死んでしまうという由々しき事態が起こる。 

みつの死を前に号泣するサチ

それを見る“おかか”たちと雪(左)


斯(か)くして、イトは益々孤立して、トミの分断工作は奏功するのである。 

孤立するイト


一方、鳥井の意向で、自分の取材が正確に扱われず、地団駄を踏む一ノ瀬は、町を去る際にイトに吐露した。

 

「あなたたちが闘う姿を見て、衝撃を受けました。闘う理由を聞いて、心を動かされました。だから、たくさんの人たちに知ってもらいたいと思う、全身全霊をかけて記事を書きました」


「そう言うてくれるだけで、十分やわ。無駄じゃなかったんやね」
 



イトはその言葉に勇気づけられ、再び、積み出し阻止を決行しようと、“おかか“たちに呼びかけるが、裏切り者扱いされ、相手にされなかった。 



イトは、他の“おかか”たちも、鷲田から似たり寄ったりの恩恵を受けていると指摘するが、巻き込まれたくないと口々に言われ、拒否される。

 

しかし、家に戻された瀕死のおばばの床に、“おかか”たちが集まり、おばばがいなくなってから分断され、為す術もなく過ごしてきたことを、銘銘(めいめい)が語り合う。




ここでイトは立ち上がり、おばばが逮捕される際に皆に告げた言葉を、力強く宣言した。

 

「負けんまい!」

 

それに続いて、皆も立ち上がり、一人一人が声を上げるのだ。 


「負けんまい!」

「やらんまいけ!」(「やってやるぞ」という富山弁) 



翌朝、イトは浜に“おかか”たちを集め、米俵の積み荷阻止を仕掛けていく。 



「米を旅に出すな!」 



イトの掛け声を合図に、“おかか”たちは、一斉に米俵を運ぶ男たちに襲いかかり、米俵の荷積みを阻止した。 



「米の積み出し阻止は成功し、町議会は救済措置を講じて、米の支給と安売りを決定しました。“おかか”たちの完全勝利でございました…実りの秋がやって来た頃、時の寺内内閣は崩壊しました。全国各地で起こった米騒動の責任を取ったわけです。家族の命を守りたい、ただそれだけの思いの富山の“おかか”たちが、気がつけば時代を変えていたのでございます」(ナレーション) 



イトの元に、夫の利夫が帰って来 



難儀な夏を乗り越え、笑みを浮かべるイトが、そこにいた。 



「越中女一揆」の風景の一端を描いた物語のラストシーンである。

 

 

 

2  「小賢しい女」の殻を破り、富山女の強さを存分に体現させていく映画

 

 

 



富山の女の強さと脆さを描いた映画だったが、当然ながら、前者が強調されていた。

前者を一身に体現しているのは、清んさのおばば。 



源蔵の浮気の解決というエピソードに象徴されるように、おばばの剛腕なしに、仲背の仕事で餬口(ここう)を凌いでいる“おかか”たちが起こした事態の収拾を図ることが叶わないのだ。

 

米俵の積み出し阻止の実力行使に打って出た“おかか”たちの「叛乱」もまた、物語の主人公のイトからの要請で、おばばが先導を切って時間を動かしていく。 



だから、この物語は、殆どおばばの映画になった。

 

このことは、おばばの不在(拘束中)時に露呈される、“おかか”たちの腰砕けの様を見れば判然とする。 

「負けんまい!」と叫びながら逮捕された「おばば」が不在になる


同時に、“おかか”たちを懐柔した鷲田とみの剛腕も炙り出され、強欲な女の老獪(ろうかい)さが際立っていた。 

鷲田商店に押しかける“おかか”たち

イトを懐柔する鷲田とみ


ハンストを決行するおばばと切れ、今日食べるコメのために、鷲田とみに懐柔される “おかか”たちにとって、生きるためには、それ以外にない選択肢だった。 

懐柔されたことをトミに明かされ、気まずい思いをするイト

ハンストを決行するおばば 


そんな“おかか”たちが変容するのは、死の際(きわ)にいる(芝居)おばばを目の当たりにして、イトが動いたからである。 

おばばの枕もとで「負けんまい」と言って、立ち上がるイト

“おかか”たちが出て行った後、目を開けるおばば


物語の主人公が、初めて映画の中枢点に立ったのだ。 



これが、8月の「叛乱」と化し、物語を収束させていく。 



これ、清んさのおばばから受け継いだ富山女の強さを、“おかか”たちの中で唯一、識字能力を有するイトが、「小賢しい女」(源蔵の言葉)の殻を破り、存分に体現させていく映画だった 



