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2021年12月5日日曜日

天外者('20)   田中光敏

 


<「資産はなく、借金だけが残されていた」男の顕彰譚>

 

 

 

1  括り切った男が拓く〈未来〉だけが広がっている

 

 

 

「1850年 東の果てのこの島国では、長きにわたる鎖国が解け、新たな風が吹き出していた。そんな時代の転換期には、必ず英雄たちが現れる。私の名は、トーマス・ブレーク・グラバー。武器商人だ」(グラバーのモノローグ/以下、モノローグ) 



―― 少年期に薩摩藩主から世界地図を基に、地球儀を作るよう申し付けられた儒学者の父が大いに難儀した時、その地球儀を作ったのが息子・才助。 


「天外者」(てんがらもん)。

 

母は才助をそう呼ぶようになった。

 

その才助は今、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)から、「大きく育てよう」と期待され、今は勝海舟の海軍伝習所に通っている。 

桜島を背景にする薩摩藩の象徴的画像

島津斉彬



そんな才助が、先日、身投げを止めた遊女・はるが、同じ遊女たちに文字を教えていた時のこと。 

「命を粗末にすんな!」

「俺は身投げじゃないかと思って」


はる(右)


そこに、酔っ払った侍たちが絡んで来た。

 

「遊女が字を覚えて、何が悪い。本が読みたいんだよ。世の中のことが知りたいんだよ。夢くらい見たって、いいだろ!」


「遊女のくせに!」

 

そう言うや、殴りかかろうとする侍から、才助がはるを守ったというエピソードであるが、この出会いが二人を最近接させていく。 



はるの傷の手当をしている時だった。

 

藩の保守派の侍たちに見つけられた才助が走って逃げていくと、一緒に逃げる男がいた。 


坂本龍馬である。

 

志を持つ二人の出会いが、ここから開かれていく。 

才助と龍馬(右)

ピストルで保守派を蹴散らす龍馬。 



時代を先取りする男の面目躍如が際立つシーンである。

 

後日、才助が丸山遊郭(外国人を対象にした唯一の遊郭)にはるを探しに行くと、岩崎弥太郎と共に、英国の武器商人・トーマス・グラバーと会食する龍馬がいた。 


左から岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)、龍馬、才助

トーマス・グラバー(右)


才助は見知りのグラバーに話しかける。

 

「早く追い付かねば、あんたの国に食い物にされる。だが、心配いらん。この俺がいる限り、そうはさせん」

「井の中の蛙!」 


笑いながら、グラバーが才助を指差すのだ。

 

その直後、才助は、はるを探し当てた。

 

侍に切られた傷を確認し、はるに本を手渡すためである。 



身分の違う若武者を警戒するはるに、才助は心を込めて語りかける。

 

「お前の言う通りじゃ。皆が、夢を持てるというのが、一番大事だとな。…そんな世の中を作らねばいかん!」 


確信的に言い切る男の熱い思いが、遊女・はるの心肝(しんかん)に触れ、真摯な心で受け止めていくようだった。 



一年後、才助は、斉彬の死後、藩主となった久光に呼ばれ、上海に蒸気船を買いに行くように命じられた。 

島津久光



かつて、才助に万華鏡を壊され、修理してもらった長州藩士・伊藤利助(後の伊藤博文)が、イギリス留学することになり、その費用の捻出について才助に相談する。 

利助(右)

万華鏡を修理する才助

イギリス留学を報告する利助


ここでも、時代を先取りする男たちの志が共有されていく。

 

才助は上海に行く前に、はるに簪(かんざし)を贈った。 


嬉し泣きするはるに向かって、才助は問う。

 

「自由になったら、何がしたい?」


「二人で、海が見たい」
 


嗚咽を抑えられない遊女が、そこにいる。

 

上海から蒸気船を買い取った才助は、その蒸気船・天祐丸を軍艦にすると決めていた。 



「生麦事件」が起きたのは、そんな折だった。

 

藩主・久光の行列を横切った英国人を、藩士が無礼討ちした歴史的事件である。 


これを機に、世に言う「薩英戦争」の契機となった大事件である。

 

