検索

2022年9月12日月曜日

醉いどれ天使('48)  時代遅れのヤクザに対峙し、町医者の憤怒が炸裂する 黒澤明

  


1  「俺はお前の肺に巣食ってる結核菌に用があるんだ。そいつを一匹でも多く殺したいんだ」

 

 

 

眞田病院という小さな町医者に、ドアに手を挟まれて包帯を巻いた男・松永がやって来た。 


釘が刺さったと言うが、眞田(さなだ)が取り出したのは銃弾だった。 

眞田(左)と松永

「迷惑はかけねぇ。つまらない出入(でい)りがあってね。駅前のマーケットで、松永と聞きゃぁ、誰でも知ってるぜ」

 

麻酔なしで手荒く手術される松永は、苦痛に悶える。

 

「前もって言っとくが、医療代は高いよ。無駄飯食ってるヤツからは、できるだけぼることに決めてるんだ」

 

治療が終わった松永は咳き込み、風邪薬を要求するが、眞田は結核の可能性を疑い、その病気の恐ろしさを話す。

 

「怖いのか?」

「怖い?黙ってりゃ、つけ上がりやがって」

 

イキがる松永は、「じゃぁ診てみろ」と啖呵を切り、眞田が聴診器を当てると、案の定、結核の兆候が見られた。 

結核を疑う


「お前、どっかでいっぺん、レントゲン撮ってみな」

「どうなんだって聞いてるんだ!」

「レントゲンで診ねぇと、はっきりしたことは言えねぇが、まず、これくらいの穴が開いてるね」

 

そう言って、松永は右手で穴の大きさを示す。

 

「このまま放っときゃ、長いことないね」

 

その診断に腹を立てた松永は、眞田の体を抑え込むが、そこに美代という女性が入って来て、松永は不貞腐(ふてくさ)れて帰って行った。 

美代(左)/眞田に匿(かくま)われている



「あいつは気にするだけ上出来さ。まだ少しは、人間らしいところが残ってる証拠だよ」 



眞田は、医院の傍らにあって、悪臭を放つ澱んだ沼地で遊ぶ子供たちに怒鳴りつける。

 

「こら!チフスになるぞ!」 



松永のことが気になる眞田は、マーケットの飲み屋で働くぎんから、ダンスホールにいると聞きつけた。 

「どこかいいんだい。あんな痩せっぽち」(ぎん/松永に惚れている)


そのホールで、愛人の奈々江と踊る松永。 

奈々江(左)


「どうしたの?少し影が薄いわよ。バリバリしてないアンタなんか大嫌い」


「暑いんだ、黙ってろ!」

 

そこに眞田が訪ねて来た。

 

「何の用だ」

「人の勘定踏み倒しやがって。大きなツラすんな!」

 

ここでも口が悪い眞田は、松永に勘定の代わりに酒を無心をする。

 

「仲直りだ」と言って、極上の酒を振舞う松永。 


眞田は上手そうに酒を飲み、松永が飲もうとするボトルを取り上げる。

 

「お前の分まで、俺が飲んでやる。肺に風穴が空いている奴が酒を飲むなんて、自殺も同然だ」 



それを聞いて、深刻な表情になる松永。 


再び、レントゲン撮影を勧める眞田。

 

「レントゲンなんて、糞くらえだ」

 

そう言い放って酒を飲み、咳き込む松永。

 

「お前なんかどうなろうと構わない。しかしな、俺はお前の肺に巣食ってる結核菌に用があるんだ。そいつを一匹でも多く殺したいんだ。お前が今すぐここでくたばって火葬にしちまえば、一番、世話ねぇんだが」 



その悪態を耳にするや、松永は真田の胸倉を掴み、乱暴に店から追い出した。

 

病院に戻った眞田は、腕の傷を洗いながら、謗(そし)りが止まらない。

 

「畜生、人の気も知らないで…もう、知らねえぞ、あんな野郎」


「そんなこと言っても、ダメよ。先生はね、自分が見た患者となると、自分のことより心配なんだから。傍(はた)から見てると、バカらしいくらいだわ」

 

美代は、眞田が本当のことをずけずけ言い過ぎると忠告するが、「大きなお世話だ」と返して聞く耳を持たない。

 

