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2021年9月25日土曜日

孤狼の血('18)  白石和彌

 

大上(おおがみ/右)と日岡(ひおか)



<「正義」とは、「公正」の観念をコアにした、「ルールに守られ、秩序を維持し得る状態」である>

 

 

 

1  「警察じゃけぇ。何をしてもええんじゃ」

 

 

 

昭和63年4月

 

「昭和49年、呉原(くれはら)市の暴力団・尾谷(おだに)組に対し、広島市内に拠点を置く五十子(いらこ)会が、抗争をしかけた。所謂、『第三次広島抗争』である。多くの死傷者を出した報復合戦は、血で血を洗う泥沼の抗争に発展し、勝者なき結末を迎えた。あれから14年が経ち、ヤクザ組織が群雄割拠した世は、終わろうとしていた。しかし、呉原では、新たな抗争の火種がくすぶり始めていた。かろうじて生き延びた尾谷組の残党に牙を剥(む)いたのは、五十子会の下部組織の加古村(かこむら)組であった」(ナレーション) 

尾谷組長(中央)
五十子会会長(左)


昭和63年8月 呉原市

 

呉原東(ひがし)署のマル暴の刑事・大上(おおがみ/通称ガミさん)と、新米刑事の日岡(ひおか)。 

大上(右)と日岡

日岡は、危ない捜査をする大上を監視するために、県警本部から送り込まれて来た。

 

この日は、呉原金融で失踪した経理係の上早稲(うえさわ)を探すため、大上の指示で日岡に加古村組の構成員・苗代(なわしろ)に喧嘩を売り、相手に暴行させ、公務執行妨害などの罪で居場所を吐かそうとするが、口を割ることがなく頓挫する。 

大上の指示で、苗代(左)に喧嘩を売る日岡

最後まで口を割ることない苗代(大上は逮捕せずに解放する)


「上早稲がおった呉原金融いうんはのぉ、加古村組のフロント企業(暴力団の偽装企業)じゃ。べらぼうな利息で金貸して凌いでいるヤミ金で、加古村組の連中はそこで儲けた金ぶっこんで、尾谷組のシマを荒らしまわっちょる。ほっときゃ、戦争じゃ。その前に、何とか潰すんが、わしらの仕事じゃないんか…これは、ただの失踪事件と違う」 


バディ(相棒)となるや、喧嘩を売らせて血塗れの表情を露わにする日岡に、謝罪もせずに、大上は言い放った。 


薬剤師の桃子に傷の手当をしてもらう日岡


二人は尾谷組を訪れた。

尾谷組の事務所

 

尾谷組長の留守を預かる若頭・一ノ瀬が、大上に噛みついていく。

 

「警察が加古村を野放しにしている以上、こっちもやるしかなぁ」

一ノ瀬

 「野放しになんぞして、たまるか、ボケ。加古村を追い込むネタはもう掴んじょる…ちゃんと、作戦があるんじゃ」



これで収束し、構成員の一人が、金の入った封筒を大上に渡す。 


それを目の当たりにして、驚く日岡。 



その後、尾谷組のシマ(縄張り)であるクラブ梨子(ママは里佳子)で、大上は一ノ瀬らと寛(くつろ)いでいた。 

日岡を歓迎する里佳子


そこに、広島仁正会(じんせいかい)の五十子会・会長と、下部組織の加古村組長、その若頭・野崎らが、客として入って来た。 

五十子会会長

加古村組長(中央)と野崎(その右)

シマを荒らされ、苛立つ一ノ瀬

加古村組長(左)


構成員同士が小競り合いするが、五十子会長が諫(いさ)め、大上は尾谷組のシマに入って来た五十子に警告を発するのみ。 



日岡は自宅に戻ると、大上と尾谷組の癒着の一部始終を報告書に書き留めた。 



大上は広島仁成会の配下の右翼団体・全日本祖国救済同盟の瀧井(たきい)を脅し、上早稲の情報を得る。 

瀧井(右)


その情報を基に、上早稲が拉致される様子が映るビデオテープを入手したのである。 

上早稲(うえさわ)の写真を手に、捜査員は拉致の現場のビデオを確認する


件(くだん)の情報も、放火・住居侵入など、相変わらず、大上の荒っぽい手法で得たもの。 

放火する大上

日岡は苦言を呈すが、大上は全く意に介さない。

 

