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2025年11月5日水曜日

熊は、いない(‘22)   サイドブレーキを引く映画作家の心意気  ジャファル・パナヒ

 


【序文】

 

世界で唯一、母国イランでの製作・公開を禁じられても、映画を撮り続けている勇敢なる映画作家ジャファル・パナヒ監督の、日本での最新の公開作を観て、鳥肌が立った。

 

「熊は、いない」 ―― 映画作家の絶望を越えるには狂気という武器でしか立ち向かえないようだった。 


2011年以降、「これは映画ではない」など果敢に映画製作し、現在に至っている。

 

【右派ポピュリストのアフマディネジャド政権と対立し、2010年3月、自宅拘束を強いられ、カンヌ国際映画祭の審査員に選ばれていたが欠席。ジュリエット・ビノシュを始めとする各国の映画人は言論の自由の名の下に、イラン政府への抗議表明と共にパナヒの解放を要求し、保釈後、禁錮6年と20年間に及ぶ映画製作と海外渡航が禁止された。 

アフマディネジャド元大統領

ジャファル・パナヒ監督

そして今、2022年7月、イラン政府への痛烈な批判を止めない「熊は、いない」の映画製作によって、逮捕・収監された。


命を懸けたハンストを敢行し、2日後に保釈が認められた。

 

以下、2025年5月、「第78回カンヌ国際映画祭」でパルムドールを受賞し、3大映画祭全ての最高賞を制覇(「グランドスラム」/史上4人目)したジャファル・パナヒ監督の言葉。 

3大映画祭を制覇したジャファル・パナヒ監督

「さまざまなことが脳裏に浮かんだ。とくに自分が刑務所にいた時代、一緒に過ごした同僚たちの顔が浮かんだ」と語り、感無量の様子だった。監督はスピーチで、「さまざまな問題はあるものの、いまイランにとってもっとも大事なのは、この国に自由を取り戻すことです」と語り喝采を浴びた/「【第78回カンヌ国際映画祭】イランのジャファル・パナヒ監督にパルムドール、3大映画祭すべての最高賞を制覇 自由を求めるスピーチに喝采」より】

 

「イラン当局によって13回の拘束、5度の有罪判決を受け、量刑は合計で禁錮31年、鞭打ち154回」(ウィキ)を被弾し、刑務所に収監され、獄中にあってノーベル平和賞に選出された人権活動家ナルゲス・モハンマディと共に、自由・正義・平和・平等という人権を守るための国家権力とのパナヒ監督の闘いに終わりが見えない。 

2023年にノーベル平和賞を受賞したイランの人権活動家ナルゲス・モハンマディさん

ついでに、ジャファル・パナヒ監督の長男パナー・パナヒ監督の長編デビュー作「君は行く先を知らない('21)は世界各国で上映され、絶賛されたヒューマンドラマで、イラン社会が抱える国境越えの難しさを描いた社会派ドラマでもある。 

「君は行く先を知らない」

以下、パナー・パナヒ監督の述懐。

 

「確かに私は父が苦労してきた姿をずっと見てきましたが、いくらそばにいたとしても、自分も同じ立場になって同じ経験をしない限りは、父の苦労を本当の意味で理解することはできないのではないかと思ったんです。それが映画監督になろうと考えた決め手の一つであるかもしれません。心から映画を愛しているのであれば、たとえどんな困難に見舞われようとも映画を作りたいという思いが湧きあがるもの。もうやめたいと思うような出来事を経験するまでは、きっと撮り続けると思います」(「映画『君は行く先を知らない』:ロードムービーで描く家族と国境 偉大な監督を父に持つイランの新星がデビュー」より) 

パナー・パナヒ監督

ここに加える言辞の何ものもない。

 

 

 

1  「何も解決しない。話し合ったらどうだ」「話し合いで解決するなら、あなたはここにいない」

 

 

 

