1 「どこに?」「海よ」「私に黙って?」「何が悪いの?」「二度としないで。分かった?」
メキシコの人気リゾート地のプエルト・バヤジャルタの別荘に住む、異父姉妹の姉クララと妹バレリア。
妹バレリアのよがり声を聞きながら食事を用意するクララ/冒頭から異様なカット |
17歳のバレリアは、クララの印刷店のバイトをしている同い年のマテオの子を妊娠している。
マテオとのセックスを終えて隣室からキッチンにやって来たバレリア |
左からマテオ、バレリア、クララ |
バレリアは母・アブリルに内緒にしていたが、クララが知らせると、遠方で仕事をしているアブリルはすぐに別荘に帰って来て、娘2人と再会を喜び合う。
「産みたかったの」
「ダメと言った?」
アブリル(右) |
反対されると恐れていたバレリアは安堵し、二人は抱擁する。
アブリルはクララとも抱擁する。
「太ったとは言わないで」
「太いだなんて、言ったことある?」
そして、アブリルはクララにバレリアの件を訊ねた。
「どんな相手?」
「いい子よ。ホテル経営者の息子で、印刷店を手伝ってくれてる」
「彼は本気?」
「すごくね」
「いくつ?」
「17歳」
「17歳?」
クララにも恋人がいるかを聞くと、いないと答えた。
アブリルはクララと海岸沿いでジョギングしながら、友人を手伝ってヨガのインストラクターをしており、ウェブ講座の動画作成にクララを誘い、バレリアに出演してもらうという計画を話す。
以下、バレリアとアブリルの対話。
「マテオの両親と話した?」とバレリア。
「いいえ。なぜ?」とアブリル。
「そのために来たのかと…」
「ママが来てよかった?」
「ええ。いつまでここに?」
「助けが要るなら残るわ。あなたが決めて」
「早く呼べばよかった。怖かったの」
バレリアは、アブリルと別れた自分の父親について訊ねる。
「パパは今もあの女と一緒なの?」
「ええ」
再婚相手は父親と37歳差の35歳で、5歳と7歳の子供がいると聞かされたバレリアが泣き出すと、アブリルは優しく抱き締める。
「ほら、泣きなさい。赤ちゃんの体にもいい。吐き出して」
アブリルはクララの肥満対策のため病院へ連れて行き、指導を受ける。
キッチンでクララが調理をしていると、いつものように隣の部屋からバレリアとマテオの喘ぎ声が聞こえてきて、それに気づいたアブリルは笑い出すが、いつも聞き流しているクララは、無表情でキッチンを離れた。
アブリルは、マテオをカフェに呼び出して打ち解けて会話する。
「バレリアと同じ年で出産を?」
「苦労したわ」
「間に合えば、バレリアを止めた?」
「娘の決断を支持する。後悔してるの?」
「まさか」
「私も協力するけど、家族を養うのは大変よ」
「望むところです。家も探します」
二人はグラスを合わせ乾杯する。
「飲んだことは内緒よ」
まもなくバレリアは女の子を出産し、“カレン”と名付けられた。
バレリアとカレンの病室に家族や友人が集まり祝福する中、マテオの父親が来たが中に入らず、マテオを呼び出す。
「どうする気だ?」
「心配しないで」
「私は失望してるんだ。母さんは当てにするな」
マテオの父(右) |
夜泣きするカレンをあやすマテオから、アブリルはカレンを取り上げ、眠っているバレリアを無理やり起こして授乳させる。
マテオは父親に、ホテルの仕事を求めるが相手にされない。
「引っ越し資金を貯めてる」
「そうか。それで?」
「ホテルを手伝わせて。チップだけでいい」
「ままごとしたいなら自立しろ」
その後、父親はマテオの荷物を勝手に別荘の前に置いて行った。
一家でテレビを観ていると、突然、クララがトイレに駆け込む。
病院から処方されたダイエットの下剤を飲んでいるためだ。
「30分ごとに下すのは自然?」とバレリア。
「生活を改めないと」とアブリル。
「問題は本人の幸せよ」
「幸せに見える?」
アブリルは離婚したバレリアの父親オスカルの家を訪ね、バレリアの助けを求めたが、自分で電話させろと取り合わなかった。