「尾谷組と加古村組の抗争を止めるには、尾谷組組長の説得以外にないと考え、大上は、鳥取刑務所へと向かった」(ナレーション)

 

鳥取刑務所に収監されている尾谷組長に面会した大上は、加古村を必ず追い詰めるので、今は動かぬよう説得し、了承を得た。 

尾谷組長



尾谷組長の言質を取ったことで、荒ぶる男・一ノ瀬を制止するが、大上は加古村を3日で落とすことを約束させられる。 

「3日じゃ」


日岡は、彼を内偵として送り込んだ広島県警の監察官の嵯峨警視に、大上に関わる報告に出向いた。 

嵯峨警視


違法行為は明らかなので、直ちに処分するよう嵯峨(さが)に進言するが、実は14年前に起きた抗争事件で、殺された五十子会幹部の殺人に大上が関与していて、その調査が主目的だった事実を知らされる。

 

クラブ梨子のママ・里佳子(りかこ)が、愛人の尾谷組構成員・タカシを殺した加古村組の吉田を呼び出し、大上のいつもの手口に誘い込んでいく。

 

里佳子もまた、タカシを殺害された復讐のために大上と組んでいたのである。 

里佳子に近づく吉田

それを見るタカシ

タカシを射殺する吉田

            

タカシが殺害され、以降、吉田を恨むようになる里佳子


「警察じゃけぇ。何をしてもええんじゃ」 


加古村組の構成員・吉田に対して、女性の快感が増すという、陰茎に入れ込んだ真珠を切り取る荒っぽい拷問によって、上早稲の失踪の理由を吐かせるに至る。 

拷問を受け、上早稲の失踪の理由を吐く吉田


それは、加古村組は、尾谷組を追い詰める資金が必要で、上早稲を甚振(いたぶ)って資金を捻出させていたが、上早稲が呉原金融の本店である、五十子会系の「ホワイト信金」(サラ金)にまで手を出したためだった。 

上早稲(左)に多額の金銭を要求する加古村組若頭の野崎(右)


かくて、上早稲の殺害現場である養豚場にやって来た大上と日岡。

 

そこで、14年前の事件について日岡は追及すると、大上は涼しい顔をして答えた。

 

「わしら、食われる前に、食うしかないんじゃなぁーんか?」 



薬物使用の、養豚場経営者の息子を連行し、大上は再び拷問して、上早稲の遺体が無人島に埋められているという言質を取るに至る。 

拷問の結果、上早稲の遺体現場を吐かせたことを告げる大上


「尾谷組との約束期限であるその日に、大上は遂に、上早稲二郎の遺体を発見した。呉原東署は、逃亡中の苗代広行ら4名を全国特別指名手配をすることになった。しかし、大上の思惑は一瞬にして崩れた。新聞記者からの情報提供を受けた署長の毛利は、大上を上早稲二郎殺害事件の捜査から外し、翌日からの自宅謹慎を命じた」(ナレーション) 

【上早稲の遺体現場の無人島に向かう船の中で、合掌する大上(この辺りから、大上の行動の根柢にあるものが明かされていく)】


「加古村を壊滅に追い込むんだ!」/叫びを上げるが、大上の思惑は一瞬にして崩れた


大上が事件から外されたことで、呉原東署が尾谷組を見捨てたと判断し、一ノ瀬は抗争を開始する。

 

最も凶暴な尾谷組の構成員・永川が、加古村組幹部を襲撃した。 

永川


この事件に端を発し、大上と対立する主任巡査部長・土井は、尾谷組壊滅作戦を主導する。 

主任巡査部長・土井


「しかし、一ノ瀬守孝をはじめ、尾谷組幹部の姿は既になかった」(ナレーション)

 

尾谷組は、実行犯の永川を出頭させ、それをもって、大上は五十子会長に手打ちの話をつけに行く。

 

「条件は3つじゃ」 


五十子が示した手打ちの条件は、以下の3点。

 

見舞金1000万円、尾谷組長の引退、そして、一ノ瀬の破門。

 