「国境付近にある小さな村からリモートで 助監督レザに指示を出すパナヒ監督。偽造パスポートを使って 国外逃亡しようとしている男女の姿をドキュメンタリードラマ映画として 撮影していたのだ。…さらに滞在先の村では、古いしきたりにより 愛し合うことが許されない恋人たちのトラブルに 監督自身が巻き込まれていく。2組の愛し合う男女が迎える、想像を絶する運命とは…パナヒの目を通して イランの現状が浮き彫りになっていく」(「映画『熊は、いない』オフィシャルサイト」より)

 

本作の要旨である。

 

【ドキュメンタリードラマとは、実際に起きた出来事の再現ドラマのこと】

 

「君の名は“イザベル。姓は“ラクロワ”だ」


「私の写真、ひどい顔」

「いかにも本物のパスポートだ。3日以内に発つんだ。それを過ぎたら無効になってしまう」


「あなたのは?新しい名前は

「パスポートはまだ」

「何それ

「後から追いかける」

「冗談はやめて」

 

そう言って、女はから離れていく。


「今度は安全なんだ。命の危険もない」

「再会の保証は?」

「僕も必ず行く」

「タイミングは賭けだ。運がいい者が先に行く」


「行けないわ」と言って、再び離れていく。

「何を恐れてる」

「あなたがいたから10年も耐えられたの。離れ離れは地獄よりつらいわ」

 

そう言い放って、女は店に戻ってしまう。

 

男は為す術がなく帰っていく。

 

の名はバクティアールで、女の名はザラ

 

トルコから欧州に国外逃亡しようとしているカップルである。

 

ここで、トルコに近接するイランの小さな村からリモート監督しているジャファル・パナヒ監督(以下、パナヒ)が助監督のレザにカットをかけ、「まあ、よかったよ」と言いながら、「だが、なぜカメラはザラを追ったんだ。バクティアールに寄るべきだろう。ザラじゃない」と指摘する。 

レザ(右)とバクティアール

この指摘に対して、映像に映らないスタッフの一人が物言いする。

 

「パナヒさんの言うとおりですが、彼がザラを追うつもりが、そうしなかったんです」


「レザ、君が役者に指示しないと。最後の立ち位置に行ってくれ。ザラが去るタイミングについてもだ。バクティアールにパン(レンズの向きを水平方向に動かすこと)するとムダなフレームが入り、リズムが崩れる。もちろん撮り直しだ」
 


ここまで話したところで回線が切れてしまった。

 

Wi-Fi環境が悪く、電波が届く場所を探すが無理だった。

 

そこに敷地の部屋の貸主・ガンバルがやって来たので、電波が届く所を見つけるために梯子(はしご)を借りて屋根まで上ろうとするが、ガンバルが代わりにやると言って上がっていく。

 

1年中こうなんです。電波が届かない」

 

そう言われて諦めたパナヒは、村の婚約の儀式に行くというガンバルに、式の撮影を頼むのだ。 

ガンバル

「はるばるテヘランから来たんだし、ご自分で…」

 

そう言われたパナヒ、自分がイランからの出国禁止になっている事情を話さず、一方的に撮影を頼んでしまう。

 

「僕は映画監督だぞ」と言って儀式に向かうガンバルの声を耳にして、パナヒは村の子供らを撮り捲る。 


パナヒはガンバルの母から夕食に呼ばれ、儀式の様子を尋ねる。

 

「古いしきたりなの。亡くなった母の時代には、若い男は好きなを川のそばで待ち伏せて、チャドルをはぎ取って、強引に自分の妻にした。が望んでいなくとも否応なしにね。そうして娘は婚約。他の男は求婚できなくなった。今日は婚約の儀式」


「儀式ではどんなことを?」とパナヒ。

「それもに伝わるしきたりで、婚約した2人を川の夫婦岩に連れていくの。そして娘を左側の岩に座らせ、それぞれのを村人が川の水で洗うのよ。2人の未来が洗いたての足のように輝き、清らかに始まるようにと」

