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親友のダニーロに弁護を依頼に行くシーン |
<暴力の連鎖を断ち切って、今、ここに、自己完結する>
1 浴槽に沈みつつある女が蘇生する
ドイツ、ハンブルグ。
刑務所から出所する一人の男。
それを待つ、花嫁姿の女性。
男の名はヌーリ。
トルコからの移民者である。
麻薬取引で投獄されていた。
女性の名はカティア。
ドイツ人である。
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カティヤ(右)とヌーリ |
このオープニングシーンから、数年後。
二人の間にロッコという息子が生まれ、幸福な日々を繋いでいた。
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横断歩道で車に轢かれそうになり、ロッコを守るカティヤ |
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スパに行くために、ロッコを夫のヌーリに預けるカティヤ |
カティヤとビルギット(スパで) |
そんなある日、カティアは親友のビルギットと共にスパ(温泉)へ行き、リフレッシュして帰宅したが、カティアを待っていたのは、信じられないような災禍(さいか)の猛襲だった。
トルコ人居住区にある、ヌーリの会社の事務所が爆破されたのだ。
この爆破事件で、一瞬にして、カティアは夫と子供の命を奪われてしまったのである。
事件現場 |
我を失って、現実を受け止められない |
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葬儀に飾られた写真 |
甚大な衝撃に絶叫するカティア。
当然過ぎることである。
この状況下で、担当捜査官レーツ警部はカティアに問いかける。
担当捜査官レーツ警部 |
「ご主人はイスラム教徒でしたか?」
「宗教に無関心よ」とカティア。
「クルド人で?」
「政治活動はしてましたか?資金集めなどは?」
「いいえ、夫は政治とは無縁よ」
「ご主人に敵は?」
「敵って何?」
「ご主人の会社の前で爆弾が爆発したんです」
「何?」
「ご主人を狙ったと思われます…お二人を最後に見たのは?」
「今日の午後、息子を夫に預けたの」
「何か異常は?」
「女が自転車をすぐ前に停めてたわ。鍵をかけるように言ったの。新品の自転車で、荷台にボックスが載っていた…二人に会わせて」
「敵って何?」 |
もう、これ以上反応する気力を失っていた。
遺体の損傷が激しく、バラバラの状態であることを聞かされ、気を失いかけるカティア。
その直後、ベッドに横たわるカティア。
「二人は苦しんだ?」
「二人は苦しんだ?」 |
最も肝心なことを口にするカティア。
「きっと一瞬だったわ」
カティアに寄り添い続けるビルギットの、精一杯の反応である。
「ロッコは自分のバラバラの体を目にしたのよ。怖かったはず」
「即死だから、きっと何も気づいてないわ」
カティアを抱きしめるビルギット。
「即死だから、きっと何も気づいてないわ」 |
事件現場に立ち竦むカティヤ |
「ネオナチだわ。それ以外にない」
数日後、友人の弁護士ダニーロを訪ねた時のカティアの言葉である。
ダニーロ |
これは、クルド系のトルコ人であるヌーリの父の言葉。
ヌーリの父と母(義父母) |
「家族を二度も奪われたくない。絶対にイヤ。渡さないわ」
そこだけは毅然と言い切るカティア。
警察の家宅捜索を受け、カティアはレーツ警部に積極的に協力する。
「犯人の見当はつきますか?」
「ネオナチよ」
「根拠は?」
「あそこはトルコ人街だった」
「嫌がらせは?」
「知らないわ」
「ご主人との出会いは?」
「学生の時、彼から大麻を」
大学の専攻から、年収、仕事の内容、家のローンの収入減など、事細かに質問され、苛立つカティア。
「夫を犯罪者に仕立てたいの?薬物犯罪者に」
「警察がマークする人物が、ご主人と何度も電話をしています」
「夫は犯罪者の通訳もしたの。電話で話すのも仕事よ」
レーツ警部は、裏社会との関係のトラブルで報復されたと決め付けている。
絶望の際に陥り、遂に浴槽で自殺を図るカティア。
「やはり、犯人はネオナチだった。犯人が捕まった」
浴槽に沈みつつあるカティアの耳に、このダニーロの留守電のメッセージが入り、カティアは浴槽から這い出て、繰り返しダニーロの留守電を再生する。
ギリギリのところで、カティアは蘇生したのだ。
