



1 「うん。人とかに迷惑かけて、呆れられて、憎まれて、それでもめげずに突進する。吉川!」「はい」「まっしぐらに生きろ!」
「書けない。書かない。書きたくない」と愛子。
「くそー、頑固なバアサンだな」と吉川(きっかわ)。
「くそー、頑固なオッサンだな」
著名な作家・佐藤愛子の下調べをして、差し入れを手に、繰り返しエッセイの執筆を願い出て訪問する吉川(きっかわ)。
リモート勤務を命じられる吉川 |
部下の倉田から「何も喋らないでください。何もしないでください」と言われる吉川(きっかわ) |
帰宅したら離縁届が置いてあった |
そんな渦中で、佐藤愛子からエッセイの執筆の承諾を受け、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する吉川。
佐藤家の視線に届くようなベタな猿芝居が奏功したのである。
かくて、新聞を読むことで社会と繋がっていただけの養分不足の日常にあって、断筆していた愛子の逆転劇が拓かれていくのだ。
小説家の佐藤愛子 |
【「テレビばかり見ないで、たまには出かけたら」「面倒臭い。耳は聞こえないし、目は見えないし、足は痛いし、心臓も痛い」/娘で作家の杉山響子(左)】 |
【「大丈夫?」「大丈夫じゃない。頭も体ももうろくしちゃって、ああ死にたい」/孫で作家の杉山桃子(中央)】 |
「九十歳。何がめでたい」 |
それは社会風刺満載のエッセイによって世に問う、彼女自身の人生のレボリューションの発露だった。
「戦争体験者である私は空襲警報が鳴り響き、街は死んだように静まり返った恐ろしい静寂を知っている。街の音は、色々入り混じっているのがいい。うるさいくらいの方がいい。騒音は生活が平和で豊かで、活気が満ちていてこそ生まれることである」
「保育園新設反対 子供の声うるさい」という新聞記事を読んだ直後のエッセイの一節である。
エッジの効いた、とてもいいエッセイである。
書き終えた後、隔週契約のはずが毎週となって不満を零すが、書き終えた充足感の強さが愛子を動かしていく。
この一歩が駆動力(くどうりょく)と化し、見る見るうちに元気になっていくのだ。
「もっと便利に、もっと速く。もっと、もっと、もっと。もう、進歩はこの辺でいい」
目眩(めくるめ)くマルチスピード化する時代の趨勢(すうせい)に異を唱えるエッセイの一文を読みながら感嘆し、勇気づけられる「昭和人間」吉川の馬力も強化されていく。
シナジー効果(相乗効果)が発現されたのである。
愛子が出版した「九十歳。何がめでたい」が大ヒットして、メディアからインタビューの取材が目白押しの日々。
片や、妻に離縁届を突き付けられている吉川を囲繞する私的状況は、今やクローズド・サークル(出口なし)の空気に覆われている。
「何でもママに任せて。おばあちゃが死んだあと、お父さんの実家の整理、今まで一人で全部ママがやったんだよ。お父さんのせいで皆、前に進めないの。もう、ママのこと自由にさせて」
美優 |
娘の美優からここまで追い詰められて、選択の余地がない私的状況の只中で震えている男。
意を決して、美優のバレエを見に来た吉川。
以下、その隣に座る愛子との会話。
「そうね。いい爺さんなんてつまんないわよ。面白い爺さんになりなさいよ」
「面白い爺さんですか?」
「そう。暴れイノシシ」
「暴れイノシシ?」
「うん。人とかに迷惑かけて、呆れられて、憎まれて、それでもめげずに突進する。吉川!」
「はい」
「まっしぐらに生きろ!」
この言葉に勇気づけられた吉川は、美優のバレエが終わるや、一人立ち上がり、大きな拍手をするのだ。
妻の麻里子が夫を認知し、会って話をすることになった。
「もう一度チャンスを」という夫に対して、「あなたのこと嫌いなの」と返される。
瞬殺だった。
「離婚届に判を押した」と言って渡す吉川。
「九十歳。何がめでたい」という本を見せ、「愛子先生と出会えて良かった。背中押してもらえたの」と吐露する麻里子。
「そうだな」と答えて笑みを見せ、呆気なく降参し、最後だけは格好つける元夫。
「今までありがとう。俺なんか言うことじゃないけど、人生100年。輝いて生きてください」
「はい。あなたもね」
吉川を待つ愛子が「どうだった?」と聞かれ、「どうもこうもないですよ。まっしぐらに突進していったら砕け散りましたよ」
