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2020年3月11日水曜日

三度目の殺人 ('17)   是枝裕和


「同化」を象徴する画像・オーバーラップする重盛と三隅

<確信犯的に断罪する男 ―― その男への同化から解き放たれた時、全てが終わる>





【心理サスペンスの傑作。被告人との接見のシーンが圧巻だった。是枝監督流の社会派系のメッセージが強含みにならない心理劇として受容できた。福山雅治の渾身の演技に心を打たれた】





1  毒液を出す牙の一端を晒され、寒気立つ弁護士が今、そこに、浮き出ている





物語の背景になった川崎の街

「理解とか、共感とか、弁護するのに、そういうのいらないよ。友達になるわけじゃないんだから」

斯(か)くも、合理的な思考を基本スタンスにする弁護士がいる。

「友達になるわけじゃないんだから」と言い放つ重盛
法律事務所/左から摂津、川島、重盛

弁護士3名(一人は「ノキ弁」)、事務員1名を擁し、法律事務所を運営する重盛(しげもり)である。

この重盛が、司法修習の同期で「ヤメ検」の摂津(せっつ)と共に、厄介な殺人事件の弁護を担当するが、30年前に、北海道・留萌(るもい)で、強殺で2人殺して無期懲役になり、仮釈で出所した男・三隅高司(みすみたかし)が起こした殺人事件の弁護に翻弄され、疲弊し切っていく。

一切は、拘置所の接見での三隅の言動に起因する。

自ら勤務し、解雇された川崎の食品加工を経営する社長をスパナで撲殺し、財布を奪って火をつけ、ガソリンで燃やした犯罪をあっさり認めたにも拘らず、その動機が二転三転する始末なのだ。

三隅の殺人事件

「飲んでやけになって」と言うや、摂津から、「前回訊いたときは、前から殺してやろうと思ってたって、言わなかったっけ?」と突っ込まれると、「そうだったかなぁ」と吐露したばかりか、被害者の奥さんに依頼され、保険金目当てで殺したという独占告白のインタビューを週刊誌に掲載させるなど、プロの弁護士を煙に巻いてしまう三隅の言動の「首尾一貫性の欠如」が、事件の隠蔽に関わるものか、それとも、殺人へのハードルが低いだけの「空っぽの器」(後述)に由来するものなのか、全く不分明である。

拘置所に向かう摂津、川島、重盛
拘置所での接見/左から摂津、重盛、川島
火傷の傷跡を見せる三隅
二転三転する動機を突かれて首を傾(かし)げる三隅
事件現場を視察する重盛と川島
被害者の自宅を訪ねる重盛(山中美津江と娘の咲江)
咲江と母
週刊誌のインタビュー記事を巡るテレビ中継
週刊誌の記事を三隅に突き付ける摂津(右)

重盛の基本スタンスは崩れない。

三隅の言動に翻弄される重盛が、「公判前整理手続き」の話し合いの直後のこと。

公判前整理手続き

「あなたみたいな弁護士が、犯罪者が罪と向き合うのを邪魔するのよね」

重盛に言い放った篠原検事の挑発的言辞である。

篠原検事

「罪と向き合うって、どういうことですか?」と重盛。
「真実から目を背けないってことじゃないですか?」と篠原。
「真実?」

検事の言辞に嫌味な笑いを返す重盛。

重盛

しかし、相手が三隅となると、重盛に緊張感が漂動するのだ。

「マインドリーディング」、或いは、エドガー・ケイシー流の「コールドリーディング」もどきの行為を成す三隅が、そこにいる。

ガラス越しに相互に手を合わせて、重盛に娘がいることを言い当てる。

ガラス越しに手を合わせる三隅と重盛
「リーディング」で知られる米国の心霊診断家エドガー・ケイシーhttps://spicomi.net/media/articles/59

