
1 「広大な庭ね。言葉がないわ」「すべて私の設計よ。植栽や何もかも。温室や奥にあるあずまや(東屋)も」
第二次大戦下のポーランド南部・オシフェンテム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)郊外。
ルドルフ・ヘスはアウシュヴィッツ収容所の所長として、収容所に隣接する邸宅に妻・ヘートヴィヒと5人の子供たち、更に数人の使用人たちと共に優雅に暮らしていた。
ヘス邸からアウシュヴィッツ強制収容所への入り口 |
一家で川(ソラ川のこと)の畔のピクニックを楽しんだ後、帰宅して夜になり、寝室のベッドに入ったヘス夫妻の耳に、収容所内から発する声や音が微かに聞こえてくる。
ルドルフ・ヘス |
邸宅の壁に隔たれた収容所内の、SSの怒号や銃声、ユダヤ人の阿鼻叫喚、ユダヤ人の移送列車の走行音、様々な機械音などは、邸宅の暮らしの背景音として常にあるが、塀のこちら側の住人にとっては、単なる雑音としてやり過ごしていた。
ヘートヴィヒは広い庭に美しい花々を植え、地元ポーランド人に食料を運ばせ、収容所のユダヤ人犠牲者から奪った贅沢品を受け取り、下着を住み込みの使用人たちに分け与え、高級な毛皮は我が物にするという、自身にとって理想の生活を築き上げていた。
ヘートヴィヒ |
邸に物資を運ぶ地元のポーランド人 |
使用人(左から二人目がマルタ) |
同じドイツ人の夫人たちとお茶をしながら、“カナダ”(注)からもたらされた服に纏(まつ)わるエピソードなどを語り合って楽しむヘートヴィヒ。
(注)「カナダ」は豊かな国という意味の象徴だったため、アウシュヴィッツの片付け部隊は「カナダ」と呼ばれていた。「カナダ」は他の絶滅収容所での強制労働とは違って楽で、命を落とす心配が少なかったために非常に人気の職場であり、カポ(強制収容所でナチスに協力的なユダヤ人)や親衛隊(SS/ナチスの直属軍事組織)に気に入られないと「カナダ」で働くことはできなかった。アウシュヴッツで生き延びた人の殆どが「カナダ」からの物資に助けられていた。/「アウシュヴッツの『カナダ』で働いていた女性1116人が選別されてから77年」より
一方、ルドルフは邸宅内の執務室で、技術者から虐殺の対象となる大量のユダヤ人の焼却炉建設についての説明を受け、熱心に聞き入っていた。
「反対側は第2焼却炉で、次の“荷”を焼くべく待機しており、第1焼却炉の荷が焼けたら、こちらが稼働します」
「所要時間は?」
「7時間。一度に400~500…荷が灰になったら、第1焼却炉の煙突を閉じて、同時に第2を開きます。火は風の流れに沿って、バッフル(遮蔽板)を通り抜け、第2焼却炉へ移り、待機中の荷を焼く。燃焼が始まると第2焼却炉の温度は、約1000度にまで達しますが、第1焼却炉のほうは約40度に下がります。問題なく灰を搬出でき、その後、次の荷を入れられます」
ルドルフ・ヘス |
部下や家族から誕生日を祝ってもらったルドルフは、夜になり、庭でタバコを吸い、焼却炉から煙が立ち上る収容所を眺めている。
片や、消灯した子供部屋の二段ベッドで、長男のクラウスは懐中電灯でユダヤ人の歯を照らして眺め入っている。
ルドルフは家に戻って戸締りをして電気を消していくと、眠れないインゲブリギット・ヘス(インゲ)が廊下で座っているので、子供部屋で添い寝をして、「ヘンゼルとグレーテル」を読み上げていく。
ルドルフとインゲ |
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子供部屋で。左は長女 |
真夜中に、ユダヤ人たちが使役させられる土木作業の現場に盛られた土に、一つ一つリンゴを埋めていく少女がいた。
誕生日にプレゼントされたカヤックに次女のインゲと次男のハンスを乗せ、川を下るルドルフ。
子供たちが川で遊び、ルドルフは川の中ほどで釣りをしていると、川上から焼却炉の灰が大量に流れてきた。
足に触れた焼き残りの骨を手にしたルドルフは、慌てて川から上がり、子供たちを川から避難させ、大雨の中、その子供たちを乗せたカヤックを曳いて自宅に戻る。
帰宅した子供たちをヘートヴィヒと使用人が風呂に入れ体を洗う。
浴槽の底に残った人間の灰を見つめる使用人のマルタ。
マルタ |
ヘートヴィヒはヘス邸にやって来た母親に、セントラルヒーティングが整った家の中の案内をする。
