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2022年4月5日火曜日

ナチュラルウーマン('17)    セバスティアン・レリオ

 




<身体疾駆するトランスジェンダーの尊厳を守る闘い>
 

 

 

1  裸の写真を撮られ、検査されるトランスジェンダーの歌手

 

 

 

トランスジェンダーのマリーナは、南米チリ、サンディエゴのナイトクラブの歌手として、毎晩、美しい歌声を披露している。 



パートナーの実業家であるオルランドがクラブを訪れ、二人はレストランでマリーナの誕生日祝いをする。 

マリーナ


そこでオルランドは、マリーナにプレゼントの封筒を渡す。 

オルランド

中には“イグアスの滝へ行ける券”と書かれた便箋が入っていた。

 

「その滝は、世界7不思議の一つだぞ」


「ステキね。いつ行く?」

「10日以内に」

 




実は、オルランドは買った切符を入れた封筒を、サウナから出た後、どこかに置き忘れてしまったのだ。

 

店から出た二人は、自宅で愛し合うが、夜中に突然、オルランドが体の不調を訴えた。 



マリーナが病院へと連れ出そうとした玄関先で、鍵を取りに部屋に戻った際に、オルランドは階段から転げ落ちてしまう。 

この直後、階段から転げ落ちる


何とか、マリーナは車で病院に運び込んだが、オルランドは意識不明のまま亡くなってしまった。 


不安に苛まれるマリーナ

担当医から報告を受ける

57歳だった。

 

動脈瘤破裂である。

 

マリーナは失意のうちに病院を出て、弟のガボにオルランドが死亡した事実を携帯で知らせる。 

                      絶望に打ちひしがれる

ガボに電話する


ガボはオルランドの家族には電話をしないようにと、マリーナに告げた。          

 

マリーナが家に帰ると警察が待ち受け、再び病院に連れられ、警官の質問を受ける。

 

身分証を求められたマリーナは、手続き中と説明したが、警官はマリーナを女性として認知しなかった。 


マリーナが病院から早々に帰ったということで、事件性を疑われたが、そこにガボがやって来て、マリーナへの疑念は、一且、払拭されるに至る。 

ガボ(右)


昼はレストランで働くマリーナの元に、オルランドの元妻・ソニアから電話が入り、オルランドが所有する車などを戻すように督促され、マリーナもそれに応じた。 


ソニアからの電話を受ける


「いつも謎めいてる」 


店長の悪意のない言葉である。

 

仕事中のマリーナの元に、性犯罪捜査班の女性刑事・コルテスが訪ねて来たのは、この直後だった。 

コルテス刑事(左)


「お金の関係?」

「付き合っていたの」

「体だけじゃなく?」

「健全な大人同士の関係です。それが何か?」


「父親ほどの年齢よ。発作の前に、何か薬は?…セックスは?」

「覚えてない」

「肉体的な負荷はなかった?」

「私たちはノーマルよ」


「オネット(オルランド)さんの体には、擦り傷と殴打痕が。両腕、脇腹、首に。頭部に外傷も……そういう人たち…失礼、あなたみたいな女性は心得てる。何もかも。あなたを支えたいの。正当防衛とか?」

 

コルテスは、仕事が終わってから連絡するように言ったが、電話しなかったマリーナの留守録に、明日、警察署に来るように命令した。 

一人になると悲嘆に暮れる

留守録を聞く


翌朝、マリーナの寝ているところに、オルランドの息子・ブルーノが勝手にアパートに入って来た。 

ブルーノ

父の死の背景を疑問視するブルーノは、マリーナに悪態をつき、アパートから直ちに出て行くように言い放つ。

 

「父は気が狂った。いいか、何も盗むなよ」 


捨て台詞を吐き、ブルーノは去って行った。

 

マリーナは約束通り、車をソニアに返しに行く。

 

その際に、ソニアは率直にマリーナに語りかける。

 

「この一年間、あなたをずっと想像してた。想像と全然、違うわ…あの人と一緒の姿を想像できない…オルランドとは38歳の時に結婚したの。ごく普通の夫婦で、普通に暮らしてた。そんな彼から、事情を説明された。私は…こう思った。あなたを傷つけたら、ごめんなさい…変態だって。ごめんね。目の前のあなたが、理解できない…神話の怪物(キマイラ)みたい…ごめんね」


「謝らないで。それが普通よ。気にしないで」
 



慣れている差別言辞に柔和に反応したマリーナは、先に駐車場を出た。

 

エレベーターを降りて、ソニアとオルランドの葬儀の話になり、マリーナは葬儀場所を訊ねる。

 

