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2021年2月19日金曜日

勝手にふるえてろ('17)   大九明子

 

心の隘路を抉じ開けていく女が、「今」・「ここ」から動き出していく


<持ち前の「自己推進力」が、心の隘路を抉じ開けていく>

 

 

 

1  「なるほど。孤独とは、こういうことか」 ―― 冥闇の世界に放り込まれ、凹んだ女子の傷心の決定的変換点

 

 

 

何年もの間、憧憬し続けてきた「天然王子」イチと、「彼氏なし」の24歳のOLヨシカとの会話。

 

「ねえ、君、なんか話してよ」とイチ。

「え~どうしよ。あーじゃ、絶滅したドードー鳥の話でもいいかな」とヨシカ。

「え~いいねぇ。好きだよ。古代の動物とか、絶滅した動物とか、特に好き」

「え、どうして?」


「本当に、あんな歪(いびつ)な奴らが地球上に存在したんだとか考えるだけで、面白いから」


「歪かぁ。だから私、どっか自分と重ねちゃうんだな」

 

自分と趣味が合うと知り、目を輝かせるヨシカ。

 

そこからアンモナイトの話になり、「励まされるちゃう」とヨシカの気分は弾んでいく。

 

絶滅したオオツノジカの話でイチと盛り上がり、「生き下手過ぎて、泣けてくるよね」と意気投合するのだ。

 

「君と話してると、不思議。自分と話してるみたい」

「そうだね」


「あの頃、君と友達になりたかったな」
 


目の色が変わるヨシカ。 


「そうだね…イチ君て、人のこと、君って言う人?」

「ごめん、名前、何?」 


瞬時に凍り付くヨシカ。 


突然、笑い出すヨシカだが、泣き笑いがウェーブし、胸のあたりが苦しくなって、タワマンから退散する。

 

「私の名前をちゃんと呼んで…」 


帰りの電車から降ると、これまでの風景は一変していた。

 

フレンドリーに話しかけていた駅員は素知らぬ振り。 


行きつけの喫茶店の金髪の女子店員も、オープニングシーンとは打って変わって、素っ気ない接客態度。 


コンビニ店員も、朝晩釣りに興じている中年男も、誰もがヨシカの存在に気づかない。 


「誰にも、見えてないみたい」

 

そう呟き、笑うヨシカ。 


これまで提示されたヨシカの、他者とのコミュ―ニケーションや好意的なストローク(他者への働きかけ)は、自分の世界で妄想を膨らませて享受するポジティブな妄想癖の所産だったのだ。 


オカリナを吹く優しい隣人

釣り好きのおじさん

サムズアップのポーズを見せる駅員


アパートに帰宅して、号泣するヨシカ。


 

この一件があってから、自分が観ていた“ニ”に対する評価が遷移していく。 

“ニ”とのデートだが、まだ喪失感から抜け切れていないヨシカ

公園での二人のデート。

 

「付き合おうっか。私たち…え?もう付き合ってましたっけ」

「え?どうなの?」

「じゃ、付き合ってる」

 

その答えを聞いて、喜び転げる“ニ”。 


「何で今、そう思ったの?」


「何か、自然じゃない?私たちって。違和感ないって」
 


そこで、“ニ”がキスしようとすると、ヨシカは狼狽し、一目散に走り去ってしまう。 


会社で再会した二人。

 

“ニ”が昨日のことを謝り、ヨシカは受け入れるが、親友のクルミから彼氏と付き合ったことがないから、それを踏まえてアタックするようにというアドバイスを受けた事実を知り、逆上してしまった。

 

「今ので私、決めた。私ね、中学の頃からずっと好きな人がいるの。その人のこと、10年ずっと好きなの。私には彼氏が二人いて、一人がその人。もう一人があなた。でも、やっぱり、一人に絞ります。一番好きな一人に絞ります。だから、さようなら」 


置き去りにされる“ニ”


悔し涙を隠し、心配するクルミに声を掛けられると、悪阻(つわり)と偽り、アパートに戻るヨシカ。


 

翌日、出社したヨシカは、虚偽の産休を上司に申し入れるが、暫定的な有給扱いで休むことになる。 


秘密をバラしたクルミに対する怒りで、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせた。


経理のスキルの高さにおいて、クルミへの優越意識が、ヨシカの悪意の言辞に垣間見える。 

クルミに経理の仕事をアドバイスするヨシカ

荷物を整理し、帰り際に“ニ”と出くわすが、彼は冷たい視線をヨシカに向けただけだった。 

ヨシカと目が合っても厳しい視線で返す“ニ”


家に帰り、ベッドに横たわり、呟く。

 

