検索

2025年3月20日木曜日

水の中のナイフ('62)   虚栄の心理学  ロマン・ポランスキー

 


1  「なぜ隠した」「俺が怖がってるとでも?」「怖がらせるなら、幾らでも方法はあるさ。ナイフを返せ」

  

 

 

裕福なアンジェイとその妻・クリスティーナは、日曜日にヨットで船出しようと、湖畔の桟橋へ自動車を走らせていた。

 

そこへ、ヒッチハイクの若者が前方に現れ、危うく轢(ひ)きそうになったアンジェイは激怒するが、若者を後部座席に乗せ、目的地へ走らせる。 

右からアンジェイ、若者、クリスティーナ



桟橋に着き、アンジェイの自家用ヨットにクリスティーナの荷物を運び、すぐに帰ろうとする若者を、アンジェイが呼び戻した。

 

歩くことが性に合っている若者はヨットに興味がないが、執拗な誘いを受けて乗り込んだ。 


アンジェイの話に欠伸(あくび)して、退屈な時を過ごす若者は、自らオールを取り出して漕ぎ出した。 


「かじを右に行くようにして」

「命令されたぞ」


「針路変更だそうよ」

「岸へ向けてくれよ」

 

凪の中で、ヨットは少しずつ右岸に向かって動き出したかに見えたが、周回しているだけだった。

 

若者がオールを湖に投げ捨てたので、取って来いとアンジェイに言われるが、「泳げないんだよ」と答えるのみ。 


クリスティーナが泳いでオールを戻し、気持ちがいいと言って、しばらくクロコダイルの浮き輪で遊ぶ。

 

若者はナイフ遊びをし始め、ヨットが傷つくと窘(たしな)めつつ、「落ちてしまえば泳げるようになる」と挑発する。 


若者はそれに応じず、ナイフでケガをして手当てをする。

 

その間、自分でもナイフ遊びをやってみるが、若者が戻って来たので慌ててナイフを手放すアンジェイ。 


アンジェイは足ひれを付け、クリスティーナの元へ泳いでいった。

 

二人が水の中で遊んでいる間、若者はヨットのコントロールを失い、右往左往する。 


戻って来た二人が若者に舵取りを教え、コツを掴んだ若者はヨットの端に立って、気持ちよさそうに走らせた。

 

突然、浅瀬に乗り上げ、動かなくなったヨットを3人で押し出した。 


豪雨の中、ヨットは茂みに入り、3人は船室に潜り込む。

 

そこで船乗りの遊びという棒取りゲームに興じる。

 

動かさないように棒を取るゲームを繰り返し続け、その度に負けた者は罰金を払うというゲームである。 


アンジェイだけが勝者となった棒取りゲームの中で、負けた若者は貴重なナイフを差し出し、罰金として払うものがないクリスティーナは歌わされることになる。

 

「実は歌いたいんだ。自慢ののどを披露しろ」とアンジェイに揶揄されながら、美しい歌声が船室に響き渡る。 


アンジェイはラジオ放送に聴き入った振りをしているが、若者はクリスティーナの歌唱に陶酔する。

 

二度も負けた若者の罰金は、クリスティーナに「詩の暗唱」を促され、これも美しい詩を暗唱してクリスティーナを喜ばせる。 


イヤホーンを外したアンジェイが棒取りゲームの極意を教えている只中で、疲れた若者は寝入ってしまう。

 

「なぜ、乗せたの?」とクリスティナ。


「寝てる振りかも」と言って、クリスティーナの問いに答えないアンジェイ。

 

朝になった。

 

熟睡できずに早く起きたクリスティーナと若者。

 

「まだ寝てなさい」とクリスティーナ。 


そこに特段の会話がない。

 

アンジェイが目が覚めた時、二人は船室にいなかった。

 

ゲームで若者から奪ったナイフを懐に隠し、外に出たアンジェイは、茂みからヨットを抜け出すためにロープの張り直しをする二人を見る。 


「いかりを上げろ」と若者に指示し、船長としてのイニシアチブを発揮するアンジェイ。 


その指示に従う若者。

 

更に「ハッチ(昇降口)」と指示され、従順に行動する。

 

湖に入り、ヨットが動き出す。

 

