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2021年8月13日金曜日

叫びを捨てた事件記者と、事件の加害性で懊悩する仕立て職人が交叉し、化学反応を起こす 映画「罪の声」('20)   土井裕泰

 

事件記者・阿久津(左)と仕立て職人・曽根俊也

「他人の人生に踏み込むことが記者の宿命なら、私は彼らに寄り添っていこう」

「これから先も、俺が、この声の罪を背負っていくことになるんやで」



 1  深淵の中に消え去った事件を追う二人の男

 

 

 

この映画のフレームにあるのは、自らが関わった幼児の死に接して、メディアスクラム(集団的過熱取材)に嫌気が差し(注1)、「メディア・正義」を振り翳(かざ)す事件記者を辞めた男・阿久津(あくつ/大日新聞大阪本社の文化部記者)が、事件の加害性で懊悩する仕立て職人・曽根俊也(としや/注2)と交叉し、化学反応を起こす過程の中で、事件に翻弄された子供たちの悲哀と絶望が炙り出されていく陰惨な風景である。

 

(注1)

 

【瀬戸大橋をバックに、阿久津が曽根に吐露するシーンが印象深い。 



事件記者として親にインタビューする愚昧さに自己嫌悪を吐き出すシーンである。

 

曽根の、阿久津に対する信頼性を決定づける描写だが、「叫ばない事件記者」を貫流する男の人間性が浮き彫りにされているばかりか、メディア批判のモチーフも包摂(ほうせつ)し、とても良いシーンだった。

 

以下、阿久津の吐露。

 

「小さな子供が死んでしまって…その親にね、聞くんですよ。『どんな子でしたか?優しい子でしたか?写真はありますか?誕生日のエピソードは?』。『ケーキを切る前に、あの子が小さな手をクリームに突っ込んでしまった』『それはいいお話ですね』…悲しい顔で相槌(あいづち)を打ちながら、頭の中では考えているんです。あと一つ話を引き出せれば、紙面は埋まる。他の新聞に勝てる。何のために…一度、考え始めたらもうダメで。30で社会部を離れました。今はもう、記者の矜持(きょうじ)も、世の中に訴えたいことも、何にもありません」 

「『どんな子でしたか?優しい子でしたか?写真はありますか?誕生日のエピソードは?』」

「頭の中では考えているんです。あと一つ話を引き出せれば、紙面は埋まる」

「今はもう、記者の矜持も、世の中に訴えたいことも、何にもありません」


阿久津の心の風景の、その「現在性」が垣間見えるシーンだった】

 

(注2)

 

【天袋に隠されていたカセットテープと、英語で書かれた手帳を見つけた曽根は、そこに、自分の声が吹き込まれている事実を知り、驚愕する。 



「きょうとへむかって、1ごうせんを 2きろ、バスてい じょうなんぐうの、ベンチの、こしかけのうら」 


テープの声を聞く俊也



その声こそ、「ギン萬事件」の加害者によって利用された、3人の子供の声の一つだったからである】

 

言うまでもなく、「ギン萬事件」とは、「日本の阪神間(大阪府・兵庫県)を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件」(ウィキ)=「グリコ・森永事件」のことで、現在、除斥期間(ほぼ時効と同義)が経過し、民法上の損害賠償請求権も消滅している。 



この事実に衝撃を受けた仕立て職人・曽根は、事件の加害性で懊悩することになる。

 

ここから、自らの加害性を浄化させるための曽根俊也の行動が開かれていく。 

ネットで検索する


最初に訪ねたのは、父・光雄の代から親交のある仕立て職人・河村。 

父・光雄

父・光雄と俊也(右)

河村(右)

手帳の主を知りたかったからである。

 

その河村は、手帳の主が光雄ではなく、光雄の兄・達雄、即ち、俊也の伯父であると推し計る。

 

死没したとされる達雄が、警察にマークされた過激派のため、「姿を消した」と言うのである。 


達雄が「ギン萬事件」に関与していたという証拠はないが、充分に疑う余地があった。 

曽根達雄について、末期癌で入院中の母・真由美に聞く俊也


次に訪ねたのは、柔道仲間で、曽根兄弟(達雄と光雄)の幼馴染の藤崎。 

藤崎



ここで明らかにされたのは、衝撃的な事実だった。

 

