「協力してい頂けませんか?」「私は国側の人間だ」 |
1 煩悶する官僚 ―― 正義に駆られる記者
2月20日 2:14-千代田区 東都新聞・社会部。
無人のオフィスに複数枚のファックスが届く。
2:16-千代田区 吉岡宅。
テレビでは有識者たちのメディア論の座談会が映し出されている。
正確に言えば、「劇中座談会『官邸権力と報道メディアの現在』」という名目の、原作者の望月衣塑子と文科省元トップ(事務次官)の前川喜平による特別出演の座談会である。
吉岡エリカは、その座談を聞きながら、新聞ファイルなどで情報収集している。
元記者の日本人の父と韓国人の母を持つ米国生まれの彼女は、現在、東都新聞の社会部に所属している。
2:18-霞が関 内閣情報調査室(内調)。
その同じテレビ座談会を見ている、若手官僚の杉原拓海(たくみ)。
外務省からの出向官僚である。
2:21-中央区 銀座。
夜の街を歩く初老の男性と若い女性が、何者かによって写真を撮られ、それが内調にいる杉原に直ちに送付される。
以上が、オープニングシーン。
翌朝、「白岩聡元教育局長 在職中から野党議員と不適切な関係」といった見出しの記事が、全国各紙の一面に踊っていた。
テレビでは早速、格好の一大スキャンダルとして、白岩本人にインタビューする映像が流されていく。
【これは、文科省元トップの前川喜平(以下、全て敬称略)が「出会い系バー」に出入りし、買春を行っているかのように報じて波紋を広げた一件のこと。因みに、「映画『新聞記者』本物の記者・内調関係者が語る『いい点と悪い点』」というサイトでは、「この報道は内調や公安筋が前川氏を尾行して、盗撮した写真を読売にリークしたというのが定説」となっていると記述されている。また、Wikipediaには、当該女性のインタビューで、「前川から口説かれたことも手を繋いだこともなく有り得ない」という文藝春秋(2017年7月号)の記事が掲載されている】
東都新聞ではスタッフが集まり、この記事の不自然さが指摘され、内調のリークであると考えるのが妥当であると、社会部デスクの陣野が断定した。
陣野(中央)と吉岡(右) |
以下、このテレビ映像のモニターを見ながらの内調での会話。
「無理あるな、この言い訳。ま、白岩の社会的信用は、これでゼロ以下だ」
「こういう仕事増えましたよね」
「こういう仕事って?犯罪者でもないのに、公安が尾行して、俺達がスキャンダルを作る仕事」
「そこまで言ってないですけど…」
「多田さんが何も考えないで、こんな仕事やらせるわけないだろ。あくまでも、マスコミの情報操作の対抗措置でしかない」
その会話を背後で聞きながら、黙々と仕事を続ける杉原拓海。
【内調がネットを使った情報操作を行っているという行為を、前掲サイトでは、「職員は国内、国際、経済など各分野に分散配置されていて、とてもではないですが、1日中パソコンの前に座って世論操作をやっているヒマはないからです」という点を指摘する元内調職員の言葉を掲載しているが、真偽のほどは分からない。元々、内調は、インテリジェンス機能の強化の目的で、1952年に、吉田茂の意向を受けた緒方竹虎(当時、副総理)が「日本版CIA構想」を立ち上げたが、世論を背景にする大手メディア(読売新聞が中心)の激しい反対運動によって頓挫した。その後、内閣官房の組織として内調が設置され、紆余曲折を経て、第2次安倍内閣に至り、「日本版NSC」=「国家安全保障会議」として創設されるに及び、内調とのインテリジェンス機能における連携のテコ入れが図られる。従って、「こういう仕事増えましたよね」という台詞の背景に、時の政権による情報統制の強化が存することは自明である。当然ながら、内調はヒューミントに携わるプロパー職員が中枢となっている。これが本作の多田の役割と思われるが、その業務の特性が「内調の闇」とされている】
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緒方竹虎(ウィキ) |