―― 以上、物語は分かりやすいが、映画批評に言えば不満も多いに残る。

 

シリアス基調で描いた「空飛ぶタイヤ」と異なり、我が国の歴史的出来事を、中途半端なエンタメ含みの「社会派系」の映画に拵(こしら)えたために、源蔵の浮気のエピソードに尺を使い過ぎるなど、物語の展開が冗長になっしまった 

空飛ぶタイヤ」より


物語推進力として、清んさのおばばを中枢に据えたことで、米騒動の初発点を描く映画が矮小化されてしまったのである。

 

これが気になった。

 

だから、活動家を揶揄するエピソードで釈然とするが、おばばの視線が物語総体の視線と為し、一切がその特別な立ち位置のうちに収斂されてしまうのだ。 

「講釈されとるだけでメシ喰える人間と、おらっちゃを一緒にしてもらいたぁないが」(おばば)


それと、もう一点。

 

子供「善」大人「悪」。

 

就中(なかんずく)、「善」なる少女⇔「好色な大地主」というステレオタイプのラベリングは、いい加減に止めた方がいい。

 

サチの娘・みつが黒岩の目に留まり、自分で稼ぐ方法があると迫り、体に触れてくるシーンのことだ。 

                     左から黒岩、みつ、サチ



且つ、件(くだん)の少女の死も不要だし、正義感全開の児童(イトの長男)の取って付けたようなエピソードも要らない。 

みつの死

「おばちゃんは自分のことばっかり大切で、他の人の気持ち考えたことないがよ」


お涙頂戴の映画にすらも浄化し得ないから、興醒(きょうざ)めするばかりだった。

 

ナレーションに全面依存の本篇は、残念ながら凡作だったと言わざるを得ない。

 

―― 以下、期待はずれの映画で描き切れなかった「1918年米騒動」について言及したい。

 

 

 

3  米騒動とは何だったのか

 

 

 

日本史上最大規模の民衆暴動として知られる「1918年米騒動」。 

魚津にて起った米騒動を報道する『富山日報』(ウィキ)


第一次世界大戦後の好景気は、まさに、多くの成金を生んだ「大正バブル」だった。 

大正バブル(ウィキ)


大戦の参戦国でありながら、本土が戦地圏外にあったために、欧州諸国(英仏中心)の製品が後退したアジア市場に日本の商品輸出が急増し、空前の好景気を招来する。

 

資本主義の急速な発展により都市人口が急増し、米の需要が増大する。

 

米の価格の高騰が必定(ひつじょう)だった。

 

それにも拘らず、小作農民に土地を貸して小作料を取り立てるという「寄生地主制」の下、米作地主や取扱業者が米を買い占め、米穀投機が発生するに至る。

 

そんな時期に惹起した「シベリア出兵」。 

シベリア出兵を伝える日本の画報(ウィキ)


ロシア革命に対する干渉戦争である。

 

時の寺内正毅(まさたけ)内閣が、地主らの利益優先し、外米輸入関税撤廃の措置を取らなかったことで、米の買い占めが加速されていく。 

寺内正毅(ウィキ)


これによって、米価が異常に暴騰し、世情は騒然となり、民衆の生活難と生活不安が深まっていくのだ。

 

「外米管理令」が公布されても効果なし。 

外米管理令


庶民の怒りが、米問屋や商社など流通業者に向けられるようになるのは必至だった。

 

富山県魚津町(うおづまち)で、漁民の妻女ら46人が立ち上がり、「汽船伊吹丸」の米積出を阻止せんとして海岸に集合し、警察に解散させられるという騒動が勃発する。 

富山県魚津町の主婦らが米の県外積出し阻止の行動を起こす(米騒動の始まり)


「二十日未明同海岸に於(お)いて女房共四十六人集合し役場へ押し寄せんとせしを逸早く魚津警察署に於いて探知し」

「二十日未明海岸に集合せしを警察署がいち早く探知し解散せしめ」

 

以上は、7月24日、25日の『北陸タイムス』の記事。

 