食品会社に勤めていた藤崎の元に達雄が訪ねて来て、食品会社の株の値動きを聞きに来たと言うのである。 

柔道着に身を包んだ曽根達雄の写真


その食品会社こそ、「ギン萬事件」で「くら魔てんぐ」のターゲットにされた会社だった。

 

これで、俊也の伯父・達雄と「ギン萬事件」の関係について、疑問の余地がなくなったのだ。

 

一方、「かすかすの記事」と揶揄される文化部の記者・阿久津が、心ならずも、世間の耳目を集めることのない「ギン萬事件」に駆り出され、調査を進める中で、自らも事件の調査を続けている曽根と遭遇する。

社会部の事件担当デスク・鳥居(右)が文化部の阿久津を事件報道に駆り出す

事件当時の資料を阿久津に提供する水島(元社会部記者)



阿久津と曽根という、毛色の異なる二人の獅子奮迅(ししふんじん)の活躍で、「ギン萬事件」の真相に迫っていくのである。

 

「ギン萬事件」の容疑者グルーブ9人が集ったという、割烹し乃板長・佐伯との繋がりで、事件の情報を共有していくことになるが、以下、阿久津と曽根が出会うまでの個々の行動をフォローしていく。

「割烹し乃」を訪ねる俊也
「私なんです。ギン萬事件で犯人が使(つこ)うた子供の声のテープ。あれ、私なんです」と吐露し、板長・佐伯の心を動かす

驚愕する板長・佐伯

「ここで、犯人たちの集まりがあったんよ」

犯人グループが喧嘩を始めた中に「耳の潰れた男」(この男こそ、事件の主謀者・生島秀樹)がいることを思い出す板長


生島望(いくしまのぞみ)の担任教師が、登校しなくなった望の写真を曽根に見せる(右から望、聡一郎、母・千代子)

留学してハリウッド(字幕翻訳家が夢だった)に行くと話す望


以下、阿久津の行動 
事件に使われた子供の声を聴く社会部の面々

「キツネ目の男」/大津サービスエリアの観光版を観察していたことが警察に目撃されていた

自動車窃盗犯の森本の写真を見て湧く社会部

森本哲司

阿久津は、自動車窃盗犯の森本哲司の幼馴染・秋山に取材し、「キツネ目の男」の写真を手に入れる

森本哲司の幼馴染・秋山

志乃の女将と森本哲司が愛人だったことを打ち明ける板長・佐伯

右から二人目が森本、その左が生島秀樹/板長は阿久津にも「犯人たちの集まりがあった」ことを話す

刈り上げの男・吉高も座敷にいたことを知らされる(重要人物なので後述)

板長の話が気になり、もう一度訪ねていくことになる阿久津

「普通の人。ただのテーラー」が板長の話を聞きに来たことを知らされる(これが曽根俊也との出会いになる)

二人の出会い

阿久津と曽根の二人の初発点は、阿久津に対する曽根への誹議(ひぎ)であった。


「あなたの自己満足ではないんですか?あなたはいいですよ。関係ないんやから。面白おかしく記事にして。けど、こっちはどうなります。妻も子供もいるんです。子供の未来はどうなるんです!」 



しかし、阿久津の人間性に好感を持った曽根が、彼との距離を縮めるのも早かった。

 

忽(たちま)ちのうちに、二人は「ギン萬事件」に関わる情報を共有していく。

 

同時に、「ギン萬事件」を掘り起こす社会部の企画に違和感を持つ阿久津に対する、社会部事件担当デスク・鳥居は言い放った。

 

「俺は…『ギン萬事件』を追うことは、マスコミの責任を問い直すことやと思うてる。世間を煽(あお)って、スクープ合戦に明け暮れて、何しとったんや。新聞に罪はないんか。俺ら自身で総括せな」 


しかし、この物言いに対する阿久津の反駁(はんばく)には、充分、エッジが効いていた。

 