「冬は猛烈に寒くて。信じられないくらいの寒さよ」
「…なんて、きれいな部屋…しあわせそう」
ヘートヴィヒと母 |
テーブルに並べられた豪勢な料理を摘みながら、母親は「すごいわ。豊かね」と感嘆する。
一方、執務室のルドルフは、「件名、“兵舎横 ライラックの茂み”…今後、SS隊員がライラックを切る際には、軽率な方法を用いたり、乱暴なやり方で枝を傷つけた者は処罰される」と、電話で部下に指示を出している。
「この地域全体のために理解して欲しい。あのライラックは、現在及び将来にわたり、収容所全体を飾るものなのだ」
母親は、今度は収容所と壁で隣接する美しい庭を案内された。
「広大な庭ね。言葉がないわ」
「すべて私の設計よ。植栽や何もかも。温室や奥にあるあずまや(東屋)も」
「プール?滑り台付き?」
「気に入った?」
「もちろん。当然でしょ」
「3年前、ここは野原だった」
「収容所の壁?」
「ええ。そうよ。壁を覆うために、つる性の植物を植えてあるの」
「エステルが中に…」
「誰だっけ?」
「以前、私が掃除してた家の人よ。読書会をやってた。何を企んでいたのか。革命思想やユダヤ思想ね。彼女の家財が売られ、カーテンが欲しかったけど、向かいの人に奪われた。気に入ってたのに…」
多くの花や野菜が植えられた庭を巡りながら、母親は「まるで楽園ね」とここでも感嘆する。
「ルドルフは元気?」
「ええ、元気よ。働きづめで、家でも仕事してる。ルディ(ルドルフ)の本望よ…大変なプレッシャーを受けてるわ」
「あなたは大丈夫?」
「…ルディが私を、“アウシュヴィッツの女王”と」
二人は大いに笑い合う。
「…あなたは本当に運がいいわ」
「…花の季節は甘い香りだったのよ」
壁の向こうから微かに銃声が聞こえ、続いて、美しい花々の背景音として犬が吠える声と人々の叫び声がする。
ヘス邸でパーティーが開かれ、やって来た多くの子供たちが庭のプールで遊んでいる。
デッキチェアに座って、子供たちの楽しむ様子を見ているヘートヴィヒに、ルドルフが唐突に転属の話をする。
「よそへ行くことになった」
「何のこと?」
「ここを去る。転属が決まった」
「何ですって?」
「転属になった」
「どこへ?」
「オラニエンブルク(注)だ…私は副監察官に昇進だ」
(注)ナチス・ドイツがオラニエンブルク(ドイツ)に設置した強制収容所のこと。
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1933年8月、オラニエンブルク強制収容所に収容された社民党の国会議員ら(ウィキ) |
動揺するヘートヴィヒは、ハンスが置き忘れたサンダルを取りに、去って行くルドルフを追い駆けながら逆上する。
「ルドルフ!私に背を向けないで!」
「落ち着け、パーティーに戻れ」
「こんなの、あんまりよ!」
濡れた床を見て、マルタの腕を掴んで、「贅沢させてるのに」と怒りの捌(は)け口をぶつけるヘートヴィヒ。
ヘートヴィヒは、収容所脇の道路を歩いて川へ向かい、桟橋に佇むルドルフに近寄った。
「転属の理由は何?」
「組織の変更だ…政治的な問題だ」
「ヒトラーに」
「バカな」
「彼の命令を実行しているのは、あなたなんだから」
「現実を受け入れ、ここを離れよう」
「イヤよ。一人で行けばいい…私はここに残って子供たちを育てる」
「まさか君が来ないなんて、思いもしなかった」
「行けというなら、私を引きずって連れていくしかないわ…あれが私たちの家よ、ルドルフ。夢に見た暮らしだわ。17歳の頃からの夢。それ以上よ。やっと都会を離れ、望む物はすべて目の前に。子供たちは強く、健康で幸せよ。総統が言うとおりの生き方。“東方生存圏”。私たちには、ここよ…あなたも同じ考えのはず」
ルドルフは無反応のまま、ヘートヴィヒの言い分を聞いていた。
「話は分かった。頼んでみる」
「働き通しになるわね」
「そうだな」
「会えなくなる」
「まあな」
ヘートヴィヒは寂しいと泣き出す。
「私たち、離れていても、いつも一緒にいる」
ハンスのサンダルを手にしたルドルフとヘートヴィヒは帰途につく。
「戦争が終わったら、農業をやりましょう。夢だったもの」
庭のデッキチェアで昼寝をしていた母親が咽(む)せ返って起き上がると、収容所からのいつもの銃声音や叫び声が聞こえ、焼却炉から立ち上る煙が空を覆っていた。
夕食の席で、ルドルフは家族に転属についての話をする。
