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2021年11月6日土曜日

依存症の地獄と、その再生を描き切った逸品 映画「凪待ち」の鋭利な切れ味 ('19) 白石和彌

 




1  陽光が削られた鉛色の空が、男の総体を覆い尽くしていた

 

 

 

川崎競輪場で大負けした挙句、印刷所を解雇され、宮城で再就職することになった男・木野本郁男(きのもといくお/以下、郁男)。 

競輪場に向かう郁男

大負けする郁男と、同僚の渡辺(左)

印刷所を解雇される


「約束できる?ギャンブル厳禁。一緒に向こうで暮らすんなら、お酒はほどほどにしてよ!」

 

パートナーの亜弓(あゆみ)からそう言われながら、引っ越しの支度をしている。 

郁男と亜弓(左)


そして、亜弓の娘・美波(みなみ)と共に、石巻へ車で向かうのだ。

 

「結婚しようって、言えばいいじゃん」と美波。


「言えないよ、こっちから」と郁男。

「何で?」

「仕事もしないで、毎日ぶらぶらしているだけのろくでなしだし」

「仲間だね。あたしもろくでなしだよ。学校行かないで、ゲームばっかしてる。けど、お母さんって、勝手だよね。いきなり、実家に帰れだの、定時制に行けだの。超ムカつくんだけど」

 

石巻の亜弓の実家で暮らすことになった郁男は、隣人の小野寺に紹介された印刷所で働き始めた。 

宮城県の港町・石巻


小野寺は末期癌の美波の父・勝美(かつみ)の世話をするなど、何かと面倒をみてくれる人のいい男である。 

小野寺


印刷所に勤め始めた郁男だったが、印刷所の従業員が通うノミ屋(賭博罪に抵触する違法投票所)について行き、早速、亜弓との約束を破ってしまう。 

石巻でノミ屋通いを始める郁男


地方テレビのレースに見入る郁男


籍が入っていない郁男を無視する偏屈な勝美は、亜弓の反対を押し切って、咳をしながら漁に出ていく。 



「あんとき、俺が傍にいたら、助けた」 

勝美

妻を津波で失った勝美は、今でもトラウマに苦しめられている。

 

「一緒に死んでたら、こげな苦しむこともなかった」 



漁師仲間に船を売って、引退した方がいいと言われる勝美。

 

「俺は死ぬまで、漁さ、出る。船は絶対に売らねえ。あの船と一緒にあの世さ、行く」 


勝美の意思は強固である。

 

一方、夜間学校に通い始めた美波は、小学校時代の同級生・翔太(しょうた)と出会い、友達となる。 


亜弓と美波と郁男の3人で、和気あいあいと会食をしている場に、突然、元夫の村上が割り込んで来た。 


「ひでぇ女だな。すっかりダマされた。何も知らないから、ずっと養育費払って来たけんど、この人と一緒に、5年も暮らしてるそうでねぇか」


「あんた、何なんすか?」と郁男。


「私の父親」と美波。

「DVの美波の父親」と亜弓。

 

翔太に映画に誘われた美波は、亜弓の反対を押し切って、家を出て行ってしまうのだ。 



相変わらず、ノミ屋に出入りしている郁男のもとに、亜弓から美波が帰って来ないと連絡が入る。

 

盛り場を探し回る亜弓は、印刷所の郁男のもとに行くと、同僚の発言から、郁男が賭け競輪をしていることを知ってしまう。 

郁男の賭け競輪を知る亜弓



友だちと一緒に遊んでいるんだろうと言う郁男に対して、亜弓は言い放つ。

 

「自分の子供じゃないから、そんな呑気なこと言えんのよ!」 



美波を甘やかす郁男に当たる亜弓に対して、「だったら一人で探せよ!」と怒鳴り、車から降ろしてしまうのである。 



自分でも美波を探しに行く郁男は、翔太と一緒にいるのを見つけ出す。 



郁男は亜弓に電話するように指示するが、美波が携帯をかけると、応答したのは警察だった。 

電話に出たのが警察であったと知って驚く美波

その様子を凝視する郁男


亜弓は何者かに殺害されていたのだ。

 

現場に駆けつけた二人は、激しい衝撃を受ける。 


葬式後、殺害現場に行く


亜弓の葬式が終わり、美波は自分を責め続けていた。

 

