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2019年9月23日月曜日

ティエリー・トグルドーの憂鬱('15)  ステファヌ・ブリゼ



<セルフネグレクトすることで削られてしまう「自己尊厳」だけは手放せなかった男の物語>



1  物言わぬラストシーンの先に待つ、ネガティブな状況を引き受けていく覚悟





頑固だが、仕事熱心なエンジニアのティエリーが、人件費の削減のためにリストラする会社の経営方針の犠牲となり、集団解雇される。

進路で迷う発達障害の一人息子と、心優しい妻を持ち、失業の憂(う)き目に遭(あ)ったティエリーの再就職探しが開かれるが、この国の若者たちの失業率の異様な高さと切れていても、中高年の再就職も決して楽ではなかった。

職安に斡旋されたクレーン技師の資格を取得しても、未経験者だから雇えないと断られる始末。

スカイプでの面接

面接は頓挫(とんざ)し、必死で職を得ようとする寡黙(かもく)なティエリーが、その性格を反映する就活セミナーでの模擬面接のシーンが面白かった。

「猫背に見えて、覇気が感じません」
「胸元が開いていました。浜辺にいる気楽な人みたい」
「笑顔がなく、冷たい感じが」
「考え込み、心、ここにあらずという感じ」
「おどおどして、心を閉ざしてるように見えます。答え方もおざなりで、面接に集中していない様子。主張がない」
「活気がない」等々。

就活セミナーでの模擬面接のシーン

ティエリーの模擬面接での様々な態度を、明らかに、年少の若者たちから、率直に吐露されるのだ。

そして、就活セミナーの講師による、面接での守るべき態度を教示される。

「面接では、愛想の良さが、とても有利な要因となります。面接官に、いい雰囲気を感じさせること。彼らは、あなたの働く姿を想像します。面接での態度や表情から、職場での姿を思い描くのです。ですから、面接での社交性は重要な決め手となります」

それを真摯に受け止めるティエリー。

模擬面接でのティエリーの態度こそ、トレーラーハウスの売却交渉で見せた頑固さや、愛想の悪さ、「冷たい感じ」などが、この直後に、彼が得た職にフィットするように印象づけるものだった。

彼が得た職 ―― それは、スーパーの監視人という、常に目を光らせて店内を見回る、「万引きGメン」のような職務。





ティエリーは、スタッフと協力し、店内の見回りや監視カメラをチェックして、万引き犯を摘発したら、常習犯でない限り、報告書を書かせ、できる限り、その場で金銭的に解決するという職務を遂行するが、どこのスーパーでも常態化しているように、当然ながら、万引きの対象にレジ係などの従業員も含まれていた。

それは、防衛的で、家族思いの誠実な性格と些(いささ)かマッチングしないような仕事だったが、真面目な性格が功を奏して、忠実に職務を遂行するティエリー。

そんな彼が意想外の事件に遭遇する。

仕事熱心な女性従業員がクーポンの割引券を、常習的に万引きしている現場に立ち会って、即日解雇されたその夜、店内で自殺するという衝撃的な事件だった。

クーポンの割引券を万引きしていた女性従業員とティエリー

数日後、ティエリーは黒人女性のレジ係が、自分のポイントカードをスキャンさせた不正行為を監視カメラで目撃し、別室へ連れて行く。

「これは犯罪よ」と女性監視人。
「たかがポイントよ?万引きとは違うわ」とレジ係。

その現場に立ち会ったティエリーは、レジ係から、「あなたでも、上司に報告する?」と問われ、「分らない」と一言、反応するのみだった。

その直後のティエリーの行動は、意を決したように部屋を出ていくシーン。

自ら選択した再就職先を退職し、スーパーの監視人という職務と訣別(けつべつ)するのだ。

物言わぬラストシーン

物言わぬラストシーンの先に待つ、ネガティブな状況を引き受けていくティエリーの覚悟を問うかのように、観る者に暗示させて、ドキュメンタリーの如きリアリズムで貫流させた物語が閉じていく。
「俺は穏やかに生きたいんだ」