「でもそれは、こちらの都合ですよね。マスコミの反省のために、何で曽根俊也が使われないといけないんですか。結局、この事件をエンタメとして消費していることになりませんか?」 


この問題提起に対して、昭和最大の未解決事件を追う特別企画を立ちあげた鳥居は、「ご飯論法」(論点をずらし)で煙に巻くだけだった。

 

そこに見え隠れするのは、犯人捜しに拘泥する社会部と、「ギン萬事件」の総体を、被害者(テープに利用された3人の子供)の視座で関与する阿久津と曽根の基本スタンスの乖離である。

 

事件のハブである青木組組長・青木龍一(経済ヤクザ)が、主謀者である生島秀樹(後述)を殺害後、母子3人(中学生の望と小学生の聡一郎/後述)を拉致・監禁された事実を共有していく阿久津と曽根。 

青木組組長・青木龍一

事件の犯人たちを特定していく社会部


その曽根が阿久津に依頼したのは、何より、事件に利用された他の二人の捜索だった。

 

詳細は、後述する。

 

阿久津は、元証券マン・立花を介して紹介されたニシダ(仮名)から、「空売り」(保証金を払えば、取得しない株を高価格で売り、株価が下がれば低価格で買い戻す手口)をしていた容疑者像が浮き彫りになっていくが、結果的に頓挫し、関係者(吉高)が殺害された可能性が示唆される。 

元証券マン・立花

この「空売り」を仕切ったのが、頭の切れる吉高(大学時代に、ニシダから株を教えてもらう)であることを、突き止めていく阿久津。


ニシダから吉高の死が暗示される


「空売り」で株価を大暴落させてリストラされた企業こそ、ギンガ製菓と萬堂製菓だった。

 

ここで、犯人グループを整理してみる。

 

「空売り」を仕切った吉高、経済ヤクザの青木龍一、自動車窃盗犯で単なる遊び人の森本、キツネ目の男(ハヤシ)、産廃業者で働き、青酸ソーダを手に入れた山下、車両係の金田など、全部で9人。


この9人の中に、耳の潰れた男=元マル暴(暴力団捜査の担当刑事)の汚職警官・生島秀樹(いくしまひでき)がいる。 


この生島秀樹こそ、「ギン萬事件」の中枢にいて、「あとは消化試合のようだ」(鳥居)と忼慨(こうがい)させるほどに、事件の風景を変えていく。

 

このことは、事件の風景の変化で、「警察庁広域重要指定事件」として捜査網を広げたにも拘らず、「くら魔てんぐ」と名乗っていた犯人グループを特定できず、翻弄されるばかりの警察の捜査能力の脆弱性を露呈させてしまうのである。 

警察庁広域重要指定事件


「大阪府警は京都府警とも滋賀県警とも、縄張り争いで揉(も)めとった」(元社会部記者・水島の言葉) 


テリトリーの侵害を許さない、警察特有の陋習(ろうしゅう)を払拭できない弱みを晒してしまったのだ。

 

且つ、議論が分かれるだろうが、警察無線が傍受されていたり(暗号化されたデジタル方式へのシフトは、事件後のこと)、現金受渡し時に、一網打尽に逮捕する方針を採っていた捜査本部の戦略のために、「キツネ目の男」を視認しても泳がしてしまうという不手際もあった。 

現在の警察無線・APR-ML1(新型デジタル無線機/ウィキ)


ともあれ、深淵の中に消え去った事件は、今、この「基本・エンタメ系」の映画の終盤で回収されていくことになる。

 

 

 

2  「あなたが…今、元気ですか。幸せですか…俺は…」

 

 

 

生島秀樹を殺害したのは、青木龍一である事実が判然とする。

 

ここから、事件の風景は一変する。

 

映画は、生島秀樹の家族の生死に大きく振れていくのである。

 

俄(にわか)に父親・生島秀樹の横死(おうし)を知らされ、母・千代子と姉・望(のぞみ)と共に夜逃げし、あとは青木の建設会社の寮に拉致・監禁されていたことが分かってくるが、その生死は不分明だった。

 

―― ここで、時系列は少し前後する。

 