「そっとお別れを」

「来る気なの?」

「行く権利はあるわ」


「今は、もう私の問題よ…悪いようにはしない。お互い、納得のいく方法で…」

「お金は要りません…オルランドを愛してた」

「通夜も葬儀も来ないで…お願い!私たち家族だけで、静かに葬儀をさせて…家族全員、ショックでうちひしがれてる」 



その足で、コルテス刑事の元に向かったマリーナは、暴行を受けていないか調べるために裸の写真を撮られ、検査されるのだった。 


 

 

2  「人生は続くの。困難が人を強くする」

 

 

 

ガボからの電話で、ソニアには内緒でオルランドの遺灰の一部を分けたいと言われるが、マリーナはその申し出を断る。

 

「その代わり、参列するな?」

「私は来て欲しい…」 


唯一、遺族の中でマリーナを理解するガボからの電話を、一方的に切ってしまう。

 

ソニアから受けた、「立ち入り禁止」の通告を受容せざるを得なかったからである。

 

ストレスを溜めたマリーナは、自分を支えてくれる歌の教授に会いに行き、歌曲を歌う。 


その際、「愛を探しに来たのかも」と吐露するマリーナに対して、教授は「愛をくれ」とは決して言わない聖フランシスコの言葉を引き合いに出して、「私を君の愛の動機に、私を君の平和の手段に」と語り、潰されそうになっているマリーナの心を癒すのである。 



アパートに荷物を取りに行くと、二人で飼っていた愛犬が連れ去られていた。

 

迎えに来た姉夫婦の車で荷物を運ぶ途中、マリーナは、犬を取り戻すと言うや、突然、下車して、オルランドの通夜の教会へ向かった。 



中に入ると、ソニアが「お願い、帰って」と言い、7歳の娘が泣き出し、マリーナは引き返さざるを得なかった。 



追い駆けて来たガボが「すまない」と謝る。

 

「お別れを言う権利は、私にもあるわ」


「ああ、そのとおりだ」

 

ブルーノが運転する3人の男たちが乗った車が近づいて、マリーナを散々、罵倒する。 



マリーナは男たち捕捉され、車に無理やり押し込まれた挙句、セロテープで顔をぐるぐる巻きにされて、車から放り出されてしまうのだ。 



ゲイのスポットやディスコで彷徨うマリーナは、オルランドの幻影を見る。 



失意のうちに、マリーナは姉の家に辿り着いた。

 

朝になり、「新しいページをめくった」とマリーナは姉夫婦に表明する。 


姉夫婦はマリーナに理解を示している


「人生は続くの。困難が人を強くする」

 

その思いを抱懐(ほうかい)して、人生をやり直そうとするマリーナは、レストランの客が所持していた、オルランドの車内で見つけた同じ鍵が、サウナのロッカーのものだと知る。 

「この鍵は?」「“フィンランディア”(サウナの店の名)のロッカーの鍵だ」



早速、男性のサウナ室に潜入し、ロッカーの鍵を開けてみる。 


中は真っ黒で何も見えなかったが、空っぽだったのだろう。 



そこから意を決して、マリーナはオルランドの葬儀へ向かった。

 

そこに、葬儀から帰って来るブルーノの車に同乗するソニアとガボと、マリーナは遭遇する。 


マリーナは車に立ちはだかり、ボンネットに乗るや、犬を返すように脅した後、ロッカーの鍵をソニアに返した。 



そして、オルランドの幻影に導かれ、斎場の奥へと進み、マリーナはオルランドの遺体と再会し、別れを告げることができたのである。 

オルランドの幻影




今、マリーナは愛犬ディアブラと共に暮らし、日常生活を取り戻していた。 



ステージに立ったマリーナは、凛として、歌曲『オンブラ・マイ・フ』を歌い上げるのだった。 


 

 

3  身体疾駆するトランスジェンダーの尊厳を守る闘い

 

 

 

「最初はトランスであるダニエラにこの映画について相談していました。でも話をするうちにダニエラの人生経験が脚本に色濃く反映されるようになったんです。目の前に女優がいるのに、どうしてわざわざほかの女優を探しに行こうとするんだ? と思ったんですよ。マリーナはダニエラを通して立体的なキャラクターになっていきました」

 

セバスティアン・レリオ監督の言葉である。 

セバスティアン・レリオ監督


かくて、トランスジェンダーの歌手が、その歌手自身を演じるに至った。 



我が国でも、草彅剛の演技力が際立った「ミッドナイトスワン」が有名だが、しかし、シスジェンダー(性自認と性別が一致している人)であるが故に、トランスジェンダーの「身体性」を表現するには限界がある。 

ホルモン注射を受ける凪沙(なぎさ)/「ミッドナイトスワン」より


マリーナを演じたダニエラ・ヴェガが映画で見せる「身体性」こそ、トランスジェンダーのマリーナの「あるがまま」の「身体性」だった。 

警察の身体検査で



だから、警察で身体検査を受けるシーンに表現されているように、リアルな映画になった。 


やはり、トランスジェンダーを演じるには、トランスジェンダー自身が演じなければならない。

 