温柔な言い回しによるマインドリーディング風の能力と、罪を犯した者の凶暴性が共存する男の底気味悪さ。

その片鱗が可視化される接見があった。

重盛が留萌から戻って来た直後の接見である。

留萌に行った行為に不快感を露わにする三隅に、重盛が進言するのだ。

「自分のしたことに、ちゃんと向き合うってことも、必要だと思いますよ」

これが、弁護士に真実の追求を求めない重盛の言葉であることに驚かされる。

「自分のしたことに、ちゃんと向き合うってことも、必要だと思いますよ」

三隅との接見を通して、ここまで変容する合理的思考の弁護士が、今、そこに、浮き出ている。

以下、この時の会話。

「向き合う?そんなこと、皆してんですか?」と三隅。
「してるんじゃないですか?」と重盛。
「してないでしょ!だって、色んなこと見て見ぬ振りしないと、生きていけませんから、そっちじゃ」

「向き合う?そんなこと、皆してんですか?」

三隅は溜息交じりに、そう吐き捨てるや、苛立って、火傷の跡の皮を剥(む)き散らす。

「今回、社長を殺したことは、後悔してるんですよね?」
「後悔?」
「だって、手紙にも、そう書いてあったんじゃないんですか?」
「そりゃ、あのもう一人の弁護士(当初、事件を担当していた摂津のこと)が書け書け、と言うから」
「三隅さん、本心はともかくね、法廷では、そういう態度はしないでくださいね」
「分ってます」
「裁判員裁判なんですから」
「分ってますけどね。あんな奴、殺されて、当然だったと思いますよ」
「当然?どうしてそう思うんですか?」
「…生まれてこない方がよかった人間ってのが、世の中にいるんです」
「だからと言って、殺してすべて解決するわけじゃないじゃないですか」
「重盛さんたちはそうやって、解決してるじゃないですか」
「死刑のことを言ってるのかな、それは?」

「だからと言って、殺してすべて解決するわけじゃないじゃないですか」

無言を通す男は感情を昂(たかぶ)らせ、席を立って出て行こうとする。

「ノキ弁」(法律事務所の一角を借りている無給の弁護士)の川島弁護士が、後方から誹議(ひぎ)の言辞を投げ入れる。

「いないですよ!そんな人、いないです。生まれてこない方がよかった人なんて」

「いないですよ!そんな人、いないです。生まれてこない方がよかった人なんて」

振り向き、一方的に接見の終了を告げる三隅。

それは、この男の内側で隠し込まれているであろう、毒液を出す牙の一端を晒す光景だった。

接見の終了を告げる三隅

重盛が、北海道の大学の受験を目指している事実を知り、事件の被害者の娘・高校生の咲江と会ったのは、接見のシーンの直後のこと。

咲江
重盛と話す咲江
三隅の関係を尋ねるが、明言しない咲江
北海道の大学の受験を目指していると思われる咲江(図書館で受験勉強する姿を重盛が視認)

咲江と、北海道出身の三隅の関係を尋ねるが、明言しない咲江。

その咲江は、三隅に脚の悪い娘がいた事実を知らなかった。

この二人の関係の中で、三隅の内側に封印されたプライバシーの開示が禁忌になっていたことが判然とする。

咲江と母
母親に対し、複雑な感情を隠し切れない咲江

そのことは、二人の関係の本質が、同時に、禁忌になっている咲江のプライバシーの「取り込み」(心理学で言う「取り込み」とは、他者が抱える問題を自分のものとして錯覚し、内化すること)が主線になっていたことを想起させる。