2  「大きな政府」に馴致してきたフランス経済の、緊縮財政政策という構造改革の艱難さ ―― 映画の背景にある「憂鬱」





グローバリゼーション・イメージ画像

経済が政治の最優先課題となり、そこで勝者と敗者が決まるグローバル社会の本質は、「グローバリズム」というイデオロギーではなく、「グローバリゼーション」という名の「現象」(政治学者・鈴木一人)である。

これは、私たち人間の「技術進歩の歴史」の、予想不能な人類史的展開による、殆ど自然に胚胎(はいたい)された「革命的現象」なのである。

それは、トランプ大統領やEU離脱派の政治家が拠って立つ国家の、スケールの大きい「現象」であり、それぞれに格差がある国家が存在するからこそ、グローバル化が進むという原理を踏襲する。

就任演説を行うドナルド・トランプ(ウィキ)

例えば、アメリカからメキシコへの工場移転は、メキシコの生産コストが安く、規制緩和が保証される実情を踏まえている。

逆に、多くの移民の死者を出しているアメリカ政府は、「メキシコ国境の壁」でメキシコ政府と深刻な確執(かくしつ)を生んでいるが、そのメキシコからアメリカに移民が流入するのも、両国に賃金格差が存在するからである。

従って、「メキシコ国境の壁」とは、両国の賃金格差を検証する物理的境界それ自身なのだ。

新たに作られた米-メキシコ国境のフェンス

両国の格差は、国境を隔てて異なる国家が存在し、両国が独立した経済体制を形成していることが絶対条件になる。

詰まる所、これらの格差は、国境という名のボーダーを希薄にしてしまえば、一つの統合された経済圏となり、格差も無化してしまうのである。

―― 以上の言及から明言できること。

各国の産業の発展・普及の差異によって、多種多様な経済の形態が共存可能になるという「現象」に尽きるので、国家間の格差が完全に無化することなど不可能であり、人類史の画期点とも言えるグローバル化の波動は止められないということである。

グローバル化(「グローバリゼーション」)は、資本主義の本性から出てきた必然的「現象」なのだ。

「グローバリゼーション」によって労働者の失業問題が起きることがある(ウィキ)

その意味で、問題の本質はグローバル化を止める手立てを模索することではなく、グローバル化のコントロールの戦略の確保であり、その戦略を総合的に運用する技術を手に入れることである。

思うに、「ベルリンの壁」の崩壊によって再構築されたEUには、域内での出入国審査を廃止し、パスポート不要の移動の自由を保障する「シェンゲン協定」があり、アメリカ・メキシコ間のような「国境の壁」が存在しなかったが、今や、EUの基本理念とも言える、「ヒト・モノ・カネ」の「域内自由移動」の生命線が、難民流入と無差別テロという二重の危機に遭遇し、EUの結束力・統合力・帰属意識の根柢が揺れている。
ベルリンの壁崩壊へと繋がる歴史的事件「汎ヨーロッパ・ピクニック」・ハンガリー領で開かれた政治集会に西独への亡命を求める人々が結集した(ウィキ)

青色と緑色がダブリン・シェンゲン協定加盟国

そして今、フランスの若き大統領・エマニュエル・マクロンは、トランプ大統領の「パリ協定」の離脱表明を批判し、2015年に採択された「COP21」(第21回気候変動枠組条約締約国会議=「パリ協定」)の優先的実施(地球温暖化対策のためのエコカー普及を推進)と、EUの結束を牽引(けんいん)してきたメルケル首相との連携による、緊縮財政政策という財政再建への強い意志を示し、NGOから「人類の歴史的転換点」と称賛された。
41歳の若き大統領・エマニュエル・マクロン(ウィキ)

マクロンとドイツ首相メルケル(ウィキ)
「COP21」(パリ協定)各国の代表団(ウィキ)
「新自由主義」≒「小さな政府」を標榜(ひょうぼう)し、社会保障費の国民負担の増額・規制緩和と、行財政改革によるフランス産業の活性化・国際競争力の強化を進めてきたマクロン政権が、EUに押し寄せるポピュリズムの猛威に晒(さら)され、構造改革が頓挫する流れが顕在化している。