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「日本版NSC」=「国家安全保障会議」(議長は菅義偉内閣総理大臣) |
一方、東都新聞では、送付された羊の絵から開かれる物語の、その匿名のファックスをチェックしていた。
表題には「新設大学院大学 設置計画書」とあり、内閣府が認可する医療系大学の概要が記されていた。
東都新聞・社会部/吉岡(右) |
「総理のお友達企業とか、優遇してんじゃないの」
「それをリークしたくて送ってきたとしか思えないな」
陣野 |
陣野は吉岡に、このファックスの送信元を調べるように指示した。
「ひょっとして、政権がひっくり返るかも知れないぞ」
陣野と吉岡 |
そんな渦中にあって、杉原は帰宅間際に、内調を仕切る上司の多田に呼び止められ、外務省の動きを逐一報告することを指示される。
杉原と多田(右) |
帰宅すると、杉原の妻・奈津美がまだ起きていた。
奈津美 |
奈津美は妊娠中で、出産を控えている。
東都新聞では、総理べったり記者・辻川和正の後藤さゆりレイプ事件(「詩織さん事件」のこと)の逮捕見送りの記事が取り上げられる。
同じ記事を読んだ多田が、杉原を呼び出して、後藤さゆりの弁護士が野党絡みであるとのチャート図を作るように指示する。
多田 |
「どういうことですか?」
「辻川は嵌められた。さゆりはハニートラップだ。それを裏付ける人物相関図と、指示系統の図を作るんだよ」
「この人、完全な民間人ですよね」
「野党と繋がっているという事実さえ作ればいいんだ…これも国を守る大事な仕事だ」
以下、その後藤さゆりの記者会見。
「捜査状が出ていたが、上からの指示で取り消され、彼も捜査を外された。力になれず、申し訳ないと。一度はジャーナリズムを志した者として、このまま黙っていることはできないと思いました。性被害というものが、女性を一生涯傷つけ、苦しむ人生を強いるものだということを知ってもらいたいのです」
内調では、後藤さゆりのハニートラップをSNSで拡散する作業が行われていた。
杉原は、多田の指示による作業に疑問を抱き始めている。
そんな折、外務省のかつての上司で、杉原が慕う神崎(かんざき)から連絡が入り、食事の誘いを受ける。
そんな中、吉岡は自身が書いた「後藤さゆりレイプ事件」が、ベタ記事扱いされたことを陣野に抗議するが、取りつく島もない。
片や、内調では、レイプ事件に内閣府が関与しているという情報が週刊誌に出たことで、杉原は多田に責められる。
「後藤さゆりが野党と繋がっているという情報を、与党ネットサポーターに拡散しろ」
「ちょっと待ってください。嘘をでっち上げるんですか?」
「嘘か本当かを決めるのは、お前じゃない。国民だ」
「嘘か本当かを決めるのは、お前じゃない。国民だ」 |
多田からの叱責を受け、不満を募らせている杉原が、元上司の神崎と久しぶりに会食した。
杉原と神崎(左)
そこで、神崎が5年前の不祥事の責任を一人で負った事実を吐露するが、杉原もまた、この一件を知悉(ちしつ)している。
「国と家族のためだって、自分に言い聞かせた」
その神崎は、内閣府の大学新設の担当から外された直後に自殺してしまうのだ。
この由々しき事態が惹起する同時刻に、杉原は死ぬ直前の神崎から電話を受けていた。
「俺たちは一体、何を守ってきたんだろうな」
「神崎さん!」と呼びかける杉原 |
そう言い残し、神崎はビルから飛び降りたのだ。
杉原は多田の執務室に乗り込み、神崎の件を問い質す。
「うちがマークしてたんですよね。神崎さんに何をしたんですか!それは、組織としてやった行動ですか!」
その質問には答えず、多田はきっぱりと言い放つ。
「お前、子供が生まれるそうじゃないか」
明らかに恫喝である。
神崎とコンタクトしようとしていた吉岡もまた、その死を知り、5年前に自殺した父のトラウマが侵入的想起(不快記憶の想起)し、フラッシュバックに襲われる。