夜、寝室の窓の外が赤々と燃え、不穏な音が聞こえて寝付けない母親は、カーテンから外の様子を覗き、燃え盛る炎を見て不安に駆られるのだ。
それは自分の居場所への居心地の悪さだった。
2 「夫が、あなたを灰にして、辺り一面にまき散らすから」
その頃、ルドルフは愛馬との別れを惜しんでいた。
「お前もつらいよな…大好きだよ」
執務室に戻り、電話で精力的に指示を出す。
「“件名:新しい火葬場…環状焼却炉こそ、絶対的な答えです。何という効率。見事です…アウシュヴィッツを離れるのはつらい。ですが、よりよい立場となり、資金や資材を調達できるようになると信じています。ヒトラー万歳”」
途中、執務室に娼婦が入って来て、事を済ませたルドルフが部屋に戻ると、またインゲが眠れずにいたので、『ヘンデルとグレーテル』の童話を読み聞かせた。
そして、その真夜中に、再び作業場に来た少女が、袋に背負ったジャガイモを移送列車が通る音に紛れて、押し車にジャガイモを放り込む。
移送列車の煙が広がっている |
更に、ジャガイモをばら撒いていると、シャベルの横に置かれた缶を見つけて手に取り、自転車に乗って急ぎヘス邸に戻り、使用人のアニエラが迎えた。
ここで明かされるのは、ユダヤ人を支援した少女とは使用人のマルタだったということ。
そのマルタは、折りたたまれた紙に刻まれた「ヨセフ・ウルフの詩 1943年執筆 アウシュヴィッツ第3収容所にて」の譜面をピアノで奏でた。
“太陽の光 輝かしく 暖かい 人間の肉体 若者 老人 そして 我々 ここに収容されても 我らの心は まだ冷たくはない 魂は燃え盛る 灼熱の太陽のごとく 引き裂かれ 砕かれ 苦しみを超え じきに見るだろう 高く翻る旗を 自由の旗よ。やがて来(きた)る”
マルタ |
突然、ヘートヴィヒの母親は、何も告げず、誰も知らぬ間にヘス邸を後にした。
朝食に来ない母親を捜すヘートヴィヒは、机の上の置手紙を見つけ、それを読むや矢庭に竈(かまど)に捨てた。
朝食を下げるようにアニエラに言いつけ、「嫌がらせで置いたの?」とフラストレーションをぶつける。
「夫が、あなたを灰にして、辺り一面にまき散らすから」
アニエラ |
ハンスが一人でサイコロ遊びをしている部屋に、収容所内の怒号と叫び声と銃声がはっきり聞こえてくる。
「おい、お前!」
「看守!」
「連れてこい!」
「何をした?」
「リンゴの奪い合いです」
「川に沈めろ!来い!」
しばらく遊びを続けていたハンスは、窓のカーテンを開けて外の様子を一瞥(いちべつ)するやすぐに閉め、「二度とやるなよ」と呟く。
各収容所の所長が集まる会議に出席するルドルフ。
ポール親衛隊大将(注)が会議の趣旨を説明する。
「総統はハンガリー政府と移送で合意。よって、絶滅と軍需産業のため、ハンガリーのユダヤ人70万の移送を直ちに開始する。彼らはアウシュヴィッツへ送る。日に4列車、各3000人。1日1万2000人…ユダヤ人の移送には、カシャウ=ムシナ線を使う。ヘス親衛隊中佐の概算では、25%が選抜後の労働力となり、そのうち20%はアウシュヴィッツで利用し、残り80%はいずれ諸君の収容所へ送られる。規模は今までの数倍となる。覚悟しておけ」
ポール親衛隊大将 |
(注)SSの経済部門の責任者であり、強制収容所の運営の責任を任されたオズヴァルト・ポールのこと。米軍が設置したニュルンベルク継続裁判で死刑を宣告され、のちに刑死した。
続いて、ルドルフが議事を進行していく。
「…ハンガリー作戦は緊急かつ複雑で、あらゆるレベルにおいて難しい課題が伴う。資料の最初のページを。5つの見出しがある。項目1、スケジュール。項目2、建設資金の再分配。項目3、移送。項目4、囚人労働はシュタイア・ダイムラー・プフ社(オーストリアを拠点とする軍需産業企業)のマインドル博士が、本日ご同席なさり、詳しく説明して下さる。項目5、防火と防空対策」
冬になり、ルドルフは上官の命令で、後任のリーベヘンシェル(注)が力不足ということで、再びアウシュヴィッツへ転属することを言い渡され、アイヒマンから命令を受けるよう指示された。
(注)リーベヘンシェルは、ヘスの後任としてアウシュヴィッツ強制収容所長を任されたが、「囚人の抵抗に寛容的すぎる」との理由で解任され、ポーランド郊外にある絶滅収容所の役割を兼務するマイダネク強制収容所の所長に転任する。戦後、ポーランドが開いたアウシュヴィッツ裁判で死刑判決を受け、処刑されるに至る。