「いい伝統です、論理的根拠は?なぜ娘が左側に座って、青年が右側なんです。逆じゃだめですか

「知りませんよ。昔から、女は男の体の左側から創られたと言われてる。それでいいの」

 

この話題は終わり、パナヒは夕食のお盆を持って帰っていくと、婚約の儀式の撮影を頼んだガンバルがカメラを返しに来て、早速、その動画を確認すると唖然とする。

 

「君は撮るべき時に止めて、止めるべき時に撮ったな」とパナヒ。 


「密出国する気かもしれないぞ…国境まで来るんだから何か怪しい」


村長の紹介だぞ。パソコンで1日中、誰かと話してる。1週間、部屋に籠もってる」

「きっとトラブルを起こすぞ」

 

揺れ動く動画に収められている、パナヒについての会話の一部である。

 

そんな折、動画を見るパナヒにトルコでの撮影のラッシュ(未編集の映像)を届けるために、助監督のレザがやって来た。 

トルコに来るようにレザから説得されるパナヒ

人に見られないように、密輸ルートの道路で待ち合わせたレザの目的は、パナヒの村での滞在を危険視してトルコへの密出国を求めるためだった。

 

「トルコに来るなら、今がその時です。繊細な撮影が控えてるので4,5日現場にいてほしい。撮り終えたら、大至急、戻ればいい」

 

未舗装の道を案内するレザの説得に乗って、HDD(PCのデータを保存する補助記憶装置)を持ち、パナヒは車を降りる決意を見せ、行動に振れていく。 

レザ


しかし、そこまでだった。

 

パナヒは国境を越えることを止め、車に戻ってしまったのだ。

 

そんな状況下で、ゴザルという娘が走りながらやって来て、「私(ゴザル)とソルドゥーズの写真を見られたら大変なんです。血が流れます。助けてください」と言われるが、そのまま帰宅するパナヒ。 

ゴザル



パナヒの帰宅が遅いので心配したガンバルからも、「若いカップルの写真を撮りました?」と尋ねられ、「いいえ。でも確認します」と答えるのみ。

 

「忘れないで。村の人は面倒を起こしがちよ」とガンバルの母。

 

朝になっ

 

フィルムを確認中のパナヒの部屋にやって来たガンバルは、「ゆうべ、国境へ行きましたか?誰にも見られないように車の土埃(つちぼこり)は払いました」と言われたので、パナヒは、「埃ならを走れば付く」と答えたが、「あれは村の土じゃありません。あんな土が付くのは特急便が通るだけだ。どうやってあそこへ?」と問われ、「よく覚えていない」と誤魔化すパナヒ。 


「もっと気をつけてください」と言われ、「分かった。ありがとう」と答えて一件落着。

 

今度は3人の村人がパナヒのもとを訪ねて来た。

 

「なぜ、わざわざ辺境の村まで来なさった 

ヤグーブ(右から二人目)とガンバル(右)

村長と親しい友人が、この村を紹介してくれたと答えるパナヒに対して、ガンバルの母から知らされた村に伝わるしきたりについて話す村人。

 

「女の赤ん坊のへその緒は未来の夫を決めてから切る。ゴザルは生まれた時にヤグーブとの結婚が決められた。ソルドゥーズが身を引けば済むんだがな…ヤグーブの父親に相談したが、“息子を侮辱するつもりか。証拠を見せろ”の一点張り。あんたが撮った写真があれば、父親に決定的な証拠を突きつけてやれる」 


「写真はたくさん撮っていますが、その写真には覚えがない」


結局、話し合いは物別れに終わり、3人は帰っていく。

 

その直後、ガンバルの案内で村長に呼ばれて実家を訪ねるパナヒ。

 

パナヒを呼んだ目的は、ここでも「写真を貸してくれ」というもの。

 

「私を追い返す口実を探しているんだろう」と反発するパナヒ。


村長

部屋に戻ったパナヒのもとに、今度は見知らぬ青年が訪ねて来た。

 