【なぜ、こういうハリウッド的な描写をインサートするのか。正直、「奇跡の生還」というシーンには辟易(へきえき)しているので、偶然性に依拠し続けない方がいい。これが、後半で炸裂するので、2章以降の展開にシビアな視線が鈍磨してしまう。こういう重いテーマの作品に、「ハラハラドキドキ」のハリウッド的な娯楽的要素は削り取って欲しいと、私は思う】
2 「サムライ」のタトゥーを完成させる女
法廷が開かれた。
カティアも訴訟参加人として出廷し、ダニーロが彼女の弁護人を務めることが認められる。
被告人は、カティアが言う通り、ネオナチの二人だった。
二人は夫婦であり、その妻こそがカティアが目撃した女だった。
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カティアが目撃したエッダ |
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左からエッダ、ハーバーベック、右がアンドレ |
容疑者の名は、アンドレとエッダのメラー夫妻。
被告人の弁護士の名は、ハーバーベック。
メラー夫婦の容疑は、化学飼料と軽油と500本の釘、即ち、釘を充填し殺傷能力を高めた対人爆弾「釘爆弾」である。
自爆テロリストが常用する爆弾として知られる。
裁判が始まるや、エッダに飛び掛かるカティア。
「息子の行為は、悪質で卑劣で愚かです」
アンドレの父親メラーの言葉である。
ヒトラーを崇拝する息子と断絶状態にあり、今回の事件も息子の関与を証言する。
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メラー |
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メラーの証言を真剣に聞き入るカティヤ |
「絶対に刑罰を食らわせる」
親友のビルギットに言い放った、カティアの闘争宣言である。
彼女の強い意志を、法廷内の被告人を組織的に擁護する証人の登場で弾いてしまうのだ。
その重要人物の名はマクリス。
ギリシアのホテル経営者である。
マクリス(右)と通訳 |
しかし、メラー夫妻のアリバイを証言したマクリスは、合法的な極右政党「黄金の夜明け」に所属し、そこにメラー夫妻が関与している事実が判然とする。
この重要な事実も、単なる「状況証拠」でしかなかった。
極右の組織ぐるみの犯罪潰しの法廷の風景が露呈されていく。
「極右同士で結託してやがるんだ」
その日の公判後の帰路での、ダニーロの言葉である。
孤軍奮闘するダニーロ |
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「こんな茶番、蹴散らすわ」とダニーロに言い切った |
ここから、犯罪潰しの法廷の風景が、ハーバーベックによって変容されていく。
訴訟参加人・カティアに対する人格攻撃が開かれるのだ。
ダニーロが指摘した通りだった。
ハーバーベックは、ヌーリが薬物使用の罪で刑務所に収監されていたこと、更に、カティアの薬物使用を指摘し、彼女の証言の信憑性に疑義を申し立てる。
声高に難癖をつける弁論を展開するハーバーベック |
「カティアの薬物使用が、苦しみを紛らわせるためで、微量ですし、不利な証言ですので拒否します」
ハーバーベックの声高な追及に、ダニーロは必死に反駁(はんばく)する。
激しい議論の応酬の渦中で、薬物常用を否定し、怒鳴り散らすように声を張り上げるカティア。
「薬物の影響下にあった証人は、被告人を目撃したと主張する。しかし、マクリス氏の証言や予約台帳が示すとおり、被告人はギリシャにいました。以上です」
それに対し、ダニーロが反論する。
「夫人の目撃証言は、鑑識結果と全て一致しました…彼女の証言能力は証明済みです…二人は下劣な動機により、私の依頼人の家族を殺害した。弁護人の陽動作戦には吐き気がする!以上!」
傍聴席から拍手が起こる。
かくて判決が下される。
「被告人アンドレ・メラーとエダ・メラーを無罪とする」
無罪判決を下す裁判長 |
歓喜で抱き合うメラー夫妻 |
その瞬間、驚愕するカティア。
喜び抱き合う被告人夫妻。
「今回の判決は、被告人を無罪とするものではない。犯人と断定する証拠が不十分で、“疑わしきは罰せず”の原則に基づいた結果である。両被告に以外の者が鍵を手にした可能性が残り、第三者がガレージに入ることもあり得た。もう一人の指紋の特定されていない。シェケルジ(カティア)は法廷で被告人エッダ・メラーを現場で目撃したと主張した。この証言の有効性は判断できない。その証言能力の鑑定が実施できなかった」
この判決に対し、意を決したのか、カティヤは、「サムライ」のタトゥーを完成させる。
3 暴力の連鎖を断ち切って、今、ここに自己完結する