「なるほど。孤独とは、こういうことか」 


孤独だった過去を回想する

この思いは、冥闇(めいあん)の世界に放り込まれ、凹んだ女子の傷心の決定的変換点と化していく。

 

会社に行かず、ただ家にいるヨシカは、何度も携帯のメールの着信を確認するが、何も届いていない。 


唯一、クルミから電話がかかってきたが、ヨシカは出なかった。

 

二度目のクルミからの電話の留守録を聞くヨシカ。

 

「あたし、ヨシカを怒らせるようなことしちゃったのかな。しちゃってたら謝ります。ごめんなさい」

 

ヨシカの妊娠を信じるクルミは祝福のメッセージを送り、社内で付き合っていた男から振られた話をして、謝罪するのだった。

 

それを聞きながら、涙ぐむヨシカ。

 

留守録を保存し、クルミに電話をかけると、着信拒否になっていた。

 

「ファック!」

 

ここでまた、キレてしまう。

 

次に、会社に電話をかけ、“ニ”を呼び出し、自宅に招くのだ。

 

雨の中、玄関前で、「とりあえず来た」と言う“ニ”に、妊娠が虚偽だった事実を告げるヨシカ。

                     「妊娠してません」


それを聞いて、怒り出す“ニ
 


想定外の“ニ”の反応には、それまでの「チャラ男」のイメージを払拭するのに充分だった。

 

「被害者面、よしなよ!バラすつもりなくても、人の秘密バラしちゃうことってあって、でも、そこに少々の意地悪心がないと言えば嘘かもしれないけど、でも、人間って、そんなもんじゃん!」



ヨシカも、感情含み存分に反駁(はんばく)する。

 

「それ、他人事だから言えんだよ。私なんかね、もう、ウヒャーってなって、会社中にバレちゃったんだよ。みっともない。だって、もう私、会社行かれない人になっちゃったじゃんよ!何ひとつ成し遂げられないまま、愚痴あてることになっちゃったんじゃんよ!!」 


二人の言い争いには、終わりが見えないようだった。

 

「なに大げさなこと言ってんの。この歳で、何かを成し遂げてる奴なんて、この地球上に存在しねぇよ!」

「ジャンヌ・ダルクがいる!」

「すげぇとこと、勝負しようとしてんじゃねぇよ!偉人になりたいの?…もう、脳ミソが悪魔的だよ!」


「そっちこそ、処女狙いの悪魔じゃん。あたしのこと処女だから好きになったんでしょ!処女だから、可愛いとか、何でそんな怖いこと言うの?」
 


                 「お前、それ本気で言ってんの」


激しい雨の中、言い争っていたが、隣人が二人の言い争いを聞き、立ち竦んでいるのに気づき、部屋に入る二人。 


左はコンビニ店員


「あのね、好きなら耐えろとか、すげぇこと言ってるの、自分で分かってる?普通は怯(ひる)むんだけど、ヨシカを見つけた俺は、かなり冴えてると思うから、自分を信じて頑張ってみる」


「何それ、上から目線。傲慢で震えがくるわ…私のこと、愛してるんでしょ。こうやって野蛮なこと言うのも私だよ。受け入れてよ!」


「いや、正直、俺、まだ、ヨシカのこと愛してはない。好きレベル…俺は、かなりちゃんとヨシカを好き」


“ニ”を見つめる

「何で?」


「何だろ。珍しいからかな」

「珍しいって、何?異常ってこと?」

「異常でもないし、偉人でもないけど、一緒にいたくなるんだわ。ヨシカは分かんないことだらけなんだよ。だから、好き。でも、いくら好きだからって、相手に全部むき出しで、しなだれかかるのは、よくないよ」 


玄関のドアを開け、“ニは戸外に向かって叫んだ。

 

「俺との子供、作ろうぜ!!」

 

ヨシカは涙を一筋流し、“ニ”に抱き着く。 


「霧島君…勝手に震えてろ」 


そう言い放ち、“ニ”にキスするヨシカ。 


ラストカットである。 

 

 

2  持ち前の「自己推進力」が、心の隘路を抉じ開けていく

 

  

心の隘路を抉(こ)じ開ける自己推進力。

 

この「自己推進力」 ―― これが本作のコアにある。

 

映画のヒロインのヨシカには「自己推進力」がある。 


この持ち前の「自己推進力」が彼女を動かし、時間を変容させる。

 

変容させた時間の本体は、何年もの間、「天然王子」イチとの「脳内恋愛」を享楽し続けてきた「立入禁止の絶対ゾーン」。 



ヨシカの「立入禁止の絶対ゾーン」は、他者(ここでは金髪の女子店員)への好意的なストロークの中で仮構させた妄想が開く、オープニングシーンでのモノローグで全開している。