「お母さんに怒られて、ムカついて、心配させてやろうと思って…遅くまで遊び回って、ずっと電源切ってて、私のせいで…私が遊びになんか、出かけてなければ…メールだけでもしとけば、お母さん、あんなことには…」 


嗚咽を漏らしながら、郁男に語る亜弓。

 

それに対し、郁男は自分のせいだと言い、その悔いを吐露する。

 

「あんなことに母さんがなったのは、美波のせいじゃないんだ。あの夜、実は…亜弓と口論になって、車から降りろって、思い切り怒鳴った。俺が、あんなこと言わなかったら、亜弓は死ななくてよかった」 


この言葉を聞いた美波は、激しく反駁(はんばく)する。 


「じゃあ、苦しんでる私を見て、ずっと黙ってたってこと?最低!出てって!早く、出てって!」


拒絶された郁男は、部屋を出ていく。

 

職場に刑事がやって来て、郁男は事情聴取されることになる。 


川崎時代に、競輪三昧で亜弓との口論が絶えなかったと言う証言を持ち出し、頭ごなしに、犯人と決めつける刑事の物言いを、郁男は完全否定する。


漁に出る勝美/「美波は亜弓には懐かなくとも、あの男さ、すっかり気、許してるんだってなぁ」

「え?」(美波)「亜弓から、そう聞いてる」(勝美)


印刷所の社長にも、職員を誘い、ノミ屋通いすることを注意され、更に、職場の金をくすねていると疑われ、何もかも郁男の責任にされたことで、遂に切れてしまった。 

「あんたのせいで、あの二人も競輪にのめり込むようになったってな」(社長)

嘘話を聞かされ、これで切れてしまう


郁男の悪い噂を社長の告げ口している同僚に対し、郁男は怒りを炸裂させ、暴れ捲(まく)ってしまい、ここでも郁男は解雇されるに至る。 

「おい、お前だろ!あることないこと、競輪のこととか!」


壊した印刷機械の弁償を肩代わりすると言う小野寺の好意に対し、頭を下げる郁男。

 

「俺みたいな奴に、何でこんなに、優しくしてくれるですか?」

「だって、あんたは、死んだ亜弓ちゃんの大切な人だから」 



しかし郁男は、懲りない男である。

 

受け取った小野寺から当座の金を、ノミ屋の競輪で使い果たしたばかりか、ノミ屋の種銭(たねせん/ギャンブルの軍資金)にまで手を出してしまう。 



その種銭で賭けたレースにも負け、全てを失ってしまい、惨めな男・郁男の悪循環が止まらない。

 

亜弓の家に行き、歩みが好きだった島の写真集に挟まれたヘソクリの封筒から、自分の必要な分だけ金を抜き取ってしまうという事(こと)の次第に、観る者は悲哀すら覚えるだろう。 


誰も知り得ない亜弓のヘソクリを、全額盗まなかった辺りに、男の性格が読み取れる。

 

そこに、美波がやって来た。

 

美波は、自分は実父である村上のところへ行くと言い出したのである。 

「おじいちゃんが死んだら、お父さんの所に行くしかないんでしょ」(美波)


島の写真集に気づいた美波は、母・亜弓の思い出を回想する。

 

「この写真集、お母さん好きだったよね。行きたい島があるって、色々話してたな。どこだっけ?ジャマイカ?」 


この問いに、郁男は答えられない。

 

完全に忘れているのだ。

 

その写真集から紙幣の入った封筒を発見し、驚く美波。 


「お母さん、郁男とこの島に行くために、へそくりしていたって前に言ってた。この島だったんだ」 



帰ろうとする郁男に、美波は声をかけ、「これは郁男のものだよ」と言って、金を抜いたばかりの封筒を手渡すのである。


気まずそうに去って行く郁男。


「俺は、クソだ。大馬鹿者だ!」

 

その足でノミ屋に行き、競輪で使い果たすという負のサイクルに終わりは見えない。

 

ここでも種銭を要求するが、既に借金は200万円に膨らんでいて、その清算を迫られてしまう郁男の、懲りない男の懲りない行為に終わりが見えないのだ。  

「金はない」と言って、種銭を要求する郁男


その足で、亜弓の殺害現場にやって来た。

 

供えられた花の前で、一人で酒を飲む男の画(え)は、あまりに痛々しい。 



出口の見えない闇に閉じ込められた男を襲う、「依存症の罠」の破壊力。

 

陽光が削られた鉛色の空が、男の総体を覆い尽くしていた。

 