「一度男に見切りをつけた女がさ、戻って来るわけないじゃない。死んだわけじゃあるまいし、生きてりゃいいのよ」
愕然とする吉川の携帯に美優からのメールが入る。
「見にきてくれて、ありがとう」
これを見て、喜びのあまり、愛子に「先生。お昼を奢らせてください」と言って寄り添う吉川の携帯に、朗報が続く。
愛子が「旭日小綬章」(きょくじつしょうじゅしょう)を受賞したという報告だった。
2 「人間、のんびりしようなんて考えたらダメだってことが、九十歳過ぎてよーく分かりました」
メディアを囲んで沸き立つ受賞会見の場。
「『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになってます。先生のお気持ちは?」
この問いに対して、愛子の一人舞台が煌(きら)めき、空気を完全制覇していく。
「最後の小説を書き上げたあと、私の胸の中にあるものを総ざらいで出し切ったような気持ちで、もう書くものはないと思っていたし、そうすると私にできることは何にもないもんですから、まあ毎日のんびり過ごして、段々、うつ病みたいになってきたんですよ。そこに編集者さんがいらして、何度もお断りしたのに本当にしつこくて(笑)、でも書き始めたら元気が出てきて…でも私は書いている時、機嫌がいいんだなということが分かりました。それまではね、もう全て面倒臭かった。人と話すのも、出かけるのも、したいことも言いたいこともなくなって。年寄りが世の中で何か思ったところでしょうがないって。でも書くことで気づいたんです。日々の小さいことで怒ったり、笑ったり、こんちくしょうと暴れてみたり、世の中に反応すること自体が生きる力になっていたのね。つまり、その編集者さんに命を救われたってことかしら」
「でも私は書いている時、機嫌がいいんだなということが分かりました」
「世の中に反応すること自体が生きる力になっていたのね」
ここで吉川に小さく手を振り、吉川の涙腺が緩む。
回想シーンが流れたあと、受賞会見のスピーチが続く。
回想 |
回想 |
「人間、のんびりしようなんて考えたらダメだってことが、九十歳過ぎてよーく分かりました」
「じゃあ先生。百歳まで、生涯現役でお願いします」
「うん、そうね」と言って、吉川に向かって破顔大笑(はがんたいしょう)したあと、言い切って見せた。
「百歳、何がめでてえ!」
笑いあり涙ありという感情が交錯した吉川の表情を映し出したあと、最後に笑い飛ばした愛子の人生の再構築が、今、進行しているのだ。
3 「世の中に反応すること自体が生きる力」
「世の中に反応すること自体が生きる力」
愛子の言葉の中で、最も印象に残っている。
愛子の人生の再構築となっていくこの言葉こそ、映画のメッセージでもあるだろう。
老若男女問わず、人生の再構築となる生存戦略は、人それぞれだろうが、小説家である愛子の場合、エッセイを通して自分の思いを表現することだった。
その表現のコアにあるのは、「世の中に反応すること」。
メルロ゠ポンティ流で言えば、「世の中に反応すること」で〈私と世界〉を結びつけていく。
世界と繋がるのだ。
「世の中に反応すること」は、常に「問う」ことになる。
問い続けることは〈私の生〉の実存感度を高めていくのである。
熱量がそこに生まれる。
生まれた熱量が〈私と世界〉の関係濃度を高め、〈私の生〉の実存感度を、より深めていく。
「世の中に反応すること」によって、老いは衰退ではなく成熟の証(あかし)であると言えるのだ。
身体に複数の障害を持つ私にとっても、問い続けることなしに〈私の生〉の実存感度を高めることなどあり得ない。
問い続けるための「今、この時の時間」こそ、〈私の生〉の根幹を成している所以である。
―― 以下の画像は、「『死にたくない』とか、『死んだらいいところに行きたい』とか、『死んだらどうなるだろう』とか、そういうことを考えるより、わがままに生きる」と言い切って、ますます元気な作家・佐藤愛子さん。

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以上の画像は、「佐藤愛子100歳“ぼけていく私”「余計なことを考えないで生きていると、なかなか死にません」より
(2025年9月)
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