オスカル |
しばらく家の前で待っていると、以前から勤めていた家政婦のベロニカが出て来て、彼女を自宅まで送り、近況を語り合う。
ベロニカ |
帰りの運転中にクララから電話が入り、アブリルはバレリアの父親に会いに行ったが重病だったと嘘をつく。
「ご家族もいた?」
「いいえ。独りぼっち」
「バレリアには?」
「言わない」
カレンが病気になり、バレリアは泣くばかりなので、アブリルが懸命に看病し、その後も夜泣きするカレンに哺乳瓶を与えるなどして、アブリルが母親代わりとなる。
海岸へマテオとバレリアとカレンとで睦まじく過ごして帰宅すると、待ち構えていたアブリルがカレンを取り上げる。
「どこに?」
「海よ」
「私に黙って?」
「何が悪いの?」
「二度としないで。分かった?」
厳しく叱りつけられたバレリアは不貞腐れて返事をしない。
「可愛い子。心配したのよ」と話しかけながら、カレンのオムツを替えるアブリル。
子供服売り場でカレンのドレスを熱心に吟味するアブリルは、マテオが持ってきた母親の友人からもらった衣類を、「その都度新品を買えばいい。私が払うわ」と、全て返すように指示する。
そして、遂にアブリルはクララを連れ、カレンの養子縁組を成立させるために、バレリアとマテオに無断でマテオの両親に書類のサインを貰い、手続きを完了させたのである。
クララ(右) |
この辺りから、乳児カレンを囲繞する4人の挙動が大きく変貌していく。
その中心にアブリルがいる。
2 「自然妊娠が無理ならアメリカで治療すればいい。アメリカに引っ越して、バジャルタの家を売るわ」
自宅に戻ったアブリルは、カレンを心配して待ち構えていたバレリアに、カレンに何があったのかと詰問される。
「マテオの親と話して、2人に子育ては早いと」
「それで?」
「養子縁組の手続きをしたわ」
「養子って?」
事態を理解したバレリアは激昂し、アブリルを叩き続ける。
「何てことしたのよ。頭おかしいんじゃない?こんなの、ひどい!」
部屋に籠って泣き続けるバレリア。
アブリルは、ベロニカに預けたカレンの元に車で会いに行き、ミルクをあげて慈しむ。
家を空けていたバレリアが帰って来るや、「弁護士を探してた」とアブリルに言い放ち、そのまま部屋に籠り、アブリルを無視し続ける。
心配するアブリルは食事だけでもするように部屋の外から声をかけるが、バレリアが突然出て来て、アブリルを突き飛ばし、無言で料理を作り始めた。
アブリルはマテオを呼び出し、秘密を守ると約束させ、カレンに会わせると言って車でベロニカの家に連れていく。
マテオはカレンと再会し、アブリルと一緒に服を買いに行き、カレンへの思いを強くしたマテオは別れるのが辛く涙するのだ。
アブリルは「こうするしかなかった」と言い、カレンと共にホテルに泊まった。
泣き続けるマテオを優しく愛撫するアブリルは、マテオに性的関係を迫っていく。
「バレリアには黙ってて」
「でも、いつまで?」
「心配しないで。私から話す。信じられる?」
「ええ」
「行ってよかった?」
頷くマテオ。
「なら言う通りにして」
「バレリアも会える?」
「落ち着いたらね。信じて」
その後、バレリアに部屋を荒らされたアブリルは、「みんなのため」と言って荷物をまとめ、別荘を出て行き、新たに借りたメキシコシティのアパートの一室にマテオを呼び出す。
カレンへの思慕から随行して来たマテオを連れ、恋人さながらにお互いの服を買ったり、バーに飲みに行ったりして、マテオを操って支配していくアブリル。
マテオは公衆電話からバレリアに電話をかけ、勝手に出て行ったことを謝るが、バレリアに理由を聞かれ、詳細は話せないと答える。
「会いたくてたまらない。何があったの?なぜ言えないの?」
泣きながら訴えるバレリアだったが、電話を切られてしまって、絶望の淵に追い遣られる。
その後もアブリルとマテオとカレンの3人の生活は続き、アブリルは娘たちが暮らすバヤジャルタの別荘を独断で売りに出すに至る。