これは、脳性麻痺の障害者の自立の旅を、先天性脳性麻痺の障害者自身が演じて成功した「37セカンズ」を観て、痛感した次第である。 

37セカンズ」より


―― 以下、短評。

 

最愛のパートナー、オルランドの死を目の当たりにしながら、その葬儀に参列できない主人公・マリーナに対して、心ない差別言辞が襲ってくる。

 

「カマ掘り野郎。他の家族を壊せよ、バケモノ。おい、男オンナ」


「タマは切ったのか?」、「脚はムキムキだ」

「変態」、「神話の怪物」 


マリーナが、いずれの国でも認知度が低く、差別のターゲットになりやすいトランスジェンダーであるからだ。

 

その顔をセロテープでぐるぐる巻きにされたマリーナにとって、オルランドとの別離の儀式なしには、未来に向かっていくことができなかった。 



しかし、この切実なマリーナの思いを、オルランドの遺族に打ち砕かれてしまう。

 

「通夜も葬儀も来ないで…お願い!私たち家族だけで、静かに葬儀をさせて…家族全員、ショックでうちひしがれてる」 



オルランドの元妻ソニアに、マリーナの参列が、「ショックでうちひしがれてる」家族に対して、弥(いや)が上にも、ダメージの負荷を加える行為であるとまで言われたのだ。 


ここまで排斥(はいせき)されて、穏健なマリーナは、もう何もできなくなった。

 

オルランドに別離を告げることが許されないマリーナは、その後も、オルランドの親族から嫌というほど毒突かれ、失意のうちに、「新しいページをめくった」と括り、「人生は続くの。困難が人を強くする」と呟くのだ。 



別離の儀式なしに再生を目指すが、どうしても前に進めない。

 

そんなマリーナが大きく変容するのは、オルランドが残した鍵だった。

 

偶然にも、その鍵がサウナのロッカーであることを知ったマリーナは、男性用のサウナに入り込み、ロッカーを開けたものの、そのロッカーで何も手に入にいれることが叶わなかった。

 

オルランドと共に旅をするはずのイグアスの滝への切符は、一体、どこにいったのか。

 

オルランドと自分を結ぶ何ものをも失ったマリーナが、ここから決定的に動いていく。

 

奪われた愛犬ディアブラを取り戻すこと。

 

そして何より、オルランドに別離を告げること。

 

もう、それなしに進めなかった。

 

かくて、一人の物腰柔らかなトランスジェンダーが身体疾駆していく。

 

この身体疾駆が、心が穿(うが)たれたマリーナの中枢を浄化し、明日に繋がる掛け替えのない時間を復元させるのだ。 


マリーナの身体疾駆は、マリーナ自身の尊厳を守るための闘いだったのである。 

オルランドに別離を告げ、涙を漏らすマリーナ


「マリーナを演じるにあたって、ベースとしてあった三本の柱は『尊厳』『反逆性』『打たれ強さ』。これをベースにして、そこからマリーナの人間性やキャラクターを積み上げ押し上げていく。この三つの要素は男性にも女性にも誰にでもあること。人の大半は、この三つの要素を持っていて、それをどういう風に人生の中で出していくかが大事だと思っています。各シーンの中で、自分がどのように感情を相手と繋いでいくか。観ている人が、感情的に深いところまで旅が出来るような映画にしたいと思って、この役を作りました」

 

これは、ダニエラ・ヴェガのインタビューでの言葉である。 

ダニエラ・ヴェガ来日インタビュー」より


この素晴らしい表現に、思わず唸ってしまう。

 

どれほどの差別言辞を浴びようとも、決して折れず、前に進むマリーナの心の強さに意気に感じる。

 

滝の下に向かって、風圧と水飛沫(みずしぶき)が怒涛の如く襲いかかっていく、イグアスの滝の大瀑布(だいばくふ)を映像提示するトップシーンこそ、この映画で身体疾駆するマリーナの尊厳を守る闘いを凝縮した格好の画(え)になっていた。 



「君は何なんだ」というブルーノの問いに対して、「人間よ」と答えた後、帰り際に「私はマリーナ」と敢然と言い放ったトランスジェンダーの闘いは、歌の教授に会いに行き、歌唱して帰路に就く時、逆風に晒されても、強風の只中を進むマリーナの決定的な構図のうちに表現されていた。


 

この構図は、映画総体のメッセージとして、本作を貫流している。

 

力強い映画だった。 




【LGBTについては、拙稿 心の風景「LGBTという、押し込められた負の記号を突き抜ける肯定的な自己表現」、「『多様性』の揺らぎの海に生きる」、「公権力の行使にとって、LGBTの知識がないことは許されない」などで言及しているので、よかったら参考にして下さい】 

       「LGBTという、押し込められた負の記号を突き抜ける肯定的な自己表現」より



(2022年4月)

 

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