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2025年8月31日日曜日

私が棄てた女('69)  社会の底層で必死にもがいて生きる  浦山桐郎

 


【モノクロパートは「基本・現代」(60年安保闘争も含まれる) 「淡いグリーン」のパートは吉岡の記憶 「淡いセピア」はミツの記憶】


 

 

1  「あんた、あたしから逃げたけどさ。当たり前だよね。あんたにぶら下がる気だったんだから」

 

 

 


吉岡(右)と長島

学生時代、貧乏学生だった吉岡努は、むさ苦しいアパートの一室で共同生活をする学友の長島繁男と共に、60年安保闘争に身を投じつつ、アルバイトをしながら金と女を求める、当時のありふれた青春を送っていた。
 

吉岡(右)と長島

生きがいを失った吉岡

女なら誰でもいいからと、文通で知り合いになって会うことになった福島なまりで工場勤めの森田ミツは、待ち合わせの場所に友人のしま子を連れてやって来た。 


ミツ

二人が引き合うと、しま子は去り、アパートに連れて来たミツと強引に肉体関係を結ぼうとして激しく拒絶されるが、帰途、吉岡は別の場所で自身の欲情を満たす。 


最初は抵抗したミツだが、次にまた会うことを望んで帰って行った。 

「この次は?」

吉岡は、最初から付き合いをする対象とは考えてなかったが、自分を一途に思うミツがいじらしくもあり、文通しながら関係は続いていく。

 

そんな吉岡を長島は愚かだと決めつけ、ミツとの関係を断ち切ることを勧める。

 

「そろそろ日本だって、車乗り回す奴と、その掃除でもする奴とに分かれてくるんだからな。その大状況つかまないで、ぼやぼやしてたら…」


「分かったよ」

「だいたい女は、男のレベルメーターなんだからな。パチッとしてる奴は、皆いい女房持ってるし、逆もまた、真なりだしな。本音はお前だって同じだろ、そこら辺についちゃ。だから、はっきり別れちまえよ、今度こそ。故郷(くに)に帰ったら、絶対手紙なんて出さないでさ。2学期から下宿変えて」 


長島の言う通りの行動を取っていく吉岡。

 

ミツを海に誘い、小屋で一夜を過ごした後、明け方に1人起きて、逃げるようにして去り、連絡を絶ってしまったのである。 




しかし、棄てられたと分かったミツは、吉岡を恨むことなく、ずっと想いを抱き続け、最後まで変わることはなかった。

 

大学を卒業した吉岡は自動車会社に勤め、社長の姪のマリ子と付き合い、社長一族とはそりが合わなかったが、マリ子の強い気持ちに支えられいた。 

マリ子(右)と母



一方のミツは、生活に困窮し、ホステスや売春斡旋で金を稼ぐ友人のしま子から、借金のカタとして意のままに支配されていた。

 

吉岡に棄てられた後、図らずも妊娠中絶をし、飲み屋に住み込みしていたミツ。


結婚前の吉岡がマリ子と社長一族の集まる葉山へ向かう信号待ちの車から、ミツが歩く姿を見つけた吉岡が彼女のあとを追って会いにいく。 



吉岡は「今度来るよ、暇な時。急ぐんだ、今日。じゃ、元気でな」と声をかけ去るが、結局、再びその店を訪ねることはなかった。 


ミツは去っていく吉岡を見て、言葉もなく号泣する。 



直後の社長一族の食事会の時だった。



弱者に同情し、泣き上戸の吉岡に対して「君は日本的だな」と言われ、「悪いのか、日本的で!」と叫んでしまう。 


そんな吉岡を案じ、泥酔した吉岡を介抱するマリ子 


翌朝、そのマリ子に謝罪する吉岡。 


一族と共生できないことを感じたマリ子は、「ここで暮らしてもいいのよ」と吐露するのだ。 


二人の新婚旅行。 



一方、ミツは吉岡との再会を心待ちにしてセーターを編んでいたが、独り立ちするしま子が借金をチャラにすると誘いに来た際に、吉岡が社長の姪と結婚したことを知らされ、ミツの淡い期待は裏切られた。 

しま子(左)

「あの日のことを回想する」

吉岡に棄てられ、探し回るミツ/「淡いセピア」の画像

同上

しま子の誘いも振り切り、息子の暴力から逃れて来た老婆を助ける経緯で、ミツは老人ホームで働くことになった。 

老人ホームで働くミツ


一方、しま子は吉岡の会社が接待に利用する風俗店のホステス時代に吉岡と関係を持ち、ミツとの過去の記憶を蘇らさせるのだ。 


吉岡の結婚後、仕事の接待で再会したしま子と吉岡。

 

「じゃあ、いっぺんも訪ねてやんなかったの?あれから」


「ああ」

「つまり、もういっぺん棄てたわけね」

「俺も忙しくてさ、いろいろ…どこにいるんだ、今」

 

しま子のお膳立てで、2人は料亭で再会することになった。

 