「あなたこそ、船長ぶるのはやめてよ」 


アンジェイはボロ布とバケツを若者に持って来させ、船を洗うように命じる。


黙々とヨットを掃除する若者。


若者は、「楽しかったでしょ。仲良く別れましょうね」とのクリスティーナの声掛けにも応じない。 


掃除を終え、荷物を持ってハッチから出て来た若者は、ナイフが何処かをアンジェイに尋ねる。

 

「ポケットだ」

「なぜ隠した」

「俺が怖がってるとでも?」


「怖がらせるなら、幾らでも方法はあるさ。ナイフを返せ」

 

アンジェイは取りに来いと呼び寄せ、そのナイフを投げつけるが、そのまま海に落ちてしまった。

 

拾えと迫り、殴りかかる若者の胸ぐらをアンジェイが掴む。


 

取れたシャツのボタンを探す若者に、アンジェイがボタンを拾い、「拾ってやったぞ」と笑いながら渡してマストに突き飛ばす。 


海に落ちそうになる若者を、クリスティーナが引き寄せて助けるが、更に向かって来る若者をアンジェイは殴り倒し、海に落としてしまうのだ。

 

「まずいわ。溺れるわ」と、クリスティーナは海に飛び込み、若者を探す。 


アンジェイも船の上から、クリスティーナのブイのところへ行くように指示するが、そこにも若者はいなかった。

 

アンジェイも海に入り、一緒に探しても若者は見つからない。 


しかし、若者はそのブイに掴まり、わざと見つからないように潜っていたのだ。 


 

 

2  「警察へは?」「裸で行けるか。車の中にも入れなかった」「窓を壊せたでしょ。家へ帰る?」「警察だ」

 

 

 

船に戻った二人は、激しく言い争う。

 

「あなたのせいよ」 


アンジェイは海に向かって大声で叫ぶが、名前が分からない。

 

「彼の名は?」

「殺したのよ」


「出てくるさ」

「泳げないのよ」

「水死でも浮かぶ」

 

クリスティーナは海の深さをアンジェイに尋ねた。

 

「どうしろと」

「探してもダメなら警察に」

「名前すら知らないのにか」

「あなたが溺れさせたのよ。殺してしまったのよ」


「うるさい」

 

アンジェイは若者の荷物を海に投げ捨てようとするのを阻止するクリスティーナ。

 

「人殺し」

「黙れ」

「怖くて震えてるくせに。何よ、うろたえてみっともない。はったりばかりのひきょう者。彼を乗せたのだって、いい格好を見せたかっただけよ」


「ヒステリー女め」

「弱虫」

「あばずれ」


「野蛮人。汚らわしい」

「なら飛び込め」

 

「大嫌いよ」と泣き出すクリスティーナ。

 

アンジェイは、「警察なんか怖くない。うんざりだ。バカめ」と罵倒して海に飛び込み、岸に向かって泳ぎ出す。 


「何よ、わざとらしい。どうせ、すぐ戻るくせに!」 


一部始終をブイに隠れて聞いていた若者は、ヨットに向かって泳いでいく。

 

船に上がって来た若者を見たクリスティーナは、「泳げたのね」と言うや、矢庭に頬を叩く。 


クリスティーナは海に向かってアンジェイの名を呼び、若者も一緒に呼ぶが反応はない。 


若者は寒さで歯が鳴って、何も聞こえなかったと言い訳をする。

 

「こんなことになると知ってたら、彼を行かせなかった」

「彼とそっくりね。彼より若くて弱くて、バカだけど」

「何が分かる。自家用ヨットに高級車。家も豪華だろうな。気楽なもんだ」

「あなたの生活と比べてるの?寮生活で4人部屋で?私にも経験があるわ。あの人もね。あなたはまだ子供よ。昔の彼も同じ。あなたも今の彼になれる。努力すればね」


「ウソだ」

「6人部屋でろくに眠れもしない。勉強するにも、ひと苦労。なけなしの奨学金で学食とタバコ。玄関でのキス。寒くてボタンもはずせない…」 



クリスティーナは若者の髪を拭いてあげ、二人はキスを交わし、愛し合う。 


その後、ヨットは岸に近づき、若者は荷物を持って降り、去って行く。 



桟橋に到着すると、アンジェイが立って待っていた。 


二人は無言でヨットを片づけ、荷物をまとめて車に戻った。

 