2019年1月の時点で、燃料税の引き上げと、軽油の増税に対する抗議活動、法人税の引き下げによる富裕層優遇に対する、フランス国民の憤怒が炸裂するのだ。

「黄色いベスト運動」の勃発と、その激化である。

黄色いベスト運動(ウィキ)
「黄色いベスト」運動が政治団体へ。5月の欧州議会選に候補者擁立・(ウィキ)
「黄色いベスト」運動に揺れたパリ、シャンゼリゼに黒煙立ち込める

フランス経済の構造改革は、伝統的に「大きな政府」に馴致(じゅんち)し、ラテン系の快楽を謳歌してきたフランス中間層・労働者階級・年金生活者には、一切の妥協を許さない難しいテーマだった。

労働者階級を無視し、グローバルな投資家・企業を優先すると誹議(ひぎ)される政策を続ければ、より深刻な政治不信を招来し、民主主義の機能不全に繋がりかねない。

凱旋門が落書きで汚され、車両への放火や銀行・商店の破壊・略奪が続発した挙句、治安部隊との衝突によって、一般市民の死者まで出る事態と化し、大規模な抗議デモによって政権が政策の転換に追い込まれるという、フランスの裏面史(りめんし)をトレースすることになる。

終わりの見えない抗議運動によって、マクロン大統領は、年金生活者向けの減税と最低賃金の引き上げを約束した。

まさに、抗議活動という名の暴力的な破壊行為を収拾できず、肝の据(す)わっていないマクロン大統領の弱みが晒された妥協によって、EUの危機がリアリティを加速し、一気に顕在化するに至る。

それは、市場経済の浸透によって、複雑化する「グローバリゼーション」の不可避な様態だったと言っていい。
グローバリゼーション(イメージ画像)https://www.cloudtimes.jp/dynamics365/blog/advantages-and-disadvantages-of-glovalization.html





3  セルフネグレクトすることで削られてしまう「自己尊厳」だけは手放せなかった男の物語




ヴァンサン・ランドン インタビューから

本作で描かれたフランス中間層・労働者階級の苦衷(くちゅう)は、極端な失業率の高さで身過ぎ世過ぎ(みすぎよすぎ)を繋がねばならない男の日常性を、淡々と、しかし、その複雑化した現代社会の渦中で生きる厳しさのうちに映像提示されていた。

「複雑になりすぎた現代社会において厳しい事態に直面し決断を迫られたとき、私たちに課せられているのは、どうすれば最悪の事態を避けられるのかを考えること」

これは、主人公を演じたフランスの名優・ヴァンサン・ランドンのうちに鋭利な表現である。

「時間とか、金の問題じゃない。そんなのは、どうでもいい。俺にとれば、失業したことで、心が裂けちまった。裁判に加われば、また苦しみを味わう…俺は穏やかに生きるため、自分で道を描き、そこを歩む」

そのヴァンサン・ランドンが演じた「ティエリー・トグルドーの憂鬱」の精神的風景が、このセリフにうちに凝縮(ぎょうしゅく)されている。

「俺は穏やかに生きるため、自分で道を描き、そこを歩む」

しかし、経済が政治の最優先課題となった「グローバリゼーション」という「革命的現象」のドツボに嵌って、せめて、家族3人の生活の安定を具現するために、1年半も続いていた失業状態を解決することが、彼の最優先課題であった。

一切は、「穏やかに生きるため」である。

因みに、トグルドー家が依拠するフランスの失業率の高さは、先述した「黄色いベスト運動」の背景にあることで判然とする。

フランスにおける若者の就職とキャリア 五十畑浩平」によると、「黄色いベスト運動」の中心となったのは、25歳から34歳までの若年労働者であったが故に、「若者のベスト運動」とも呼称される。

22.3%。

これが、2017年段階での、フランスの若年労働者の失業率。

驚くべき数字である。

主要国の若年失業率(2017年)
フランスにおける失業率の推移

2008年のリーマンショック後では、全年齢層(15歳~64歳)の失業率は8%台後半から10%台で推移し、このおよそ20年間、失業率が高止まりしている現実をみる限り、失業問題の深刻化が、この国の経済事情を端的に示している。