その頃、杉原は内調が作り上げた神崎に関するプロファイル(情報資料の集合)を読んでいた。
そこには、自殺の要因として、国家戦略特区の機密費の不正流用が発覚したこと、そして、体調不良を理由に聴取を拒否し、内調からの最終通達の日に飛び降り自殺したことが記されていた。
杉原は神崎俊尚関連のツイッターでの反応を調査する。
吉岡もまた、時を同じくして、ツイッターをチェックしている。
その夜、神崎の通夜に杉崎は訪れた。
吉岡も通夜の場にいた。
例の如く、遺族に対するメディアスクラム。
「不正流用は本当なんですか?」
容赦なく、遺族に質問とフラッシュを浴びせるメディアに対し、思わず、記者の腕を掴む吉岡。
「それ、今する質問じゃないでしょ!あなたはされたら、どう思うの?」
父の自殺の一件で、メディアスクラムに被弾していた過去を持っていたこと ―― これが彼女の行動の推進力となっている。
神崎の遺族をメディアから守っていた杉原は、その様子を見て、既に見知りの吉岡に声をかける。
「新聞記者だよね、君は…どうして?君は、あっち側だろ」
「あたしは、神崎さんが亡くなった本当の理由が知りたいんです。あなたは、神崎さんがどうして死んだと思いますか?家族を残してまで、背負えないものがあったのか」
「君には関係のないことだ」
その一言を受け、吉岡は嗚咽しながら、その場を離れていく。
その直後、杉原の妻・奈津江が破水(卵膜が破れ、羊水が子宮外に流れ出すこと)して、緊急搬送されたという連絡が入る。
杉原は慌てて病院に駆けつけるが、帝王切開し、母子共に無事であることを担当医から知らされる。
スマホのメールを確認すると、何度も奈津江からの不在着信と体調不良を訴えるコメントが入っていた。
ベッドの傍らで、「ごめん」と呟く杉原。
その杉原は神崎の後任となった、元同僚の都築(つづき)に神崎の自殺について問い質す。
「覚えてますよね。5年前、私達はマスコミに出たら困る文書を改竄(かいざん)した。神崎さんは、上からの指示で文書改竄しただけなのに、責任はすべて神崎さんが被った。神崎さんは外交官としてのキャリアを人質に取られてました…教えてください。どうして神崎さんは死ななければならなかったのか」
そう詰め寄る杉原に対して、都築は一言返すのみ。
「内調だ。自分で調べろ」
都築 |
新聞では、神崎の死と文書改竄を関連付ける記事が一面トップに掲載されていた。
遅れを取った東都新聞だったが、大学認可計画が頓挫したことで、デスクの陣野は逸(はや)る吉岡に対し、引き際が大事だと忠告する。
一方、杉原は神崎の家に弔問に訪れた。
「5年前に、あの事件があってから…息を潜めて、ただ、時間が過ぎるのを待って…こんなことになるまで、気づいてあげられなかった…」
伸子 |
神崎の妻・伸子は嗚咽を漏らしながら、そう吐露した。
官邸前では、改竄を糾弾し、内閣総辞職を求めるデモが行われていた。
多田は写真に撮られたデモ参加者の顔を丸で囲み、公安に渡し、彼らの経歴を調べるよう、杉原に指示する。
「全員、一般人ですよ」
「全員、犯罪者予備軍だ」
「それ、個人的見解ですよね」
「だとしたら、何なんだ」
多田は杉原のデスクにあった神崎の記事を視認して、その場を離れた。
今や杉原は、公安内でマークされる存在になっていた。
2 俯く官僚 ―― 不屈な表情に転じる記者
吉岡は杉原に会い、神崎の死の理由を聞き出そうとする。
そこで、新聞記者だった父が誤報の責任を負わされ、自殺した話をするのだ。
「父は、そんなに弱い人じゃない…いくら、そう思っても、もう真相は分かりません。だから、どうしても知りたいんです。記者として、真実を届けたい。それだけです」
「大学の計画は、まだ終わっていません。場所を移して生きている可能性が高いです。恐らく、神崎さんはまだ情報を残しているはずです。このままいくと、来月には新設されてしまう。その前に何とかしないと。神崎さんの死が無駄になる」