ここで眞田は、刑務所から近々出所する美代の情夫・岡田のことで、美代の気持ちを確かめる。 

「もう、(岡田が)そろそろ出て来る時分じゃないかな」


「私がどんなにあの人のことを憎んでいるか。体が震えるくらいだわ。あたしの一生を盗んだんじゃありませんか」

「まだ、半分残ってるよ」

 

その夜になり、岡田と一度会ってみようかと言う美代を、眞田は叱り飛ばす。 

「ああいう所(刑務所)に行けば、少しは人が変わるかと思って」「バカな!そういう代物か、あいつが!」


翌日のこと。

 

眞田は、結核に罹患している17歳の女学生のレントゲン写真を見ながら、だいぶ良くなったと、真面目な治療への取り組みを褒める。 

「うん、だいぶ良くなったな」

「中々、成績がいいな」


そして、「結核ほど、理性を必要とする病気はない」と諭(さと)そうとすると、その言葉を女学生にトレースされてしまう。

 

この物言いは、医師としての中年男の確たる持論である。

 

少女と入れ替わって、松永が病室に入って来た。 

「何しに来た?」

「俺に言わせれば、お前たちほど臆病者はいないよ」 


相変わらず悪態をつくが、しばらくは黙って眞田の言葉を聞く松永。

 

「お前なんか、今出て行った小さな女の子の方が、どれだけ土性骨があるか分からねえ。あの子はな、病気と面と向かってしゃんとしてらぁ」

 

ここで松永は我慢の限界を超え、眞田の胸倉を掴んで押し倒そうとするが、美代がそれを阻止する。 



「しかし、何だって来たんだろうな」

 

そう漏らし、傘も差さずに帰っていく松永を見る。 



そんな折、眞田が往診に向かって歩いていると、かつての同級生で、大病院の医師の高濱(たかはま)に声をかけられ車に乗り、3日前に松永がレントゲンを撮りに来たことを知らされる。 

高濱(左)

右の肺が酷(ひど)く、そのフィルムを持って、「命を預けるつもりで頼んでみろ」と眞田のところへ行くように話したと言うのだ。

 

早速、眞田はダンスホールの松永を訪ね、今や対面儀式の如く、互いに悪態をつく。

 

「黙って、レントゲン写真を持って来て見せたらどうだ。バカ野郎!」 


病院で待ってると告げ、眞田は帰っていく。

 

その後、泥酔した松永が、眞田の家に転がり込んで来た。 



酔い潰れて畳に寝込んだところで、上着のポケットに入っていたレントゲン写真を美代が見つけて渡すと、眞田は深刻な表情に変わる。 



起き上がって水を飲んだ松永は、コップを割り、「おい、本当に治るか」と眞田に肉薄するのだ。 


「治る」

「今からでもか」

「治るよ」

「いい加減なこと言うと、承知しねぇぞ」

「その代わり、俺の言う通りにするんだぞ」

 

立ち上がった松永は、「どっちみち死ぬんだ」と言って、再び倒れて伏してしまう。

 

毎夜、澱んだ沼地の傍らで、男がギターを奏でる音が聴こえてくるが、その日は別のメロディーが流れてきた。

 

美代は岡田の出所を直感する。 


かつて岡田が弾いていた曲だからである。

 

出所した男が弾いたのは、岡田曰く「人殺しの歌」。

 

ここから、風景が一変していくのだ。

 

 

 

2  「お前みたいな封建主義のバケモノが言うことなぞ、今どき通用しないのさ…男女同権って言うんだ。よく覚えとけ!」

 

 

 

眞田に禁酒を言い渡されて出て行く松永は、愛人宅や飲み屋に顔を出すものの、酒を飲まずに町を彷徨し、沼の畔に立っていると、岡田に声をかけられた。 



再び飲み屋に戻り、岡田に仁義の盃を勧められるが、それを断る。

 

「少し、体が悪いもので」

「そういや、顔色が悪いようだな」

岡田(右)

「なに、大したことはねぇんで。じゃあ、一杯だけ」

 

これでダメになった松永は泥酔状態となったまま、岡田をダンスホールに連れて行く。

 