ひたすら、望の行方を案じる、かつての級友・天地幸子(あまちさちこ)の嗚咽を上げる訴えが、曽根の中枢を衝く。 

「電話の向こうで望が泣いてて…」と告白する天地幸子。左は担当教師

電話を受ける中学時代の天地

生島秀樹が青木に殺害され、すぐに逃亡するように、何者か(後に明らかにされる)によって伝えられる生島の遺族3人

望が天地に、「大阪のギンガの看板で会いたい」と電話してきたことを告げ、その場所で待つ

しかし、夜になっても望は現れなかった

望(右)と天地


「望、生きてますよね。曽根さんみたいに、どっかで、幸せに暮らしてますよね」 


絶句する曽根


誘拐後も連絡を取っていた天地幸子の訴えは、曽根のクリティカルポイント(臨界点)だった。

 

その夜、妻・亜美に、全ての事情を告白するに至る。 


夫が留守勝ちなので開店閉業の状態


自らの加害者性を「罪の声」として捉え、未だ、行方の知れない生島秀樹の家族に想いを馳(は)せる外になかったのである。

 

―― そして今、事件に利用された自らの声を聞かせ、曽根は知り得る全ての情報を阿久津と共有していくのだ。 



生島秀樹の家族捜しに奔走する阿久津と曽根。

 

その行方の鍵を握る男・津村を捜し続ける二人は、聡一郎の世話を焼いていたという話を、雀荘の元オーナーから聞き出す。 

津村が犯した放火事件の報道



津村は、高校野球の博打で中抜き(ピンハネ)したことでリンチに遭い、捕縛されるが、その津村を助けた舎弟の少年が、放火して逃亡したということ。

 

この少年こそ、聡一郎であることが推定されていく。

 

【ここで、冒頭の瀬戸大橋のシーンが挿入される】

 

聡一郎を捜す未知なる二人の旅は、永く聡一郎を世話していた、岡山でラーメン屋を営む三谷の話で、その実在と居場所を知ったことで、その冥闇(めいあん)の風景が炙り出されていく。 

取材を断る三谷夫妻

頭を下げて、三谷夫妻から聡一郎の居場所を聞き出す二人


曽根から最初の電話を受けたことで、青木組に居場所を知られたと勘違いした聡一郎が縊首(いしゅ)を図ろうとした。 

いつも暗い聡一郎の部屋

聡一郎の部屋には首吊り用の縄が用意されている


自分もまた、テープに吹き込んだ声の主であるという、思いの丈(たけ)を込めた曽根の言葉が、聡一郎の心に届いたのである。

 

「あなたが…今、元気ですか。幸せですか…俺は…」


 

そこまで言葉に出したところで、聡一郎は絶句し、喉元に込み上げてきた感情を必死に抑える聡一郎。 


二人は聡一郎の待つ場所で落ち合う。 

聡一郎に会いに行く二人


そこは、ギンガの看板が目を引く白昼の路傍だった。 


「会えてよかった」と曽根。


「ここ、姉が来られへんかった場所なんです。俺のせいで…」
 
姉・望が逃亡し、天地幸子と待ち合わせたのがギンガだった


青木の建設会社・京陽(けいよう)の寮に、拉致・監禁されていたことを告白する聡一郎。

 

阿久津と曽根が耳にする聡一郎が打ち明ける内実は、事件に翻弄された子供たちの悲哀と、絶望的なまでに酸鼻(さんび)を極める風景だった。

 

「一生、台無しや!」と叫ぶ望。 


その望が、「待ち合わせはキンガの看板…アホやろ」と電話する。 


相手は、先術したように、級友の天地幸子。 


それを、傍らで耳にする聡一郎少年。 



監禁の目を潜り、クリームソーダを食べに行く姉弟。 



その時だった。

 

「トイレ行って来る」と言い捨てて、脱走を図る望。 



「ごめんな。いつか必ず迎えに来るし…」 


聡一郎にそう言って脱走する望を追うのは、キツネ目の男。 



望を捕捉した男は、走って来るトラックの前に望を突き出すのだ。 



字幕翻訳家を夢見る、望の命が断たれた瞬間である。 



ヤクザの住み処(すみか)=京陽建設の寮で、息を潜(ひそ)めて呼吸を繋ぐ聡一郎少年は、姉の死を目の当たりにしたことで、贖罪感だけが生き残される。

 