「条件が飲めんのなら、それまでじゃ。どっちかが壊れるまで戦争しちゃろうじゃないの」

 

大上は一ノ瀬に話をつけに行くが、ここでも「戦争はもう、始まっとるんで」と突っぱねられる。 

「戦争はもう、始まっとるんで」

「どっかで、落としどころを作らんといけんのじゃ」(大上)


再び、大上は収監されている尾谷組長の説得に行くが、そこでも断られる。

 

奔走する大上に、日岡はそろそろ身を引くように忠告するが、「わしはもう、綱の上に乗ってしもうとるんじゃ」という反応が返ってくるばかりだった。

 

「その夜を境に、大上は姿を消した。…その3日後、逃亡中の苗代広行、並びに3名が愛媛県内で逮捕された。苗代は、上早稲二郎の殺害、及び死体遺棄を認め、加古村組幹部の関与も供述した。呉原東署は、加古村組事務所への強制捜査に踏み切ることになった。署長の毛利は、上早稲二郎殺害事件の決着を宣言したが、依然として大上は行方知れずのままであった」(ナレーション) 

大上の後ろ姿を見る/これが、大上との永遠の別離になる


 

 

2  「もう少し、呉原で働かせてくれませんか。不良刑事が一掃されたわけじゃありませんから」

 

 

 

行方不明になった大上の消息を知るべく、日岡は上司の嵯峨警視の元に行って詰め寄っていく。

嵯峨に対して、執拗に大上の消息を訪ねる日岡

 

「どうして新聞記者に情報を流したんですか?東署に垂れ込んだ記者は、自分が警視に報告した内容を知っていました」

「大上を早く処罰しろって言ったのは、どこのどいつだよ!」

 

日岡はその足で瀧井を訪ね、五十子に大上の消息の探りを依頼するが、自分の立場が危うくなると断られる。 

瀧井


「でも、ガミさんも、どこでとちったんかの」

「ヤクザに深入りし過ぎたんですよ。尾谷とズブズブの関係になって、気づいたら身動き取れなくなって」


「あんた、何か勘違いしとらんか。ガミさんにとって、極道はただの駒じゃ。このわしもな。たまに餌やって、体(てい)よく躾(しつ)けとるだけじゃ」


「でも、尾谷組とは家族同然に…」

「家族同然につきおうて、ノータリンの極道を手なずけてるだけじゃ。あん人は、堅気(かたぎ)のことしか考えちょらんけ。堅気を守るためなら、極道じゃろうが、平気で手を突っ込む。じゃけい、極道はガミさんが怖いんじゃ」

 

瀧井の言葉を聞いて、衝撃を受ける日岡。 



その足で、里佳子の店を訪ねる。

 

「何かあったら、あんたに渡してくれって言われとったんよ」 

里佳子


それは、上司に探せと強く指示されていた、大上がつけていた「日記」だった。

 

中身は、警察官の不正を写真付きでメモしたファイルだった。 


ファイルを見て、衝撃を受ける日岡


「あの人が一番怖がっとったんは、ヤクザじゃない。警察じゃもん」 



大上は自分がいなくなれば、極道の暴走を抑えられなくなると考えたのである。 

「あの人、自分がおらんようになったら、極道の抑えが効かんようになるって、いつも心配しとったんよ」


そして、警察の弱みを押さえることで、馘首(かくしゅ)されない防波堤として、里佳子も県警の接待など、散々、協力(美人局=つつもたせ)させられたと言うのだ。

 

警察はそれを揉(も)み消すために、スパイを送って来たと聞き、思わず、日岡は吹き出してしまう。 


必死になって、大上の違法行為を追求し、県警に訴えようと動いた自分の「正義」の空転にバカバカしくなってしまったのである。

 

「結局、皆、保身しか考えとらんのですね…何でこんなに必死やったか、ママは知っとりますよね。抗争を防ぐためなんて詭弁ですよ」

 

日岡は14年前の殺人事件について触れると、里佳子はきっぱりと否定した。

 

「14年前、金村を殺したんは、ウチなんよ…あんな外道(げどう)のために、刑務所の中で子供産ますわけにいかん言うて。あのとき、お腹ん中に、トモキがおったけぇ。全部処理してくれたんよ」 