少しずつ、三隅が抱える、深い闇の奥に潜む裸形の相貌性が、重盛の射程に喰い込んでくるのだ。

「あんな汚い仕事でお金を稼ぐくらいなら、潰れた方がいい」

被害者の夫と共有しているであろう「食品偽装」の問題を、母に対し、咲江は直截(ちょくさい)に曝け出す。

「食品偽装」の違法行為(2013年に成立した「食品表示法」)の問題で、「潰れた方がいい」とまで言い切る咲江の憤りもまた、三隅との間で共有されていたと思われる。

この憤激の感情は、三隅の「取り込み」の中で増幅していったことが考えられるのだ。

その三隅との接見の中で、重盛は追い詰められる。

「重盛さんは、その話信じてますか?窃盗とか、保険金とか。信じてはいないけど、その方が勝てるってことですか?」
「そういう側面もありますかね。法廷戦術的には」
「重盛さん、本当は、なんで殺したと思ってるんですか?本当の動機です。本当のことには興味がないかな?」
「そんなことないですよ」
「じゃあ、教えてください」
「じゃあ、一つだけ質問させてください」
「ヒントですね。どうぞ」
「あの十字、どういう意味があるんですか?裁こうとしたんじゃないですか?」
「裁く?」
「裁く。罪を」
「どんな?」
「それは、僕には分らない」
「裁くのは私じゃない。私はいつも、裁かれる方だから…カナリアが一羽だけ、逃げたって話したでしょ?あれ、僕がわざと逃がしたんですよ。…僕がしたみたいに、人の命を弄(もてあそ)んでる人が、どっかにいるんでしょうか。いるんなら、会ってみたい。会って、言ってやりたいんです。理不尽だって」
「でも、あなたが理不尽な目に遭っているわけじゃない」
「父親も母親も、妻も、何の落ち度もないのに、不幸になって死にました。なのに私は今、こうして生きている。彼らの意思とは関係のないところで、命は選別されているんですよ。理不尽に!」

「命は選別されているんですよ。理不尽に!」
寒気立ち、慄く重盛

三隅の激越な表現に寒気立ち、慄(おのの)くような重盛は、長い「間」の中から、テーマを変えて言葉を繋ぐのだ。

「その話…いや…あなた、なんで裁判長にハガキなんか出したの?」

困惑を隠しながら、重盛は恐々と三隅に訊く。

「憧れていたんですよ。人の命を自由にできるじゃないですか」

想像を絶する答えが返ってきて、四の五の言う機会を封印されてしまった。





2  迷路に呑み込まれたように、四辻の中枢に立ち尽くす男







公判が始まった。

規定通りの裁判員裁判が進行する。

篠原検事による「起訴状朗読」
山中美津江への証人尋問

この映画は、法廷シーンをスルーするかのように、シーンの展開が早い。

法律事務所を訪ねた咲江が、弁護士3人に真相を告白する。

事故現場の河原で焚火をしていた三隅が、学校帰りの咲江と会い、一緒に咲江の誕生日のケーキを作ったことで、二人の交流が始まった。

そして、父親から相姦された事実を吐露する咲江。

14歳からだった。

相姦された事実を告白する咲江
咲江の告白を聞き、その真実性を確認する重盛と摂津

【これは現在、18歳未満の子供に対して監護すべき立場にある者(実父や養父など)が、その優位な立場を利用して性交したケースに成立する犯罪であり、暴行や脅迫がなくても「監護者性交王罪」として処罰される。また、わいせつ行為に及んだ場合は「監護者わいせつ罪」が成立する。これらの犯罪行為は、いずれも2017年の刑法改正によって、「強制性交等罪」(強姦)と共に重い刑罰が科せられる】

同居の養女と性交、男性に無罪 地裁「信用性に疑い」
強姦罪が「強制性交等罪」にhttp://www.aoikara-writer.com/entry/law_problem