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リーベヘンシェル(ウィキ) |
その直後、胃腸の調子が悪いルドルフは医者に受信した後、ヘートヴィヒに電話をかけた。
「いい知らせだ…“ハンガリー”だよ。ヒムラ―の命令に従う。ついに実行だ。戻るよ」
「よかった。安心したわ」
「私もとても満足だ…歯車が回りだした」
パーティーの後、ルドルフは再びヘートヴィヒに電話をかける。
「ヒムラ―が“ヘス作戦”と」
「本当によかったわね」
「ありがとう。君の名字でもある…全員を毒ガスで殺す方法を考えてた。天井が高いから、理論的に難しい」
「私、夜中なのに起きてる。もう寝なくちゃ」
「遅くに悪かった。“ヘス作戦”を伝えたくて」
「戻ったら、ゆっくり話して」
建物の階段を降りる踊り場で、突然、嘔吐するルドルフ。
また階段を降りたところで、嘔吐しそうになり立ち止まり、後ろを振り返る。
振り返った視線の先のドアが開けられ、現在のアウシュヴィッツの展示施設にスタッフが入って来て、掃除を始めるのだった。
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ガス室の入り口 |
ガス室 |
ここでガス室、焼却炉、殺害されたユダヤ人たちが遺した大量の靴など所持品や囚人服、遺影などの展示が同時に映し出される。
視線を外し、再び階段を降りるルドルフの姿が、暗い闇の中に消え、靴音だけが響くのだ。
ラスト。
闇の中から、アウシュヴィッツで殺害された者たちの叫換にも似たグロテスクな音響が流れ続けるのである。
3 無関心という悪
戦争には、「見える残酷」と「見えない残酷」というものがある。
私の造語である。
それは危害を加えた者と、危害を加えられた者との距離の概念である。
その距離は物理的な落差であると同時に、心理的な落差でもある。
その二つの言葉が、共に内包する苛酷さを集中的に曝け出したのは第二次世界大戦だった。
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第二次世界大戦/ヴィスワ川を渡るドイツ軍を閲兵するヒトラー(ポーランド侵攻・1939年9月/ウイキ)
それまで人類は、見たくないものを記憶の底に張り付けて、その張り付けたものに困惑し、しばしば煩悶する特有の能力によって、それでも、そこに向かわざるを得ない戦争を限りなく合理的に処理し、正当化していく作業に自ずと熱心になることで、「良心」という形で表象化された自我にそれなりの折り合いを付けてきた。
地上戦や白兵戦等で人を傷つけ、殺(あや)めるたびに、それを正当化する思想を作り出す作業にどれほどの労力を使い果たしてきたことか。
技術革新と塹壕戦による戦線の膠着を生んだ第一次世界大戦以降、どれほどの兵士がシェルショック(戦争神経症)に襲われ、良心を砕かれてきたか。
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シェルショック |
考えてみれば、私たちは、実に途方もない、厖大なる精神的エネルギーの蕩尽の歴史を刻んできたものである。
それにも拘らず、私たちは永い間、「見える残酷」を克服できないでいた。
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「見える残酷」・ブーヘンヴァルト強制収容所(ウイキ) |
そこには、それによって得られる憎悪・怨念の解消という心理的ファクターも内包していただろうが、それ以上に、「見える残酷」を克服する技術を手に入れられなかったという、言わば、物理学的な範疇の問題であったと言える。
第二次世界大戦は、その問題を克服した歴史的な戦争であった。
それは、交戦の相手国に対する無差別爆撃が本格的に展開された戦争であり、それこそ、「見えない残酷」の凄惨な歴史を決定的に開いた戦争だった。
それらは、中国に対する日本の重慶爆撃であり、ドイツのスペイン共和主義者に対するゲルニカ爆撃、更に、たった二日間で6万人の犠牲者が出したことで「ドイツのヒロシマ」と称される、ドイツ対する英米のドレスデン爆撃である。
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「見えない残酷」・空襲により破壊されたドレスデンの街並み(ウイキ) |