以下、「一揆米屋を襲ふ」と題した、『北陸タイムズ』7月25日の記事である 



「昨報の如く下新川郡魚津町大字上下新猟師町の貧民は生活難の一揆を惹起さんとて廿日(20日)未明海岸に集合せしを警察署が逸(いち)早く探知し解散…又々廿三日(23日)夜一同鳩首密議(きゅうしゅみつぎ/人々が集まって相談すること)を凝(こ)らし党を組みして数組に分れ魚津町内各米穀商店に殺到し此際(このさい)米を他へ輸出して我れ我れを困却(こんきゃく)せしめなば竹槍を以(もっ)て突き殺すから左様心得(さようこころえ)よと恐ろしき権幕に各店主も恐怖の念に堪(た)へず直(ただち)に警察署に届け出たれば…一時は町内大騒ぎ」

 

以下、些か長いが、「米は積ませぬ 魚津細民海岸に喧騒す 船空しく出帆」と題して、騒動の凄さを伝える『富山日報』の記事(7月25日)の全文。

 

「下新川郡魚津町の漁民は近来の不漁続きに痛く困憊(こんぱい)し,生活難を訴ふる声日に高まり,果ては不穏の形勢を醸すに至りしは昨報の如くなるが,二十三日も汽船伊吹丸が北海道行の米を積み取る為入港し,艀船(はしけぶね/輸送船)にて積込みの荷役中,かくと聞きし細民(さいみん/貧民)等は,そは一大事也,さなきだに(ただでさえ)価格騰貴せるを他国へ持ち行かれては,品不足となり 益ます暴騰すべしとの懸念より,群を成して海岸に駈け付け米を積ませじと大騒動に及びし為,仲仕人夫(沖仲仕の人夫)も其(その)気勢に恐れを懐(いだ)き遂に積込みを中止したり,依(よ)つて伊吹丸乗組員も此上(このうえ)群集せる細民と争ふは危険なりと考ひ,目的の積込みを中止し早々に錨(いかり)を抜いて北海道へ向け出帆せり,細民等は喧騒裡に凱歌(がいか/勝ちどき)を奏(そう)して引上げ,同夜同町の米商店を戸別歴訪し,其窮状(そのきゅうじょう)を訴ふると共に他国へ米を搬出せぬ様懇談する処(ところ)ありしといふ,されば町当局も警察側も此儘(このまま)放任せんには如何なる暴動を惹起せんも計られずと為し,救助方法に就(つい)て協議を重ね居(お)れり」

 

まさに、「1918年米騒動」の真相をリアルに伝える記事である。

 

既に7月上旬から起こっていた米の積出し停止要求行動のピークと化す7月23日こそ、魚津の妻女らが起こした、日本史上最大の民衆暴動の初発点だった。

 

同時に、「1918年米騒動」の発端となった革命的事件である。

 

「魚津にては、米積み込みの為客月(かくげつ/先月)一八日汽船伊吹丸寄港に際し細民婦女の一揆が起こり狼煙(のろし)を上げたる」

 

これは、魚津町において、7月18日以来、一揆が起きていることを記した8月9日の『高岡新報』の記事である。

 

日ならず、この米騒動が県内で多発する。 

米騒動リンク集


8月3日に西水橋(にしみずはし)町で、翌4日には東水橋町、翌5日には隣接の滑川(なめりかわ)町と続き、県下各所に広がっていく。 

水橋地域の米騒動


そして、8月5と6日。西水橋町の騒動以後、全国各紙に「越中(えっちゅう)女房一揆」と報道されたことで、県下各所に広がりを見せていく

 

8月10日には京都市、名古屋市で騒動発生したことで、全国に一気に波及する事態が到来するのだ。

 

投機買いによる最大の被害者層であった被差別部落民も立ち上がり、打ちこわしにまで惹起する。 



被差別部落民の暴動は京都府、大阪府、兵庫県、奈良県に集中し、死刑をも含む多くの刑事処分者を出したことで、のちに、一連の騒動で総辞職を余儀なくされ、陸軍出身の寺内正毅内閣には代わった原内閣(日本初の政党内閣)によって、部落改善のための最初の財政支出が発動される。


この被差別部落民の暴動は「全国水平社」(のちの「部落解放同盟」)として、1922年(大正11年)に組織され、大正デモクラシー期の日本においての一つの画期点となっていく。 

原敬(ウィキ)