突然、不動産会社からの訪問を受けたバレリアは、電話で問い合わせて事実を確かめ、アブリルに電話するようクララに求めるが、既に番号を変えていると言われ、不動産会社に別荘のオーナーの電話番号を訊いても断られてしまうのだ。
そんな渦中で、アブリルはカレンに食事の世話をしながら、マテオに子供を産みたいと言い出す。
「自然妊娠が無理ならアメリカで治療すればいい。アメリカに引っ越して、バジャルタの家を売るわ」
「娘が住んでいるのに?」
「それが心配?」
マテオもこれには付いて行けず、言葉を失うが、アブリルに抗えない脆弱さだけが露呈されるのだ。
バレリアは一人でメキシコシティの不動産会社へ行き、アブリルの連絡先を訊き出そうとして担当者に断れるが、代わりに、その人物が近くのヨガ教室へ通っているとの情報を得て、早速そこへ向かう。
しかし、アブリルの画像を見せて教室で探すが、見覚えがないと言われるばかりで、翌日もヨガ教室の周辺で聞き込みをするが反応は同じだった。
カフェで注文をしようとしたところで、アブリルとマテオがヨガマットを抱えて歩いているのが見え、慌てて後を追って2人の住むアパートを突き止めた。
外で待っていると、車にカレンと共に乗った2人が出て来て、バレリアは車の窓を叩いて3人の名を呼ぶ。
「ママ!カレン!マテオ、開けてよ。ねえ、ママ!カレン、私よ!」
しかし、車はそのまま走り去って行った。
激しく動揺するアブリル。
「バラしたのね」
「僕じゃない」
「ウソよ」
「本当だ!」
「ウソつき!」
アブリルは車を止め、マテオを「さっさと消えて!」と車から追い出し、しばらく走った先のレストランに入り、カレンをベビーチェアに座らせる。
泣き叫ぶカレンを見つめていたアブリルは、無表情で立ち上がり、そのまま店を出て、車に乗り込み、カレンを置き去りにして行った。
バレリアは娘を探していると警察に訴え、支援機関の助けで、カレンが病院で保護されている事実が判明する。
「会えますか?」
「手続きには、カレンの父親も必要なの」
答えに窮するバレリアに対し、クララから事情を聞いた係員がマテオが実家に戻っていると話す。
「未成年が親権を取り戻すには、それしかない」
「まだ会えない?」
「手続きが先だ」
早速、バレリアは実家にいるマテオを訪ねた。
「恨んでるだろ」
「いいえ。また2人でカレンを育てられるわ。姉さんと同居して印刷店も再開する」
「本当?」
「ええ。一緒にいたいの」
2人は病院へ赴き、バレリアはカレンを抱いてマテオと共に仲睦まじく帰途に就いた。
しかし、列車のチケット売り場で、グズるカレンの飲み物を買いに、すぐ戻るとマテオに言い残したバレリアはカレンを抱いて、そのままタクシーに乗り込んだ。
「どちらまで?」
「とりあえず出して…後で言うから」
走り出したタクシーの後部座席で、何回か後ろを振り向いた後、マテオを疾(と)うに見限ったバレリアは、カレンを取り戻した喜びと安堵の表情を綻ばせるのだった。
3 欲望の稜線を広げた成り行きの果て
「十八世紀のパリの多くの親たちは、可能なら子供を里子に出し、彼らはしばしば、怠慢とか利己主義という形で子供の死を選んだ。こうした母親たちも、母性の歴史の一部である」
フランスの哲学者でフェミニストとして著名な、エリザベート・バダンテールの革命的な著「母性という神話」(筑摩叢書)の一文である。
エリザベート・バダンテール |
この著で彼女は、「母性」という概念が決して普遍的に女性に備わった性質ではないということを歴史的に明らかにして、自らの命より我が子の命を優先する女性の行動原則に疑念を抱かない、今なお通俗的に使用されている「母性本能」という概念を根柢的に批判した。
【因みに、現在、「本能行動」という言葉は「生得的行動」という概念に置き換えられている】
そして、バダンテールはここまで言い切った。