 

「私って、ほんとクソヘタレ。思ってること沢山あるのに、何ひとつ言えてないんですよ…あたしごときが、求めすぎちゃダメなのに。手の届かないものばかり欲しがって、本能のままに生きるなんて、野蛮。野蛮で承服しかねます。だって、本能のままにイチと結婚したって、私、絶対に幸せになれない。結婚式当日も、イチが心変わりしないようにって、野蛮に監視役続けてなくちゃならない。そんなんで幸せ味わえるかよ。その点、“ニ”なら、私、他人事みたいにお式、堪能できちゃう。ドレスのままチャペル飛び出して、よく分からんが、丘駆け下りて、“ニ”のこと、我がままにほったらかして、波と戯れたり、デコルテ露わなドレス、肩上下させて、ハアハアしたりして、花嫁タイムをエンジョイできちゃう。…だけどやっぱり、イチが好き」 

「私って、ほんとクソヘタレ」


「本能のままに生きるなんて、野蛮」

「だけどやっぱり、イチが好き」


“ニ”となら好き放題できるけど、イチが相手だと、それができない。 


分かっているが、「だけどやっぱり、イチが好き」。 

「忘れ物」の一件で、教師にまで虐められていたイチ


それを見るヨシカだが、イチの虐めに気づいていない

とは言うものの、いつまでも「脳内恋愛」を続けているわけにはいかない。 

              “視野見”(視野の端で見るというヨシカの造語)するヨシカ

                    “視野見”されるイチ

マッサージを受けながら、“視野見”について説明するヨシカ


“ニ”が迫って来ていて、もう限界だった。

だから、タワマンのエレベーターで“ニ”を置き去りにして、イチに恐怖突入する。 


恐怖突入した結果、ヨシカは決定的に被弾する。 

イチから「名前、何?」と言われ、泣き笑いするヨシカ

これが、本稿の冒頭で開示されるのだ。

 

かくて、ヨシカの「立入禁止の絶対ゾーン」は自壊してしまったのである。 


「立入禁止の絶対ゾーン」の自壊の向こうに待つのは、“ニ”との関係の強化だった。 


思うに、イチに対する理想化と一方的な思い入れの強度によって相対化された、“ニ”に対する評価が崩れていったのは、人の感情のごく普通の振れ方である。 

卓球に興じる“ニ”の表情には、これまでにない真剣さが窺える
“ニ”のの必死さを見て驚く


「脳内恋愛」の幻想から解き放たれた時、“ニ”を真っ新(まっさら)な感情で受容可能になっていったのも同様の現象である。 


大体、ヨシカの「脳内恋愛」の幻想の継続力は、孤独な彼女の自我を安寧にするための最適な適応戦略の所産だった。

 

他者への好意的なストロークもまた、自分の世界で妄想を膨らませて享受する彼女の妄想癖の所産であると言っていい。 


この適応戦略によって、心のバランスを確保しているのだ。

 

従って、「脳内恋愛」の幻想が彼女の時間の中で自己完結している限り、彼女の自我は安寧を確保できていた。 


しかし、「脳内恋愛」の幻想が殻を破って身体化したことで、ヨシカの適応戦略は破綻する。 



心の隘路を抉じ開けるヨシカの「自己推進力」は、決定的な状況で頓挫してしまうのである。 


「現実のイチがどうであろうと、私のこの10年は、絶対に無駄じゃない!」

 

自らに、そう言い聞かせることで適応戦略の果実を拾い上げ、確認するが、現実が伴走して来なかった。

 

にも拘らず、負荷を払拭しても、リアリズムの冷たい風が強烈に吹き寄せ、孤独を深め、疎外感を抱く。


現実を見つめるヨシカが、この世界の片隅で漂流するのだ。

 

斯(か)くして、既に破綻していた“ニ”との関係に大きく振れていく。


 
ここでも、ヨシカの「自己推進力」がフル稼働する。

 

心の隘路を抉じ開けていくヨシカが、「今」・「ここ」から動き出したのである。

 

「丘駆け下りて、“ニ”のこと、我がままにほったらかして、波と戯れたり、デコルテ顕わなドレス、肩上下させて、ハアハアしたりして、花嫁タイムをエンジョイできちゃう」

 

今や、「だけどやっぱり、イチが好き」という「脳内恋愛」の幻想を捨て、「だからやっぱり、“ニ”が好き」という遷移した隘路を、本来的な力量によって果敢に抉じ開けてい 


この時、「だからやっぱり、“ニ”が好き」というデザイアー(欲求)が、「だからやっぱり、霧島が好き」という真情のうちに決定的に昇華させていくのだ。

 