「三隅さんは、私のために…。だから、三隅さんと母とは、何の関係もないんです」

人に言えない禁忌を、法廷で話したいという思いを表示するのだ。

「心のどこかで、父を殺して欲しいと思ってました。それが、三隅さんに伝わったんです」

「三隅さんは、私のために…」

咲江の心奥で震えている思いを「取り込み」、三隅が断罪した。

単純に言えば、そういうことである。

咲江は、それを確信する。

重盛は、その証言が検察官によって徹底的に問い詰められていくことを指摘し、その覚悟を咲江に問う。

覚悟を咲江に問う重盛

「今までの方が、誰にも話せなかった時の方が、辛かったから…」

法律事務所の空気がくすんでいる。

脚に障害を持つ咲江が、事務所の階段を不規則な機械音を立てながら、一歩ずつ下っていく。

「ありがとう。話してくれて…でも、どうして?」

慌てて、咲江を追う重盛の問いに、咲江は暗然たる口調で、しかし、思いの丈を込めて言い切った。

「私は、母みたいに、見ない振りしたくないから」

「ありがとう。話してくれて…でも、どうして?」
「私は、母みたいに、見ない振りしたくないから」

法律事務所の空気のくすみは、被害者の減刑のみを求めて弁護活動を繋いできた男たちの、その中枢を衝く。

眠れないで沈思默考する重盛と摂津。

「鼻に触った奴と、耳に触った奴が、自分のが正しいと言い争う話」に言及する二人の男。

インドをルーツにする、有名な「群盲評象」(ぐんもうひょうぞう/「群盲象を評す」の言い換え)の寓話のことである。

象の一部だけに触れて、その感覚を絶対化することの危うさ ―― 即ち、「木を見て森を見ず」という俚言(りげん)が内包する教訓を想起し、いよいよ、迷妄の世界に這い入っていく事件の重さが、百戦錬磨の合理思考のプロの弁護士の内側を撹乱(かくらん)させるのだ。   

「俺は今、どこ触ってるんだろうな」

「今、そんな気分じゃない?」と摂津。
「俺は今、どこ触ってるんだろうな」と重盛。

そう言いながら、重盛は、炎の渦中で事を成し遂げた二人の人物を想像表象する。
重盛の想像表象(咲江の父殺し)
重盛の想像表象(三隅の山中社長殺し)

三隅と咲江である。

その直後の接見。

重盛は、単刀直入に聞いていく。

三隅は、咲江の話を覚えていないと言う。

「あなたにとって、咲江さんは娘の替わりだったんですね。あなたは、咲江さんを救うために、彼女の父親を殺した。彼女の殺意をあなたが忖度した」
「嘘ですよ、そんな話。あの子、よく嘘をつく子ですよ」


「どうして、彼女はあなたを助けるために嘘をつくんですか?」
「それは、本人に聞いて下さい」
「もう一つ、教えてもらってもいいですか?どうやって、あの河川敷まで社長を連れて行ったんですか?」
「大事な話があるって、そう言いました。…偽装のことで」

社長を河川敷に呼び出すことができたのか、という重盛の問いに、三隅はきっぱりと答える。

食品偽装の仕事の手当てを受け取っていて、その件で脅すためだったと。

「月に一度、出所のよく分らない小麦粉が、内緒で運ばれてくるんですよ。それをただみたいな値段で買って、すり替えるんです。汚い仕事です」
「じゃあ、あの50万円は」
「その仕事に対するお金です」
「どうして、そんなウソを……裁こうとしたんですか?あの、母親を。夫と娘のことを見て見ぬ振りしたから」
「重盛さん、どうせ、信じてもらえない…嘘だったんですよ。私は河川敷に行ってません。本当は私、殺してないんです。私、本当は殺してません」

「本当は私、殺してないんです。私、本当は殺してません」
困惑し、言葉を失う重盛。

「どうして、最初から否認しなかったんですか?」
「言いましたよ、やってないって。でも、(摂津弁護士から)嘘つくなって。認めれば、死刑にはならないからって」
「でも、いくら死刑にならないからって、認めちゃったら、また」
「あの工場で、人の弱みに付け込んで生きているより、刑務所の方が嘘つかずに済むから…信じてくれますか?重盛さん」