危機感を共有する官僚と記者が、そこにいる。
しかし、現実はシビアである。
吉岡は調べたレポートを陣野のデスクに置くと、その件はガセだと上から圧力がかかっていると知らされるに至る。
内調は吉岡の父が誤報を出して自殺したとレポートし、父の二の舞になると脅しているのだ。
「だから、止めろ。そう言うんですか?」
声を震わせる吉岡。
気強い吉岡が向かったのは、神崎の自宅。
インターホンで記者だと名乗ると断られたが、羊の絵を見せるや、伸子は吉岡を中に入れた。
神崎が送ったファックスの件を伝えると、心当たりがあると言う伸子は、自室の鍵がかかる机のキーを吉岡に託す。
引き出しを開けると、東都新聞にファックスされた羊の絵の資料の原本があり、その下には、『DUGWAY SHEEP INCIDENT』という本が置かれていた。
直ちに杉原を呼び出し、一緒に資料を確認する吉岡。
「これが、神崎さんの死の原因じゃないでしょうか。DUGWAYは、米国の有名な生物兵器の実験場があるところです」
「1968年に実験場で起きた羊の大量死を書いたノンフィクションですよね。確か、実験場で漏れた神経ガスが原因で…つまり、政府は日本のDUGWAYを作ろうとしていると。神崎さんが作らされていた大学は、生物兵器の製造が行われる施設を持った大学だった」
「それが許せなかった。だから、私達に計画をリークした。でも、残念ですが、これだけでは記事に書けません」
「大学設立の真の目的が、医療ではなく軍事であるという明確な証拠が必要。そういうことですか?」
「はい…協力してい頂けませんか?」
「私は国側の人間だ」
杉原は身震いしている。
信じ難いほどの国家の機密情報を知ってしまったのだ。
この時点で、漏洩行為には10年以下の懲役に処せられる「特定秘密保護法」が施行(せこう)されているのである。
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特定秘密保護法 |
「そんな理由で、自分で自分を納得させられるんですか?私たち、このままでいいんですか?」
吉岡のシビアな物言いを受け止めた杉原は、何も答えられないまま、妻が入院する病院へ向かった。
そこには、産まれたばかりの赤ちゃんを愛おしそうに抱く奈津美の姿があった。
杉原は赤ちゃんを抱き、思わず落涙する。
家族を持つ男の葛藤は、もう、引き返せない状況に捕捉されてしまっている。
その葛藤を超えた杉原が、今、この状況下にあって、動き始めていく。
都築の執務室に待ち合わせと称して入り込み、大学設立に関する資料を物色するのだ。
新たな計画書を発見し、内部資料のページを携帯で撮り捲っていく杉原。
吉岡は内閣府に向かう都築を捕まえ、大学設立の目的が軍事利用ではないかを執拗に肉薄する。
当然のことながら、都築は相手にしない。
危機意識を共有した若き官僚の行為をアシストするための時間稼ぎである。
そして、立ち位置を異にする二人の行動は、その初発点で成就し、陣野を呼び出し、その資料を示し、記事にするよう迫っていく。
しかし、自社のトップから電話が入り、それを記事にすれば「誤報になる」と詰め寄られ、その証拠固めの必要性について念押しされ、警告を受ける陣野。
「諦めるんですか?向こうも、相当追い詰められているはずです」と吉岡。
「この記事が出て、向こうから誤報だと言われたら、それを跳ね返す手段がない」と陣野。
「その時は、僕の実名を出してください」と杉原。
「そんなのダメです。ご家族が」と吉岡。
「君なら、自分の父親にどっちを選択して欲しい?」と杉原。
「分かりました」と陣野。
「ありがとうございます。絶対に無駄にしません」と吉岡。
これで、記事にするという方向性が決まるに至った。
方向性が決まっても不安を隠せない表情の吉岡 |
深夜、「新大学で生化学兵器研究」の大きな文字が一面トップに載ったゲラ刷りを目にし、安堵の表情を浮かべる吉岡。
翌朝、東都新聞が各家庭に配られる。
売店で、その新聞を手にする杉原。
