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2024年7月30日火曜日

ウェンディ&ルーシー('08)  小さな町の、小さな旅の、小さな罪の、大きな別れ  リー・ライカート

 



形容し難い妙味を感じさせるインディーズ・ムービーの傑作。 

ケリー・ライカート監督

 


 1  「いい子。本当にお利口ね…すてきな家ね…優しそうな人だった。広い庭もあって…」



 

ウェンディは愛犬のルーシーを連れ、職探しにアラスカへ車で向かう途上、オレゴンで車中泊をした。 

ウェンディ

しかし、そこはショッピングセンターの駐車場の私有地で、ウェンディは警備員に起こされ移動を命じられが、エンジンが掛からず、警備員の力を借りて車を押し出した。 

ウェンディと愛犬ルーシー

警備員

翌朝、所持金の残額が減り、ルーシーのドッグフードも足りず、空き缶拾いをして換金しようとするが、「そんな少しじゃ、並んで待つ価値もない」と言われて諦める。 


スーパーへ行き、ルーシーを繋いで中に入り、店を見回して、ドッグフードなどを万引きする。 

愛犬ルーシーに対して、ここで待つように言うウェンディ

万引きする


林檎を手にしたところで、店員と目が合い、元に戻した。

 

ウェンディは店を出て、ルーシーに声をかけたところで捕まり、警察に連行されてしまうのだ。

 

指紋を採取され、数時間拘束されたのち、罰金50ドルを請求されるウェンディ。 


「今、罰金を払うか、2週間後に裁判か。訴訟には費用は別にかかります」

「でも、まだ旅の途中なんです」


「裁判になったら、ここに戻ってこないと。クレジットカードでも払えます」

 

渋々、現金を払い、バスに乗ってスーパーに戻るとルーシーの姿がなかった。

 

ウェンディはルーシーの名を叫びながら、街を歩き回る。 


車に戻り、警備員から保健所の所在を耳にして、すぐに行こうとするが、閉まっているからと止められる。

 

「収容所にいるなら、明日会える。心配いらないよ」 


諦めて引き返し、姉夫婦に公衆電話から連絡を取った。

 

義兄に車が壊れたことや、ルーシーが迷子になったことを話すが、電話を替わった姉には、「電話しただけ」と話す。

 

「妹に貸せるほどの余裕はないわよ」


「何も要らない」

 

義兄には心配されるが、ウェンディは電話を切った。

 

翌朝、ウェンディはガソリンスタンドのトイレで顔を洗い、保健所へ行った。

 

収容された犬を見て回るが、ルーシーはおらず、探してもらうことになったが、アドレスホッパー(移動生活者)なので、ファイルに住所も電話も書き込めない。 


とりあえず、姉夫婦の住所を記入する。

 

停車している車のすぐ近くにある自動車修理工場へ行き、修理代の説明を受け、レッカー代50ドルを30ドルに値切りしてもらって修理に出すことになった。


 

ウェンディが車から荷物を出している様子を心配そうに見ている警備員。

 

荷物を持って近づいて来るウェンディに、「見つかった?」と声をかける。

 

ウェンディは公衆電話から保健所にかけるため、警備員に両替を求めると、警備員は「これを使え」と携帯を差し出した。 


礼を言い、ウェンディは保健所に電話するが、情報は入っていなかった。

 

「仕事はないよね?」


「そうだな。みんな苦労してる。だいぶ前に、工場が閉鎖されたから。楽じゃない」

「住所もないから無理か。電話もない」

「住所を持つには住所が要る。仕事も同じだ。そういう仕組みだ」

「だからアラスカに。仕事がある」

「美しい所らしいな…連絡先が必要なら、ここに、いい電話番がいる。俺の番号を教えればいい」


「ええ。そうするわ」

 

ルーシーの写真付きの特徴を書いた張り紙を作ってコピーし、街の其処彼処(そこかしこ)に貼っていく。 


警備員の元に戻ると保健所からの連絡はなかったが、警備員は子供の頃、父親と猟に出て、猟犬とはぐれると、その場所に上着を置いて帰ったと話す。

 

「夕食後、父親が上着を取りにいくと、たいてい犬と帰ってきた」

 

ウェンディは、再び携帯を借りて保健所に電話をかけるが情報はなく、首を横に振って落胆する。

 

「そうだ。犬は上着の場所にいたの?」


「確か、そうだったと思う」

 

早速、ウェンディは街のポールに、自分の着替えの服や布を巻きつけた。 


夜になって、車を修理に出したので、段ボールで野宿していると、不審な男が来てウェンディの荷物を漁り、社会への恨みをぶちまける。

 