「脳内恋愛」の幻想に縋っていた自己に向かって、「勝手に震えてろ」と言い放つ。

 

この強さこそ、ヨシカの持ち前の「自己推進力」だったのである。 


ついでに補足すれば、ラストシークエンスでの“ニの言葉には力があった。 


特に、この言葉。 

「バラすつもりなくても、人の秘密バラしちゃうことってあって、でも、そこに少々の意地悪心がないと言えば嘘かもしれないけど、でも、人間って、そんなもんじゃん!」 


ヨシカに対する“ニのこの言葉は、とてもいい。 


心に残る。

 

まさに、人間とは、そういう生き物だからである。


―― 以下、作り手・大九明子監督と、同世代の女性のコメントを紹介したい。

 

「若い女なんてものはどうせ大変だと言いながら、意外と死なない生きものだから、勝手にふるえてろよ、と。そういう過去の自分に対しての言葉でもありますね。(略)一歩先に踏み出せない、というか、これは、一歩先に行くのはバカのやることだと何だかんだと理由をつけて先に行かずに自己完結していた主人公が、自分の理想やプライドから解放される話だといえるかもしれません」(大九明子監督のコメントより)

 

「20代の頃は『人力舎』というプロダクションでピン芸人をやっていたんです。笑いのために筋トレをガムシャラにやったりしていたんですが、ネタを量産することができず、お笑いの道は諦めました。

 

(略)お笑い芸人の方たちの才能に触れることは、私にとっての喜びであり、いろんな面で刺激を受けていると思います。遠ざかっていたお笑いの世界ですが、今回『勝手にふるえてろ』をコメディタッチの映画に昇華させたことで、20代の頃の悶々とくすぶっていた体験も決して無駄ではなかったなと前向きに考えられるようになりました」(『映像クリエーターの制作ノート 「勝手にふるえてろ」 大九明子さん』より) 

大九明子監督


「ヨシカはアンモナイトを大事に持っていたり、コアな感じがあるじゃないですか。でも誰にでもそういうコアな部分ってある気がして、自分だけの楽しみをちゃんと持っていて、そこでストレス解消しているところが人間っぽいなと思いました。ヨシカもそういう時間を持つことで、現実を埋めているのかなって。そういうリアリティがこの作品にはあって、印象的でした」(「『勝手にふるえてろ』ヨシカ的女子座談会」より/同世代の女性の言葉)


(2021年2月)

2 件のコメント:


  1. 素直な映画でしたね。
    中盤の歌のシーンとラストのアパートでの会話は何度も見ました。ちょっと変わった言い回しが二人の距離感と複雑な感情を良く表現していたと思います。素直に応援したくなる主人公でした。
    我が家の恋愛映画評論家である娘と見ましたが、良く分からないと言っていました。まだ小学生なのでちょっと早すぎたようです。こじらせずに成長して欲しいと思います。

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  2. 申し訳ありません。
    コメント欄をチェックしていなかったので、今度も気が付きませんでした。
    「勝手にふるえてろ」は、「心と体と」の監督インタビュー記事で、そのインタビュアーをしているのが、初めて知る大九明子監督だったことから、作品を検索して面白そうだったので観てみました。
    正直、最初は退屈でしたが、後半に入って、シリアスのトーンが増してきて、評論する気になり、ラストシークエンスでは深い感銘を受けました。
    いつもそうですが、配偶者に台詞を書き起こしてもらい(手が不自由なので)、それを繰り返し読み返す中で思考した内実を、今度は一人で書き進めていきます。
    その作業で得た映画の感動が、自分の中で反芻するので、その感動はより深まります。
    私の場合、邦画を観るのは監督限定(私の場合、石井裕也監督、深田晃司監督など)ですので、観ても書かない作品も多いのですが、書く・書かないは別にして、大九明子監督の作品には目を通していくつもりです。
    「バラすつもりなくても、人の秘密バラしちゃうことってあって、でも、そこに少々の意地悪心がないと言えば嘘かもしれないけど、でも、人間って、そんなもんじゃん!」
    評論でも書きましたが、ヨシカに対する“ニ”の言葉こそ、人間理解の根柢にあると考えているので、この作品には愛着が強いのです。
    こういう台詞が、ラブコメ映画で提示されていたこと ―― これが素晴らしいと思っています。

    いつも、コメントをありがとうございます。
    小学生のお子さんの成長の歩みが、読んでいて、ストレートに伝わってきます。
    申し訳ないのですが、お勧めの映画は、まだ観ていません。
    いつか、観るつもりです。

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