退院する妻と娘と共に家に戻ると、神崎からの手紙が届いていた。
死者からの手紙である。
既に届いていた手紙に気づくのが遅過ぎたのだ。
神崎からの手紙を読む杉原 |
「せめてお前にだけは、真実を伝えておきたいと思う。新設の大学を運営する民間企業は、首相の古くからの友人の会社だ。その会社に大量の資金が流れた。これは防衛省、経産省、そして内閣府が捻出した国民の金だ。そこには、私の決済印が押されている。私はまたもすべてを被った。またこんな風に生きていくしかないのか。国民として、父として、もうそれは耐えられそうにない。杉原、許してくれ。すまない」
衝撃を隠せない杉原。
一方、陣野が悪いニュースだと、新聞社に届いたゲラを吉岡に渡す。
そこには、「自殺官僚の元部下暴走!機密文書ねつ造し、東都新聞記者に提供」とあった。
想定の範囲を超える権力の動きに、慄然とする吉岡。
そして、良いニュースとして、読売、朝日、毎日の各社が、東都の報道を追いかけてきているとのこと。
「良いニュース」を陣野から知らされる吉岡 |
「どちらにしても茨の道だ」
「はい。続報で杉原さんの実名を出します」
吉岡が外に出ると、多田からの電話を受ける。
「あなたのお父さん、誤報じゃなかったんですよ。でも、死んでしまった。残念でしたね」
「わざわざ、ありがとうございました」
相手が分からず、動揺しつつも、そう反応する吉岡。
【前掲サイトでは、「『今時、記者の携帯に直接差し止めの電話なんかしたら、録音されて逆ネジを食らわされて終わりですよ(笑)。映画だからわかりやすくしたんでしょうけれど、普通『圧力』をかける場合、広告代理店などの第三者が介在します』ということ。その通りだと思う】
一方、多田に呼び出された杉原は、外務省に戻る条件として、「今持っている情報はすべて忘れろ」と迫られていた。
杉原は何も答えず、小さく頭を下げ、退室しようとする。
背後から、多田の言辞が放たれた。
「撤回することは、別に恥ずかしいことじゃないぞ。この国の民主主義は形だけでいいんだ」
多田の執務室を出て、葛藤する杉原。
吉岡は杉原に会いに、内閣府に向かって走る。
横断歩道の向こうにいる杉原を見つけ、手を挙げるが、気づいた杉原は俯く。
再び、吉岡を見つめ、何かを呟く。
「ごめんなさい」と口が動いたように見える。
それを受け、吉岡の顔が曇るが、瞬時に不屈な表情に転じ、何事かを叫ぼうとするところで映画は閉じる。
ラストカットである。
3 危機意識の共有を崩す若手官僚の正義の脆さ
内調=悪、メディア=善という二分法の設定において、相当程度、プロパガンダ性の濃度が高い、「基本エンタメの社会派系ムービー」。
この把握が私にはあるが、映画としては、静謐だが、ラストシークエンスの怒涛の展開に凝縮される、息もつかせぬ物語展開は蓋(けだ)し圧巻だった。
社会派系ムービーさえ作れない邦画の現状にこそ、我が国の映画文化の貧困を憂える限りである。
だから、「加計学園・獣医学部新設問題」を物語の中枢的背景として描き、エンタメムービーとしては程々に面白かったこの映画が訴えるのは、以下の作り手の言葉のうちに集約されるのではないか。
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「加計学園・獣医学部新設問題」 |
「どんな組織や団体にも、大多数の意見が『まあ、これでいっか』の流れに傾いたとき、絶対に間違っていると感じていても『違いますよ』と言えなくなる同調圧力が存在します。“集団の中の個人の在り方”は、やっぱり今だからこその大きなテーマだと思いますし、しっかりと描きたかった」
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藤井道人監督 |