 

 

2  家族の新しい物語が、今、拓かれていく

 

 

 

郁男のもとに、勝美が訪ねて来た。

 

早朝、勝美の船に乗り、漁の手伝いをする男。 



港で、勝美は妻との馴れ初め(なれそめ)を吐露する。

 

気が短くて、前科者の勝美は、妻の両親に結婚を反対されたが、必死に頼み込んで結ばれたと話すのだ。 


そう語りながら、勝美は、漁船を売り払った金を郁男に渡すのである。

 

「それで、身辺、キレイにしろ」 



その金を持って、ノミ屋に行き、借金の200万円を返済するに至った。 


残りの金を受け取り、帰ろうとするが、結局、店に戻り、最後の勝負に出た。 

          「最後だ。これで泣いても笑っても最後だから、受けてくれるか?」(郁男)



一世一代の勝負に勝ち、その喜びを全身で表現する男が、そこで舞い上がっている。 



しかし、ノミ屋の組員は、払戻金を支払わず、店の外に逃げるように去って行く。

 

追って来た郁男に暴行を加え、叩きのめす組員。 



ヤクザの悪辣(あくらつ)な手法が、露わになった瞬間である。

 

自暴自棄になっている郁男は泥酔し、祭りの雑踏で悪態をつき、そこで見境なく暴れ捲る始末だった。 



この男の醜態だけが炙り出されていく。

 

そんな男を、ここでもまた、小野寺が救う。

 

「亜弓の親父さんが作ってくれた金、全部ギャンブルで、ほかした。最低なんだよ、俺は!」


「そげなことしてたら、死んでしまうぞ!」

「あんただって、俺のせいで、ひどい目にあったんだろ!ダメなんだよ、俺は。死んだほうがいいんだよ!」


「今、あんたは、ここで死んだ。もう一遍、生まれ変わって、やり直したらどうだい。よぉ」
 



かくて、小野寺の勤める製氷工場で働き始める郁男。 



市場で氷を運んでいると、そこで働いている村上の妻が産気づき、美波から知らされるや、郁男は迅速に車を取りにいく。 



病院で産まれた赤ん坊を美波が抱き、駆けつけ、嗚咽する村上に、満面の笑みで見せるのである。 

病院で様子を見守る郁男と、急いで駆けつけて来た村上


DVを被弾した娘が抱く嬰児(えいじ)を見て、嗚咽を漏らすDV父。 



人間の多様性を垣間見せるカットだった。

 

喜び合う家族の様子を見続ける郁男は、一人寂しく帰っていく。

 

「我が子」を持ち得ない男の寂寞(せきばく)だけが、置き去りにされていた。

 

製氷所に刑事たちが乗り込んで来たのは、そんな折だった。

 

あろうことか、DND鑑定が一致した小野寺が逮捕されたのである。

 

衝撃を受けた郁男は、小野寺に殴りかかろうとするが、刑事たちに止められた。

 

犯人が見つかったことで、郁男と勝美と美波は、亜弓の仏前に報告し、殺害現場を訪れる。

 

「郁男が悪いんじゃないよ」

「みんな、俺のせいだよ。俺には、どうやったって償うことはできません。俺のせいで、美波は独りぼっちになって」


「そんなこと、いいよ!あたしのことなんて、心配しなくていいよ。私は父親と一緒に暮らすよ。郁男の重荷になんか、なりたくないよ」


「償ってくれ。亜弓のこと、本当に悪いと思うなら、娘の美波の傍にいてやってけろ。せめて、おいが死ぬまで」
 



後ろめたさの故に、身内の誠意を受容できない男は今、置手紙を残して、亜弓の家を去って行く。 

置手紙を読む勝美と美波


駅の待合室のテレビで、信じ難いニュース映像が、郁男の視界に飛び込んできた。

 

そこで映し出されていたのは、リストラを恨んで会社の従業員に暴行を働いて逮捕、連行される川崎の競輪仲間・渡辺の表情だった。 



昨晩、唯一相手にしてくれると言う渡辺から、声が聞きたかったと電話を受けたばかりだったのだ。 

「俺に優しくしてくれたのは郁ちゃんだけだからさぁ。ありがとうな」


衝撃を受けた郁男は列車には乗らず、その足でノミ屋に乗り込み、手当たり次第に競輪のモニター機器を破壊し尽くしていく。 



ノミ屋の組員らに抑えつけられた挙句、組事務所に拉致されてしまう郁男。 



それを知った勝美は、たった一人で組事務所に出向く。

 