岡田は奈々江に目をつけ、奈々江もまた岡田を意識する。 



松永は岡田に奈々江を紹介し、二人は「ジャングル・ブギー」(注)に合わせて踊り、松永もまた激しく踊り狂うのだ。 


(注)“ブギの女王”として一世を風靡した笠置シヅ子自身が歌うが、「腰も抜けるような恋」という歌詞を、黒澤監督が「骨も溶けるような恋」に書き換えたと言われる。

 

翌日、それを知った眞田が松永の頬を叩いて叱責する。

 

それ以来、松永は病院に来なくなった。

 

松永は岡田に奈々江を奪われたばかりか、博打で全財産を奪われた挙句、病状を更に悪化させて、遂に喀血する始末。 

岡田に乗り換えていく奈々江


夜中に呼び出され、奈々江の家で養生する松永を往診する眞田。 

喀血し、眞田の往診を受ける

翌日、荷物を整理する奈々江に、別れを告げる松永。 

自分から離れていく奈々江を睨み続ける


眞田が再び往診すると、松永は出て行った後だった。

 

その部屋を消毒する奈々江に対して、「人でなし」と迫る眞田を、帰って来た岡田が玄関から暴力的に追い出してしまう。

 

その後、岡田から美代の所在を聞かれた眞田は、知らないと突っぱねるが、美代の所在は呆気なく知られることになる。 


舎弟たちが美代を特定できたからである。

 

眞田が病院の近くの沼で松永を見つけた。

 

「オヤジ、怒らないでくれ。俺は、あんなマッチ箱みたいな部屋に、じっとしてられねぇ性分なんだ」


「分かってるよ。あんな薄汚いドラ猫の巣は、キレイに岡田にくれてやるさ…しかし、お前も可哀そうにな。まあ、俺の言うことを聞け。お前の肺はちょうど、この沼みてぇなもんだな。お前の肺ばかりキレイにしようったって、ダメな相談だよ。お前の周りには、腐り切ったウジの湧いたバイ菌みたいな奴らばかり集まってる。そいつらとキレイさっぱり手を切らない限り、お前はダメだな」
 



【眞田のこの物言いで、悪臭を放つ澱んだ沼が、「松永の肺」であり、彼を囲繞する「腐り切ったヤクザ」をシンボライズしていることが示唆される】

 

ここで松永は、眞田の家に岡田たちが美代を探しに来ていることに気づく。 

眞田を恫喝する岡田


その岡田に向かって、眞田は言ってのけるのだ。

 

「おめぇ、何か勘違いしてやしないか。お前がぶち込まれる前と今じゃ、時世が違うんだぜ。お前みたいな封建主義のバケモノが言うことなぞ、今どき通用しないのさ…男女同権って言うんだ。よく覚えとけ!」


「てめぇ、命は惜しくねぇのか」

「何言いやがる。一人前に人殺しずらするな!ふん、おめぇより俺の方が、よっぽど人殺してるよ」

 

そこで、懐に手を入れて脅す岡田の前に、松永が出て来て、膝をついて岡田に懇願する。

 

「手前、この先生には色々と恩義があります。舎弟の分際で座が高くてなんですが…」 



眞田は松永を遮るが、なおも命懸けで訴えるのを見て、岡田は渋々退散するに至る。

 

眞田が「明日、警察に通報する」と言うや、松永は起き上がり、口を挟む。

 

「この話は俺がつける。先生に持ち込まれたりしちゃ、俺の顔が丸つぶれだ」

「バカ、病人と赤ん坊には顔もへったくれもねぇよ。黙って寝てりゃいいんだ」

 

それでも松永は、親分のところに出向き、話を聞いてもらうことに拘泥するのだ。

 

「岡田みたいな奴らばかりじゃない。仁義の世界があるんだ」


「あれはおめぇ、悪党仲間の安全保障条約みたいなもんさ」
 


言い得て妙の表現だった。

 

翌日、眞田が警察に出向くために家を出た後、松永は美代の反対を押し切って親分の家に向かう。

 

そこに岡田たちが蝟集(いしゅう)していて、とんでもない話をしていた。 

親分(左)

どうせ長くはない松永を、他の組との抗争で体を張らせて死に場所にさせるなどという、闇市を仕切る親分の下劣な言辞を耳に入れてしまうのだ。 

その話を聞く松永


松永は土足で座敷に上がり、親分の前に姿を現し、挨拶儀礼で頭を下げるのみ。

 