完全に混乱し、心の動揺を隠せない重盛。

「ちょっと待ってくれよ」

感情が、追いつかないのだ。

「やっぱり、やっぱり信じてくれませんか」
「頼むよ、頼むよ!今度こそ、本当のこと教えてくれよ!!」

抑制不能な自我が、怒号を止められない。

「信じてくれますか?」

接見室の一角の空気が、三隅が振り撒く感情の重みに占有されている。

重盛が自己を復元させるには、それを引き摺り出すに足る時間が必要だった。

長い「間」を食い千切り、全身の疲弊感を押し込み、これだけは歯止めにしたいであろう一筋の表現に結ばれた。

「あなたは、私の依頼人だから、あなたの意思は尊重します。だけど、今ここで、否認するのは戦術的に不利なんです」
「あなたは、私の依頼人だから、あなたの意思は尊重します」
「戦術なんて、どうだっていいんだ!」

「戦術なんて、どうだっていいんだ!!信じるのか、信じないのか、聞いているんだ!」

長い「間」ができる。

頷く重盛。

「分りました」
「分ってくれましたか」
「いいんですね、本当に?」
「はい」

重盛は、自分の娘に対する負い目や、「生まれてこない方がよかった人間が、世の中にいる」などという人生観において、軌を一にする三隅に「同化」(ラストシーンで、二人の顔がオーバーラップするカットのうちに象徴化されている)してしまっている。

万引きを常習化し、父の気を引こうとする重盛の娘

この二人が咲江の心情に「取り込み」、母親と別離し、恐らく、北海道の大学受験を目指す高校生の少女を守ろうとする意志を、無言のうちに、「境界突破」することで共有したのである。

かくて、この「ブラック・スワン理論」の如く、予測不能な情報を突き付けられた法律事務所は荒れ狂っていた。

「こんな父親は殺されて当然なんだよ!!」

「こんな父親は殺されて当然なんだよ!!」

重盛は三隅に、ここまで「同化」してしまったのである。

「あの検事の言う通りだな。お前みたいな弁護士が、犯罪者が罪と向き合うのを妨げるんだよ」

摂津の厳しい誹議(ひぎ)を受けた重盛の叫喚(きょうかん)が、「被告人を弁護する」仕事に挺身(ていしん)する事務所の狭いスポットを瞬時に占有する。

法律事務所のくすんだ空気が、弥増(いやま)すばかりだった。

横浜地裁。

証人尋問が行われる日である。

弁護団を待つ咲江に、重盛は、三隅が犯罪を否認している事実を告げた。

それでも、法廷で真実を話すと言う咲江。

「話させてください、本当のことを」
「自分の正義感を満足させるためなのか」

重盛のシビアな言辞が咲江を突いていく。

「違います」
「救いたいんだね、三隅さんを」
「はい」
「だったら、そのことを、一番に考えるのが正しいことなんじゃないか」

この重盛の一言が、咲江を説得する。

咲江を説得する重盛

重盛は、三隅との「約束」を具現するのだ。

「メディアの好奇心に晒される法廷で、咲江インセストの証言をさせてはならない」

これは、重盛と三隅との絶対的な黙契(もっけい)だった。

少なくとも、重盛は信じていた。

【この重盛の感情投入の過剰さは、ラストシーンで明かされる】

この時、咲江の中枢に侵入してきた、「三隅さんを救う」という言語の重さが、まるで言霊(ことだま)のような霊力が高まっていて、それが少女の情性を動かしたのだろう。

重盛の発信力は、三隅との接見の会話の「間」で形成された、鮮烈なノンバーバルコミュニケーションの能力を具備していたのである。

ノンバーバルコミュニケーション

法廷での証人尋問が開かれた。

結局、法廷の場で、咲江はインセストの証言を回避した。

インセストの証言を回避した咲江

そして、三隅への被告人質問。

興奮状態で制止を振り切り、犯行の否認を主張する三隅。

「私は殺してません!」

怒号のようだった。

否認する三隅

同時に、「犯人性」を争わないことで合意していた検察当局と弁護側の立場が崩れたことで、立場を異にする者の情動系の言語が衝突し、せめぎ合う。

裁判長が休廷を決め、弁護側と検事サイドの調停を開くに至る。

弁護側と検事サイドの調停(中央が裁判長)