「あんな外道のために、刑務所の中で子供産ますわけにいかん言うて」

「しっかりせぇ、わしじゃ。大丈夫じゃ」(大上)/14年前の事件の身代わりになった男のルーツが明らかにされる回想シーン


日岡が大上のファイルを捲(めく)ると、最後のページに、自分の写真と「嵯峨警視の差し金」と書かれたメモがあった。 



その後に起こった事態に、日岡は衝撃を受けることになる。

 

大上の遺体が発見されたのだ。

 

日岡は現場に必死の形相で駆けつけ、水死体になった大上の変わり果てた姿を確認し、動転する。 



その直後の呉原東署長の記者会見。

 

「本署、大上巡査部長の遺体解剖の結果、遺体の血中から大量のアルコールと睡眠成分が検出されました。恐らく、飲酒後に睡眠薬を服用し、誤って足を滑らせたのではないかと思われます」 



この会見を聞きながら、署の刑事たちは犯人が五十子であることの情報を、口々に語り合っていた。

 

大上の体には10か所以上の傷があり、胃の中には大量の豚の糞が入っていたと言うのだ。

 

「豚の糞」という言葉を耳にするや、日岡は、例の養豚場へと足を運ぶ。 



日岡は豚小屋に入り、狂ったように豚小屋を掻(か)き分け、証拠品を探し回る。 


そこで、大上が愛用していたライターを発見するのだ。 



五十子に加担し、大上殺害に大きく関与した養豚場の息子を、殺意を剥(む)き出しにして日岡は殴り続けた。

 


その夜、日岡は嵯峨警視に報告するノートに、大上が報告内容の間違いを添削し、細かにコメントを書き込んでいるのを発見する。(以下、その画像) 



日岡は大上が残したハイライトを握り締め、泣き崩れる。 



かくて、頭脳プレー全開の、日岡の復讐譚が開かれていく。

 

「本気なんか?」と瀧井。

 

日岡は、瀧井に大上の復讐を誓うのだ。 


瀧井は海に向かって、拳銃を2発放ち、自分の意思を示す。 



五十子会の盛大なパーティーが開かれた。

 

そこに瀧井も参列し、五十子から、加古村なき後の呉原の仕切りを頼まれる。 

「やっちゃっれ会大総会」(五十子会のパーティー)での五十子会会長と瀧井


そこに、県警本部の幹部たちも参列していた。

 

その中に、嵯峨警視もいる。 

嵯峨警視


瀧井が会場を覗き、日岡に目配せした。 



そして、裏で控えていた尾谷組の一ノ瀬らを、太鼓で盛り上がる会場に放ったのである。 

一ノ瀬



斯(か)くして、五十子会の幹部は次々に射殺され、トイレに隠れていた五十子会長は、一ノ瀬によって、首を掻き切られるに至る。 



そればかりではない。

 

日岡は尾谷組を使って五十子会を壊滅しただけではなく、東署の刑事たちを引き連れ、一ノ瀬を現行犯逮捕し、尾谷組にも壊滅的なダメージを与えたのだ。 

「殺人犯容疑で現行犯逮捕する」(日岡)

日岡に裏切られたことに気づく一ノ瀬


そして、会場から逃げ去った県警本部の幹部たちの弱みを握った日岡は、まさに、大上の「孤狼の血」を引き継いだだけではなく、大上が成し得なかった極道の壊滅を、今、少なくとも表面的には遂行したのである。

 

日岡は嵯峨警視に、大上が残した「日記」を渡す。

 

最後のページは、大上のファイルに、日岡が書き込んだ、嵯峨警視を告発する捜査ファイルだった。 

「最後のページは、自分が書き加えたものです」(日岡)


それを目にした嵯峨は、日岡に本部に戻り、自身の秘書官になることを勧めるが、涼しい顔して日岡は拒絶する。

 

「もう少し、呉原で働かせてくれませんか。不良刑事が一掃されたわけじゃありませんから」 


嵯峨はそれを認めざるを得なかった。

 

ラストシーン。

 

日岡は、大上の墓に、昭和の象徴であるハイライトを供え、合掌する。 



そこで、思いも寄らない人物と出会う。

 