結局、相手にされず、親分から金をバラまかれると、黙って引き返すしかなかった。 

屈辱を受け、我慢の限界に達していく


組事務所からのお達しがあり、松永の顔利きが解体されているのだ。

 

その態度に腹を立て店を出る松永の前で、飲み屋のぎんが念押しをする。

 

「あたし、今晩にでも、また相談に行くわ。いい?そんな身体なんだからね、短気起こしちゃダメよ」 


松永に惚れている女の思いだけは変わらない。

 

しかし、闇市の風景の変容を誰も止められない。

 

岡田のテリトリーと化した現実に色を失った松永は、岡田が住みついている奈々江の家に向かい、ナイフで岡田を襲うが喀血し、逆に追い詰められ、松永は刺殺されてしまうに至る。 



岡田との命のやり取りがリアルに、且つ、本篇の見せ場として長々と描かれるが、その収束点は殆ど約束済みだった。 



時の推移は速い。

 

眞田が、出店(でみせ)で卵を買って、病院へ戻ると、ぎんが沼の畔に佇んでいる。 



「身投げするなら、もう少しキレイな水の方がいいぜ」


「相変わらず、口が悪いわね」

「悪口でも言わなきゃ、気が滅入ってしょうがないよ。何もかもバカバカしくって。反吐(へど)が出そうだよ。皆、あのろくでなしのおかげさ」

「先生、仏(ほとけ)の悪口は止めてよ」

「そうか、お前、惚れてたんだっけな」

「そうじゃないのよ。これ、あの人のお骨なのよ。だから…」 


そう言って、ぎんは松永の骨壺を見せる。

 

「お前、あいつの葬式してやったんだってな」

「…あんまり可哀そうだもの」

 

眞田は骨壺に手を触れようとしたが、すぐ引っ込める。

 

「ほんとにこんなとこ、もう一日だって嫌だわ。今度こそ思い切ったわ」

 

ぎんは、松永のお骨を郷里に埋めたいと言い、松永に足を洗って郷里へ行こうと口説いたことを泣きながら話す。

 

「くだらん話さ。俺もそんな風に考えていたんだ。あいつをヤクザから足を洗わせられると思ってたんだ。ところがあの通りだ。結局、ケダモノはケダモノさ。しかも人間にしようなんて、そもそも甘っちょろいんだ」


 

しかし、ぎんは反駁する。

 

「松つぁんは、その時は本当にそう思ってた。惚れてたからよく分かるんですよ。確かに松つぁんは、もう少しであんなことにならずに済んだんだわ。あたしの話を珍しくしんみりと聞いてたんだもん。気のせいか、泣いてるみたいだったわ。それなのに…」


「それなのに、あんなバカしでかすのが、ヤクザなんだ。それがくだらないって言うんだ」
 


ぎんは、顔を両手で覆い、さめざめと泣く。 


「泣くなよ。お前の気持ちは俺にだってよく分かるんだ。だからこそ、あの野郎が許せないんだよ」

 

そこに、例の女学生が、眞田のもとに走って来た。

 

「はい、卒業証書」 


そう言って、すっかり良くなったレントゲン写真を見せ、治った際の約束のあんみつを眞田に要求する。

 

「ねえ、先生。理性さえしっかりしてれば、結核なんかちっとも怖くないわね」


「結核だけじゃないよ。人間に一番必要な薬は理性なんだよ」
 


眞田はそう力説した後、女学生と腕を組み、笑顔で町を練り歩く。 


脆弱な松永との対比効果を見せ、「理性」をバネに肺結核を治癒させた堅固な女学生の意思で括るラストシーンである。

 

 

 

3  時代遅れのヤクザに対峙し、町医者の憤怒が炸裂する

 

 

 

昔観た感動が灼きついていて、「酔いどれ天使」が無性に観たくなった。

 

再見し、デビュー二作目で、これだけのパフォーマンスを炸裂させる、三船敏郎という比類なき俳優の磁場の強さに圧倒された。 



男の孤独と寂寥感(せきりょうかん)が肺腑(はいふ)を貫き、戦後の闇市を侵蝕し、地回りする理性欠如のヤクザを全面否定する物語でありながら、正直、白旗を上げる外になかった。