「警察へは?」

「裸で行けるか。車の中にも入れなかった」


「窓を壊せたでしょ。家へ帰る?」

「警察だ」

 

車が走り出し、クリスティーナが「怖い?」と2度尋ねる。

 

「怖い」


Uターンして。警察は中止よ」

「君は関係ないんだ。この車で家へ帰れ」

「彼は潜ってただけで、生きてたの。大声で呼んだのよ。聞こえなかった?」


「クロールで泳いでたからな。作り話はよせ。夫を守る、けなげな妻を演じたいのか。バカげた話だ。俺が信じて家に帰り数日後、新聞を見る。尋ね人欄に“19歳少年、行方不明”。俺たちは青ざめる」

「あなたに有利な話だと思うけど」

「もういい。彼は確かに溺れたんだ」

「いいえ。生きて、私を抱いたわ」


「怖がってるのは君のほうだ。だから、うそを口走る」

 

T字路に当たり、「“この先、警察署”」と書かれた標識のところで、車は止まった。 


「君を信じたい。でも、なぜ浮気しただなんて言う。無意味だ」

「ごめんなさい。取り消すわ」


「俺こそ悪かった」

「例の船乗りは、なぜ飛び降りたの」


「いきなり何だ」

「最後まで聞かせて」

「くだらん話さ」

「どこへ行く?」

「油断したのさ」

「誰が?」

「船乗りだよ。そいつの芸なんだ。機関士だから、足の裏がすごく硬い。熱でね。だが1年陸にいてなまってた。それを忘れて…」


「彼は懲りたの?」

「その後は知らん」

 

アンジェイはエンジンをかけた。 


 

 

3  虚栄の心理学

 

 

 

どうしても気になっていた昔の映画を観直して、自分なりに納得できた。

 

全編、心理学が広がるこの逸品のドラマを貫流しているのは、「虚栄の心理」と私は考えている。

 

以下、拙稿・心の風景「虚栄の心理学」より一部転載。

 

虚栄心とは、常に自己を等身大以上のものに見せようという感情ではない。

 

自己を等身大以上のものに見せようとするほどに、自己の内側を他者に見透かされることを恐れる感情である。

 

即ち虚栄心とは、見透かされることへの恐れの感情なのである。

 

虚栄心には、二つの文脈が包含されていることが分る。   

 

その一つは、「私にはこれだけのことができるんだ」という自己顕示的な文脈。

 

もう一つは、「私はそれほど甘くないぞ」という自己防衛的な文脈。

 

虚栄心とは、この二つのメッセージが、このような特有な表出を必要とせざるを得ない自我のうちに、べったりと張りついた意識の内実なのである。   

 

虚栄心は、相手が必要以上に踏み込んでくると察知したら、プライドラインを戦略的に後退させ、水際での懸命の防衛に全力を傾注する。

 

いずれも、見透かされないための自我防衛のテクニックであると言っていい。

 

これは、強度の差があれども、人間が社会に適応するために本来的に有する、ごく普通の感情の様態である。

 

―― この映画の本質的部分は中年夫婦のラストの会話で回収されるが、ともあれ、デビュー作となるポランスキーの逸品に感服する。 



ラストで回収されるのは、退屈凌ぎに、若者がナイフ遊びをしている様子を見たアンジェイが説教を垂れるシーンに始まり、状況を変えて断片的に語られる「ある船員」のエピソード。

 

そこから書いていく。

 

ある船員が無茶をやった。

 

その船員は頭もよくないし教養もない。

 

冗談も手品も苦手。

 

彼は突然、空き瓶を床に叩き割ると、靴を脱いでテーブルの上に飛び降りて、辺り一面、血だらけになった。 


ラストで、その話の続きを聞くクリスティーナに対して、アンジェイは答える。 


「そいつの芸なんだ。機関士だから、足の裏がすごく硬い。熱でね。だが1年陸にいてなまってた。それを忘れて…」 


要するに、バカな行動によって火傷跡が残って、船員に戻れなかったという虚勢を張る男の話だったというオチ。

 

ラストシーンでのアンジェイが迷妄する立場をシンボライズするエピソードである。

 

