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2022年3月19日土曜日

出会うことがない階層社会で呼吸を繋ぐ女性たちの、そのリアルな様態を描く 映画「あのこは貴族」('21) ―― その訴求力の高さ   岨手由貴子





1  「田舎から出て来て、搾取されまくって。もう、私たちって、東京の養分だよね」

 

 

 

渋谷区松濤の高級住宅街に住む榛原華子(はいばらはなこ)は、現在27歳。 

華子

松濤(しょうとう)の開業医の一族の中で育ち、家族から結婚を促されている。

 

正月元旦のホテルでの家族の会食の席に、婚約者を連れて来るはずの華子は、遅れて一人でやって来た。 

榛原家の正月


華子はその日に、婚約者と別れたことを報告する。 

華子


爾来(じらい)、親が勧める見合い相手や姉の紹介する男性と会ったり、飲み会に行ったりと、家族の意向に素直に従って婚活するが、なかなか意中の人は見つからない。 

お見合い写真


そんな中、長女の夫・真に紹介された、会社の顧問弁護士の青木幸一郎(こういちろう)と見合いするが、華子は一目で幸一郎を気に入ってしまう。 

幸一郎

一目惚れする華子


親友のバイオリニストの逸子(いつこ)と会い、幸一郎との交際が順調であることを話す。 

逸子(右)


逸子はウェブに紹介された幸一郎の写真とプロフィールを見ながら、彼が自分たちの階級より上であると言い切るのである。 


「でも、良かったよね。華子は絶対に東京の人じゃなきゃ、ダメだと思ってたんだ」

「東京の人って?」

「なんて言うか、華子って、松濤で生まれて、東京の外から入って来れないところで生きてきたでしょ?地方から出て来て頑張っている人とは、本質的に違うんだよ」


「考えたことなかった」

「東京って、棲(す)み分けされているから。違う階層の人とは、出会わないようになってるんだよ」

 

その後、幸一郎の別荘へ行った華子は、その場で幸一郎からのプロポーズを受け、婚約指輪を渡された。 



幸せの絶頂にある華子だったが、その夜、幸一郎の携帯に時岡美紀(ときおかみき)という女性からのLINEメッセージが届いているのを見つけ、彼女のフェイスブックを検索してみる。 



富山県出身の時岡美紀は、猛勉強して慶應大学に入学するが、同郷の里英(りえ)に、幼稚舎や高校から上がってくる「内部生」の存在を知らされ、受験して入った自分たちは「外部生」であると聞かされる。 

「外部生」の美紀(左)と里英

「内部生」


「内部生」の二人と4人でアフタヌーンティーをするが、そこでの会話を聞いて、里英は美紀に耳打ちする。 

「内部生」

「この子たち、貴族?」 



美紀は授業後、「内部生」の青木幸一郎に講義のノートを貸してくれるように頼まれる。 

美紀からノートを借りる幸一郎


その後、美紀は、父親が失業中で実家からの学費の仕送りが難しくなり、キャバクラでバイトをするようになるが、結局、大学を中退せざるを得なかった。 

美紀の実家
「自分で何とかする」と言って、実家に連絡する美紀

キャバクラで働く美紀



美紀はキャバクラの仕事を続けていたが、ある日、店にやって来た幸一郎と再会し、そこから二人の付き合いが開かれていく。

 

イベント会社に勤めるようになった美紀は、幸一郎の会社のパーティーにコンパニオンとして呼ばれ、そこでバイオリンの演奏をする逸子が目に留まり、声をかけた。 



自身が企画するイベントでの演奏の依頼である。

 

名刺を忘れた美紀は、幸一郎から名刺を借り、その裏に自分の名を書き、それを逸子に渡した。

 

そこで逸子は、幸一郎が写真で見た華子の婚約者であることに気づき、美紀との関係に疑義を抱く。 

幸一郎の背中を借り、自分の名を書いている美紀(中央)



早速、逸子は華子に連絡し、ホテルのサロンで美紀と引き合わせることにした。

 

先に待っていた逸子は、美紀がやって来ると、幸一郎に婚約者がいる事実を説明し、これから来る華子を紹介することを話す。 



ただ、逸子は二人を対決させ、美紀を責めるという話ではないことを説明した後、親友の華子を案じる自らの思いを正直に吐露するのである。 



焦燥感に駆られるあまりに、華子が婚活しているところにハンサムな幸一郎が現れ、婚約してしまったが、幸一郎のような男性には必ず女性の問題があるのではないか、自身の父親も浮気性で何人も女性や子供がいるのに、母親はお金や対面を気にして別れない旨などを打ち明けるのだ。