呉原東署に赴任当初、加古村組の苗代から暴行された際に、大上に連れて行かれた薬局の薬剤師・岡田桃子である。 

「まだガミさんに、お別れしちょらんかったけ」(桃子)


日岡と恋愛関係にあったはずの桃子が、大上の美人局(つつもたせ)だった事実を知らされるのだ。 


自分の暴力夫から別れる際に、大上の世話になっていたのである。

 

地場に張り巡らせていた大上の手腕に、脱帽する外になかった。

 

呆気なく終焉する恋愛を認知し、苦笑いする日岡は、大上の残したライターでハイライトに火をつけていく。 




  

3  「正義」とは、「公正」の観念をコアにした、「ルールに守られ、秩序を維持し得る状態」である

 

 

 

上早稲の殺害現場である養豚場での、大上と日岡との会話が興味深い。

 

「これは捜査とは言えない。拷問までして、滅茶苦茶ですよ!こんなものは、正義とは言えません!」

「正義じゃ?じゃ、聞くがの。正義とは何じゃ?」


「法に沿って暴力団を撲滅することです」

「ほんなら、法律が極道しばいてくれるんか…奴らを生かさず、殺さず、飼い殺しにしとくんが、わしらの仕事じゃろうが」(「しばく」とは、関西エリアで使用される暴力的な脅し文句)

 

本篇で、「正義」についてインサートされた唯一のシーンである、

 

「奴らを生かさず、殺さず、飼い殺しにしとく」

「法に沿って暴力団を撲滅することです」

 

「正義」についての、二人の刑事の解釈の相違が明白になっている重要な会話である。

 

時代背景は、その効果の是非はともかく、「特定危険指定暴利団 という名で、全国で唯一指定されている「工藤会」に対する「暴力団対策法」による「反社」の囲い込みや、「反社」指定による、「暴力団を恐れない・暴力団に金を出さない・暴力団を利用しない」という標榜(ひょうぼう)のもとに成る「全国暴力追放運動推進センター」(全国暴追センター)も存在しなかった、何でもありの昭和時代。 

暴力団対策法

全国暴力追放運動推進センター


時代変容の流れを考慮すれば、「法に沿って暴力団を撲滅する」という日岡の発想には限界がある。

 

この文脈から言えば、過剰なスプラッター映画と思しき物語に違和感を感じながらも、暴力団の「飼い殺し」という大上の発想の方がリアリティを有しているように見えるのだ。

 

その辺りを考えてみたい。

 

ここで、「正義」(JUSTICE)という曖昧な概念について整理したい。

 

正確な定義がないので、私なりに考えている解釈となる。

 

以下、 典型的なバディムービーとして名高い、「トレーニング デイ」について批評した拙稿からの引用である。 

トレーニング デイ」より


ここでは、「正義」を社会に応用した「社会正義」(SOCIAL JUSTICE)の視座で考えれば 分かりやすい。

 

個人の道徳的規範の価値の高さに関わる「善」と異なって、「正義」は他者との関係性の中で問われる価値であるので、「社会正義」という概念こそ至要(しよう)たる視座となる。

 

この視座で、「不正義」の意味を考える時、その答えは、「ルールなきアナーキーな状態」であると思われる。

 

私たち人間が、「ルールなきアナーキーな状態」に置かれたら、一体、どうなるか。

 

強い者勝ちの「弱肉強食」の世界が跋扈(ばっこ)するのだ。

 

思うに、人類は言語獲得以前から、「道徳的怒り」をコアにする「複合的感情」を手に入れていたという仮説が説得力を持つのは、それが、「正義」のルーツになると考えられるからである。

 

それ故、「弱肉強食」の世界が跋扈すれば、「公正」の観念が削り取られ、「社会的弱者」は切り捨てられてしまうだろう。

 

従って、「正義」とは、この「不正義」の状態を反転させた状態であると、私は考える。

 

だから、「公正」の観念をコアにした、「ルールに守られ、秩序を維持し得る状態」。

 

これが、「正義」である。

 