摂津の意見を無視し、重盛は犯人性を争うことを主張する。

三隅の死刑判決を決めていた重盛には、もう、迷いがない。

一切は、咲江を守るためだった。

「正義」に拘泥する若き篠原検事の、弁護側への反駁(はんばく)は、後方に控える上役の小声での指示で、呆気なく崩れ去る。

三隅の死刑判決が「約束」されていたからである。

「その方が訴訟経済にかないますしね」

双方の調停を軟着させた裁判長の、如何にも官僚的言辞である。(因みに、「訴訟経済」とは、訴訟経費の負担の節約のこと)

「その方が訴訟経済にかないますしね」

以下、この調停後での、日本の司法の本質を衝いた摂津の言葉。

「今更やり直したって、結論変わらないよって、裁判長がサイン出したからさ。仕方ないよ、裁判官だってスケジュール通り、数こなさないと評価に響くわけだし、立場違うけど、皆、同じ司法って船に乗っているわけだから」

川島との会話の中で、沈黙を守る重盛。

沈黙を守る重盛

誰もが判決の結果を知る、法廷での空気の沈んだ色調が濁っていた。

そして、審理が終了(結審)し、判決公判の日。

「約束」通り、死刑判決が下された。

三隅は重盛の手を固く握り、感謝の意を告げる。

咲江の前を、三隅は素知らぬ顔で通り過ぎていく。

死刑判決が下される三隅
握手する三隅と重盛
咲江の前を素知らぬ顔で通り過ぎていく三隅
裁判に負けて咲江に謝罪する重盛

その咲江に謝罪する重盛。

「あの人の言った通りでした。ここでは、誰も本当のことを話さない」
「誰も?」
「誰を裁くか、誰が決めるんですか?」

「あの人の言った通りでした。ここでは、誰も本当のことを話さない」
裁判所を出る重盛

【我が国の司法の矛盾を衝く言葉だが、「裁くとは何か」という問いかけと解釈すればいいのだろうが、メッセージ性は決して声高になっていない】

ラストシーン。

最後の接見である。

重要なシーンなので、二人の会話の大半を再現してみる。

桜の開花の話題から、口火を切ったのは重盛。

「あなたが犯行を否認した理由を、ずっと考えていました。殺害を否認すれば、咲江さんに辛い証言をさせずに済む。そう考えて、わざと否認を」
「殺害を否認すれば、咲江さんに辛い証言をさせずに済む。そう考えて、わざと否認を」

「重盛さん。それは僕への質問ですか?」
「質問になってないか」
「私からも一つ、質問していいですか?あなたはそう考えたから、私の否認に乗ったんですか?」
「ええ。違うのかな?」
「でも、いい話ですね。私はずっと、生まれてこなければよかったと思ってました」
「なぜですか?」
「私は傷つけるんです」

「私は傷つけるんです。いるだけで…周りの人を。もし今、重盛さんの話したことが本当なら、こんな私でも、誰かの役に立つことができる」
「それが…たとえ、人殺しでも?」
「もし、本当ならですけどね」
「それは…つまり、僕が思いたいだけってことですか?」
「ダメですよ、重盛さん。僕みたいな人殺しに、そんなこと期待しても」
「あなたは、ただの器?」
「何ですか、器って?」

三隅が残した最後の言葉である。

ここで、オーバーラップしていた二人の顔が離れていく。

三隅の残響が微弱になっていく
重盛の内側に巣食っていた三隅の残響が微弱になっていくのだ。

印象深いラストカット。

十字路の交差点の中枢に立つ重盛。

まるで迷路に呑み込まれたように、四辻の中枢に立ち尽くす男は、自らが投入してきた刑事事件の、途轍もなく冥闇(めいあん)の世界になお呪縛され、人生観に皹(ひび)が入り、免疫系が半壊し、指針を持ち得ず、方向性を失った者の脆薄(ぜいはく)さを露呈しているのだ。