「こいつを貰い受けに来た」 


血塗(まみ)れで倒れている郁男を視認し、勝美は組長に一言(いちごん)する。

 

組員の反発を抑え、組長は言い切った。

 

「この人には、昔、命を救われたことがあんだ」 



郁男は解放され、勝美に支えられ事務所を出ていく。

 

「こいな男のために、なしてそこまで」


「こいつは、俺の倅(せがれ)だ」
 



郁男は再び、組員に食らいつき、叫ぶのだ。

 

「金払え!金返せ!あれは、勝美さんが船売って作った、大切な金なんだよ!」 


タコ殴りされながら、郁男は思いの丈(たけ)をぶちまけた。

 

勝美は「もう、いいだろ」と言って、郁男を外に連れ出す。 



外には、美波が待っていた。

 

「どうして、行っちゃうの?約束したでしょ、おじいちゃんが元気なうちは一緒にいるって。勝手なことしないで!死んじゃったら、どうするのよ!郁男のバカ!」 

「死んじゃったら、どうするのよ!郁男のバカ!」


美波は泣きながら、郁男の胸に顔を埋めた。

 

「うちさ、けぇっぺ」 


勝美に促され、3人は自宅に戻っていく。

 

郁男は歩きながら、啼泣(ていきゅう)する。

 

心底、啼泣するのだ。 



男の人生が決定的に遷移していく風景が、そこにある。

 

翌日、郁男が自宅で休んでいると、組員がやって来て、支払わなかった全額を手渡した。 


事情を知った組長からの指示であると思われる。

 

そして今、美波は、亜弓から預かっていた「婚姻届」を郁男に差し出し、サインを求めたのである。 


勝美と美波が証人となり、亜弓の生前の意思を完結させるのだ。 



促された郁男は、「婚姻届」にサインした後、勝美に船のキーを渡した。 


「船、買い戻しました」

「もうじき、死ぬつぅのに」


「死んでませんから、まだ…」

 

船のキーを、しっかりと握り締める勝美。

 

郁男の思いを全人格的に受け入れたのだ。

 

ラストシーン。

 

漁船に乗った郁男は、「婚姻届」を波立たぬ海に沈め、亜弓の霊を鎮魂する。 



それは、3.11の大津波で、妻を喪った勝美の思いを代弁する行為でもあった。


亜弓の家族の大切な人が眠る鎮魂の思いが、そこに凝縮されているのだ。 

 

郁男は船の運転を任され、3人の家族の新しい物語が、今、拓かれていくのである。 



凪が訪れたのだ。

 

 

 

3  依存症の地獄と、その再生を描き切った逸品

 

 

 

エンタメ性と説明描写を限りなく捨てた、ソリッドなヒューマンドラマの秀作。 

映画で提示された石巻の風景

同上


救いがたい主人公の心理の振れ具合をフォローし続け、依存症の地獄と、その再生を描き切った映画の切れ味は鋭く、圧巻だった。

 

主人公を演じた香取慎吾。

 

抜きん出て素晴らしかった。 



―― 以下、批評。

 

「やっぱり、俺はここには居られません。俺は、疫病神なんです。俺がここに居れば、きっと次から次へと、悪いことが舞い込んできます。俺は、ギャンブルにのめり込んで、亜弓に嘘をついて、金を借りて、裏切ってばかりでした。俺がここに居れば、きっと今度は、勝美さんや美波ちゃんを裏切ってしまうような気がして、怖くて、たまらないんです。俺はここを出て行くことにしました。色々と迷惑を掛けてしまいましたが、働いてお金は必ず返します。俺は、どうしようもないろくでなしです。許してください」 


郁男の置手紙を読む勝美と美波

「俺は、ギャンブルにのめり込んで、亜弓に嘘をついて、金を借りて、裏切ってばかりでした」


救いがたい主人公・郁男が、勝美と美波に残した置手紙の全文である。

 

物語は、この救いがたい男の、救いがたい行動が執拗に描き出され、正直、滅入ってくるが、男の心理の振れ具合をフォローし続けたことで、人生の至要(しよう)たるテーマからの「逃走者」でありながらも、決して「悪人」ではない男の、その内面の葛藤が観る者の心の中枢に入り込んできて、切なくもあり、哀切を誘(いざな)うものでもあった。 