休暇中の写真を、メラー夫妻がSNSにアップしたことで、彼らがマルキスの経営するホテルにいると判断したカティヤは、一路、ギリシャに向かった。
大陸を縦断する、帰路を捨てた覚悟の旅だった。
メラー夫妻がSNSに投稿した写真をホテルの店員に示し、彼らの居場所を尋ねた。
「知らないわ」
その一言で、全てがマルキスの息のかかったスポットであることが判然とする。
かくて、マルキスに知られ、追われることになるが、その危機を乗り越え、逆にマルキスの車を追跡し、海岸に至る木々が立ち上る狭い道に這い入っていく。
マクリスがメラー夫妻に、カティアがギリシャにやって来ていて、夫婦を捜していることを伝える |
そこで車を降りて歩いていくと、メラー夫婦が寝泊まりするキャンピングカーを見つけ、マクリスと話し合っている現場を目撃する。
家族を殺害した爆弾の材料を買い求め、釘爆弾を作ったカティアは、キャンピングカーに仕掛けたが、それを回収した。
以下、釘爆弾を作るカティヤ。彼女の器用さは「家族」の章で映像提示されている |
大量の釘を入れている |
キャンピングカーに釘爆弾を仕掛ける |
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爆弾を仕掛け、走って逃げる |
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以下、葛藤するカティヤが爆弾を回収するが、なお葛藤するカティヤのカット |
葛藤が起こったのだ。
ダニーロから電話がかかり、上告の決断を迫られる。
「もう、やりたくない」
彼女の意志にブレがなかった。
「闘いはこれからだ」
ダニーロの説得に、感謝の念を伝えるカティア。
携帯の動画に残る、亡き夫と息子の姿。
このロッコの言葉が引き金になったのか。
ギリシャの海辺で、なお葛藤するカティアの決断は、もう一度キャンピングカーに行き、二人が戻ったのを確認し、爆弾を抱えて乗り込むこと。
それは、帰路を捨てた覚悟の旅の最終到達点だった。
キャンピングカーに戻って来たアンドレとエッダのメラー夫妻 |
疲れ切った表情のエッダ |
迷いなき二度目の決断 |
自爆することで暴力の連鎖を断ち切り、移民9名と警官1名を爆殺した理不尽な事件を自己完結すること。
それ以外になかった。
時を経ずして、キャンピングカーに押し入るカティア。
爆発炎上するキャンピングカー。
何もかも、自らの手で終焉させてしまったのだ。
【以下、ヒロインの視線で描かれた物語を、その心理・感情の遷移を概括的にフォローしてみたい。
「衝撃」⇒「喪失」(自殺未遂)⇒「憎悪」(特定他者=容疑者の現出)⇒「落胆」(無罪判決)⇒「報復」(苦痛の強制的体験)⇒「葛藤」(苦痛の強制的体験への矛盾)⇒「自爆的報復」(事件総体の自己完結)。
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驚愕するカティヤ |
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「衝撃」抑え切れない感情を炸裂させる |
この心理・感情の遷移の中で最も重要なステップは、「葛藤」⇒「自爆的報復」というフェーズである。
「葛藤」のフェーズは、容疑者に対する「憎悪」の延長線上に出来した「苦痛の強制的体験」という「報復」の心理が、ネオナチの行動原理と同義になってしまう事態の無意味さに気づくことで胚胎(はいたい)した、単なる暴力の連鎖の負の現象である。
「自分もまた、ネオナチの腐れ切った連中と同じなのか」
そう、思ったに違いない。
ネオナチの行動原理をトレースしていることへの嫌悪感。
だから、「葛藤」した。
「葛藤」のフェーズは、時を経ることなく決断を下す意志に結ばれない。
迷い、煩悶し、懊悩する。
しかし、ネオナチの破壊的行動を容認できない。
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事件現場 |
自爆することで暴力の連鎖を断ち切ること。
これが、「葛藤」のフェーズを経緯して、「自爆的報復」というフェーズを開く決定的な選択肢になった。
「家族への弔い」と「自爆的報復」の心理・感情が、最終局面で融合したのである。
家族への弔い |
暴力の連鎖を断ち切って、〈人生〉を自己完結させる。
カティヤの〈人生〉が、今、ここに自己完結したのだ】
4 「有罪根拠」の悪魔の証明
「ドイツ警察戦後最大の失態」と言われた、ネオナチによる連続テロ事件であると知っても、それをベースにした映画のシナリオの杜撰(ずさん)さが気になった。
特に、2章の法廷闘争の描写。