3  確信犯的に断罪する男 ―― その男への同化から解き放たれた時、全てが終わる





重盛と川島の「留萌行」
留萌市
留萌行きの列車

ここで、三隅の事件のルーツを探ることが目的の、重盛らの留萌行について言及したい。

留萌行の本来的な目的は、三隅を逮捕した元刑事に会いに行き、事件を起こした三隅の動機を知ることだった。

事件当時、裁判長だった父に宛てた三隅の礼状を、車内で読む重盛
三隅の礼状を読み、夢を見る重盛/左から三隅、三隅の娘、重盛
娘と雪合戦をして、愉悦する三隅(重盛の夢)
留萌駅
三隅の娘(重盛の夢)

元刑事は、重盛の問いに対し、こう語ったのだ。

「怨恨ということになっているけど、正直、よく分らんのさ。取り調べの間も、コロコロ言うことが変わって。炭鉱なくなってから、この辺りは失業者が溢れて、そういう連中に、ヤクザが高利で金貸して、皆、ひどい目に遭っていたから。まあ、怨恨の方が死刑を回避できると考えたんじゃない、弁護士が」
「個人的な恨みがあったわけじゃないんですか?」
「高司(たかし・三隅の名前)自身の恨みとか、憎しみとか、なかったです。それが逆に不気味というか。何だか、空っぽの器のような」

三隅を逮捕した元刑事

元刑事のこの感懐は、三隅を理解する上で決定的に重要な指摘である。

一体、三隅との最後の接見で、重盛が思わず口に出した、「ただの器」=「空っぽの器」とは何を指すのか。

「何だか、空っぽの器のような」と語る元刑事

一貫して、他者から殺人の動機が不明瞭で、掴みどころがなく、空洞のようにしか見えない三隅の人格性。

そういう意味ではないのか。

だからと言って、三隅に動機がないわけではない。

本人が自覚していないのか、それとも隠し込んでいるのか。

それが、外部世界から視界不良の状態になっているだけなのだ。

動機なき殺人を犯した「凶暴犯」。

このラベリングが、三隅という男の底気味悪さを印象づけている。

思うに、接見の中で、三隅自身が、人間が選別される理不尽さに怒りを噴き上げるシーンが鮮烈だった。

その時、三隅は叫びを刻んだ。

「父親も母親も、妻も、何の落ち度もないのに、不幸になって死にました。なのに私は今、こうして生きている。彼らの意思とは関係のないところで、命は選別されているんですよ。理不尽に!」

このことは、「魔物」を印象づける三隅という男が、人間の心を持つ人格的統一性を保持している現象を検証し得る。

従って、「器」とは、この男の人格性それ自身であると言っていい。

この人格性の炸裂の初発点が、留萌の事件だった。

「人間が選別される理不尽さ」に怒りを噴き上げたのである。

炭鉱の閉鎖後、溢れた失業者が高利貸しに苦しめられていた現実の只中で起こした、弾幕のような断罪。

イメージ画像 現存する羽幌炭鉱(はぼろたんこう)築別坑のホッパー棟/留萌炭田の中心的炭鉱(ウィキ)
イメージ画像 現存する羽幌炭鉱羽幌本坑の立坑櫓(ウィキ)

そう考える方が、私には腑に落ちる。

「殺す奴と殺さない奴との間には、深い溝があるんだ。それを超えられるかどうか、生まれた時に決まってる。そう簡単に人間が変われるなんて考える方が、よっぽど傲慢だよ」

当時、事件の裁判長だった重盛の父

当時、留萌の事件の裁判長だった重盛の父の言葉だが、「生まれた時に決まってる」とう言辞は、生来的な養育環境の問題を加えつつ、「犯罪遺伝子」の発見が具現すれば説得力があるだろう。