「俺は、どうしようもないろくでなしです」

 

この言葉が、男の脆弱な自我から繰り返し吐き出されてくるが、そこに垣間見えるのは、吐き出すことによって自己のダメさ加減を希釈し、免罪符にしようとする心の風景である。 




極めて狡猾だが、私たち人間は、往々にして、このように手法で、最低限の自我防衛を殆ど無意識裡に行っている。


これが、依存症の地獄に嵌り、愈々(いよいよ)、この厄介なトラップに潜り込んでいく人間の裸形の様態なのである。

 

その脆弱性は、私たちが共通して持つ自我機能の劣化の臨界点であると言える。

 

そんな救いがたい主人公・郁男に複数の優しさ・温かさがアウトリーチされても、決定的なところで変容し得ないが故に、依存症の地獄からの脱出が具現化できないのだ。



それでも、この男の場合、アルコール依存症に典型的に見られる「否認の病」を特徴とする依存症に罹患していても、「俺はろくでなし」という意識が自我に張り付いている分だけ、救いの余地があったとも言えるだろう。

アルコール依存症は「否認の病」である

 


その弱さに寄り添い、変容を求める複数の支援が差し伸べられたからである。

 

このアウトリーチなしに、男の再生が可能であったか否か、全く不透明であったと言わざるを得ない。

 

男は幸運だったのだ。

 

その幸運を呼び込んだのも、男自身の人格のうちに棲む、ある種の「善性」であったのかも知れない。

 

だから、男は変容し得た。

 

再生の一歩を掴み得たのである。

 

男の再生に大きく関与したのは、男の義父・勝美の存在だった。 



その勝美から得た大金をもギャンブルに費消してしまった男が、勝美によって救済されるのだ。

 

もう、これで男は惑わされなくなった。

 

依存症の地獄への強烈な誘惑に、惑わされなくなったのだ。

 

裏切っても、「俺の倅だ」とまで言ってくれた義父に対して、もう、裏切れなくなってしまったのである。

 

啼泣する男の涙は、男が流した本物の涙だった。 



ここまでして、自らを救ってくれる人物の存在なしに、男が変容し得なかったであろう。

 

では、なぜ、義父・勝美は男を救ったのか。

 

「あいつと結婚して、やっとまともな人間になれた。あいつと一緒になれなかったら、飲んだくれて、どっかでくたばってか、誰かに殺されてっか、いずれにしたって、ろくな生きざまでなかったろな」 


これは、郁男に吐露した勝美の言葉である。

 

そんな荒くれた人生を生きてきた男だから、娘の亜弓に苦労をかけたことに悔いを感じている。

 

その娘が選び、DV男と別れ、「婚姻届」まで書いていて、同棲する郁男の人間性を信じることができた。 



郁男がギャンブル依存症であっても、同様に苛めとDVに被弾し、不登校になった孫の美波が懐(なつ)く男の人間性を信じることができたのである。

 

「郁男の重荷になんか、なりたくないよ」と言う美波のことを想い、勝美は郁男に向かって、「本当に悪いと思うなら、娘の美波の傍にいてやってけろ。せめて、おいが死ぬまで」とまで言い切ったのだ。 



郁男のダメさ加減は、若き日の勝美のダメさ加減と同質であると、勝美は想念し得たのだろう。

 

このことは、郁男のダメさ加減には、「悪人」ではなく、単に、ギャンブルにのめり込むに足る弱さを有する男の、その内面の葛藤が理解できていたことを示唆する。

 

だから、自らが逝去した後、この郁男に美波の近未来を任せたいという思いに結ばれたに違いない。 



思うに、男のストレスを吸収し、男の奈落落ちを、決定的なところで掬(すく)い取った老人(美波も含め)の一連の行為こそ、まさに、男の認知のパターンや行動を変容させていく「認知行動療法」(後述)による、社会学概念としての「潜在的機能」(意図せざる結果)であったと言えないだろうか。 



―― ここで、郁男に対して、特段の親切を施した小野寺について言及したい。 



なぜ、この男が亜弓殺害したのか。

 

映画は、一切、この点について触れてない。

 

動機なき殺人ということは考えられないから、私なりに書いてみる。

 

一言で書けば、小野寺は偏執狂(モノマニア)であったと思えるのである。

 