トレーニング デイ」でのアロンゾ(デンゼル・ワシントン)は救いがたい悪徳刑事だったが故に、最後は、相棒の警官ジェイク(イーサン・ホーク)が見放すことで、ロシアン・マフィアによって被弾し、蜂の巣にされてしまう。 

トレーニング デイ」より


人物描写を精緻に描くことで、「正義」と「不正義」の境界点を明瞭に描き切った「トレーニング デイ」は、「上下関係で固められた、構造化された秩序」を、「公正」の観念をコアにした、「社会正義」によって間接的に葬ってしまう物語だった。

 

「羊を守るために、狼を捕まえる」

「俺が逮捕したことで、裁判所が刑期1万5千年以上の刑罰を下している」

 

これが、アロンゾのルール。 

トレーニング デイ」より


一方、アロンゾのルールと決定的に切れ、「公正」の観念をコアにした、「社会正義」の準拠枠として人物造形されたジェイクは、「正義」に対する私なりの解釈に依拠している。 

アロンゾとジェイク(左)


―― ここで、「孤狼の血」に言及する。

 

「トレーニング デイ」にトレースしていく物語は、後半に踏み込んでいく中で、その景色を大きく遷移させていく。

 

大上という得体の知れない男から、「悪徳刑事性」が希薄になっていくのだ。

 

「奴らを生かさず、殺さず、飼い殺しにしとく」

 

繰り返すが、この言辞に凝縮されているように、大上の懐柔策が成功裏に推移した経路は危うさに充ちていた。 



これは、日岡への遺言と化した、以下の大上の言葉のうちに表現されている。

 

「綱渡りしちょるいうんは、われの言う通りかもしれん。極道と関わるんゆうんは、曲芸師になったようなもんや。綱の上に乗ったら最後、極道の側に傾きすぎても、警察の側に傾きすぎても、落っこちてしまうけの。落ちんようにするには、歩き続けるしかない。わしはもう、綱の上に乗ってしもうとるんじゃ。だったら、落ちんように、落ちて死なんように前に進むしかないじゃないの」 

「綱渡りしちょるいうんは、われの言う通りかもしれん」(大上)

「落ちんように、落ちて死なんように前に進むしかないじゃないの」(大上)


この「タイトロープ」には、ラストで明らかにされるように、警察それ自体の「悪」をも射程にしているので、蓋(けだ)し厄介だった。 



「落ちんようにするには、歩き続け」た結果、死体と化す大上の「タイトロープ」は、殆ど約束済みだったからである。

 

だから、日岡に対して、「孤狼の血」の継承を託すというオチは、究極のエンタメとして愉快だが、あまりに映画的であり過ぎた。

 

では、「法に沿って暴力団を撲滅する」という日岡の「正義」は、果たして貫流されたのか。 

「こんなものは、正義とは言えません!」

大上の悪を県警に報告せんとする日岡の「正義」/同僚に止められる


物語の落とし込みとして、養豚場の息子に対する殺害未遂事件である暴行シーンを除けば、双方の「悪」を撲滅するリスクを負う日岡の「正義」は理に適(かな)っているように見えるが、それを継続的に具現するのは艱難(かんなん)を凌(しの)ぐ相当の覚悟が求められる。 



「孤狼の血」を継承するという展開になっていくのだろうが、残念ながら、その「正義」は、大上の「正義」をも超える暴力をも約束させてしまうのである。 



即ち、「大上ルール」をも凌駕する「日岡ルール」であるが、そこには、血飛沫(ちしぶき)の「画」(え)の連射しかイメージできないのだ。

 

ここで、改めて勘考する。

 

「大上ルール」は、果たして「正義」と言えるのか。 




それは、「孤狼の血」の継承への委託を受容するか否かの、根源的テーマに関わると言っていい。 


日岡の部屋に入り、県警に提出する彼の報告書に書き込みをする大上。この時点で日岡は気づいていない


しかし、「堅気を守るために飼い殺しにする」という、昭和時代限定の「大上ルール」は、どこまでも、個人の主観に拠って立つリアリズムでしかないだろう。 


その風景は、「落ちんようにするには、歩き続け」るという名のもとに立ちあげた、殉教志向のナルシシズムを隠し込んだ、自己基準の枠から逸脱し得ない脆弱さと並存しているように見える。