ここまで話を聞き、衝撃を隠せない阿久津と曽根。 


「そこからは、おとなしゅう暮らしました。母は会社の雑用させられて…自分も使いパシリしてました」(聡一郎) 


青木龍一(兎から二人目)


既に思春期に入った聡一郎の世話を焼いていたのが、津村だった。

 

彼だけが、聡一郎の唯一の味方だったのである。 

「ガキ虐めて喜んでんちゃうぞ」(津村克己)

「ラーメンでも食いにいくか?」


その津村も高校野球の博打で中抜き(ピンハネ)したことでリンチに遭い、捕縛される。 


母もまた、せクハラされる現場を黙視するばかりの聡一郎。 



そして遂に、聡一郎を巻き込み、事件に踏み込む津村。 

「解(ほど)いてくれ」


京陽建設の寮の放火である。

 

「はよう、行き!」 


母を残して脱走を躊躇する聡一郎に放った、母・千代子。 


号泣しながら、逃走する聡一郎。

 

「おかあちゃんとは、それきりです…何年か、津村さんと暮らして、次は宮崎の鶏肉の工場や…三谷さんの夫婦に拾ってもろたのは、そのあとです。二人は子供おらんかったら、ほんまにようしてくれて…10何年か世話になって…けど、ある日、店に見たことがある人が来たんです。京陽建設に出入りしている人で…向こうも、すぐ俺やと分かったみたいで…青木組が来たら、三谷さんたちに迷惑かかるし…岡山離れて何の当てもなかったんですけど…こっち出て来て転々としました…人に言われへんような仕事も…ほんでやっと、靴修理する店で働かせてもらうようになったのに…何か、ここ2,3年で目が見えにくうなって、細かい作業ができんようになってもうて、解雇されました」(聡一郎) 

「おかあちゃんとは、それきりです」

「何年か、津村さんと暮らして、次は宮崎の鶏肉の工場や…」

「三谷さんの夫婦に拾ってもろたのは、そのあとです。二人は子供おらんかったら、ほんまにようしてくれて…」

「青木組が来たら、三谷さんたちに迷惑かかるし…岡山離れて何の当てもなかったんですけど…こっち出て来て転々としました」


澱(よど)んだように打ち明ける聡一郎の絶望的言辞が、それを聞く二人の心に重く響く。

 

住み処(すみか)に火をつけ、姿を晦(くら)ますことになり、母の生死も分からぬまま、その後の人生には、一筋の光が差し込むことがなかった聡一郎の冥闇(めいあん)なる人生が、重く響くのだ。

 

「もう、逃げなくていいんです。5年前、青木龍一が死んで、青木組は解散しました。放火殺人の件も、当時15歳で、津村の主導であるなら、不起訴になると思います」



阿久津の話に絶句し、頭を抱えて懊悩する聡一郎を目の当たりにして、曽根もまた言葉を失う。 



「あなたは…曽根さんは…どんな人生やったんですか?」


「私は…」
 



これ以上、言葉を繋げなかった。

 

橋の欄干での二人の会話。

 

「曽根さんの今は…曽根さんが掴んだもんです…当たり前にあるべきものが奪われた…罪の意識を抱くべきは、あなたじゃない」


「…はい」
 


それだけだった。

 

「ロンドンに行って来ます。本当の罪人を引き擦(ず)り出します」 


阿久津の確信的言辞である。

 

かくて、オランダにおけるビールメーカーの社長誘拐事件の取材をインサートした、冒頭でのロンドンでのシーンの謎が回収されていく。

 

 

 

3  「この先、何があっても、誰かを恨んでも、社会に不満を抱いても、決してあなたのようにはならない」

 

 

 

ここから、時系列を反復させながら、真相を追及し、事件の被害者となった子供たちの運命を分けた過去の膿(うみ)を浄化せんとする、二人の男の真摯な行動が開かれていく。

 

末期癌で一時帰宅した母・真由美は、天袋(てんぶくろ)を開け、カセットテープの入っているはずの箱を取り出す。

 