亜弓に対する執着心が異常に強く、殆ど偏執的な拘泥感が、亜弓に関する情報を漏れなく手に入れているように見えるからだ。 

花屋を始めた亜弓に開店祝いを贈る小野寺

小野寺と亜弓

小野寺の優しさに感謝する亜弓


「ジャマイカじゃねくて、パナマ。パナマのサンブラス諸島…サンブラス諸島が世界で一番、海が綺麗だから…」 


これは、逮捕の際に、郁男に言い放った彼の言辞である。

 

「カリブの宝石」と呼称され、身内の者すら覚えていなかった島名を、この男だけが覚えていた。 

カリブの宝石「サン・ブラス諸島」


それほどまでに執着する亜弓に対する想いが膨張しているが故に、亜弓に関わる者に対して、時には、度を越えるほどの親切心を発現させたのか。

 

矛盾しているようだが、それが偏執狂たる所以なのか。

 

全く分からない。

 

「俺みたいな奴に、何でこんなに優しくしてくれるんですか?」

 

印刷会社を解雇された際に、会社に告げ口した同僚を暴行し、機械を破壊した郁男の弁償金を立て替えた小野寺に対して、訝(いぶか)るように発した郁男の言葉である。

 

「あんだ、死(す)んだ亜弓ちゃんの大切な人だから」 


これが、既に殺人犯と化した男の答えだった。

 

贖罪とも思えない印象を与えるから、却って厄介なのだ。

 

亜弓に対する想いの強さは本物だろう。

 

その愛情の強度の歪みが、犯行のモチーフの根柢にあるとも思えるのである。

 

脚の障害のために劣等感を抱いていたであろう性格の故に、愛情表現に躊躇した。

 

しかし、どこかで、その臨界点を越えてしまった。

 

それが、偶発的に亜弓と遭遇したことで、爆裂してしまったのではないか。

 

このようなことしか想像できない歯痒(はがゆ)さがあるが、容易に解を得られない人間の問題のあまりの複雑さに、正直、お手上げである。

 

 

 

4  依存症は脳機能の障害である

 

 

 

L.Aを中心に、アメリカの西海岸で実施されている、「マトリックス・モデル」という依存症の治療プログラムがある。

 

ストレス軽減のために対象者の認知に働きかけ、思考をリラックスさせる心理療法として有名な「認知行動療法」による治療プログラムである。 

「SMARPP(スマープ )プログラム」(マトリックス研究所のマトリックス・モデルという治療プログラムを参考)



現在、依存症治療に対して最も効果がある療法と言われ、日本でも、薬物依存症者(覚醒剤乱用者が中心)への治療プログラムが実施されている。

 

但し、刑務所での「薬物依存離脱指導プログラム」を実施し、刑期を終えても、「ダルク」(唯一の薬物依存症回復支援施設)のような民間の受け皿(注)しかないので、再犯の確率の高さを抑えられない現状があるのも事実。 

「武蔵野ダルク・ ホームページ」より


(注)家族会の連合組織、ギャンブラーズ・アノニマスのような依存症者の自助グループ、医療機関、精神保健福祉センター(ギャンブル依存についての相談窓口)等々、複数の受け皿があっても、施設として機能していないのが現実である。 

               ギャンブラーズ・アノニマス(ユーチューブ)



映画で扱われたのは、厚労省によると、約70万がいると言われる深刻なギャンブル依存症の実態である。

 

その症状は、物語の主人公・郁男が罹患している現実を、ほぼ完全にトレースしている。

 

ギャンブルへの極端な没我⇒掛金の膨張(報酬)⇒後悔・断念の意思の非継続性⇒再没我⇒借金(映画では、家の金の持ち出し、「種銭」が描かれていた)⇒自己遺棄。 



映画を観る限り、全く救いようがなかった。 



どのような養育をされてきたのかと呆れ果てるかも知れないが、そのルーツは不分明。

 

しかし、私たちは曲解してはいけないだろう。

 

実際、依存症になる原因として、過半の一般人は「意志の弱さ」と答えているが、その原因が意志の弱さ・性格とは関係なく、脳機能の障害という側面を持っているが故に、誰でも依存症になる可能性があるということ。 

行動嗜癖を生む脳のメカニズム/文部科学省『ギャンブル等依存症指導参考資料』より


「意志や心の弱さのせいではないー依存症が孤独の病気と呼ばれる理由とは?」より




これが、精神医学・心理学の答えである。

 

「ドーパミン・ジャンキー」という概念がある。

 