の噂になっているソルドゥーズである。

 

「急を要するんです。話を聞いてください」

ソルドゥーズ

「無断で入り込んだくせに、急に丁寧だな」

「さっきはすいません。僕はで育ち、大学でテヘランに行きました。ところがデモに参加し、退学になってしまい、出直そうと村に戻ってきました。もちろん、理由は他にもありました。ゴザルです。恋をしています。ヤグーブがしつこく付きまとうので、ゴザルを連れて逃げるつもりです。バカげてる。へその緒の契りだなんて。芳(かんば)しくなかった両家の関係が、おかげでよくなったそうです。駆け落ちは1週間後。写真を渡すのはそのあとに」


「何も解決しない。話し合ったらどうだ」


「話し合いで解決するなら、あなたはここにいない」

「どういう意味だ」

「あなたの問題も言葉では解決しなかった。パナヒさん。あなたは厄介な状況にいる。僕も同じです」

「脅しか」

「そんな。違います。もう結構です。1週間で消えるのでご安心を」

 

「失礼します」と言って帰っていくソルドゥーズ。

 

その後ろ姿を確認したパナヒ丘の上に出て、回線が繋がってレザとの交信が可能になった。

 

トルコでの撮影が進んでいた。

 

誕生日パーティーで重苦しい歌を歌うザラは途中で外に出てしまう。 

ザラ(後方右)

バクティアールがザラを追おうとしたら仲間に止められ、落ち着かない感情を発散することもできず、近辺を彷徨(さまよ)っている。 


ここで「カット」が入り、バクティアールはパナヒに連絡して、「密出国の手配師が、明日会いたい。嘘かもしれないが、次は僕の“ゲーム”だと。僕のパスポートが手に入る。僕もザラと発ちます」 


この話を耳に入れたパナヒは、レザに「同行して取材できないか」と問い、バクティアールが「無理に決まっている」と反対する中で「やりましょう」と答えるレザ。

 

この辺りから、トルコパートは歪(いびつ)の様相を呈していく。

 

 

 

2  「イランの何が問題なんだ」「閉じ込められた気がすると。未来も自由もなく、そして仕事もない。息子を説得してくれ」

 

 

 

再び、パナヒの

 

パナヒ話したいと村人らが訪ねて来た。

 

写真一件である。

 

「決定的な証拠となる重要な写真だ」と決めつけ、見せろと脅すが、パナヒは否定する。


「嘘だ。俺はこいつの話など信じない」とヤグーブ。

 

ゴザルと「へその緒の契り」を結んだ許嫁(いいなずけ)である。

 

証人がいると言って、村長から「連れてこい」と命じられて、ヤグーブは一人の少年を連れて来た。

 

「何を見たか話してくれ」という村長に、少年は「屋根に上がって説明する」と言って、皆で屋根に上がり、そこで自分が2人(ソルドゥーズとゴザル)を見たと証言する。



村長に問われたパナヒは、「この証言があれば写真は必要ない」と言い切った。



「たった9歳の子供の証言は、法律でもイスラム法でも無効だ」と誹議(ひぎ)する村長に対して、パナヒは合理的に反駁(はんばく)する。


「その無効な証言を盾に私を非難するのか」



 それでも写真に拘泥するヤグーブらに、「そんなに見たいなら見せてやる」と言い切ったパナヒは、実際にカメラを渡して写真を見せる。


その中にカップルが写っていない事実を知った村人らは帰っていくが、何やら外で話し合っているので、パナヒはガンバルを呼びつけ、話し合いの内容を聞く。

 

宣誓してほしいと言ってます。皆の前で神にう村のしきたりです…誓ってもらえれば気が済むんです。どうか気を悪くしないでください」とガンバル。 



一方、トルコではバクティアールとその友人の息子のパスポートの金銭問題で、密出国に関わる手配師と揉(も)めていた。 

手配師(左)