全国水平社/「その時 歴史が動いた 人間は尊敬すべきものだ ~全国水平社・差別との闘い~」より




大阪市、神戸市で焼き打ち・略奪が横行し、大規模な暴動に発展する始末。 

8月11日に神戸で起きた騒動によって焼き払われた鈴木商店本社(ウィキ)


13日には、東京市で電車や自動車の破壊、吉原遊郭への襲撃・放火など、若年男性主体の都市暴動が起こり、更に九州にも波及し、13~14日に絶頂に達していく。 

米騷動の全国化


8月20日までに全国へ波及した米騒動は、九州北部の炭坑騒動に端を発し、9月12日の三池炭坑の騒動終了に至るまで、50日間に及び、1道3府(東京府・京都府・大阪府)32県の38市153町177村、計368か所に暴動が発生した。

 

かくて、軍隊の出動によって鎮圧された米騒動は、参加者が数百万人に達する史上最大の民衆暴動として、我が国の歴史にその名を残すことになる。

 

薩長中心の「藩閥政治」を否定し、政治(護憲運動・普選運動)・社会(婦人解放運動・労働運動・農民運動・学生運動・社会主義運動・部落解放運動)・文化(教育・美術・文学・哲学・歴史学らの自由主義的風潮)のフィールドで起こった、自由主義・民主主義的な運動である「大正デモクラシー」にあって、米騒動は一揆・打ちこわしという形態を取りながらも、政党内閣を生み出したことで、社会の底辺にまで及ぶ組織的民衆運動の起点となった歴史的出来事であったと言える。 

大正デモクラシー


しかし、この「大正デモクラシー」の本質が、大日本帝国憲法下のデモクラシーであったために、最初から排外主義的な脆弱性を内包していたという認識は無視し難いだろう。

 

これは、「藩閥政治」に抗した運動であり、「大正デモクラシー」の起点とも言える「日比谷焼打事件」(1905年/賠償金が支払われない「日露戦争講和条約」への反発で起こった暴動事件)が、排外主義的傾向を有していたことで自明である。 

日比谷焼打事件/焼き打ちに遭った施設など(ウィキ)
日比谷焼打事件/決起集会(ウィキ)


残念ながら、一部のコミュニストや「小日本主義」を主張した石橋湛山(たんざん)や、「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」という論説を書き、反軍的な行動を展開した桐生悠々(きりゅうゆうゆう)々のようなジャーナリストを除けば、大陸進出によって経済の混迷を打開できるという、メディアに煽られた民衆の排外主義的傾向を見過ごすことができないだろう。 

石橋湛山

桐生悠々


従って、「大正デモクラシー」の潮流が、満洲事変と5・15事件以降、軍部の主導するファシズム体制のうちに吸収されてしまったと把握することが枢要(すうよう)である。 

満州事変の発端となる鉄道爆破事件・柳条湖事件/事件直後の柳条湖の爆破現場(ウィキ)


―― 以下、魚津市観光協会による「米騒動発祥の地」から、興味深い文面を引用する。 

米騒動発祥の地と言われる「旧十二銀行米倉」(現・魚津市)

同上

【米騒動が近年迄語られなかったのは、当時、罪悪感の強い不名誉な事件として受止められていたためです。その証拠に、その後、戦争に出かけた人達が、魚津や滑川出身と言うだけで差別をされたとの事です。地元では最近まで全くと言っていいほど語られず、今日に至っていました。現在はNPO法人米蔵の会などがあります。

 

魚津港の大町海岸では、大正、昭和にかけて、多くの米が魚津港から積み出されましたが、男は出稼ぎに行くため、大勢の女仲仕が蟻の行列のように並んで、60kg米俵を背に、揺れる橋板を艀へ運び、ひどい重労働で稼いでいました。 

魚津港の大町海岸


2010年の米倉修繕の際には、色々と見所が見つかり当時の造りが分りました】 

「旧十二銀行米倉」(現・魚津市)


米騒動に対する歴史的評価があっても、魚津や滑川出身と言うだけで差別されていたという重い現実を、私たちは直視せねばならないだろう。 

富山県滑川市


そのことを考える時、映画「大コメ騒動」の公開は、ロケ地となった地元の人たちにとって大きな意味を有したに違いない。 

映画『大コメ騒動』(公式ホームページ)


【参照】

再考横山源之助と米騒動」 「『魚津警察署』の用例・例文集 - 用例.jp」  

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