この「薩英戦争」によって、天祐丸は捕獲され、才助も英軍の捕虜となってしまった。 



国家と藩との「非対称戦争」が収束しても、連行されたままの才助を、既に英国人に身請けされていたはるが、才助の解放を懇願する。 



解放された才助だが、相変わらず、才助が英国に随従(ずいじゅう)したと決めつける、頭の固い藩士らから命を狙われ、逃亡生活を余儀なくされるのだ。 

逃亡生活を余儀なくされる才助


事なきを得て長崎に辿り着き、真っ先にはるに会いに行くが、英国人に身請けされた後、才助の解放と引き換えに英国に行った後だった。

 

衝撃を受けた才助は、その足でグラバーの元を訪ね、援助を受け、英国へ行くことになる。 

グラバーの元を訪ねる才助



―― その才助と龍馬が帆船の上で語り合うシーンがインサートされる。 

「誰もが、夢を見られる国にするんじゃ」


時代を先取りする二人にとって、今や、〈近未来〉への一番乗りの争いだけが全てだった。

 

実家に戻ると、父は既に他界していた。

 

「よう、帰って来ました」と母。

「…私は、井の中の蛙だったんです。もっと、知らねばならなかった。ですが、すべきこと、やっと見つけました」


「そなたが思い描く、この先の世の姿、母にも見せてくだされ」

 

その実家に、才助の異国行きを阻止しようと、藩士たちが押し寄せて来た。


 

「殺す」と迫る藩士たちの目前で、刀を抜いた才助は、髷(まげ)を切り落としてみせるのだ。 


「これ以上、俺の邪魔をするな」 


そう、言い放ったのである。

 

それを見て、涙を流す母。 



「武士」の記号を捨てた男には、もう、準ずるべき何ものもない。

 

括り切った男が拓く〈未来〉だけが、広がっているのだ。

 

 

 

2  男の長広舌だけが、大阪商法会議所の旗揚げのスポットを劈(つんざ)いていた

 

 

 

1865年 薩摩 串木野郷

 

「薩摩藩から、優秀な若者たちが、ヨーロッパへと旅立った。私は自分の意思で力を貸した。この国の新たな風に飲み込まれたのだ」(モノローグ) 



英国に渡った才助は、産業革命の革命的な様相を目の当たりにする。 

産業革命の象徴・スティーヴンソンが造った蒸気機関車


「イギリスの民は、誰もが自分で選んだ仕事を持ち、自分で稼いだお金で暮らしておる。男も女も関係なくじゃ」 



才助がこの地で見たのは、〈近代〉という名の、復路の見えないニューノーマルの世界だった。

 

そんな世界を争う龍馬は今、海援隊の初仕事に向かって熱量をフル稼働させている。 




しかし、復路の見えない世界の渦中で動く男を、まるで約束されたかのような悲劇が襲う。

 

龍馬が京都で暗殺されたのだ。

 

1867年のことだった。 

坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺された「近江屋事件」遭難之地の石碑/現在、京都見廻組隊士・佐々木只三郎を主犯とする複数人が実行犯という見方が有力(ウィキ)


衝撃を受ける才助。

 

その後、才助は日本に帰ったというはるを探し出し、会いに行く。 



はるは、病で療養所に入院していた。

 

はるの願いを受け入れ、彼女を背負い、海を見に行く才助。

 

行きすがら、はるは、才助と橋の上で出会った時のことを話す。

 

「本当はね、橋の上で会った時、死のうとしてたの…だから…あなたは命の恩人…日本は私のような女でも…夢を見れるようになった?」 


そう尋ねるはるは、海を眼前に望んで、才助の背中で息を引き取った。 



泣き伏す才助。 



1868年。 


時代が大きく変わる。

 

明治に入り、新政府の参与となった才助は、五代友厚と名を変えた。

 

没落した武家の娘・豊子に、武家の困窮について問い詰められる。 


「今後も路頭に迷う者が多く出る。しかし、その先には、必ず皆が夢を持てる国が待っていなければならない。私はそのために、命を懸ける。今は、あなたに返す言葉がない」 



官を辞した五代。

 

「東洋のマンチェスターを作るんじゃ」 


大阪の街を見ながら、五代はそう誓った。 



以降、五代は明治政府の大久保とも協力しながら、大阪と国の経済の危機回避と発展のために尽力していく。 


「薩摩の三才」(大久保、西郷、五代)/大久保と五代は大阪経済の立て直しに尽力


そして、産業を興そうとする者には、自身の財産から惜しみなく資金提供していく五代。

 