法律の専門家が、この法廷場面のシナリオに関与していたとは思えないほど、複数の疑義を払拭し得ない描写だった。
あるレビュアーが代弁してくれるので、それをベースに言及する。
【息子(アンドレ)の犯行であると確信し、事件を訴えた父親が、倉庫に爆弾の材料があった事実を明確に証言しているにも拘らず、その倉庫の鍵が、第三者でも使用可能な状況にあったということ。
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最も重要な証言をしたアンドレの父メラーとカティヤ |
実家の空き家で爆弾を作る道具が揃っていたが、もう一人、不明の指紋が発見されたことで、誰でも手に入れやすいという空疎な弁論が罷(まか)り通ってしまっている。
爆弾製造現場の空き家の徹底捜査によって、容疑者の指紋採取も可能ではないか。
それ故に、身元不明のもう一人の指紋の存在のみで、当該人物(アンドレ)を事件の容疑者から外すのは不自然過ぎる。
また、事件当時、自転車を事務所の前に置いた女(エッダ)のアリバイを証言した人物は、女と思想的関係があるギリシャのホテルのオーナー(マクリス)であったこと。
それも「予約台帳」(宿泊名簿)に記されているサインのみ。
「予約台帳」を拡大して見せるマクリス。彼は、エッダ・メラーが事件当日にホテルに宿泊していたという部分を指すが、明らかに、エッダの名を付け加えていることが分る |
マクリス |
これには驚かされた。(驚かされたという点について書けば、この容疑者の逮捕の経緯が裁判の中で全く描かれていないこと)
大体、被害者(ヌーリ)の事務所から、近辺の防犯カメラ等で徹底的に調べることで容疑者の特定が可能であり、警察の聞き込み捜査によって目撃者を捜し出すことは、ごく初歩的な調査ではないのか。
それすらも怠っていたと言うなら、その怠惰については、殆ど何をか言わんやである。
且つ、容疑者の女(エッダ)がネオナチの「仲間」である事実が、「訴訟参加人」(カティヤ)によって証明されている事実の一方で、ヒロインのドラッグ(微量であることを、捜査員も確認済み)の服用が、目撃証拠にならないという被告弁護人(ハーバーベック)の声高な追及によって、決定的な目撃証言の信憑性が希薄化され、強く印象づけられたこと。
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遺体の損傷の激しさの証言に衝撃を受け、ダニーロから手を差し伸べられる。一度、退廷する際に、エッダに襲い掛かるシーンに繋がる |
更に言えば、「被告人質問」が自由な状況であったと仮定しても、担当検事の追求が殆ど皆無であり、弁論の中枢が「訴訟参加人」の弁護人(ダニーロ)に委ねられていたという設定に、大いに疑問を持つ。
何より、これほどまでの充分過ぎる証拠かあって、有罪判決が出ないことの不合理性が、「推定無罪」として、国家の補償金つきで即解放という展開は、被告弁護人(ハーバーベック)の弁論が難癖の類であったという結論に至るのだ。まさに、「有罪根拠」の悪魔の証明である】
5 ネオナチ・極右テロ組織の台頭の顕在化で、露わになっていくネガティブな風景の行方
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2015年欧州難民危機・オペレーション・トリトンの一環で定員超過の移民船の救助に当たるアイルランド海軍。2015年6月(ウィキ) |
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2015年欧州難民危機・セルビアからハンガリーにフェンスをくぐり侵入する移民 2015年8月25日(ウィキ) |
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2015年欧州難民危機・ギリシャ、マケドニア国境の移民。2015年8月24日(ウィキ) |
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シェンゲン協定(EU内で国境を越えることを許可する協定)/青い範囲がシェンゲン圏(ウィキ) |
欧州諸国に、中東やアフリカなどから、100万人を超える難民が殺到したことで惹起した「2015年欧州難民危機」。
これによって顕在化した社会的・政治的危機は、ドイツ国内で、中東からの難民にも警戒感が広がりを見せた。