また、「殺す奴と殺さない奴との間には、深い溝があ」り、「そう簡単に人間が変われるなんて考える方が、よっぽど傲慢だよ」という重盛の父の指摘に、私もまた、首肯(しゅこう)せざるを得ない。

「そう簡単に人間が変われるなんて考える方が、よっぽど傲慢だよ」

その意味で言えば、これまでの推論を考える限り、少なくとも、この30年間、三隅は全く変わっていないのだ。

従って、食品加工の会社社長の殺人事件という「二度目の殺人」の背景にあるのは、明らかに、実父による性暴力の被害者になった中学生(当時)の咲江を、精神的・身体的に破壊した男への断罪だった。

跛行(はこう)する咲江
跛行する咲江
母に対する咲江の思いには加罰意識が拭えない感情がある

合意の有無を問わず、インセストは「監護者性交王罪」という由々しき犯罪なのだ。

インセストは「監護者性交王罪」という由々しき犯罪である 
「監護者性交王罪」の破壊力を無視してはならない 

インセストでPTSDに罹患している少女と親しくなり、「癒し」の時間を共有した少女に寄り添い、笑みを復元させた男 ―― それが三隅高司という「魔物」の人格像の一面である。

少女に寄り添い、笑みを復元させた三隅と咲江のツーショットの写真

何の落ち度もない少女が被弾した理不尽さ。

その少女を、なお「家庭」での共存を強いられる地獄から解き放たねばならない。

PTSDに罹患している少女の煩悶

だから、断罪した。

掴みどころがなく、空洞のようにしか見えない三隅だが、間違いなく、この男は明瞭な動機をもって行動に振れているのである。

ただ、その行動が、殺人という特定他者の破壊にまで及んでいるところが、この男の「アンタッチャブル性」の危うさの極北の相貌性そのものだった。

確信犯的に断罪する男
「アンタッチャブル性」を有する男

三隅は確信犯的に断罪する男なのだ。

そんな「アンタッチャブル性」を有する男に最近接した重盛は、一時(いっとき)同化したが、全てが終焉した時点で、男から煙に巻かれて、ラストで弾かれてしまう。

重盛もまた、三隅の人格像を、掴みどころがなく、空洞のようにしか見えない「空っぽの器」としか把握できなかった。

三隅がなぜ、死刑になると分っていて殺害を否認したのか。

殺害を否認した三隅の奥に潜む心理を、重盛には理解できないのだ。

咲江に辛い証言をさせずに済むから、殺害を否認したことを「いい話ですね」と言って否定した三隅の心理 ―― それは、殺害の否認によって咲江の証言を防いだ事実が重盛のみならず、この世の誰にも知られることを怖れたからに他ならない。

自らの死刑と引き換えに、咲江の証言を防いだこと。

これが咲江に知られたら、その生涯において咲江を苦しめることになる。

その片鱗すら察知されないために、三隅は怒号してまで殺害の否認を喚き散らしたのである。


誰にも本心を吐露することなく、三隅は「13階段」を上っていくだろう。

三隅の奥に潜む心理を理解できず、四辻の中枢に立ち尽くし、方向性を失った重盛の脆薄(ぜいはく)さ。

手品のように、人間は簡単に変わらないのだ。

同時に、そのことは、この映画が、私たちが特定他者の人間性を一面的にしか説明できないように、一つの人格の複合性を描いた作品であったことと全く矛盾しない。

人間の心理の複雑な鞘当(さやあ)てを集中的に描いた、接見の情景が物語を突き動かし、〈状況〉を作り出す。

作り出された〈状況〉が接見の情景を加熱し、神経を尖らせ、緊張感を高め、観る者の心を宙吊りにする。

紛れもなく、破綻のない心理サスペンスの秀作である。


拘置所内から取りに餌を与えようとする三隅

(2020年3月)

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