「随分言われちゃってな、しま子ちゃんに。当たり前だけどさ…本当は、すごく怖かったんだ。でも、やっぱり会いたくってな」


「五反田に来てくれたね」

「ああ、結婚の前だったな…あれやこれや、その後も忙しくてさ。とうとう行けなかったけどな」

「そう…良かったね。やっぱり変わんないけど、良かったね」


「悪かったよ、ミッちゃん。ずっと俺…」

「いいよ」

 

笑顔で応答するミツ。

 

「ずっとなんて言やぁ、ウソになるけど、すごく会いたかったよ、時々」

「いい、もう。あの時会えて良かったんだから。あたいも、それでしーちゃんから離れられたんだからね。もういっぺん、あんたの顔見たから」

 

俯くミツ。

 

「結局、俺にはこんなことくらいしかできない」と吉岡は封筒を差し出すが、ミツは「いい」と言って受け取らない。

 「いらない。もらわなかったじゃん、昔だって」

 

思わずミツを抱き締める吉岡だったが、ミツはそれに応えようとしない。

 

涙をそっと拭いながら、ミツは吐露する。

 

「ごめんね。でももう、そういうことじゃないんだよね、私たち…あんた、あたしから逃げたけどさ。当たり前だよね。あんたにぶら下がる気だったんだから」


「そうだよ。みんな、何かにぶら下がろうとしてやがんのさ。だから、人にぶら下がられりゃ逃げるさ、誰でも」

「だからもう、これっきりにしようね、私たちも」

 

個室から出ていく吉岡を見送るミツ。

 

「さよなら。さよなら」 


ミツの悲しそうな表情を見た吉岡は、再びミツを抱き締め、ミツも抱き返し、二人は結ばれた。 


しかし、その一部始終をしま子の情夫がカメラに収めており、しま子が代筆した手紙を受け取ったマリ子が老人ホームのミツを訪ね、手切れ金を渡したことで、ミツはしま子の家へ行き、写真で恐喝を企むことを知り、そのネガを取り上げストーブで燃やしてしまう。 



しま子と揉み合いになってストーブを倒し、情夫によって追い詰められたミツは、アパートの窓から転落死してしまうのだ。 


 

 

2  「ミッちゃん、今あたしは、あなたを殺したものをはっきり見つけて、そのものと戦っていかなければならない」

 

 

 

ミツとの関係で取り調べを受ける吉岡は、行きずりの関係だったのかを問われ、「そうです」と答えた。 


老人ホームでのミツの葬儀に駆けつけた吉岡は、涙ながらにミツの写真を見つめ、額を持ち去ろうとする。 


家に帰った吉岡は、マリ子にミツとの関係を詰問される。

 

「ミツ、ミツ、ミツって言わないで!ミツはあなたにとって何なの?」 


黙考する吉岡。

 

「ミツは俺さ。俺はミツじゃないが、ミツは俺だよ」


「愛してたの?遊びでも浮気でもなかったの?あの女と」


「昨日死んだよ、ミツは。俺もな、今日警察で調べられて、俺は棄ててきたんだ、あいつを。見も知らぬ、道づれの女だとシラを切ってな。それでもあいつは許してくれるよ。あいつは優しさの外には…」


「そういう人なのね、あなたは。何をしても許されると思ってんのね」

「優しさの外には、何一つ持っていなかったからだけど、優しいってことは、それだけ弱いってことだ。だから…」

「だから、あの人を蹴っ飛ばして、あたしに飛びついたのよね!全部打算だったのよね、あたしとのことは!」


「マリ子。俺が打算だけで動ける人間だと思うか」

「よく分かったわ、あなたっていう人が!いくらあなたが飛びついてきても、どうしてもあなたの中に入れないものがあったのよ!分かったわ、それで…あなたは傲慢で破廉恥で、卑怯よ!」

「俺は恥じないぞ!どんな破廉恥なことでも、許されなきゃなんない事があるんだしな。お前には不愉快でも、ミツのことは一生…」

「だから、そうやって威張ってらっしゃいよ。あなたがどれだけ偉い人か、どれだけ強くて素晴らしい人か、一人でそうやっておしゃべりしてたらいいわ」

 

荷物を持って出ていこうとするマリ子を引き留める吉岡。

 

「お前だって、ミツじゃないか」 


凝視するマリ子は、なおも「行くな」と言う吉岡を平手打ちにして、家を出て行った。

 

一人残された吉岡は妄想の迷宮に入り込む。 



以下、吉岡の内面の彷徨。 



ラストシークエンス。


時が経つ。

 

マリ子は病院で妊娠を告げられ、嬉しそうに自宅へ戻る。 


家では、かつてミツが老人ホームで世話をした老婆の息子と吉岡が将棋を差している。 


夕飯の支度をし、アイロンがけをするマリ子は、背後にある阿多福面(おたふくめん)の下の引き出しにあったミツの写真と手紙を取り出し、燃やす。 


「ミッちゃん、なぜあなたは死んだのか。なぜ、あなたは生き続けてあたしを苦しめなかったのか。あたしはもっと、あなたを知るべきだったのだ。ミッちゃん、今あたしは、あなたを殺したものをはっきり見つけて、そのものと戦っていかなければならない。愛するものを一生愛し続けながら」 