「お母さん、知ってたんやね」 



後方から声をかけた俊也に、長い沈黙のあと、真由美は正直に告白するに至る。

 

「私が、あなたの声を録りました」 


一方、再び、ソフィ(現在、大学教授)を訪ねた阿久津が尋ねた目的は、彼女の恋人だった日本人・曽根達雄の居場所。


 

前述した通り、曽根俊也の伯父・曽根達雄こそ、事件の鍵を握る男であることが判然としている。

 

「姿を消した」曽根達雄は、英国に逃亡していたのである。

 

ソフィから居場所を聞いた阿久津は、書店を営む達雄を求め、イングランドのヨークに向かった。 

ソフィ

ヨークに降り立つ阿久津

曽根達雄の書店を訪ねる阿久津


以下、達雄の述懐。

 

「1983年。私は日本での活動に疲れてしまって、そこへ生島(秀樹)が来たんです。県警を首になったあとで、『でかいもうけが欲しい』と相談して来ました。『金持ちに一発かましたい。何かないか』と。その頃、オランダのベックマンの社長が誘拐される事件があって、調べたんです。模倣すれば成功するんやないかと。アムステルダムに行って、事件の詳細を調べました。でも、調べれば調べるほど、身代金の受け渡しは成功しない。それを確信しました」


「代わりに、株価操作?」と阿久津。


「はい。大々的な報道を利用して、株で儲けを出す。私は日本へ戻って計画を詰め、生島は仲間を集めました」

 

阿久津はメンバーのリストを提示し、達雄は認めるが、他に無線探知に詳しい男がいたことを言い添える。 


「初めのうちは計画通りでした」

 

ところが、「空売り」を仕切った吉高の株価操作で儲けが出なかったことに、生島が激怒する。 


吉高(中央)

生島(中央)を諫(いさ)める曽根達雄


青木龍一もまた、株価操作のような手の込んだ詐取に反発し、生島と曽根達雄に向かって責任を問い質すのだ。 

左から青木、森本、キツネ目の男


元々が寄せ集めのメンバーだから、この展開は予約済みだったのである。 

「生島は現金が欲しかった。だから結局、青木たちの計画に乗ると言い出したんです」


現金を早急に求める生島はヤクザの青木と組むが、取り分を巡って争い、その結果、生島は青木に殺害される。

 

生島の家族を案じた曽根達雄は3人を逃がすが、前述したように、母子3人は青木に捕捉され、監禁生活を余儀なくされてしまうのだ。 

「これで、生活の足しにして下さい」(曽根達雄)


「脅迫状は生島。マスコミへの挑戦状は私です」


「上手いことをやりましたね。金のために大勢を不幸にした」
 


この阿久津の挑発言辞に、曽根達雄は怒りを込めて言い切った。

 

「金やない。あれは闘争でした」 



―― ここで、曽根俊也と母・真由美のシーンがインサートされる。

 

「私が中学の時、私の父が窃盗で逮捕されたんよ。けどな、濡衣(ぬれぎぬ)やった」(真由美) 


真由美の父は交番に現金を届けたのに、窃盗扱いされた。

 

警官の犯罪だったにも拘らず、窃盗犯にされたばかりか、解雇され、絶望し、自殺した過去を告白する真由美。 



これが原因で、高校時代から学生運動に参加するに至り、そこで曽根達雄と知り合い、共闘するに至る。

曽根達雄

中央に曽根真由美がいる



その後、学生運動から離脱した真由美が、俊也の父・光雄と出会い、紳士服の仕立て屋を開業するが、何と、曽根達雄と光雄が兄弟である事実を突きつけられ、動揺を隠せない。 

光雄と真由美

テーラー曽根の開店

曽根達雄(右)


【ここまで取ってつけたような展開が続くが、サスペンスの手法として受容したい】

 

そして、達雄から内密に連絡を受け、ギン萬事件の主犯であることを知らされた挙句、例のカセットテープを置き、俊也に読ませるのである。 

俊也の声を録音する


この時代、声紋鑑定の技術が低く、子供なら声変わりするので足が付きにくいと、達雄は考えたからである。

 