「自由に伴侶を男女が選択することにもとづいた新しい結婚は、幸福、思いやり、歓びの特権的な場所となる。その頂点が生殖である。
(略)生殖は結婚の楽しさの一つである。結婚の実りを愛すること以上に自然なことはない。夫婦が自由にお互いを選んだのだから、お互いに対する愛情は彼らの子供の中で具体化する。だから両親は子供たちを愛し、母親は自由意志で、自発的に子供たちのもとへと来るだろう。
(略)こうした観点から、人々は母親の歓びを褒(ほ)め称(たた)えた。人は当然の事実であるかのように、新しい母親は自分自身のために子供を養い、そこから無限の思いやりを受け取ると言明する。親たちは次第に、自分たちは子供の幸不幸に責任があると考えはじめる。この親の新しい責任は十九世紀全般を通じて重さを増し、二十世紀になると精神分析論のおかげで絶頂に達する。十八世紀は親の責任という観念を立ち上げ、十九世紀はそれを認め、母親の責任を強調し、二十世紀は母親の責任という概念を母親の罪過という概念に変えた。ここに近代的な核家族が誕生し、この核家族は次第に私的生活の単位となった」
「母性愛」が歴史的に作られた幻想に過ぎないことは、18世紀のフランスでの里子の習慣や、貴族階級の乳母の慣行などの歴史検証などを通してバダンテールが証明したにも拘らず、それでも、この幻想が常に手強いのは、「母性こそ至上の『愛』」でなければ社会規範の根幹が破綻すると考える人々が多いからである。
「里子が全盛期だったフランスの18世紀~19世紀」より |
「里子が全盛期だったフランスの18世紀~19世紀」(後編)より |
本篇の「母という名の女」は、その名の通り、「母性愛」の生得性が、それを信仰する人々が頑固に有する究極のナラティブに過ぎないことを映像化した作品である。
例証するまでもなく、ヒトの場合、出産直後には子供に愛着を感じないケースが多々ある。
この不具合が、アタッチメントと呼ばれる安定した育児行動の累加によって愛着感情が高まってきて、その心的行程を「母性愛」という表現で簡単に括ってしまうのが通例であるだろう。
然るに、先述したように、この愛着感情の高まりの心的行程を「生得的(本能)である」と決めつけるには無理がある。
ヒトの感情は生得的ではなく、形成的な関係の情感の中で育まれていくものだからである。
我が子に対する溢れる思いの強さは、特化された関係の強化と比例するということだ。
この映画が巧みなのは、制御困難な欲望に歯止めが効かずに暴走するアブリルの人格総体の歪みが、破綻と自滅を約束せざるを得ない人生行路の一端を、恰(あたか)も彼女の命運の如く活写されていたという一点にある。
アブリルの行動が何もかも計画的に為されていったと考えるレビューが散見されたが、それは違うと、私はほぼ確信的に言える。
思うに、人間は最初から計画的に、且つ計画通りに行動し、その行動を遂行できているとは限らないことが多い。
その都度、複雑に絡む状況に応じて、殆ど感情の赴くままに最大限適応的だと信じる行動に及ぶだけで、所期目的との乖離が生じて方向を見失い、或いは、そこに諸要素が紛れ込むなどして所期目的が希薄になり、無自覚に異化された行動に及ぶことが往々にある。
それを他者が見て、謂(い)わば行動の結果からそれが所期目的であると決めつけ、一つ一つの行動の意味を辻褄合わせて、首尾一貫したストーリーを作り上げてしまうことも少なくない。
数多の陰謀論などは、この「首尾一貫性」に対する「確信幻想」よって保持されていると言っていい。
この映画を一貫して支配しているアブリルもまた、同様の文脈で説明可能であると考えられる。
妹バレリアと比較して自尊心が低い異父姉のクララから連絡を受け、別荘にやって来たアブリルは前夫との離婚後に疎遠になっていたバレリアの困難極まる育児に深く関与することで、乳児カレンへの愛着感情の高まりを実感し、いつしか母親の如く振る舞っていく。
そのように振る舞わざるを得ない状況が形成されていたからである。