そんな八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍で動き回る五代に対し、妻になった豊子は静かに筆を持たせ、共に絵を描くのだった。

 

「あなたには必要です。心を穏やかにする時間が…」 


五代はそこで咳き込み、豊子は背中を擦(さす)るが、絵は描き続ける。 



そんな折、母の危篤を知らせる電報が届いた。

 

急ぎ実家に戻った友厚だったが、母は既に息を引き取っていた。 


亡き母に大阪港が開港すると報告する友厚に対して、兄はもう二度と帰って来るなと言い放つ。

 

「お前がいると、誰も焼香に来てくれん」 



帰ろうとする玄関先で、暴漢に襲われる五代。

 

刀で切られた傷を妻に手当てしてもらいながら、咳が止まらず、喀血するのだ。 


「もう充分です」と豊子。


「俺から離れろ」
 



体調悪化のリスクを抱えながら、なお未来に向かう男が、そう呟くのである。

 

「日本の経済を苦しめていた原因。それは世界各国と結んだ不平等条約であった。五代は、これに対抗するため、大阪の商人たちの結束を図った。だが、五代には味方はいない」(モノローグ) 



「大阪商法会議所 初代会頭就任式」の挨拶に先立って、大阪商人たちの不満を代弁する岩崎弥太郎が代表し、五代に質問する。

 

「あんた、小判から紙幣に替わるどさくさで、財を成し、鉱山、印刷、染め物と、肥え太って来た。その裏では、ちらほらと、お国の影があるように見受けるが、そんなあんたが、あしら、大阪商人(あきんど)の上に立つとは、その本心をお聞かせ願いたい」 



商人たちの激しい怒号の中、五代はきっぱりと言い切った。 


「私の本心は、金ではない」


「その金をしこたまため込んで、私腹を肥やしておるのは、どこの誰じゃい!」

「金も名誉もいらない。私は、夢のある未来が欲しいだけだ。男も女も関係なく、皆が夢を見られる国が作りたいんだ」

「そんな霞(かすみ)を食うような話、商人に通用するかい!」

 

年来の友人の物言いを耳にした五代は、ここでも喀血する。 

喀血する五代を見て驚く弥太郎


「ここには、すべてを失った者もいる。新しい時代とやらの犠牲者だ。そんなわしらの上に立つと言うのなら、わしらの言葉で教えてくれ。」

「皆さんは、わしが私腹を肥やしていると言うが、はっきり言って、儲けも出せんもんを商人とは呼ばん!俺には、100年先の日本が見えておる。お家の利益だけ追求していては、世界に並べない。今は、皆で力を合わせる時だ。日本の発展は、大阪経済ぞ。復興からだ。文句があるもんは、好きなだけ、言え!それでも、前に進まねばいかん。どでかい海を知るんじゃ。大事なのは、目的だ。これから、商人が、世界を動かす…もう一度言う。皆で力を合わせて、進むんじゃ。俺に任せろ。俺について来い!」 

「大事なのは、目的だ」

「俺について来い!」


大阪商人の怒号の広がりの渦中で、自惚(うぬぼ)れが戻った男の長広舌(ちょうこうぜつ)だけが、大阪商法会議所の旗揚げのスポットを劈(つんざ)いていた。

 

「五代は人々の暮らしにも、新たな風を送った。男も女も関係なくすべての者に…しかし、誰も気付いてはいない」(グラバーのモノローグ) 



ラストシーン。

 

1885年 五代友厚 逝去(享年49/死因は糖尿病と言われる)

 

弔問に誰一人訪れる者がいない中で、伊藤博文がやって来た。 


「これを棺に入れてやってくれんさい」


そう言って、刀を渡されるのだ。 

髷(まげ)を切った時の刀と思われる


娘に呼ばれて、豊子が家の外に出ると、一本道に提灯を持った弔問客が長い列を成していた。 


「ほんまに、あなたは、天外者や」 

「天外者」(てんがらもん)とは、鹿児島の方言で「すごい才能の持ち主」を意味する(ウィキ)


嗚咽交じりに豊子は、そう呟いた。

 

「“地位か 名誉か 金か いや 大切なのは目的だ” 五代友厚」

 

このキャプションと共に、エンドロールが表示されていく。 

弔問客の長い列

 

 

3  「資産はなく、借金だけが残されていた」男の顕彰譚

 

 

 