そして何より、10万人以上の死者を出した東京大空襲である。
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「見えない残酷」・焦土と化した東京(ウイキ) |
その極めつけは、広島、長崎に対する原爆投下だったというわけだ。
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「見えない残酷」・1945年8月6日、広島の原爆投下直後、上空に上がるキノコ雲 |
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「見えない残酷」・米軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネルが撮った「焼き場に立つ少年」(長崎) |
とりわけ原爆使用は、「見えない残酷」の、これ以上ない極北の大量殺戮以外の何ものでもなかった。
思うに、このことはホロコーストを強行したドイツが、その殺戮の手段で散々苦労したばかりか、眼前の地獄を見ることから逃げようとした、虐殺を指示した者の「人間的」な振舞い(注)と比較すれば、その自我が負った心的外傷の落差という一点に於いて、蓋(けだ)し瞭然とすると言えるだろう。
なぜなら、ホロコーストこそ「見える残酷」の極北だったからである。
(注)SSのトップだったヒムラーが、ユダヤ人殺害現場を見ると卒倒しそうになったという逸話は周知の事実である。
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ハインリヒ・ヒムラー(ウイキ) |
要するに、第二次世界大戦は、「見える残酷」と「見えない残酷」の双方の極限的形態を露わにした歴史的な戦争であった。
「見える残酷」の苛酷さは、まさに加害対象が「見える」ことによって、これ以上ない残酷の様態を呈してしまうのである。
従って、「見えない残酷」の達成は、「残酷」の人類史にとって、その「残酷」を少しでも希薄にさせるという効果によって画期的だった。
「見えない残酷」の高レベルの達成によって、1万2000度もの光線を放ったエノラゲイの爆撃隊員は、その後も一貫して、自らの行為の正当性を主張する観念の内に潜り込むことが可能だったのである。
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広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の搭乗員ら。機長のティベッツ氏は後列右から3人目 |
たとえ以下の報告(注)のように、原爆投下時の生々しい記憶を自我に鏤刻(るこく)したとしても、多くの場合、それが「見えない残酷」の絶大なる効力によってホットスポットに向かって噴き上げていく暴れ方をすることなしに、ほぼ予定調和的な軟着点を確保しつつ、時間の闇の中に封印されていくに違いない。
そうでもしなければ、あまりに厄介な意識を自我が背負い込んでしまうからだ。
人間は何としてでも、行為と観念の整合性を果たして生きていく。
それだけのことである。
(注)「副機長だった故ロバート・ルイス大尉が、米紙・『ニューヨーク・タイムズ』の依頼で搭乗中に書いたメモには『1分間、これから何が起きるか、誰にもわからなかった。爆撃手らは、(目を保護する)サングラスをかけ忘れていた。次の瞬間、ぞっとする光景を目にした。(投下直後のキノコ雲を見ながら)後、百年生きたとしても、この数分間のことは忘れない』、『この瞬間、いったい何人が死んだんだろう』と記している」(02年3月26日付・『東京新聞夕刊』より)
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ロバート・ルイス大尉 |
二機の原爆機に搭乗していたクロード・R・イーザーリー少佐が、後に精神を病んだという報告がよく知られているが、あれだけのきのこ雲を目の当りにしたのだから、「ぞっとする光景」を見たという思いになるのは当然である。
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クロード・R・イーザーリー少佐 |