これは、マックス・ミュラー(ドイツ生まれの比較言語学者)によって提示され、学説としての根拠に乏しい「アーリアン学説」というイデオロギーの下、外国人排斥、ホモフォビア、反ユダヤ主義、反共主義、ナチスの犯罪の矮小化などを骨格にする、従来のネオナチの思想を受け継ぎ、今世紀に入ってテロ事件を頻発(ひんぱつ)させている「国家社会主義地下組織」(NSU)に代表される極右テロ組織のような、ネオナチに代わる新たな排外組織「ドイツのための選択肢」(AFD)、「PEGIDA」(西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者)などの勢力が伸張する現象の起動力になっている。
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マックス・ミュラー(ウィキ) |
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2011年ツヴィッカウでの「国家社会主義地下組織」による爆破事件の形跡(ウィキ) |
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焼きつくされたツヴィッカウの家(ウィキ) |
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ツヴィッカウは、ドイツ連邦共和国のザクセン州に位置する都市(ウィキ) |
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ニュルンベルクのオペラハウスの向かいにある、「国家社会主義地下組織」(NSU)による犯罪犠牲者の記念碑(ウィキ) |
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「ドイツのための選択肢」(AFD)/エッセン臨時党大会 2015(ウィキ) |
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党設立者ベルント・ルッケ(ウィキ) |
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現党首イェルク・モイテン(ウィキ) |
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PEGIDA(ペギーダ)/ペギーダにより2015年1月25日にドレスデンで行われたデモの様子(ウィキ) |
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主宰者ルッツ・バッハマン(ウィキ) |
―― 以上の〈状況性〉の背景にリンクするテーマとして、ここで、ネオナチ集団とトルコ移民との関係について言及する。
「1960年代、西ドイツ(当時)では現業分野の人手不足を解消するためトルコから多くの移民を労働者として受け入れました。出稼ぎでやってきた彼らがトルコから家族を呼び寄せ定住した結果、現在のドイツには270万人ものトルコ移民が暮らしていますが、イスラム教とアジア文化に根ざし一大コミュニティを作り上げた彼らトルコ人に対する差別が社会問題となっています。また、トルコのEU加盟に関して、加盟を前提にした連合協定は63年に締結されていますが、キプロス問題、司法制度・人権保護の改善など加盟基準で今も交渉中です」(「そして、私たちは愛に帰る」公式サイトより)
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「そして、私たちは愛に帰る」より |
この公式サイトが要約しているように、近年、クロアチア紛争(1991年から1995年まで)を経験したクロアチアが、28番目の加盟国として正式加盟したにも拘わらず、同時期に加盟交渉を開始していたトルコのEU加入が具現しないのは、「キプロス」、「アルメニア人虐殺」にルーツを持つ「人権」など、EU加盟基準の不備という表面的問題よりも、およそ7600万人の人口を擁し、家族的定住を膨張させていく傾向を有する、「イスラム教文化」の移民コミュニティそれ自身への、潜在的恐怖感が大きな障壁になっていると思われる。
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ドイツ議会、101年前の「アルメニア人大虐殺」を認定、トルコは反発「2国関係に損害をもたらす」 |
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ドイツとトルコの関係さらに悪化/世界情勢に影を落とす対決姿勢 |
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ドイツ移民社会 “多文化主義”の敗北 |