これは、物質依存症の一つであるギャンブル依存症の場合、成功体験によって神経伝達物質(ドーパミン)が過剰に分泌され、依存性の濃度を高め、行為の継続に歯止めが効かなくなることで「依存性の罠」に嵌っり、常に、ドキドキすることが止められなくしまう現象である。 

ドーパミンの役割


「精神障害の診断と統計マニュアル第3版」(DSM-III/1980年)において、日常生活に支障が出る精神疾患とされて以来、ギャンブル依存症に対する認知は共有されている。 



依存症に対する有効な治療の中で、最も知られているのは、「認知行動療法」による治療プログラム。

 

この療法が、そのエビデンスにおいて、最も効果的であると私は考えている。 

「すべての依存症に対応した認知行動療法」より


自助の困難さを、これほど思い知らされる疾病は存在しないからである。

 

脳機能の障害という側面を持っているために、本人や家族の力だけで改善するのが難しいケースが、あまりに多いのだ。

 

飲酒や薬物使用、ギャンブルなどの行為を繰り返すことによって脳の状態が変化し、自分で自分の欲求をコントロールできなくなってしまいます

 

厚労省のホームページでも、このように記述されている。

 

「依存症は病気であるため、専門の相談機関や医療機関に頼ることで解決に向かうことができる問題でもあります…(略)依存症は意思で特定の物質や行為をやめたり、減らしたりできなくなる病気ですので、本人の意思のみで治すことはできません…(略)意志の弱さや性格の問題でもなく、もちろん最初から依存しようと思ってなるものではなく、脳の仕業なのです。条件さえそろえば誰でも依存症になる可能性があり、特別な人だけがなるわけではないのはこのような理由からなのです」 

                                             依存症は病気である



これも、厚労省のホームページでの記述。

 

だから、依存症疾患からの回復を具現化するには、疾患特有の認知の歪みや認知パターン、更に思考の癖を把握し、継続的に、認知のパターンや行動を変えていくことで、回復をサポートするライフスタイルを確立させていくこと。

 

「認知行動療法」以外でも、専門医療機関が実施している「マインドフルネス」(心が〈現在〉に向けた心理的な状態)でもいいし、また、「ソーシャルスキル・トレーニング」(SST/社会適応技術)でも一向に構わない。 

マインドフルネス

ソーシャルスキル・トレーニング



いずれにせよ、自らの思考のバリエーションを増やしていくこと。

 

それは、ギャンブルなしでは済まない自己の生き方を見直すことになる。

 

映画の主人公が再生し得たのは、身内のアウトリーチによって、ギャンブルなしでは済まない自己の生き方を見直すことが可能だったからである。


―― ついでに、書いておきたい。

 

悪口・誹謗中傷もまた、依存症であることを。

 

欺瞞的な優越感を手に入れることで、脳内にドーパミンが分泌され、この上ない快感を得るから自己膨張する。

 

自己膨張するから、歯止めが効かなくなる。

 

歯止めが効かなくなるほど膨張するが故に、悪口・誹謗中傷の剃刃(そりば)が鋭利になっていくのだ。

 

そのため、悪口・誹謗中傷の対象人物が被弾するダメージは、愈々(いよいよ)、その深刻度が増していく。

 

それがトラウマと化し、時には、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状を呈するに至る。

 

この症状が慢性化すれば、大事故を体験したことに起因する「単純性PTSD」と切れ、長期的なトラウマの破壊力に被弾する「複雑性PTSD」の症状を呈し、「自我消耗」(セルフコントロールの資源の枯渇)状態を発現させてしまう危うさを孕(はら)むのだ。 

自我消耗

複雑性PTSD


これが、眞子さま(現・小室眞子さん)、及び小室圭氏への、激越なバッシングの恥ずべき風景のうちに露骨に現れていた。 

                 「眞子さま異例の結婚会見」より



【精神科医がメディア等を通して、自らが診察していない公人の疾病について発信することを戒める、明らかな「ゴールドウォーター・ルール」を犯す精神科医がいたから、余計、始末に悪かった】


ストレス発散の捌(は)け口のために、常にサンドバッグの対象人物を見つけざるを得ない一部のネットユーザーは、「心を守りながら生きる」と言い切った小室眞子さんの言葉など、歯牙にも掛けないに違いない。(「皇室は人間が担っている」日経デジタル 2021年10月27日 参照されたし)

 

依存症は実に厄介な疾病である。

 

(2021年11月)





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