しかし、それだけのことだ。
そこにはもう何も残っていないのだから、地図の中の一つの都市を消してしまった感覚と全く均しいとは言わないが、しかし、リアルタイムでその「残酷」を視界に収めない限り、イーザーリー少佐の例を特段に強調する必要もなく、大抵、当該国家が作った、「正義の戦争」という大義に収斂させていくことで、爆撃手たちの自我の亀裂が忍び寄る戦慄など生まれようがないだろう。
「見えない残酷」の真の怖さが、そこにある。
「残酷」を見せた者と、それを見せられた者との落差は決定的なのだ。
―― さて、以上の「見えない残酷」ではなく、「見える残酷」の極北であるホロコーストを限りなく客観的に見せるこの映画。
「見える残酷」でありながら、鉄条網を張り巡らせた塀によって「残酷を見えにくくする」ことで、「残酷を見えなくする」方略に成就する。
この方略に誰よりも成就したのはヘートヴィヒだった。
「全員を毒ガスで殺す方法を考えてた。天井が高いから、理論的に難しい」
夫の転任に猛反発した妻ヘートヴィヒに、自らが毒ガスで手を下すことのないルドルフが吐露した言葉である。
ヘートヴィヒが塀の向こう側の世界で起きているマル秘情報を、夫婦で共有されていたことが分かる重要な言辞である。
塀の向こう側の世界で起きている「見える残酷」の実相を知りながら、ヘートヴィヒがその実相に対して無関心でいられたのは、「残酷を見えにくくする」バリアに守られて「残酷を見えなくする」ことが可能だったからである。
だから、塀のこちら側に居住するルドルフ邸の住人、とりわけヘートヴィヒの日常とは、SSの怒号や銃声、ユダヤ人の阿鼻叫喚、ユダヤ人の移送列車の走行音などを、単なる雑音としてやり過ごせていたが故に、3年間も要して野原を開墾し、丹念に手入れした庭園を彩る美しい花々を植え、“カナダ”経由でユダヤ人犠牲者から収奪した高級な毛皮などの贅沢品を身に纏(まと)うと言った、まさに至福の日々以外の何ものでしかなかった。
更に、収容所と邸宅を分ける壁を覆うためにつる性の植物を栽植し、物理的な遮蔽物を見えにくくする。
「広大な庭ね。言葉がないわ」
庭園を見たヘートヴィヒの母の第一声である。
ところが、ヘートヴィヒの母は塀の向こう側の世界から侵入する異臭や、囚人の暴動に起因する燃え盛る炎を目の当たりにして、早々にルドルフ邸を立ち去ってしまうのだ。
この行為は“アウシュヴィッツの女王”を憤慨させるが、今や丸ごと塀のこちら側の世界に馴致しているヘートヴィヒと、初めて訪ねた異様な環境に馴致する時間を与えない実母との落差は、「見える残酷」でありながら、つる性の植物を栽植して壁を覆って「見えにくい残酷」の様態をカモフラージュして、「残酷を見えなくする」工夫を凝らしても、異様な環境への馴致が困難であるというリアリティの埋め難い差異である。
存在するものを存在しないように見せる工夫には限度があるということだ。
この落差は、粗野な性格であっても、ヘートヴィヒの感覚が常識では測れない何かに取り憑かれている厄介な事態を示している。
「無関心という悪」という厄介な事態である。
ルドルフ邸という「箱庭の悪」がフル稼働する映像総体を支配し、恐怖に満ちた薄気味悪い音楽が観る者の中枢に喰い込んできて、どう転ぶにせよ、「見える残酷」を「残酷を見えなくする」には、「無関心という悪」に逃げ込む以外に手立てがないのである。
これが、当時のドイツ人の唯一の適応戦略だった。
そのことで、「加害者になる可能性」(ジョナサン・グレイザー監督)という恐怖を内深く押し込めていったのである。
「彼らは異常者ではなく、段階的に大量殺人者となった普通の人々であり、自分たちが直接手を下すのではなくその犯罪行為からは大きく隔たっていたために、自身を犯罪者とは思っていなかった。壁の向こうで起こっていることに対する彼らの無関心、世界の恐怖を切り離して無視することは、自身の贅沢と安定を保つためであり、そういった傾向は、わたしたち自身に共通するものでもあるわけです」
ジョナサン・グレイザー監督のインタビューでの言葉である。
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ジョナサン・グレイザー監督(中央) |