このような由々しき問題の解決の困難さは、「ドイツの多文化主義は完全に失敗した」と発言したメルケル首相の、キリスト教民主同盟の青年部会議での言辞によっても裏付けられる。
前述した「国家社会主義地下組織」(NSU)による、トルコ系移民8人を含む10人の移民を殺害した連続殺人事件(2011年11月)を想起するまでもなく、メルケル首相が指摘したように、ドイツ人が「外国人」と正面から向き合うことを拒んできたのは事実である。
AFP通信(2013年5月6日「独ネオナチ裁判開廷、問われる極右と治安当局の闇の関係」)によると、映画で描かれていたように、当初、ドイツ捜査当局によって、国内にある巨大なトルコ系移民社会のギャングたちの内部抗争と見られていて、弱小の極右勢力に対する危険性が過小評価されていた。
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独ネオナチ裁判開廷、問われる極右と治安当局の闇の関係/画像は、移民ら10人を殺害したとされる極右グループ「国家社会主義地下組織(NSU)」のメンバー、ベアテ・チェーペ容疑者 |
極右と治安当局との関係が疑われている厄介な事件だが、この陰惨なテロで炙り出された風景は、キナ臭い臭気に満ちている。
また、2017年に非合法化を免れた「ドイツ国家民主党」(NPD)のような典型的なネオナチ党がドイツ社会の間に深く浸透しているとは思えないが、旧東独を中心にした右派ポピュリズム(「ドイツのための選択肢」)の人気の高さ(2017年の連邦議会選挙で約100人の議員を送り込んだ)を考える限り、ドイツ社会が抱える闇を軽視できないのは事実である。
地方議会に少数の議席を有するだけの弱小政党であったとしても、NPDの存在感の高まりが、ドイツ社会の右傾化を示す兆候であるという警戒感を捨ててはならないだろう。
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「ドイツ国家民主党」(NPD)/ドイツ右傾化の新たな兆し?ネオナチ政党勝利の衝撃 |
極右による暴力事件や、反ユダヤ主義のヘイトクライムの増加。
その傾向は旧東独で顕著である。
ルーマニアやブルガリアなど東欧からの亡命申請者が増えたことで、排外的なムードを煽り立てる極右勢力の伸長。
「コール政権、そして多くの西ドイツ人たちは天文学的な額の資金を注ぎ込んで、生活水準さえ引き上げれば東西間のアイデンティティーも平準化されると考えた。しかしその考えは、甘かった。人はパンのみにて生くるものにあらず。西側は、旧東ドイツ人たちがいかに急激な変化を体験し、困難な適応を強いられ、心の傷を負ったかについて十分に配慮しなかった」
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「旧東独中心に過熱する極右・ネオナチの暴力」日経ビジネス/「ドイツのための選択肢」(AFD)などの動員で行われたデモ。イラクとシリアからの移民によるとされる殺人事件に抗議するため集まった |
この一文は本稿で参考にしている「旧東独中心に過熱する極右・ネオナチの暴力」(日経ビジネス・熊谷徹)」からの引用である。
「心の統一」を疎(おろそ)かにしたこと。
これが問われていると言うのだ。
アイデンティティの奪還。
旧東独の国家保安省(シュタージ)によって押し込まれていた極右勢力が今、シュタージの解体によって復元したアイデンティティを確保している。
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ベルリンの旧シュタージ中央庁舎(ウィキ) |
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監視と密告の社会にゾッとする。旧東ドイツ国家保安省(シュタージ)ミュージアムhttps://www.ab-road.net/europe/germany/berlin/guide/sightseeing/09148.html |
チューリンゲン州を地盤とする旧東独系の「国家社会主義地下組織」(NSU)によるテロ犯罪もまた、以上の文脈で説明可能である。
本作で起きた爆破テロ事件のモデルになった、「国家社会主義地下組織」(NSU)によるテロ犯罪の犠牲になったトルコ人。
思うに、トルコ人が定住し、子孫を儲けても、「市民」とは認められず、暫定的な「住民」の扱いを受けてきた。
トルコ人もまた、「市民権」の取得や社会参加に殆ど関心を示さず、自分たちに対する偏見意識を膨張させてきたのも事実。