「ここは気に入らねえ。人間が腐ってる。ジャマしやがって。偉そうに…俺はここで努力してるのに、あいつらは、それを許さない。分かるか?俺のこと、ゴミみたいに扱いやがって。あいつらは、相手が弱いとみると、こうだ…俺は素手で700人も殺してるんだからな…負け犬か。クソ」 


男は立ち去り、ウェンディは足早に街に戻り、ガソリンスタンドの洗面所に入って恐怖に怯え、泣き叫ぶ。 


少し落ち着いたウェンディは呟く。

 

「頑張ってね。迎えに行く…」 


翌朝、警備員が来るのを待っていると、娘のホリーを乗せた警備員が車から降りて来て、浮かない顔のウェンディに、昨夜、保健所から連絡があったことを知らせる。 


早速、電話をするウェンディは、ルーシーが見つかったことを知らされ、安堵の笑みを浮かべる。 


「よかったな」

「本当によかった。誰かが家へ。保護した人の家にいたから、なかなか見つからなかった」


「言ったとおりだろ?必ず捜し出す」

「本当にそうね」

「これで出発できるな」

「そうね。行かなきゃ」

「うまくいくように願っているよ。これを受けとって。騒ぐとホリーに気づかれる」

 

警備員はポケットから現金を出し、そっと渡そうとする。

 

「こっちに来た時は、顔を見せてくれ」

「ありがとう。そうする」

「それじゃ元気で」 


ウェンディはまず、車を預けた修理工場へ行くが、そこで修理代金が2000ドルかかると聞かされ、途方に暮れる。 


タクシーでルーシーを保護する家へ行くと、ちょうど家主が車で出かけるところだった。 


ウェンディは広い裏庭へ行き、ルーシーを見つける。

 

ルーシーもウェンディと分かり、フェンスのところに走って来る。

 

「ねえ、私に会いたかった?」 



ルーシーはウェンディの顔を舐め、ウェンディはカバンから木の棒を出し、それを投げてルーシーが咥(くわ)えて戻るというゲームをする。 


「いい子。本当にお利口ね…すてきな家ね…優しそうな人だった。広い庭もあって…」 


涙を零しながら、ウェンデイはルーシーに別れを告げる。 


「ごめんね、ルーシー。車がないの…いい子でね。戻ってくる。お金を稼いで戻るから…ルー、元気でね」 



ウェンディは線路を歩き、止まった貨物列車に乗り込んだ。 


ラスト。

ウェンディの鼻歌と共に、列車はアラスカへ向かっていく。


 

 

 

2  小さな町の、小さな旅の、小さな罪の、大きな別れ

 

 

 

職を求めてアラスカへ行くつもりだった。

 

しかし、無計画過ぎた。

 

所持金に余裕がなく、車の手入れの不行き届きは一目瞭然。

 

車の故障という致命的なダメージを負ったウェンディがドッグフードを万引きし、逮捕される行為は、そんな彼女の旅の甘さを如実に露呈している。

 

「エサも買えないなら飼うべきじゃない」 

スーパーの店員

このスーパーの店員の一言は、彼女の旅の頓挫の本質を衝く指摘だった。

 

だから、受け入れざるを得なかった。

 

ウェンディにとって、この辛辣な指摘は、ラストにおいて拳々服膺(けんけんふくよう/人の言葉を心に刻むこと)の忠告として活かされていくことになる。

 

この不始末によって、警察に連行されたウェンディが数時間拘束されたことで、肝心要の相棒である愛犬ルーシーを失う羽目になるのだ。 


小さな町の、小さな旅の、小さな罪が引き起こした代償は、途轍もなく大きかった。

 

警察署に罰金50ドルを払ったことで得た自由だったが、万事休す。

 

姉に電話して事情を訴えても、「妹に貸せるほどの余裕はないわよ」と冷ややかに突き放される始末。 


困窮に陥っても、ルーシーだけは手放すことなどできようがない。

 

孤独な彼女の心の空洞を埋める絶対的存在であるからだ。

 

かくて、この映画の大半はウェンディのルーシー捜しに時間を費やすシーンで埋め尽くされる。 


然るに、一心不乱なルーシー捜しの時間が功を奏さず、焦りが募る。

 

それでも諦めないウェンディは、この小さな町に腰を据えるべく、唯一、自分に優しく接する駐車場の警備員に「仕事はないよね?」と尋ねるが、工場の閉鎖で「みんな苦労してる」と返されるのみ。 