「フランスでは日本より労働法の規制が厳しく、雇用期間が限られている有期雇用はあくまで例外なかたちで許されている。そのフランスですら、若者に限ってみると半数以上が有期雇用となっていることになる。(略)本来は人員をもっと確保したくても、労働法によって雇うためのハードルが高く設定されているため、若者をはじめとした求職者を新規で雇えない状態となっている。たしかに、労働市場の流動性を高めるため、労働法の改革が行われてきたのも事実であるが、いまのところ目立った効果は見られていない」(前掲サイト)

―― 以上のように、フランスの若年労働者が置かれた環境には届いていないものの、中高年齢層のティエリー・トグルドーの苦衷も、映画で描かれた厳しい現実を炙(あぶ)り出している。

それは、結局、彼の雇用先がスーパーの監視人であった事実が証明する。

ようやく手に入れたティエリー・トグルドーの再就職先が、手慣れたエンジニアではなく、スーパーの監視人というということで、彼は自己矛盾に陥るからである。

目を光らせて店内を見回るティエリー・トグルドー
高々(たかだか)と言ったら、語弊(ごへい)があるかも知れないが、クーポンの割引券の常習的万引きによって、解雇の憂き目に遭う女性従業員の解雇の背景にある人件費削減の問題こそ、会社の経営方針の人件費削減のために、エンジニア一筋で働いてきても、あっさりリストラされた自己の立場と重なるのだ。

解雇されれば、再就職することの難しさを、身をもって体験しているのである。

夜間の店内で、「抗議の自殺」と思(おぼ)しき行動を選択するに至った女性従業員が、解雇を免れるために必死に謝罪しても、会社のルールは変えられない。

「彼女の行為で、君たちがが罪悪感を抱いてはならない。確かに、彼女は自分の仕事場で命を絶ったが、それは、退職後のこと。店長から、息子さんが麻薬中毒だと聞きました。重度だとか…彼女はそれを見かねて、金を渡していました。彼女の行為の動機はたくさんある。それに答えられるのは彼女だけ。皆さんには、何の責任もないのです」

本社から乗り込んで来た、人事部長の冷徹な説明である。

一切は、「彼女の自殺は、会社の責任ではない」ということを明示すること。

それだけだった。

本社の人事部長(右)と店長

そんな自分が、無機質な監視カメラを駆使(くし)して、店内に入り込んでいる特定・非特定他者の動向を監視し続ける。

自らも監視カメラで、女性従業員の不正を目撃していたのだ。

ある意味で、自家撞着(じかどうちゃく)である。

先述したように、この自家撞着が裂けてしまうラストシーンの行動が意味するのは、言うまでもなく、再就職先と訣別(けつべつ)するという、それ以外にないアウトプット(表現)だった。

帰する所、ティエリーの内面的風景のみをフォローし続けた映画の収束点が、「穏やかに生きる」人生を望むティエリーのランディング・イメージと背馳(はいち)するが、セルフネグレクト(自己放任)することで削られてしまう「自己尊厳」だけは手放せなかった。

だから、そこだけは明瞭にアウトプットした。

この主体的行為の向こうに待つランディング・イメージが、「穏やかに生きる」人生の確保の後退に押し込まれるかも知れないが、ティエリーの絶対的な「自己尊厳」を剥落(はくらく)させるわけにはいかないのだ。

魂を薄皮1枚で包み込む危うさと共存し得るほど、ティエリーの人格は崩されていなかったということである。

夫婦愛は変わらない
発達障害の我が子の世話をするティエリー

―― 批評の最後に、印象深い描写に触れておきたい。

心優しく、穏やかな妻との踊りのレッスンシーン。

これは2度出てくるが、そこに内包されるメッセージは、ティエリーの内面にカメラが入り込んだ表現手法を有効に活かしていた。

一言で要約すれば、いずれのシーンも、「穏やかに生きる」人生を望むティエリーのランディング・イメージに収斂されるが、ティエリーの内面に入り込んだカメラが見せたのは、以下のような含意(がんい)を内包していたように思われる。