「本作の原案となった(「東京新聞」記者の)望月衣塑子さんの本には、記者としての苦悩、葛藤、記者がやってはいけないことがいろいろ刻銘(原文ママ)に描かれていました。僕が台本を頂いた時には、官僚側についてはあまり描かれていなかったんですが、(松坂桃李が演じる)官僚の杉原という役は、僕と年齢がかなり近く、家族がいてっていう、自分を投影できる隙がすごくあったんです。集団と個という話で、(シム・ウンギョンが演じる)吉岡も個というものに対して、いろいろなジャーナリズム、メディアとしての葛藤を抱えていますが、杉原はもっと大きな集団の中の個としての葛藤がすごくあるんだろうなと思って、そこは自分の目線でかなり付け加えました」(藤井道人監督インタビュー)
「僕は基本的に『映画屋』。だから知識があるかよりも、そこに生きる“人”をきちんと映し出すことが仕事です。そこで記者としての葛藤、そして官僚の立場にいるからこその人としての葛藤を描き出すことを目標にしました」(同上)
この辺りは、本篇を貫流する主題となっている。
若手官僚の正義の脆さを描く葛藤描写は素晴らしい |
同調圧力については、言わずもがなの問題なので批評はスルーする。
ここでは、「もっと大きな集団の中の個としての葛藤」を体現した杉原の心の風景について言及したい。
本作の映画的構成の仮構性を支え切っているからだ。
この映画の生命線であると言ってもいい。
これがなければ、少なくとも、私にとって「アウト」だった。
以下、批評の要諦。
「僕の実名を出してください」と言い切った杉原は、なぜ変わったのか。
まず、妻の入院中に郵便ボックスに置き去りにされていた神崎の手紙を読んだこと。
「私はまたもすべてを被った。またこんな風に生きていくしかないのか。国民として、父として、もうそれは耐えられそうにない。杉原、許してくれ。すまない」
そこには、新設の大学を運営する民間企業が首相の古くからの友人の会社であること。
そして、その会社に大量の資金が流れたが、神崎の決済印が押されていたこと。
死者からの手紙の生々しさ。
行政の頂点に君臨する者の名が想定される、神崎の手紙の圧倒的なリアリティ。
そこに恐怖感が生まれたのは間違いない。
同時に、手紙を早く読んでいたらと思うと、遣り切れない感情も強かった。
その傍らには、帝王切開で緊急手術の果てに命を授かった乳児を抱き、喜びを体現させている妻がいる。
絶対に守るべき妻子が人質に取られるという、あってはならない状況が可視化されてしまったのである。
この恐怖心が一気に噴き上げていくタイミングを計るように、多田に呼び出されたのは、その直後だった。
「これ、お前じゃないよな。お前のわけがない」
杉原を睨みつけながら、東都のスクープ記事について詰問する多田。
恫喝である。
ところが、ここで、多田の態度は一転する。
「杉原、外務省に戻りたいか?」
「どういうことですか?」
「そのぐらい、口利きならできるかも知れないという話だよ。でも悪くないだろう。外務省に戻って、しばらく外国に駐在する。皆、お前がしたことを忘れる。但し、条件がある。今持っている情報はすべて忘れろ」
懐柔である。
しかし、「今持っている情報はすべて忘れろ」という、この懐柔の最後の恫喝的言辞は、観念的正義に振れる若手官僚の脆弱さを呆気なく突き崩す。
突き崩された杉原の自我が宙吊りにされるのだ。
そこにカオスが生まれる。
このカオスに、ヒューミントに携わる内調プロパーの決定的言辞が潜り込んできた。
「撤回することは、別に恥ずかしいことじゃないぞ」
それ以外にない絶対的な掩護射撃である。
この言辞が、宙吊りにされた若手官僚の中枢を打ち抜くのだ。
若手官僚の葛藤の最終到達点が映像提示される。
正義を捨てない女に呟く男
これで全て終焉する。
懐柔のテクニックのプロの凄みに、一切が収斂されていくのだ 。
横断歩道を隔てた向こうで俯く男を、正義を捨てない女の視線が捕捉する。
もう、共有する何ものもない。
危機意識の共有を崩す若手官僚の正義の脆さだけが、そこに捨てられていた。
【余稿】 公開された映画の内実で批評する ―― これが正解である。