 

「私は経済的にも精神的にも自立していたいし、結婚しても、いつでも別れられる自分でいたいって思うんです」

「いつでも別れられる自分っていいね」 


この言葉に共感を示す美紀。

 

逸子は、華子にもそうあって欲しいと思い、後から悔やまないように、幸一郎の女性関係もきちんと把握しておくべきだと考えたのである。

 

この逸子の話に耳を傾ける美紀は、幸一郎とは10年前に再会し、付き合っていたわけではなく、自分は「都合よく呼び出せる女」だと吐露する。

 

「この間のパーティーだって、卒なくホステスやってくれるから呼ばれただけだし。ニコニコ頷いて、空気を循環させて欲しいんだろうね。女をサーキュレーターだと思ってんのかな」 



ここで二人は笑みを浮かべて、意気投合する。

 

「本当に責めないんだね?」

「それは、私が口出しすることじゃないので。それに日本って、女を分断する価値観が普通にまかり通っているじゃないですか。オバサンや独身女性を笑ったり、ママ友怖いって煽(あお)ったり、女同士で対立するように仕向けられるでしょ?私、そういうの嫌なんです。本当は女同士で叩き合ったり、自尊心をすり減らしたりする必要ないじゃないですか」


「そうだね」

 

共感し合う二人の中に、華子が店にやって来た。 



しばらく、3人で三井家のひな祭りの展示会の話などをした後、美紀が華子に幸一郎との関係について話し始めた。 



「私は付き合っているわけでもないし、今後、隠れて会ったりもしないから、安心して」


「ごめんなさい」

 

逸子に促され、華子は美紀に訊ねる。

 

「あの、幸一郎さんて、どんな人ですか?幸一郎さんと知り会って、まだ半年なので、美紀さんから見て、どんな方なのかなと思って」 



一瞬、答えに窮する美紀。

 

「どうかな。本当はそんなに嫌な奴じゃないと思うんだけど…私もよく知ってるわけじゃないから。友達や家族を紹介されたこともないし、私がどこの出身かも知らないんじゃないかな」 



幸一郎のLINEに、美紀から「もう会うのやめよう」とメッセージが入り、その晩、二人は10年前に再会した小さな店で会う。

 

「何、何かあったの?」


「別に困らないでしょ」

「そういうことじゃないじゃん」

「そういうことだよ」 



無言の幸一郎に、美紀は地元の名産品を餞別(せんべつ)として渡す。

 

「だって悲しいじゃん。この10年間、幸一郎が一番の友達だったから…私がどこで生まれたかも知らなかったでしょ」 


美紀からの別離宣言である。

 

その直後、美紀は里英と飲みに行き、帰りに里英が語った言葉が印象深い。

 

「田舎から出て来て、搾取されまくって。もう、私たちって、東京の養分だよね」 


かくて、美紀は里英に誘われ、故郷で二人で起業することになった。 

「一緒に起業しない?」


         「いいよ」「嘘!本当?」「ずっと、そう言って欲しかった気がするから」


 


2  何かが決定的に変わり、何かが決定的に壊れていく

 

 

 

華子と幸一郎とのハイソエティな結婚式が、予定通り執り行われた。 



祖父が死に、その遺産相続を巡る親族の話し合いの中で、幸一郎が出馬するという話を耳に挟んだ華子は、本人に訊ねてみる。

 

幸一郎は、まずは秘書からだと一言(いちごん)し、それ以上は明日でいいかと言い添えて、そのまま出て行ってしまった。 

置き去りにされる華子


その後、政治秘書になり、忙しくて家にはなかなか戻らず、幸一郎の実家からは、早く子供を産むように促されている華子は、久々に真(まこと/長女の夫)を呼び出し、仕事を紹介してくれと依頼するが、真は幸一郎に相談し、向こうの家の考え方も聞くことを求め、華子を諭(さと)すばかり。 

真(右)


華子が家に戻ると、バルコニーの窓を開け、疲れたように座っている幸一郎の後姿があった。

 

華子は幸一郎の横に座り、一呼吸おいて、静かに訊ねる。

 