1度目の踊りのレッスンシーン

1度目は、再就職先の問題で、焦燥感に駆(か)られるティエリーの不安が表現されているのに対し、2度目は、監視員の仕事に慣れ、32年間も真面目に働き続けた女性従業員が、店長を初め、仲間たちから惜しまれて退職する場に居合わせたティエリーが、店で働く従業員を温和に包み込む会社側の姿勢に感銘し、再就職に充足する彼の内面的風景それ自身だった。

このシーンがあるから、ラストに向かう映画のネガティブな展開との「コントラスト効果」(対比効果)が、鮮明に浮き彫りにされていくのである。

ヴァンサン・ランドン(ウィキ)
ステファヌ・ブリゼ監督(ウィキ)
ステファヌ・ブリゼ監督とヴァンサン・ランドン


【余稿】資本主義の包括力の凄み



「包括的資本主義」(イメージ画像)

資本主義の包括力の凄み

私たちは今、これを認知せねばならない。

社会主義圏の崩壊によって生まれたグローバル化の波動が大きくなれば、経済格差がより深刻な事態を招来するのは、グローバル化の必然的現象である。

コラム:「成長と賃上げ」つなぐ包括的資本主義」によると、「民主党系シンクタンクであるアメリカ進歩センター(CAP)が発表したリポートでは、新たな労使の協力関係が指摘されている。つまりそれは、企業と労働組合の幹部が、イノベーションと賃金上昇を両立できる可能性を見いだしているということだ」

この一文は、企業の業績が順調なら、労働者も豊かであるべきというシンプルな考え方に基づいている。

予(あらかじ)め定められた価格で、自社株を購入できる「ストックオプション」や、「従業員持株会」を設立し、給与からの天引きで従業員に自社株を保有してもらい、彼らの資産形成を支援する「従業員持株制度」などに典型的に表れているような、労使の協力関係を具現していく「包括的資本主義」という概念が、近年、頻(しき)りに使われている。

「有償ストックオプション」・業績拡大及び企業価値の増大を目指し、従業員に対して、有償で「新株予約権」を発行するもの

グローバル化によって高められた、企業の競争力のプログレス(進展)が、イノベーションと賃金上昇の並存を可能にするのである。

包括力のある資本主義の、多岐にわたる複合的展開。

この凄みが、「資本主義」=「悪」という浅慮(せんりょ)なラベリングを一蹴(いっしゅう)する。

政策決定に労使が協調的に参加する「コーポラティズム」もまた、「包括的資本主義」のカテゴリーに収斂されるのだ。

機関投資家に対して、「ESG」(環境・社会・企業統治)を受託者責任として守らせる、国連の「責任投資原則」は、国連事務総長・コフィー・アナンが「ダボス会議」(世界経済フォーラム・創設者・クラウス・シュワブ)で提唱した、10原則の倫理規定・「国連グローバル・コンパクト」(1999年)を継承した理念で、「私たちは、本原則を実行する際の効果を高めるために、協働します」という原則などを主唱した条文によって成っている。
ネオ・コーポラティズムと多元主義(ウィキ)

企業の三大倫理・「ESG」
「世界経済フォーラム」の創設者兼会長・クラウス・シュワブ(ウィキ)
その内実は、弱者を生み出す資本主義が、富の再分配を実現させるという、「包摂する資本主義」の21世紀型のイメージを彷彿(ほうふつ)させる。

2位の「ノルウェー政府年金基金」に2倍以上の差をつけ、130兆円もの運用資金を持ち、厚生年金と国民年金の積立金の管理・運用を行っている厚労省所管の独立行政法人であり、世界最大の「機関投資家」とも称される我が国の「GPIF」(年金積立金管理運用独立行政法人)が、「国連責任投資原則」への署名を実施(2015年10月)したことがインパクトとなり、同様の動きは他の年金基金にも広がっていく。

「GPIF」・市場運用開始以降の運用実績(平成13年度〜平成27年度第3四半期)(ウィキ)
「GPIF」・2015年12月末時点の資産構成割合(ウィキ)
「ESG投資」の広がりは、2015年9月の国連総会で採択された具体的行動指針・「SDGs」(エズ・ディー・ジーズ・持続可能な開発目標)との繋がりを深め、ハーバード大学のマイケル・ポーター教授が提唱した、企業と社会の「共通価値の創造」が生まれていく。