三浦春馬、素晴らしかった。 




残念ながらと言うべきか、三浦春馬の熱演だけが眩(まばゆ)く輝いていて、映画としての完成度は高くないというのが正直な感懐である。

 

幕末青春譚に特化した物語の構成によって、低迷する大阪経済を復興させ、「大阪の恩人」とまで称揚される五代友厚の近代以降の獅子奮迅の活動が、台詞と画像の提示で済ましてしまった説明描写は頂けなかった。 

大阪商工会議所(ウィキ)

大阪商工会議所(ウィキ)

大阪商業講習所跡/簿記、商法学(商学)などを教えるため学校をつくるため、五代は筆頭の創立員となって、私立大阪商業講習所(現大阪市立大学)が設立された(ウィキ)


そればかりではない。

 

「一人では、なんもできん。自分で、情けなか」


「一人やない、おるやいか!ここに!前を見い。もうすぐ日本の夜明けじゃ!わしは、先に行くぞ。この海に出ていく。世界の海を駆け巡るんじゃ!」


「いや、俺の方が先じゃ。世界など、恐れるに足りん。すぐに追いつき、追い越して見せるわ」

「自惚れが戻ったか…お前とわしとで、日本を変えて見せるぜよ!」

「誰もが、夢を見られる国にするんじゃ」 




以上の会話に見られるように、龍馬との深い同志的紐帯を中心に描いた幕末青春譚もまた、殆どが幕末史を彩る単発のエピソード繋ぎに終始し、私に深い余韻を残すことはなかった。

 

何より気になるのは、「はる」との関係を強調し過ぎたこと。 

暇乞い(いとまごい)のために、英国留学を知らせに来た才助

「俺がそんな国を作ってやる」


五代友厚の人間性を、この関係を通して描きたかったのは分かるが、この「はる」が裕福な英国人に身請けされ、この英国人に懇願し、捕虜となった五代を救済するというエピソードには無理がある。 



私にとって最も受け入れがたいエピソードは、肺結核に罹患した「はる」の望みで、思い出の簪(かんざし)を挿(さ)した彼女を背負って海に連れていき、そこで逝去するというシーン。 


もう、私はこれでダメになった。

 

ここまで感傷的に描いてしまえば、テレビドラマである。

 

ミッドナイトスワン」のラストにも、トランスジェンダー(正確には、「性同一性障害特例法」に則って性別適合手術を受け、性別変換したので「トランスセクシュアル」と呼ぶ)の主人公が、自死の場を海と決めて息を引き取るシーンが挿入されていたが、映画は時代背景とは無縁に、「母」と「娘」の関係のみに特化して描かれていたので、そのダイレクトな表現によって、主人公の壮絶な生きざまが私に伝わってきた。 

                  「ミッドナイトスワン」より

「死に場所」と決めて、海に来た凪沙(なぎさ)が、オデットを踊る一果(いちか)と別離していく最も切ないカット


しかし、それ以上に壮絶な人生を送った五代友厚の「生きざま」=「死にざま」が、私に伝わってくるものがなかったのは、全篇を通して、時代背景の大きなうねりを単発的に拾い上げ、それを点描しただけの物語だったからである。
 



だから、「はる」の逝去のシーンが、単発のエピソード繋ぎの中で、そこだけが特段に強調された単なる感傷譚でしかなかったという印象しか持ち得なかったのである。

 

結局、この映画は、「“地位か 名誉か 金か いや 大切なのは目的だ”」というラストのキャプションに収斂させるような、その波乱万丈の人生を点描するのみの、「基本・実話」をベースを仮構した、一話完結の不親切(時代の遷移の説明省略)なテレビドラマであったということ。

 

「五代の葬儀の日。大阪の街は機能を停止した。財界人だけではなく、四千五百人もの市民が参列。資産はなく、借金だけが残されていた。五代友厚は生涯をかけて、近代日本産業の礎を作り上げた」 


このグラバーのラストのモノローグに端的に表現されているように、この映画の趣意が、五代友厚を顕彰(けんしょう)するための物語であることが判然とする。 

長崎県グラバー園のグラバー銅像(ウィキ)


「資産はなく、借金だけが残されていた」男の顕彰譚。

 

残念ながら、これに尽きるのではないだろうか。

 

【「幕末史」については、拙稿 時代の風景「『幕末』とは何だったのか」で言及しているので、良かったら参考にして下さい】

 

(2021年12月)

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