「私にできることがあったら、言ってね」

「結婚してくれただけで、十分だよ」

「それでも、言って欲しいの。何でもいいから。困ってることとか、この先の夢のこととか」

「華子にはさ、夢なんかあるの?俺は、まともに家を継ぎたいだけだよ。それは夢とか、展望じゃなくて、そういう風に育ったってだけ…華子が俺が結婚したのと一緒だよ」 



吐き出した言辞の辛辣(しんらつ)さの意味が内包するダメージを、顧(かえり)みることができない男と、被弾した女の間に横たわる、どうしようもない精神的な距離を埋めることの難しさ。

 

夫の言葉を受け入れられず、幸一郎が優しく頭を触れる仕草を、華子が拒絶したのは当然だった。

 

そんな華子が不妊治療に向かった帰りに、タクシーの中から自転車で走る美紀を見つけ、慌てて車を降りて、呼び止めた。 



美紀のアパートに来た華子は、美紀の部屋を見入り、壁のスナップ写真に目を留めていく。 


「こんなひどい部屋って、初めてなんじゃない?」


「いえ、すごく落ち着きます」

「狭い部屋って落ち着くよね」

「そうじゃなくて、全部、美紀さんのものだから」

 

美紀は今月で仕事を辞め、友達と地元で起業する話をする。

 

「地元の企業のブランディングとか、PRを手伝う会社なんだけど、新しいお土産作っり、イベントを企画したり」

「へえ、すごい」

「上手くいくか、分かんないけどね」

 

ベランダに出た美紀と共に、華子も一緒に出て、夜空に輝く、ライトアップされた眼前の東京タワーを見上げる。

 

「こういう景色、初めて見ました。ずっと東京で生きてきたのに」


「皆、決まった場所で生きてるから。家の地元だって、町から出ないと、親の人生トレースしてる人ばっかりだよ。そっちの世界と、うちの地元、何か似てるね…事情は分からないけど、どこで生まれたって、最高って日もあれば、泣きたくなる日もあるよ。でも、その日何があったか、話せる人がいるだけで、とりあえずは十分じゃない?旦那さんでも友達でも。そういう人って、案外出会えないから」
 

「そっちの世界と、うちの地元、何か似てるね」



華子は美紀の言葉に、反応できなかった。 


中枢を衝いてきたからである。

 

雨の中、傘を差して、町を歩いて帰る華子。 



雨が止み、歩道の向こう側に女の子たちが、楽しそうに自転車の二人乗りをしている。

 

華子が見つめていると少女たちが気づき、華子に手を振り、華子も小さく手を振って返す。

 

少女たちは更に大きく手を振るので、華子も強く手を振って見せるのだ。 




何かが決定的に変わり、何かが決定的に壊れていく。

 

それは、何かが決定的に拓かれていくことと同義だった。

 

季節が変わり、華子は両親と共に幸一郎の実家を訪れ、離婚を申し出た。 



幸一郎の母に頬を叩かれる華子。

 

深々と頭を下げる華子と両親だが、幸一郎の父は、今日のところは引き取るようにと告げるのみ。

 

華子の時間が決定的に動いていくのだ。

 

一方、東京駅を見下ろすビルの屋外テラスで、丸の内の風景を見渡しながら会話する美紀と里英。

 

「田舎から出てくるとさ、こういう分かりやすく東京っぽい場所って、やっぱり楽しいよ」


「外から来た人がイメージする東京だけどね」

「そう。皆の憧れで作られていく、幻の東京」 



一年後。

 

華子は逸子のマネージャーとして、緑深い地方の町の小さな音楽会にやって来た。 



近くの野原で子供たちに交じって、活き活きと遊んでいると、幸一郎が声をかけてきた。 



既に国会議員となり、自らの選挙区を回る幸一郎は、逸子のマネージャーをしているという華子に、「良かったら、後で」と言って、その場を去る。

 

「親子で楽しむ小さな音楽会」が始まった。 



逸子がバイオリンを務めるカルテットの演奏を、幸一郎も聴いている。 



華子は幸一郎に目をやると、幸一郎も華子を見て、二人は穏やかな表情を静かに交わし合うのだった。 


 

 

3  出会うことがない階層社会で呼吸を繋ぐ女性たちの、そのリアルな様態を描く映画 ―― その訴求力の高さ

 

 

 

あらゆるものを包容する大都市・東京にあって、「別次元」で呼吸を繋ぐ人々は、自らを此見(これみよ)がしに吹聴することがないから、我が国の階層社会のリアルが可視化されず、各個(かっこ)が自己の物語のサイズに合わせた〈生〉を完結できる。 

青木家に婚約の挨拶する榛原家(左)

青木家

青木家に嫁ぐ華子


これは、必ずしも悪いことではない。

 