バクティアールは、トルコでの撮影を担当するシナンが知る手配師に、友人の息子をトルコから出国させる手配を依頼するが、金銭面で折り合いがつかず交渉が決裂するに至ったのである。

 

自分が離れて戻るまで、後ろ向きになっていろと手配師から指示された時の二人の会話。

 

「息子は出国できるか?」とバクティアールの友人(画像の右)。


「欧州が無理なら、イランに戻ることになる。時が経てば息子さんも受け入れるだろう」とバクティアール(画像の左)。

イランには戻りたがらない」

「イランの何が問題なんだ」

「閉じ込められた気がすると。未来も自由もなく、そして仕事もない。息子を説得してくれ。私はあと2日いる」


「何とかやってみる」

 

その時、一旦去った手配師が戻り、バクティアールに声をかけてきた。

 

「幸運だな。お前のパスポートだ。イギリス人観光客のだ。これから写真を撮り、加工する。友人の息子は残念だが、お前の問題は解決だ」 


パナヒの村。

 

宣誓することを決めたパナヒは、村人から案内されて宣誓所に向かう。

 

熊が出ると言われる道を通る二人が別れる時、「でも熊は?」は問うパナヒに対して、村人は「熊はいない。張り子だ」と言って去っていく。 


宣誓所に入ったパナヒは形式的に「被告」(原告はヤグーブ)となり、コーランを前に宣誓した後、「しきたりは尊重するが、私のやり方で発言することを許してほしい。神に誓う代わりに儀式を映像に収めたい。撮影した映像は全員にコピーして渡す。動かぬ証拠だ。それでいいですか」 


パナヒの提言は認められ、カメラを取り付けて「裁判」が開かれる。

 

しかし、パナヒの主張は一貫して変わらない。

 

「今日ここに来たのは、ただ村のしきたりを尊重するがゆえにだ。だが、そうしたしきたりが時々理解できない 。戸惑いを覚えてしまう。未来の夫を決めてへその緒を切るとか」



ここで、「被告」であるヤグーブが怒り出し、「何様のつもりだ。村の伝統を侮辱するとは。スイッチを切れ、早く。何、黙ってる。熊に舌を食われたのか?もう当てにしない。自分でカタをつけてやる」 


そう言い放って宣誓所を去っていくヤグーブだが、権威主義で怒りっぽく、独りよがりの性格が許嫁の女性から三下り半(みくだりはん)を突きつけられた所以であると思わせる。

 

トルコ。

 

かくて、パスポートを手に入れたバクティアールは、ザラとの国外逃亡の旅に打って出る。

 

親類縁者や友人らとの別れを告げ、車に乗るところで、突然、ザラがパナヒに怒り出すのだ。



パナヒさん。私たちの人生を撮ると言いましたよね。嘘のないリアルな現実だけを撮ると。だったら、これは何?どこにも現実はない」


「どこが違う」

「分かりません」

「何だろう。分からない」

 

ここでザラは、バクティアールのパスポートを取り出してパナヒに見せつける。 


「君のパスポートと同じ手配師だろう?ニセモノだとは知らなかった」

「そんな私を行かせたいんですか。すべてニセモノよ。私たちも全員」

「信念だけは曲げないと、拷問にも耐えたのに。罪のない人のIDまで盗んでしまった」

 

ここでカツラを取って口紅を拭って、ザラは言い切った。

 

「すべては思い通りの作品にするためよね。私が欧州に渡れたら、絶望の先に光が示せる。でも私は1人で、どうなるの?そこまでして、行く理由が」 


ザラの不平不満の連射が止まらない。

 

「こんな人生は要らない」とまで吐き出してしまうのだ。 


レザに、ザラの事情を訊くパナヒに、レザは監督に言われた通りに撮影を続けたと弁明し、「2人に何があったか知りません」と答える。

 

この間、バクティアールは荷物を持ってその場を離れていくが、先ほど撮影に参加した友人役の出演者も立ち竦んでいるばかり。 


パナヒの村。

 