育児に疲弊し、頻回授乳と夜泣きにマタニティブルーの症状を発現するバレリアを目の当たりにして、アブリルは必死にサポートするが、遂には、カレンを勝手に海に連れ出して遊ぶバレリアを非難するのだ。
頻回授乳で疲弊するバレリアに授乳させるアブリル |
「二度としないで。分かった?」
非難されたバレリアの反抗的な態度をよそに、アブリルの視界にはカレンしかない。
「可愛い子。心配したのよ」と言ってカレンを慰撫し、オムツを替えるアブリルは、この時、カレンの祖母である現実を捨て、一人の代え難い「母」と化していた。
ヒトの感情は生得的ではなく、形成的な関係の情感の中で育まれていくのである。
アブリルもこの行程をなぞっていたということだ。
子供服売り場でカレンのドレスを吟味するシーンがあったが、この辺りから、アブリルはカレンを自分で育てていくことを決意したと思われる。
カレンへの強い愛着が独占感情を生み出していくのだ。
厄介なことに、アブリルはマテオとの共生をも視野に入れていた。
しかし、これも計画的に練られたものではない。
ここで、金銭援助を求めて前夫オスカルを訪ねていったシーンを想起したい。
全く相手にされず、門前払いを食らった当のオスカルは37歳も年下の女性と再婚し、5歳と7歳の子供がいて幸福に暮らしていた。
離婚の事情は不分明だが、その際に、娘バレリアを案じて別荘を譲り渡したであろうことが推量できるものの、前夫オスカルに対する敵愾心(てきがいしん)を燃やす心情の強さが、アブリルの中に読み取れる。
帰りの運転中にクララから電話が入った時に、継父オスカルについて尋ねられて、「家族」もなく「独りぼっち」で「重病」だったと虚言を吐くのだ。
このオスカルへの敵愾心が、年齢差の高いマテオとの共生への推進力となっていったと考えられる。
オスカルとの間に儲けたバレリアの夫マテオへのアブリルの近接が、既にカレンの養子縁組を成立させていて、オスカル家の家政婦で、既知のベロニカに預けていたカレンとの対面を口実に為されていくが、この一連の行為に関して言えば、計画的に練られたものであったことは疑いようがない。
養子縁組 |
カレンの衣類を、「その都度新品を買えばいい。私が払うわ」と言い放ち、マテオを指示するアブリルの欲望の炸裂が容易にマテオとの共生を具現化させていく。
自我の脆弱なマテオを操っていくアブリルが、「義母」から「女」になっていくのだ。
同時に、カレンの「母」という立ち位置を変えることなく、彼女の欲望の稜線だけが広がっていく。
そんなアブリルの肥大した欲望がドーパミンやアドレナリンなどの神経伝達物質の分泌を促し、脳内報酬系の活性化が発現するから、もう止められなくなっていく。
少なからずアドホック(その場凌ぎ)な行動様態だったが、バレリアに知られたことでマテオを疑い、裏切られたと思い込んだ挙句、マテオを追い出し、最後にはカレンをも遺棄してしまうのだ。
欲望の稜線だけが広がり過ぎて破綻していくアブリルの行動様態を見る限り、自らの失敗の連鎖から学習できない「計画錯誤」という心理学の概念が打って付けであるように思える。
人は何かに取り組むときにかかる時間や労力を少なめに見積もってしまう「計画錯誤」 |
楽観バイアスのシャワーを被浴する者の典型的な破綻のパターンが、そこに垣間見えるからである。
「母」→「女」へと自己膨張していったアブリルの心的行程を、愛着→独占→共生→破綻という風に俯瞰的に捉えてみると、余す所なく自己基準で動く者が陥る破綻のプロセスが浮き彫りにされるだろう。
自己基準で動き続け、欲望の稜線を広げた成り行きの果てに、その身を委ねる何ものもない異界に打ち捨てられていく。
そんな女に命運を握られた乳児の悲哀だけが、痛烈に喰い刺さってくる映画だった。
(2024年10月)
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