見えないことで、アンチ・ユートピアの冥闇(めいあん)の世界が振り撒く毒素から、相対的に自由になり得るからである。

 

それもまた、よし。

 

ディストピアの弊害を糾弾(きゅうだん)し、「格差社会」の「生きづらさ」を訴えるのもよし。

 

個々が好き放題に充足し、或いは、怒気を噴き上げ、言いたいことを吐き出し、意のままに生きればいいではないか。

 

それが、「やり直し」が利(き)く民主主義社会の最大のメリットだからだ。

 

確かに、政治のフィールドでは世襲制の弊害が未だ蔓延(はびこ)っているが、世襲制への難詰(なんきつ)の風潮も高まってきているのも事実。

 

これは政治のフィールドのみならず、ライフスタイルの多様化によって、個々の生き方にもまた、「自在性・利得」が受容されつつあり、文化への昇華が待望されるところである。

 

「やり直し」が利くことの価値の大きさこそ求められる所以である。

 

映画のヒロインの「やり直し」を描いた映画を観て、痛感した次第である。 



映画の出来映えは、私の中で、ほぼ満点に近かった。

 

――  以下、批評。

 

「上の世代の価値観を若い人たちが受け取った時、ひずみが生まれると思うのですが、それが『いま』という時代です。『女性は全員結婚しないといけない』なんて言われないし、男性が主夫として家に入ることもできる。そういった新しい選択肢が増えている一方で、上の世代が持っている価値観も、脈々と受け継がれている。その狭間に立っているのが、いまの30代。劇中に出てくる若者5人の世代なんです」(画像は、岨手由貴子監督インタビュー/「telling,」より)  

岨手由貴子監督

本作を通底するコアに関する、作り手のブリーフィングである。

 

その30代前後の女性4人の中心に、華子がいる。

 

他の3人と切れ、自らの心情を吐露することがない華子だけが、物語の大半で浮いている感が否めなかった。

 

然るに、そんな彼女が大きく変容していく。

 

映画は、典麗(てんれい)な衣装を纏(まと)って構成されているが、それは、結婚願望が強い松濤(しょうとう)に住む温室育ちのヒロイン・華子の、その内面を大仰(おおぎょう)に映し出さないだけだった。

 

失恋の落ち込みがあったものの、総じて無菌状態で育った華子が、見合いを重ねた末に出会った男性がいる。

 

江戸時代から、代々続く名家を出自(しゅつじ)とする幸一郎である。 

青木家の庭園



上には上がある世界が、そこにあった。

 

格式の高い景色を見せつけられ、初対面で恋に落ちるパートナーに対する幻想が、華子の内側で少しづつ、しかし確実に、音を立てて穿(うが)たれていく。 

「華子にはさ、夢なんかあるの?俺は、まともに家を継ぎたいだけだよ。それは夢とか、展望じゃなくて、そういう風に育ったってだけ…華子が俺が結婚したのと一緒だよ」
埋められない溝


幸一郎に対する一目惚れから開かれ、内実豊富なコミュニケーションとは無縁に進んだ果ての結婚と、味気ない新婚生活を延長させられ、不妊外来への心理的圧力が束になって襲い来る波動の累加の中で、抱え込む不具合の内的時間の不毛性は、遅ればせながら発動する主我が今、進軍することでアウフヘーベンしていくのだ。

 

その推進力になったのは、美紀との再会だった。

 

自転車で移動する美紀をタクシー車内で確認し、声をかける華子。 



移動ツールは変わらねど、この行為自体が、貯留された苛立ちが幾重にも重なり合って変容する華子の、その進軍の証左だった。

 

美紀は吐露する。

 

「皆、決まった場所で生きてるから。家の地元だって、町から出ないと、親の人生トレースしてる人ばっかりだよ」

 

更に、美紀は言い添える。

 

「その日何があったか、話せる人がいるだけで、とりあえずは十分じゃない?旦那さんでも友達でも。そういう人って、案外出会えないから」 


これが決定弾だった。

 

もう、立ち止まれない。

 

華子の進軍は止まらなくなった。 

「やり直し」を求め、車を捨て、東京の街を歩く

離婚を決意し、それを伝えに行った青木家で


行き着く先の風景は見えないが、それでも良かったのだ。

 

閑話休題。

 

思うに、私は、夫婦の関係の密度を「自立性」の尺度で測れば、4通りのパターンがあると考えている。

 

「自立共存」・「建前共存」・「建前依存」・「完全依存」の4通りである。

 

ここで、華子と幸一郎との関係を考えてみる。

 