「自分でカタをつけてやる」と言い放ったヤグーブが、恋敵のソルドゥーズを探して荒れ狂っている。 


ヤグーブを止めようとして村人らは必死だった。

 

「お前が大学に行けたのは村人が必死に働いたおかげだ」

ソルドゥーズに説教する村長
 


この騒ぎを、パナヒ部屋から見ていたが、トルコのレザから「事件が起こった」との報告が入った。

 

ザラとバクティアール失踪したのである。

 

すぐに見つかったバクティアールは、嗚咽を漏らしながらレザに吐露する。

 

「僕はザラに嘘をついた。もう、おしまいだ。悔みきれない。ザラがブレスレットをしてる理由が分かるか。二度も自殺を図ったからだ。手首を切って死のうとしたんだよ。そんな彼女にとって、僕の嘘は投獄や国外追放より耐え難かった。彼女の心を粉々に打ち砕いてしまった。どんな責め苦よりむごいことを」 

励ますレザ(右)


一転して、パナヒの部屋にガンバルがやって来た。

 

国境警察官が滞在者(パナヒ)の車を国境付近で目撃したので、明朝までにパナヒの身分証明の情報を用意しろと命じられているので、それを書いて欲しいとのこと。

 

一方、トルコではザラが入水自殺したという情報を得て、バクティアールが不安を募らせていた。

 

「監督、悪い知らせです。海岸に向かってます。シナン(カメラマン)が現場に。救急車も来ていると」とレザ。

「落ち着け。まずは確認だ。ザラとは限らん」とパナヒ。

「追いかけましょうか?」とレザ。

「いや追うな。ここから見える」 


そこには、張ってある規制線を越えようとするバクティアールが写されている。


再びガンバルパナヒの部屋にやって来て、危険だから一刻も早く滞在者を追い出さないと、国境警察官が踏み込むことになると言われたことを伝えるのだ。 


「村八分」を怖れるガンバルの意を汲んで、ガンバル一家にお礼を言って、早々に立ち去っていくパナヒ 


村の途中、村民が騒いでいる情景がパナヒの視界に入った。 


そこにガンバルがやって来て、「ソルドゥーズとゴザルが国境を越えようとして射たれました。ダメです。降りないで。行ってください」と言われ、車を発進させるが、しばらく進んだところで停車させるのだ。  


このラストカットから、何かが始まるのだろう。

 

【興味深いエピソードがインサートされていた。バクティアールの友人の息子がイランを嫌うのは、「閉じ込められた気がすると。未来も自由もなく、そして仕事もない」この件(くだり)は、明かな母国への誹議であり、それも痛烈だ。一切の近代的観念に対して、抑圧的に機能する権力機構への弾劾であるからだ。これが「熊」のメタファーである】

 

 

 

3  サイドブレーキを引く映画作家の心意気

 

 

 

トルコに近いからトルコ語を話すイランの村を拠点に、トルコでドキュメンタリー映画を撮っているレザ(助監督)に、リモートで撮影を指示しているパナヒは、母国イランから映画製作と海外渡航が禁止されているので、この手法でしか映画を撮れない現実がある。

 

トルコでのドキュメンタリー映画の内容は、トルコから国外に脱出しようとするカップルの物語。 


偽造パスポートを手に入れようとするものの、女性の分しか用意できなかったので撮影は困難を極めるばかり。

 

パナヒのリモートでの指示もまた、最悪のネット環境によって配信不能になってしまうのである。

 

そんな環境下にあって、パナヒは粗筋で書いたように、決められた不合理なる村の慣習(注1)に馴染めないが、「被告」として宣誓式に出て、言いたいことをペルシャ語で凛として話す(注2)が、「原告」のヤグーブだけはパナヒの批判を許さず、喧嘩騒ぎを起こしてしまうのだ。