 

歩き続けることは、負荷を累加させていくことである。 


普通に考えてみれば、誰でも分かること。

 

物語での大上が溜め込んだ負荷には、時間制限を解除する余地がないのだ。

 

日岡のように、法に拠らず、極道を飼い殺しにする手法それ自身が、余すことなく、極道に関与する総(すべ)ての情報網を張り巡らすので、終わりが見えない様相を呈するに至る。

 

満杯になっても、直(す)ぐに隙間ができるから、際限がない。

 

しかも、それを単独で手がけるのである。 



且つ、大上は、自らが拠って立つ呉原東署を射程にしているので、県警との情報戦を必至にする。 



何方(どっち)へ転んでも、「大上ルール」が「正義」に昇華し得ないのは、論を俟(ま)たない。

 

私流に言えば、「公正」(堅気を守る)の観念をコアにしていたことを仮に認めてもなお、「ルールに守られ、秩序を維持し得る状態」、即ち、堅気を犠牲にすることなく、極道の飼い殺しを具現するという「大上ルール」では、堅気の安全・安心を堅持するセーフティネットを構築し得ないからである。

 

その意味で、「法に沿って暴力団を撲滅する」という日岡の「正義」が勝るが、これも、前述したように、「工藤会」の総裁に対して死刑判決を下し、組織暴力団に衝撃を与えた福岡地裁の果敢な司法が不在の時代にあって、組織暴力壊滅という「正義」の実現が、結局、「大上ルール」を凌駕する景色を見せても、「日岡ルール」それ自身が、暴力を内包する荒業(あらわざ)の展開を不可避にするだろうと思われるのだ。 

「工藤会」の総裁に対して死刑判決下る

福岡地裁(ウィキ)


理念の暴走は、軽々(けいけい)に暴力を呼び込んでしょうのである。

 

自壊のリスクが厖大(ぼうだい)であるからである。

 

「正義」の具現の途轍もない艱難さ ―― これに尽きてしまうのである。

 

―― それにしても、大上の人格変容には驚かされる。

 

「堅気を守る」ために組織暴力団との駆け引きに奔走しながら、堅気の女性と警察署内で平気で交接する男(描写なし)。

 

男の行動の初発点となった上早稲失踪事件で動き出し、その妹に任意で事情聴取する。

 

件(くだん)の堅気の女性とは、その妹なのだ。 

上早稲(うえさわ)の妹


レイプでないことが分かっても、美人局にするつもりなのか、情報網を張り巡らす大上のプリミティブな手口には失笑を禁じ得ない。

 

男の人格の一端を見せる描写であろうが、「堅気を守る」という男の「絶対ルール」は、所詮、この程度の有り様でしかないのか。

 

情報源であると同時に、性欲の処理として利用するような男が、「正義」を唱道(しょうどう)できないのは自明の理であった。


【余稿】

 

繰り返される、スプラッター紛いの画(絵)の提示の連射に辟易(へきえき)する。

 

どうも、この作り手は、「怖さ」と「気持ち悪さ」の違いを勘違いしているようにしか見えない。

 

スプラッターの傑作と名高い「悪魔のいけにえ」の批評でも言及したが、徹底した「描写のリアリズム」は、「怖さ」というよも「気持ち悪さ」でしかない。

 

悪魔のいけにえ」を彷彿させるように、スプラッター紛いの画の提示は、「気持ち悪さ」でしかなく、「怖さ」ではないのだ。 

悪魔のいけにえ」より


怒りの閾値(いきち)が低い極道の狂暴性をどれほど強調しても、「彼らならやりそう」という観念が観る者に共有されているので、画の「気持ち悪さ」にうんざりするだけである。

 

成瀬巳喜男監督の「女の中にいる他人」のように、観る者にとって、真の「怖さ」は、人の心の闇を映し出すような画の提示である。(石川慶監督の「愚行録」が、それに近い)

女の中にいる他人」より
 
愚行録」より


正直、「R15指定」の何でもありのエンタメ映画に、付き合いきれなくなった次第である。

 

ラストシークエンスに落とし込むスクリプト(シナリオ)は面白くても、完全にお手上げだった。 

白石和彌監督


(2021年9月)



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