 

同時に、黒澤明という映画作家が非凡な監督であるという認識に止(とど)めを刺され、脱帽の限り。 

黒澤明監督と三船敏郎

但し、文句なく面白い「隠し砦の三悪人」、「用心棒」、「椿三十郎」などのエンタメ系と切れ、社会派系の映画の場合、常に明瞭でドグマチックになりやすいメッセージを提示するが故に、時代状況の制約を理解してもなお、諄(くど)いまでのメッセージの連射には閉口する。

「隠し砦の三悪人」より
 
「用心棒」より

「椿三十郎」より


それでも感動する。

 

観る者の琴線に触れる良質な映画であることを否定すべくもないからだ。

 

何より、水捌(は)けが悪く、澱んだ沼地にシンボライズされるように、終焉間近の闇市の、その冥闇(めいあん)なる世界を切り取っているから、怒号を連射しつつも、求められたら断れない町医者を演じる志村喬はとてもいい。 



未だ腐り切ってないと洞察するが故に、松永に対して、町医者はこんな悪態をつくのだ。

 

「お前なんかどうなろうと構わない。しかしな、俺はお前の肺に巣食ってる結核菌に用があるんだ。そいつを一匹でも多く殺したいんだ。お前が今すぐここでくたばって、火葬にしちまえば、一番、世話ねぇんだが」 

病んだ体を意識するから、これで切れてしまう松永


虚勢を張るヤクザの胸懐(きょうかい)が、正確に理解できているのである。

 

「俺ときたら、洋服を質に叩き込んでも、女郎買いに行くのが好きでな。性分とは言うが、あの時分にグレさえしなけりゃ。しかし、グレにはグレるだけの訳があるんでな。あの、松永っていう野郎見てると、どうも、あの時分の俺のことが思い出されていけねぇ。あいつも可哀そうだよ。肺が悪いだけじゃないんだ。なんて言うか、芯がやられてやがんだ…胸ん中、風が吹き抜けてるたいに、寂しいに違えねぇ。まだ凝り固まった悪にはなっちゃいねぇんだから」 


怒号に振れる心情には、女郎買いで破綻した自らの過去のトラウマが潜んでいるから、喀血してもなおアウトリーチを止めなかった。

 

「黙って、レントゲン写真を持って来て見せたらどうだ。バカ野郎!」

 

こんな感じである。

 

印象深いシーンがあった。

 

出口なしの状況下にあって、松永が沼に浮かんでいる人形を凝視するシーンである。 



浜辺の荒れた海に押し寄せる波に打ち上げられている棺をハンマーで壊すと、中から自分の死体が起き上がり、松永を捕まえようと追い駆けて来るのだ。 



明らかに、死に最近接する男の不安と恐怖の投影である。 


悪夢に震える男の心情を襲うのは、遷移すべき状況の余地が寸断され、砕け散ってリンクできない絶望的な〈現在性〉だった。

 

そんな男に、思いを込めてアウトリーチする女がいた。

 

馴染みの飲み屋で働くぎんである。

 

「あんた、こんな世界に向かないよ。これを潮に、足を洗った方がいいんだがねぇ。そして、田舎へでも行って、養生するといいんだけど。ねぇ、あたしは郷里(くに)へ帰ろうかと思ってんのさ。こんなとこ、つくづく嫌になったんだよ。ねぇ、あたしと一緒においでよ…」 


ぎんからの説得に、黙って耳を傾ける松永だったが、それでも状況を支配し切れれないのは自明だった。

 

どこまでも、自分から逃げた女を嗅ぎ回る岡田が、死神の如く、松永に取り憑いて離れないのだ。 


これが、殆ど予約された悲劇を生む。 


悲劇の中枢に蔓延(はびこ)るのは、闇市を仕切る救い難いヤクザの暴状の状況性それ自身だった。

 

かくて、希代の映画作家が射程に収めたものは、我が物顔に振る舞い、巣食い、跳梁するヤクザの醜悪さへの弾劾である。

 