彼ら自身、ドイツ語を学び、文化的な孤立状態から脱け出し、ドイツ社会に溶け込むべきだとも言える。
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映画のヌーリはドラッグに手を出したが、ドイツ女性と結ばれ、安定した生活を送っていた |
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ヌーリを喪って悲嘆を極めるドイツ女性カティヤ |
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トルコのエルドアン大統領が就任宣誓、権限集中に批判もhttps://www.afpbb.com/articles/-/3181812 |
トルコのエルドアン大統領が、メルケル首相をナチ呼ばわりしたのは2017年3月20日。
「ヨーロッパは、第二次世界大戦直前のファシズム台頭と同じ状況」と、エルドアン大統領は言い放った。
ドイツのシュタインマイヤー大統領は、様々な問題を抱えるトルコに対し、民主主義を要求するスピーチを行ったのだ。
まさに泥仕合である。
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シュタインマイヤー大統領(ウィキ) |
「そして、私たちは愛に帰る」の公式サイトでも書かれているように、ドイツは、戦後、急速に移民の受け入れを行った結果、1950年代後半から1970年代にかけて、270万ものトルコ人ばかりか、南欧や旧ユーゴからも大量の難民を受け入れてきた。
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ドイツは人種のサラダボウル?5人に1人が移民(2014.3) |
しかし、オイルショックによって大量の失業者が生まれ、社会保障費が拡大、財政赤字も拡大。その際、移民に対する忌避感が強まり、厳しい市民権取得条件が設けられた。
この辺りから、移民の受け入れに対するドイツの対応が大きく変容していく。
ドイツ語が話せない移民が中心の外国人の失業率と中途退学率が、ドイツ人の2倍になっている現実は重い。
「多文化主義は完全に失敗した」というメルケル首相の発言と軌を一にするように、ネオナチ・極右テロ組織の台頭が顕在化し、テロ事件の横行というネガティブな風景が露わになっていくのだ。
ドイツ社会と移民との相互扶助の関係を求めたメルケル首相の真意は、生活保護受給者の割合と犯罪率の高さによって弾かれてしまったのである。
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ドイツで進むネオナチの武装化 |
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ドイツで進むネオナチの武装化/極右に襲撃・放火されたニュルンベルクの難民避難所(2014.12)(写真:ロイター/アフロ) |
「政治的に迫害される者は庇護権を享有する」
ドイツの憲法である「基本法」に明記されている理念は、それを拒絶する者たちのテロ犯罪の横行によって排斥されている。
「異文化とどう共存していくかは21世紀最大のテーマ」
「メルケル首相『多文化主義は完全に失敗』ー今この発言に注目すべき理由」の著述者・室橋祐貴日本若者協議会代表理事は、きっぱりと言い切った。
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メルケル首相「多文化主義は完全に失敗」ー今この発言に注目すべき理由 |
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室橋祐貴 |
我が国にも言えることだが、移民問題を経済的な問題(単なる労働力)ではなく、社会文化的な問題として捉えていかない限り、負の社会分化現象が加速するだけであろう。
異文化との拒否反応を示している現代世界の不透明な時代において、国境警備隊員の増員ではなく、メキシコとの壁を築くことに象徴される自国中心主義の台頭と広がりは、「包括的資本主義」と完全に背馳(はいち)していて、とうてい受容できないのだ。
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ファティ・アキン監督 |
【参考・引用資料】
拙稿・人生論的映画評論・続「そして、私たちは愛に帰る」
(2020年3月)
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