「加計学園園をめぐる騒動の中で、獣医学部と生物兵器の話が出ていましたが、それもこの映画のモチーフになっています。脚本を作る段階では、そういう話は荒唐無稽と思われるのではないかという声もありましたが、私はそう思っていません。学問の発展は戦争と隣り合わせだというのは歴史的事実だし、私自身、ありえない話ではないと考えています。今の時代の不条理を描くためには、そういう現実にありそうなことがリアルに反映されていることが必要だと思っています」
これは、本作の河村光庸プロデューサーが、マスメディア批評を中心とした月刊誌「創」(2019年7月号)のインタビューでの一文である。
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河村光庸(ウィキ) |
要するに、「獣医学部と生物兵器の話」にはリアリティがあるということを述べているのだ。
実際に、「マスコミも書いていない仮説なので信用されないかもしれないが、以下を読んで判断されたい」と記述し、「獣医学部と生物兵器の話」について言明している仮説が、ハフポスト(米国のリベラル系オンラインメディア)に掲載されている。
寄稿者は池内了。
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池内了(いけうちさとる/ウィキ)
共産党系の学者として知られる名古屋大学名誉教授である。
以下、その冒頭の文面。
「加計学園問題は、安倍首相が長年の友人に対する不公正な利益供与を行なった政治的スキャンダルであることは論を俟たない。実は、この加計学園問題で注目された獣医学部の新設条件、いわゆる『石破4条件』から、軍学共同と関連した『生物化学兵器の研究』の拠点作りという新たな側面が浮上しており、今後はむしろこちらの方が大問題に発展する可能性がある。
愛媛県今治市が2007年から『構造改革特別区域』という小泉政権以来続いている施策に獣医学部新設の申請をし、15回も却下され続けてきたことはよく知られている。申請却下の背景には、獣医師会が強く反対して強力なロビー活動を続けてきたことと言われる。事実、1966年に獣医学部が北里大学に新設されたのが最後で、1975年に全国の獣医学部の定員合計が930名になってから40年以上に渡って定員増もしていない。文部省・農林省(文科省・農水省)が足並み揃えて、獣医師の数は十分足りており、ペットや産業用牛馬の数も減っているから、増員の必要なしとして規制してきたのである。
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構造改革特別区域の仕組み |
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岡山・加計学園 獣医学部新設問題 閉会中審査 新学部誘致の経緯焦点 今治市と加計学園で推進 |
2013年6月に安倍首相が『規制改革こそ成長戦略の1丁目1番地。成長のために必要ならば、どのような岩盤にも立ち向かっていく覚悟である』と言ったことから、『岩盤規制』の呼称が使われるようになった。そして、同年の12月に『岩盤規制をドリルで破る』との掛け声の下、『国家戦略特別区域』なるものを新たに設定し、いくつかの地域をこの特区に指定して規制緩和を行なうということにしたのである。ただこの時点では今治市はまだ特区に指定されていなかった。
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国家戦略特別区域 |