「何で伯父さんの言うことを聞いたん?俺の声が犯罪に使われることに、抵抗はなかったん?許されることやと思うたん?」


「それはあかん。あかんことやけど、奮い立ったんやろね。ずーと燻(くす)ぶっていた私の中の怒り…警察に対する、社会に対する怒り!」
 


ここで、曽根達雄の言辞が被さっていく。

 

「権力に火炎瓶を投げつけた私たちは、正義だ。でも、革命は叶わなかった。社会はいつまでたっても変わらない。でも生島が、『金持ちに一発かましてやりたい』。そう言(ゆ)うた時、久々に感覚が蘇った。わしは奮い立ったんです。警察に、社会に、日本に見せつけてやったんです。この国が如何に空疎か、見せてやったんです」 


「奮い立ったんです。警察に、社会に、日本に見せつけてやったんです。この国が如何に空疎か、見せてやったんです」


再び、母に対する俊也の問いかけ。

 

「それが、お母さんの望みやったん?その時、俺のことは考えたん?お父さんのことは?これから先も、俺が、この声の罪を背負っていくことになるんやで」 


「これから先も、俺が、この声の罪を背負っていくことになるんやで」

反応する何ものもなく、嗚咽するばかりの母が、そこにいた。 



―― 今度は、曽根達雄に対する阿久津の問いかけと、鋭利な追及。

 

「空疎な国を見せつけて、何か変わりましたか?犯罪という形で社会に報いて、何が残りましたか?日本は、あなたの望む国になったんですか?ソフィは、あなたのことを化石だと言った。ようやく意味が分かりました。あなたは今も、1984年のままだ。あなたのしたことは、子供たちの運命を変えただけです。あなたが3人の子供に罪を背負わせ…」 



ここで、曽根達雄は驚く。 


彼は、生島の家族の行方について全く知らなかったのだ。

 

「あなたが子供たちの未来を壊したんですよ。そんなものは正義じゃない」 



阿久津の誹議(ひぎ)に、愕然とし、肩を落す達雄に、俊也からの伝言を伝える。

 

「私はあなたのようにはならない。この先、何があっても、誰かを恨んでも、社会に不満を抱いても、決してあなたのようにはならない」 



ここまで酷評され、もう、反駁(はんばく)の余地がなかった。

 

では、この男・曽根達雄が学生運動に深入りするルーツは、どこにあるのか。

 

過激派から内ゲバの標的と間違われて、不幸にも撲殺された父。 

     左翼党派間の殺し合い・「内ゲバ」は、大衆の支持を決定的に失っていった時代の産物

「内ゲバ」に巻き込まれて、殺害された曽根兄弟の父(俊也の祖父)

 


元々、ギンガに勤務していた曽根の祖父が、過激派の内ゲバで殺害された際に、ギンガから過激派のシンパと看做(みな)され、弔問に訪れることもなかった。

 

この現実に憤怒した若き日の達雄が、「反資本主義」を標榜(ひょうぼう)する、過激な学生運動にのめり込んでいくことになったという話である。

 

そして、これが柔道仲間であり、共に警察に対して恨みを抱いていた汚職警官・生島秀樹(いくしまひでき)との結節点になり、「ギン萬事件」を生んでいく。 

生島秀樹


ここで重要なのは、価値観の異なる者たちによる犯罪集団が、時には、非合理的な展開を見せた「ギン萬事件」の風景の異様さを炙り出していったということ。

 

だから、極端に歪んだ犯罪集団の分裂は必至だったのだ。

 

―― 以下の画像で、物語の人物相関図を整理しておきたい。 

物語の人物相関図

 

 

4  「ゴメン、ゴメン」と繰り返す男のトラウマが、永い年月を経て、浄化されていく

 

 

 

「脅迫テープの子ども2人 『この声は私です』」

 

この記事が、大日新聞に掲載された。

 

聡一郎を救済するために書いた、阿久津のスクープである。

 