ここで、アウシュヴィッツから奇跡的に救出されたイタリア系ユダヤ人作家・化学者、プリーモ・レーヴィの古典的名著『これが人間か』(副題は「アウシュビッツは終わらない」)の中で、極限状態に捕捉された人間の魂の破滅的実相を執拗に綴っているが、以下の文面こそ、レーヴィが最も訴えたかった思いだったに違いない。
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プリーモ・レーヴィ(ウイキ) |
「情報を得る可能性はいくつもあったのに、それでも大多数のドイツ人は知らなかった。それは知りたくなかったから、無知のままでいたいと望んだからだ。国家が行使してくるテロリズムは、確かに、抵抗不可能なほど強力な武器だ。だが全体的に見て、ドイツ国民がまったく抵抗を試みなかった、というのは事実だ。ヒトラーのドイツには特殊なたしなみが広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問されても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことじゃない、だから自分は共犯ではない、という幻想を作り上げたのだ。知り、知らせることは、ナチズムから距離をとる一つの方法だった。ドイツ国民は全体的に見て、そうしようとしなかった、この考え抜かれた意図的な怠慢こそ犯罪行為だ、と私は考える」
「無関心という悪」という最も厄介な事態に対するプリーモ・レーヴィの警鐘は、あまりに重い。
「考え抜かれた意図的な怠慢」 ーー これこそが、一切の責任をヒトラーに押し付けて自らの良心を守ろうとしたドイツ国民の自己防衛戦略であった。
以下、『これが人間か』の巻頭に書かれた詩を紹介する。
暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
夕方、家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。
これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平安を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
これが女か、考えてほしい
髪は刈られ、名はなく
思い出す力も失せ
目は虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷えきっているものが。
考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。
さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。
【ホロコースト生還者として著名なアメリカのユダヤ人作家で、ノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼルは、「愛の対義語は憎しみではなく無関心だ。人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない」という言葉を残している】
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エリ・ヴィーゼル |
ーー 本稿の最後に一言。
戦争における科学技術の歴史は今、火薬⇒核兵器⇒AI兵器という流れを可視化しつつある。
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AI兵器の登場 |
それは愈々(いよいよ)、「見えない残酷」の強化の度合いを顕在化することを意味する。
そのことは、当事者の加害意識を希薄にするだろう。
加害意識の希薄によって、戦争の当事者性が劣化していくのだ。
人間の意識を大きく変えていく事態の到来は、人間性の変容を招来させるのか。
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究極のAI兵器「LAWS」 |
この怖さに馴致してしまったら、その時、私たちは何者になってしまうのか。
その怖さを考える意味など、とうに無化されてしまうのだろうか。
【参照・引用】
人生論的映画評論「父と暮らせば」
(2025年2月)
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