この虚勢を張る男の話こそ、対峙する相手を見極め、その能力に応じて反応して行動するアンジェイと殆ど同工異曲(どうこういきょく/にたりよったり)の人物だった。

 

若者のナイフ遊びを見て「油断大敵」と言うアンジェイの物言いは、まさに彼の人生訓である。

 

だから、常に安全圏にいる。

 

そんな男が若者を強引に誘い出したのは、ヒッチハイクで乗せた若者の能力を見極めていたからである。 


体も大きくなく、金もなく、品性も低く、教養にも欠けていて、あまりに子供っぽい物言いと仕草。

 

だから、正面切ってタイマンを張ることができる。 


セルフ・カモフラージュ(絶対優位に立つ自己偽装術)によって、「油断大敵」という彼の人生訓も希薄になる。

 

その結果、あってはならない「事件」を出来させてしまうというわけである。

 

武装した若者の物理的記号であるナイフを奪って挑発し、殴りかかってきた若者を殴り返して海に落としてしまうのだ。

 

クリスティーナと共に救助に入っても見つからず、発見できない状況の深刻さを認知した時、アンジェイが取ったアクションは、若者の所持品を海に捨てるという犯罪行為そのものだった。 


ここからクリスティーナとの野卑な言い争いが開かれる。


全てを知って落ち着き払っているクリスティーナと切れ、アンジェイだけが負う状況の深刻さはラストの会話にまで漂動していく。

 

最後まで若者の溺死を疑うことがないアンジェイの良心が、警察署の方向を示す標識を前にして蕩揺(とうよう)しているのだ。

 

それは虚栄を張って、砕け散った空き瓶を踏み歩いて大怪我した船員の愚昧さよりも深刻で、罪深い事態だった。

 

思えば、「なぜ、乗せたの?」と尋ねたクリスティーナの問いに答えなかったアンジェイの、その裸形の様態のリアルを炙り出してしまうだろう。 


何もかも劣位なる若者とタイマンを張ることで、自らの優位性をクリスティーナに確認させんとした男の虚栄心の成れの果ての相貌性が、そこに存分に垣間見える。

 

自己顕示的、且つ自己防衛的な文脈を併合する虚栄心という名の、見透かされることへの恐れの感情が揺蕩(たゆた)っていて、添える言葉が見つからない。

 

脆弱な若者を、自らが誇るクルージング(ヨットでの航海)のゾーンに押し込み、自分が船長になって扱(こ)き使うことで得られる快楽の空虚感。 


かくて、自らが惹起した若者の溺死に慄(おのの)く相貌を身体化したことで、クリスティーナに明け透けに言われてしまうのだ。

 

「怖くて震えてるくせに。何よ、うろたえてみっともない。はったりばかりのひきょう者。彼を乗せたのだって、いい格好を見せたかっただけよ」 


アンジェイの下心など、とうに見透かされていたのである。

 

前述の通り、最も触れられたくない攻勢を受けたら、大喧嘩になるのは必至だったのだ。

 

そこに男の嫉妬感が絡み合っていたから、若者に対するアンジェイの暴力性が噴き上げてしまったのである。 

嫉妬する男


「怖い」と本音を漏らした男に、一縷(いちる)の望みが降って湧いてきた。 


「あなたに有利な話だと思うけど」と言って、「(若者が)生きて、私を抱いたわ」と吐露するクリスティーナの一言は、それを無意味と断じても、「君を信じたい」という言辞に結ばれたのだ。 


クリスティーナの告白を信じることで、「事件」は存在しなかったと考える。

 

良心の迷妄を払拭するのである。

 

人間には、こういう芸当ができる。

 

だから、警察には行くことがない。 


あとは、忘却可能な時間を待つだけだ。

 

一切は幻想だったのだ。

 

そう思うことが可能な時間を待つだけなのである。

 

「(若者が)生きて、私を抱いたわ」という告白を否定しながら、クリスティーナの一言で良心の迷妄が払拭されるのだ。

 

結局、男が起こした「事件」は、何もかも見透かされることへの恐れの感情の暴発が引き起こした事態の産物だった。

 

強弱の差があれども、人間なら誰しも持つ虚栄心という魔物のコントロール能力の問題に尽きるのである。

 

(2025年3月)

 


0 件のコメント:

コメントを投稿