二人の場合、本質的に言えば「建前共存」なのである。 


相互依存度も低く、その共存度に至っては自立的ではなく、どこまでいっても建前でしかなかった。

 

だから、物理的共存の範疇の域を超えることがない。 



愛の濃度とは、親密さをベースにした援助感情と、内的な時間の共有の密度の高さによって成ると私は考えているが、この肝心な養分が二人の関係には致命的なほど不足しているのだ。

 

それぞれが自立しながら屹立(きつりつ)し、鮮度の高い「共存」を果たすという「自立共存」など、とうてい辿り着けない世界だった。

 

二人の離婚は、「約束された着地点」だったのである。 

華子と幸一郎が見つめ合う/離婚の意を伝えに青木家を訪ね、謝罪する榛原家のシーンで


それでも、これだけは認知すべきだろう。

 

世襲に縛られているからこそか、良きにつけ悪しきにつけ、その仕来たりを踏襲せざるを得ない幸一郎もまた、華子のメンタリティが理解できている。

 

それ故に、幸一郎の個我の脆弱性を責めるのは易いが、彼の置かれた立場の不条理さが可視化されてしまうのである。

 

―― では、幸一郎と美紀の関係の様態は、何だったのか。 



有り触れているが故に、こんな簡便な関係はない。

 

幸一郎にとって、キャバクラで再会し、関係を持った美紀の存在は、特権階級の呪縛で累加されたストレス解消の「都合よく呼び出される女」だった。 



美紀の自嘲的言辞だが、要するに、「お誂(あつらえむき)え向きの女」=「いつでも別れられる女」ということ。

 

それは、殆ど両者の黙契である。

 

だから、いつでも解消可能な関係構造だった。

 

付属を有する高偏差値の文系私立大学に存在する、「内部生」(ないぶせい)と「外部生」の学内カーストが幅を利かせる慶應に入学するや、そこで見せつけられた風景は、「この子たち、貴族」(里英)と言わしめる「内部生」の実態だった。 



そんな「内部生」にあって、美紀から授業ノートを借りても、それを忘れてしまう幸一郎の軽さは、再会後も変化がないばかりか、「都合よく呼び出される女」でしかなかったのである。

 

これは、以下の作り手の言葉で了解可能である。

 

「先祖代々受け継がれた名家、特権的な階層に生まれた男性というのは、学生時代にどんなに女性と遊ぼうと、結婚相手にするタイプは決まっている」(同上/岨手由貴子監督)

 

「都合よく呼び出される女」を作り、累加されたストレスを解消することでしか、特権階級の呪縛から解放されない、没個性的な「約束されたレール」をトレースする者の悲哀すら感じてしまうのである。

 

一方、何もかも理解しつつも、自らが拠って立つ何ものも手に入れられなかった美紀にとって、郷土の友人・里英の存在は大きかった。 



青春のモラトリアムから早々と脱し、郷里でベンチャーを立ち上げんとする意気の高さは、同様の思いを共有する者同士の関係構造に拠って立っている。 



「私は、この作品を『延長していた青春時代の終わり』というニュアンスで捉えています」(同上/岨手由貴子監督)

 

これも、作り手の言葉である。

 

かくて、「延長していた青春時代」を脱し、絶対的な同志に変容した彼女たちには、時間の向こうに、主我を駆動させていく進軍しかなかったのである。 




―― 30代前後の女性4人の登場人物の中で際立つのは、バイオリニストの逸子である。 



こんな会話がインサートされていた。

 

「なんて言うか、華子って、松濤で生まれて、東京の外から入って来れないところで生きてきたでしょ?地方から出てきて頑張っている人とは、本質的に違うんだよ」


「考えたことなかった」

「東京って、棲み分けされているから。違う階層の人とは、出会わないようになってるんだよ」

 

このような認識を持ち、「男社会」の負の力学の何ものにも束縛されず、結婚願望のうちに自らを押し込めることを拒絶し、主我を貫く逸子の地につく明るさこそ、恐らく、作り手が提示するロールモデルであったに違いない。 



柔らかに包み込みながら棲み分けされ、出会うことがない階層社会で呼吸を繋ぐ女性たちの、そのリアルな様態を描く映画の訴求力は想像の域を遥かに超えて、出色だった。 


男尊女卑の陋習(ろうしゅう)を擯斥(ひんせき)し、人生を再構築していく女性たちの逞しさを描き切り、フェミニズム系の映画の一つの結晶点である。

 

(2022年3月21日) 

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