【(注1)以下、パナヒを訪ねた村人の話。「女の赤ん坊のへその緒は未来の夫を決めてから切る。ゴザルは生まれた時にヤグーブとの結婚が決められた。ソルドゥーズ(ゴザルの恋人)が身を引けば済むんだがな…ヤグーブの父親に相談したが、“息子を侮辱するつもりか。証拠を見せろ”の一点張り。あんたが撮った写真があれば、父親に決定的な証拠を突きつけてやれる」】 


【(注2)以下、パナヒの言葉。「今日ここに来たのは、ただ村のしきたりを尊重するがゆえにだ。だが、そうしたしきたりが時々理解できない。戸惑いを覚えてしまう。未来の夫を決めてへその緒を切るとか」自ら味わった慣習に対するカルチャーショックを受けたことを正直に話すのだ】 


イランの村を拠点にしたパナヒは、ラッシュを届けに来たレザの要請で自らトルコへの国境を破ろうとするが、パナヒはイランの村に留まることにする。

 

国境警備隊が怖いのではない。

 

パナヒにとって、イランという母国に留まり続ける行為こそ、国家権力との闘いの意味があると考えているからである。 

トルコへの国境越えに迷うパナヒ

だから怪しいと思われながらも、この村で起こる問題に関与していくことを捨てないのだ。

 

リモートで撮影という不自由さの中で、トルコ人カップルの国境越えの難しさと、パナヒを誹議(ひぎ)するザラのアグレッシブな攻勢を受けて、理屈で反論できない脆弱性を曝してしまうのである。

 

もとより、ザラの深刻な物言いには、自分だけで国境越えを果たす事態への恐怖と、そこに追い込んだバクティアールの偽造パスポートがネックになっていて、それが二人の逃避行を難しくさせているのだ。

 

手配師に騙されたことに起因するが、手配師とバクティアールとの偽造パスポートの密約をザラが知った時、もはや撮影の続行が不可能になってしまっただけでなく、ザラを自死に追い込むことになる。 


もうこの時点で、トルコでのドキュメンタリードラマ(再現ドラマ)は破綻しているのだ。


ここで勘考する。

 

なぜパナヒは、入れ子構造としての「メタ構造」(劇中劇)を通して、トラジデイ(悲劇)を全開させるドキュドラマを創ったのか。

 

何より、同行取材を続行させるパナヒの強硬突破の姿勢が浮き彫りにされているのだ。

 

パナヒを誹議するザラのシーンに凝縮されているように、この暴力性は、まるで自己を射程に入れて苛め抜いているように見える。 


修復の余地のないドキュドラマには、ザラが言うように、絶望の先に光が示せないのである。

 

では、トルコパートとは何だったのか。

 

撮影現場にいない映画監督が、助監督に指示して制作を続行させる驕(おご)り・慢心に対する気付き(認知)と自省(内省)。 


これがトルコパートを通して貫流するパナヒ自身の総括だったのではないか。

 

創作に迷うフェリーニの苦悩が「8 1/2」という名作に結晶されたように、パナヒもまた、映画芸術に向き合う自己総括を強いられたのではないか。 

81/2

フェデリコ・フェリーニ監督

これがトルコパートを通底する、見えにくい観念の芯を成すものではなかったか。

 

故に、回収できないほどに殺伐な映像になってしまった。

 

もとより、強烈な母国批判まで添えてまで安寧・平穏に軟着し得ず、混沌・不穏の荒々しさを顕在化させたトルコパートの殺伐さをを考える時、もう一つの村のパートが有するパナヒの立ち位置の相対的安定感が虚構の要塞のように思われるのだ。 

「イランの何が問題なんだ」「閉じ込められた気がすると。未来も自由もなく、そして仕事もない」


この二つのパートを繋ぐPCというアイテムの回線が切れた時、村のパートに隠された悪意がリアリティを発現させ、近代合理主義で武装するパナヒの観念が宙刷りにされ、彼の孤独が際立っていく。 


そこには立ち入ることができないゾーンが寝そべっている。

 