2015年6月30日に「『日本再興戦略』改訂2015」が閣議決定されたのだが、そこに石破茂地方創生大臣の肝いりで『獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討』と題する項目が書き込まれた。これが『石破4条件』と言われるようになったもので、獣医学部新設要求への回答という意味であったようだ。4条件とは、『現在の提案主体による既存の獣医師養成ではない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり(新たなニーズのこと)、かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行なう』である(このように箇条書きにしたわけではない)。
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【日本再興戦略とは第2次安倍内閣による成長戦略。2013年6月14日に閣議決定した。2014年、2015年、2016年と改訂されている/画像は第2次安倍内閣】 |
これは、おそらく石破国家戦略大臣(地方創生大臣)が獣医師会・日本獣医師政治連盟からの要請を受けて、獣医学部を新たに作らないために書き込んだ条件と思われる(石破大臣が「練りに練って誰がどのような形でも現実的には参入困難な文書にした」と言ったとされているが、その後本人はそんなことは言ったことはないと否定している)」(「加計学園問題と新たな軍学共同」名古屋大学名誉教授池内了 ハフポスト2017年10月20日)
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日本獣医師会/画像は事務局がある新青山ビル(ウィキ)
全文の掲載は、映画批評の範疇を超えてしまうので、これ以上の言及は避けるが、少なくとも、「俺たちみたいな反政権の気持ちが強い人間が集まってこの映画を届けるんじゃなくて、お前たちの世代が、政治に興味がない人間が撮ったらどうなるか。だからこそ撮るべきだと思うんだ」(藤井道人監督インタビューより)と言い放った河村光庸プロデューサーが、監督に三度のオファーの末に、監督自身が熱く反応したという事実だけは知っておいた方がいいかも知れない。
「賭けてみようと。ただし、いくつか条件を伝えました。実名だらけの、ほぼドキュメンタリーの台本は変えていいですか、ということ。それから、今決まりごととしてあることを、一回ぜんぶ忘れてほしい。ゼロから脚本を作るくらいの気持ちでやらせてください、ということをはっきりと言いました」
「賭け」に向かった藤井道人監督のインタビューでの言葉である。
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藤井道人監督 |
私自身、どのような経緯があったとしても、公開された映画の内実で批評するので、以上の文面は単に参照資料として提示したに過ぎない ―― これが正解である。
【追記】
「主演女優のシム·ウンギョンの日本語の不自然さ」を問題視するユーザレビューが多かったが、日本人の父、韓国人の母を持つというヒロインの設定を無視しているが故に、論外の誹議(ひぎ)と言わざるを得ない。彼女の演技は、松坂桃李の圧巻の表現力と対峙していて際立っていたと、私は思う。
ただ映画批評的に言えば、ベタな描写(転落死のシーン)、諄(くど)い描写(ヒロインの父の自殺に関わるシーン)、説明描写(劇中座談会のシーン)など、その作家性の強度の低さを露呈していて、俳優の素晴らしい演技をもってしても希釈化できなかったのではないか。
神崎の転落死 |
多分に陰謀論を臭わせるが、生物兵器のエピソードに落とし込むことで、この映画は、どこまでも「社会派系エンタメムービー」(監督自身は「一本のエンターテイメント映画」と表現)であると、私は考えている。
(2020年12月)
【参考・引用資料】
「藤井道人監督が語る映画『新聞記者』―政治に興味がない世代だからこそ描ける官僚の葛藤」
「『加計学園問題と新たな軍学共同』名古屋大学名誉教授池内了 ハフポスト 2017年10月20日」
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