「なぜあなたは死んだのか。なぜ、あなたは生き続けてあたしを苦しめなかったのか」

「今あたしは、あなたを殺したものをはっきり見つけて、そのものと戦っていかなければならない」



ラストは、マリ子の顔の大写しと、二頭の馬が夕日を浴びて疾走するカット。  


ミツを象徴する阿多福面(おたふくめん)に取って代わられたようだった。 


 

 

3  社会の底層で必死にもがいて生きる

 

 

 

ここのところ、昔観た映画を鑑賞し続けているが、全て自分の思いが詰まった作品である。

 

私が好きな映画作家、浦山桐郎監督の本作もそんな作品の一つ。

 

―― 以下、批評。

 

60年安保闘争に関わった吉岡は、高度成長期に入り、日本人の誰もが豊かさを手に入れる機会を得て、その時代に乗り遅れまいと邁進しつつも、友人の長島のようにドライに割り切れず、階級闘争を戦った無産階級出身の自身の立ち位置や内面世界から発する矛盾や葛藤が、時として抑え切れずに噴出することがあった。 


一つには、会社社長の姪のマリ子との結婚に伴う社長一族のとの付き合いの中で、内なる反発心を過剰に露わにしたこと。 

「悪いのか、日本的で!」

もう一つは、物語の根幹を成す、高度成長の波に乗り切れない社会の底層に属するミツとの関係である。 


基本的には、一貫してミツと対等な恋愛関係を築く志向性は吉岡にはない。

 

ミツの無垢な吉岡への愛に誠実に応えようとするつもりもない。

 

仮にそんな思いがあっても、現実的には吉岡の人生設計にミツの存在が入り込む余地がなかったのである。

 

しかし、マリ子を愛し、仕事人間として一定の成功を収め、先へ先へと進んで行く吉岡の自己像に張り付く懐疑的な感情が、時として頭をもたげてくる。

 

ミツを棄てたことの罪悪感と、決して自分を責めないミツを愛する気持ちを認めざるを得なくなった時、ダークサイドなる自己像の表象が喚起されるのだ。

 

だから、思わずミツを求める吉岡だったが、ミツはそれに応えようとしない。

 

「ごめんね。でももう、そういうことじゃないんだよね、私たち」 


このミツの言葉はあまりに重い。

 

「結局、俺にはこんなことくらいしかできない」 


そう言って、吉岡金銭の入った封筒を差し出すが、ミツは「いい」と言い放って受け取らなかった。

 

「いらない。もらわなかったじゃん、昔だって」 


ミツは自分がその場しのぎの売春婦でないことを訴えているのだ。

 

そうであったにせよ、吉岡への愛にぶら下がって生きるミツの脆さは、「優しいってことは、それだけいってことだ。だからミツは俺だ」とマリ子に放った言辞によって明かされていくのだ。 

「あんた、あたしから逃げたけどさ。当たり前だよね。あんたにぶら下がる気だったんだから」

ミツは聖女ではないのである。

 

「ミツは俺さ。俺はミツじゃないが、ミツは俺だよ」

「お前(マリ子)だって、ミツじゃないか」 


この吉岡の言辞の読解に苦しんだが、私の推量を書いておく。

 

社会の底層で必死にもがいて生きるミツ 


この一点に、「ミツ」=「貧しい家庭で育った俺と、ミツとの唯一の共通点」という含意が読み取れる。


【長男の吉岡に頼り切る母は、弟が高校入学を断念し、養子にいくことが決まったと話すシーンが挿入されていた】 

吉岡の家族

母と養子の話をする


そんなミツと一線を画し、いい意味でも悪い意味でも自己基準で生きるエゴイストの吉岡。
 

ミツを置き去りにする男

これが「俺はミツじゃない」という言葉の意味。

 

そして自らが依拠する上流階層に馴染めず、ほんの小さな幸せを得て満足するマリ子もまた、「お前だって、ミツじゃないか」という言葉の意味である。


吉岡に対するマリ子の愛は一貫して変わらないから、温和な家庭を作った映像を見せるラストに遷移する。

 

「あたしはもっと、あなたを知るべきだったのだ」と語るマリ子のラストのモノローグが、胸を打つ。

 

「ミッちゃん、今あたしは、あなたを殺したものをはっきり見つけて、そのものと戦っていかなければならない。愛するものを一生愛し続けながら」 


社会の底層で苦しむ人々の自尊心を毀損(きそん)し、有無を言わせず加害に走る者たち。

 

こういう連中と戦っていかなければならない。

 

マリ子の観念の収斂点である。

 

本作のメッセージが、そこに窺(うかが)い知れるだろう。

 

(2025年8月)

 

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