「COP21」で採択された基本理念・「SDGs」
ハーバード大学経営大学院教授・マイケル・ポーター(「ダボス会議」にて)(ウィキ)
今や、「GPIF」による「ESG投資」と、投資先企業の「SDGs」への取り組みは、表裏の関係にあると言える。(「ESG投資 年金積立金管理運用独立行政法人」参照)

以上の報告は、多くの企業が「包括的資本主義」という、時代の風景の変容を主体的に受け入れている現象の一端である。

この現象は、ボーイングからマイクロソフトなどの巨大IT企業で実践している。

中産階級以下の階層がダメージを受ける、貧困の問題に配慮した経済メカニズム。

それが、グローバル化に対応した経営環境を推奨し、国境を超えた「オープンイノベーション」(組織の枠組みを越えて、異業種交流のプロジェクトを具現)によって、世界経済を動かす「ダボス会議」の要諦(ようてい)でもある。

「オープンイノベーション」

利益追求で膨張する資本主義の、収拾困難なバブルによる経済混乱を再構築していく理念として立ち上げられた、貧困の問題に配慮した「包括的資本主義」の存在価値が、そこに垣間見(かいまみ)える。

そう考えると、身体的・精神的な生活力が減耗した状態である、貧困の問題への手当の立法化が避けられないことが判然とする。

綺麗事を言うようだが、グローバル化の堅実なプログレス(進展)と、「オープンイノベーション」の廉直(れんちょく)な展開は、「アメリカ・ファースト」を繰り返すトランプ大統領の独善的な手法によって完全に無化されている。

世界各地で、「反グローバル化」の動きが活発になっている
ローザンヌでの反WEF(反ダボス会議)を訴える落書き。 La croissance est une folie (経済成長こそが狂気だ・ウィキ)
「現代の最大の機会は、人々を結びつけることで生まれる。富や自由の拡散、科学の進歩、平和や相互理解の推進などだ」と語るマーク・ザッカーバーグhttps://www.bbc.com/japanese/39000995
2015年11月、フィリピン・マニラで開かれた「APEC」首脳会議に合わせて行われた、グローバル化に抗議するデモhttps://www.bbc.com/japanese/39000995
貧困を克服する人々を支援する団体・「オックスファム」が、G8(現在7)各国首脳に扮し、反グローバル化のデモ

「反グローバル化」・「保護主義的な通商政策」は、300年に及ぶ資本主義の歴史を逆行させていると説く主張があるが、経済格差の問題に一切を収斂させてしまう傾向が根強くある。

低金利が世界的に継続されたことで、国境を越えた「カネ」の流れを澎湃(ほうはい)し、資金フローが活性化した。

金融のグローバル化の進展によって、金融機関は苛酷な競争に晒され、大規模な再編・統合・買収(M&A)を余儀なくされていく。

危険を冒す「リスク・テイク」に耐え得る体力、即ち、自己資本を増やす「バーゼル3」の規制を維持することで、銀行の健全性を保持していくのだ。

バーゼル3

「オープンイノベーション」にシンボライズされるように、グローバル化というラジカルな展開を描き出してきた資本主義が自壊しないためには、多岐にわたるフィールドでの技術革新を通じて、「包摂性」を推進することに尽きる。

このようなグローバル化というラジカルな展開の中で、労働基準・環境基準の緩和などを競うことによって、自国の労働環境が最低水準まで落ち込んでいくという「底辺への競争」。

この「自由貿易の罠」の恐怖と共存しながらも、貧困層の困窮を救済するための小規模な金融サービスである、「マイクロファイナンス」・「デジタルファイナンス」のように、貧困の問題に配慮した「包括的資本主義」の存在価値。

これ以外にないと、私は思う。
マイクロファイナンスhttps://job.career-tasu.jp/finance/articles/039/

青い惑星の輝き (イメージ画像)

【引用資料】拙稿・時代の風景「それでも、グローバル化は止められない

(2019年9月)

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