「おめぇ、何か勘違いしてやしないか。お前がぶち込まれる前と今じゃ、時世が違うんだぜ。お前みたいな封建主義のバケモノが言うことなぞ、今どき通用しないのさ…男女同権って言うんだ。よく覚えとけ!」 



溜飲(りゅういん)が下がる啖呵である。

 

快哉(かいさい)を叫びたい。

 

時代が変わってもアップデートできないヤクザの醜悪さに対峙し、「悪党仲間の安全保障条約」という決め台詞で判然とするように、「戦後民主主義」の理念を表現する町医者の憤怒を通して描く名画の切れ味は抜群だった。 

「あれはおめぇ、悪党仲間の安全保障条約みたいなもんさ」


町医者の怒りの沸点が低いから、自壊するヤクザの低劣な相貌を看取ることなく、一言で吐き捨てるのだ。

 

「結局、ケダモノはケダモノさ」 


ヤクザの醜悪さに対峙し、町医者の憤怒が炸裂するのだ。

 

そして、志村喬と三船敏郎。

 

私にとって、自らが負った役割を果たして終焉する完成形の勘兵衛よりも、「ゴンドラの唄」を口ずさみながら自己完結する渡辺勘治よりも、不完全燃焼で閉じていく眞田医師の方が遥かに馴染み、好感を抱く。 

「七人の侍」のリーダー・島田勘兵衛


「ゴンドラの唄」を口ずさみながら息を引き取る渡辺勘治/「生きる」より



同様に、どれほど貧しくとも、いや、貧しければ貧しいほど、小石川養生所の門を潜れば治療を受けられる完成形の医師・「赤ひげ」こと、新出去定(にいできょじょう)を演じた三船敏郎よりも、心身ともに病んだヤクザだが、「凝り固まった悪」にまで堕ちず、孤独な男を表現し切った俳優・三船敏郎が大好きだ。 

「赤ひげ」の新出去定




【但し、映画の完成度の高さから言えば、私にとって、両名優のベストの作品は「羅生門」であると考えている】 

羅生門」での杣売(そまう)り

羅生門」での盗賊・多襄丸(たじょうまる)


―― 本稿の最後に、気になっている点について一言。

 

眞田が遺骨に触れなかった構図の意味は、松永に対してなお残る〈情〉を手ずから断ち切ったことを示し、それが、「仁義」という名のヤクザ社会の「安全保障条約」の非理性的、且つ、愚昧なルールの否定に結ばれるのである。 



【余稿】  闇市の風景

 

生活必需品の配給統制(戦時経済体制)が破綻し、食糧難に晒された国民の生存を辛うじて支えた闇市(ヤミ市=ブラックマーケット)の出現は必然的だった。 

戦後東京と闇市 -新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織」より



空襲による火災防止のために建物を取り壊して作られた「建物疎開」や、空襲で焼失した跡地(空地)が不法に占拠され、次々に露店となり盛り場と化していく。

 

これが闇市のルーツである。

 

1942年に制定された「食糧管理法」の下、警察の統制権がなお機能していたが、当局の支配を巧みに掻(か)い潜り、駅前の焼け跡などに発生した闇市で、米軍基地内の売店(PX)や、横領・横流しされた軍需物資など、非合法ルートからの流入、近郊農村から持ち込まれた食料が闇値(自由価格)で売られたことで、統制と権力支配から解放された庶民は、粗悪な密造焼酎(カストリ酒)で憂さを晴らす逞しさの中で身過ぎ世過ぎを繋いでいた。

      屋台でカストリ酒を飲む人々。瓶にはアルコール度数を記した札のみで中身は不明(ウィキ)

 

 

だから、新宿、新橋、有楽町、神田、上野などの鉄道駅前に形成されたアナーキーな空間にヤクザ、的屋(テキヤ)が入り込むのは必至だったのだ。 

新橋にあったヤミ市。ヤミ市を仕切っていた関東松田組の名前が見える(ウィキ)


戦後闇市の端緒となった新宿マーケットは、的屋系暴力団・関東尾津組(かんとうおづぐみ)に代表されるように、多くの商店関係者を傘下に収めて隆盛を極めたが、朝鮮戦争特需などを契機に日本経済の大規模な復興によって勢力を失っていくのもまた、歴史的な流れであった。 

新宿マーケット



(2022年9月)


4 件のコメント:

  1. 黒澤明の作品だと、私は「静かなる決闘」に感銘を受けました。高校生の時に見たからかもしれませんが、正義感が強い三船演じる医師がカッコよかったです。そしてそんな彼でも、自分の内にある欲望と闘っていて、自分の中にあるちっぽけな正義感を憎みながらも、逆らえない自分に葛藤している様に、胸打たれました。

    昨晩、「ミッションワイルド」という、トミーリージョーンズの監督した映画を見ました。ずっと全く意味が分からず、むしろ納得出来ない展開ばかりで、見ても無意味かと何度か考えましたが、先日「いつか読書する日」の評を読み、あまりピンと来なかった作品があんな深く細かい事まで考えられた作品だったのかー、と深く感動したこともあり、なんとか止めずに進めました。
    結果的に未だよくわからない映画と言えばそうなんですが、でも、なんか心に残る作品になりました。
    主人公のヒラリースワンク演じる女性はなんで縊死してしまったのか。
    私には全く分かりませんでした。でも彼女が本当に居たかのように、不思議と思い出されます。
    この世が嫌になったのか、3人の気のふれた女性を見てイヤになったのか、いつまでも結婚できない事に疲れたのか、私にはその程度しか思いつきませんが、人が自ら死を選んでしまう時って、案外そんな感じなのかな、とか考えたりもします。
    全く分からない作品でしたので、機会があれば、また語るに値する作品であれば、いつか人生論的分析をお願いします。
    では。マルチェロヤンニ

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます。
      アメリカの映画監督が作った作品をよく見ていますが、私基準で言えば、水準を遥かに超える作品を提示しているのは、「全身・リベラル」のレッドフォード監督(特に「クイズ・ショウ」)と、映画にするとリベラルに転じるイースドウッド監督(多くの作品)のみです。
      トミー・リー・ジョーンズが映画を作っているというのは初耳です。
      お勧めの「ミッション・ワイルド」。
      予告編を観たら、面白そうですね。
      機会があったら観たいと思っています。 

      削除

  2. 昨晩、また珍しく途中で止められずに最後まで映画を見ました。
    「優しい嘘」と言う韓国映画です。
    こちらで何度も触れられている家族を無くした人達のグリーフワークの物語です。
    ショック期や閉じこもり期の描き方が少なかった様に思いますが、妹と言う事がその点は少し影響しているのかもしれません。
    ただ、再生に向けて妹の同級生に会っていく姉がとても上手く描かれていたと思います。徐々に引き込まれていきました。
    そしてラストシーン。静かな終わり方なんですが、とても心に残ります。最後の毛糸が目に焼きつきました。
    「息子の部屋」は、私も以前に見て感動した記憶がありますが、当時コメディアンだと認識していた人が、あのような映画を作ることにとても驚きました。また見返してみたくなりました。マルチェロヤンニ

    返信削除
    返信
    1. グリーフ(悲嘆)による喪失からの完全な回復はあり得ないことを、私たちは知らなければならないと思います。

      人の深刻な哀しみは、手に負えないほどに、身体の変化を可視化させた状態で、あまりに多くの精神的エネルギーを使い尽くしてしまうので、グリーフワークの過程も、終わりの見えにくい時間の冥闇の只中を彷徨するのでしょう。

      死にゆく者に対する「予期悲嘆」(愛する人の死期を感知し、覚悟を括って悲しむことで、心の準備をする内的過程)が求められる所以です。

      それでも、最も身近な人に、話を聞いてもらうという辺りにまで漕ぎ着けることができたら幸いです。

      グリーフののカテゴリー収斂されませんが、「夕凪の街 桜の国」で、原爆で苦しんで逝った妹に対する罪責感で懊悩するヒロインが、「誰かに聞いて欲しかった」 と恋人に吐露する言葉はあまりに痛切です。

      グリーフワークにとって重要なのは、深刻な哀しみをありのままに受け入れてくれるグリーフケアの存在です。

      是枝裕和監督の「幻の光」という映画ほど、このことの大切さを教えてくれる作品はありません。

      グリーフワークを描いた最高傑作であると、私は考えています。

      「醉いどれ天使」から離れてしまいましたね。

      コメントありがとうございます。

      削除