思えば、この時代は、アメリカを中心とする金融不安、景気の減速、原油価格等の高騰などが起こり、「リーマン・ショック」の初発点に遭遇していたのだ。 

リーマンショック

起因となったのは「サブプライム住宅ローン危機」。 

サブプライム住宅ローン危機


【「リーマン・ショック」とは、投資銀行のリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが2008年9月に経営破綻し、それが連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象のこと。また、「サブプライム住宅ローン危機」とは、住宅価格の上昇を目途(めど)に、返済能力が高いと判断される優良客「サブプライム層」を対象にした住宅ローンの貸出しが、返済能力が低い層にも、金融機関が高利変動という金利条件で過剰に貸し込んだリスクで住宅ブームが起こるが、関連商品の安易な拡大再生産によって住宅価格の下落を招来し、金融機関の株価を大幅に下落させて住宅バブルが弾ける事態のこと】 

リーマン・ショック

とどのつまり、故障車を修理工場に出したことで段ボールでの野宿生活を余儀なくされるウェンディ。

 

この厳しい状況下で、ルーシー捜しを繋ぐウェンディは、件(くだん)の警備員のアドバイスを受け、町のポールに、自分の着替えの服や布を巻きつけていく。 

 

着衣の記憶や臭いでルーシーを呼び寄せる算段である。 


不審な男に最近接され、野宿生活で辛酸を嘗めるエピソードがインサートされたのも、ウェンディの旅の不行き届きが誘発したもの。

 

恐怖に慄(おのの)く一夜を越えた、そのウェンディに待っていたのは神からの贈り物。

 

保健所から連絡があったのだ。

 

ルーシーを保護してくれている人が見つかったのである。

 

にも拘らず、車の修理代金が2000ドルと聞かされ、金欠状態からの脱却不能なウェンディにとって、事実上、彼女の旅の絶対必要条件が削り取られてしまったことで覚悟を括らざるを得なかった。

 

この時点で相応の決意を固めていたに違いない。

 

あとは溢れる感情の処理の問題。

 

これに折り合いをつけられるか。

 

その一点に尽きた。

 

そんな思いで向かったウェンディの視界に映ったのは、広い裏庭で伸び伸びと休んでいるルーシーの様子だった。 


苦労を強いた飼い主を見るや、一目散に飛び込んで来るルーシー。

 

「私に会いたかった?」と声をかける飼い主への、長く染みついた愛着は消えようがない。 


オキシトシンという「絆ホルモン」(愛情ホルモン)が分泌されたのである。 

オキシトシン

【オキシトシンとは、脳の視床下部から分泌される神経伝達物質の一つで、「幸せホルモン」とも言われる。飼い主のあくびがイヌにも伝染するが、これもオキシトシンがイヌの涙腺に作用した賜物である】

 

ウェンディの感情を刺激するのに十分過ぎたが、唯一無二の愛犬を、これ以上辛い目に遭わせるわけにはいかなかった。

 

嗚咽を漏らしながら、「お金を稼いで戻るから…ルー、元気でね」と言って、別れを告げるのだ。 


ここで想起するのは、「エサも買えないなら飼うべきじゃない」と難詰(なんきつ)したスーパーの店員の言葉。

 

今の自分にはルーシーを飼う資格がない。

 

そう思ったのだろう。

 

「すてきな家」・「優しそうな人」・「広い庭」。

 

それを視認したウェンディ。 


ルーシーを保護してくれた「優しそうな人」にこそ、ルーシーを飼う資格がある。

 

「お金を稼いで戻る」と言っても、氷河やフィヨルドなど、原生のままの自然が残る巨大な観光地・アラスカで、仕事を見つけて成功する保証などないのだ。 

アラスカ

ならば一層、この家の人にルーシーを飼ってもらった方がいいのではないか。


そこに溢れ出る感情の折り合いをつける。

 

同時に、自らの人生にケジメをつける。

 

その辺りに、自らが犯した罪で動きを封じられたアドレスホッパーのウェンディの、彼女なりの覚悟が垣間見えるようだった。



本気で「お金を稼いで戻る」と考えていたら、この家の人に会って、今までの経緯を伝え、自らの思いを話したはずだからである。 



思えば、「ノマドランド」の主人公は、人間関係を失った者である「ホームレス」ではなく、定着する「家」を失っても、他者との絆を保持し、互いに助け合う「ハウスレス」との懸隔(けんかく)を意識する者の自尊感情が深く根を下ろしているから、苦境に陥っても限りなく自立せんとする心構えを有して、「基本・孤独」という自由の代償の重さを認知する問題意識によって支えられていた。 

ノマドランド」より


この一点においても、「ハウスレス」ではなく、単なるアドレスホッパーに見えるウェンディとの、決して小さくない差異が読み取れる。

 

不安を抱えながらも新境地に向かっていく、ラストのウェンディの表情が言わず語らずのうちに写し出していたものは、小さな町の、小さな旅の、小さな罪の、大きな別れの物語の収斂点だったのである。 


【参照】 人生論的映画評論・続「ノマドランド

 

(2024年7月)


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