今、曽根の仕立てたスーツに身を包む生島聡一郎が、そこにいる。 


生き別れの母を探すために、記者会見に臨んだのである。 


「会見をやりたいと私からお願いしました。母を捜したいからです。お母ちゃん、聡一郎や。お母ちゃんに会いたいんです。これ見とったら連絡下さい」 

入院中の真由美が、聡一郎の記者会見を聞いている


以下、その傍らで聡一郎の訴えに聞き入る、阿久津のモノローグ。

 

「他人の人生に踏み込むことが記者の宿命なら、私は彼らに寄り添っていこう。深淵に追いやられた小さな声に耳を澄ませ、文字にして伝えていこう。そう彼らに誓った。大阪府警は犯人Aへの引き渡しを、イギリスの司法当局に要請。しかし、犯人Aは姿を消した」 



曽根達雄は今なお、「1984年のまま」の男だった。 

【被疑者が海外に逃亡している期間は時効が停止される】


かくて、二人の男の尽力で、記者会見に臨んだ総一郎は、母・千代子が養護施設にいる事実を知り、再会を果たす。 



「僕、お母さんのこと、置いてってもうた。ゴメン」 



顔を寄せ合い、抱き合う母と子。

 

「ゴメン、ゴメン」

 

その言葉を繰り返す総一郎のトラウマが、永い年月を経て、浄化されていく。

 

「望ちゃん、会いたいなぁ。声が聞きたい」 


心の底から愛する長女への母の想いである。

 

阿久津からテープを借り、望の声を聞いてもらうのだ。

 

望の声が流れ、噎(むせ)び泣きする母。 


父・生島秀樹の命で録音する望


「生島さんは死にました。青木に殺されたんです」 


曽根達雄が生島の遺族に逃亡を助けたことが、映像提示される。


そして今、曽根の母・千代子は末期癌で、息を引き取るに至る。 


ラストシーン。

 

スーツを新調するために、曽根の店を訪れる阿久津。 


喜んで迎える曽根の笑みは、「罪の声」で懊悩していた時間の重さから解放されていた。

 

社会部に転身する阿久津もまた、拠って立つ理念を捨てずに、事件記者を繋いでいくだろう。

 

 

 

5  叫びを捨てた事件記者と、事件の加害性で懊悩する仕立て職人が交叉し、化学反応を起こす

 

 

 

この映画の基幹メッセージは、とても分かりやすい。

 

事件の本当の被害者は誰だったのか。

 

これに尽きる。

 

限度を超える事件の渦中にインボルブされ、大人たちの身勝手な欲望の爆裂に翻弄された挙句、決定的に傷つき、苦衷(くちゅう)を抱え、彷徨の果てに、自殺未遂にまで振れていった男にシンボライズされるように、義務教育をもまともに受けられず、人生行程の時間と熱量を奪われた子供たち。 



彼らを救う何ものもないのか。

 

この問題意識を共有する二人の男。

 

「あなたのしたことは、子供たちの運命を変えただけです」



こう言い放ち、曽根達雄を指弾(しだん)する阿久津。

 

そして、もう一人。

 

自らも、大人たちの身勝手な振る舞いに利用され、「罪の声」を発せざるを得なかった曽根俊也。 


「俺は、このテープを見つけて苦しんだで。今だって苦しいで。これから先も、俺が、この声の罪を背負っていくことになるんやで」 



母に対して、根源的な問いを投げつける俊也の内面は、悶える魂が落ち着き先を失った者のブルーが沁み込んでいて、不条理極まる風景を抉(えぐ)り出していた。

 

だから、彼らの救済に打って出る。 



幸いにして、自殺未遂にまで振れていった男には、後半生を生きる時間が与えられていた。 


それが、必死に、命を繋いでいた母との再会に結ばれるのだ。 



それは、叫びを捨てた事件記者と、事件の加害性で懊悩する仕立て職人が交叉し、化学反応を起こした二人の男の、深淵に追いやられた小さな声に耳を澄ませて、闘い抜いた時間の結晶点である。 



メディアスクラムへの批判含みの、面白く、且つ、社会派メッセージをも拾い上げた、一級のエンタメムービーだった。 


小栗旬と星野源が素晴らしい。

 

特に、小栗旬の佇(たたず)まいは出色だった。

 

(2021年8月)





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