思えば、いずれのパートも国境越えの艱難(かんなん)さが障壁になっていた。

 

トルコパートでは玉砕を余儀なくされたが、のパートでは、それをもたらす危機感の只中にあって、命の救済が求められていた。

 

にも拘らず、「話し合い」を提言するパナヒの浮遊感が滑稽にすら感じられる。 


ソルドゥーズとゴザルというカップルの肉声を受けながら、トルコパートで玉砕し、自らを追い込んだパナヒダッチロール状態が延長されて、映画作家であり、一人の人間としての力量が、村のパートの一角で試されているのだ。

 




唯一の恩人ガンバル一家(特に、ガンバルとその母)と別れて村を離れゆくパナヒの視界に入ったのは、国境越えを果たし得ず、警備隊射殺されたソルドゥーズの遺体を村人たちが嘆き悲しむ姿だった。 


この時、ガンバルがやって来て、ゴザルも射殺された事実を話す。

 

【ゴザルの遺体がないのは、村の掟を裏切った二人の遺体を村人たちが一緒にするわけがないからである。ゴザルの遺体は彼女の遺族が警備隊から引き取ったものと考えられる】

 

この時点で降車しようとしたパナヒ。

 

それを止めたのは別れたばかりのガンバル。

 

彼はこの由々しき事態からパナヒを巻き込むことを避けたかった。


パナヒを巻き込めば、彼を泊めた自分に害が及ぶからである。

 

要は、村のしきたりに懐疑的なパナヒの不必要な言動が、村人たちの怒りに火をつけることで、パナヒを預かっているガンバルが「村八分」(本人の弁)になる事態を怖れたというのが真相。

 

そんなガンバルの思惑を理解するパナヒが降車せず、走行していくが、少し進んだところで停車し、サイドブレーキを引くのだ。

 

このラストカットをどう見るか。

 

サイドブレーキを引く映画作家の心意気が炸裂するのだ。

 

本作の括りが、その「画」の中に収斂されるのである。

 

「ここで逃げたら、この村で自ら体験したものの総体が無意味になってしまう」

 

そう考えたかどうか、全く分からない。

 

少なくとも、映画作家として、トルコパートを玉砕させたパナヒ自身の内省が生かされることがないことになる。

 

村のパートでのパナヒの存在は、トルコパートの内省を最終的に収斂させるためにある。

 

だから動く。

 

動いて関与する。

 

村の掟を解消させることは不可能であっても、動いていく。

 

二人の若者の死を無駄にしたくないために動くのだ。

 

自分勝手は承知の上である。

 

それでも動くのである。

 

突き詰めて言えば、未来を見据えた映画作家として、且つ一人の人間として、自分自身のために動くのである。

 

これが、本作に対する私の見方である。

 

―― 最後に、「熊」とは何か。

 

前述したように、規模の大きさに関係なく、近代的観念に抑圧的に機能する権力機構。

 

抑圧的に機能する権力機構(村の掟も含めて)と言っても、実際は虚像でしかない「張りぼて」=「熊はいない。張り子だ」という村人の言辞こそ最も的確な表現だった。 


これが私の解釈である。

 

「イラン映画の歴史には検閲を押し返し、この芸術の存続を確保するために奮闘してきた独立系の監督たちの存在が常にありました。この道を歩む中で、映画製作を禁止される者や亡命を余儀なくされる者、孤立無援に陥る者もいました。それでも、再び創造するという希望が、存在理由なのです。いつ、どこで、どんな状況であっても、インディペンデントの映画監督は創作しているか、考えているかのどちらかなのです(映画『熊は、いない』オフィシャルサイト)

 

パナヒ監督の力強いメッセージである。

 

――  私はパナヒ監督の映画では、「オフサイド・ガールズ」と「人生タクシー」が大好きであり、よかったら読んでください。 

「オフサイド・ガールズ」

「人生タクシー」


【長尺な拙稿を読んでいただき、感謝します】

 

(2025年11月)

 

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